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浪漫譚Ⅵ

 再びこの村に戻ってくるなんて思ってもみなかった。

 誰の手も加えられないので、ルベルスキ村の荒れ果て具合は前にも増している。あの男が建てた粗末な墓標は更に粗末になっていた。この一月ほど吹きさらした風雨で跡形も残っていない。


「……ここに野営か。やけに粗末な所だな。人っ子一人居やしねえし」

「そうだ。ここに陣地を築いて敵軍を迎え撃つ。南から来る敵はここを通るだろうし、両側は森に囲まれているからここを通らざるを得ない」


 敵本隊はリヴィウから北西に進んでルブリンへと向かったのではなく、真西にあるクラクフ方面に直接向かったとの情報は得ている。それほど大きな町ではないから当然かもしれない。

 そうなると、モンゴル軍がルブリンを攻め落とすにはこの街道を通るしかない。廃墟はいえ、ある程度人工物のあるこの村跡は絶好の防衛拠点であった。


「それにしてもコルト、お前よくこんな村を知ってたな。クラクフへの街道にも近いし、戦略を組めば町へと退却出来るギリギリのポイントだ」

「ちょうど先月くらいになるのか。この村をキプチャクの斥候部隊が襲ったんだ。マリーの故郷さ」


 あれは派遣されてすぐの出来事だった。モンゴル人に襲われたと聞いてこの村にやって来た。


「なるほどな。そうなるとお前に聞かなくちゃいけない。マリーは本当に連れて来なくて良かったのか?」

「当たり前だ。隊商の護衛で生き残ったのだって奇蹟の様なものなんだ。今回は確実に死闘になる。わざわざ死なせるために連れて来ることも無いだろ」


 本心だった。なんど「私も戦う」と言ってこようが、これだけは譲れない。


「それをお前が決めるのか」

「マリーには話してないが、俺はマリーの親父にも会った。それで娘を頼んだとも言われたんだ。連れて来れるはず無いだろ」

「娘を頼むか……」

「それにポドルスキ卿だってマリーのことは気に入っているから悪いようにはしないだろう」


 フランクは髭を数度撫でると大きく息を吐く。


「……まぁいいさ。俺には関係の無い話だからな。それにしても徴兵は成功だ。モンゴルの寝返り兵やハンガリーの残党は凄いぞ」


 率いる兵は総勢1500ほど。その内訳は貸与された300名に加えて徴兵した多民族兵100、援軍にやって来た1000で1500名に上る。


「連中が何喋ってるかはよく分からねえけど、馬の使い方は凄いな。あのド派手な衣装もまたいいしな」


 徴兵した多民族軍のうち、モンゴル人とマジャール人の騎兵は50名にのぼった。話を聞くとどれも元騎兵だったらしく、モンゴルとの戦闘も経験済み。心強い限りだ。


「あいつらは軽装の俺たちなんかよりも巧みに馬を操るし、弓だってヒーターシールドを打ち破るほどの熟練具合だからな。遊撃も何でもやれそうだ」

「俺たち騎士団が盾になって防いでいる間に連中が背後を衝く。前に森でやった戦術だな。ルブリンでの演習でかなりやったアレだ」


 ここ一月ほど、町の郊外で演習を行っていて兵の士気も練度も悪く無い。

 本国からの増援もここで負けたら自分たちが危ないということをよく分かっている。


「ああ。話によると敵本隊は予定通りリヴィウから遥か南のクラクフ方面に向かっているらしい。この村はリヴィウとルブリンとの中間にあるとはいえ小さな脇道だから対峙するのはせいぜい2、3000だろう。この村を使って守りきれない数じゃない」

「敵の騎射も突撃もバリケードの裏側で防ぐのか。好きじゃないが悪かない戦い方だ。守り切って背後から騎突をかます寸法だな」


 あくまで守りに徹するなら倍程度の兵力はなんてことない。

 バリケードで敵を消耗させて背後から突撃をかませば二三千人くらいはなんてことなく対処できるだろう。


「そのためにとにかく長槍を用意しなきゃいけない。とにかく長い得物ならなんでもいい。木の枝に包丁やナイフを備え付けたものでもいいな」

「そうだな。防ぎきれば俺たちの勝ちだ。上手いことやって守り切るぞ」


 陣地を出ずに守りきればいい。クラクフにはポーランド国王や騎士団の本隊もいると聞いた。

 あくまでここは脇道だ。味方本隊が勝つまで守れ切れれば俺たちの勝ちなんだ。


「それにキプチャクの本隊はクラクフに向かっているんだろ? だったらこっちに派遣させられる貴族はロクな将帥じゃないしな。今度は絶望的な状況ではない。もっと明るく振舞って見せろよ」

「すまない。そうするよ」


 その『俺たち』の中にマリーは含まれているんだろうか。きっとポドルスキ卿もアイツには手を焼いているのかもしれない。

 俺は笑って見せたのだが、そんなようなことが引き攣り切った笑顔に出ていたらしい。ため息交じりにフランクが毒づく。


「……決めたんだったらしっかりしろ。お前が総大将なんだ。そんな迷いは捨てちまえ。しかし、あのポドルスキとかいう貴族も打算的な男だな。直に剣を交わらすんじゃなくて兵だけ寄こして本人は引きこもりか。すぐにでも寝返られるようにキプチャクへ使節でも送ってるんじゃないのか?」


 まぁ、分からなくもないが、俺たちをタダで送り出した訳でも無い。


「そういうことを言うな。普段から飲み食いの面倒を見てもらってるんだ。それにこの新兵器だってある」


 俺はポケットから手の平ほどの黒い球体を取りだした。


「結局作れたのは半月で100個か。町の鍛冶職人や細工職人を総動員してこれだからな」

「火薬の中に鉄釘や鉄辺を混ぜ込んだから、密集地に投げ込んで殺せるのは最大で500ほどか。実際はもっと少ないだろうな」

「なあに、相手がビビればいいんだろ。こんな訳の分からない兵器があるんだ。飛んで逃げていくだろうよ」


 俺たちが話している時だった。斥候から帰って来たモンゴル人兵士がフランクの手にした兵器を見るなり言う。


「これ震天雷。俺たちモンゴル軍の装備。西洋人がよく作ったな」


 モンゴル人兵士はなんてことなさそうに言う。俺とフランクは顔を見合わせるしかなかった。





 キプチャク軍は悠々とクラクフを目指して進んでいる。

 先頭には弓を携えた斥候部隊、中備には槍を携えた最精鋭の重騎兵、後備には前線の部隊を支える輜重隊。モンゴル軍特有の行軍方法で、総勢10万の兵がのらりのらりと隊を進めている。


「ボルドゥ閣下、サルジダイ様がお呼びです」


 副官のナチンが馬上のボルドゥに声を掛ける。

 ボルドゥは「わかった」といってオルドへすぐさま向かうと、中で馬乳酒を傾ける上官のサルジダイの姿があった。


「よく来たボルドゥ。先週までここいらを見て回ったそうだな」

「はい。村や隊商を潰してまいりました」

「そこで私の斥候の半数を失ったと聞いたぞ。どういう訳か聞かせてもらおうか」

「キプチャクの兵は精強でなければありません。しかし、彼の死んだ連中は相手を見下して舐め切っておりました。我々にそういった兵士は必要ありません。必要なのは閣下のようなどんな相手でも適切に力量を判断し、それに応じて戦う兵士であるべきです。彼の死んだ連中はそれに見合っておりませんでした」


 サルジダイはボルドゥの話を黙って聞いている。聞き終えると数分の沈黙の後、面の皮を一枚だけ引きつり上げて微笑んだ。


「……なるほど。悪く無い考えだ。斥候については何の問題もない。よくぞ殺してくれた。しかし、連中を図に乗らせたまま捨て置くというのはどうにも

「申し訳ございません。気前よく負けすぎました。次は必ず雪辱を果たして見せます」


 即座にドルドゥが膝をついて頭を下げた。「ふぅ」と息を吐くと胸元まである顎髭を指でとかす。


「この話はもういいだろう。それで本題なのだが、先ほどトクタ様の帷幕に呼ばれたのだが、そこである指令を戴いた」

「どのような話で」

「私の軍1万を二分してルブリンに向かわせろとのことだ」

「私に指揮を執らせてください」

「まぁ急くな。その訳なのだが少々面倒でな。お前も分かっていると思うが、ここのところトクタ様とノガイ様の仲がよろしくない」


 ノガイは元よりキプチャクハンの有力者であり、サルジダイの主君トクタをキプチャクハンの指導者に推戴した人物であった。

 最初は蜜月であった二人だが、ここ数年はノガイの専横によって両者の仲が急速に冷め始めている。此度のポーランド遠征はそんな折の事件である。


「優位に立とうとどちらの派閥も今回の遠征で功名争いに躍起だ。そこでトクタ様から私に指令が下った」

「それでルブリンを落として来いということですか」

「そうだ。ルブリンには前から諜略をかけてはいるが、あの地の結束力は強い。周りの村々を襲って我々へ恭順の意を示させろ」

「あの辺りは前に寄りました。大体の地理は分かります。確かルブリンへの街道で敵が陣取っているとの事です」


 サルジダイは満足そうに手にした盃を一気に飲み干した。


「準備がいいな。軍権は前に委ねよう。先の威力偵察ではこっぴどくやられたからな。その借りを数倍にして返せ。思い切り暴れて来い」


 ボルドゥは一礼してサルジダイの元を後にする。

 そして、自身の帷幕に戻るとナチンがすぐさま駆けよって来た。


「……出撃ですか」

「目指すはルブリンだ。明日の明朝、ここから北上するぞ。あの男の素っ首を刎ねてやれ」





 野営して10日ほどが経ったときだ。ここ数日の雪で草原は雪原へと変わり、静けさに磨きがかかった昼のこと。

 司令部代わりの酒場に屯していると、馬蹄を響かせ泥を捲し立てながら騎馬斥候が走って来る。


「コルト隊長! サンドエミシュの守備兵がここに落ち延びてきました」


 革製の鎧はズタズタで逃げるためには武具も重たかったのだろう。所持品を調べても何も持っていない。男の表情を見るだけでも戦いの凄惨さが伝わって来た。


「町が、おおお、襲われた、の、のは五日前のことです」

「よくここまで辿りついた。他に落ち延びた者はいるのか?」


 フランクは男に手を掛けてやって水の入ったコップを手渡した。


「1000ほどで守ったのですが、敵の攻撃は凄まじかった…… 敵は5000ほど、仲間は、分からない……」

「わかった。寝所を用意しよう。休め」


 男は兵士にもたれかかりながら適当な小屋へと運ばれた。


「サンドエミシェが落ちたか。しかし、あの規模の町を落とすのに5000も兵を費やしたのか」

「ああ。相当の戦下手だろうな。とはいえ、あの位置に5000も居られるとかなり危ういな」


 サンドエミシュの町は大街道からかなり離れているはずだ。町そのものも大きな町なので、かなりの大部隊が本隊から分裂したと見るべきだろう。

 そうなると、16万フィートほど西方でおきた話ではあるがこの陣地もかなり危ういということになる。

 その続けざまだった。泥まみれになった斥候が酒場に飛び込んできた。


「真南に50000フィート、敵軍です!」

「……上等じゃねえか。敵はいくつだ?」


 フランクは不敵に微笑みながら立ち上がった。右手にはモーニングスターをしっかりと握っている。


「およそ2000ほど! 例の赤い鎧を着た男が率いています!」

「あ、あいつがか……」


 立ち上がった足が自然と折れて椅子に引きもどされる。

 当てが外れた。

 名のある将軍がこんな脇道に来るなんて思ってもみなかった。


「どうする。早く指示を出してくれ」

「兵数はたいしたことない。とにかく兵を配置に付かせろ。敵兵をこれ以上町に近付けるな!」

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