Novelist
「あのねえ、僕が書きたいのはサスペンスなんだよ。SFなんて、僕の趣味じゃないんだ」
「先生、お気持ちは察しますけど、それは〆切の言い訳にはなりませんよ」
普段なら〆切も数日は待ってやる富沢も、何故かこの日ばかりは譲らなかった。
柳村は「ちぇ」と声をだしてパソコンと向かい合う。
「富沢さんさあ、今日はいつになく厳しくない? ああ、あれでしょほら、離婚」
「そんなわけないじゃないですかッ 陵子との仲は良好ですッ」
「……え、今「りょうこ」と「りょうこう」を掛けたの? じゃあ、あんまり面白くない」
富沢のストレスは今や爆発寸前。頭を掻きむしりながら声にもならない怒声を上げた。
富沢はこの日、早く帰りたかった。今日、十月三十日と言う日は、娘の美加の誕生日だったからだ。
柳村も一応事情は分かっているし、書く気が無いわけではないようだが、それでもやはりキーボードを叩く音は一向に聞こえてこない。
「そもそもさぁ、僕はSFなんて書きたくなかったんだよ。それなのにそっちが勝手に話進めてさァ……」
「そ、それは申し訳なかったですけど、了承したのは先生じゃないですか。今度出る「冬の七不思議」の雑誌にも、「あの“五十六分間の沈黙”著者、柳村滋郎がSF短編を執筆」って書いちゃってますし……何より、この話を了承したのは先生じゃないですか」
「……聞き間違いだよ」
温厚な富沢が「ああ?」と声を荒げるのは、柳村の前だけだった。腹にたまってきた脂肪も、もはやこのストレスのせいではないかと感じる。八つ当たりとはわかっていながらも、である。
「いや、聞き違えたんだよホラ、君さ、僕にこの話持ち出して来た時なんて言ったか覚えてる?」
「変なことは言ってないですよ、「サイエンス・フィクションを書いてもらえますか?」。ほら、どこに聞き間違える要素があるんですか」
「そこじゃんほら、「サイエンス」と「サスペンス」って似てない? ……あれ、似てないのかな、ちょっと待ってね、僕あの時もうちょっとうまい具合に聞き違えた気がするんだよね……えーっと「サイエンス」と……「サイコパス」?」
「いい加減にしてくださいよッ もう何でもいいから原稿上げてくださいよッ 〆切まであと五時間ですけど、本当に大丈夫ですか?」
柳村は「さっきからそれ五十回ぐらい聞いたよ」とヘッドホンを付けてしまった。やる気が少しでも上がった時、柳村は外部の音を遮断してヘッドホンからも漏れ聞こえるほどの大音量で音楽の世界に入るので、ヘッドホンを外さなくてはもう何も聞こえない。
そのためか富沢は、独り言にしては大きな声でぼやいた。
「もう……本当に早くしてくださいよ、娘の美加の誕生日なのに陵子は冷たいし、散々ですよ……」
が、柳村の短所は、こういった他人のゲスな話が大好きなことだった。聞こえないはずだが、すぐさまヘッドホンを外し、獲物に飛びつく鷹のような勢いで富沢に迫った。
「ね、ね、今陵子さんが冷たいって言った? なんで、なんで? リョウコとリョウコウなんじゃなかったの?」
「うるさいな! 性格悪いよあんた!!」
「えーそれはないじゃん富沢さん。僕たち、言っても長い付き合いでしょ?」
「それでも嫌です! そもそも年下の先生にそんなことをベラベラ話したくないんです!」
柳村は「落ち着きなって、たった二歳差じゃん」と富沢のでっぷりとした腹をつついた。
「こいつが同じ学校の後輩ならぶん殴ってやるのに」と、富沢はいきり立つ。
いつもニコニコとしていて見た目が丸いので編集部では朗らかな人で「トミーさん」と慕われており、また富沢自身根はほがらかなのだが、柳村の前ではそれがだるまのようにいかつい顔になるのだ。
柳村は自由奔放な人間であるが故、真面目な富沢が振り回されるのもうなずける。
「まあまあ、話してごらんなさいよ。何があったの」
「……コレ聞いたら、絶対パソコンから目を離さず小説書きますか?」
「あー書く書く、すごい書く」
言い出したら聞かない柳村のことだから、事情を話せば書いてくれることには間違いないだろうが、逆にいえば事情を離さない限りは一文字も書かない気だろう。
富沢はため息をついて口を開く。
「昨日、陵子に言われたんですよ、「明日が何の日か覚えてないか」って。……でも、誰かの誕生日でも、プロポーズした日でも無いんです。
ごまかすのもあれだから、正直に「覚えてない」って言ったら、このざまです」
「ふーん、なんかアレだね、ありきたりで面白くないね」
「ぶん殴りますよ、そろそろ」
しかし、この“謎”がいつもの柳村のサスペンスの感覚に触れたのか、柳村はオフィスチェアの上で足を組み、いつになく真剣な表情をした。
「あれは? ご両親に挨拶に行った日とか」
「いやー季節が違うんですよ」
「じゃあ、明日何かイベントがあるとか」
「いえ、特に聞いてないです」
富沢も柳村も、追い詰められてがっくりと首を落とす。柳村が人のことで悩むなど珍しいが、それでもこんなときだけだと考えると相変わらず嫌な性格をしていると思う。
しかし富沢は、目の前で悩む探偵の劣化版に少々の期待を寄せていた。
「先生……推理はどうでしょう」
「情報が少ないよ、こんなんじゃ得意のサスペンスだって書けないし。……あーあ、人の心を読む能力があればなぁ」
「それ、いつも先生言ってるじゃないですか。「そういう能力出したら推理小説家失格だ」って」
「だーってそんなのSFの世界じゃん…………あ」
柳村は背もたれから勢いよく離れ、PCの画面に食らいつくようにキーボードをたたきだした。
「そうだよ、いつものサスペンスにそういう要素をいれればいいだけじゃん。……そうだな、「出部川」っていう雑誌の編集者が、妻の「亮子」に突然別れを切り出される、だな」
「その「でぶがわ」ってのが誰かかはもう聞きませんよ。ていうか別れ話にまでは発展してないですよ!! ……で、僕は陵子の事、どうすればいいんですか」
「え、亮子と問題が起きてんのは出部川でしょ。……ああ、そっちも「リョウコ」か!」
「わざとだろてめえ!!」
「じゃあ小説のほうは「カオル」にするよ」
柳村は「心配ないよ」とキーボードをたたく手をとめ、くるりと富沢の方を向く。
「この小説のモデルが君たちなんだから、君らの謎を解かないと書けないよ。サスペンス作家なりに推理してみる」
「……はあ、ありがとうございます」
「じゃあまずはさ、陵子さんがどうして機嫌が悪いのかを聞く必要があるよね」
富沢には、いつもなよっとしていてじめじめしている柳村がやけに大きく見えた。当然、期待のまなざしでこくこくとうなずく。
すると柳村は「じゃあ、ん」と左手を富沢に差し出した。富沢が首をかしげると、柳村は「スマホだよ」と嫌な顔をする。
「電話して聞きゃ早いでしょ、貸して」
「そんな小説、二ページ持てば良い方ですよ!! ……それにそんなことしたら、ますます機嫌悪くなりそうですし」
「えー……今日はやけに我がままだなぁ富沢さん。んーとね、じゃさ、とりあえず僕が思い当たる「恋人の記念日」を言っていくから、それでその「記念日」を思い出していけばいいじゃん」
富沢は「ナルホド」とあかべこのように首を上下した。
「んーと、初めてキスした日」
「違ったと思います」
「じゃあ初めて手をつないだ日」
「……それは覚えてないです」
「初めて目が合った日」
「覚えてるわけ無いじゃないですか!!」
柳村はぐったりと背もたれにもたれかかった。
「じゃーあもう知らないよー。お宅ら二人で解決しなよ」
「まだなんかあるかもしれないじゃないですか!! お、お願いしますよ先生」
「んー……陵子さんのことがわかんないとなると、カオルの気持ちはこっちサイドで考えるしかないみたいだよなあ。……あ、そうだ富沢君、「人の気持ちがわかる機械」ってどう?」
突然の意味不明な質問に、富沢はオウム返しをして首をかしげた。
「小説。SFチックだと思わない?」
「あ、ああ、そういうことですか。確かに面白そうですけど」
「じゃあ出部川は科学者っていう方が面白いね。彼女のカオルの気持ちがわからないから、「人の気持ちがわかる機械」を発明すんの。で、調べた結果、彼女が不機嫌な理由がわかるんだよ」
富沢はごくりとつばを飲んだ。
「……そ、その理由とは……!?」
「彼女が宇宙人だったの」
「……。なんでそこでそんなとんでもないSFぶっこんでくるんですか……」
「だってSF小説でしょ? しかも中高生向けの。そういうファンタジーも、おもいっきし部っ込んでやろうと思って」
だべりながらも、柳村のキーボードをたたく手は一向に詰まる気配を見せないあたり、さすがプロ作家といったところだと富沢は感服する。
ところどころ、主人公の出部川が「豚男」「肉まんじゅう」などと比喩されているのが目に入ったが、この際そんなことはどうでもいい。
「で、カオルは出部川の事が好きなんだよ。でも宇宙人だから地球人と結ばれるのに抵抗があるんだろうね。だから別れ話を切り出したってわけ」
「なるほど……で、ラストはどうなるんですか?」
「んー……やっぱりハッピーエンドにしたいよね」
「そりゃあそうですよ。中高生はバッドエンドはあまり好きじゃないですからね」
「じゃあ……地球が滅亡して、でも二人の魂は天国で結ばれるのでした」
「バッドエンドじゃねえか!!!」
とはいえ、今までサスペンスではその「後味の悪さ」を売りにしてきた柳村。ハッピーエンドのシナリオは「とにかく二人が平和になればよし」のように思っている。
しかし世の中のハッピーエンドといえば、「メインキャラクターが死なない」というのは必須の条件である。
やはり気持ちよく物語を締め「これぞハッピーエンドである」と言わしめるには、フランダースの犬のような展開は望めない。
「どうにか、二人が生きたままでハッピーエンドにはできませんか?」
「じゃあ真犯人とかだそうよ、カオルを地球に送り込んだ黒幕。それを二人で倒すってどう?」
「なるほど、それなら確かにハッピーエンドですね! 先生、さすがです!」
柳村は「それほどでも」と後ろ姿で左手を挙げ、富沢へ手を振った。
「それにしても本当、先生のそういうアイデアは流石ですよ」
「でしょう。知ってる」
ようやくゴールが見えたからか、富沢は「調子のいい先生だなあ」と今日初めての笑顔を見せた。
「長い付き合いだからねぇ僕たち。二年目だよね?」
「そうですよ。お互い新人同士でお互いの仕事が初仕事でしたけど、上手くいったときは嬉しかったですね……。あの時「この人は大物になる」って思いましたよ!」
「僕も「ああこいつ数年すりゃ太るな」って思ってたよ」
「そういう大物じゃねえよ。……あれ、そういえば、僕らがこうして一緒に仕事初めてから、丁度二年目ですね」
柳村は「もうそんなにするんだ」とパソコンを叩いている。
二人はお互いに長くやってきたことを噛みしめ、それと同時に柳村がふと声を漏らした。
「……君の就職記念日なんじゃない?」
「ああ、もしもし富沢さん? ……やっぱそうだったって? よかったじゃん」
「ええ、おかげさまで助かりました。……まさか二人の記念日じゃなくて、僕の記念日だったなんて」
電話の向こうで、柳村が富沢を冷やかす声が聞こえ、富沢の顔に照れ笑いが浮かんだ。
「そういやさ、その時書いた小説、名付けて「俺の彼女の本心が全く分からない件」ってやつ、評判どうだった? あれからすぐに体調崩して、連絡もまともに取れてなかったからわかんなくてさ」
柳村の声を聞いて、突然富沢の声のトーンが落ちる。妙におどおどしている声だ。
「それがですねその……編集長が「短編にしてはスケールが大きすぎる」って……」
「没かぁ……まあいいけど、そっちは派手に宣伝しちゃってたから痛かったでしょ、申し訳ない」
「いえ、あの……掲載はさせていただいたんですが……」
事態を把握しない柳村に、富沢は「玄関ポストに雑誌を挟んでおいた」という。
柳村はそれを見て、珍しく驚きの声を上げた。
『あの、大物ミステリー作家がSF小説に挑戦! 期待の新連載』
「……マジで?」
「評判がすごいらしいです……ミステリー特有のどんでん返しもいい味出してるみたいで……」
俺の彼女の本心が全く分からない件。通称「オレカノ」がアニメ化されたのは、三年目の記念日であった。