浪漫譚Ⅰ
静まり返った草原。そこには枯れて暗い茶色となった茎が生えるくらいで鮮やかな色をした草木などは一つも生えていない。
牧草地には牛馬はおらず、木柵も破られずたずたに折られていた。あるのは、肉片のこびりついた汚れた骨だけが残っている。
石造りの家々からは黒い煙が上がり、消し炭となった家具や屋根から黒々とした煙が村を憐れむように天へと昇っていく。
「いやぁ、ちょっと前まではは栄えてたんだけどね。この辺りじゃ一番の村だったよ」
目の前にいる髪の薄いやつれ切った男はそう言うのだが、俺にはそれが信じられなかった。なんたって村はあんな状況だ。
今はコートが無いと少し肌寒い晩秋。男の言う通り栄えている村であれば、この時期は収穫祭で村中の老若男女がエールを汲み交わして夜遅くまで大暴れのはずだ。
だが、この村には人っ子一人いない。鉛色をした薄曇りの切れ間からは太陽が真上にあるので日中なのだろう。だが、目の前にいるのはこの男のみで誰一人としていない。
「おやおや、信じられないって表情だね。まぁいいさ。なんでこの村がこうなったか知りたいか?」
村の中央広場にあった壊れかけの木箱に座ると、カーキ色の寂れたコートを羽織っている男はそう言うと俺の肩に手をまわした。黙って首を縦に振った。
「簡単さ。ハーンの連中が全てを奪い去ったのさ。作物も種もみも食料も建物も、そして、人も、ね」
「……モンゴルの連中か」
今から50年ほど昔の話だ。極東から陸伝いに、平坦な顔で一重瞼の男たちが東ヨーロッパに暴風を巻き起こした。
ヤツらは集団で騎馬を駆った。先頭をひた走る指揮官が90度直角に馬首を返すと馬は速度を落とさずに切り返し、後ろに続く野蛮で荒々しい男たちもそれに従って統率のとれた動きを取る。
全身を包む無骨な銀色な鉄錆を輝かす重装備の騎士たちは、鞭をバシバシと叩いてヤツらを追いかけるも焦りだけが募って足掻いても追い付けない。そんな騎士たちなど気にもせずに、荒々しい男たちは上体を真後ろにそらして一斉に弓を射るのだ。ヤツらの弓矢は板金の鎧を容易く貫いた。ヤツらにとっては鹿狩り程度に思っているのだろう、胸や頭を貫かれた騎士たちはぬかるんだ地面にガシャリガシャリと音を立てて落ちてゆく。
その実際に見たものはほとんど死んでしまったが、ポーランド・ルーシ・ハンガリーの子ども達は全員知っているだろう。俺も寝話としてさんざん聞かされた。
「そういうことだ。それでこの俺はこの村唯一の生き残りさ。上品で小奇麗な身なりから察するに、お前さんはどこぞ騎士団の小間使いなんだろ? この村はモンゴルの連中に襲われたさ。大人は勇敢に戦って子ども達を逃がしたが、ほとんどは死ぬか奴隷にされた。女たちはこの世の終わりぐらいに鳴きながら連れ去られた。きっとヤツらの駐屯地で夜な夜な犯されているだろうよ」
男は目尻に涙を溜めて力無く俯いた。顔に皺を溜めたこの男にも家族がいたのだろう。俺は短い金髪をクシャクシャとかきむしった。
「だが待ってくれ。モンゴルのヤツらが襲うのは決まって大都市じゃないか。過去の経路だってそうだった。なんでこんなところを襲うんだ」
略奪をするなら大きな町に行けばいい。この辺りだと北方へ馬車で丸一日ぐらいの距離に大都市ルブリンがある。それなのに、東西を繋ぐ街道から外れたこの地をなぜ略奪したのか。
「こんな所とは心外だな。確かに大都市からは離れている辺鄙な村だが、春になればあの草原は花々で色とりどりに染まるんだ。いかにも田舎臭い光景だけど悪いものじゃない。こんなところでも俺の故郷なんだよ」
男は乾いた笑いを浮かべながら草原をみつめてそう言った。畑は焼かれて白や黄色に染まる草原なんて言われても誰も信じないだろ。そんなものは見る影もない。
「……ちょっと言い過ぎたかも知れないな。だがおかしい。なぜ連中がこの村を襲ったんだ?」
「そんなの俺に分かるはず無いだろ。あの無表情な平べったい顔で見つめられてみろ。『なんで? どうして?』みたいな感情は吹っ飛ぶぞ。もうどうにでもなれってな」
実際に見たことは無いが、キプチャクハンやモンゴルの連中は農作業をしていないのに肌が浅黒く、顔の彫りが極端に浅いという。それにヤツらは笑わないらしい。人を槍でめった刺して返り血を全身に浴びようが、ほんの目の前で戦友が敵兵にモーニングスターでミンチにされようが、大量の財貨を城の金庫から奪い去ってもモンゴル人は顔色一つ変えないと従士時代に聞いたことがある。
「……ありがとう。ほんの数日前の話で辛かっただろう。だがこれは貴重な証言だ。きっと役に立つだろう」
「あの光景を少しでも伝えられて清々したよ。それじゃ、俺は帰るとするか」
俺が頭を下げて礼を言うと男は膝に腕をついて立ち上がった。流暢に語られた自然な言葉だが、男の眼はどこか寂しさを思わせた。
「帰るって村はこの有様だし、ここに残るのは危険だ。今聞いた話の詳しい調書を取りたいからルブリンに来てもらえないか」
「今喋った話がすべてだし、もう何も覚えちゃいねえから移動する意味なんてねえよ。それに、俺が帰るのはここさ」
男は自身の人差し指を足元に向けた。
謀られたかのように、男の足元には大人の身長ほどに掘られた長方形の穴があった。
「村の子どもたちは馬車に乗せてみんな逃がした。だが、ハーンの騎馬隊連中から逃げ切れるかな。俺の娘もわからねえなぁ」
「安心しろ。馬車を飛ばせば半日ぐらいで逃げおおせる。子どもの操縦でも一日はかからないだろう。お前も町で娘と会えるかもしれないぞ」
「それがそうはいかねえんだよ。妻は攫われるのに抵抗して喉元を掻っ切られて死んだ。それも、俺の目の前でな。どうにかなりそうだった」
モンゴル軍の大虐殺。その光景を思い浮かべるだけでも身震いがした。俺の両親は死んだし根拠地のマルボルクに家族はいない。だが、目の前で愛しい人が殺される。その苦しみややりきれない怒りの感情は手に取るように分かった。
「俺は何にも出来ずに殺されたんだ。助けてくれって目で俺を見てたんだ。でも、何にも出来なかった。屠殺された牛のようだった。虚ろな目をしてたよ。今じゃここで眠ってる」
今度は男は俺の足元を指差した。掘られたてなのだろうか、ふわふわと柔らかい盛り上がった土があった。それも、村の人場の至る所にだ。
「戦って死んだ仲間と約束もしたんだ。この村を守り切るか死ぬかってな。だから死に損ないの俺は約束を守るよ」
広場を囲むように家々が立ち並んでいるのだが、それらすべては燃えて朽ち果てている。そんな村の広場の中央には首の折れた彫像があり、その周りを囲むようにして黒く焼け焦げている太い木の棒を酷く痛んだ麻縄で縛っている。この村にやって来た時は、何が何だか分からなかった。だが、今、この瞬間全てを察した。
俺の目線が揺らぐのをまじまじと見つめていた男は、薄汚れた外套の内ポケットからナイフを取りだした。嫌な予感が身をよぎる。
「お、おい、馬鹿な真似はよせ。ほら、さっさとそのナイフを置くんだ」
「これは剣だよ。サーベルの先っぽがひん曲がっちまって。ハーンの連中に折られちまったよ。みんな小柄なクセにすげえ馬鹿力だった」
「そんなことを言うもんじゃないさ。またやり直せばいいじゃないか」
「あんなのを経験して精根は尽き果てて心も折れ曲がっちまった。こんなんんじゃ娘と再会したっていい親父にはなれねえからな。騎士団を率いてあのトカゲみたいな連中を間引いてくれや」
男は初めて笑顔を見せる。どこか達観したような笑みだ。
震える手で握り締めたナイフはよく見るとボロボロの使いものにならないものだった。鋭かったであろう刃先は何かの衝撃を受けてひん曲がっているし、刃部分はこびり付いた血で錆かけている。
だが、そんなのは些細な話だったようだ。男の手はまっすぐに首筋へと伸びていく。
「待てっ、早まるんじゃ……」
「町に戻るついでに娘も頼んだ。名前はマリーだ。あばよ騎士団の兄ちゃん」
俺はその動作を止めようと座っていた木箱を後ろ足で蹴飛ばしながら手を伸ばした。
だが、俺の手は届かなかった。
「や、やめろぉぉっ!」
ナイフはするすると首筋の薄い皮を貫いて折れ曲がった刃先が見えなくなる。男が安からな笑みを浮かべると、色の無い辺鄙な村に綺麗な赤色が飛び散った。
○
馬を走らせて村から一日でルブリンの町に戻るとここで厄介になっている貴族、ライオネル・ポドルスキが部屋にやって来た。
「コルト君、ルベルスキの村はどうだったかね」
「ポドルスキ卿、国境沿いに限らず、町外れの村々は想定外の酷さです。本国には早急に援軍を送ってくるように要請を致します」
そう言うとポドルスキは深々と頷いた。
ポーランド大公国の東端にルブリンはある。かつてはスラブ人との交易で栄えた街だったが、この頃はたび重なるモンゴル軍の大遠征でその頃の栄光は失われつつあった。
だが、目の前にいるイカれた道化師のような衣装を着て胡散臭そうに微笑む男は優秀な統治者だった。どうやっているか詳しくは知らないが、なんとか町は運営されて人々はのびやかに暮らしている。
「ルベルスキの村は私の封地ではないからどうでもいいが、街道沿いでも無いルブリンから遥か南の寂れた村を襲ってくるとなると国中が危ういな。だが、そのためにコルト君がいるんだ。よろしく頼んだぞ」
コルトらのチュートン騎士団は近隣諸国に騎士を送っていた。特に、隣国であるポーランドとは蜜月の仲だった。
名目はカトリックの守護者たる騎士団が王国の尖兵となるということなのだが、実体はそうでもなかった。金持ちの貴族にいいように扱われる傭兵のようなものだった。
「しかし、モンゴルのヤツらとはな。連中、50年前の略奪に飽き足らず、またやって来たのか。まったく難儀な話だな」
「そのようです。収穫終わりの村を狙ったのでしょう。戦った男は全て殺され、糧秣と女子供を奪い去ったと聞きました」
ポドルスキは顎に手をやった。
「そうだ。それを忘れていた事があった。先日だが、ふらふらになりながら街へとやって来た。話を聞いたんだが『村が襲われた』としか喋らないんだ。きっと
きっとあの男が言っていた子どもたちなのだろう。
「ポドルスキ卿の仰る通りでしょう。村で似たような話を聞いております」
「それで、ここにやって来た襲われた村の子どもなのだが、君らの土地に送っていいぞ。守った守らなかったで不満を溜められるのも気分が悪いからな。子どもの10人や20人どうだっていい」
これが騎士を送った見返りだった。
生産力に乏しい騎士団は封地の労働力をこうやって賄ってきた。騎士団を送って王国を守る対価として農奴になるであろう労働力を貰っていた。
「わかりました。すぐに手配します」
「ちょうどコルト君のご主人さまから書状ももらっている。それがそうだね。手配をしてくれたまえ」
主人と違って狂った衣装を着ていない使用人が俺に書状を手渡して来た。宛名はポドルスキ卿となっており丁寧に封が破られている。
内容を流し読みする。先に言ったようなことが書かれていた。
「ありがとうございますポドルスキ卿。それと、封地の所有権云々に限らず、モンゴルの連中が攻め寄せた以上ヤツらの蛮行を放っておくわけにはいきません。国から騎士を呼び寄せて我々で巡察隊を組もうと思うんですがよろしいでしょうか」
「素晴らしい。それでこそキリストの守護者たる騎士修道会だ。住まい食料その他は我々が用意する。存分に戦ってくれ」
ポドルスキは両手をクロスさせて肩を抱いた。とても喜んでいるらしいのだがどこか気持ち悪い。
「村についてはもういいだろう。それと関係ない話なのだが、コルト君はここに来て半年近く経つというのにどこか他人行儀じゃないか?」
「は、はぁ、そうでしょうか」
カラフルで道化師のような装束を着たこの男は一応、出先の国の貴族だし、理由はどうあれ騎士団の庇護者となっているお得意様に礼は尽くして来た。それの何が不満なのだろうか。
俺は適当に相槌を打ち返すとポドルスキは深々と頷く。
「『ポドルスキ卿』じゃ面白みが無い。なんだったら私に好きな愛称を付けたまえ。なんだっていいぞ」
それなら「”イカれた道化師”で」と口から出そうになったが両手で口を無理やりふさいだ。
「……それではライオネル伯でどうでしょうか」
「うん。悪く無いな。ライオネルでいいぞ。子どもたちは屋敷で保護している。会ってきたまえ」
ポドルスキは手を打つと俺は頭を下げた。
部屋から去っていくと今度は使用人が俺の目の前で頭を下げる。
「ここでございます」
使用人に案内されて、屋敷の庭先に建てられた離れに子どもたちはいた。
小奇麗な調度品で整えられた部屋には、煤や泥濘の土臭い匂いと、故郷を奪われたという悲しみに満ちた感情が充満していた。
部屋に足を踏み入れた瞬間、10名ほどの子どもたちの視線が俺に集中した。信頼できる人間か値踏みをしているのか、親兄弟を殺されてもう何にも考えられないと言った感情の死んだ目、今度はどこに連れ去られるのかという世を憐れんだ目とまちまちだった。
そんな中、一人だけ全く違う目をした少女がいた。
「あんた騎士団ね。その十字の紋章と小奇麗な装束はそうでしょ。それで、いつあのモンゴルの連中をぶっ殺しにいくの?」
くすんだブロンド色の少女は俺の目を毅然と見つめてそう言った。手は固く握りこぶしを固めている。
「殺すとかそういう話じゃないから安心してくれ。俺はチュートン騎士団の騎士でコルトって言う。君たちを安全な土地に避難させに来たんだ」
俺が少女から視線を逸らしたように子ども達は俺から視線を逸らした。
「それじゃ名前を聞かせてくれないかな。そこのキミから……」
意図的に金髪の少女の反対側から話を聞きに行った。
最初はちょっと荒んでいた子どもたちも、丁寧に接するとやっぱり子どもだった。屋敷の応接間に置かれていたコケモモやイチゴをかっぱらって、子どもたちに手渡すと安心したように表情を崩してくれた。
そんな感じで村から逃げてきた子ども9名の話は聞き終えた。年齢は14歳から8歳とまちまち。
「そうか分かった。大変だったろうね。ありがとう。もう安心していいよ、大丈夫だからね」
最後に残ったのはさっきの金髪の少女だけ。
その少女は目鼻立ちの整った美少女だった。どこか気品で溢れていて村では求婚者に溢れただろうし、生まれが違えばどこかの貴族や王室に嫁いで両家の繁栄の礎となってただろう。
「……それで名前はなんて言うんだい。年はいくつかな」
「何よ。私はアンタの土地に行く気なんてないからね。村を襲った連中を絶対に倒すんだから」
俺を見つめて目を線にして微笑むと、ピシッと中指を立ててきた。さっきの言葉は取り消そう。俺を睨み付ける少女はとんだじゃじゃ馬娘だった。
「何が望みなんだ。近いうちにキプチャクの連中に鉄槌を下すために部隊は来るだろう。だが、女の子の居場所は無いぞ。無理を言ってついて来ても娼婦と間違えられてボロボロに犯されるのがオチだ」
怒鳴るように言いつけた。周りにいた子どもたちはドンびいていた。安穏に連れていく手筈だったのだが、プランはぶち壊しだ。
それと『キリスト教の守護者で教皇から知己を得た騎士修道会がそんなのでいいのか』ということを頭の中でロン毛の髭親父が囁いた気がするのだが、今から行う行為を考えればそんなものはどうでもいいし幻想にすぎない。ロン毛の髭親父を頭から吹きとばした
「上等じゃない。騎士に抱かれるんだったらお母さんも喜んでくれる。あのモンゴルの連中を殺せるんならそれでもいいわ」
少女は思っていた以上に骨があった。適当に脅せばしょぼくれると思ったけがそんなことは無かった。逆に反骨心を剥き出しにして俺の胸ぐらを小さな白い手で掴んできた。
俺が頭を掻いてどうしようか思案していると年長者の男の子が俺に話しかけてきた。
「コルトさん。僕たちはいいから連れて行ってあげてほしいんだ。その子はマリー・ロートっていうんだ。僕たちをここまで連れて来てくれた」
「……それは本当なのか」
「うん。みんなお父さんお母さんが死んじゃって泣き叫んでる時、涙を流さないでここまで馬車を引いてくれたんだ。町を出てすぐにマリーのお母さんの悲鳴が聞こえたって言うのに……」
男の喋った話と相違は無かった。
それに、マリーという名前には聞き覚えがあった。村で数少ない生き残りだったのに、俺の目の前で死んだ男の娘だ。
手違いで自殺をされて心残りだった。俺は深いため息をつく。
「お父さんお母さんを殺したアイツらを私は絶対に許さないし、ちゃんと弔ってあげたいの。だから泣かないでこの町に来たんだから。お願い。ここに残してもう一度村に行かせてほしいの」
マリーの目からは一筋の涙がこぼれた。あれだけ嘯いたのは骨何かじゃなく、さっきのは強がりだった。出会ってすぐだから分からない。だが、これが少女の本音なのだろう。
「……分かったよ。連れていく。ただ、迷惑だけは掛けるんじゃないぞ。本当に犯されても知らないからな」
マリーの頭に優しく手を置くと、マリーは演技の終わった操り人形のようにへたりと絨毯に崩れ落ちて足をぶるぶるとふるわせた。
俺は子どもたちに礼をすると自分の部屋に戻った。当然、崩れ落ちたマリーを左肩に抱えてだ。