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婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の常連さんに甘やかされて困ってます  作者: 白月つむぎ
第2章

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第15話 過密な竜の背と、癒やしの赤ワイン煮込み

 イグニスが最後の一滴までスープを飲み干した。

 空になった椀が地面に落ちるより早く、彼の纏う空気が鋭利な刃物へと変貌する。


「……五分だ。この五分で、こいつらを『清算』する」


 イグニスの姿が揺らぎ、消えた。


 次の瞬間、最前線の兵士たちの喉元に、鈍色のダガーが月光のように閃く。

 流麗にして無慈悲な斬撃。取り立て屋の本領発揮と言わんばかりに、彼は敵の命を次々と「回収」していく。


「行くぞ、アストライアの誇りにかけて!」


 ルイ様が大地を蹴る。

 王家に伝わる名剣が、冬の空気を切り裂きながら白銀の弧を描いた。

 その剣撃はただ鋭いだけでなく、周囲の魔力を巻き込み、重厚な圧となって敵を叩き伏せる。


「皆様、私の畑を荒らした報いは高くつきますわよ!」


 私も、愛用の重厚な鉄製フライパンを構えて戦場へ躍り出た。

 迫り来る兵士の兜を、真横から力任せにぶっ叩く。


 ――ガァァン!!


 戦場に似つかわしくない、調理場のような小気味よい音が響き、兵士が面白いように吹き飛んだ。


(私の特製ポタージュを飲んだイグニスの働きを、台無しにさせるもんですか! 一匹残らず叩き潰して、畑の肥しにして差し上げますわ!)


 だが、敵も捨て身だ。

 数に物を言わせた包囲網が、じりじりと私たちを圧迫し始める。

 その時、上空から幼い、けれど力強い声が降ってきた。


「みんな、下がって……! 相棒、一掃しちゃえ!」


 ジュリアンが銀の笛を吹き鳴らす。

 旋回していたワイバーンが大きく顎を開き、その喉奥に深紅の熱量を凝縮させた。


 ――ドラゴニック・ブレス。


 吐き出された極大の火炎が、敵の軍勢を一気に焼き払う。

 紅蓮の炎が雪原を溶かし、戦場のパワーバランスを強制的に上書きした。

 その猛炎の向こうから、一人の男がゆっくりと歩み寄ってきた。


 漆黒の重装鎧を纏い、背丈ほどもある禍々しい大剣を肩に担いだ男だ。

 顔の右半分を不気味な銀の仮面で覆い、露出した左目には蛇のような冷徹な瞳が宿っている。

 鎧の各所には、返り血を吸い込んだような、くすんだ紅の装飾が施されていた。

 彼が歩くたび、周囲の地面が凍りつくような不吉な魔力が漏れ出す。


「……久しぶりだな、ルイ様。追放された王が、こんな掃き溜めで料理屋ごっこか?」


 男の低く濁った声が、戦場の喧騒を沈黙させた。


「……ゼノ。貴様が直接出てくるとはな」


 ルイ様の瞳に、かつてない怒りの火が灯る。

 ゼノと呼ばれた男は、嘲笑うように大剣を構えた。


「その首、私が直々に刈り取ってやろう……無知な女と、裏切りの子供諸共な」


「抜かしなさいな、この仮面男! ルイ様を狙う不届き者に、明日を拝む資格なんてありませんわ!」


 私はフライパンの柄を強く握りしめた。

 ルイ様が、右手の甲を天に掲げる。


「アストライアの光よ、我が意思に応えよ――!」


 ルイ様の甲に刻まれた紋章が、冬の太陽よりも眩く炸裂した。

 黄金の光が剣に宿り、辺り一面を浄化の輝きで満たす。


 ゼノが驚愕に目を見開いた瞬間、イグニスのダガーが影のように彼の足元を刈り、ワイバーンのブレスが退路を断つ。


「これで、終わりだ!」


 ルイ様の放つ黄金の一閃と、私の全身全霊を込めたフライパンの振り下ろしが、同時にゼノを捉えた。

 凄まじい衝撃波が巻き起こり、最強を自負していたはずの仮面男は、無様に雪原を転がった。

 鎧は砕け、銀の仮面は粉々になり、先ほどまでの威厳はどこにもない。


「……く、そ……この私が……!?」


 地に伏したゼノを見下ろし、私は優雅に(けれど息を切らしながら)告げた。


「私の店のお客様を怒らせるから、そうなるのですわ……さあ皆様、これでお掃除完了ですわね!」


 静寂が戻った戦場に、勝利の光が差し込む。

 ボロボロになったイグニスも、やり遂げた顔のジュリアンも、そして凛とした立ち姿のルイ様も。


 全員が、冬の青空の下で確かな息吹を繋いでいた。


 ◇


 冬の冷気が、絶え間なく頬を叩く。

 私たちは今、ジュリアンの操るワイバーンの背に乗っていた。


 古の竜の背中は確かに広大だが、それでも大人三人――それも体格のいいルイ様とイグニス、そして私と子供のジュリアンが乗るとなれば、さすがに窮屈さは否めない。


 私のすぐ背後にはルイ様が座り、落とされないようにと私の腰にその逞しい腕を回している。

 厚手のマント越しでも、ルイ様の確かな体温と鼓動が伝わってきて、先ほどまでの戦闘とは別の意味で心臓が跳ねた。


(……これはあくまで安全確保のための不可抗力ですわ。完璧な店主として、この程度の密着で動揺するなどあってはなりませんわよ!)


 私は心の中で必死に扇子を振り回し、前方に座るイグニスの背中を睨んだ。

 彼は傷だらけの体で、なおも油断なく周囲の空を警戒している。


「……イグニス、任務の内容を詳しく話しなさいな。貴方ほどの男が、どうしてあんな窮地に陥ったのです?」


 私の問いに、イグニスは帽子を目深に被り直し、低く鋭い声で答えた。


「『仕事』だ。西の国境に不穏な動きがあるという情報を得て、件のゼノの足取りを追っていた……奴は、かつてルイを玉座から引きずり落としたクーデターの実行犯であり、今なお西のベリウス公国と繋がって暗殺者を送り込んでいる主犯格だ」


 ルイ様の腕に、微かに力がこもった。

 ゼノ。あの銀の仮面の男は、かつてルイ様の側近でありながら、土壇場で裏切りを働いた冷酷な騎士だという。


「奴は、私の『太陽の紋章』を恐れている。だからこそ、私に力が戻る前にジュリアンという暗殺者を送り込み、失敗すれば自ら軍を率いて殲滅しようとしたのだろう……イグニス、君は奴の潜伏先を暴こうとして、逆に罠に嵌められたわけか」


「面目ない、ルイ……だが、奴の私兵団の規模と、公国からの資金援助の証拠は掴んだ。これで『清算』の準備は整った」


 イグニスが鈍色の瞳に、殺し屋としての静かな炎を宿す。

 ルイ様を巡る因縁は、思っていたよりも深く、そして焦げ付いた臭いがしていた。


 やがて、眼下に懐かしい森の緑と、雪を頂いたカフェ・ヴァレンタインの屋根が見えてきた。

 庭の一角には、いつの間にかバルトが作り上げていた巨大な「駐竜スペース」が完成している。

 急造とは思えないほど堅牢な造りに、ジュリアンのワイバーンも満足げに翼を畳み、そこへ着地した。


「お帰りなさいませ、ルイ様、アリシア様! おや、お一人増えたようで」


 出迎えたバルトが、ボロボロのイグニスを見て即座に表情を引き締める。


「バルト、すぐに応急処置の用意を。ジュリアン、ワイバーンを労ってあげて……さあ、皆様。これからは私の時間ですわ!」


 私はワイバーンから降りるなり、調理場へと直行した。

 戦場で飲ませたスープはあくまで一時凌ぎ。

 今のイグニスに必要なのは、消耗した魔力を補い、深い傷の治りを劇的に早めるための「治癒の食事」だ。


(血を流しすぎた身体には、鉄分と良質なタンパク質。そして、細胞を活性化させる森の秘薬……『世界樹の雫』を微量に加えた特製煮込みが必要ですわね!)


 私は休む間もなくフライパンと鍋を振るった。

 新鮮な牛の赤身肉を厚めに切り、滋養強壮に効く根菜と、傷を塞ぐ効能を持つハーブをたっぷりと投入する。

 赤ワインをベースにしたソースでじっくりと煮込み、仕上げに『黄金の蜂蜜』を一垂らし。

 厨房に、濃厚で力強い香りが満ち溢れる。


 一時間後。

 店内の大きなテーブルには、湯気を立てる大皿が並んだ。

 

「……ほう。戦場のスープも悪くなかったが、これは一段と『生きる』匂いがするな」


 包帯を巻いたイグニスが、鈍色の瞳を微かに和ませて席についた。

 ルイ様も、そしてジュリアンやゾア、テリオン、バルト、クラリス、カトリーナも。

 カフェ・ヴァレンタインの全員が、一つのテーブルを囲んでいる。


「さあ、冷めないうちに召し上がれ。イグニス、貴方はそれを一滴残らず平らげることですわ。そうしなければ、明日の畑仕事は許可しませんからね」


「……命令か。殺し屋に土を弄れとは、つくづく酷な店主だ」


 イグニスはそう言いながらも、スプーンを動かす手を止めなかった。

 一口ごとに、彼の青白かった顔に血色が戻り、鋭かった拒絶の空気が、暖炉の火に溶けるように和らいでいく。


 ルイ様はそんな様子を慈しむように見守り、私の手の上に、そっと自分の手を重ねた。


「アリシア、ありがとう。君の料理こそが、何よりも確かな救援だった」


「当然ですわ、ルイ様。私の店に空腹を放置するなんて無粋、万死に値しますもの!」


 外では再び雪が降り始め、冬の森を白く染めていく。

 けれど、カフェの中には、肉の煮える香りと、仲間の笑い声、そして確かな生命の熱気が満ちていた。


 鉄錆の戦場を乗り越え、今日、再び。

 この店には、かけがえのない絆を結ぶための、最高の一席が用意されていた。

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