こうして令嬢は悪役になった
「<ジェフォーダンの獣>。この巨大な狼の魔物ってやつは、とかく見境なしだったんだ。人や家畜も襲えば、同じ魔物さえお構いなしで襲う。そのおかげで、この辺りには魔物はいねえし、商売もしやすくって村も街になるまで栄えたんだけどな」
「魔物まで。けれど、魔物がいなくなるほどなら、人間だっていなくなるのでは?」
まだ日が高いうちにジェフォーダンの街につくことができた。
街でできるだけ安く旅の支度を整えた結果、今は夕刻である。
俺が今晩の部屋を取った宿屋の二階から、一階の酒場へ降りてきた時だった。
セレスが酒場で、すっかり酒で顔を真っ赤にした禿頭の男と、同じテーブルに座って話をしていたのだ。
酒場の喧騒の中、彼らの話し声も聞き取ることができた。
「そこだよ。村人に次々惨い犠牲者が出る中、村の男たちが松明を持ち篝火を焚いて、<獣>を狩りだしたんだ。その中に、まだただの農民の息子だった、ジャン・ジェフォーダンがいたのさ」
「わー」
セレスがいかにも白々しい拍手を送る。
何やってんだあいつ。
しばらく、俺はやり取りを見守っていた。
「やがて、<獣>が見つかる。想像していた以上に、月明かりの下で見る<獣>は大きく、たくましく、恐ろしい目をしていた。だがそこですかさずジャン・ジェフォーダン様がこう啖呵を切った。『卑しい魔物風情が! お前が殺した者の、父の、母の、子の嘆きを思い知るがいい!』」
「おおー」
「わしは震えたね。まだ当時15のガキとは思えぬ腹の据わり方。村の男たちが腰が引けている中、あのお方だけは<ジェフォーダンの獣>に真っ直ぐ向かっていった。無論、敵うはずがなかった」
「じゃあ、負けちゃったんですか?」
セレスが眉根を寄せる。
心配そうに胸の前で手を組んでみせる所作までしていた。
「バカ言っちゃいけねえよ。あの立派なお屋敷で、五体満足でいらっしゃるんだから。しかも五十の半ばになろうってのに、騎士団の指導に当たってるってなもんだ」
「じゃあ勝ったわけですね。ジャン・ジェフォーダン様は」
だから、と禿頭の男は大きく口を開けて喋る。
「勝った負けたと、簡単に語ってくれるな、メロンちゃんよ。そりゃもう、凄まじい、こっちの息が詰まって窒息するんじゃねえかってほど、凄まじい戦いだったんだ」
「結局どっちなんですか? あと、メローです。セレスナート・メロー」
「そりゃあ、今の街の様子を見ればわかることさメロンちゃん」
「メローです」
「もちろん、勝ったとも。だが、<獣>をいまだ倒しきることはできていない。当主様がこの街にいるからこそ、<獣>も普段寄り付かない。六年に一度くらいの周期で近づくこともあるが、その度に当主様が追い払ってきた」
「負けてはいませんが、勝ってもいないんじゃありません? なんだかいまいちな……」
「バカいっちゃいけねえ。世界最強って噂のリオン一行も、<獣>を倒そうとしたことがある。だが、彼らでさえも倒せなかった魔物なんだぞ」
「はー、すごいですねー」
なんというか、セレスの合いの手はいちいち白々しかった。
酔っ払った男は、上機嫌を保ったまま、気づく素振りがない。
「ん? でも不思議ですね」
「はあ、どこがだ」
「リオンさんたちは、どうして<獣>と戦ったんです? ご当主が守ってらっしゃるなら、あえて倒す危険を冒す必要もないんじゃありませんか?」
禿頭の男が、口ごもってしまう。
俺は潮時だと思い、彼女らのいるテーブルに歩み寄る。
「あー、それはな……」
説明がなされかけた時、
「罠にはめられたんだ」
俺は禿頭の男の言葉を継いだ。
セレスが、危険な発言まで導き出さないように、だ。このまま話が進めば、この街の欺瞞をつつきかねない。
それは、誰もが不幸になる道だった。
「当主の一人娘。エリス・ジェフォーダンにな」
「ヴォルクさん?」
セレスがいぶかってくるのもわかる。
俺は一度、セレスに、エリスを助けたいと口にしている。それが、助けるべきでない事情を率先して話しているのだ。
「当主は立派な人間だが、娘は母親もおらず甘やかされて育てられた。そして、リオンたちが持っていた、珍しい装飾品に目をつけた。欲しがった」
「おい、あんちゃん、あんまりその話をするもんじゃねえよ」
禿頭の男は、すっかり冷めた顔つきになっていた。
そのまま冷めてもらい、部屋に引き上げてしまいたい俺にとって、好都合だった。
だから、話を続ける。
「奪うために、リオンたちを騙し、<獣>の巣である洞窟に誘き寄せた上、閉じ込めたんだ。死体から奪うためにな。結局当主に助けられてリオンたちは生きていたが、娘の悪事は露見し、今エリスは屋敷に幽閉されている」
「あんちゃん」
禿頭の男が、咎めるような目でにらんできていた。
「その話は、しちゃならねえ。どこで聞きかじったかしらねえが、言いふらす気なら、場所を選びな」
気づけば、酒場の喧騒がやんでいた上、全員が俺のほうを見ていた。
むろん、一切好意的ではない。
「どうかな。当主がすでに罰を下し決着とはしたが、くすぶっている者もいるんじゃないのか? 誉れ高きジェフォーダン。その名を穢した者として。ただ当主の娘であるがゆえに、手出しできないだけで!」
俺が大声で訊き、酒場にいた連中を見回す。
依然、こちらを強くにらみつける者もいた。
だが、顔を伏せる者や、苦々しげな顔をする者、舌打ちをする者といた。
彼らは、俺の言葉通り、くすぶっている連中だろう。
俺は彼らに憤りを感じたが、別に彼らが悪いわけではない。
当然の反応で、人としてあるべき情だ。
「ふん。セレス、行くぞ」
俺は返事を待たず、二階に上がることにする。
背中に、酒場にいた者たちから罵りの言葉を受けながら。
「ヴォルクさん!」
俺は部屋まで戻り、セレスが入ってきた後、閂をかけておいた。
宿で取った部屋は、二人部屋であり、ベッドも二つある。
ベッドで空間の半分を占めるような広さだ。それに、ところどころ床も抜けていた。
足を取られそうになって、そんな些細なことに舌打ちをしてしまう。
俺はベッドに腰かけ、深く息をついた。
「どうされたんですか。いよいよ、らしくありませんよ。あんなの、変です」
「すまん。少し、試したかったんだ。エリスがどれだけ疎まれているかを」
セレスが、俺のすぐ横に腰かけてきた。
俺は頭を抱える姿勢のまま、顔だけをそちらに動かした。
彼女は、背筋を正し、太ももの上に両手を置いていた。真剣である、真っ直ぐである、ということが汲み取れる。
こちらにも、真剣であれ、ということだと思った。
「一体どういうことですか。恐ろしい<ジェフォーダンの獣>。それを退け街を守護する領主『ジャン・ジェフォーダン』。<獣>を利用してリオンさんたちを罠にはめ、名を落とした『エリス・ジェフォーダン』」
セレスの顔も、声の調子も、沈んだものとなる。
「ヴォルクさんは、彼女を助けようとしてるんですよね。なぜです? 話を聞く限り、彼女は綺麗な指輪でも欲しいがために人の命をなんとも思わない、大罪人としか思えません」
「そこに、この街の大いなる欺瞞があるんだ」
俺は顔を上げて、天井を見上げた。
ほこりっぽく、隅には蜘蛛が巣を張っていた。
「いや、ジェフォーダン家の、というべきか。ともかく、街の真実はお前がさっき言ったとおり。だが、本当の真実は、別にある」
「それは……」
「リオンたちをはめた罠に関して、当主と令嬢の立ち位置が、本当はまるで逆なんだ」
「なん、ですか。おかしいですよわけがわかりませんありえません――」
俺はセレスの唇を人差し指の先で押さえ、静かにさせた。
「リオンたちの財産を欲したのも、罠にはめたのも当主ジャン。助けたのは、エリスだ」
「まさか」
セレスが半ば絶望したような表情をする。
俺はそれを、諦観とともに見つめるほかなかった。
「そんなの、それこそ、おかしいですよ。本当なんですか、間違いないんですか!?」
「俺もその場に居合わせた。洞窟に向かわせたのも、ジャン当人に他ならないし、騎士団の一部の人間を使い、洞窟に閉じ込めたんだ」
「だって、どうして、真実とは逆のことが伝わってるんですか?」
「汚名を被るのが、当主とその娘のどちらかだったとき、どちらのほうが被害が少ない? どちらのほうが街も平和なままで、豊かでいられる?」
「実権を握っているわけでも、武勇で名を轟かせているわけでもない、娘のエリスのほうが都合がいい……と」
「だが、何も父親が娘に罪を被せたわけじゃない。それなら、リオンたちも見過ごさなかった。言い出したのは、娘のエリスのほうだった」
エリスは、自分から、汚名を、罪を被り、街のため、人々のために尽くした。
「他にもいろいろ当時の状況が手伝ってな。今のように真実が伝わった」
「ヴォルクさん。ぜひどうにかしてあげるべきです!」
セレスが顔を間近に近づけて、熱っぽく言ってきた。
俺が体を引いても、追随してくる。
「もとからそうするつもりだった。これから、密かに行ってみるつもりだ。どうしたらいいかはわからないが、会って、話をしておきたい」
俺はベッドから立ち上がり、部屋の窓のほうに向かった。
窓から通りを覗き込むと、陽の沈んだ今、人通りは少なかった。
「ヴォルクさん」
と、いつの間にかセレスが背後に立っていて、話しかけてきた。
俺が振り返ると、肩に両手を置かれる。セレスはそれを支えにぴょんと跳ね、俺の額に口付けしてきた。
その後すぐに彼女は背中を向けてしまう。
俺は、呆然としてしまっていた。
「ジェフォーダンの抱える屈強な騎士団も屋敷に詰めているはずですので。おまじないです。無事に、帰ってきてください」
俺は、そう言われて、笑う。
なんというか、やる気が今まで以上にこみ上げてきた。
我ながら、扱いやすいものだと思う。
「行ってくる」
俺は窓から、通りに身を躍らせた。