第30話 鉄衛騎士団のデリバリー、隠し味は父の執念
「……閣下は本当に、計算通りに動いてくださる」
ユリウスは眼鏡のブリッジを押し上げ、深い蒼の瞳で窓の外を眺めた。
その口元には、獲物を罠にハメた狐のような薄笑いが浮かんでいる。
彼は手元のコーヒーカップを置くと、椅子に立てかけていた仕込み杖を手に取った。
「私が『お嬢様は飢えに苦しんでいる』と一言添えるだけで、これほど上質な食材と設備を、武装した運送屋に運ばせるとは……さて、お代は閣下から既に頂いています。私は私の仕事をするとしましょう」
霧の中から現れたのは、ヴァレンタイン公爵家直属「鉄衛騎士団」の精鋭たちだ。
先頭の騎士が、馬上で大仰に巻物を広げ、声を張り上げる。
「アリシアお嬢様! 閣下のご慈悲により、救助に参りました! 抵抗を止め、その汚らしい亜人と共に投降なさい! さもなくば――」
「さもなくば、どうなさるのです?」
私が店先へ一歩踏み出すと、騎士の言葉が止まった。
彼らの背後の馬車には、お父様が「娘を屈服させるための見せしめ」として積ませた、最高級の白ワインの木箱や、熟成された生ハムの原木が山積みになっている。
(あのワイン、一本で私の前世の年収分くらいしますわよね!? 全部、新作メニューのソースに使って差し上げますわー!!)
私は淑女の仮面をピシリと張り付けたまま、隣で弓を構えるテリオンに優雅に告げた。
「……テリオン様。あのお肉の箱を傷つけないよう、馬の足元だけをお願いできますかしら?」
「フン、容易い御用だ」
テリオンが音もなく矢を放つ。
鋭い風切り音が響き、先頭の騎士の馬の蹄のすぐ脇を射抜いた。
驚いた馬がいななき、陣形が崩れる。
「なっ、貴様ら! 閣下の情けを無下にするか! 出あえっ!」
騎士たちが抜刀しようとしたその瞬間。
私の隣に立っていたユリウスが、ひらりと身を躍らせた。
「おっと、そこまでだ。せっかくの高級食材が、鉄臭くなってはいけませんからね」
ユリウスは懐から数本の投げナイフを取り出すと、魔法のような手捌きで放った。
ナイフは殺傷を目的とせず、騎士たちの指先や、鎧の繋ぎ目を正確に弾く。
「な、なんだこの手品師は! 捕らえろ!」
数人の騎士がユリウスを包囲し、剣を振り下ろす。
だが、ユリウスは仕込み杖の柄を捻り、鋭く引き抜いた。
シャラリ、と冷ややかな金属音が森に響く。
杖の中から現れたのは、節々に分かれた刃が鞭のようにしなる「蛇腹剣」だ。
「……私の剣は少々、機嫌を損ねると噛みつきますよ?」
ユリウスが手首をわずかに返すと、蛇腹剣は生き物のように空を舞い、騎士たちの剣を絡め取って次々と弾き飛ばした。
さらに、しなった刃が騎士の鎧を撫で、繋ぎ目の革紐だけを切断する。
ガシャン、ガシャンと無様に剥がれ落ちる金属板。
その蒼い瞳には、詐欺師としての軽薄さは微塵もなく、獲物を冷徹に仕留めるプロの光が宿っている。
「主よ。この者たちの武装解除は済んだようだ。次は我の番でいいか?」
そこへ、仁王立ちで機を伺っていたゾアが、地響きのような一歩を踏み出した。
彼は腰に下げた、岩塊を削り出したかのような巨大な斧を片手で引き抜く。
鈍く光る黒鋼の刃は、それ自体が凄まじい質量を誇り、並の人間であれば持ち上げることすら叶わない代物だ。
「主の庭を汚す鉄の群れ……これ以上進むというなら、その馬ごと挽肉にしてくれる」
ゾアが地響きのような声で告げ、手にした斧を逆手に持ち替えた。
彼は刃を振るうのではなく、その圧倒的な質量を持つ「背」の部分を、力任せに地面へと叩きつけた。
――ズ、ドォォォォォンッ!!
雷鳴のような轟音が森に響き渡り、足元の地面が大きく波打った。
衝撃波は物理的な破壊を伴い、叩きつけられた地点から蜘蛛の巣状に地割れが走り、舞い上がった土煙が騎士たちの視界を塞ぐ。
凄まじい振動は、馬上の騎士たちの膝を激しく震わせた。
その威圧感に、訓練された軍馬たちが真っ先に屈した。
ヒヒーンッ! と高い悲鳴を上げた馬たちは、泡を吹きながら、まるで神に祈りを捧げるかのように次々と前脚を折り、地面に膝を突き伏したのだ。
「ひ、ひぃっ……!? 化け物か!」
「う、馬が動かん! 立つんだ、立て!」
落馬し、泥にまみれた騎士たちが、震える手で地面を這いずる。
彼らが見上げた先には、巻き上がる土煙の中に立つ、逆光を背負ったリザードマンの巨大な影。
その光景は、王都の物語に登場する勇者の軍勢などではなく、古の魔王に挑んで返り討ちに遭った敗残兵のそれだった。
そこへ、騒ぎを聞きつけて店の奥から現れたルイ様が、呆れたように、けれどどこか楽しそうに目を細めた。
「ゾア、少しやりすぎだよ。地面を直すのは大変なんだからね」
「……は。申し訳ございません、ルイ様」
ルイ様の静かな一言に、先ほどまで魔王のような威圧を放っていたゾアが、神妙に頭を下げる。
その極端な態度の差に、騎士たちはもはや、自分たちが挑もうとした相手の格が違いすぎることを悟るしかなかった。
(騎士団全滅! そして馬車は無傷! これ、完璧な勝利じゃないですのーーー!!)
私は、恐怖に顔を引き攣らせる騎士たちを尻目に、倒れ込んだ馬車の荷台へと駆け寄った。
シートを捲れば、そこには宝石よりも輝いて見える食材の山――。
「あらあら、皆様。わざわざ王都から、こんなに重い荷物を運んできてくださって、本当にありがとうございます」
私は、泥だらけになった騎士団長に、最高に可憐な微笑みで手を差し伸べた。
「せっかくですから、その荷物を厨房まで運んでくださいませ。丁寧なお仕事をしていただけるなら、今日の賄い(まかない)くらい、出して差し上げますわよ?」
「な、何を言っている! 我々はヴァレンタイン公爵閣下の命により……」
泥まみれの騎士団長が、震える声で反論しようとした。しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
私の背後、店の入り口で、ルイ様が優雅に、けれど凍てつくような冷たさを孕んだ笑みを浮かべていたからだ。
「アリシアがそう言っているんだ。君たち、まさか私の『最愛の場所』で、これ以上不作法を働くつもりじゃないだろうね?」
ルイ様のエメラルドの瞳が、スッと細められる。
ただそれだけで、騎士たちの周辺の温度が数度上がったかのような錯覚を覚えるほどの威圧感が放たれた。
「ひ、ひぃぃっ! わ、分かりました! 運びます、運びますから!」
騎士団長が悲鳴を上げ、這いつくばったまま部下たちに指示を出す。
つい数分前まで「救助」を謳っていた精鋭たちは、今や重装甲の鎧をガシャガシャと鳴らしながら、腰を低くして馬車から木箱を下ろし始めた。
「ほら、そっちの生ハムはもっと丁寧に扱って! ワインの箱も、振動を与えないように運んでくださいませ。ゾア、彼らがサボらないように見張っていてね」
「承知した、主……おい、そこの人間。足取りが重いぞ。もう一度地面を叩いてやろうか?」
「と、とんでもございません!」
ゾアが斧を肩に担ぎ直すたびに、騎士たちはビクッと肩を跳ねさせ、必死の形相で荷物を厨房へと運び入れる。
かつてはお父様の忠実な手駒だった騎士たちが、私のの指示に従い、重い食材を運ぶ「運搬業者」と化している。
その光景の滑稽さに、私は口元を抑えて必死に笑いを堪えた。
(高給取りの騎士様たちが、タダ働きで最高級の食材を運び込んでますわ! 人件費ゼロ、仕入れ値ゼロ! お父様、最高すぎますわーーー!!)
ユリウスは蛇腹剣をスルスルと杖に収め、その様子を眺めながら、満足そうに鼻を鳴らした。
「実に効率的だ。アリシアお嬢様、これだけの食材があれば、あの『公爵閣下から巻き上げた……失礼、寄付された』調理器具も、存分に実力を発揮できるでしょうね」
「ええ、ユリウス。さて、彼らにも少しは労働の喜びを教えてあげなくては。クラリス! あの最高級の小麦粉と、運ばれてきたばかりのフレッシュな卵を用意して!」
「はい、お嬢様。既に準備は整っております」
厨房から、クラリスが静かに、けれど確かな殺気……もとい、やる気を漲らせて応じた。
しばらくして。
重い荷運びを終え、店先のテラス席でガタガタと震えながら座っている騎士たちの前に、香ばしい香りが漂ってきた。
運ばれてきたのは、焼きたての分厚いパンに、たっぷりの霊角鹿の端材を煮込んだソースと、今しがた強奪……いえ、受領したばかりの最高級チーズをたっぷりかけた「特製まかないサンド」だ。
「さあ、召し上がれ。働いた後の食事は、格別ですわよ?」
騎士たちが、おそるおそるサンドイッチを口にする。
その瞬間、彼らの目から大粒の涙が溢れ出した。
「な、なんだこれは……王都の最高級ギルドで食べるものより、遥かに美味い……!」
「温かい……閣下の命令で、冷たい雨の中を強行軍してきた胃袋に、こんなにも優しく響くなんて……!」
戦意喪失どころか、彼らの心は、アリシアの料理によって完全に骨抜きにされていた。
お父様が「絶望して飢えている娘」を見せるために差し向けた騎士団は、今や「アリシアの料理を食べるために、進んでお父様を裏切りかねない常連予備軍」へと変貌を遂げたのだ。
それを見つめるルイ様が、私の腰をそっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「……アリシア、君は本当に恐ろしい人だ。胃袋を掴んで、敵すらも自分の味方に変えてしまうんだから」
私は、ルイ様の腕の熱に顔を赤らめながらも、心の中では次なる「収穫」を企んでいた。
(ふふふ……お父様。次に来るときは、もっと大勢の騎士様に、もっと豪華なお土産を持たせてくださいませね?)
森に響くのは、騎士たちの啜り泣きと、至福の溜息。
お父様が差し向けた鉄の軍勢は、こうして一滴の無駄もなく、アリシアのカフェを彩る「極上の素材」へと姿を変えた。
だが、この香ばしい勝利の香りが、さらに遠くの「招かれざる客」を呼び寄せることになるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。




