浪漫譚Ⅳ
「予想通りだ。的に背を見せつつ背後に後退だ!」
敵の斥候部隊が森の中に侵入してくると、体が隠れるくらい長いヒーターシールドを構えつつコルト率いる隊商は後退を始めた。
いつもなら静まり切っている森の中には、モンゴル軍の怒声と弓の弦が弾ける乾いた音が響き渡り、馬蹄が雪解けでぬかるんだ土を踏みならす音が俺たちを一層焦らせた。
「まだですか! まだ引き続けるのですか!」
「そうだ。あと50フィートくらいだろうな。とにかく退き続けるんだ!」
背中で構えた盾にビシビシと衝撃が走る。きっとモンゴル軍の騎射だろう。だが、分厚い盾を貫通させるには威力が足らない。
とはいえ、兵士を恐怖させるのには十分だった。
「も、もう駄目だ! 足が動かない! コルト様! どうすればいいのですか!」
「逃げきれないヤツは脇の茂みに飛び込め! 足を止めれば死ぬだけだぞ!」
走り疲れた数名の兵が細い道の脇に散在する茂みへと飛び込んだ。
「突撃だ! つき進め!」
背後からキプチャクハン兵の奇声と雄叫びが聞こえる。馬は速度を増して歩幅が伸び始める。だが、そんなものにいちいち構ってられない。
「コルト様! 目的の位置まで来ました!」
「よし! マリー! 縄だ! 上げて木に括りつけろ! 騎馬の足を止めるんだ!」
「了解! ほら、縄を引っ張って!」
コルトが大声で叫ぶと、進行方向の両脇にマリーらが配置されていた。
「お、おい、進軍止めぇ! このままじゃロープに突っ込むぞ!」
騎兵の目の前には木に括りつけられたトゲ付きのロープ。
「くそっ! 馬が止まらねえ! おい、背後の兵も突撃止めよっ!」
連中の言葉は分からないが、目の前にいる鱗鎧のキプチャクハンの騎兵たちはこんなコトを言っているのだろう。
いずれにせよ、手綱を思い切り引いたモンゴル兵だったが、よく鍛え上げられた馬を制御することは出来なかった。まっすぐに張られたロープに突っ込むと、騎兵は面白いように転げ回る。鎧一式の真新しい兵から、使い慣らして鱗鎧の銀板が鈍く光る隊長格まで関係なく吹っ飛んだ。
「ざまあないわ! ほら、私たちも茂みの中に隠れるわよ!」
「マリーよくやった! 次は射手だ。思い切り撃て! アーヴァレストを転げまわる連中に浴びせてやれ!」
マリーら工作部隊が茂みに隠れると俺は大きく手を挙げた。すると、木の上から枯れかけの木の葉と共に、鉄の塊が一斉に降りかかる。
ポドルスキから送られてきた射手だが、ただのクロスボウ部隊では無かった。
持っていたのはアーヴァレストといい、通常のクロスボウよりも威力のある武器だ。普通、ボルトの装填には時間がかかる。弓以上に威力がある分、弦を引くのに時間はかかるしクロスボウそのものの重量がある。
しかし、ポドルスキの持たせたクロスボウには改良が加えられていた。弦を引くのにレバーや手を使うのではなく、歯車仕掛けのごちゃごちゃとした装置がついていた。
詳しい仕組みはよく分からないが、とにかくボルトの装填が早い。通常のクロスボウの倍は打てるだろう。
「……こりゃすごいな。射手は20人にしかいないのにその倍、いや、3倍くらいいるように見えるぞ」
無慈悲に繰り出されるボルトの雨は万民に平等だった。誰でも簡単に装備出来て当たれば死ぬ。なんとも公平な武器だろうか。
「っちぃ、木の上に射手を忍び込ませていたのか。このままではいい的ではないか!」
ルブリンの領主はただのイカれた錬金術師では無かったらしい。俺の脳裏にポドルスキの嫌味なしたり顔が目に浮かんだ。
「引くぞ! 落馬した味方は捨てておけ! 乗馬している部隊だけで森を抜けるぞ!」
40騎近くが何重にも張られたロープに突っ込んで落馬したが、後続の30騎は健在だった。
モンゴルの兵たちは散り散りになりつつも軍の練度は高かった。身なりの立派な隊長格が大きく叫ぶと、生き残っている部隊は一列縦隊をつくって馬首を返して来た道を引き返していく。
「それでいい! 騎兵を相手にしないで落馬した連中をひたすら射るんだ! 機会を無駄にするな。目の前の相手だけ狙えばいい!」
逃げる騎兵を追いかけたって歩兵では追い付かないし、動く敵を狙っても当たる方が珍しいだろう。そもそも、追いかけようと走った所で、ほとんど体力を使い果たした隊商兵には無理な話だ。
森の細い道を囲むように配置された射手は、落馬した兵たちを散々に射っていく。
「さてフランク、今度はお前の出番だぞ……」
斥候を相手にする作戦の第一段は、自身が囮となって見動きが取りづらく視界の狭い森へと引き込む。第二段は障害物を用いて騎馬兵の一部を無効化。隠しておいた射手でそれを散々に討ちつくす。
ルブリンから町への街道の近辺には森が多い。斥候を使って絶えずに敵情を把握し、いざとなったら森の中に逃げ込んでこの作戦を決行する。今行われたのはこの護衛にあたって予定していたことだ。
それが怖いくらいに全てが完璧に成功した。後は総まとめである。
「いよっしゃぁぁ! いままでのウサを思いっきり晴らしてやれ! リヴォニアの騎士たちよ、用意はいいかぁ!」
「おおおおおおおおっ!」
森の入り口から無骨で荒々しい鬨の声が上がった。
草木の切れ間から差す光を浴びて槍の穂先に着けられた背の丈ほどのバナーが翻る。白地の布に赤い盾と十字架。リヴォニア騎士団の兵だった。
「わざわざ総大将が体張って囮役をやってんだ。それ以上の戦いを見せつけられなきゃリヴォニアの恐ろしさってのを見せつけられねえだろ。忘れたのか? 俺たちの誇りと矜持をよぉ!」
「俺たちはリヴォニア帯剣騎士団っ! 信じるのは手にした帯剣とジーザスクライスト、ひれ伏すのは俺たちじゃねえ! 目の前にいる異教徒だけだ!」
本来の装備である板金鎧から、胸甲のみを装備する騎士団らしからぬ格好だが、威風、佇まい、そして勢いは勇猛果敢な騎士団そのものだった。
鬱蒼とした森にまともな出口らしい出口が無い。隊商の商品である騎馬を拝借してリヴォニアの騎士たちを軽騎兵にして背後に控えさせて置いた。
「アーヴァレストを射るのは終わりだ! 隊商兵たち! 逃げるのはこれで終わりだぞ。縦隊だ! 転げまわる歩兵に対して突撃陣形をとれ! そのまま騎兵も押しつぶすぞ!」
出鼻を挫かれたキプチャクハンの斥候達は大いに慌てふためいた。
ロープによって落馬させられた兵は逃げることも出来ずにそのまま応戦するかアーヴァレストの餌食に、乗馬して森から逃げようとする騎兵は正面からのリヴォニア騎士団と交戦するが、兵の士気・連携など、全般的に騎士団に大いに分があった。
「よしっ、反撃だ。隊商兵! 転げまわるヤツらだけを相手にしろ! 騎兵を気にするのは歩兵を殲滅した後でいい!」
隊商兵からも鬨の声が上がる。
俺が先陣切って敵歩兵の集団に乱入した。キプチャクハンの斥候は重い体を必死になって動かすが、どこか怪我しながらでは難無く討ちとれた。
かつてヨーロッパを恐怖に陥れたキプチャクハンの軍隊だったが、この森の中では違った。兵数・地力・勢いの全て兼ね備えた隊商兵の相手では無い。
「歩兵を踏み潰したら騎兵に迫って行け! リヴォニア騎士団と挟撃するぞ!」
モンゴルの兵士は騎士たちに比べれば軽装だが、装備そのものはかなり重い。
ロープに引っかかって勢いよく落馬すれば骨の一本や二本は軽く折れている。ろくに動けないモンゴルの兵たちは簡単に打ち負かされた。
騎兵もそうだった。逃げようと必死になって走る騎兵だったが、人数に優る騎士団の突撃を食らってほぼ壊滅状態となる。正面からは騎士団、背後からは勢いに乗る隊商兵を相手にする余裕は無かった。
「フランクよくやった。作戦は大成功だな」
「リヴォニア騎士団が出たとなりゃこれくらいは当然だ。しかしコルト、敵の数が斥候の言ってた話よりも少なくないか?」
俺もフランクと同様に、戦ってる最中に気がついていた。斥候から聞いた人数は100ほどなのに、釣られてやってきたのは多くても80程度。明らかに少なかった。
「ああ。俺もそう感じていた。今来たのは敵の一部だったのかもしれない」
フランクらと合流すると、軽騎兵たちは後備えに回って歩兵が陣形の前に躍り出た。
「密集陣形を取って盾を構えてつつ前進だ。森の外に出て確認するぞ
古代ローマのファランクスのように盾を密集させて構えながら慎重に前進する。が、森の外はおろか隊商のキャラバンまでもぬけの殻だった。
「……何よ敵なんていないじゃない」
「荷物を捨てて逃げ去ったか」
「そりゃ決まってるだろ。俺たちの力に恐れをなしたのさ。ほらあんな所まで後退しやがった」
辺りを見回すと、北東の高台に太陽越しに騎兵の一隊が見える。
逆光で詳しくは見えないが、明らかに身なりが他と違う男がいた。ヤクの毛の兜飾りは背中の腰辺りまで伸びていて、着ているのはステップの鱗鎧だろう。逆光で赤黒くこちらを見据えている。
「総大将はあの赤い鎧か。マリー、見覚えは無いのか?」
「……アイツよ。殺到するモンゴル兵の中に確かにいたわ。村での戦いでは先頭に立って突撃してきた……」
コルトらがいる森の入り口から敵部隊までは500フィートほど。マリーは拳を強く握って体を震わせた。
俺はマリーの頭に手を置いて優しくなでた。はこちらに向けないけど、小さくすすり泣く音が聞こえる。
「遠目からでも、なんつーか『偉い』ってのが分かるな。あの風格は大した男だろう」
「いずれはアイツを倒さなきゃいけないんだろう。いつになるかは分からないがな」
キプチャクハンの攻勢が続けば、あの男とも戦場で相見えて剣を交わらせることになるのだろう。
そんなことよりも重要なことがあった。
「……やっぱり突撃してきたのはごくごく一部ってことだろう。それも、敵の総大将は指揮を執っていない」
「なんならヤツらにも突撃してやるか? ヤツらは20くらいだがこっちは50。勝算は十分にあるぞ」
フランクが息巻く。乗馬する騎士たちも槍や剣を構えて合図を待っている。
「しないでいいさ。大体、フランクが森を迂回してきたときに敵の大将は数十を率いて背後から衝けたはずだ」
そうなっていたらキプチャクハンの士気は回復して騎兵は壊滅しただろう。歩兵じゃ相手に追い付けるはずもないからじりじりと距離を取られながら殲滅させられたかもしれない。
手の平を庇にして敵陣を眺めていると、ピュウと乾いた音が聞こえた。
「今のは何の音かしら……」
「マリー! 伏せろっ!」
敵の方から一筋の黒い線がこちらに向かってきた。それが矢だと気づくのには大した時間はかからなかった。
「お、おい! 大丈夫か!」
「ああ。なんとか盾で防げたがな……」
俺とマリーは馬から転げ落ちるも、放たれた矢は手にしていた盾で簡単に防げた。
しかし、放たれた矢は盾を貫き、鋭く研がれた鏃がほんの少しだけこちらまで見える。
「これは『いつでもやれるんだぞ』っていう意思表示か。舐められたもんだ」
「すごい、こんな分厚い盾をあんな距離から貫くなんて……」
こちらを眺めていた敵大将が手を振り上げると、モンゴル兵は流れるように陣形を組んで退散した。こちらが人数で勝っていても、平原で真っ向から戦ったら勝てるかは分からない。
「しかし、なんて飛距離と精度だ。ヤツらからここまでは500フィートはあるぞ」
「ヤツらがやる気になれば、ここは弓矢の雨に晒されてたんだね。なんかちょっと悔しいかも」
マリーとフランクが言い合う。騎射をしようと思えばいくらでもできたのだろうか。分かるのは、完全にこちらを舐め切っているのだろう。
「……俺たちは敵の先鋒部隊を殲滅したし、敵大将は戦わずして逃げ帰った。それだけでいいじゃないか。隊商長、被害は何人だ?」
そうこうしていると、横で兵士が整列していた。俺が聞くと隊商長は涙を流しながら答えた。
「ゼロです。誰一人として欠けることはありませんでした」
軽装で突撃した騎兵や、途中で脱落した兵たちはケガだけで済んだらしい。とりあえず、この護衛中に襲われることはほぼ無いだろう。
「よしっ! 荷物をまとめ上げろ。1時間後に出発するぞ!」
雪だけが残る平原に歓喜の声が上がった。とはいっても、斥候が数十人やられたくらいでは大した打撃にはならず、キプチャクハンの攻撃が止む訳でもない。次の次にキプチャクハンの襲撃を再び受けるかもしれない。
だけど、この勝利は大きなものだ。それだけは間違いのない事実だろう。
○
積み荷をリヴィウで売りさばき、出発してから二週間ほどでルブリンへ帰還した。
キプチャクハンの斥候部隊を殲滅したという報はしっかりと届いていたようだ。町の城門をくぐると、ポドルスキ配下の鼓笛隊と、街路を埋め尽くすほどの紙吹雪が俺たちを出迎えた。
「ポーランド王国万歳! チュートン騎士団万歳! リヴォニア騎士団万歳!」
古ぼけたあばら家の建物も、レンガ積みの二階建ての家々も関係ない。全てのルブリン住民がこの瞬間を楽しんでいる。
「ありがとうございます騎士様。これでこの町に平和が訪れます」
「いやっはぁ! 死に物狂いで戦った甲斐があったってもんだな!」
フランクは近寄る女性から緑の飾りを貰うと頭に乗せた。渡す際には額にキスまでされている。
「ねえねえ、お姉ちゃんも戦ったの?」
「そうよ。モンゴルの騎兵を倒してやったわ!」
「すごいなぁ。私も大人になったらお姉ちゃんみたいな騎士になりたい!」
俺の脇で騎馬を駆るマリーも少年少女たちの英雄だった。ガントレットに胸甲姿のマリーはとても凛々しかったし、北方神話の戦乙女を彷彿とさせる。
「なぁコルト、勝つってのはこんなにも気持ちいもんなんだな。故郷じゃこんな風にパレードは出来なかった。ほんとに泣けてくるぜ……」
月桂樹の頭飾りを付けたフランクは目に涙を浮かべた。とても感動的な場面なんだけど、赤毛の髭面に月桂樹は似合わない。この大男に似合うのはやっぱり板金鎧に牛角のヴァイキング風兜だ。
「何浮かれてるのよ! モンゴルの連中はまだまだ沢山いるんだからね!」
「そう言うお前も嬉しそうに顔を緩ませてるじゃないか。よくそんな顔で言えたもんだな」
「うるさいわよ! 今ぐらい喜んでたって、ハハハっ!」
俺が言うと、マリーは嬉しそうにしながら馬を飛ばした。腕を振り上げて差した剣を天にかざすと周りから大きな声が上がる。
「気丈に振舞っててもやっぱり子どもなんだな。だがそれがいい……」
フランクは自由に駆けまわるマリーの姿に見とれている。厳つい顔を頭のてっぺんまで赤くして月桂樹の飾りが焼き切れてしまいそうだ。
「……唐突なんだが、俺もこんな盛大なパレードは初めてだ。騎士を率いて異民族と何度も戦ったが、逃げ回る民を殺すばかりで気持ちのいいものじゃなかったし、こんな風に祝ってはもらえ無かった。そんな日々を過ごしてて、俺がやっているのは本当に正しいのかと色々と迷ったこともあった」
「なにを弱気なこと言ってんだ。騎士団が信じるのは上官とキリストだけさ。いちいち気にしてたらキリが無いからな。ほら連中を見てみろ。あれだけ喜んでるんだ。やってきたことは悪いことじゃないのさ」
俺たちの活躍を受けて貴賎問わずに肩を組んで喜ぶ姿を見ていると、大声を上げながら観衆に手を振るフランクの言うことが正しいのかもしれないと思えてきた。何事も深く考えるぎる俺の悪い癖だ。
そんな風なことを思っていると、フランクの横に兵士の一人が寄って来て何やら話している。
「……だそうです」
「おいおいおい、そりゃぁ、最高じゃねえか」
兵士との話が進むにつれてフランクの顔がこれ以上ないぐらいに明るくなった。
「どうしたんだフランク」
「話によると城で祝宴があるらしい。この秋に獲れた作物が食い放題、出来たてのエールも飲み放題だとさ。それも、貴族も領民も関係ないだとさ。あの領主も中々太っ腹だな」
果たしてこんなに集まった群衆が城に入り切るのだろうか。とはいえ、この二週間近くまともな食事を取っていなかった。干し肉に干しレーズン、乾パンに干し魚と、とにかくみずみずしい食い物が欲しかった。
この近辺は豊かな土地で、豚羊牛鹿馬猪と肉なら何でもあるし、小麦大麦は死ぬほど取れる。野菜だってリンゴ・イチゴ・ブドウと数えればキリが無いほど種類はある。菓子だってパンケーキやルーシから伝わったブリヌイ、センカチュとこと足らない。
パレードを見守る人々の中に、無駄にカラフルな装束を着た男がこちらを見つめていた。
「そりゃいいじゃないか。先に行っててくれ。俺はちょっと用が出来た」
「お、おい、コルト……」
馬をフランクに引かせてパレードの隊列から離れると、その男の眼前へと赴いた。
「ポドルス…… ライオネル伯。どうかしましたか?」
「コルト君か。ちょうどキミを待っていたんだ。ちょっといいかな?」
準備のいいことに路地には馬車が忍ばせてあった。
進路は城に。馬車は石畳をゴトゴトと揺れながらポドルスキと俺を運んだ。
「今回の護衛はよくやった。国王陛下もお喜びになったらしい。また子どもを手配しよう」
「……ありがとうございます。ですが、そんなことを話したくて私を呼んだ訳ではないんですよね?」
ポドルスキはいつも通りのイカれた装束だがどこか雰囲気が違う。目の奥に不安の様な暗さがあった。
「察しがいいな。単刀直入に言おう。近いうちにキプチャクハンの大群がポーランドにやって来るらしい」
めまいがして肩の力が抜けた。斥候部隊が敵の領内で暴れるということは、大軍を引き連れてやってくるということでしか無い。なんとなく分かってはいたが、実際にそうなると分かればその重みは違う。
それに、相手には赤い鎧を着こなしたかなり偉いであろう将軍も居た。次の戦いはそいつが大軍を率いるのだろうし、規模も森の中でどうなるとかいう次元では無く、大平原をめいいっぱいに使う大合戦になるに違いない。
「……やはりそうですか。私も憂慮していたところです。それで、いつごろになるのでしょうか」
「あくまで情報だけでいつになるかは分からない。斥候部隊の目撃情報はこの辺りだけでなくて北方のワルシャワ近辺でも見かけられたらしい」
「それでは酒宴は中止にしましょう。いますぐ対キプチャクハンの作戦を考えるべきです」
「すぐ明日やってくると言う訳でもない。それに騎士団だって疲れ切ってるはずだ。今は素直に喜ぶ時間を設けようではないか。コルト君はマルボルクに援軍の頼みたまえ。私も陛下に連中の大遠征について上奏文を書こう」
焦る俺の言葉はポドルスキに軽くいなされる。確かに、今どうこう動いたところで何にもならないかもしれない。素直に休む時間も必要だろう。
「……分かりました。当分の間は伝えないでおきます」
「そういうことだ。我々の庭で連中に暴れられてたまるか。私も色々と用意をしよう」
ゆっくりと馬車に揺られて1時間ほど、俺たちが城につくと祝宴は既に始まっていた。
広間はサラダから七面鳥まで長机の上はオードブルで埋め尽くされ色とりどりの果物で溢れている。また、歓喜の輪は城外にもあふれ、通りという通りでは人々が騒ぎながら酒を飲み交わしていた。
ポドルスキはなんてことも無かったかのように上座の席についてワインを一飲みする。俺にはそんな余裕は無い。ヨロヨロとよろめきながらマリーやフランクらの所に行く。
「どうしたコルト。ポドルスキに呼ばれてたんだろ? 何か大きな事件でもあったのか?」
「そうよ。勝ったって言うのにヤケに暗いし。今日くらいパァっと遊びましょうよ。ほら、お酒汲んであげるから」
フランクは骨付きのもも肉を口いっぱいに頬張り、マリーは目を細めて笑みを浮かべると俺のコップにエールを注いだ。
「そうだな。食べて飲もうか」
護衛の後は「今日だけは」なんて思っていたけど、あのモンゴルの大軍がやってくると考えるだけで身がすくむし、料理が喉を通らない。
口に運んだカモ肉のソテーは間違いなく美味かった。でも、噛んでも噛んでも飲みこむことは出来なかった。
「ほらコルト様、今日はお飲み下さい。あなたのお陰でモンゴルの連中に一矢報いたんです。何があっても怖く無いですよ!」
「ああそうだ! ポーランドはもう負けないんだ! キプチャクハンをぶっ叩いてやろうぜ!」
戦うまでは青い顔をしていた隊商長らが俺の所にやって来た。酒を注ぐと大声でうそぶいた。
周りからは老若男女問わずに大歓声が上がって「ポーランド万歳! ルブリン万歳!」の嵐が起きる。その大嵐は街中に伝わった。城外でも歓声は起きたし、厳かな教会でもそれは起きた。
「……ああ。そうだな」
俺は吐き捨てるように呟くと、注がれたぬるいエールを飲みこめないカモ肉と一緒に思い切り流し込んだ。