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婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の常連さんに甘やかされて困ってます  作者: 白月つむぎ
第2章

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第21話 鉄錆の陽動と、白亜の王宮へ消えたヴァレンタイン

 あの日――雪原に沈んだはずの男の、忌々しい記憶が蘇る。


 ルイ様の黄金の一閃と私のフライパンが炸裂し、仮面が砕け散ったあの瞬間。

 ゼノは確かに地に伏し、再起不能に見えた。

 だが、私たちが勝利の余韻に浸り、負傷したイグニスの手当を優先させたわずかな隙をつき、闇の中から現れたゼノの私兵団『銀鴉ぎんあ騎士団』が、煙幕と禁忌の転移魔導具を使って主を強引に連れ去ったのだ。


「……逃がしたのではない。奴は、自身の魂を削ってでも執念で生き延びたのだ」


 テラスで弓を構えるテリオンの隣で、ルイ様が険しい表情で右手の紋章を見つめた。


「ゼノはあの敗北で、私への忠誠を完全に『憎悪』へと書き換えた……奴にとって、私がこの森で仲間と笑い、カフェを再建したこと自体が、耐え難い屈辱だったのだろう」


 そう。あの時、ボロボロになって逃げ出したゼノは、西のベリウス公国へと潜伏し、傷を癒しながらこの機会を狙っていたのだ。

 今、森を包囲している松明の火は、かつてルイ様が絶望した「アストライアを焼き尽くした炎」の再来そのものだった。


「おーっほっほっほ! しぶとい男は嫌われるわよ! 不潔な執念で私の結界を汚すなんて、万死に値しますわ!」


 カトリーナが杖を突き出し、真紅の瞳を燃え上がらせる。

 テラスの下、闇の中からカチャリと金属音が響き、重装鎧を纏った兵士たちが一斉に姿を現した。その数は、前回の比ではない。


「……アリシア様、下がってください。ここからは、掃除などという生温い言葉では済みませんな」


 バルトが眼鏡の縁を直し、銀のトレイを構える。

 その群青色の瞳には、かつて王宮で「教育係」として名を馳せた頃の、冷徹な武人の色が宿っていた。


 ――バシュッ!!


 テリオンが放った一矢が、最前線の兵士の足を正確に射抜く。

 それが、夜の森を戦場へと変える開戦の合図となった。


「……来たか。ゼノめ、今度はその喉笛、私が直接『清算』してやる」


 いつの間にか屋根の上に立っていたイグニスが、鈍色のダガーを逆手に持ち、影のように戦場へ飛び込んでいく。

 雪原での屈辱を晴らすため、ゼノは自分が行く代わりに、この森ごと私たちを焼き殺そうとしているのだ。


「……皆様、お願いしますわ!」


 私は、リニューアルしたばかりの愛おしい店を背に、愛用のフライパンを力強く握りしめた。

 あの日、雪原に沈めたはずの因縁。

 それが再び牙を剥くのなら、今度こそ木っ端微塵に粉砕して差し上げるまで!


「――アストライアの光よ、今一度、我が意思を照らせ!」


 ルイ様の掲げた手から、夜の森を昼間のように照らす黄金の波動が放たれる。

 かつての敗北を経て、より凶悪に、より狡猾に牙を研いできたゼノの軍勢。


 カフェ・ヴァレンタイン、最大の防衛戦が幕を開けた。


「皆様! 新調したばかりの壁に傷一つ付けさせないでくださいまし! 少しでも漆喰を汚したり、焦がしたりしたら……一週間、おやつ抜きですわよ!」


 私の凛とした号令が夜のテラスに響き渡る。

 闇の中から押し寄せる銀鴉騎士団の面々は、その言葉に一瞬怯んだ。

 だが、彼らは狂信的な殺意を瞳に宿し、一斉に抜き放った剣を突き出してきた。


「……承知いたしました。塵一つ残さず、庭の外へと掃き出しましょう」


 まず動いたのは、執事のバルトだった。

 彼は眼鏡の縁を指先で直すと、燕尾服の袖から鈍く光る極細の鋼線ワイヤーを解き放った。

 バルトが流れるような所作で指を踊らせると、騎士たちの剣が次々と絡め取られ、宙を舞う。

 抵抗する者には、懐から抜き放った細剣レイピアが、鎧の隙間を的確に叩いた。


「おーっほっほっほ! その通りよ! この不潔な連中、私の炎で消し炭にして差し上げますわ!」


 カトリーナが杖を掲げると、その周囲に凝縮された紅蓮の火球が幾つも浮かび上がった。

 彼女の魔法は精密だ。

 カフェを焼かぬよう、熱を一点に集中させ、敵の足元だけを狙い撃って爆ぜさせていく。


「ジュリアン、危ない場所には行かせないわよ。そこから援護しなさい!」


「わかってます、カトリーナさん! ……おねがい、忠実な守護者よ!」


 ジュリアンが銀の笛を唇に当て、短く鋭い旋律を奏でた。

 すると、カフェのテラスや通路を縫うように、二つの頭を持つ魔犬――オルトロスが召喚された。

 二つの首がそれぞれ騎士を押し倒し、喉元を牙で威嚇して戦意を削いでいく。


 戦場の一角では、かつてお父様の元を離れ、紆余曲折を経て今はこのカフェを手伝ってくれている味方の騎士たちが、命懸けで防衛線を張っていた。

 しかし、地形に阻まれ、騎士団は数の利を活かしきれずにいた。


「うっ……! しまっ、た……!」


 敵の猛攻を受け、一人の騎士が膝をついた。

 そこへ、ジュリアンの奏でる優雅な旋律と共に、雪よりも白い聖獣――ユニコーンが姿を現す。


「癒やしてあげて! 彼らは、僕たちの仲間なんだ!」


 ジュリアンの願いに応え、ユニコーンがその聖なる角を負傷した騎士たちに触れさせる。

 真珠色の光が溢れ、深い傷が瞬時に塞がっていった。


「……五月蝿いと言っただろう。お前たちの鎧が触れ合う音は、耳障りだ」


 屋根の上からはテリオンの「静かなる制裁」が降り注ぐ。

 放たれた一矢は、騎士たちの盾を粉砕し、絶妙な制圧を見せていた。

 だが、軍勢の勢いが弱まったその時、森の奥から異様な「圧」が迫ってきた。


 重厚な金属音と共に、漆黒の魔導金属で作り直された仮面を纏った男――ゼノがゆっくりと姿を現した。


「……久しぶりだな、太陽の王。そして、忌々しい令嬢め」


 ゼノの全身からは不気味な紫色の蒸気が立ち上っている。

 禁忌の魔導具による肉体強化。

 その力は、以前の比ではない。


「ゼノ……やはり、執念深く生きていたか」


 ルイ様が前に出る。その右手の甲の『太陽の紋章』が、敵の魔気に反応して激しく輝き始めた。


「私はあの屈辱を片時も忘れたことはない! 死ね、ルイ・ソル・アストライア!」


 ゼノが巨大な魔剣を振り下ろす。

 凄まじい衝撃波がテラスを襲おうとしたが、そこに私のフライパンが割り込んだ。


「させませんわ! 私の大切なお客様と、このお店に指一本触れさせないと言ったはずですわ!」


 ガギィィィン!!


 腕が痺れ、膝が折れそうになる。

 だが、私の背後には仲間たちが、そして愛するカフェがある。


「アリシア、離れろ! ……アストライアの光よ、我が剣に宿れ!」


 ルイ様の叫びと共に、彼の手にした剣が黄金の業火を纏う。

 私はその光を合図に、一度身を引き、再び全力で踏み込んだ。


「ルイ様! 合わせますわよ!」


「ああ……今だ!」


 ルイ様の放つ黄金の一閃がゼノの魔導鎧を焼き切り、その隙間に、私の全身全霊を込めたフライパンの振り下ろしが――今度は「真上」から炸裂した。


「これで……お掃除完了ですわーーーー!!」


 ドゴォォォォォン!!


 漆黒の仮面が再び粉々に砕け散り、ゼノは無様に雪原を転がった。


「……が、はっ!? また、またしてもこの私が……っ!」


 地に伏したゼノが、血を吐きながら叫んだ。

 彼の周囲に渦巻いていたどす黒い魔力は、今や見る影もなく霧散しかけている。

 それでもなお、彼は震える手で地面を掻き、呪詛を吐き散らそうとした。


「認めぬ……認めんぞ! この私が、こんな辺境の、不作法な女のフライパン如きに……っ!」


 その醜い執念が、彼の肉体を媒介に黒い炎となって膨れ上がろうとした瞬間。

 ルイ様が静かに一歩前へ出た。

 その手に握られた剣が、太陽の如き眩い光を放つ。


「ゼノ。君の野心も、その歪んだ憎しみも、すべてこの森の夜と共に終わりだ」


 ルイ様が剣を振り下ろすと同時に、私も全霊を込めてフライパンを振り切った。

 黄金の光と、鏡のように磨き抜かれた白銀の面が、ゼノの魔力を真っ向から挟み撃ちにする。


「……あ、あああ……光が……温か、すぎて……っ!」


 絶叫と共に、ゼノの姿は黒いすすとなって夜風に溶けていった。

 彼を担ぎ上げようとしていた残党たちも、その圧倒的な浄化の光に焼かれ、影さえ残さず消滅していく。


 あとに残ったのは、焦げ付いた魔力の匂いと、静まり返った冬の森だけだった。

 静寂が戻った戦場に、柔らかな冬の朝陽が差し込む。


「……完全に消えましたわね。でも、見てくださいルイ様! 壁も床も無事ですわ!」


 私はフライパンを下げ、大きく深く息を吐いた。


 ボロボロになりながらも、バルトやゾア、そして介抱された味方の騎士たちが、安堵と誇らしさが入り混じった顔でこちらを見ている。


「……ああ。奴の野心は、この森の浄化の力によって完全に霧散した。二度と、君やこの国を脅かすことはないだろう」


 ルイ様が、震える私の肩を優しく抱き寄せた。

 その温もりに、ようやく戦いが終わったのだという実感が湧き上がってくる。


 朝日を浴びて白く輝くカフェ・ヴァレンタインの佇まいは、昨夜の激闘が嘘のように凛として、美しくそこに在った。

 けれど、一歩テラスから外へ目を向ければ、そこはまさに「不潔」の極みだった。

 庭のあちこちに突き刺さったテリオンの矢、カトリーナの火球が焦がした地面、そして無様に転がっているゼノの私兵たちの壊れた鎧。


 そんな不浄な光景を、騎士団長マルクスが血相を変えて横切ってきた。

 ゼノを叩き伏せ、勝利を確信していた私たちの前で、彼は膝をつき、震える手で一通の小さな書簡を差し出した。


「……アリシア様! 急報です! 先ほど、我が騎士団が誇る『最速の伝書鳩』が、一通の緊急書簡を運んでまいりました。羽をボロボロにし、息も絶え絶えになりながら海を越えてきた、同胞はらからからの急報です!」


 マルクスの足元には、今しがた届いたばかりの、胸を激しく上下させて休む一羽の鳩がいる。

 マルクスの表情は、かつてないほどに蒼白だった。


「お伝えせねばならないのは、討伐したゼノのことではありません。あ奴は、真の脅威から目を逸らさせるための『陽動』に過ぎなかったのです」


 騎士団長マルクスの沈痛な面持ちに、私は思わず息を呑む。


「陽動……ゼノが、あんなに必死にカフェを壊そうとしていたのが、ただの足止めだったというのですか?」


「左様です。我らがこの森でゼノを迎え撃っていたまさにその時、我が国グラン・ロアのヴァレンタイン公爵邸が、アストライアの魔導艦隊に強襲されました」


 マルクスの語る成り行きは、あまりに一方的で、冷徹なものだった。

 ゼノが「銀鴉騎士団」を率いてこの森へ向かったのと同時刻。

 王都アストライアから一隻の巨大な魔導飛空艦が発進し、雲海を抜けて真っ直ぐにヴァレンタイン領へと突き進んだというのだ。


「迎え撃った守備隊は、手も足も出ませんでした。現れたのはアストライアの魔導提督、ハロルド。奴は艦上から『広域沈黙魔法』を展開し、屋敷中の騎士たちの魔力を一瞬で封じ込めたのです」


 お父様とお母様は、邸内で優雅に朝のティータイムを楽しんでいた最中だったという。

 突如、屋敷の屋根を突き破るように降下してきたハロルドは、逃げ惑う使用人たちを冷徹な目で見下ろし、震えるお父様の前に立った。


『――ヴァレンタイン公爵。貴殿がルイ王子を匿い、我が主カイン様の命を背いた罪、ここで清算させてもらう』


 ハロルドはそう告げると、お父様の必死の命乞いも一切聞き入れず、二人を魔導のかせで拘束。

 抵抗する間も与えず、そのまま飛空艦へと引きずり込み、空の彼方——王都アストライアへと連れ去ったのだ。


「奴はゼノがこの森で醜態を晒している隙に、精密な電撃作戦で公爵領を蹂躙し、夫妻を拉致いたしました……すべては、ルイ様をアストライアへ誘い出すための、ハロルドの計算通りだったのです」


 ハロルド。

 「鉄の心臓」の異名を持つその男は、自らの肉体を魔導回路と同期させ、都市そのものを自らの手足のように操る男。

 感情で動くゼノとは、格が違う。


「……ハロルドめ。あいつはカインの盤面を最も効率的に実行する、機械のような男だ。私の帰還を『歓迎』するために、あえてアリシアの両親を王都で最も守りの固い場所に据えたか」


 ルイ様が悔しそうに拳を握りしめる。


 ハロルドは、捕らえた夫妻を「白亜の王宮」の地下牢……あるいはさらに残酷な、都市の魔導システムが剥き出しになる最深部へ閉じ込め、ルイ様を誘い出すための「生け贄」に据えているという。


「……お父様とお母様が、空飛ぶ船で連れ去られた、ですって……?」


 私は手にしていた銀のトレイを、指先が白くなるほど強く握りしめた。

 あんなに見栄っ張りで、自らの体面ばかりを気にしていた両親が、魔導のかせで繋がれ、見せしめにされている。

 その光景を想像しただけで、視界がすっと冷たくなっていく。


「アリシア、すまない。私のために、君の家族が……」


 ルイ様が、絞り出すような声で私の肩に手を置いた。

 その手は、かつてないほど沈痛に震えている。


「……ルイ様。謝る必要なんてありませんわ」


 私は深く、深く深呼吸をした。

 そしてあえて、いつもの「悪役令嬢」らしい不敵な笑みを顔に貼り付けた。


「あのお父様のことですもの。朝食のティータイムを台無しにされて、今頃ハロルドを相手に、耳にタコができるほどの説教を垂れているに違いありません……そして、そんな不作法な真似を許しておけるほど、私は物分かりの良い娘ではありませんの」


 私はくるりと踵を返し、厨房の扉を見据えた。


「バルト、ゾア、マルクス! そして皆さんも! 悲しんでいる暇などありませんわ。ハロルドという精密機械に立ち向かうには、私たちも最高のコンディションでなければなりません」


 朝日がテラスを照らし、白亜の王宮へと続く道筋を鮮やかに浮かび上がらせる。

 私は扉の取っ手に手をかけ、一度だけ振り返って、仲間たちへと凛然と言い放った。


「一時間後、ここで最高級の朝食を振る舞いますわ。お父様が送ってきた食材をすべて、私たちの『反撃のかて』にして差し上げます。これっぽっちも残さず食べて、あの『不作法な鉄の心臓』に、特大の請求書を突きつけに行きましょう!」


 奪われた故郷、囚われた両親。

 すべてを取り戻すための戦いは、この一皿から始まるのだ。

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