第15話 騎士団(笑)の敗走と、至福のひと皿
翌朝。
セシルからもたらされた「奪還騎士団」の情報を整理しながら、私とクラリスはいつも通り開店準備を進めていた。
セシルは店の隅で備品の点検を手伝ってくれている。
「それで、セシル。その『奪還騎士団』とやらは、いつ頃ここに来るつもりなの?」
カウンターで仕込みをしながら尋ねると、セシルは手元を動かしたまま淡々と答えた。
「はい。ライオネル殿下は『麗しの婚約者を救い出す英雄』という演出にこだわっているようで、白馬の手配やパレードの調整に手間取っているようです。到着は三日後かと」
(準備期間までくれるなんて、殿下の無能っぷりに感謝ですわ!! 三日もあれば、高笑いの練習から荷造りまで余裕で間に合いますわーー!!)
私が心の中でガッツポーズを決めていると、ちょうど戻ってきたルイ様がその会話を耳にしたようで、鼻で笑って口を開いた。
「……救い出す、だ? 相変わらず、へどが出るほど身勝手な男だな」
その声には、隠しきれない不快感と怒りが混じっていた。
ルイ様は荷物をドサリと置くと、私を真っ直ぐに見つめる。
「アリシア。三日後、君はいつも通り店をやっていてくれ。あんな無粋な連中に、この店の敷居を跨がせるつもりはない」
ルイ様は少しだけ目を細め、森の奥を見据えた。
「私が森に少し細工をして、あいつらを『ふさわしい場所』へ追い返してやる。アリシアは、僕を信じて料理を作ってればいい」
「まあ、ルイ様。そこまでおっしゃってくださるのなら、私はあなたを信じて、いつも通り最高のお料理を準備しておきますわね」
こうして、アリシアとクラリスによる「普段通りの営業」と、ルイによる「騎士団(笑)の掃除」という、盤石な迎撃体制が整ったのだった。
◇
三日後。
森の入り口が騒がしくなったのは、昼時を少し過ぎた頃だった。
豪奢な鎧に身を包み、白馬に跨ったライオネル殿下が、総勢二十名ほどの騎士を引き連れて現れたのだ。
「待っておれ、アリシア! 今、この私が魔術師の呪いから救い出してやるぞ!」
殿下の間の抜けた叫びが森に響き渡る。
だが、彼らが一歩足を踏み入れた瞬間、森の空気が一変した。
立ち込めたのは、前も見えないほどの深い、銀色の霧だった。
「な、なんだこの霧は!? 前が見えん! おい、アリシアはどこだ!」
狼狽える騎士団の前に、霧の向こうから一人の男が静かに姿を現した。
ルイだ。彼は一切の武器を持たず、ただそこに立っているだけで、森そのものが彼の背後に控えているかのような圧倒的な威圧感を放っていた。
「……救い出す、か。自分の都合でアリシアを追い出しておきながら、あまりに身勝手な言い分だな」
ルイの冷徹な声が、霧に反響して四方八方から殿下を刺す。
「だ、誰だ貴様は! 私はエルデニア王国の第二王子だぞ! どけ、そこには私の婚約者が……」
「婚約者? 笑わせないでほしい。君が捨てたのは、この世で最も尊く、美しい魂だ。それを今さら『救う』などと……」
ルイは一歩、ゆっくりと踏み出した。そのエメラルドの瞳が、霧の中で鋭く光る。
「君たちに、この先の土を踏む資格はない……大人しく、王都へ帰るんだな。さもなければ、この森そのものが君たちの墓標になる」
ルイの周囲で、木々がザワザワと不気味にうごめき、地面が震え始める。
その光景は、まさに「森の守護者」そのものだった。
「ひ、ひぃぃ……! バケモノだ、森が食いついてくるぞ! 逃げろ、退却だーーー!!」
霧の向こうからライオネル殿下の情けない悲鳴と、馬の嘶き、そして鎧がぶつかり合う騒々しい音が遠ざかっていく。
やがて森は、何事もなかったかのような深い静寂を取り戻した。
◇
一方その頃、店の中では。
(霧の向こうで殿下が腰を抜かしてる気配がビンビンしますわよ!! あー、清々する! ルイ様万歳!!)
私は、窓の外で起きている騒動をBGMに、ドレスの裾を翻して小躍りしていた。
「お嬢様、ソースが焦げますよ」
クラリスの冷静なツッコミに、私は「あらいけない」と淑女の微笑みに戻り、パスタの鍋を火から下ろした。
そこへ、カチャリと裏口が開く音がした。
「……ただいま、アリシア。少し騒がしくしてしまったね」
戻ってきたルイ様は、少しだけ肩の力を抜き、いつもの柔らかな微笑みを浮かべていた。
私は慌ててステップを止め、完璧な淑女の所作で彼を迎え入れる。
「おかえりなさいませ、ルイ様……外は、もうよろしいのですか?」
「ああ。もう二度と、この森に近づこうとは思わないはずだよ。それより、いい香りがするね。君の料理を、ずっと楽しみにしていたんだ」
私は彼を席へと促し、作りたての「ベーコンと彩り野菜の贅沢パスタ」を差し出した。
ルイは一口運ぶと、満足そうに目を細める。
「……素晴らしい。ベーコンの濃厚な旨味を、瑞々しい野菜が完璧に受け止めている。アリシア、君の料理は、騒がしかった心を一瞬で解きほぐしてくれるようだ」
「ふふ、ルイ様が守ってくださったこの店の、大切な一皿ですもの……本当にお疲れ様でした」
私たちは並んで腰を下ろし、静かな晩餐を始めた。
元婚約者である第二王子の襲来という嵐が過ぎ去った後の、最高に贅沢で、穏やかな「自由」の時間だった。
◇
一夜明け、森の空気は洗われたように澄み渡っていた。
店の前では、簡素な旅装束に戻ったセシルが、名残惜しそうに私の手を取っていた。
「本当に行ってしまうのですね、セシル。もう少しゆっくりしていけばよろしいのに」
「ありがとうございます、アリシア様。ですが、これほどの大立ち回りを見せられたのです。王都へ戻り、殿下がどのような醜態……いえ、ご報告を陛下になさるのか、最前列で確認しなくてはなりませんわ」
セシルは丸眼鏡の奥で、不敵に、そしてお茶目に片目を瞑ってみせた。
昨日の「霧の事件」は、王都に帰った騎士たちの口から尾ヒレがついて広まることだろう。
それらを自分たちに都合の良い形へ誘導するのも、彼女の「仕事」なのだ。
「セシル。道中、怪我などしないように。それと、グラン・ロアの甘いものもたまにはチェックしておいてちょうだい」
「ええ、クラリス。あなたの磨き抜かれたフライパンに恥じない情報を、またお届けしますわ」
親友同士、短い言葉で信頼を交わし合うと、セシルは最後にもう一度、私に向かって完璧なカーテシーを披露した。
「アリシア様、昨日のパスタの味、一生忘れません。それと、ルイ様。アリシア様を、どうかよろしくお願いいたしますわね。お二人の『距離』については、王都では伏せておきますから」
彼女の鋭い指摘に、私は思わず頬を赤らめた。
隣で荷物運びを手伝っていたルイ様も、少しだけ決まり悪そうにエメラルドの瞳を泳がせ、それから小さく頷いた。
「ああ。彼女の平穏は、私がこの命に代えても守り抜こう。道中、気をつけて」
セシルは満足そうに微笑むと、軽やかな足取りで森の小道へと踏み出した。
何度も何度も手を振り、彼女の麦わら色の髪が木々の向こうに消えていくのを、私たちは静かに見送った。
(邪魔な殿下は消えたし、最高に有能な味方も得たわ。これからもっともっと、美味しいものでこの店をいっぱいにしてみせますわよーー!!)
私は心の中で力強くガッツポーズを決め、お淑やかな微笑みを湛えたまま、ルイ様と共に厨房へと向かった。
追放された令嬢の「自由」な日常は、まだ始まったばかりなのだ。




