表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の常連さんに甘やかされて困ってます  作者: 白月つむぎ
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/54

第9話 黄金蓮のステーキと、湿地からの凶報

 冬の終わり、森は一年で最も深い静寂に包まれていた。


 窓の外には、春を待つ雪原がどこまでも白く、しんとして広がっている。

 時折、枝から雪が落ちる音さえ、店内に響くほどに静かな午後だった。

 私がカウンターを磨き、ルイ様が暖炉のそばで静かに書物に目を落としていた、その時。


 ――ズ……ズシン。


 遠く、地面の底から伝わるような、重い振動が空気を震わせた。

 雪崩の音ではない。

 規則正しく、確実にこちらへ近づいてくる、巨大な「何か」が雪を蹴散らす音だ。

 ゾアが鋭く目を光らせ、入り口の扉を背にするように立ちふさがる。

 地響きは次第に大きくなり、ついにカフェの入り口で止まった。


 ド、ド、ドンッ!


 乱暴に扉が叩かれ、建付けの悪い蝶番が悲鳴を上げる。

 次の瞬間、勢いよく開かれた扉から、冬の厳しい冷気と共に、二つの巨大な影が滑り込んできた。


「おう、ゾア! 息災にやってるか!」


 店内に満ちたのは、野太い笑い声と、獣特有の強い匂い。

 現れたのは、全身を鈍色にびいろの硬質な鱗で覆った、岩山のような体躯のリザードマンだった。名を、レゴ。

 そしてその背後、巨大な戦斧を軽々と肩に担ぎ、鋭い眼光を放つ隻眼の戦士、ギラ。

 かつて大陸中の戦場をゾアと共に駆け抜け、その武名を轟かせた歴戦の傭兵たちが、今、この小さなカフェに足を踏み入れたのだ。


「レゴにギラか。よくここが分かったな」


 ゾアが低く唸るような声で応じる。

 彼はいつものようにエプロンをつけた姿で、二人の旧友の前に立った。

 かつての「死線の黒鱗こくりん」が、人間の女が営む店で、かいがいしく給仕をしている――そのあまりに平和な光景に、レゴは驚愕したように目を剥き、次の瞬間には龍のような顔を歪めて爆笑した。


「ハハハ! 噂は本当だったか! お前がこんな森の端で、おままごとでもしているのかと思ったぜ」


「笑うな……ここは、我の新しい戦場だ」


 ゾアは真面目な顔でそう返すが、その尻尾の先がわずかに揺れている。

 レゴは笑いすぎて腹を抱えながら、足元に置いていた大きな袋をカウンターに放り出した。


「まあいい、土産だ。北の湿地でしか獲れねえ『黄金蓮の根』を、道中で引っこ抜いてきてやったぜ」


 ドサリと音を立てて置かれた袋から、泥を落としたばかりの、見事な黄金色の蓮の根が顔を出す。

 それを見た瞬間、ゾアの尻尾が床をパシッ、パシッと叩いた。

 ……ゾア、隠せていませんわ。貴方、今ものすごく「甘いものへの期待」に溢れていますわ。


「……主、すまない。われの旧友たちが騒がしくしてしまった」


 ゾアが申し訳なさそうに頭を下げたが、その視線はカウンターの上の「黄金蓮の根」に釘付けだった。

 私はクスリと笑って、その大きな肩を叩く。


「いいえ、歓迎いたしますわ。ゾアの戦友ともなら、私の友人でもありますもの。さあ、その立派な手土産、さっそく調理させていただきますわね」


 ◇


 私は厨房に入り、腕まくりをした。

 黄金蓮の根は、泥を洗い流すと、その名の通り月光を閉じ込めたような淡い金色に輝き始めた。

 ナイフを入れると、驚くほど身が詰まっており、断面からは糸を引くほど濃厚な蜜が溢れ出す。


(……ほう、これは素晴らしい食材ですわね。ただ焼くだけではもったいないわ)


 私はまず、黄金蓮を二センチほどの厚切りにし、軽く下茹でをしてアクを抜いた。

 それから鉄板にたっぷりの無塩バターを落とし、香ばしい香りが立ち上ったところで、蓮の根を並べる。

 ジューッ、という小気味よい音が店内に響き渡る。

 バターの塩気と、加熱されることで活性化した蓮の甘い香りが混ざり合い、リザードマンたちの鼻腔を直撃した。

 カウンター越しに、三匹の巨大な尾が床を叩くドンドンという音が重なり、まるで太鼓の演奏のようだ。


「おいおい、ゾア……お前、毎日こんな美味そうな匂いに囲まれて暮らしてるのか?」


「我の主の腕は、大陸一だ」


 誇らしげに胸を張るゾアの声を聞きながら、私は仕上げに取り掛かる。

 表面に粗糖を振りかけ、強火で一気にキャラメリゼする。

 黄金色の表面が焦げ茶色に色付き、カリカリとした飴状になったところで、砕いたアーモンドと、隠し味にほんの少しの岩塩を振りかけた。

 仕上げにたっぷりのホイップを添えれば、完成だ。


「お待たせいたしましたわ。『黄金蓮の蜜焼きステーキ、雪山風クリーム添え』です!」


 大皿に乗った豪快な料理が、レゴとギラの前に運ばれた。


「おおおおお!!」


 二人は我先にと、その巨大な手でフォーク(というより、彼らにとっては爪楊枝のようなサイズだが)を握りしめた。

 ガリッ、と表面の飴が砕ける音が響く。

 続いて、中のホクホクとした身から、熱々の蜜が口内いっぱいに弾け飛んだ。


「――っ!! なんてこった、この甘さ! 暴力的なまでに美味いじゃねえか!」


「バターの塩気が蜜の甘みを引き立てて、いくらでも食える! ゾア、貴様だけこんな贅沢を……!」


 レゴとギラは、皿に顔を突っ込まんばかりの勢いで完食し、すぐさま「おかわりだ!」と声を上げた。

 ゾアもまた、仲間に負けじと、至福の表情で己の取り分を咀嚼している。


 ルイ様は、そんな彼らの喧騒を少し離れた席から見守っていた。

 王としての威厳を隠し、今はただの「若き店主の助手」として振る舞っているが、その瞳には常に冷徹な観察眼が宿っている。


 やがて、三皿目のおかわりが空になり、リザードマンたちが満足げに腹をさすり始めた頃。

 レゴがふと、窓の外の雪原に目を向け、声を低めた。


「……だがゾア。この甘い生活を、いつまで続けていられるかは分からねえぞ」


 ゾアの金色の瞳が、鋭く細められた。


「……どういう意味だ、レゴ」


「北の湿地だ。最近、あそこの魔物共の様子がおかしい。本来、群れを作るはずのない異種の魔物たちが、まるで一つの軍勢のように統制されて動いてやがる」


 ギラの隻眼が、不気味に光る。


「ああ。噂じゃ、西の方から腕利きの『魔物使い』が流れてきたらしい。そいつは笛の音一つで、最上位の魔物すら手駒のように扱うという。その『軍勢』が、いま、この森を囲むように南下してきているんだ」


「我を狙う刺客、あるいは……」


 ゾアが言いかけ、視線をルイ様へと飛ばした。

 ルイ様は静かに本を閉じ、その表紙を指先でトントンと叩く。

 それは、彼が深い思考に入った時の癖だった。


「その魔物使いの目的は何だ。ただの領土拡大か?」


 ルイ様が静かに問いかけると、レゴは首を振った。


「分からねえ。だが、そいつの背後には、妙な『紋章』を掲げた一団がいるって話だ。グラン・ロアの正規軍じゃねえ……もっとドロドロとした、金と執念で動く連中だ」


 ルイ様を廃し、新たな操り人形を玉座に据えようとする不穏な勢力。

 その影が、ついにこの静かな森にまで伸びてこようとしていた。

 店内に、先ほどまでの甘い香りを塗り替えるような、刺すような緊張感が満ちる。

 私は、空になった皿を片付けながら、ルイ様と視線を交わした。

 

「……主、我は」


 ゾアが立ち上がろうとしたが、私はその肩を優しく、けれど強く押さえた。


「ゾア。お客様には、最後までゆっくりしていただくのがこの店のルールですわ。魔物使いでも、死神でも、お腹を空かせているのなら私の料理を振る舞うだけ……スパイスをたっぷり効かせて、ね」


 私が完璧な淑女の微笑みを浮かべると、レゴとギラは一瞬だけ、ゾアよりも恐ろしいものを見たような顔をして身を竦めた。


 冬の終わり。

 湿地のざわめきと共に、新たな「獲物」が近づいている。


 私は厨房の奥で、次の戦いのために包丁を研ぎ澄ませた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ