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婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の常連さんに甘やかされて困ってます  作者: 白月つむぎ
第1章

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第36話 深夜の特別営業と、フライパンの快音

 ルイ様の頬に触れた手の温もりが、冷たい夜風にかき消される。


「……一、ニ、三……ネズミが五匹。いえ、死角にもうニ匹いますわね。ルイ様、残念ながら今夜のティータイムはここで終了のようですわ」


 私は、ルイ様の切なげな瞳を正面から受け止め、不敵に微笑んでみせた。

 彼がどこの誰で、どのような「計画」を立てているのかなんて、今の私には関係ない。

 ただ、森の闇から這い出してきた、月の光さえ反射しない漆黒の装束の連中――彼らから放たれる「殺意」だけは、はっきりと理解できた。


(しんみりした空気もここまでよ! ルイ様を悲しませる奴らは、どこのどいつか知らないけれど、一人残らず私の営業妨害罪で叩き出してやるわーーー!!)


「ルイ様、少し下がっていてくださいな……ここは、私の店です。不作法なお客様へのおもてなしは、店主の役目ですから」


 私は、いつになく優雅な所作でドレスの裾を払うと、厨房の裏から持ち出しておいた「愛用の重厚フライパン(特注品)」の柄を強く握りしめた。


「クラリス。不作法な方々へ、当店の『特別メニュー』をお出しして」


「承知いたしました、お嬢様――至急、お引取りを」


 クラリスが銀のトレイを掲げた瞬間、暗闇の中で魔導の閃光が弾けた。

 闇の中から放たれた数条の矢。

 しかし、それはテラスに届く前に、夜空に咲いた鮮烈な「炎の盾」によって焼き尽くされた。


「ちょっと、そこの不気味な黒ずくめさんたち! 夜のデザートタイムに私が管理していない火を持ち込むなんて、マナー違反もいいところよ!」


 テラスの縁に腰掛け、不敵に笑うのはカトリーナだ。

 彼女が指先を鳴らすたび、空中を浮遊する数個の火球が、隠れていた刺客たちの位置を容赦なく照らし出す。


「クラリス! 足止めは任せたわよ!」


「言われずとも――『重力障壁グラビティ・テリトリー』皆様、そのままそこで跪いていなさい」


 クラリスが銀のトレイを地面に叩きつけると、刺客たちの周囲の重力が一変した。

 超重力に押し潰され、地面に這いつくばる刺客たち。

 そこへ、影の中から「死」そのものが歩み寄る。


「……命の価値も分からぬ連中が。せめて、我が糧となれ」


 イグニスが音もなく刺客の背後に立ち、その逆手に握ったダガーの銀光を閃かせた。

 心臓を貫く寸前、屋根の上からテリオンの矢が、刺客の武器だけを正確に弾き飛ばした。


「殺すな。アリシアが掃除を嫌がる……ゾア、『トドメ』だ!」


「ガオッ! 承知した!」


 巨躯のゾアが、丸太のような腕で刺客たちを次々と「束ねて」いく。

 もはや暗殺者の集団ではなく、出荷を待つ薪の束のような惨状だ。


 ルイ様は、自分の正体を知れば逃げ出すだろうと考えていた私たちが、それどころか手慣れた様子で刺客をボコボコにしていく光景に、呆然と立ち尽くしていた。


「あ、あの、アリシア……彼らは、並の騎士では太刀打ちできないはずの……」


「ルイ様。そんなことより、見てくださいな。あの人たち、私の大切なお庭の芝生を泥靴で踏み荒らしましたのよ?」


 私はゆっくりと、けれど完璧に優雅な所作で、手にしたフライパンを構えた。


(全員まとめて拘束完了ね! あとは仕上げに、営業妨害の慰謝料代わりに、どこの誰に雇われたのかフライパンでじっくり吐かせてやるわよーーー!!)


「さあ、本日最後の『特別メニュー』です……お口に合えば、よろしいのですが?」


 私がにっこりと微笑みながらフライパンを振り抜いた瞬間。

 カァァァァァン!! という、夜の森の静寂を木っ端微塵に砕くような、あまりにも快音――それでいて凄まじい衝撃音が響き渡った。


「ぎゃっ!?」


「あ、熱い!? フライパンが……熱を帯びて……!」


 カトリーナがこっそり付与した炎魔法と、私の「怒り」がこもった一撃は、刺客の重装備ごと彼らの意識を刈り取った。

 宙を舞った刺客の一人が、ゾアの用意した薪の山に、吸い込まれるように積み上げられる。


「お見事です、お嬢様。これ以上ないほどの『おもてなし』でした」


 クラリスがパチパチと小さく拍手を送る中、私は優雅に、けれど内心では「スカッとしましたわー!」と叫びながら、フライパンをスッと下ろした。


 一方、背後では「自分のために命を懸けて逃げてくれ」と言うつもりだったルイ様が、フライパン一本で刺客をなぎ倒す私と、当然のようにそれを受け入れる従業員たちの姿を見て、口を半開きにしたまま固まっていた。


「アリシア。君は一体……彼らはアストライアの……」


「ルイ様。野暮な話は、まずお掃除を終えてからにいたしましょう?」


「お掃除、とは。彼らはアストライアの中でも選りすぐりの……」


 呆然と呟くルイ様の言葉を、私は人差し指を唇に当てて優雅に遮った。

 足元では、ゾアに薪のように積み上げられた刺客のリーダー格が、虫の息で顔を上げる。

 その視線は、私の背後に立つルイ様の手の甲――そこに刻まれているであろう「何か」を凝視し、恐怖に引き攣っていた。


「……あり、えない。アストライアの……至高の『太陽の紋章』を継ぐ御方が、なぜ、このような……女料理人と……」


 男の掠れた声が、夜の静寂に落ちる。

 カトリーナが言っていた『アストライア』。そして、国を灰にするという『怪物』が持つ力。

 

(えっ、ちょっと待って。今この人『太陽の紋章』って言った? アストライアのトップだけが持つっていう、あの伝説の!?)


 私の心臓が、ドクンと跳ねた。

 目の前の穏やかで美しいルイ様が、その『怪物』?

 あまりの衝撃に、一瞬だけ完璧な令嬢の仮面が剥がれそうになる。

 けれど、私は深呼吸をひとつして、さらに深く、艶やかな微笑みを浮かべてみせた。


「あら。お客様、随分とお口が汚れていらっしゃいますわね。デザートの代わりに、その歪んだ根性をフライパンで焼き直して差し上げましょうか?」


「ひ、ひいっ……!」


 私の笑顔(と背後に控えるイグニスの冷たい殺気)に、刺客はついに絶望して白目を剥き、意識を失った。

 ふぅ、と小さく息を吐いてフライパンを下ろすと、背後から熱い視線を感じた。

 振り返れば、そこにはルイ様が、見たこともないような複雑な表情で私を見つめて立っていた。


「……アリシア。君は、私が怖くないのか? 彼らの言う通り、私はアストライアの忌むべき継承者だ。この身に宿る太陽は、いつか全てを焼き尽くす……」


 震える彼の声。

 私はゆっくりと歩み寄り、まだ少し熱を帯びたフライパンを傍らのテーブルに置いた。

 そして、その大きな、けれど孤独に震える彼の手を、私の両手でそっと包み込む。


「ルイ様。たとえあなたが伝説の術師でも、アストライアの王様でも、ここでは関係ありませんわ。私の店で私の料理を『美味しい』と言ってくださる方は、守るべき大切なお客様。それだけで、十分ではありませんか?」


 ルイ様は目を見開き、やがて力なく、けれど確かに私の手に自分の手を重ねた。


「……君には、敵わないな」


 ルイ様は自嘲気味に、けれど憑き物が落ちたような穏やかな顔でそう呟いた。

 伝説の紋章を宿し、アストライアの頂点に君臨していた怪物。

 そんな孤独な肩書きを、私のフライパンの快音と「お客様だから」という単純な理屈が、鮮やかに打ち砕いてしまったのだ。


 重ねられた彼の手から伝わる微かな熱。

 それが魔術の残り香なのか、彼自身の心の体温なのか、私にはわからない。

 けれど、この温もりを守りたいと、心からそう思った。


「さあ、冷えないうちに中へ戻りましょう。カトリーナのスフレは……おそらく炭になっているでしょうから、私がとっておきの夜食を作り直しますわ」


 私は優雅に微笑み、彼の手を引いて歩き出す。

 背後では、ゾアとテリオンが手際よく「薪(刺客)」を森の奥へと運び出し、イグニスが消えかかる魔力の残滓ざんしを無造作に踏み消していた。


 すべては、いつもの騒々しい日常の延長線上にある。

 ――そう、信じたかった。


 だが、ゾアが薪のように放り投げた刺客の懐から、一通の封書が滑り落ちていることに、私はまだ気づいていない。


 月光に照らされたその封筒の裏側。

 そこには、アストライアの刺客が持っているはずのない、見覚えのある印章が押されていた。

 それは、王都グラン・ロアにおいて、お父様ですら畏怖し、ヴァレンタイン公爵家の「影の協力者」として代々秘密裏に繋がってきた、ある組織の紋章。


 アストライアから逃げてきたルイ様と、グラン・ロアを捨てた私。

 二人がこの森で出会ったのは、偶然などではなかったのかもしれない。


 遠く北の空で、白亜の王宮アストライアが、青白い魔導の光を放って不気味に明滅した。

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