第22話 断頭台の茶会、死神が綴る終止符
王都、北の迎賓館。
重厚な石造りの回廊には、場違いなほどに甘い花の香りが漂っていた。
私たち一行は、鉄衛騎士団にも勝る威圧感を放つ公爵家の私兵たちに囲まれ、最上階にあるテラスへと導かれた。
そこには、完璧に整えられたティーセットと、陽光を浴びて宝石のように輝く焼き菓子。
そして、それらすべてを「背景」に従えて座る、一人の女性の姿があった。
「ようこそ、アリシア。それにアストライアの若き王……少し、お痩せになったかしら?」
ヴァレンタイン公爵夫人。
私のお母様は、氷細工のような微笑を浮かべて私たちを迎えた。
ルイ様が私の前に一歩出ようとしたが、バルトがそれを手制止し、私の背後ではクラリスが、かつてないほどに拳を握りしめているのが分かった。
「お掛けなさい。毒などという下品な真似はいたしませんわ。ヴァレンタインの家名に誓って、最高の茶葉を用意させましたのよ」
お母様が促す。
その言葉に嘘はないだろう。
彼女は、物理的な死を与えることを「不作法」として嫌う。
彼女が好むのは、心を折り、尊厳を奪い、生ける屍として支配下に置くことだ。
私たちは促されるままに席に着いた。
だが、お母様が優雅な手つきでテーブルに置いたのは、シュガーポットではなく、三枚の「公文書」だった。
「……っ、これは!」
クラリスが息を呑む。
そこには、ドルガンの拘束命令、サイラの虜囚状、そしてエレナの処刑執行予告が記されていた。
「ドルガンは公爵家への反逆罪。サイラは境界紛争の首謀者。そしてエレナ……あの娘は監視役としての無能を晒しました……安心なさい。私が指を鳴らさない限り、まだ彼女たちは生きていますわ」
お母様は、まるで午後の天気を語るような軽やかさで、三人の命を秤にかけた。
「選択を誤れば、誰かが死ぬ……アリシア、貴女が選ぶのよ。誰を救い、誰を見捨てるのかを」
私の指先が、怒りで震える。
ルイ様がエメラルドの瞳に鋭い殺気を宿し、テリオンのカメリア色の瞳が冷たく細められた。
けれど、三人の命を握られている以上、私たちは動けない。
それこそがお母様の狙い。
私たちが最も「選べない」ものを突きつけ、思考を停止させること。
「ですが、救う方法は一つだけありますわ」
お母様が合図を送ると、テラスの入り口から一人の男が姿を現した。
アッシュグレーの長髪を揺らし、感情の読み取れない鈍色の瞳を持つ死神。
「……イグニス」
ルイ様が、絞り出すような声で呟いた。
イグニスは私たちに視線を向けることなく、お母様の傍らに立った。
その手に握られているのは、一枚の重厚な書状だ。
「アリシア。貴女には、この『取り立て屋』と婚約していただきます。ヴァレンタイン家と、彼の背後にある魔術結社の和解。それは王国の安寧に繋がる、あまりにも美しい婚姻ですわ」
お母様の声が、テラスに冷たく響く。
「これを受諾すれば、人質はすべて解放しましょう。ただし、ルイ王。貴女にはアリシアとの共謀を認め、自ら王位を退いていただきます……魔女に操られた王として余生を過ごすか、あるいは最愛の女性が他人の妻になるのを指をくわえて見ているか……どちらが良いかしら?」
地獄のような二択。
ルイ様の表情が、絶望に歪む。
私を救えば、国と誇りを失う。
私を諦めれば、私は一生、お母様が用意したこの檻の中で、愛してもいない男の妻として飼い殺される。
お母様は、確信に満ちた瞳で私を見た。
「愛だの自由だのは、選べる者の贅沢よ、アリシア……さあ、サインなさい。今度は、逃がしませんわよ」
静寂が流れる。
お母様が勝利を確信し、優雅に紅茶を口にしようとした、その時だった。
「……茶会とは、本来『契約を結ぶ場』だ」
それまで沈黙を守っていたイグニスが、低く冷ややかな声で口を開いた。
彼は、机の上に置かれていた婚約書を、迷うことなく自分の手で引き裂いた。
「!? イグニス、何を……!」
お母様の眉が、初めて不快げに跳ねた。
イグニスは懐から、別の古い羊皮紙を取り出し、叩きつけるように机に広げた。
「だがこれは――契約を暴くための茶会だ……ヴァレンタイン公爵夫人。あんたが過去、公爵家の権威を維持するために結んだ『禁忌の契約』……その原本だ」
ユリウスが、その書類を一瞥し、不敵な笑みを浮かべた。
「……ほう。婚姻を媒介にした血統拘束、および王権への非合法な干渉……店主殿、これは王国法、および公爵家法すべてに対する、明白な『反逆罪』の証拠です。しかも、結ばれた瞬間からヴァレンタイン家の資産を自動的に凍結し、当主の座を剥奪する条項まで含まれている」
お母様の顔から、血の気が一気に失せていった。
彼女がアリシアを縛り付けようとした「婚約」という儀式。
それは、イグニスが用意したこの「不法契約の断罪」を完成させるための、最後の一押しに過ぎなかったのだ。
「イグニス、貴方……私を裏切るつもり!?」
「裏切る? 勘違いするな。俺は最初から言ったはずだ……俺は、俺の仕事を完遂するとな」
イグニスは、鈍色の瞳に冷たい光を宿し、お母様を見据えた。
「あんたは、この店主の『生活』を壊そうとした……それは、俺が守るべき『最高の取り立て対象』を傷つけることだ……そんな不作法な真似、俺が許すとでも思ったか?」
お母様の手から、ティーカップが滑り落ち、床で粉々に砕け散った。
完璧だった盤面は、今や彼女自身の首を絞める絞首台へと書き換えられた。
「……お母様。お茶が、冷めてしまいましたわね」
私はゆっくりと立ち上がり、お母様の目の前に立った。
ルイ様も、バルトも、クラリスも。
全員が、今度は迷いのない瞳で彼女を見下ろしている。
「貴方が用意したこの茶会……最後のお片付けは、私が担当させていただきますわ」
お母様が初めて言葉を失い、蒼白な顔で私たちを見上げたところで、王都の鐘が正午を告げた。




