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浪漫譚Ⅴ



「……今度はリヴィウが敵の手に落ちたか」

「どうやらそうらしい。さっき城の中にリヴィウの兵士が逃げ込んできたそうだ」


 フランクはテーブルに置かれていた黒パンを頬張りながら言う。戦況は日を増して悪くなる一方だ。

 盛大な宴会から一月経った11月。ポドルスキの予想通りに事は運んでいる。


「騎士団の援軍は真っ当な騎士が100と、その従者や領民を合わせて1000ほどか。今度はそんなに悪くなさそうだな」


 ちょうど1週間ほど前に、本国から待望の援軍が送られてきた。前のが50ほどだったのに比べれば大きな成果だった。とはいえ、騎士が100弱である。


「もっと渋いものかと思ってたけど、コルトの上官も気前がいいじゃないか。これだけあれば斥候部隊に負けることはなさそうだ」

「皮肉はよしてくれ。リヴィウを落とすということは万単位でやってくるだろう。100人程度で何とかなる相手じゃ……」

「そうだな。敵さんの兵力は1万はくだらないだろうな。そこは大将の腕の見せ所だろ」

「なんだフランク、『100人程度で』って言ったのに突っかかってこないのか」

「何言ってんだ。今度やってくるのはチュートン騎士団の連中だ。俺たちリヴォニアの誇りとは無関係さ」


 大きく笑うフランク。俺は苦笑するしかない。


「にしても、近隣の町が滅んでくれたお陰でルブリンの町は栄える一方だな。大通りの人混みを見たか? ポーランド人にマジャール人にクマン人やモンゴル人、滅んだルーシ人に俺たちドイツ人とか人種のるつぼだな」


 護衛での勝利があったからか、町から逃げてきた人が集まったからなのかは知らないが、ルブリンの町は大いににぎわっていた。人通りが絶えることは無く、常にマーケットは人人人で混雑している。

 ポドルスキの屋敷は小高い丘にあるので町が一望出来る。そんな混雑具合を見ると、俺の中に一つ、面白い考えが浮かんだ。


「……それら諸民族を徴兵すれば面白そうだな。勇猛果敢なマジャール騎兵とクマン人やモンゴル人の弓騎兵を合わせれば全く新しい騎兵が出来そうだ」

「なるほど。その発想は無かったな。たかだが1000人じゃ足りねえし、一人でも多い方が良いに決まっている。俺がすぐに手配しよう」


 フランクは拳ほどある齧りかけの黒パンを一気に飲み込むと部屋を飛び出していった。

 2、3万人程度の町で徴兵を掛けて100人も集まればいい方だろう。


「赤毛の大男が飛び出してどこかに行ったが大丈夫か? コルト君」

「ライオネル伯ですか。リヴィウ陥落の報告を聞きました。悪い予想ばかり当たるものですね」

「『確かにそうだ』と言いたいところだがそうでもない。前に本国に問い合わせると言っただろう」

「と、申されますと?」

「ポーランド軍全体で5万人だそうだ。どうやら前回の惨敗もあってかローマが本気で動いている。さながらヨーロッパ対モンゴルの大運動会だな」


 モンゴル軍の大遠征は今度で四回目になる。これまでは全て惨敗続きだった。特にキエフ大公国の惨劇は寝物語に散々聞かされた。

 ドニプル川に面した風光明媚なキエフの町は、50年ほど昔の1240年モンゴル軍によって悪逆の限りを尽くされた。城塞に聖ソフィア大聖堂・什一聖堂などの修道院に、丘の上にあったキーイの町全てが燃やされ破却される。

 そのお陰でキエフの町は壊滅。かつては栄華を誇った町も、今では寂れた寒村となっている。


「隣のリヴィウが落ちた今、ハールィチ・ヴォルィーニ公国もモンゴルの勢力下に置かれた。本国軍が負ければ我々も覚悟を決めなければならないかもしれない」


 ルーシからポーランド各地の大都市そんなことが続いたため、キプチャクハンと国境を接するキリスト教国は徐々にモンゴルへと靡いていった。それを防ぐためにも今回の戦いは負けられないものになるだろう。


「敵はリヴィウからクラクフ方面に進むらしい。農作物を奪うならドイツ方面に向かうのが得策だからな」

「それにそのまま突き進めばローマやフランスにも圧力を掛けられます。西に直進するのが正解でしょう」


 川や湿地の多いルブリンやワルシャワ方面を目指して北へ抜けるよりかは、草原地帯のクラクフやヴロツワフなどの西部地域を目指す方がより多くの糧秣を確保できるだろう。それに、この時期の遠征だ。根こそぎ奪えれば冬は越せないのでモンゴル軍の配下に降るしかない。


「とはいっても敵も少なくとも総勢5万はいるだろう。そのうち数千を差し向けてこっちに圧力をかけて来るかも知れない。ほぼ対等な兵力での戦いになりそうだな」


 ルブリンは進行方向ではないが、食料の略奪や北部都市群への牽制のために一部の軍団を派遣してくるだろう。


「君たちには一隊を率いてもらう。チュートン騎士団の援軍1000に加えてルブリンの兵士を一部を貸そう」

「いくつ出せるのですか」

「守備隊はルブリン全体で4000ほどしかいないからな。出せても200から300程度だろう。そもそも敵正面とぶつかり合う訳じゃ無い」

「……200ですか」

「そんな顔をするな。敵本隊とぶつかり合うことはほぼ無いし、本国から来ると言っただろう。我々はあくまでも本国配下の一隊に過ぎないから安心したまえ」


 確かに敵本隊と正面切ってぶつかり合う事はほぼ有り得ないだろう。ポドルスキは笑みを浮かべてそう言うが、俺にはどうも自信が持てない。

 敵総大将が放った最後の一撃。

 あれを見ると味方の数が多かろうが勝てるのだろうかと心配で心配で仕方が無かった。


「確かにそうです。しかし、敵の精鋭部隊が来るとするなら……」


 俺は歯切れの悪い返ししか出来ない。たまりかねたのか、ポドルスキはため息をつくと俺の手を取った。


「……よっぽど護衛任務が応えたらしいな。まぁいい。ついて来なさい。秘密兵器を見せてあげよう」

「秘密兵器ですか?」





 ポドルスキによって地下に案内されたが、とにかく匂いが酷かった。部屋中は乾燥していて煙くさく、従士時代に行軍で登らされた火山を思い出すような鼻に付く臭いが充満している。


「こんなところに連れて来てどうしようというんですか」


 散乱した羊皮紙の束に、用途不明の実験器具の山。壁一面に張られた羊皮紙にはでかでかとどこかの地図が書かれている。

 置かれているコップには毒々しい色の液体がなみなみと。なんだろうと手に取ろうとした時だった。


「触らない方がいいよ。下手するとその右腕が吹っ飛ぶからね」


 俺はすかさず手を引っ込める。果たしてこれは何なのだろうか。


「……それで、ここで何をしようって言うんですか」

「なあに。取って食おうなんて考えてないさ。こいつを見てくれ」


 机の上に置かれた硝子皿から黒い砂を一つまみする。


「……この黒い砂がどうかしたんですか」

「それが、ただの黒い砂じゃないんだ。ちなみに、この球体はこの黒いやつがめいいっぱい詰まったモノだ」


 砂を皿に仕舞うと、今度は隣に置かれていた球体を手に取って見せた。

 サイズは大人の手の平より少し大きいくらい。そのまま投擲してもいいし、カタパルトやバリスタに括りつけて放り投げてもいいだろう。とはいってもこんな球を投げつけても何の意味も無いだろうが。


「まさかこれを見せるためだけに来たんじゃないんでしょうね。失礼ですが、私だって調練や作戦会議で時間が惜しいんです」

「今はそう思ってるがいいさ。それじゃこっちで実験してみるよしよう」


 中庭は雪が残った雪と枯れた芝の白と淡い茶色のコントラストになっている。手にした燭台から球に付いている麻紐に火をつけるとひょいと誰も居ない庭の中央に投げつけた。


「これが秘密兵器なのですか。冗談がきつすぎますよ」

「何とでもいうがいい。ほら良く見てみな……」


 ポドルスキは悠然と腕を組んで陽の付いた球体を見つめている。

 その時だった。

 稲妻が頭の上に直撃した様な騒音と、大量の煙に暴風が俺めがけて飛んできた。


「う、うわっ!」


 耳をつんざく破壊音と、腹の底に響き渡る暴風で俺はたじろいだ。

 人の喧騒も屋敷まで聞こえてきていたのだが、この大爆発によって町が静まり返る。それと同時に離れからマリーとフランクが飛び出して来た。


「ちょちょちょ、何事なのっ?」

「おい! 天気は快晴だぞ! 稲妻が落ちたのか!」


 すぐ隣にあった俺たちが居住している離れの壁の塗装は吹き飛んだ。ペンキは禿げて石材のゴツゴツとした質感があらわになる。


「……実験は成功だな。これだけ驚かせられれば大した脅威になるだろう。本物を超えたかも知れない」


 黒こげの残骸を見つめながら小さく微笑むポドルスキ。マリーはポドルスキのイカれた衣装を掴むと何度も前後に振って問いただした。


「いや、だから何が起きたって言うの?」

「ライオネル伯、何なんですかこれは。こんなもの初めて見た……」

「火薬だよ。何種類かの物質を上手く調合するとこうなる。その火薬を固めて牛皮でまいたのがこれだ。どうだ面白いだろ?」


 ポドルスキは笑って見せるが面白いも何も無い。俺は、ただ、呆然とするしかなかった。


「世の中には不思議なものがあるものだな。これさえありゃリトアニアの蛮族を一瞬にして消し炭にできそうだな」


 徴兵に出て戻ってきたフランクは顔を紅潮させて息巻く。ポドルスキは再び大きく笑った。


「フランク君、悪く無い考えだ。この瞬間的な威力があればなんでも遠くに飛ばせるだろう。クロスボウなんぞ旧世代の遺物になる。まぁ、そんなものが作れればだがな」

「それでこれをどうしようっていうんですか」

「すぐに職人たちに命じて大量生産させるのさ。材料はいくらでもあるからね」


 この男はただのイカれた装束の貴族では無かったらしい。どこまでも用意が出来ている。


「それで、どれだけいただけるんですか」

「三分の一くらいは守備用に取って置くが、残りは君たちに分け与えよう。どれだけ作れるか分からないがな」

「そりゃいい考えだポドルスキ卿。こんなに頼もしい武器をもらえるなんて光栄の至りです」


 フランクは嬉々としてポドルスキの前に跪いて手に何度もキスをしてみせる。マリーは怖がって俺の背後に隠れたままビクビクと震えていた。

 だが、俺はマリーと同じような気分でいた。それを喜び合う二人は察したようだ。


「どうしたんだコルト君。これでも不満だと言うのか?」

「そうだぞコルト。これだけありゃ戦える。十分じゃないか。そういえば護衛の時も無駄にネガティブだったよな。そこまで考え込む必要は無いと思うぞ」


 ポドルスキとフランクは言う。不満なんて無いし、フランクが言う通り考え込むのはよく無い。

 火薬の詰まった球は確かに頼もしい武器だ。これを大量にそろえれば戦いは変わるし、火薬とやらを大量にそろえた方が勝つと言っても過言ではないだろう。戦いの前に兵士たちにデモンストレーションがてら見せてやれば士気は格段に上がるのは間違いない。

 それと同時に、俺たち”騎士”の存在意義も無くなるのも怖かった。





「あの火薬ってのは凄かったわね……」


 火薬の凄さを目の当たりにしてから半日が経った。

 一時は騒然としたルブリンの通りも『領主さまが雷を発生させる装置を開発した』だとか『あの装束が神の怒りに触れて天罰が起きた』とあらぬ噂が流れつつも平穏を迎えている。

 通りは軒先に吊るされたランプの淡い光を帯びて赤く輝き、クソ寒いのを紛らわすために酒場でワインやエールを飲み交わす大男たちが闊歩している。


「確かにそうだな。それでだ」

「なに?」

「いつになったら俺の手を離すんだ? これじゃ剣も研げないぞ」


 マリーはバツが悪そうにしてそっぽを向いて口を尖らせる。


「なるほどな。あの爆発が怖かったから離れられないんだろ」

「べ、別に怖くないし。モンゴルと渡り合ったマリー様よ? あんな火薬ごときで怖がるはずなんてないんだから……」


 口は元気だが、顔はどうだろうか。俺は目を合わせようとするがマリーは合わせようとしない。


「ちなみに俺は火薬に触ったから、そのうちにあんな風に爆発するらしいぞ。その手に触ったマリーも同じように弾け飛ぶんだな」


 マリーは今よりも手をギュッと握りしめてきた。


「ほれみろ。怖いんじゃないか。ちなみに今のは冗談だ。落ち着いたらさっさと寝な」

「怖くないし…… 別に怖くないし……」


 そんな冗談を言っている余裕は無い。実験終わりにポドルスキから二週間後に出兵するように告げられている。当分の間はフランクや援軍に来たチュートン騎士団、ポドルスキやポーランド国王・諸貴族らとの作戦会議がみちみちに詰まっている。

 こんな時間もすぐに終わりを告げるのか。俺はため息をついた。


「……俺は怖いぞ。後少しで騎士団を率いてモンゴルの連中と戦う手筈になってるからな」

「日付が決まったのね」

「ああ。二週間後に出発だ」

「そうなんだ。今度こそ連中を殺せるだなんて腕が鳴るわ。それじゃ私も出陣の準備を……」

「いやいい。マリーはルブリンに残るんだ」


 俺がそう言う。マリーの眼の色が変わった。


「なんでよ。モンゴルの連中を倒すためにここに残ってるのよ? 行かない訳ないじゃない」

「なぁマリー、お前、そんなに死にたいのか?」

「死なないわ。私が行けば絶対に死なないの」


 マリーは顔を赤くして言う。目も笑っていない。マリーは真剣そのもので本気で言っているらしい。


「ふざけんじゃねえ! 甘えるのもいい加減にしろ!」


 俺は勢い余ってマリーの頬を叩いてしまった。


「死に急ぎたいのかって聞いているんだ。ここにいれば少なくとも惨たらしく死ぬことは無い。ポドルスキ卿もお前に対して悪いようにはしないだろう」

「死んだって関係ないわ。私は仇を討ちたいの」


 うっすらと赤くなった頬を押さえるマリーはポツポツと滴り落ちるように呟く。


「読み書きを教えてくれたウカシュ牧師さんに、よく笑ってた向かいの靴屋のロベルト叔父さんに優しかったルイザおばさん、鍛冶屋のハンスに農夫のマルチンにパヴェウ。それにお母さんとお父さんだって、みんな私たちを守って死んだ……」


 最後の方は言葉になっていなかった。言葉が進むにつれて涙が頬を伝う。


「そんなことは関係ない。お前はここに残るんだ。彼らの後を追って死ぬことは無い」

「いや、でもっ……」

「それともなんだ? お前も村で死んだ連中の後を追って死にたいのか? だったらここで死ねばいいだろ。何と言っても連れていく気は無いからな。戦場はガキの遊び場じゃねえんだよ!」


 少々きついかもしれないが、こうまで言わなければすがり付いてでも戦場に来るだろう。


「……もういいわ。呆れた。アンタなんか知らない。私一人でも戦ってやるんだから」


 マリーはそう言うと着の身着のままで離れを出て行った。


「おいおい、マリーが離れを飛び出して言ったけどどうしたんだ。何かあったのか?」

「……いいや。何でも無いさ」


 走り去るマリーと入れ違いでほろ酔いのフランクが帰って来た。俺は何も言わずに帯剣を抜いて濡らした研ぎ石に当てて思い切り擦る。

 本当にこれでよかったのだろうか。言い過ぎたのだろうかとか、色々なことが頭をよぎる。だが答えが出るはずもない。俺は黙って剣を研ぐしか無かった。

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