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婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の常連さんに甘やかされて困ってます  作者: 白月つむぎ
第1章

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第18話 翠の来客と、精霊の愛した一皿

 ミシェルちゃんのお母様からいただいた苗を植えてから数週間。

 庭の一角は、まるでそこだけ時間が加速しているかのように、鮮やかな緑で埋め尽くされていた。


「……信じられないわ。この『星降りトマト』、昨日よりもさらに赤みが増して、今にも弾けそうですわ」


 たわわに実った果実を手に取ると、驚くほどずっしりとした重みが伝わってくる。

 深い紅色の皮には、その名の通り、小さな星を散りばめたような金色の斑点がキラキラと輝いていた。

 指先で軽く触れるだけで、太陽の温もりと、凝縮された濃厚な甘い香りが立ちのぼる。


 私がジョウロを手に感心していると、森の奥から風に乗って不思議な調べが聞こえてきた。

 鈴を転がすような、けれどどこか寂しげな歌声だ。

 ふと視線を上げると、庭の柵の外に、透き通るような白い肌と長く尖った耳を持つ美しい女性が立っていた。

 月光を編み込んだような白銀の長い髪が、微風に揺れて淡い光を放っている。彼女の深い翠色みどりいろの瞳は、まっすぐに苗木たちを射抜いている。


「驚いたわ。人間の住処に、これほど純粋な命の息吹が満ちているなんて。この子たちは、あなたたちが育てているの?」


 彼女の纏う空気は、この森の主であるかのように高潔で、神秘的だった。


(ちょっと待って。本物の、本物のエルフですわーーー!! おとぎ話の中だけの存在だと思っていましたけれど、耳が! 耳が本当に長いですわ! 最高に美しいですわーーー!!)


 私は、震えそうな興奮を完璧な淑女のポーカーフェイスの下に封じ込め、優雅に膝を折った。


「ようこそ、森のカフェへ。私は店主のアリシアと申します。よろしければ、中で冷たいお茶でもいかがかしら?」


「お茶? 人間の食べ物は、私たちの口には強すぎるけれど……でも、この子たちを育てた人の手によるものなら、少し興味があるわ」


 ◇


 セレスティアと名乗った彼女をテラス席へ案内した。

 私はさっそく、収穫したばかりの「星降りトマト」を薄くスライスし、森のハーブと、クラリスが街で仕入れてきた最高級のオリーブオイル、そしてほんの少しの岩塩だけで仕立てた冷製カプレーゼを用意した。


「どうぞ。あの苗たちから生まれた、最初の贈り物ですわ」


 セレスティアが、細い指先でフォークを手に取る。

 トマトの皮が口の中で弾け、凝縮された太陽の甘みが広がった瞬間、彼女の翠の瞳が驚きで見開かれた。


「なんてこと。土の記憶が、そのまま喉を通っていく。雑味がなくて、まるで森の涙を飲んでいるみたい」


 彼女が静かに、けれど夢中で食べ進める様子を見て、私は心の中で特大のガッツポーズを作った。


(偏食で有名なエルフ様の胃袋まで掴みましたわ! これで私のカフェは、人間界だけでなく異種族界隈でも『伝説の聖地』として語り継がれること間違いなしですわーーー!!)


 その時、店の奥から聞き慣れた声が響いた。


「……アリシア。新しい客人が来ているようだが、紹介してくれるかい?」


 そこには、ルイ様が落ち着きを湛えて立っていた。

 セレスティアが、ルイ様を見た瞬間に椅子を蹴立てて立ち上がる。


「あなた……なぜ、このような場所に、高貴なる『太陽の末裔』が……!?」


 彼女の言葉に、私は思わず固まった。

 太陽の末裔? それは、神話に出てくるような特別な血筋を指す言葉ではないか。

 しかし、ルイ様は困ったように、けれどいつもの穏やかな微笑みを崩さずに肩をすくめた。


「……おや。私のオレンジ色の髪を見て、古い伝承を思い出したのかな。エルフの想像力は、相変わらず豊かだね」


 ルイ様はセレスティアを見据え、静かに、けれど有無を言わせぬ響きを含んだ声で続けた。


「私はただの隠居人だ。この店のおいしい料理に惹きつけられた、迷い子のようなものだよ……そうでなければ、ここに座って君と一緒にトマトを味わう資格などないだろう?」


 その言葉には、セレスティアに「それ以上の追及は無用だ」と告げるような、不思議な力が宿っていた。

 セレスティアはしばらくルイ様を注視していたが、やがて何かを悟ったように深く一礼し、再び椅子に座った。


「……失礼いたしました。森の静寂に慣れすぎて、少し目眩がしたようですわ……ええ、そうですね。ここでは、この素晴らしい一皿こそが真実です」


 彼女は再びトマトを口に運び、満足そうに瞳を閉じた。

 ルイ様は私の方を振り返り、悪戯っぽくウィンクをして見せた。


(ルイ様……今の受け答え、あまりにも手慣れすぎていて、余計に怪しいですわよ! 太陽の末裔だなんて、普通の人はそんな間違われ方はしませんわーーー!!)


 私は心の中で激しくツッコミを入れつつも、完璧な微笑みを貼り付けたまま、ルイ様のために新しく紅茶を淹れに席を立った。

 ルイ様は上手くはぐらかしたけど、私の疑念は深まるばかりだった。



 私はキッチンへ戻ると、冷やしておいた「星降りトマト」のコンポートと、軽くソテーして甘みを引き出した「陽だまりキャベツ」の芯に近い部分を、自家製のカスタードと合わせた。


「お待たせいたしました。デザートは、『星降りトマトの蜜煮と、陽だまりキャベツのシュクレ・サレ』ですわ」


 器を並べると、トマトの宝石のような輝きと、キャベツが放つ微かな光が重なり合い、テーブルの上が魔法にかけられたかのように華やいだ。


「野菜を……菓子にするなんて。人間にしては、なんて柔らかな発想なのかしら」


 セレスティアは感嘆の声を漏らし、一口運んだ。

 トマトの濃厚な甘酸っぱさと、キャベツの滋味深い甘みが、冷たいカスタードの中で溶け合う。


「……信じられない。このキャベツからは、朝露と陽光の味がするわ。まるで森そのものを食べているみたい」


 彼女の翠の瞳が、至福の色に染まっていく。

 ルイ様もまた、優雅な手つきでそれを口にし、満足げに頷いた。


「驚いたな。キャベツがこれほど甘く、優しく変化するとは。アリシア、君の手はやはり魔法の手だね」


(やったーーー!! エルフの食文化に革命を起こしましたわーーー!! 野菜デザート、大・成・功ですわ!!)


 私は内心で勝利の舞を踊りながらも、スッと背筋を伸ばし、完璧な令嬢の礼を捧げた。


「お口に合って何よりですわ」


 やがて食事が終わると、セレスティアは静かに立ち上がった。その白銀の髪が、夕刻の光を反射して美しくきらめく。


「……ごちそうさま。アリシア、あなたの真心は、この森の精霊たちさえも虜にするでしょうね。そして……」


 彼女は一度ルイ様を深く見据え、それから私に向き直って、予言めいた微笑を浮かべた。


「太陽がこの森に留まっているのは、奇跡のような巡り合わせ……どうか、その輝きを絶やさぬように」


「ええ。精一杯、おもてなしさせていただきますわ」


 私がそう答えると、彼女は満足そうに頷き、一陣の風とともに森の奥へと消えていった。

 残されたテラスには、甘く穏やかな余韻と、ルイ様の静かな存在感だけが漂っている。


(『太陽を絶やさぬように』ですって。やっぱりルイ様、普通の人間じゃありませんわよね!?)


 私は、隣で穏やかに紅茶を啜る「太陽の末裔」かもしれない男を横目で見た。

 聞きたいことは山ほどある。けれど、今はまだ、この穏やかな「隠居生活」という魔法を解きたくはなかった。

 私は再び完璧な微笑みを顔に貼り付け、空になった器を下げ始めた。

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