第六話 激突双黒
目を開く。
まず視界に飛び込んできたのは、イリスの顔だった。
心からの安堵を隠そうともしない、その表情。
次いで、身体から痛みという痛みがすべて消えていることに気づく。
「――あ……」
いや、それだけではなかった。
魔風王に斬り刻まれた全身の傷や、デュークに刺し貫かれた胸の傷だけではなく。
服が、銀色の鎧が。
すべて元通りの形に修復されていた。
それは、ただの回復魔術では絶対に成しえないこと。
「意識はしっかりしてる? レオ」
頭上からは声。
ぼくをこの世界へと呼び戻した少女の声。
それにぼくは力強く答える。
「はい。……格好の悪いところを、お見せしてしまいましたね」
彼女――イリスフィール・トリスト・アイセルは苦笑して。
「それはお互いさま。――で、もう立てるわよね?」
無言でうなずき、立ちあがった。
顔をあげれば、前方には銀髪の青年が立っている。
「冥土で迷い、あげくの果てには『こちら側』へと舞い戻ってきたか。やはり、『魔』に堕ちた者の祈りは聞き届けられぬものだな」
詰まらなさげにつぶやきながらも、しかし、なにかを嘆くように目を細めるデューク。
「だが、結末は変わらぬ。人の子よ、魔風王を撤退させたとて、汝の力など微風も同然。私の意志を阻む障害とは成りえない」
まったくもってそのとおりだ。
ぼくはしょせん『肉体』という器に縛られた人間。
それが魔王に適う道理は存在しない。
つい先ほど、一度の突きで命を散らされかけたのが、その証左。
「しかし、漆黒の戦士よ。それでも退けないときというものが、人間にはある」
「吠えるな、幼き獅子よ。天上の存在を背にしなければ立てぬ幼子よ」
「軽んじるな、騎士よ。いまのぼくは、先ほどのぼくとは違う。頭に血を逆上らせ、冷静さをかなぐり捨てていたときのぼくとは違う。いまのぼくであれば、貴様の意志に抗しうる!」
「ほう。では神剣を手に証明してみせるがいい。その決意の固さのほどを、な」
その言葉を待っていたように、隣に立つイリスが斬魔輝神剣を差し出してくれる。
「じゃあ、始めるとしましょうか。正真正銘の最終決戦を」
けれど、ぼくが受け取るのは神剣のみ。
彼女の加勢は固く断る。
「いえ、イリスには後方での待機をお願いします。この戦い、ぼくはひとりの騎士として臨みたい。否、臨まなければならないのです」
「……どういうこと? 敵うはずがないことは、あなたが一番よくわかっているわよね?」
「はい。ですが、デュークひとりに対して二人で戦おうなどという発想は、残念ながら間違っていると言わざるをえないのです。これが人間同士の戦闘であったのならば、それこそが常道といえたでしょう。
しかし魔王を打倒しようというのならば、それではいけない。二人がかりで挑もうと考えたその瞬間、勝利への意志が、デュークの抱くそれに劣ってしまう」
「言ってることは、わからなくはないけれど……」
「ゆえに、彼の持つ鋼の意志を砕くには、それに勝る決意が必要とされます。少なくとも、打ち砕いてみせようと思う、この瞬間においては」
鋼の意志を圧倒するもの。
それはおそらく、あらゆる『闇』を寄せつけない『金色の決意』だろう。
それをぼくが抱けるのかと問われれば、悔しくもぼくは口を閉ざすしかない。
だが、それでも。
悟られさえしなければ、あるいは。
「イリス、手助けは無用でお願いします。――どうしても加勢をと思うのなら、それは、ぼくが騎士の誇りを捨てたときのみに」
その言葉は、『アーカーシャー』で視た、ルアルドのそれのよう。
二分を過ぎたら援護を、という。
「……わかったわ。――お願いだから死なないでよ、レオ」
だからだったのだろうか。
イリスの口から発せられた返答もまた、似たようなものだった。
彼女にうなずき、ぼくは再び漆黒の騎士へと向きなおる。
――いまよりしばらく、ぼくは騎士となる。
皇帝騎士団の戦士ではなく。
イリスフィールという姫君を頂いて戦う、ひとりの騎士に。
「レオンハルト・ロレン・シュヴァルツラント。――参る」
「大したものだ。その心意気だけは買ってやろう、幼き獅子よ。しかし、いかに心を燃やそうとも肉体が弱くては意味がないぞ?」
「承知している。この身は脆弱なる人間のものだ。ゆえに、その闇の剣を一度でも受ければ、即、死に逝くだろう。――しかし、どうということはない。その事実を理解できているのなら、そこにもっとも注意を払えばいいというだけの話。
ゆえに、その剣閃のことごとくをかわし、貴様に一撃を与えてみせる!」
「――情けは人のためならずというが……なるほど、汝は天上存在の助力を断ることで自らを追い込み、意志を奮い立たせようというのだな。人間の身でありながら魔王に勝利するために」
「応!」
「よくぞ、そこまで吼えた! よかろう獅子よ。いまの汝であれば、この闇の刃を振るうに値する! いま一度、死への道程を踏破させてくれようぞ!」
それを最後に、言葉は意味を成さなくなった。
いまよりしばし、二人の騎士は剣を交えることにのみ苦心する。
言の葉を、その斬撃に乗せて。
言の葉を、言の刃へと変えて――!
空間を超えて迫りくる闇の刃。
その軌道はまさしく変幻自在。
四方八方から取り囲むように振るわれる。
それはまるで、ぼくという矮小な存在を閉じ込めるための鳥かごのよう。
だが、防御に徹してさえいれば、見切ることは充分に可能。
むろん、決して易くもないだろう。
事実、イリスは終始、その剣閃に踊り狂わされていたのだから。
しかしそれは、不幸にも攻撃の手段を持たなかった彼女であったからこそ起こったこと。
ぼくの手には『魔殺しの神剣』があるのだ。
ゆえにぼくには、かわす以外の選択肢が存在している。
加えて、ぼくがいま取っている構えは『静かに音無しの構え』と呼ばれるもの。
その性質は、ルアルドの使っていた『天地の構え』同様、『動』ではなく『静』。
むろん『天地の構え』には及ばないが、一流の剣を修めた者が使えば、これも充分に武器となる。
端的に言って、攻撃に移るまでの予備動作を極限まで無くすことができるのだ。
ゆえに、稲妻のごとき突きであろうと。
瀑布さながらの振り下ろしであろうと。
『ただ剣を合わせるだけ』ならば、瞬時にして対応できる。
デュークの振るう剣は彼の一部だ。
自らの魔力を剣という形にし、武器としているだけなのだ。
ゆえに、その魔剣に神剣を合わせられるということは。
それだけで、デュークの精神にダメージを与えられるということに他ならない――!
「……っ!?」
驚きに息を呑む音がする。
否、それは苦痛を堪えようとして漏れたものであるはずだ。
そんな予想を確信に変え、ぼくは初めて攻撃へと転じる。
空間を超えての斬り上げ。
逆上していたときとは違う、濁りなき意志を込めた一撃。
刃が咬みあったと同時に散るは黒き火花。
苦悶の声を抑えるように、黒き騎士は横一文字に口を結ぶ。
しかし、深追いは禁物だ。
空間を超越しての攻撃に、ぼくはまったくといっていいほど慣れていない。
経験という一点に絞ってみても、ぼくは絶対デュークに及ばないだろう。
それを悟り、神剣を退く。
立ち姿は変わらず、迎撃の構え。
どんな動作をとろうとも、ありえない静けさを保つ音無しの構え。
慎重さを増した剣先が、ぼくの眼前で一閃される。
だが、恐れで飛び出すはずもなく、ぼくは変わらずその場に佇むのみ。
むろん、恐怖を抱かぬわけはない。
その姿は、喩えるならば白鳥だ。
水面下での努力を押し隠し、優雅に泳ぐ白き鳥。
気が狂いそうなほどの魔気を受け、しかし一歩たりとも退がりはしない。
不退転のその決意は、むろん、後方でイリスが見ているからこそ持てたものだった。
これ以上の無様を、どうして彼女の前で晒せよう。
彼女がルアルドを心の支えとしているように。
ぼくはイリスを頂いて、眼前の魔王へ立ち向かうと決めたのだから――!
闇の剣の勢いは衰えない。
神剣で何度迎撃しようと、速度を減じずに襲いかかってくる。
その執念、まさに鋼の意志。
それ以外に、果たしてどんな言葉が当てはまろうか。
ぼくの迎撃は疾風のそれだ。
どこからともなく現れ出でる闇の刃を、見切り、捕捉し、突きを浴びせる。
予備動作などというものは皆無。
ゆえにこそ、彼の魔王も剣を退くのが遅れるのだ。
神は、魔王に触れられただけで苦痛を覚えるという。
それは、魔王が神に触られても同じこと。
神剣は魔剣と交わるその度に、魔王へとダメージを負わせ続ける。
だが、その逆はない。
担い手が人間である限り、なにが違おうとも、その逆は起こりえないのだ。
しかし、だからといって優勢と判じるのは早計。
人間の身体は脆弱だ。
ただ一度、この身に一撃を食らえば、それで終わり。
なにより、空間超越の分は相も変わらずあちらにあるのだ。
――断言しよう。
このままでは、レオンハルトがデュークに勝利する結末はありえない、と。
ゆえに、必要とされるのは打開策。
どんなものでもいい。
空間を超える攻撃を封じる策を、どうにかして講じなければ。
頭の中には、すでにある。
ひとつだけ、それを封じる術がある。
それは、物理的にではなく、精神的にデュークを縛る手段。
彼が公正なる騎士であるという事実を、逆手にとった卑劣な罠。
通用しない可能性はある。
馬鹿なことを、と一笑に付される可能性は確かにある。
だが、眼前の魔王を騎士として認めている、いまならば。
『魔』に堕ちた身でありながら、公正にして誇り高い騎士であると認めている、いまならば。
ぼくには間違いなく有効となるこの策に、彼はそうと知りながらも乗らざるを得ないと断言できる――!
脚に力を込め、高く跳躍。
イリスの控える後方へと跳び退り、その隣へと並ぶ。
「あら? そろそろ私の援護が必要になってきた?」
「全面的に否定はできませんね。――憶えていますか? ぼくとの交渉、神剣と交換に与えてくださるという剣のことを」
「斬竜剣のこと? ええ、もちろん憶えてはいるけれど」
「それを一時、ぼくに貸し与えてほしいのです。この神剣と共に」
「二振りの剣を同時に使うってこと? でも、それは――」
「ご心配なく。ぼくには二刀流の心得がありますので。さあ、デュークが仕掛けてこないうちに、早く」
「……わかったわ。――はい」
イリスの手により、虚空から引っ張り出されるようにして出現したひと振りの長剣。
神剣を、右から左の手に持ち替えて。
緑色の刀身を持つそれを、利き手である右の掌に握りしめる。
「ありがとうございます。一応確認しておきたいのですが、この斬竜剣には不可能なんですよね? 空間を超えての攻撃は」
「ええ。それができない剣だからこそ、この『物質界』に在ることをギリギリ許せるわけなのだし」
「その言葉を聞いて安心しました。これでぼくの策は成り立ちます」
「策って、どういう?」
「そう急がずとも、すぐご覧にいれて差しあげますよ。
それとひとつ、貴女より賜りしこの斬竜剣に、騎士の誓いを立てさせてください。――必ず、デューク・ストライドに勝利してみせる、と」
姫君の、あるいは主君の前で騎士が行うように、ぼくは彼女に正対し、膝をつく。
むろん、誇り高き騎士であれば、この神聖なる儀式を邪魔だてすることはないだろう、と踏んでのことだ。
そもそも、この隙をついて攻撃をしかけてこようというのなら、ぼくの『策』はもとより通じないということになってしまうのだから。
だからこれは、確認のために行ったことでもあった。
デューク・ストライドという魔王の本質を見極めるために。
ぼくの『策』は、本当に彼を縛る鎖と成りえるかを確かめるために。
果たして、空間を超越しての斬撃は――放たれなかった。
それはこの頭にある『策』が、彼の魔王を封じうるものに成りえるという証左である。
立ちあがり、ぼくは背中でイリスに告げた。
「――では、行って参ります」
「ええ、気をつけて」
その声に押し出され、ぼくはデュークへと突進する。
閃光を思わせる速度と、鋭さをもって。
迫りくるは、空間を超越しての一閃。
その黒き軌跡を、立ち止まることなく左の神剣で幾度も防ぐ。
二刀流と聞いて、多くの人はなにを思い浮かべるだろうか。
右の剣と左の剣、それを用いて連続で斬撃を放つ光景を脳裏に描くのだろうか。
もしもそうであるならば、その幻想は間違いであると言わざるをえない。
二刀流とは、二振りの剣を『剣』と『盾』に見立てて振るう剣術だ。
振るうべき剣は、あくまでも利き手に握ったひと振りのみ。
もうひと振りは、敵の攻撃を防ぐことのみに徹する。
むろん、二振りの剣を巧く用いて変幻自在の数撃を浴びせる達人もいるだろう。
しかし、ぼくはそのような類の人種ではない。
二刀流の技術など、しょせんは聞き覚えた程度の付け焼刃。
正直に告白してしまえば、ぼくには二刀流の心得など、無いも同然なのだ。
なのにぼくが嘘をついたのは、それが『策』を実行に移すにおいて必要であったがゆえ。
魔王と同じ土台に立つためには、こうしなければならない理由があったがためなのだ。
それは果たして、何度目の剣閃だっただろうか。
前進しながらも魔王の攻撃を見切り、しかしぼくは神剣を、敢えてその剣筋に弱い力で当てにいく。
必然、弾き飛ばされる左の神剣。
だがぼくは勢いを減じることなく、
「――はあっ!」
右の斬竜剣を振るい、魔王の肩口へと一撃を見舞う――!
「――な、にっ……!?」
彼の口から漏れるは驚愕の声。
しかし、ぼくの『策』はこれで終わりではない。
否、これはぼくの『策』の副産物。
真の狙いは別にある。
そもそも、魔風王とて神剣の斬撃に耐えきったのだ。
それよりも高位の存在であるデュークが、斬竜剣を用いて放った一閃で地に膝をつくなどということはありえまい。
ゆえに、ぼくは数歩後退りながら声をかける。
ぼくの『策』で、魔王を絡めとるために。
「魔王よ、ぼくの手に神剣はもはやない。いまのぼくには、空間を超越しての攻撃は成しえない。そのぼくに向け、空間を超えて斬撃を放つことを、貴公の誇りは許すのか?」
むろん、これは詭弁だ。
神剣を手放したのは、ぼく自身の意思であり。
そのぼくへと空間を超越した攻撃を放つのは、卑怯でも卑劣でもない。
だがしかし、この誇りと公正さと重んじる騎士ならば――。
「なるほど、そのような理屈で責めにきたか。……よかろう、私は『魔』に堕ちてより初めて『人間』として戦い、汝に勝利してみせよう」
罠とわかっていようとも、必ずぼくと同じ土台に足をかけてくれるはず――!
陶酔の極みと、馬鹿にする者はいるだろう。
その在り方を、愚直と嘲る者もいるだろう。
だが誇りとは、鋼の意志とは、そのような愚かさを超えた果てに得られるものなのだ。
「それと、いままでの非礼を詫びねばならぬな、猛き獅子よ。――撤退を選択した魔風王の判断は賢明なものだった。そのまま戦闘を続けていては、汝の神剣と剣技の前に、いずれは滅されていたことだろう」
デュークの口から初めて出た、ぼくという個人を認める言葉。
それは、ぼくが彼を『騎士』として認めたがゆえに出てきたものなのだろうか。
その『認める』という行為が、ぼくの意志を強く固いものへと変えたのだろうか。
「――一刀だ」
「なに……?」
「ただ一太刀を、汝がこの身にもう一度浴びせることができた、そのときには――誓おう。私も魔風王に続き、大人しく撤退すると」
「ぼくを舐めている……わけでは、ないようだな?」
「むろんだ。そのようなこと、できようはずもない。だがレオンハルトよ、汝はどうあっても『人間』だ。そうである以上、汝には『肉体』という縛りがあり、脆弱なるそれは私の一撃で塵芥も同然と消し飛ぶであろう。
対する私の肉体は頑強。その手にあるものが仮に斬魔輝神剣であったとしても、滅するには百を超える斬撃を要するだろう。そのような戦い、お世辞にも公正とは称せまい」
「なるほど、理解した。ゆえに一刀、一撃必殺か。双方、ただ一度の剣閃を受ければ、それで仕舞いと」
「然り。――さあ、構えるがいい、レオンハルト」
「――その前に。ぼくからもひとつ、非礼を詫びよう、誇り高き黒の騎士よ。貴公をただの魔族と捉え、憎悪の対象としてのみ見ていたことを」
「かまわぬ。この身は疑う余地もなく『魔』に堕ちているのだから」
「それでも貴公は騎士だ。ぼくなどより遥かに誇り高い、公正なる騎士だ。ゆえに――せめてもの詫びの形として、いまこのときより、言葉遣いだけでも正しましょう。『人間』に対するそれと、同じものに」
「――ほう、闘気の質が変わったな。一片の憎しみもない、清流を思わせるものへと。……なるほど、これは――心地よい」
つぶやき、目を閉じる銀髪の青年。
その顔には、至福の色が確かにあった。
それを認め、ぼくは声高に告げる。
「――参ります、デューク・ストライド!」
「来るがよい、レオンハルト! 人間も魔もなく、ただ二つの『存在』として雌雄を決しようぞ!」
「応!」
攻撃的な構えへと移行し、幾度となく打突を浴びせる。
そのすべてを防がれても、即座に次の動きに繋げ、斬撃を。
それは激流を思わせる怒涛の攻めであったことだろう。
先ほどまでとはまるで違う、『動』の姿勢。
正直に告白しよう。
ぼくはこの期に及んでもなお、ひとつの疑念をデュークに抱いていた。
否、デュークに、ではない。
この手にある斬竜剣に、といったほうが正確か。
それは、単純な強度の問題だ。
この手にある魔剣は、果たして黒の剣と刃を交えることができるのか、という。
しかし、その心配は無用であったらしい。
斬竜剣に想像以上の強度があったのか。
それとも、こちらの剣の硬さに合わせて、デュークが己が剣のそれを同等のものにしてくれたのか。
そのどちらが正しいのかは、わからない。
重要なのは、剣を交えても斬竜剣は砕かれずに済んだという、その事実。
これならば勝敗の行方は、完全に個人の技量に委ねられたといっていいだろう。
ほどなく、デュークも反撃へと転じてきた。
嵐のような薙ぎ払いの連続。
そのことごとくを、ぼくは手にした剣で防ぎきる。
――心は凪。
生涯最強といえる敵を前にして、しかし、ぼくの精神は不思議なほどに落ちついていた。
心のどこかでは、なぜかこの剣戟を楽しんでいる節すらある。
しかし、それは無理からぬことだとも、すぐに思った。
刃を交える相手は、騎士だ。
ぼくの誇りを遥かに上回る、信念の塊とすら呼べるほどの騎士なのだ。
それを好敵手と呼ばずして、なんと呼ぼう。
むろん、これは試合ではない。戦闘だ。
そうであるからには勝たねばならない。
まかり間違っても、敗北することは許されない。
ぼくと彼の技量は、わずかながらデュークのほうが上。
ゆえに、ぼくはまたしても突破口を見つけださなければならなくなった。
それは、残念なことではあるけれど。
仕方がないことでも、またあるのだ。
ただ感情のままに剣を交え、『我が生涯に悔いは無し』と倒れることは、絶対に許されないのだから。
だから、探す。
この鉄火場において。
この、天国にもっとも近い、ともすれば楽園めいてもみえる戦場に立ちながら。
ぼくは、勝利へと続く道筋を、必死になって探し求める――!
やがて、剣が咬みあい。
つばぜり合いの形となった。
眼前にはデュークの青い瞳。
初めて見たときには冷酷さを感じさせた、けれどいまは静かにも熱く燃えている碧眼。
「――なにか、もの問いたげな目をしているな。言ってみるがいい、レオンハルト」
おそらくは、意識的に思考の外から追い出していたのであろう、ぼくの疑問。
それを彼は的確に見抜き、問うてきた。
――敵いませんね、まったく。
これもまた人生経験の差かと割りきり、ぼくは問いをひとつ、口にする。
「疑問でならないのです。貴公ほどの人物が、なぜ『魔』に堕ちたのか、が」
あるいは、腑に落ちないと言い換えてもいいかもしれない。
戦闘前にイリスが『惜しい人間が堕ちてしまったもの』と言っていたが、その意味がいまならよくわかる。
デュークは彼女と同じ側にいられる存在であるはずだ。
その魂の在り方は、『魔』ではなく『神』に近いはずなのだ。
「理由、か。それは、私が騎士であったから、だ」
「騎士で、あったから……?」
剣を交差させたその姿勢のままで、ぼくたちは視線を交差させる。
まったく同じ、闘志に燃えた青い瞳を。
「かつて、私の仕える『王』は言った。――『生命あるもの』の悪性は救いきれぬ、と。人間と人間が……否、二つの存在が衝突するとき、そこには必ず『摩擦』という名の『悪性』が生じてしまうのだ、と」
「ゆえに、すべてを『無』に帰すしかないとでも?」
「然り。すべてのものが『無』に帰せば、苦しむ者も悲しむ者も、『悪性』とて消え去るだろう」
「それは……しかし、それは貴公の望みなのですか? すべてを『無』にするという『救い』は、貴公という存在の消滅をも意味しているのですよ?」
「そうだな。だが、私はそれを『良し』とした。私の仕える『王』のために」
その言葉に、しかし、ぼくは首を横に振る。
「なぜです。なぜ、それを『良し』とできるのです! 貴公の言う『王』とは漆黒の王ダーク・リッパーのことであるはず! それを、なぜあなたは『王』として仰ぐことができるのですかっ!!」
「……理解できぬのも無理はない。あのお方は、年月を経るにつれ変心してしまわれた。――『王』とは民衆を愛し、救い、導く者。この公国をまとめる者が『王』と呼ばれているのも、すべてはそれゆえ」
「それをわかっているのに、貴公は漆黒の王に仕え続けると……? なぜ……なぜっ!」
「究極のところ、理由などひとつしかないのだ。私が騎士であったからだ、という」
「なぜ、それが理由に――」
「騎士とは、『王』に命じられるがまま剣を振るう者のこと。民を、世界を、未来を想い、憂えるのは『王』の役目だ。
騎士は『王』のための剣であれば、それでいい。心など、不要なのだ。主が『魔』に堕ちたというならば、騎士の誓いのもと、遥かな魔界までもついてゆこう」
「…………」
デューク・ストライドは、なるほど、立派な騎士だった。
決して主君を裏切らず、どこまでも忠義を貫く、誇り高き騎士だった。
主が『魔』に堕ちようとも、再びの変心を願いながら仕え続ける、理想の騎士だった。
きっと、『王』であれば誰もが思うに違いない。
できることならば、彼を召し抱えたい、と。
だが、それは叶わぬ望み。
黒き騎士は、すでに仕えるべき『王』を定めてしまった。
『魔』に堕ちた『王』へと、忠誠を誓ってしまった。
その彼の心を、決意を、果たして誰に変えることができるだろうか――。
やがて、交わっていた剣が離れる。
間合いを図りながら構えを取る、二人の騎士。
交わっていた剣は、その実、言葉であり、心であった。
そのわずかな名残が、ぼくの口を開かせる。
「――デューク・ストライドよ。できることなら、貴公とは別の形で出会いたかった。『魔』に堕ちる前に。違う形で……!」
「レオンハルトよ、私もそう思う。もし『なにか』が違っていれば、私たちは唯一無二の親友にもなれていたであろう。『なにか』が違っていれば、な。――だが、それはもはや、叶わぬ願いだ」
「承知しています。ゆえに、ぼくは――」
そこから先の言葉は不要だった。
手にしているのは、緑色の刀身を持つ魔剣。
それをぼくは、渾身の力を込めて眼前の騎士へと投擲した――!
「……っ!? 血迷ったか、レオンハルト! 先刻とは状況が違うぞ! 汝は自ら剣を投げ捨てた! 騎士の誇りである剣を、自ら! それでは私の剣を迷わせることはできん!」
そう宣言し、斬りかかってくる黒の騎士。
対するぼくは、全身から無駄な力を抜いて棒立ちになったまま。
だが――
「――絶対境界・楽園幻想っ!」
「――ぬっ!?」
闇色の刃が、ぼくの後方から射出された盾に阻まれる。
それがなにであるかなど、言うまでもない。
イリスが作り出した、金色の盾だ。
「レオは『騎士の誇り』である斬竜剣を自ら投げ捨てた。それは私――イリスフィールの加勢を受け入れますっていう意思表示と捉えていいのよね?」
そういうことだ。
やはり、ぼくひとりではデュークに及ばなかった。
『金色の決意』とでも呼ぶべきものを、ぼくは結局持てなかった。
いかに公正に刃を交えようとも、人間は決して『魔』には敵わないようにできているのだろう。
だから、ここから先はイリスに頼る。
彼女と共闘し、眼前の青年に対する。
しかし、イリスが気づいてくれて本当に助かった。
盾によって防がれていなければ、彼の剣は間違いなくぼくの身体を両断していただろうから。
もちろん、あそこまで唐突に、仰々しく『儀式』をやってみせたのだから、彼女であれば察してくれると信じてはいたけれど。
「まったく。盾から伝わってくるダメージに、右腕やちょっとした怪我の回復に、光の波動や盾の一斉射出。おまけに首の修復と、レオの怪我の治癒までやって、もう『光』が底を尽きかけてるっていうのに、ここ一番で頼ってくるんだから……」
ぼやきながらも続けられる、イリスの援護。
それは、ときに金色の盾として飛来し。
あるときには光の奔流として撃ちだされ。
そして、またあるときには空間を超えての『蹴り』として現れた。
むろん、背後から撃たれている以上、光の波動がぼくを直撃することもある。
しかしその効力は、ぼくの疲労感を拭い去るものとして発揮された。
どうやら、魔族にとっての『聖なる攻撃手段』は。
女神と出会えるほどの『心清き者』にとっては『祝福』となるようだ。
――余計な思考をするのはここまで。
ぼくは瞼を下ろし、呪文の詠唱を開始する。
「――永くすべてを見守るもの」
意識はすべて、自分の内側へ。
「――すべての幸福を望むもの」
紡ぐのは、『アーカーシャー』で見たときにルアルドが行使していた、天上存在『界王悪夢を統べる存在』の力を借りた禁術、<聖魔滅破斬>。
「――皆が知る 大いなる汝の存在において」
されどルアルドが使っていたのは、威力と消費魔法力を抑えた『不完全版』。
「――我 汝の持つ精神を扱わん」
対して、ぼくが唱えているのは『完全版』だ。
『不完全』なものでは、きっとデュークには届かないだろうから。
「汝の力のすべてである光よ」
思えば、『アーカーシャー』で得た知識は、そのすべてに意味があった。
「我が未来を切り拓く」
ルアルドの見せた『剣の投擲』と『禁術』。
そしてイリスの使う『金色の盾』と、デュークの抱いていた『騎士の誇り』。
「希望の剣となり いまここに――!」
そのどれが欠けていても、きっと、この結末には至れなかっただろうから。
それにしても、と思わずにはいられない。
人間は、上手く裏をかかなければ魔族には決して敵わない。
でも、その事実が意味するところは、つまり。
ぼくたち人間は、『天使のような公正さ』と『悪魔のごとき狡猾さ』を併せ持っているのだということに他ならないのではなかろうか、と――。
瞳を開ける。
意識は異常なまでに鮮明。
精神は限界まで研ぎ澄まされている。
体内に満ちているのは、とてつもなく高密度にして多量の魔力。
情けない話だと、自分でも思うけれど。
ぼくは魔法力を多く消費する魔術というものを、生まれてこの方、一度も使用したことがなかった。
膨大な魔力を宿してこの世に生を受けた、という実感はあるけれど。
技術の面においては非才の身であったがため、ぼくは魔術よりも剣術のほうを磨いて生きてきたから。
けれど、ルアルド・デベロップの持っていた知識を得て、ぼくも『禁術』だけは使えるようになった。
それは、いままでのぼくには到底縁のなかった――大魔術。
それをいま、僕は生まれて初めて行使する。
さあ、呪力を解放しよう。
その言葉を紡ぎだそう。
眼前の騎士を滅する、そのためだけに――!
「――聖魔滅破斬っ!!」
疾駆しながら、その名を叫ぶように口にする。
刹那、神剣もかくやという神々しい輝きがぼくの手の中に具現れた。
それは、『光』そのものだ。
剣という形を成していない。
けれど、その『光』が秘める威力はきっと、イリスの光の波動を易々と超えるはず。
魔法力が、根こそぎ吸われるのだ。
否、それだけでは足りぬとばかりに、生命力までもが吸収されているのだ。
一秒ごとに、この剣を『現世』に維持し続けるためだけに。
ぼくという存在そのものが、根こそぎ持っていかれそうになっているのだ。
それほどのモノを要求するのなら、相応の力がこの『光』には宿っているはず――!
あと一歩のところで、足元の感覚がなくなる。
防御のために構えられたデュークの闇の剣が、視界に映る。
――死力を尽くせ。
これを振り下ろせば、すべては終わる。
そう、ぼくの直感が告げてきた。
あとは、それに従うのみ。
大丈夫、ぼくの直感は昔からよく当たる。
ただ信じて、この『光』を振り下ろしさえすれば、それでいい。
そうして、ぼくは。
朦朧とし始めてきた意識の中で。
意志のすべてを『光』に込め。
手の中にある『それ』を、力の限り振り下ろす――!
さあ、残すところあと一話となりました、『絆はここに』。
楽しんでいただけてますでしょうか?
今回のサブタイトルは『激突双黒』。
レオのファミリーネームである『シュヴァルツラント』の『シュヴァルツ』はドイツ語で『黒』を意味するらしいと小耳に挟み、『レオが『漆黒』の戦士であるデュークと激突する回』という意味を込めて、このサブタイトルにしてみました。
もっとも、二人の中身は限りなく『白い』ですけどね(笑)。
次回は最終話。
明日更新する予定でいます。
なので、今回の後書きで多くは語りません。
強いていうのならば、この物語を気持ちよく読み終えていただける出来に仕上がっていれば、と願いながら書きました。
では、明日の最終話でまたお会いしましょう。




