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浪漫譚Ⅲ

 果てしなく続く大平原に轍が二つ延々と続く。両脇には木柵がこさえられて牛がのびのびと草を食べていた。

 コルト率いる隊商は、はるか南方の都市リヴィウ目指して大平原の街道を進んでいた。


「なぁコルトさんよ、この作戦が本当に成功すると思ってるのか?」

「ああ。必ずヤツらはこの隊商に喰らいつく。こんな仰々しい隊商を組んでいるんだ。情報はモンゴルの連中も知っているだろう」


 騎士団が50人に、ポドルスキから貸与された兵が20人。元からの隊商が47人に俺とマリーを加えて総勢は119人。とはいえ、隊商の大半は民間人なのでまともな戦闘を経験しているのは半数くらい。


「そりゃ一大事じゃないか。こんなチンタラ歩いてないで駆け足で行かなきゃボロボロにやられちまう」

「大丈夫だ。そのために俺たち騎士団がいるんじゃないか。なんてことはないさ」


 俺はそう言うが、目の前の赤毛の大男の顔は冴えない。


「騎士団の兵はいいとしてもこんな装備で大丈夫なの? 隊商なんて帯剣してるけどひ弱そうな連中ばかりじゃない」

「コルトさん。お嬢さんの言う通りで、正直言って心配です。野盗相手に戦のまねごとは何度かしたことありますけど、モンゴルの正規部隊相手ではまともにやり合えないと思うんです」


 マリーと隊商長の老人が言う。横に控える商人たちは怯えきった顔でこちらを見つめてきた。


「そうよ。それにリヴォニアの連中なんて装備を外しちゃってるし。いきなり襲ってきたらどうするのよ」

「俺が言いたいのはそう言うことだ。鎧を着ないでどうやって戦うって言うんだ」


 フランク以下、リヴォニア騎士団の騎士たちは重厚な鎧を脱ぎ棄てて行軍している。主戦力である騎士たちの顔色もどこか暗い。


「安心しろマリー。これも策の一つだ。モンゴルをぶっ殺したいんだろ? だったら黙ってついてくればいい」

「どういうことなのよ。それに、この隊列に馬が多すぎじゃない?」

「そうだ。騎士団にまで馬を引っ張らせるなんて前代未聞だ。護衛だけならまだしも、売り物の管理までやらせる気か」


 隊商の最後尾には馬の大群を引き連れている。ポーランドは平原が多いため、馬も特産品の一つであった。

 フランクとマリーがブツブツ何か言っているが、俺には確証があった。


「なんだフランク。ビビってるのか? 決闘前はあれだけ大きく出たくせに、戦の直前になると及び腰か。リヴォニアってのも大した連中じゃねえんだな」


 チョロっと煽ると、当然のようにフランクは烈火のごとく怒った。


「……口が過ぎるぞガキが。俺はお前よりも長く生きてるし長い間戦ってきた。だったら見せて貰おうじゃねえか」

「安心しろ。勝つのは俺たちさ」

「コルト様! 斥候が戻ってきました!」


 横に居た隊商の兵士が東方を指差した。

 全身を汗でぐっしょりと濡らした軽装騎兵が、フラフラとしながらこちらに駆け寄ってくる。


「いつの間に斥候なんてのを送ってたのよ」

「まぁいいだろ。いい所に来たな。どうだモンゴルの連中は来たか?」

「はい。ここから東方に2000フィートほど。1時間もあれば追い付かれます」

「……予想通りだな。全員集まれ! 今から指示を出すからな」


 俺が号令すると皆が集まって来た。そこで、とある作戦を伝授した。





「ボルドゥ様。あれが例の隊商です」

「なるほど。ナチン、情報は無いか?」


 ヤクの毛がふんだんにあしらわれた鉢の長い兜を被り、深紅に塗られた鱗鎧を身にまとった男の名前はボルドゥ。14でモンゴルの軍に連なると、40年近く戦いに明け暮れてきた熟練の将軍だ。

 横に控えるナチンは若い男で歳は20。ボルドゥの副官を務めている。

 ボルドゥが率いる斥候部隊から隊商までは直線距離で500尋(800m)ほどまでしか無い。隊商までは遮るものが無いので、お互いの姿が見えるぐらいに近い。


「ルブリンからの情報だと総勢100名ほどの大隊商だそうです。積み荷はこの秋に獲れた小麦や金銀だそうです」


 目深にかぶった兜を被りなおすと隊商の一隊がより詳しく見えた。


「なるほど。馬車が10台とは中々の大所帯じゃないか。連中を潰せば当分の食事には困らなさそうだな。さっさと荷物を掻っ攫って帰るぞ」

「よしっ! 全軍突撃陣形をとれ!」


 ナチンが手を上げると直属の鼓笛隊がドラを鳴らして全軍に相図を出した。

 楕円形に広がっていた斥候部隊だが、特にこれと言った指示を出すことなく唸りをを上げるようにボルドゥを中心にして一列縦隊を取った。


「ナチン殿! 全軍、突撃陣形を取りました!」

「それでは、敵軍めがけて全軍突撃……」


 副官のナチンが手を振り上げて命令を出そうとするが、ボルドゥは騎馬を近づけてナチンの口を無理やり覆った。


「……いや待て。この地形。何か臭うぞ」


 戦場となるのは街道沿いの何も無い平原だが、隊商のすぐ後に鬱蒼と茂った森が広がっている。


「何を仰るんですか。50年前のワールシュタット、先の小さな村での戦いでは我々の圧勝でした。こちらは精鋭の斥候が100人。相手は隊商100人です。負ける道理などありません」

「確かに。我々はポーランドやルーシの連中に負け無しだ。相手が真っ当に戦ってくれば簡単に殲滅出来るだろう」


 ナチンが反論すると、横に控える十人長たちも力強く言う。


「ナチン殿の言う通りですボルドゥ様! 早く命令を!」

「食料と財貨を目の前にして迷ってる暇はございません」

「さぁ、突撃をさせてください!」


 他の十人長たちもせっつかした。ボルドゥ配下の飢えた狼たちは、目の前にいる最上の得物を前にして顔を上気させて士気は高い。


「……ああ。好きにしろ。ポーランドの連中に俺たちモンゴルの恐怖を再び味あわせてやれ!」


 馬を大きくギャロップさせてボルドゥ自身が部隊の前面に躍り出ると、後から競う様にキプチャクハンの斥候たちは矢のように隊商へと突き進んでいった。





「……ヤツら、来ましたね」

「……ああ。予想通りの展開だ」


 コルトらは積んでいた荷物を円周状にばらしてバリケードを築き、その隙間から敵を眺めていた。

 敵兵は100名ほど。まともにやり合えば負ける人数だ。


「騎兵は目測で300フィートか。背後の森までは50フィートほど。今なら走って逃げ切れます」

「……それじゃ、逃げるとするか」


 コルトが立ち上がると森に向かって走り出す。隊商長もそれに続いて隊商兵は一斉に逃げ出した。


「とにかに走れ! 騎射を背中に受けた所で死にはしない。走って森の中に逃げるんだ!」


 幸いにも、敵は騎射せずに荷物に殺到するのみだった。


「……コルト様、本当にこれでよろしいのですか?」


 息を切らしてなんとか茂みまで辿りつくと、隊商長が青い顔をして話しかけてきた。

 

「安心しろ。荷物に仕掛けは施してあるんだろ?」


 モンゴル軍はバリケードを突き破って荷物を漁っていた。俺が言うと隊商長はにがい顔のまま頷く。


「荷作りの際、木箱を使わずにかなり頑丈な鉄箱に詰めてきました。それと、開かないように鎖でガッチリと守っているので開けるにはかなり苦労するでしょう」

「バッチリだ隊商長。ほら見てみろ。連中が荷物に手間取ってるぞ。そうなると、次の一手はこうなるに決まってる」


 モンゴル軍の方からは何やら怒号が聞こえる。何もかもが俺の手の上で転がっていた。

 何のために騎馬をあれだけ連れてきたのか。全ての答えは俺だけが知っている。マリーやフランク、配下の騎士や隊商にも一通り説明はしたが、隊商長はなおも横で青い顔している。


「しかし、人数は同等でも兵の質は劣ってます。本当に大丈夫なんでしょうか……」

「さっき説明した通りにやれば何の問題も無い。間違いなくヤツらは兵を率いてこっちにやってくるぞ。それからが本番だからな」


 俺は歯を見せて笑う。しかし、隊商長らの顔色は晴れない。





「なんだなんだ。隊商の連中は大した抵抗もせずに逃げ帰ったのか」

「こちらも兵を失わずに済みました。悪く無いでしょう」

「ふむ。本当にそうだろうか」


 ボルドゥとナチンは隊商の残骸を見てそう言う。

 キプチャクハンは難なく隊商を襲うことに成功した。また、森の中へと戦わずして逃げ帰るポーランド兵たちを見ると斥候部隊は大いに沸いた。


「……なんだこの荷物は。開かないぞ」

「ふざけやがって。鎖で繋がれてちゃどうしようもねえじゃねえか」

「大隊商があるって聞いてここまで来たってのに、獲物を得られずに帰れって言うのか。くそっ、やってやれねえな」


 だが、どうも兵たちの様子がおかしい。隊商の積み荷に群がる斥候たちだが、荷物を奪おうにも箱が開かない上に重すぎて運ぶのも困難だった。

 本来ならば表情を緩ませて嬉々と略奪に勤しむのだろうが、その顔は芳しく無く苦々しい表情で地団太を踏んでいる。


「どうした。様子がおかしいじゃないか」

「これはボルドゥ様。その、隊商の箱がおかしいのです」


 どれもこれもかなり頑丈な鉄製の金具が取り付けられた箱ばかりで、騎馬で持って帰ろうにも重量にしても体積にしても難しい。


「……ふむ。この中に隊商を襲った経験のあるものは居るか」


 十人長の一人が手を挙げた。


「この様な経験は過去にあったか?」

「いえ、一度もありません。何度も襲われているからこういった工夫をしているのではないでしょうか」


 ボルドゥは深々と頷いた。


「略奪されても、物資を相手に利用させないためにこうしたというのか。悪く無い考えだな」

「しかし、このままでは部下たちに示しがつきません。長い行軍でここまでやって来て、獲物を一つも得らないで帰るなんてことをさせるべきではないでしょう。我々の威信にもかかわります」


 配下の兵たちは明らかに疲れ切っていた。獲物を期待して襲いかかるも、何にも得られないで帰るなんてことは許されない。


「一理ある。それならどうするというのだ?」

「ボルドゥ様、戦わずに逃げるような相手ならば難なく殲滅出来ます。私どもに追撃の指示を出して下さい」

「……なぁ十人長たちよ。逃げるやつらを見ておかしいと思わないか」


 ボルドゥが問うと、髭を胸元まで生やした十人隊長が名乗り出た。


「私は思いません。私たちの栄誉が敵をああさせたのです。これまで連戦連勝。真っ当に戦っても刃が立たないと分かっているからでしょう」

「そういうことです。父・祖父の代からヤツらは我々に辛酸を舐めさせられ続けております。当たり前と言っても過言ではありません」

「仮に何かがあるとしても、数が対等であれば武に優る我々に分があります。さぁ、早く進撃の命を!」


 集められた十人隊長たちは、髭の男の言葉に乗っかるように次々と進言する。


「……分かった。お前たちは70名ほどを率いてあの森の中を掃討しろ」

「ははっ!」


 十人長たちは兵をまとめて森の中へと進軍した。


「ナチン。キミはおかしいと思わないのか。敵の総勢は100名ほどなのに、逃げ帰って言った連中はどう見ても50名くらいだ。それなら後の50はどこに行ったんだ?」

「……確かにそうですね。間諜が情報を見誤ったのでは?」

「それもあるかもしれない。だが、この地形を見てみろ。逃げた先の森は兵を伏せるに持ってこいだ。明らかにおかしい。何か秘策でもあると言うのか……」


 ボルドゥと副官のナチンが隊商を見廻っていると、草陰に木箱があった。


「……なんだこれは」

「騎士団の紋章でしょうか。黄色地の盾に黒い鷲……」


 脱ぎ捨てられたサーコートが二つ入っていた。両方共に

 それを見るとボルドゥの目つきが変わった。


「これはチュートン騎士団だな。隣に落ちているのは白地に赤の十字か。きっとリヴォニア騎士団だろう」

「隊商の中に騎士団が紛れ込んでいたのか…… 今すぐ十人長達に知らせてきます!」


 逸って馬首を森の方へと向けたナチンだったが、ボルドゥはそれを制止した。


「……いやいい。伝える必要など無い。今すぐ撤収の準備をさせろ」

「なぜですか! 仮にあの森に兵が伏せられていたら大損害を被りますよ」

「たまには敗北もいいだろう。先の村を襲った時といい、我々が勝ちすぎるって言うのも面白くないからな」


 送り出した部隊が危機に立たされているというのにボルドゥは冷静だった。腰に提げた水筒を口に運ぶと軽く息をついた。


「それにだ。あんな森に兵を伏せるなど兵法の初歩の初歩だ。我々が滅ぼした中華の軍略家も言ってただろう」

「しかし、精鋭の斥候70名を失うのは気前がよすぎます。出来る限りの対処をしたほうが……」


 斥候は軍の精鋭部隊だ。敵地に単独で潜入して情報を得て、敵部隊に出会えば攻撃も辞さない。そのため、斥候には優れた馬術に武術だけでは無く、臨機応変に動ける判断力と知恵が必要となる。


「何を言っているんだ。精鋭だろうがなんだろうが、そんな兵法の初歩の初歩も知らんクズ野郎共に構っていられるか。俺は何度もヒントを与えてきた。『逃げて行く兵たちを見て疑問に思わないのか?』と。簡単な事に気付きもしない連中のどこが精鋭と言える?」

「し、しかし……」

「この出兵では、君も私も現場を視察にやって来ただけだ。この程度の事ですら知恵が回らないようでは、人数で劣る相手に正攻法で勝てても何の価値も無い」


 ボルドゥの言葉にナチンは黙りこくるしかなかった。静かな口調でボルドゥは言葉を続けた。


「ナチン君。キミと私は何者だ? 答えてみたまえ」

「……ボルドゥ様はキプチャクハン国右翼軍の千人長であり本国の貴族に列せられる方でございます。私はボルドゥ様に仕える副官のナチンです」

「完璧な答えだ。それで、この部隊はなんなんだ?」

「キプチャクハン右翼軍の百人隊です。此度の遠征はボルドゥ様直々に指揮を執るようにと国王陛下直々の命が下さりました。所属はボルドゥ様配下の斥候部隊になります」


 ナチンは俯きながら答える。ボルドゥは満足そうに頷いた。


「そういうことだ。敵情を見誤って本隊に迷惑を掛ける前に死んでもらった方が国の為になる。斥候部隊は私の制止を振り切ってポーランド、いやチュートン騎士団の力量を見誤って撃破されたと、この戦いについてはそう伝えておけばいい」

「……わかりました。そう手配をしておきます」

「キミも軽率な判断は慎みたまえ。あそこで野たれ死ぬ間抜けにはなりたくないだろう」


 ボルドゥが指差した先には、先発した斥候部隊が鬨の声を上げて散っていった隊商を追撃している。森の中に何があるのかを知らずに。


「とはいえ、共にユーラシアを駆け回った同胞が死ぬのは惜しい話だ。まぁ、最後の雄姿をここから眺めてやるのがせめてもの供養になるだろう」


 ナチンは積み荷の接収を止めさせて直属の配下をまとめると、ボルドゥは軍を付近の高台に移動させて腕を組みながら森の方を見つめた。

 晩秋の鉛色の空は色を変えた。積み重なる雲の切れ間から、久方ぶりの青空と陽が見える。戦の神はどちらに味方をするのだろうか。

※モンゴル軍の軍制について


 補足なんですが、ここでモンゴル軍(キプチャクハンも同様)の軍制を紹介しておきます。

 モンゴル軍は中央軍・右翼軍・左翼軍の三つに分かれていて、軍の下には千人隊・百人隊・十人隊という部隊に分かれていました。

 今の軍隊で言う所の方面軍・師団・連隊・大隊・中隊・小隊みたいな関係ですね。


 また、部隊内の役割として、先鋒に軽騎兵(弓騎兵)、中軍に重装騎兵、後軍には家族などの民間人という構成がスタンダードでした。

 ちなみに、1241年にキプチャクハンとポーランド連合軍で行われたワールシュタットの戦いでは軽騎兵と重装騎兵の連携に崩されてポーランド連合軍が大敗してます。恐るべしモンゴル軍。

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