第18話 生存の七日間、反撃の第一火
朝日が、残酷なほどに眩しかった。
二十一日あったはずの猶予は、お母様の気まぐれな指先一つで七日間にまで短縮された。
しかも、物資の供給は今この瞬間から完全に断たれている。
カフェ・ヴァレンタインの円卓を囲む面々の顔には、隠しきれない困惑と焦燥が張り付いていた。
お母様は、私が「令嬢」として泣きつき、あるいは「料理人」として食材探しに奔走するのを、高みの見物で楽しんでいるに違いない。
ならば、その想定を初手で叩き壊す。
私は、お母様と同じヴァレンタインの血が流れる右手で、卓上の地図を強く叩いた。
「……今日から七日間、誰一人として空腹で眠らせはしませんわ」
私の言葉に、ユリウスが眼鏡を直し、驚いたように私を凝視した。
「店主殿……意気込みは素晴らしいが、魔法でパンを生み出すことでもできない限り、物理的な限界は超えられない。節約メニューを考案するつもりか?」
「いいえ、ユリウス。そんな受け身の不作法、私のプライドが許しませんわ……今日から、このカフェ・ヴァレンタインは単なる飲食店であることをやめます。ここは、この森の全生命を統括する『司令塔』となりますわ」
全員が息を呑む。
私は迷うことなく、それぞれに役割を飛ばし始めた。
「クラリス、バルト。貴方たちは内政と物流の管理をお願いしますわ。倉庫の全在庫を分単位で把握し、一滴の油、一粒の塩も無駄にしない完璧な管理体制を敷いてちょうだい」
「……承知いたしました、お嬢様。雑巾の管理よりも、幾分かやりがいのある仕事になりそうです」
クラリスが淡々と、けれど苛烈な忠誠心を瞳に宿して頷いた。
バルトも群青の瞳を細め、完璧な礼を見せる。
「ルイ様の食事を含め、不備のないよう務めましょう……ただし、森の『不作法な虫』たちが私の帳簿を汚さないことだけを祈りますが」
「セシル、ユリウス。貴方たちは情報戦と世論の操作を。お母様の包囲網が『非人道的な虐殺』であることを、隣国の商人やアストライアの議会へ、あらゆる影のルートを使って広めて。逆転の帳簿を突きつけるための、最高の舞台を整えるのですわ」
セシルが丸眼鏡を直し、不敵に笑う。
「お任せください、アリシア様。道中のお料理の味を思い出せば、筆も進みますわ」
「……狐の出番ですね。店主殿、最高のエンディングを用意しましょう」
外の防衛と調達についても、容赦なく指示を出す。
「マルクスと鉄衛騎士団は、周辺の警戒と『狩猟班』の護衛を……ゾア、テリオン。貴方たちはこの森の恵みを、余さず回収してきてちょうだい。野草、魔獣、川の魚。食べられるものは全て、私たちの命の糧になりますわ」
「……我に任せよ、主! 狩りの後の贅沢(蜂蜜)があるなら、ワイバーンの群れさえも平らげてみせよう!」
ゾアが巨躯を震わせ、黄金の瞳を輝かせた。
テリオンも寡黙に弓を確認し、カメリア色の瞳で私を見据える。
「……お前の命を繋ぐためなら、私は森の全てを獲物にする」
「カトリーナ! 貴方の炎は、今日からこのカフェの心臓ですわ。薪を節約するために、魔力による火力調節をお願いします……不服かしら?」
「お、おーっほっほっほ! 宮廷魔導師であるこの私に、調理場の火の番をしろと言うの!? ……いいでしょう、家名を汚した令嬢がどこまで足掻くか、特等席で見届けて差し上げますわ!」
カトリーナは毒舌を吐きながらも、既に指先で完璧に制御された魔法火を熾していた。
「ジュリアン、ワイバーンと一緒に空からの監視をお願い。私兵の動きを逐一報告して。大丈夫、貴方ならできますわ」
「は、はい! アリシアさん! 僕、頑張ります!」
最後に、私はルイ様を見た。
「ルイ様……貴方は、私たちの『希望の象徴』でいてください。アストライアの王がここに泰然と構えている。それだけで、お母様の圧力に怯える人々の心は支えられます」
ルイ様は、私の手を力強く握りしめた。
「……分かった、アリシア。君がこの森を調理するなら、私は君という炎を全力で守り抜こう」
◇
私が最初に取り掛かったのは、大量調理でも贅沢な料理でもなかった。
厨房の大きな釜に、最低限の薪を焚べる。
カトリーナが絶妙な火力でそれを支える。
食材は、昨日テリオンとゾアが持ち帰った大角鹿の骨、乾燥させた山菜の根、そしてワイバーンの卵の備蓄。
香辛料はない。
代わりに、滋養に富んだ森の香草を煮込む。
水が沸騰し、食材の旨味が溶け出していく。
私はフライパンではなく、大きな木べらを握り、無心で釜を掻き回した。
この料理に、華やかさは必要ない。
必要なのは、泥臭いまでの生命力と、明日を生き抜くための確かな熱量だ。
数時間後。
カフェの前には、騎士団、エージェント、そしてこの場所を家と定めた仲間たちが集まっていた。
私は、その中心に立ち、最初の一杯を自らの手で掬い上げた。
「皆さん、聞いてくださいな。今日から七日間、贅沢は終わりです。このスープは、舌を喜ばせるためのものではありません……明日、お母様の不作法を笑い飛ばすために、皆さんの命を繋ぎ止めるための火種ですわ」
私は、その素朴なスープを、自ら一口飲んだ。
塩味は薄い。けれど、森の大地の香りと、力強い野草の苦味が、身体中へと広がっていく。
「これは『生存試験』ですの。私は、私の店に来る家族を一人として欠けさせはしません。これを飲む者は、私の誇りです。家族を飢えさせるほど、ヴァレンタインの娘は落ちぶれてはいませんわ!」
静まり返っていた広場から、言葉にならない地鳴りのような咆哮が上がった。
それは恐怖による結束ではない。
一人の店主が示した、圧倒的な責任感に対する、命懸けの信頼だった。
「……完璧な初手だ」
ユリウスが、眼鏡の奥で蒼い瞳を震わせて呟いた。
「ルイ殿。彼女がやっているのは、兵糧攻めという戦略を根底から無効化する、精神的な城塞の構築だ……これではお母様も、焦らざるを得ない」
私は、湯気が立ち上る大釜の向こう、今は主のいない菜園を見つめた。
イグニス。彼だけが、今この場にいない。
けれど、彼が耕してくれたこの土が、いつか私たちの逆転の糧になると信じている。
お母様。
貴女は物流を止めれば私が折れると思っていらっしゃいますけれど、それは大きな間違いですわ。
私は今、貴女が絶対に支配できない「絆」を調理しているのですわ。
「……ルイ様、皆さん。最初の一手はこれで完了です。あとの六日間で、お母様が用意した『勝利の晩餐』を、跡形もなく焦がして差し上げますわ」
私の右手が握る木べらは、既に戦場の剣よりも熱く、重い。
蜂蜜色のまどろみが終わった今、私はただの令嬢でも、ただの料理人でもない。
この森の命を背負う、一人の「店主」として。
史上最高に不作法な、おもてなしの逆襲を。
朝焼けは、いつの間にか力強い黄金色へと変わっていた。
カウントダウン、残り六日。
カフェ・ヴァレンタイン、反撃の火蓋は、今、切って落とされた。




