第6話 詐欺師とエージェント、雪降る森の再会
エドラスを討ち、王宮の書類が山積みになった「臨時王宮」と化したカフェの朝。
庭の雪をゾアが大きな尾で掃いていると、森の入り口から見覚えのある馬車が姿を現した。
「……あら、あのお姿は」
私がテラスから目を細めると、馬車から降りてきたのは、派手な外套を翻す金髪の男――ユリウスと、大きな丸眼鏡を光らせた麦わら色の髪の女性――セシルだった。
「お久しぶりでございます、アリシアお嬢様。いえ、『臨時王都の女主人』とお呼びすべきですかね?」
ユリウスは狐のように目を細め、大仰に帽子を取って一礼した。
相変わらず軽薄そうな面立ちだが、その蒼い瞳は一瞬でカフェの防衛体制(と、そこかしこに転がる王宮の機密書類)を見抜いたようだ。
「相変わらず口が減らない男ですね、ユリウス……アリシア様、ご無沙汰しております。お怪我がなくて何よりですわ」
セシルは丸眼鏡の奥の鳶色の瞳を和ませ、親友であるクラリスと短く視線を交わした。
王都のギルドと孤児院を束ねる彼女の「背景に溶け込む」気配は、戦い終えた後のこの森ではひどく落ち着く。
「セシル、ユリウス! よくぞいらしてくださいましたわ……休暇、と伺っていますけれど?」
「ええ、表向きはね。王都のネズミたちが騒ぎすぎて耳が痛いので、美味しい空気を吸いに来ました」
ユリウスが肩をすくめると、セシルはそれまでの冷徹な「影のプロフェッショナル」の顔を一変させ、瞳をキラキラと輝かせた。
「アリシア様……実は道中、ずっとこちらのお料理のことばかり考えておりましたの。空腹のあまり、馬車の座面がパンに見えたほどで……」
その潔い食いしん坊ぶりに、私は思わず噴き出してしまった。
「おーっほっほ! 王都の情報通たちが、揃いも揃って鼻をヒクつかせながら現れるなんて。私の炎で炙って差し上げてもよろしくてよ?」
厨房から現れたカトリーナが高笑いと共に二人を迎える。
ユリウスは「これはこれは、炎の乙女様までお揃いで」と皮肉げに笑い、セシルはカトリーナの存在に驚きつつも、すぐに「……高火力。ステーキには最適ですね」と、食べ物基準で彼女を評価した。
「さあ、お二人とも。積もる話もありますし、まずは温まってくださいませ」
私は、二人を特等席へ案内した。
今日のおもてなしは、『牛肉の赤ワイン煮込みと、雪のフォカッチャ』にしよう。
休暇をとって遊びに来てくれた友人のために、腕によりをかける私の背後で、ユリウスがふと声を潜めた。
「お嬢様、一つ忠告を……カイン殿が動いています。たとえエルデニアの地下牢に繋がれていようとも、あの男の影響力は衰えていませんよ」
ユリウスが声を潜めて告げた。
私は、牛肉を煮込む鍋の手を休め、彼を見つめた。
「カインが……? ですが、彼は今、エルデニアの王に拘束されているはずでは?」
「ええ。ですが、彼は牢獄の中から『盤面』を動かしているようです……セシル殿、君が見てきたものを話してあげなさい」
ユリウスに促され、セシルはキラキラさせていた瞳を一度引き締め、丸眼鏡を指で押し上げた。
「はい。実は先日、孤児院の支援ルートを使い、秘かにエルデニアの王都へ潜入してまいりました……カイン様の幽閉されている塔の周辺で、アストライアの反ルイ派貴族たちが頻繁に接触している形跡があります。彼は牢獄にいながらにして、エドラスの死すら予測し、次の『一手』を指示しているようでしたわ」
セシルは、エルデニアまで足を運び、その鋭い観察眼で「牢獄の王」の健在ぶりを確認してきたのだ。
「……あの方は、ルイ様との決着を諦めてはいません。むしろ、この森に戦力が集中する今を、最大の好機だと笑っていました」
その言葉に、厨房に緊張が走る。
だが、セシルはすぐにお茶目に片目を瞑ってみせた。
「ですが、今は休暇です。エルデニアの薄い粥のような食事で、私の胃袋は悲鳴を上げておりますの……アリシア様、カイン様への対策は、この牛肉を平らげてからでもよろしいでしょうか?」
「おーっほっほ! さすがは不屈のエージェント。まずは栄養補給というわけね」
カトリーナが笑い、私は改めて火を強めた。
「ええ、もちろんですわ。冷えた心と体には、栄養が一番ですもの。カインとの和解の道を探るにしても、まずは腹ごしらえからですわね!」
厨房から溢れ出したのは、芳醇な赤ワインとブーケガルニ、そしてじっくりと炒めたタマネギの甘い香り。
私は、スプーンが抵抗なく沈むほど柔らかくなった牛肉を、クラリスが磨き上げた大皿に盛り付けた。
「お待たせいたしましたわ。『牛肉の赤ワイン煮込み、冬の森仕立て』ですわね。セシル、ユリウス、冷めないうちにどうぞ」
皿がテーブルに置かれた瞬間、セシルの丸眼鏡が蒸気で白く曇った。
けれど、彼女はそれを拭う暇さえ惜しいと言わんばかりに、ナイフを手に取る。
「いただきます……! ああ、この照り、この香り。王都の喧騒も、エルデニアの冷たい石畳も、すべて吹き飛んでしまいそうですわ!」
セシルは一口サイズに切った肉を口に運ぶと、幸せそうに頬を緩ませた。
「……んんっ! 噛む必要がありませんわ。肉の繊維一本一本にソースが染み渡り、舌の上で解けていきます……これです、私が夢にまで見たのはこの味ですわ!」
彼女は驚くべき速さで、しかし気品を失わない所作で次々と肉を口へ運んでいく。
そのあまりに真っ直ぐな食欲に、カトリーナも「……凄まじいわね。首席卒業の私でも、その吸収率には脱帽ですわ」と感心したように呟いた。
「お嬢様、このソースは反則ですよ。パンが何枚あっても足りない」
ユリウスはフォカッチャにソースをたっぷりと付け、皮肉な笑みを消して純粋に料理を楽しんでいた。
だが、彼は三口ほど食べ終えたところで、ふと視線を鋭くした。
「……さて。腹が落ち着いたところで、お嬢様に『デザート』代わりの不吉な話を聞いてもらいましょうか」
ユリウスは指先に残ったパンの粉を払い、声を落とした。
「セシル殿がエルデニアで見てきた通り、カイン様は地下牢にいます。ですが、彼はそこを『王宮』に変えてしまった。エルデニアの王は、カイン様の知略と、彼が握るアストライアの利権に毒され、今や彼の言いなりですよ」
「まあ……牢の中から、国を操っているというのですか?」
「ええ。そしてカイン様は、実の兄であるルイ殿下がこの森を拠点にしたことを逆手に取りました。王宮を空けた兄を『職務放棄』として廃立し、弟である自分こそが正当な王位継承者であると、王都の貴族たちに密書を送っています。血を分けた兄弟だからこそ、その主張には剥がしがたい説得力が宿ってしまう」
セシルが、空になった一皿目をクラリスに預けながら、真剣な眼差しで私を見た。
「アリシア様。カイン様は、和解を望んでなどいません。彼は、この森にルイ様ごと『アストライアのすべて』を呼び寄せ、そこで一気に奪い尽くすつもりです。兄の持つ紋章を、その命ごとね」
窓の外、雪を被った森は静まり返っている。
けれど、その静寂の裏側で、血を分けた兄弟の凄絶な争いの網が、このカフェを包囲しようとしていた。
「……よろしいですわ」
私は、セシルの二皿目を用意しながら、静かに、けれど強くフライパンの柄を握りしめた。
「カイン様がそのつもりなら、私は料理人として、最高の『最後通牒』を用意するまでです。ルイ様とカイン様……あのお二人の血の絆が本当に腐ってしまったのか、この店で白黒はっきりつけて差し上げますわ!」
たとえ相手が王弟であろうとも、この店を戦場にするなら容赦はしない。
私の宣言に、ユリウスは楽しそうに肩を揺らし、セシルは三皿目への期待を込めて再びフォカッチャを手に取った。




