最終話 絆はここに
――それは、あり得ざる剣戟だった。
いまはもう、ぼくの手の中から消失してしまった『光』。
それは漆黒の戦士の持つ闇の剣を容易く、なんの手応えも感じさせずに両断し。
その向こうにあったデューク・ストライドの胸を袈裟に斬り裂いていた。
漏れるのは、つぶやき。
誇り高い、黒き騎士の……つぶやき。
「――まったく、承知しているつもりではあったが。人間というものは、ときに魔族よりも悪辣になれる生き物であるらしい。そしてその本質は、何万年経とうと変わらぬのだろうな……」
返せる言葉は、ひとつもなかった。
最後の最後まで公正であろうとした彼に。
ぼくは、二度、三度と裏をかいて勝利したのだから。
折れた剣を手に、しかし彼は倒れぬまま、吐く血もなく続ける。
「結局は、我が『王』の言うとおりだ。人間の……『生命あるもの』の『悪性』は、救いきれぬ。――だが、一刀は一刀か。前言の撤回などという見苦しい真似はせん。レオンハルトよ、この戦いの勝者は……汝だ。
しかし、思い違いをするな。これは私個人の敗北であり、魔族の悲願達成を阻むものには成りえない。――さらばだ。また会うときがあるのならば、そのときまで、な」
その言を最後に。
誇り高き黒の騎士は、その身を虚空へと溶け消えさせる。
撤退したのだ。
戦う前に交わした約束を、破ることなく。
ふと思う。
人間の悪性。
裏をかいてでも勝利を得ようとする、狡猾さ。
『生命あるもの』のその姿に、その在り方に。
彼の主は、深い絶望を覚えたのだろうか。
あとには、ぼくとイリスの二人だけが残された。
その彼女が、唐突に大きな声を出す。
「ああっ! デュークを倒して手に入れるつもりだった『水の解読書』! 持って行かれちゃった!!」
そこでようやく思いだす。
デュークがここに現れたのは、六つの『解読書』をすべて揃えるためだ。
対するイリスは、それを阻止しようと動いていた。
彼女の持つ『風の書』は奪われていないのだから、それでよしとするべきなのでは、とも思うのだが。
「まあ、エリスフェールから聞かされてた大まかな『予定』には、沿ってるわけだけど……」
肩を落とすイリスの様子から察するに、ことはそう単純にはいかないらしい。
「あとは『風の書』に界王のことを加筆して、セレナに渡すくらいのことしかできないわね。『神』は見守り、与えるもの。『風の書』を託したあとは、『希望の種』を始めとした『均衡者』たちに期待しながら、見守りに徹するしかない、か」
「あ、その単語には聞き覚えが。確かデュークがやってくる前に、ぼくのことも『均衡者』とか呼んでいましたよね?」
「ああ、そういえば説明するのをすっかり忘れていたわね、ごめんなさい。――あ、これも実は『予定』に組み込まれてたりして。レオに『均衡者』として自覚を持ってもらうために」
「あの、さっきから何度も口にされている、『予定』というのは?」
「えっと、一段ずつ整理しながら話させてもらうわね? なかなかにややこしいことだから。――まず、あなたと会ったばかりのときに、私は『今回の件において、私に命じた者はいない。すべて私の独断でやっていること』という感じのことを言ったと思うけど、実はこの言葉自体、半分くらい嘘なの」
イリスは口を動かしながら移動し、斬竜剣を拾い上げた。
ぼくもそれに倣うようにして、やや離れたところに落ちている斬魔輝神剣のところまで歩いていき、手を伸ばす。
「嘘、ですか?」
「そう、嘘。レオも何度か耳にした覚えはあると思うけど、私の同僚にはエリスフェールっていう『アーカーシャー』を管理している女神がいてね。彼女が『アーカーシャー』から読みとった『未来の記録』を現実に成すために、私たちは動いているのよ」
「私、たち?」
「同僚は、他にも何人かいるのよ。一番親しいのはフィアリスフォールっていう女神かしらね。やたら年寄りくさい言葉遣いをしてるんだけど、こういった説明や説教は苦手っていう変わった娘なの。……あ、脱線したわね。ごめんなさい」
「いえ、どちらかというと、脱線させたのはぼくのほうかと」
お互い頭を下げあい、どちらからともなく苦笑する。
それから、イリスは人差し指を「ん~」と顎に当てながら続けた。
「ただ、不確定なところも多い『未来の記録』だから、私も大まかな流れしか教えてもらえてなくて。
今回で言えば、『魔道学会の本部で、斬魔輝神剣を持った『均衡者』と遭遇するから、その神剣を回収しつつ『風の書』を入手、そののちに界王に関する情報を加筆して、エルフのセレナに渡すように』って感じね。……あ、魔族が介入してくる可能性は……言われてたような、言われてなかったような」
「なるほど、だから『予定』と呼んでいる、と。……あ、じゃあぼくに『アーカーシャー』へのアクセス権限や斬竜剣を与えようというのは、完全に貴女の独断であるわけですか?」
「そういうことになるわね。『均衡者』に渡す分には大丈夫かなって。――それで、その『均衡者』に関してだけど。これを説明するには、まずこの世界の成り立ちというか、構造というか、そういうところから説明しなくちゃいけなくなるのよ」
「世界の成り立ち? 構造? 神話かなにかですか?」
ぼくの問いに、しかし彼女は首を横に振る。
「いいえ、神話の世界よりもさらに前のことになるの。階層世界のことは理解しているわよね? レオは実際に行ったわけだから」
「はい。ぼくの知る限りでは、『第四』から『アーカーシャー』のある『第八』までの階層が存在しているようですね」
「実際には、もっともっとたくさんの階層があるわけだけどね。でもとりあえずは、それに『第七階層世界には、『エリュシオン』と呼ばれる『楽園』がある』というのをつけ加えてもらえれば充分。
私はこの『第三階層世界』――『物質界』にも『楽園』を作りたいと考えているのだけれど、まあ、これは余談ね」
『エリュシオン』。
それは、ぼくの姉上が到達したいと願っている、『神々の住まう世界にある楽園』のこと。
なるほど、確かにぼくの持つ知識と一致する。
イリスはぼくの表情に納得の色を見たのか、満足げにうなずいてから。
「先を続ける前に、ちょっと座りましょうか。短い話ではないし、お互い、立っているのも辛い状態でしょうから」
それにぼくは同意のうなずきを返す。
先ほどの一撃を振るったことで、ぼくは精も根も尽き果てていたから。
腰かけるのは、一段高くなっている石段。
隣に座ったイリスは「デュークの張った人払いの結界は、まだ消えていないわね。うん、これなら邪魔が入る心配はしなくてよさそう」とつぶやいて。
「まず初めに。第九階層世界よりも遥かに高い階層、そこに住まう創造主が『この世界』を創造したわ。そして、私のような『純正の神』とでも呼ぶべき存在を『維持神』として創り、世界を発展させていくように命じた。
これは『純正の神』に限ったことではないのだけれどね、『神』は『光』を放出することで、別の『神』を創ることができるの。そう、『神霊』と呼ばれる存在を、ね。
ちなみに、これを私たちは『分光』とか『分霊』とか呼ぶのだけれど。逆に創られた側は『分体』と呼ばれることもあるわね」
「あの、さすがにちょっと記憶するべき事柄が多すぎるような気がするのですが……」
「え? ああ、ごめんなさい! えっと、じゃあ要点だけに絞るわね? 『純正の神』は『分光』を行い、『神霊』を創った。そして、その『神霊』もまた『分光』を行って、というふうに『神霊』はどんどん増えていったの。
でも『神霊』は、『純正の神』に比べれば受け入れられる『光』の量――許容量が劣る存在。そんな『神霊』が生み出した『神霊』は、当然、それよりもさらに劣化してしまう。
そうして生まれた『創られたばかりの神霊』と『純正の神』との間に圧倒的な『差』が生まれてしまうのは、道理というものでしょう?」
「ええ。むしろ『差』ができてしまわないほうがおかしいですね。――遠からずそうなることを、『純正の神』たちは誰ひとり予想できなかったのですか?」
「それこそ、まさかよ。創造主はすべてを見越し、早い段階から『第六階層世界』という場所を用意しておいたの。
『純正の神』と一口に言っても、許容量は神それぞれでね。許容量が大きければ大きいほど上の階層に住まうことができるようになるんだけど、私はどちらかというと、できが悪いほう。優れた『神』は『第九階層世界』の上段にいられたのに、私は『第七階層世界』の中段にいるのがせいぜい。
もちろん、魂を磨くことで上層に上がっていくこともできれば、私よりも下――『第七階層世界』の下段に住まうものもいたのだけれどね。たとえば、造物主とか」
「造物主? それは創造主と同一の存在なのでは?」
とんでもない、とイリスはポニーテールを揺らした。
「確かに字面は似ているけどね。創造主は『ゼロから『世界』を『創造』した、『世界』の『主』たる存在』、それに対して造物主は、『物質を造りだす存在』よ。創造主と同じように『創造』を役割としているようにみえても、その規模が違いすぎるわ。だって、創造主は『ゼロから、ありとあらゆる概念と法則を創りだした存在』で、造物主は『創造主から与えられた『光』を材料に、物質を造りだした存在』なんだから。
ちなみに私、造物主のことはあまり好きじゃないのよね、彼の性格的に。もちろん、好きだの嫌いだので判断してるから、私はいつまで経っても『第七階層中段存在』から上の存在になれないんでしょうけど」
嘆息する彼女に、ぼくは少し考えてから言葉をかける。
「それは……まあ、人格というものがある以上は、仕方がないのではないでしょうか? ウマが合う、合わないはありますよ、どうしても」
「ありがとう。優しいわね、レオは。でも『神』――『天上存在』は、そんな基準で他者を評価してはいけないの。『純正』であるかどうかなんて、関係なくね。
――さて、どこまで話したかしら?」
手の中の斬竜剣をもてあそぶようにしながら、彼女は高く空を見上げる。
同じようにすると、わずかに白み始めた夜空が、そこにはあった。
「やがて、許容量が少なくなり、もはや『神霊』と呼ぶことすらはばかられるような存在が、階層世界には多く創られたわ。そう、『神格』を得るに値しなくなってしまった者たちが、ね。私たち『純正の神』は、その者たちを『人霊』と呼んで区別し、『第六階層世界』の中段と下段に住まわせることにしたの。
『人霊』は自分が活動するための『光』を取り込むくらいの許容量しか持ち合わせていなくてね、『分光』を行えはしなかった。だから、さらに劣化した存在が生まれるという事態は起こるはずがなく、あとは『人霊』たちも自ら魂を磨き、上層へと上がってきてもらえれば問題はひとまず解決する。
私を始めとした大多数の『純正の神』は、そう気楽に考えていたのよ」
その先は、語られずとも予想がついた。
「現実は、違ったのですね? 上層に上がる『人霊』もいたけれど、それと同じくらい、『下層に堕ちてしまう人霊』もいた、と」
「ええ、まさしくそのとおり。ほどなくして、『第六階層世界』にすらいられなくなる『人霊』まで現れだした。これには私も慌てたわ。でも、それは予想してしかるべき事態だった。だって『純正の神』の中にも、『第八階層世界』から『第七階層世界』に堕ちる者はいたのだから。
でも、それと同じことを『人霊』にも当てはめて考えたのは、創造主とフィアリスフォール、それと造物主くらいのものだった。私を含めた大多数の『天上存在』はね、『人霊』の中にある『神性の欠片』――『善性』を、あまりにも信じすぎていたのよ。ええ、盲信といってもいいくらいのレベルで、信じていたの」
それは、責められるべきことなのだろうか。
人間の心を信じ、その中にある『善性』を信じ、『堕ちる』ことはないであろうと信じた。
それは果たして、責めを負わなければならないことなのだろうか。
「先回って『第六階層世界』を用意していたときと同様、創造主は備えとして『第五階層世界』を創っていた。当時は『第六階層下段存在』であった、四体の『精霊王』を『導き手』として降ろして、ね。
そして同時に、造物主が創造主に進言したの。『さらに堕落するものが必ず出てくる。いまのうちに、その受け皿も用意しておくべきだ』と。
それには、多くの『純正の神』が反発したわ。だって、前もって『下層』を創っておくということは、『人霊』の持つ可能性を否定し、『人霊は堕落していくものなのだ』と決めつけることに他ならないと思えたから」
「イリス、それは違います。ぼくたち人間も、罪人を罰するための法律を作っています。しかし、それは罪人が現れたときの『備え』でしかない。罰することが目的なのではありません。罰するべき人間が現れるから作るのではないのです。罪人が現れないことを祈りながら、それでも最悪の事態を考えればこそ、それを必要と感じざるをえなかった。
だからぼくたち人間は、法律を作り、牢獄を作り、裁きの場を作ったのです」
「ええ、わかっているわ。いまはちゃんと理解できているし、納得もしている。疑うことと信じることは、なんら矛盾しないんだと、ね。でも、あのときは……。
ごめんなさい、感情が入りすぎたわね。――造物主の進言を受け、創造主は『第四階層世界』を創ったわ。おそらくは、誰ひとり住まうことがないように願われて。
そして、それとほぼ同じくして、フィアリスフォールもひとつの案を提示したの。『魂をより迅速に磨くための場を創りだしてはどうか』と。『『人霊』に『肉体』という縛りを与え、願いが即座に実現しない『修行場』に放り込んでみてはどうか』とね」
「それが、『第三階層世界』――『物質界』ということなのですか?」
「理解が早くて助かるわ。『物質界』はね、確かに『効率のいい修行場』なの。楽しいことも辛いことも多く、それが、短くも充実した時間を過ごすことに繋がっている。そう、レオがこの一夜を、他の夜と比べて、とても長く感じているのと同じようにね。
さらに人間であれば、百年と経たずに『生』という過酷から解放され、階層世界における『在り方』のありがたみも実感できるようになる」
「階層世界における、『在り方』のありがたみ……?」
「あの世界では、視ようとしなければ見ることは叶わず、怪我も『治そう』と思わなければ治らない。でもそれはね、逆に言えば、視ようと思えば瞼を開かずとも見ることができるし、そうと願えばどんな致命傷も瞬時にして治癒するということなのよ。
この『物質界』には与えられなかった法則。それが、階層世界には当たり前のように存在するの」
「どんな致命傷も、ですか。なるほど、確かにそれはありがたい」
納得の響きを声に乗せてつぶやくと、イリスは微笑し、先を続けた。
「ただ、フィアリスフォールの提示した案は乱暴なものでもあったわ。それは確かに効率的ではあるけれど、生きることに絶望して自ら命を絶ち、『第四階層世界』の奥地――いまでは『地獄』と呼ばれている世界に堕ちる者が現れる可能性もあった。また、そういった者たちが『負の感情』を増大させて『魔』に呑まれ、結果として『魔界』を創りだすことだって、早い段階から危惧されていたの」
「つまりは、ひとつの賭けだったと?」
「『生命は決して消滅しない。ならばどれだけ奥深くに堕ちようとも、いつかは『神霊』となれるときもくるだろう』、それが、フィアリスフォールの言だったわね。まったく、気が長いというか、なんというか……」
同感だった。
『いつかは』などと言っているが、その『いつか』は、果たしていつ訪れるというのだろうか。
「創造主がなにをどのように捉えたのか、それは私には推し量れない。ただ結論として、『第三階層世界』こと『物質界』は創られた。まあ、そのときに
余波として『ビッグバン』という大爆発が起こったのには驚いたけれど。
――そうして、この『世界』は始まった」
「ようやく、内容がぼくたちの知る範囲になってきそうですね。まず行われたのは聖蒼の王スペリオルと漆黒の王ダーク・リッパーの激突、でしょうか?」
ぼくの知っている限り、神話は『最高神』と『魔王』の対決から始まる。
聖蒼の王は光の戦士や神族四天王と共に、漆黒の王率いる魔族の軍勢と戦ったのだ。
そして最後に光の戦士は、ぼくの使った<聖魔滅破斬>とは異なる、しかし同じく界王の力を借りて発動させる『禁術』を用い、漆黒の王を異世界と呼ばれる地へと追いやることに成功する。
そんなことを頭に思い浮かべていると、隣の少女が「いいえ」と首を横に振ってきた。
「生まれたのは、この宇宙。そして人間が地を満たした惑星には、『地球』という名が冠されたわ」
「チキュウ?」
聞き覚えのない単語に、ぼくは思わず首を傾げる。
彼女はぼくのほうへと顔を向けたまま、真剣な表情でうなずいて。
「ええ。――蒼き惑星と同様、地球にも魔術という概念はあった。この世界のものと比べれば微々たるものだけれど、大気には魔力が満ちていたの。でも、それは段々と失われていき、代わりに人間は科学技術というものに頼って生きるようになっていった。
その移行がスムーズだった理由は単純。『物質界』に生まれ落ちた人間たちの『導き手』となるよう命じられた造物主が、そういうふうに人間たちを導いたのよ。それはもちろん、一概に悪いこととは言えないわ。でも魔術という『神秘』が失われるにつれ、人間たちは『神々の実在』すらをも疑い、訝しむようになってしまった。
それを看過することは、さすがにできなくてね。私たち『純正の神』は急遽、造物主の権限を取りあげることにしたの。代わりに『最高神』となったのは、あなたも知っている存在である界王」
そこでようやく、疑問の解が得られたような気がした。
しかし不確定な要素も、また多い。
なのでぼくは、口をつぐんだまま彼女が語るに任せることにした。
「まず界王は、造物主を『物質界』に顕現できなくなるまで打ちのめし、新たな『導き手』となったわ。そして再び大気に魔力を満たし、人間が魔術を使うための土台を整えた。
このあとは、同じ天上存在である『闇を抱く存在』と協力して人間たちを導いていってほしかったのだけど、界王にも界王なりにやりたいことがあったみたいでね、己の『分霊』として生みだした『スペリオル』と『リッパー』に『導き手』としての使命を委ねたの」
「それが、聖蒼の王と漆黒の王の誕生ですか。……なるほど、ぼくたちが『最高神』としている聖蒼の王は、その実、『純正の神』ですらなかった、と」
「まあ、そうね……。でも誤解のないように言っておくけど、当時の『スペリオル』と『リッパー』は、どちらも『第六階層上段存在』――『神格』を持つ『天上存在』だったのよ?」
「漆黒の王も、ですか……?」
「ええ。もっとも、その身の一部を人間として転生させた際に『魔』に堕ちてしまったわけだけれど。それくらい危険なことでもあるのよ、この世に生まれ落ちるというのは。
ともあれ、こうして『地球』は『蒼き惑星』と名を変えて、人間たちも新しいステージへと移行した。ところがね、ここで大きな問題がひとつ。その人間たち――旧人類は、魔術も使えなければ『神』としての『スペリオル』を認めることもしなかったの。そしてそれに憂いを覚えた『スペリオル』は、本能的に魔力を認識できる新たな人類――新人類を創ったのよ。
数多くの『人霊』――すなわち、あなたたちをね」
「そして、旧人類は新人類によって完全に駆逐され、ぼくたち新人類が新たな『地の支配者』になった、と?」
「少し、後味の悪い話だけどね。――なんとなく感じてくれてるとは思うけど、『スペリオル』のやったことは決して褒められたことではないわ。むしろ私は、自分勝手なことだとすら思ってる。
それは『スペリオル』本人も自覚していてね、のちに彼女は『神格』を自ら放棄し、『第六階層下段存在』となった。もっともあなたたちは、それからも変わらず、『スペリオル』を聖蒼の王と呼んで『最高神』と祀り上げているようだけれどね」
「うっ……。しかしそれは、詳しい事情を知らないのですから、無理もないことなのでは……」
「そう、無理もないことなのよ。だから気に病む必要はないわ。――さて、前置きはここまでね。本番はここから。
神話にある聖蒼の王と漆黒の王の戦いが、漆黒の王の敗北――正確には、漆黒の王の『異世界追放』に終わり、『物質界』にはひとまずの平和が訪れたわ。もちろん、ちょこちょことした小競り合いは幾度となく起こっていたけれど。
でもね、蒼き惑星歴1900年から1910年、どうもこのあたりに『大分岐点』とでも呼ぶべきものが存在しているようなの」
「大分岐点、ですか?」
「ええ。『物質界』だけではなく、階層世界をも含めた『世界』が滅ぶかどうかの、『ひとまずの平和』を揺るがす、大分岐点」
いまは蒼き惑星歴1903年、闇の月。
その『大分岐点』に差しかかってから三年が過ぎようとしている。
「まず最初、『世界』は1902年に滅ぼされた。異世界から召喚された――いえ、呼び戻された漆黒の王の『一部』によって、ね」
「それは――」
この中庭で彼女と対峙する直前にした会話のことを思いだす。
彼女は言った。
人間は、魔術を使うのと同じ感覚で魔王の召喚を行いかねない、と。
そして、それが現実に起こったことをぼくは知っていた。
いまから約二年前のことだ。
当時はスペリオル聖王国という名を冠していた、スペリオル共和国。
その首都の付近で、あのデューク・ストライドよりも強大な力を持った『魔』の気配を感じた。
その気配自体は、二日と経たないうちに消失したが。
のちに、この魔道学会本部が緊急召集令を出した際に、聞かされることになったのだ。
復活したのは、紛れもなく漆黒の王の『一部』であった、と。
それを『運よく』、自分たちは倒すことに成功したのだ、と。
その話をしてくれた少女の名は、いまは共和国制となった、かつての聖王国の第二王女、ミーティア・ラン・ディ・スペリオル。
正直に告白しよう。
そのとき、ぼくと姉上は戦慄した。
なにかがひとつ違っていれば、そのときに世界は、漆黒の王の手によって滅ぼされていたのだと知って。
そしてイリスの口から飛び出てきたそれは、その『なにか』がひとつ違った過去の予想図に他ならなかった。
息を呑むぼくに、イリスは淡々と続ける。
「『物質界』を滅ぼしたあと、漆黒の王は魔族の軍勢を率い、階層世界に攻め込んできたわ。そして『第四』から『第六』までの階層世界を跡形もなく消し飛ばした。もちろん、魔族たちは私たち『天上存在』がそこで食い止めて、創造主がそのほとんどを強制的に浄化したけれどね。
でも、それは最後の手段だった。私たちに許されているのは、自ら魂を浄化、磨くためのお手伝いをすることのみ。たとえ創造主であっても……ううん、創造主であるからこそ、強制的に浄化なんて、絶対にやってはいけなかった。
漆黒の王を始めとした魔族たちはね、二度と自分たちの罪を自分たちの心で裁けなくなってしまったの。向上する意思を、持てなくなってしまったの。そうなってしまっては、『修行場』なんかに価値はない。『救い』なんかに意味はない。
もとより、その修行場を使う『人霊』そのものも、すべて『魔』に堕ちてしまったあとだったしね」
「…………」
「けれどその中に、小さく輝くなにかがあった。それは、とてもとても弱い煌きだったけれど、藁にもすがる心持ちで創造主は『それ』へと手を伸ばしたのよ。
それは、光の戦士ゲイル・ザインだった存在と。そして、それと刃を合わせる漆黒の戦士デューク・ストライド。彼らの魂にはね、『魔』に堕ちてもなお、『騎士の誇り』があったのよ。それが、わずかながらも彼らの魂を輝かせていたの。
それを見て、創造主は喜んだわ。これなら、時計の針を前に進ませることにも意味はある、と。そうして私たちは『第七階層世界』にある『エリュシオン』へと退避し、創造主が世界を新たに創造するのを待つことにした。そして創造主は、もう一度『世界』を創造した。そう、『第六』から『第三』までの、すべての世界を」
「それはつまり、時間を巻き戻したということですか?」
「いいえ、違うわ。現象としては、そう大差ないのかもしれない。でも、時計の針は間違いなく前に進んでいるのよ。過去の失敗を糧にして、より良い世界を、今度はすべての存在が幸福になれる世界を創ろうとしたの。――そして、これが『一回目』」
「一回目……」
「ええ、一回目。――地球が誕生し、蒼き惑星に移行し、そして再び蒼き惑星歴1902年が訪れる。
そうして――まるでそれが当然であるかのように、世界はまったく同じ結末を辿った。創造主や私、フィアリスフォールやエリスフェール、そして造物主は前回の記憶を持ち越して臨んだのに、それでも、なにひとつ変わることなく……」
「イリス……」
「でも、私たちは折れなかった。すぐさま二回目に取りかかった。創造主が『二回目の世界』を創造した。今度は世界に『いくつかの修正』と『希望の種』という名の『世界の延命を促す存在』も創って、ね」
「それで……どうなったんですか?」
返ってくる答えは、半ば予想がついていた。
しかし、促すくらいの役には立ってくれるはず。
案の定、イリスは首を横に振り、高い天を仰いだ。
「創られた『希望の種』は『ファルカス』と『サーラ』という二人の人間だったのだけれどね、結果は散々だったわ。
知恵の実を食べて『楽園』を追放されたアダムとイヴは、地上で子孫を残し、やがて地を満たした。――私たちは二人の『希望の種』に、魔王を倒したのち、その再現をしてほしいと望んだんだけどね、やっぱり『ひとりよりふたり』というほど単純にはいかないみたいで。
それに『三回目の世界』では、さらに厄介な事態が生じたの」
「どんな、です?」
「おそらくは、漆黒の王が飛ばされた『異世界』からやってきたと思われる存在、私たち『生命あるもの』共通の敵――『支配者』と名乗る存在が、この『世界』に介入してきたのよ。この『世界』に住まう者たちの『在り方』を観察し、ときにかき回すために。もっとも彼の本当の目的は、創造主にも掴めていないようだけれどね」
「――『支配者』……」
「まあ、それはいいわ。彼はね、現在だけではなく、未来においても創造主を悩ませている存在だから。冷たい言い方になっちゃうけど、私じゃ創造主の力にはなれないの。なりたくても、なれないのよ。私個人じゃ『支配者』そのものには太刀打ちできそうにないの。
だから、私は私にできることをやろうと思ってる。そう、『わたしにできる、あらゆることを』。――『三回目』で創られたのは、皇帝騎士団という『希望の種』を支援する集団だった。これが『均衡者』。世界の均衡を保つ存在」
「すなわち、ぼくや姉上のことですか」
「いいえ、残念ながら違うわ。これは『三回目』に限った話なのだけれど、あなたは皇帝騎士団には名を連ねていないの。もちろん、あなたのお姉さんも」
「どういうことです?」
「単純な話よ。単に『因子』を授けられなかった、というだけのこと。当然『三回目の世界』でのあなたは、いまほどの強さを得てはいないし、斬魔輝神剣を手にしてもいない。その役割は、もっと少数の人間にのみ与えられていたから」
「けれど、いまはぼくが『均衡者』として皇帝騎士団に所属している。これが示すところはひとつ。『均衡者』をもっと増やさなければ、漆黒の王のもたらす『破壊』には『均衡』できないと判断されたんですね?」
ぼくの言葉にイリスは「ふふっ」と微笑い、
「本当に理解が早くて助かるわ。――『ファルカス』と『サーラ』は皇帝騎士団という『均衡者』の協力を得て、復活した漆黒の王の『一部』と戦った。でも、力及ばず敗北したの。そして、『三回目』の世界も1902年で終わってしまった。
このときにね、『支配者』が創造主に言ったのよ。『人間に寿命があるように、世界にもまた寿命はある。それが形を成したのが『世界破壊者』という『破壊神』なのだ』とね」
「『世界破壊者』……?」
その単語には、聞き覚えがあった。
『アーカーシャー』にアクセスして得た知識。
この大陸ではない『どこか』でイリスと共にいた少年、ルアルド・デベロップ。
その彼が、確かそう呼ばれていたはず。
「あの、漆黒の王が『世界破壊者』だというのなら、イリスと共にいたルアルドという少年もまた、『魔王』ということになるのですか?」
「あ、私が彼と一緒に旅をしていた頃の『記録』を見たのね、レオは。――別に『世界破壊者』と『魔王』はイコールじゃないわ。『世界』に『長く生きすぎてますから、そろそろお亡くなりになったほうがいいですよ』と『寿命』を告げにきているだけの存在なのよ、『世界破壊者』っていうのは。
もっとも、その説を強く信じているのはフィアリスフォールくらいのもので、私を含めた大多数はまだまだ抗う気満々でいるけどね。だって、ただ『破壊すること』だけを望む、はた迷惑な『世界破壊者』候補だって数多く存在するのだもの。とてもじゃないけど、そちらは『世界の寿命』だなんて認められないわ」
「なんというか、よく、そこまで抗い続けようと思えますね……」
「正直、何度も絶望しかけたけどね。でも、今回にしてようやく希望が見えたの。それを認識すれば、誰だって『まだまだやれる』って思うようになるわよ。……あ、ごめんなさい。これじゃあなたにはサッパリよね。ちゃんと順を追って話さないと。
話は戻って、『四回目の世界』の創造。私たちはこの一連の流れを指して『回数世界』って呼んでるんだけど、まあ、これは余談ね。
『四回目』に関してはね、漆黒の王は『世界破壊者』かもしれない、という先入観を抱きながら状況を見守ってみた、の一言に尽きるのよ。『世界破壊者』という存在――いえ、『概念』のことを語ったのは、私たちの共通の敵である『支配者』だけなんだもの。それは果たして本当に真実なのか、と疑いたくもなるわ」
「つまり、これといったことはやらなかった、と?」
「やらなかったんじゃなくて、やれなかったの。どういうふうに世界が破壊されるのかを、私たちは一度も客観的に見たことがなかったから。それに当の『支配者』の邪魔もあったしね。
そして次に迎えた『五回目の世界』。ここでようやく、レオたちは『均衡者』になったわ。でも斬魔輝神剣は召喚されると同時に私が回収しちゃってね、どうも『五回目』においては、これが失敗に繋がったみたい」
「なるほど。それで次の世界では放置することに決めた、と?」
「そういうことね。シュヴァルツラント家に召喚されるのはわかっていたし、『均衡者』となったあなたが真っ直ぐな人間に育つこともわかっていた。だから『六回目の世界』――つまりは今回、私は神剣を回収せずに状況を見守ってみることにしたの。
また『希望の種』も、四人ほど増やされた。先ほど名前が挙がっていた『ミーティア』がその筆頭ね。そしてあなたもご存知のとおり、蒼き惑星歴1902年。スペリオル・シティに姿を現した漆黒の王の『一部』は、ついに『ミーティア』たちの手によって倒された」
「ようやく『世界破壊者』に勝れた、というわけですね。……しかし――」
「ええ、わかっているわ。だから『世界が滅ぶかどうかの『大分岐点』は1910年まで』って前置きしたの。蒼き惑星歴1910年くらいまでは気が抜けないのよ、『アーカーシャー』で『未来の記録』を見た限りでは、ね。
現に、いまリューシャー大陸には『漆黒の王の完全復活』なんて噂が流れてるし、それに呼応するように魔族だってあちこちで暴れてる。『世界破壊者』という『世界の寿命』から逃れられたのなら、こんなことは起こりえないはずだもの」
「しかも、その『大分岐点』にしたって、1910年を超えればもう二度とやってこない、という保証はありませんしね」
「うっ、ちょっと嫌になるくらい鋭いわね、レオって。その可能性には、私だってちゃんと気づいてるわよ? でも、だからこそ、できれば指摘されたくなかったわ……」
「あ、すみません……」
反射的に頭を下げると、彼女はぼくへと苦笑を投げかけてきて、
「別に、謝ることじゃないわよ。目を逸らしたがっている私のほうが臆病なだけなんだから。それにルアルドのことに触れるなら、その可能性を無視することはできないしね」
「なぜ、そこで彼の名が……?」
「言ったでしょう? 今回にしてようやく希望が見えたって。――私が人間に転生してルアルドと共に旅をしたのはね、大体、蒼き惑星歴2200年くらいのことなのよ。つまりレオは、この『世界』が1910年を無事に越えられる『可能性』を見てくれたの。
ちなみに、2200年を生きた私がこうして1903年に来れているのは、私が階層世界を通って戻ってきたから。階層世界には過去、現在、未来の時間が並行して、かつ無数に流れているのよ。だから『神』であれば、『死後』にこうして過去に戻ってくることもできるの。
『未来』というものは、過去によって『決定』されるまでは『虚無』。これはエリスフェールの口癖だったわね。その『未来』が訪れる可能性は常に存在してるんだけど、『現在』を『未来』に『繋げる』のは、過去に生きる人間たちにしかできないことなのよ。私たちにできるのは、その『繋げる』のをお手伝いすることのみってわけ」
「つまり、あと一時間後にでも『世界』が滅びてしまえば、あの『未来の記録』は幻も同然と消え去ってしまうのですか?」
「いいえ、消えはしないわ。だって、あれは紛れもなく私が生きた時間なのだから。でも『可能性のひとつ』として、『アーカーシャー』にある『記録』の中で視ることしかできなくなってしまうわね。
そして、あなたが指摘したこと。『大分岐点はひとつだけとは限らないのではないか』。それは、まったくもってそのとおり。ルアルドは『世界破壊者』よ。その『同類』であるカレルもそう。だからきっと、2200年付近も『大分岐点』といえるんだと思う。
つまるところ、身近に迫る危機を回避できても、この『世界』には、いずれ異なる破局が訪れるっていうこと」
口にできる言葉はなかった。
彼女が身を投じている戦いは、不毛かつ果てのないもの。
それを、知識としてのみであっても、知ってしまったから。
「でも、私はそれでもいい。多くの『生命あるもの』の営みを、可能な限り永く見守り続けたい。叶うことなら、永遠に。
ルアルドはね、『世界破壊者』であると同時に、『救世主』という『強い光の持ち主』でもあったの。『希望の種』や『均衡者』と違い、能動的に世界を救える『力』を持っていたのよ。『世界破壊者』でありながら、ね。
そして、私はこう思っているの。『救世主』は『支配者』に対抗しうる唯一の存在なんじゃないかって。フィアリスフォールも、『世界破壊者』は『支配者』が生み出している『世界への呪い』なのでは、という推測を立てていたしね。
だから、私はなんとしても『世界』を2200年まで存続させたい。そのために『世界破壊者』に抗おうって決めたのよ」
その『金色の決意』は、きっと。
『世界破壊者』にして『救世主』でもあった少年と共に旅をしたからこそ、抱けたものなのだろう。
ぼくでは、彼女の支えにはなれないに違いない。
それでも――いや、だからこそ。
これだけは、訊いておきたかった。
上手くはぐらかされるかもしれないけれど、訊いてはおきたかった。
「――イリス、不躾かつ下世話な質問をすることをお許しください」
「うん? なにかしら?」
「あの……やはり貴女は、いまもルアルドのことを愛していらっしゃるのですか?」
訊いてから、答えが返ってくるのが怖くなった。
対して、イリスは小鳥のように首を傾げる。
「もちろん、愛しているわよ? 当然じゃない」
その返答にぼくが覚えた感情は、落胆……だったのだろうか。
よくは、わからなかった。
なぜなら、そうあるべきだと思う感情も、ぼくの中には確かにあったから。
だから、ぼくの中には安堵も――
「あ、当然、レオのことも同じように愛しているわよ? だって私が慈しむべき、『生命あるもの』なんだから」
その言葉に、ぼくは一瞬凍りつく。
しかし沈黙の時間は短く、ぼくは再度の問いを投げかけた。
「いえ、ぼくが訊きたかったのは、そういうことではなく……。こう、人間としてといいますか、異性としてといいますか……」
そこまで口にしてようやく頬を染める。
「あ、そういう……。う~ん、困ったわね。正直、いまの私にはよくわからないから……」
「わからない?」
「ええ。もちろん、好意は抱いていたと思うわ。異性として見ていたとも思うし、もしかしたら恋愛感情だってあったのかもしれない。でも、いまとなっては曖昧なのよ、そのあたりの『想い』は。
だって、いまの私は『天上存在』なんだから。人間相手に、そういう感情は抱けないわ」
「そう、なのですか……」
胸に宿る感情は、今度こそ紛れもない落胆だった。
まるで、胸が張り裂けるかのよう。
予感はあった。
階層世界から戻ってくるときに、その予感は確かに覚えた。
そのうえで、現実になるのだろうと覚悟して、ぼくはこの世界に戻ってきた。
けれど、こうして現実に起こってみると――。
――思い知らされた。
『神』になるというのは、こういうことなのだ、と。
すべての人間を分け隔てなく愛する存在は、しかし、特定の『個人』を好きにはなれないのだ、と。
それはつまり、ぼくがいまここで想いを告げたとしても、無駄ということ。
その告白を聞いた彼女は、きっと『私もよ』と微笑んで。
レオンハルトを、『愛すべき人間のうちのひとり』として。
ぼくという『個人』としてではなく、『生命あるもの』として。
ただただ、なんの見返りもなく、『愛して』くれるのだろう。
――ああ、それはなんて。
なんて純粋で残酷な――『愛』のカタチ。
それをぼくは、『アーカーシャー』の『記録』を見たときに理解していた。
イリスの支えとなっている少年、ルアルド・デベロップ。
現在の彼女が彼に向けている『愛情』もまた、その純粋で残酷なものなのだと、理解できていた。
イリスにとって、ルアルドは特別な存在だ。
しかし、その彼をしても、ぼくに向けられたものと同じだけの『愛』しか得ることは叶わないのだ。
むろん、それ以上の『愛』を望むのは、間違っているのだろう。
それが『人間』が『神』から与えてもらえる、最上級の『愛』なのだろう。
だが、与えられる『愛』が平等であるのなら、与えられるそれが均等であるのなら、それは『無関心』となにが違おう。
果たしてそれは、本当に『愛された』と呼べるのだろうか。
おそらくは、それが。
『神は無慈悲だ』といわれる所以。
それはきっと、人間が勝手に抱いている錯覚なのだろうけれど。
それでも、人間の主観においては。
『誰にでも与えられている』ということは。
『与えられていない』ということと、同義だから――。
それを理解してなお、『神』に告白できる人間などいるのだろうか。
少なくとも、ぼくにはできなかった。
『神』に抱いた恋心は、決して叶うことなどなく。
ただただ、この胸のうちに仕舞っておくのみ。
それが、結末。
『神』ならぬ身でありながら。
『神』に恋心を抱いてしまったぼくが得た、結末だった――。
「――さて、私から説明できることは、これで全部ね。それで、ここからはあなたへの『お願い』になるんだけど」
まだ疲労が残っているだろうに、勢いよく立ちあがる少女。
そんな彼女に顔を向け、痛む心のうちを悟られぬよう、平静を装って口を開く。
「お願い、ですか?」
イリスは「ええ」とうなずいてポニーテールを揺らした。
「『天上存在』としてのお願いと、私という個人からのお願い。……聞いてもらえる?」
「……わかりました。聞きましょう」
口許に浮かべるのは、微笑。
きっと、少しだけ歪んでいるであろう、微笑み。
それに気づいているのかいないのか、彼女もまた笑みを浮かべ。
「『天上存在』としてのお願いは、とても単純。皇帝騎士団のメンバーとして、『均衡者』のひとりとして、これからもこの世界の『均衡』を保つのに尽力してほしい、というもの。
そして、私個人からのお願いは……」
そこで、イリスはわずかに言いよどむ。
まるで、子供が親にワガママを聞き入れてもらえなかったときのような、そんな、悲しみに満ちた表情になって。
「もし、あなたが『世界破壊者』や『支配者』と会うことがあれば、その活動を邪魔してほしい。いえ、できることなら、その存在を撃破してほしい。……もちろん、不可能なことだとわかってはいるけれど……」
そんな彼女の表情を見ていたくなくて。
ぼくは、ほんの少しばかりの強がりを口にする。
「――不可能と断じるのは、早計ですよ。『未来』は確かにある。『可能性』は必ず存在する。ならば……ならば、努力する価値も常にある」
「レオ……」
「あなたの願いを聞き入れることは、できないかもしれません。けれど、約束はしましょう。もし『世界破壊者』や『支配者』と遭遇したときには――そのときには、必ず、微力を尽くして戦うと」
「ありがとう、レオ。――ええ、お互い頑張りましょう。蒼き惑星歴2200年がくるように、私の『始まり』の日が訪れるように、『救世主』が『支配者』を打ち倒すそのときに、繋がるように」
「はい。そのために――貴女のために、ぼくはこの剣を振るい続けましょう」
そう口にして、ようやく気づいた。
ぼくの手の中にあるのは、『魔殺しの神剣』。
『物質界』に在るべきではない、伝説級の魔道武器。
「――イリス、最後の儀式を」
休息を求める身体に鞭を打ち。
ぼくは先に立ちあがった彼女と正対した。
「貴女が回収するべきこの剣を、ぼくの手で、貴女に」
右手を柄に、左手を刀身に当て、神剣を差し出す。
「ええ。ありがとう、レオ。いまだから正直に言うけど、その剣を手にしたあなたから神剣を力ずくで取り戻すなんて、私には絶対に不可能だった。私は、『生命あるもの』との戦闘には、特に向いてないから。
だから、こうしてレオが自分の意思で返してくれない限り、この剣の回収は不可能だったのよ。だから、無事にこの結末に至れて……本当によかった」
穏やかに言葉を紡ぎながら、イリスはしかし、神剣を受けとることはせず。
「でも、順番が逆。まずは私からこの剣を受けとってもらわないと」
「斬竜剣……。ええ、そうでしたね」
そうして、ぼくは緑色の刀身を持つ剣を受けとり。
彼女もまた、ぼくの差し出した剣へと手を伸ばした。
「うん、これで回収完了。本当に感謝するわ、レオ」
「いえ、感謝の言葉を述べるべきは、ぼくのほうです。その剣がこの世に在ることを、いままでずっと見逃していてくださって、本当にありがとうございました」
「そんな、それこそ感謝されるようなことじゃ……」
ぼくの言葉に、イリスは少しばかり困ったような表情を浮かべた。
もしかしたら、他者から感謝されることに慣れていないのだろうか。
少し考えてみて、思い当たる。
そういえば、彼女の存在を知っている人間は、果たして何人いるのだろうか、と。
きっと、そう多くはないだろう。
なら、感謝の言葉に免疫がないのも、無理からぬことなのかもしれない。
そこまで考えて、ふと彼女に告げたい言葉が頭に浮かんだ。
それは告白ではなく、もっと優しく、純粋な――。
「イリス。お別れの前に、ひとつだけ祈らせてください」
「え? 祈らせて……?」
もっと優しく、純粋な、祈りの言葉――。
「はい。――貴女の歩んでいく未来に、幸多かれ、と」
もう、貴女は人間ではないけれど。
それでも、幸福な人生を歩めるように。
そうと呼べる未来に、辿りつけるように――。
ぼくの言葉に、イリスは驚いたように目を見開き。
それから、見たこともないような穏やかな表情を浮かべて、瞳を閉じた。
両の手を、彼女は左の胸に当てて。
「ルアルドはね、なによりも高く、誰よりも強い、至高の存在だったの。そして、それだけに孤独な人間でもあった。誰も、彼の幸福を願うことはしなかったのよ。少なくとも、私の知る限りでは、ね」
穏やかに、しかし、寂しげに。
「だから、私は願いたいと思った。そして、ただひとり彼の幸福を願った。もちろん、それがどれだけルアルドの支えになっていたのかはわからない。そもそも、そう願ってくれる人がいるという事実が、どれだけ心を支えてくれるのかも、当時の私はわかっていなかった」
そこで、イリスは瞳を開けて。
けれど変わらず、寂しげに微笑んだ。
「『天上存在』に戻ったいまなら、わかるわよ? そう願ってくれる人の存在が、どれだけその孤独を癒してくれるかが。
でも、それを理解できたときには、私の幸福を願ってくれる人なんて、ひとりもいなくなっちゃってた。少なくとも、人間に幸福を願われることは……なくなっちゃってた。
でも、あなたは――」
一度、切られる言葉。
けれど、しばしの沈黙ののちに、その先は続けられた。
「――あなたは、そんな私の幸福を祈ってくれるのね。それだけで、本当に報われるわ。
ええ、あなたのその『祈り』だけで、充分に私は幸福になれた。――ありがとう、猛き獅子」
イリスの目の端には、涙。
けれど、微笑みは崩さずに。
「――さあ、もういい加減に行かないと。もうじき夜も明けて、学会の人間たちが起きだしてもくるでしょうしね」
「そう、ですね……」
返す言葉は、それだけに留める。
ぼくの想いは、胸に秘めたままでいい。
縁は――絆は、確かに『ここ』にあるのだから。
目に見えるものも、見えないものも。
「では、ここでお別れとしましょう、イリス」
「そうね。名残は、尽きないけれど。――またね、レオ。次に再会するときも、今回と同じように、『世界』を護る『同志』として」
「はい。共に戦う、『同志』として」
ぼくの言葉に、満足げにうなずいて。
そうして彼女は、虚空に溶け消え、去っていった。
やがて、ぼくは天を仰ぎ見て、つぶやく。
「――繋がりはある。絶たれてなど、いない。しかし、だからこそ痛むということも……あるのですね」
こぼす言葉は、それが最後。
夜が明けきる前に、ぼくは魔道学会の本部をあとにする。
これからも永遠に抱いていくであろう彼女への想いを、胸に秘めて。
おそらく、ぼくが誰かを好きになることは、もう二度とないだろう。
それはきっと、人間の身でありながら『神』に恋をした者の定め。
どれだけ優しい聖女であっても。
どんなに優れた人格者であろうとも。
『女神』である彼女よりも心を惹かれる女性なんて、きっとこの世にはいないだろうから。
1903年は、もうじき終わる。
次にやってくるのは、1904年の光の月だ。
その前に『世界』が終わるなどということは、絶対にあってはならない。
ぼくの幼年期は、今日をもって終わりを告げた。
だから――行こう。
想いは胸に。
されど、絆はここに。
その二つがあれば、きっとぼくはどこまでだって行けるはず。
彼女は、この地上にも『楽園』を作りたいと願っていた。
それを、いつかぼくも見てみたいと思う。
そのためには、なんとしても現在を乗り切らなければ。
そう決意を固めながら、ぼくは目覚め始めた街の中を進んでいく。
『均衡者』として、未来をより良いものへとしていくために。
彼女のための騎士として、遥かな未来――蒼き惑星歴2200年へと『現在』を繋げるために。
そして、もし叶うのならば。
遥か天上に住まう貴女の胸に。
ぼくの『祈り』が、永遠に在り続けますように。
どうか、いつまでも――。
――『スペリオル外伝~絆はここに~』―― 完
短期集中連載『スペリオル外伝~絆はここに~』、これをもって完結です。
最後を締めるサブタイトルは、メインタイトルと同じく『絆はここに』。
目次ページのレイアウトも、この最終話の投稿をもって、ようやく理想の形になりました。
今回は伏線の回収やら、根底にある設定の種明かしやらでかなり長くなってしまいましたが、それに見合う面白さになっていれば、あるいは最後まで読んでよかったと思ってもらえるようなラストになっていれば幸いです。
ちなみに『外伝』だけあって、主たる問題はなにひとつ解決していません。
ええ、『魔王の完全復活』に関しても放置されたままです。
この事件の完全収拾は、イリスフィールが言っていたように『希望の種』たちが行うことなので。
このあと、この事件はどのようにして収拾されるのか、また、そのあとの『蒼き惑星』では一体なにが起きるのか。
それが気になった方は、ぜひ『彩桜学園物語~在りし日の思い出~』の『フィアリスフォール編』を読んでみてください。
こちらは『地球』を舞台にした学園恋愛モノなのですが、そういった根底の部分で繋がっていますので。
いえ、もっというなら、僕の作品はすべてのものが根底で繋がっているのですよね。
そもそも、この『絆はここに』だって、終わってみれば『在りし日の思い出』の伏線の塊となってしまっていますし。
さて、最後に。
この物語を最終話まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
しかし、この『世界』を舞台にした物語は、まだ全然終わっていないというのも事実。
『絆はここに』の連載前から『スペリオルシリーズ』を読んでいてくださった方はもちろん、この物語で僕の作品を知った方にも、この先の物語にもつきあっていただければ、と思います。
それでは、また別の作品でお会いできることを祈りつつ、今回はこのあたりで。




