昨晩はお楽しみでしたね
目が覚めた時、同じベッドで裸の女が寝ていた場合について。
1、とりあえず揉む。
2、行為の跡を確かめる。
3、逃げ出す。
なお、このときの女は、ネコミミであり、商人でもあるとする。つまりはミュウなわけだが。
俺は、シーツに隠れた彼女の胸元から、目が離せなかった。
1か。いや、俺の勘が、1だと告げている。
ふと、ミュウが横向きから、仰向けに体勢を変える。
その際、シーツによって隠れていたものが露になりそうになる。
なりそうになり、実際はならない。
俺はその光景に釘付けになっていた。
そうだ、人は、実際に届かないからこそ、ソレに焦がれるのだ。
見えないからこそ、触れられないからこそ、意味がある。
祭りの準備が最も楽しいように、本番よりそれまでの過程が楽しい。
決して俺がチキンであるとかいうわけではない。
まだ起きないでくれと、ミュウの表情の様子を確かめる。
すると、彼女は目を開けて、にやついた笑みを浮かべていた。
「おはよう、ヴォルク。昨晩は激しかったにゃ」
「待て。覚えてない、知らない」
「ようやく、ミュウにも家族ができるんだにゃあ。にゃんだか、感慨深いにゃあ」
俺はベッドからすぐ下りて、土下座に入った。下着一枚の格好だった。
シーツをかき抱いてベッドに座るミュウに向かって謝罪する。
「すまない。本当に、覚えてないんだ。いや責任取らないとかじゃなくて、何だ」
このような焦燥感を味わうのは、久しぶりだった。
というより、初めてかもしれない。
「ヴォルクさーん、起きてますぅ?」
言いながら、セレスが入ってきた。
裸のミュウに、下着一枚で土下座する俺。
そして、朝の光のようなすがすがしい笑顔で固まるセレス。
「――サクバンハオタノシミデシタネ?」
「違う、待て、思い出したぞ!」
「人が、一晩かけて、必死で、作業していた時に、ヴォルクさんが致していたことをですか?」
ミュウの手にスパナが握られる。
彼女が怒るのももっともだが、大いに誤解がある。
「何もない! ただ、ベッドで寝てただけだ! ただバイパーとの戦闘で疲れていたし、宿が珍しく埋まってるっていうからこの一人部屋しか取れなくてだな!」
「昨晩、ミュウとヴォルクは、ぬるぬるのぐちゃぐちゃになったんだにゃあ」
「ぬる……っ!?」
「バイパーに丸呑みされただけだ」
「二人で必死になって、共同作業をやったものだにゃ」
「バイパーの体の下から脱出するのと、皮をはぐのとでな。何らやましいところはない」
「テントの中で、ヴォルクはミュウに家族が欲しくないか、と言ってくれたのにゃ」
「いや、それは、その、あれだ! 家族のように安心できる人間が欲しくないという意味で!」
これは完全な言い逃れだった。
あのときは、勢いや雰囲気で、ついミュウに迫ってしまった。最後のミュウの発言だけは、間違いなく事実である。
それに、本気、だったと思う。
ただし、今は雰囲気に流されてなどいない。そういうことだ。
「ヴォルクさん」
セレスがスパナで肩を叩きながら、メンチを切ってきた。
「……はい」
「正座」
「とっくにしてる」
「最低ですよ」
「……まったくその通りだ」
「それと、ミュウさん」
セレスがミュウに水を向ける。
「何かにゃあ」
「真剣に答えていただけますか。本当に、この陰気で影が薄くて呪術しか能がないむっつりな男は、あなたに、その、しなかったんですね」
「にゃあ。……まあ、そうだにゃあ。ヴォルクの弁明は、おおむね真実にゃ。それに、ミュウも悪いところがあったにゃ」
「では、ヴォルクさん」
「……はい」
「とりあえず諸々の怒りは収めますが、二度と似たような不埒な真似をいないように。わかりましたか?」
「……了解した」
「あと、その」
セレスが近づいてきて、俺の正面でしゃがみこんだ。頬を染めて、目をそらしながら、小声で告げてきた。
「世界を救おうって人たちの、外聞が悪くなるといけませんから。どうにもならなくなった時は、私に。その、お手伝いは、します」
俺はセレスの言葉を理解するのに、五秒はかかった。
「ん? それはつまり」
「一回だけですからね! お礼とか、体面とか、まあそんな感じですから!」
「にゃあ。ミュウなら、そんなの関係なく、手伝ってあげるのににゃあ」
「はあ!?」
セレスは二重の意味で驚いたのだと思う。
それは、ミュウが条件なしでの手伝いを申し出たことそのものについてもだろうし、小声で話していたことを聞かれていたことについてもだろう。
「ものすごーく親しい、家族のような人間は、実際いてほしいし、ヴォルクなら文句はないというか、ヴォルクがいい、かにゃあ」
「この陰気で影が薄くて呪術しか能がないむっつり男がですか?」
「やめろ。地味に傷つく」
俺は抗議したが、セレスには一睨みで黙らされた。やらかしてしまった手前、しばらく逆らえそうにもない。
「こういうのは、そういうものじゃないにゃ? 大体、セレスだって、わかっているにゃ?」
「まったく何を言っているかわかりません!」
「にゃはははは」
ミュウは朗らかに笑うと、背後を向いて、ベッドから下りた。その際、ホットパンツははいていたのだとわかる。それから、そばにあったイスにかけていた布を手に取って、胸に巻いた。
「それで、これからヴォルクたちはどうするにゃ?」
「どうって……、セレス、無線のほうは? フェミナの様子はわかったか?」
俺はセレスのほうをまずうかがった。
「とりあえず、昨晩の内に無線は通じました。フェミナさんにも、ミュウさんが語ったリオンさんたちと同じ症状が起きているそうです。死んだように、眠りつづけている、と。原因も皆目わからないそうです」
「そうか。じゃあ、わかりそうなやつを、飛空船まで連れていくとしよう。次の目的地は、王立科学研究所だ」
「王国の知の最先端なら、誰かわかる人がいるかもしれませんね」
王立科学研究所には、副次的な目的もある。
そこの研究員たちなら、世界の真実に、近づいているかもしれない。
手紙の差出人について、何か手がかりが得られるかもしれない。
そういう希望も、次の目的地にはあった。
「にゃあ。そういうことなら、しばしのお別れにゃ」
「どういうことだ?」
「ヴォルクにもらったバイパーの皮で、靴を作ってもらいに、贔屓の職人に会いに行くのにゃ。作ってもらったにゃら、また合流させてもらうにゃ」
「世界を救うとか、どうでもいいんじゃなかったんですか?」
セレスが、ミュウに疑わしげな目を送る。
ミュウのほうはあくまで、快活に受け答えた。
「ヴォルクは、どうでもよくなくなったのにゃ」
ミュウはそう言いながら、俺のほうに近づいてきた。俺は無警戒に、ミュウのほうを見つめるばかりだった。
そこへ、一瞬触れられた、というくらいの口付けがされる。
「ちょ、ミュウさん!」
「にゃはははは、ではまた会おうにゃ!」
ミュウは外套と風呂敷をそれぞれの手に持ち、窓から外へと飛び出した。
人生初キスが、不意に奪われたものだった。
男として、少しどうなんだろうと思わないでもない。
「……よかったですね」
「ああ」
「はあ?」
即答すると、キレられた。どう答えろと。
「とにかく、さっさとその見苦しい格好をどうにかしてください」
俺は、ベッドでシーツに紛れていた衣服を身につけていく。それからトレードマークであるゆったりした黒い外套を身にまとうと、着替えは終わりだ。
「じゃ、行きますよ」
セレスが部屋を出て行くのに、俺はついていく形になる。廊下を歩き、階段を降り、酒場を通り抜けて外に出る。
「なんでそう偉そうなんだ」
「あなたの立場が低いだけです」
セレスは、街の出口とは逆方向に向かおうとする。
「おい、門は逆方向だぞ」
セレスは振り返らないまま立ち止まり、不敵な笑みを浮かべる横顔を見せてきた。
「ふふん」
「なんで方向を間違えといて偉そうなんだよ」
「それは見てのお楽しみです」
お前の間抜けな面をか。
セレスは、宿屋の角を曲がり、誇らしげに馬小屋のほうを手で示す。
宿屋に併設されていた馬小屋に過ぎないはずだ。まさか馬でも手に入れたのか。
馬にはとても乗れる気はしないんだけどなあ。
俺は、馬小屋の中にあったものに、目を見張った。
「どうです」
馬小屋に、近代的な車があった。形状としてはオフロード車に近く、タイヤが大きくしっかりしているため、道路の整備されていないこの世界でも実用に足る。
また今度は、飛空船と違って二人乗りだし、後部が荷台になっていて旅に適している。
「……すごいな。これを一晩か。本当に、お前はすごいよ」
「べ、別にこれくらいどうってことありませんけれどね」
セレスはいかにも鼻高々だった。
彼女の機嫌も直ったようだし、俺としても、移動のための足が手に入ったことは喜ばしい。
万々歳である。
ただ、一点を除いては。
「セレス、それで、これは何だ?」
「これはですね、馬車と飛空船を組み合わせて発想しまして、無線機を取り付けた――」
「これは何だ?」
「だから、これから説明しますよ。これはですね――」
セレスは嬉々として説明を続けようとする。
この様子では、俺の質問の意図がわかっていないようだ。だから懇切丁寧に説明する。
「俺にはこれは、魔素を動力に動く車に見える。だが、なあ。俺は無線機を作ってくれとお前に頼んだんだ。材料はお前に任せた。そしたら1億ゴールドが必要になった。そこで、バイパーを倒しに行ったわけだ。ああ、実に大変だったなあ! ……その上で訊くぞ。これは、何だ?」
セレスは、出来の悪いマスコットのような笑みを浮かべた。首を傾げながら、
「自力走行可能な、無線機、でしょうか」
俺はセレスを睨みつけながら、彼女の頭を握って絞めた。
「あだだだだだだっ!」
セレスは俺の手をはがそうとしてくるが、完全に力はこちらが上だ。
「じゃあお前は人間をかけた眼鏡だなあ、ええおい?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいい!」
俺はセレスを離してやり、溜息をつく。
まあ、過ぎたことは仕方ないし、実際、足があることは非常にありがたい。
「ったく。行くぞ」
俺が車に乗り込もうとすると、
「あっ、操縦は私めが」
とセレスが媚びてきたので任せた。
「えへへ、行きますよー」
今度は媚びているというより、こういう機械を動かせることが嬉しいみたいだった。
セレスという人間は、そういうやつなのだ。
こちらの毒気も、完全に抜かれるというものだった。
「<フェンリル1号>、発進!」
車が発進し、動き出す。
ただし、実にゆったりとしていて、穏やかな川を流れる舟にでも乗っているようだった。
街を歩く子どもに抜かれ、指を差されるレベルだ。
「……セレス。これは、町中で危ないから、安全に動かしているだけなんだよな。そうだと言えよ。そうだと言ってくれ」
「……てへっ」
その出した舌を引っこ抜くぞ貴様。




