戦国の拘泥
※これらの文章は、現代語訳したうえで記述しており、ちょくちょくそういった言葉も出てきますが、無視して呼んでいただいて結構です。
天正十七年、西暦で数えると一五八九年。日本一の出世頭、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げた。
織田信長の後継者として名乗りを上げ、明智光秀や柴田勝家といった織田軍の名将を次々と討ち破り、ついには天下を治めることとなった、太閤・豊臣秀吉。彼が天下を取れた勝因としては、その朗らかな人柄があげられるだろう。
後にも先にも、人柄のみでここまで出世したのは彼だけである。
そんな秀吉の人柄は、目上の者たちだけでなく、配下となった将にも余すことなく注がれていた。
本日、天正十七年の春。秀吉は家臣たちを集め、天下統一を祝う宴を開いた。
各国の名だたる将が顔を連ねており、中国地方を治める毛利、九州地方の島津、そして四国地方の長宗我部。三人は一列に正座し、上機嫌に上座で笑う秀吉に頭を下げた。
それに続き、秀吉と古くから付き合いのある将や、東の地を治める将も頭を下げる。
「まま、皆の衆。そんなにかしこまらんでよい」
皆は顔をゆっくりと上げる。
金色に光る着物に身を包み、大きく赤い日の丸の紋が入った扇子の風になびくちょび髭。天下を取った男とは思えぬ風貌である。
秀吉が扇子を前へ向けると、将たちのさらに後ろに控えていた召使い共が数え切れぬほどの酒と料理を運んできた。
「ささ、皆の衆。飲んで、食ってくりゃあ」
宴は丸一日続き、まるで夢のひと時であった。流石は派手好きで知られる秀吉。金色の宴会場に、華やかな美人たちの舞い。こんなに豪華絢爛な宴も、後にも先にももう無いだろう。
しかし、楽しい時間は終わり、皆が国へ帰るときが来た。すると秀吉は再び扇子を傾け、大きな箱を用意させた。
箱を開くと、そこには大きな饅頭がいくつも入っている。
「すまんのぉ。この秀吉、皆には茶器や馬の一つや二つ配りたいんじゃが、なにぶん前日の宴で金子を使い果たしてなぁ、代わりといっては何じゃが、この饅頭を皆にやる。ささ、コレを食ってお開きじゃ!」
皆は次々に饅頭を手に取り、それをほおばった。流石は天下人の用意した饅頭。今までに食べたことの無いような美味しさである。
「美味い!! 流石秀吉様ですな!!」
「はは、島津殿、口の周りについておりますぞ」
と、毛利家当主の輝元も饅頭をほおばる。
しかし、家臣団の中に一人だけ、その饅頭を一口かじっただけで、手をつけていない男がいる。
世に鬼若子と恐れられた四国の出来人、長宗我部元親である。
当然、秀吉は不安げに思い、皆がいる前で元親につめよった。
「どうしたんじゃ元親。ひょっとして、不味かったか?」
秀吉がそう問うと、元親はにこりと笑み、首を横に振った。
「いえ、これは太閤様からいただいた大切な饅頭ですから、私は一口で十分です。残りは、土佐に帰ってから家臣たちに分け与えようと思います」
秀吉はその言葉に感動し、元親を改めて評価したという。
と、ここまでが現代に伝わっている長宗我部元親の逸話である。しかし、この逸話にはまだ続きがあった。
宴も終わった夜更け。元親はある部屋に呼び出された。
呼び出したのは、元親の治める四国の北、中国を治める毛利家の当主、輝元である。そしてその隣には、九州を治める島津義久の姿もあった。
「……何か?」
首をかしげる元親に、輝元が切り出した。
「……うん、まあその、なんだ……楽しかったな、宴」
「はい、盛り上がりましたもんね」
「ああ、盛り上がったな。……で、お前は何した?」
「何、と言いますと?」
輝元が義久に「駄目だこいつ、わかってねえ」と合図する。
「あのさ、お前がやったことのせいで、こっちは非常に迷惑してんだよ! な、島津殿!!」
「全くだ」
「……え、本当にわかんないんですけど」
輝元が頭をかきむしる。
「だからさァ……わかんないかなァ……!! 饅頭だよ饅頭、秀吉様からもらった饅頭だよ!!」
若干元親の眉がゆがんだが、すぐにもとの顔に戻り首をかしげた。
「はて……毛利さんの気に障るようなこと言いました?」
「言った。てかあの場にいた奴らはみんな気に障ってたよ」
そう、二人の言う迷惑とは、元親が秀吉の饅頭を食べなかった話である。
三人含め、ここに集められたのは豊臣軍。外様の三人ではあるもののその分、格差などはなく付き合ってきた。が、元親の発言により、毛利家風に言う「三本の矢」が離れ離れになろうとしているのだ。
「お前がああいうこと言うから、なんかまるで俺たちが「部下思いじゃない自分勝手なやつら」みたいになってんじゃねえかよ!!!」
「そうだそうだ、あんなの言ったもの勝ちではないか!!」
「いやー、それなら別にお二人も便乗すれば良かったと思いますけど?」
二人は「そうもいかねえんだよ」と元親をにらみつける。
あの事件は、皆が美味しそうに食べる中、一人だけ食べていなかったから秀吉が注目したのだ。つまり、元親以外は皆、ほとんど饅頭を食べてしまっていた。
「俺もう半分食っちまったんだよ!! 島津殿なんてもう一口しか残ってねえんだぞ!!?」
「知りませんよ」
「いや、まじめな話だが長宗我部。毛利の言うとおり、あまり自分勝手な行動は慎め」
島津は、こういうのはチームワークの問題なのだと言う。このままでは元親だけが持ち上げられ、周りからいやな目で見られることも多くなる。それで万が一、秀吉の死後に四国が真っ先に攻められれば、次に危ないのは隣接する中国と九州だ。
「俺たちは、三国そろって西日本を征する一つの軍なのだ。もちろん、これからも俺や毛利とは仲良くしていきたいだろう?」
「はい、島津様とは仲良くしていきたいです」
「てめッ それどういう意味だ長宗我部!!!」
輝元の中で何かが切れたのか、「ああもう分かった!!」と勢いよく立ち上がる。
「じゃあもう言わせてもらうわ!! お前さ、この前秀吉様に献上品を渡したじゃん、あの時てめえだけスケールが違ったから、あの時も俺らが「しょぼいものしか持ってこない奴ら」みたいになったんだよ!!!」
「別になってませんよ。毛利様の馬もいい馬でしたし」
「クジラには敵わねえよ!!!」
クジラを運んできた元親に比べて、輝元は馬、島津は刀剣。別段悪いものでもないのに、やはりインパクトでは負けていることは否めない。
そして芸術品の価値を見た目の派手さで決めてしまう秀吉にとっては、元親のクジラはどれほど壮大なプレゼントに見えたことだろう。
「だったら、別に毛利様もそれらしい大きなものでも送ればよかったのでは? 私のクジラに次いで」
「んなことできるわけねえだろ」
既に元親がクジラをプレゼントしたのだ。後日にまた巨大なものを送っても「ああ、元親のやつパクったな」と思われるに違いない。
というか、でかいもので勝負しても二番煎じになるのがおちだ。すでに「秀吉にでかいものを献上する」というのは、元親の特権になってしまったのだから。
「もう俺たちは馬か刀を大量に送りつけるしかねえんだよ!!!」
「その方が金も時間もかかるんだがな……」
「山でもプレゼントしては?」
「ただの領地没収じゃねえか!!! 俺だって、珍しいものを献上しようと、このまえ季節はずれに見つけた果物を持ってったんだ」
そういった途端、輝元はジロリと元親の背後をにらみつける。そこには、廊下で部下と坦々と今後の政治の方針を伝える秀吉子飼いの将、石田三成の姿があった。
「あのやろうがつき返してきやがった……!!」
「アイツか。アイツは我ら島津家にも散々無礼な書状を送ってきた奴だ……いつか、痛い目見るぞ」
「まあ、毛利様のは季節はずれの物を食べられた秀吉様が体調を崩されるのを危惧したためですし、島津様のは皆さんが全く豊臣の方針に従わなかったからですけどね」
怒りの矛先は、三成から再び元親に向けられた。
「お前なぁ……!! 今のは、俺や島津殿と強調して、石田の悪口の一つでもたれるところだろう!? 石頭の島津殿だって、空気読んで俺に続いたってのに!!」
「それは島津様が単純だっただけです。別に毛利様に同調したわけではありませんよ」
「そんなわけねえだろ!! こういうのは人たらしな人間ほどうまくやれるものなんだよ!!」
「人たらしと空気の読めないバカは違いますよ」
火花の散る二人だが、その二人の頭を大岩ほどもある義久の手がガッチリと掴んだ。
「……言い過ぎだろう!!!」
「ち、違うのです島津殿、元親が仕向けたようなものでして……」
「フン、毛利様が思ったことを全部口にする性格だからです」
輝元が再び元親に怒りの声をあげたが、それ以上に好き勝手を言われた島津の怒りは輝元をゆうにこえていた。
「もういいッ 毛利とも長宗我部とも、今後は交流はやめてやる!!!」
「おや、そうすると秀吉様に会いに行くにも我らの領土を通れませんね」
「ぐるーっと明の国の方から回ってくりゃ、そのうちつくんじゃねえか?」
いつから三つ巴になってしまったのだろう。
三人は人気の無くなった庭で向かい合い、今にも戦を始めるかのような、武将独特の覇気を出している。
「……わかった、島津は今後、何があってもお前らと仲良くはしてやらん」
「ケッ 毛利だって、四国や九州と仲良くなんてごめんだぜ」
「では、私はお二人と違って、部下に饅頭をやらねばなりませんので」
そのまま三人は踵を返し、別々の道から帰っていく。
その様子を天守閣から見下ろしていた男が、笑みを浮かべて見下ろしていた。
「……くく、見たか半蔵、秀吉配下のなんと統率の無いことよ」
「ええ、家康様の仰るとおりです」
「……これはわしの天下が来る日も、そう遠くは無いのぉ。よもやあのような奴らの軍に、われら三河武士が負けようものか」
しかし、こんな三国だが、数百年の後、彼らの藩が立ち上がり、倒幕という偉業を成し遂げるのだが、今の三人は、知る由も無い。