第6話 令嬢、最強の守護者から想定外のプロポーズを受ける
ライオネルたちの馬車が巻き上げた土煙が完全に消え、森にいつもの穏やかな静寂が戻った。
私は、高鳴る鼓動を悟られないよう、丁寧に淹れた紅茶と、焼き立ての最新作をトレイに載せてテラスへと向かった。
「お待たせいたしました、ルイ様。本日のデザート……いえ、私からの心ばかりのお礼ですわ」
目の前に置かれたのは、表面が琥珀色に輝く『森の果実のキャラメリゼ・タルト』
この店を磨き上げ、自由を手に入れた私が、あの高級な銅鍋を初めて使って焼き上げた自信作だ。
「……ほう。これは、また一段と香ばしいな」
ルイ様が、エメラルドの瞳を細めてタルトを見つめる。
彼がフォークを入れ、一口運ぶまでの数秒間。
私は「完璧な店主」として控えていたが、内心ではキッチンの隅へ駆け込んで再びステップを踏み出したい衝動と戦っていた。
(さあ、どうかしら!? これこそが『誰にも邪魔されずに焼き上げた』私の魂の結晶よ!! お父様の顔色も、お母様の小言も一切入っていない、純度百パーセントの私の味なんだから!!)
「……素晴らしい。キャラメルのほろ苦さと果実の酸味が、完璧な調和を保っている。アリシア、君の腕は、どこまで私を驚かせるつもりだ?」
ルイ様が、本当に愛おしそうに私を見つめて微笑んだ。
その瞬間、私の胸の奥が、キャラメリゼされた砂糖のように熱く、甘く溶けていくような感覚に襲われる。
「……喜んでいただけて、光栄ですわ」
私は頬が緩むのを必死に堪え、優雅に一礼した。
だが、彼がおかわりを頼もうと視線をカップに落とした、その刹那。
私はスッと死角へ移動し、エプロンの端をぎゅっと握りしめて、音もなくその場で一回転した。
(合格よ、合格!! ルイ様に認められたわ!! ざまあみろ馬鹿王子、私は今、世界一幸せにお菓子を焼いていますわよ!!)
無言の歓喜を全身で表現し、最後に小さくガッツポーズ。
そしてコンマ一秒で真顔に戻ると、再び彼の傍らへと歩み寄る。
再び顔を上げた私の微笑みは、先ほどよりも少しだけ、本当の幸福が滲み出していた。
もし、私に「甘いものは毒だ」と禁欲を強いたお父様たちが、この甘美なひと時を見れば、教育の敗北を認めてそのまま石像のように固まってしまうに違いない。
「ルイ様、おかわりはいかがですか?」
私がティーポットを傾けようとした、その時。
ルイ様が差し出したのはカップではなく、私の手首を優しく、けれど逃がさないような確かな強さで捕らえた彼の手だった。
「あ……」
思わず声が漏れ、視線がぶつかる。
彼のエメラルドの瞳が、今は獲物を狙う鋭さではなく、深い湖のような熱を帯びて私を射抜いていた。
「……アリシア。君はこの店と、ここで焼く菓子を愛していると言ったね」
「は、はい。もちろんですわ。ここは私の……自由の象徴ですから」
心臓の音が、耳元まで響いてきそうだった。
ルイ様は私の手を離さぬまま、椅子から立ち上がると、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「では、その自由の中に……私を加えてもらうことはできないだろうか」
端正な顔が、すぐ近くに。
彼の纏う白檀の香りと、ほんのり甘いキャラメルの香りが混ざり合い、私の思考を真っ白に染め上げていく。
「単なる『客』としてではない。君がその笑顔を守り、菓子を焼き続けるための、一番近くにいる男としてだ」
これは……まさか、いえ、どう考えても告白ですわよね!?
私は反射的に完璧な淑女の微笑みを浮かべようとしたものの、顔が熱くて、唇が震えてうまく形にならなかった。
「……っ、ルイ様、それは……あまりに急で……」
私は混乱した頭を落ち着かせるため、彼の手をそっと解き、ポットを置いて一度キッチンの入り口まで後退する。
ルイ様から死角になった、柱の陰。
私は、がばっと作業着の裾を掴む。
だけど、今回は激しくステップを踏む余裕などなく、ただ、その場で一回だけ、音を立てずにピョン! と跳ねた。
(何今の!? プロポーズ!? 嘘でしょ、私、追放されたばかりの傷物(自称)令嬢なのよ!?)
心拍数は限界突破。ガッツポーズを繰り出す代わりに、私は顔を両手で覆い、指の隙間から激しく動揺する瞳を覗かせた。
(でも……嬉しいなんて、思っちゃダメなのに……! あんなに格好いい顔で言われたら、断れるわけないじゃない!!)
ひとしきり心の中で悶絶を終えると、私はスッと真顔に戻った。
火照った頬を「オーブンの熱気のせい」だと言い聞かせ、乱れたエプロンを丁寧に直し、シワ一つない状態へと整える。
再び柱の陰から姿を現した時には、そこには先ほどまでの動揺など微塵も感じさせない、気品溢れる「店主のアリシア」がいた。
「……お待たせいたしました、ルイ様。まずは温かい紅茶を淹れ直しますわ。大切なお話は、その後にゆっくりと」
もしお父様やお母様が、今の私の、心臓が口から飛び出しそうなほど浮ついた本性を見たならば。
間違いなく「淑女の教育がこれっぽっちも身についていない! 先祖に合わせる顔がないほど恥ずかしい!」と嘆き、先祖代々の肖像画をすべて裏返しにして卒倒するに違いない。




