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店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第4章

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第11話 不作法な迎撃と二つの戦場

 国境の森を包む朝霧は、これまでにないほど深く、重かった。


 それは初夏の爽やかさを孕んだ自然の産物ではない。

 ジョエルが放つ、粘りつくような魔道の残滓だ。


 カフェ・ヴァレンタインのテラスに集まった私たちの間に、沈黙が横たわる。

 卓上に置かれた漆黒の書状が、これから始まる残酷な遊戯の開始を告げている。


 私たちは、この場所で二つの班に分かれる決断を下した。

 一方は、ルイ様の母国アストライアへと向かう「討伐班」。

 もう一方は、このカフェという帰るべき場所を死守する「防衛班」。


「ルイ様。私は貴方と共に行きますわ。店主が不在の晩餐会など、不作法が過ぎますもの」


 私は、フライパンを旅鞄に詰め込みながら言った。


「アリシア……すまない。君をこれ以上、私の因縁に巻き込むわけにはいかないと言いたいところだが……君のいない王都は、私にはあまりに寒々しい」


 ルイ様は微かに笑った。

 その右手の紋章は、これから向かう戦場に呼応するように、黄金の微光を放っている。


 アストライアへと向かうのは、ルイ様、私、テリオン。そして、空からの機動力と索敵を担うジュリアンとアビーだ。


 そして、このカフェに残るのは、バルトを筆頭に、クラリス、ゾア、マルクス率いる騎士団、さらに、その強大な魔力で拠点を死守するカトリーナだ。


「陛下……この場の守りは私めが完璧に統制いたします。どうか、後ろを振り向かず、王としての正道を歩まれませ」


 バルトが眼鏡の縁を直し、深く、重厚な一礼を捧げた。

 その燕尾服の下には、無数のワイヤーと、研ぎ澄まされた細剣が隠されている。


 これが、私たちの選んだ盤面だ。

 けれど、ジョエルという男の指先は、既に私たちの想像以上に深く、この森の理を書き換えていた。


 ◇


 私たちはアビーの背に乗り、大陸の魔導の心臓部へと足を踏み入れた。


 目の前に広がるのは、王都アストライア。

 切り立った崖の上に築かれたその都市は、まるで空へ向かって成長する巨大な水晶の群生体だった。

 中心にそびえる『白亜の王宮』を核として、周囲には重力に逆らって滞空するいくつもの魔導尖塔アストラ・スパイアが、静かに光の粒を零している。

 あまりに幻想的で、冷徹なまでの美しさ。


 だが、その聖域への入り口で、周囲の空気が一変した。

 温度が急激に下がり、梢を揺らす風が凍えるような鳴き声を上げる。


「止まれ……不作法な殺気が、道を完全に塞いでいる」


 テリオンが鋭く目を光らせ、背中の弓を手に取った。

 霧の中から現れたのは、先日カフェに現れたあの灰色の使者だった。

 だが、今の彼が纏っているのは、伝令としての虚飾ではない。

 漆黒の魔導を帯びた細剣を手にし、その背後にはジョエルの私印を掲げた私兵たちが、音もなく整列している。


「ようこそ、太陽の末裔。そして、不遜な料理人……閣下は仰いました。『彼らが真に太陽を戴く資格があるか、その刃で確かめてこい』と」


「……みんな、下がって! アビー、あいつらを追い払って!」


 アビーがそれに応えて咆哮した。

 巨大な翼から生み出される突風が、不気味な霧を真っ二つに裂く。


 戦闘の火蓋が切って落とされた。

 テリオンの矢が影を縫い、私兵たちの喉元を正確に射抜いていく。

 ルイ様もまた、剣を引き抜き、黄金の魔力で敵の連携を分断していく。


 私は、旅鞄からあのフライパンを取り出した。

 ドルガンが鍛え直した銀色の肌は、鏡のような輝きを放っている。


「……『お掃除』の時間ですわね!」


 死角から飛び込んできた私兵に対し、私は一歩も退かずにフライパンを振り抜いた。


 ガィィィィンッ!


 硬質な音と共に、私兵の剣が根元から砕け散る。

 そのままの勢いで、私は彼らの陣形の中へと不作法に踏み込んだ。


 けれど、使者は不敵な笑みを崩さなかった。

 彼はルイ様の猛攻を細剣で受け流しながら、冷酷な声音で囁いた。


「……奮闘されますな。ですが、よろしいのですか? ……今頃、あの不作法な森は、さぞかし賑やかでしょうに」


「……! まさか!」


 ルイ様が息を呑み、右手の紋章が激しく脈動した。

 その時、私の胸の奥に、言葉にならない「嫌な予感」が奔った。


 ジョエルの狙いは、私たちをアストライアに呼び寄せ、戦力を削ることではない。

 ルイ様から「帰るべき場所」を奪うこと――カフェ・ヴァレンタインの物理的な破壊だ。


「ジュリアン、アビー! 急いでカフェに戻りますわよ!」


 ◇


 その頃。カフェ・ヴァレンタインの周囲は、凄まじい魔獣の群れと、ジョエルが放った別動隊に包囲されていた。


「バルト殿! 北側から魔獣の第三波が来ます!」


 マルクスの叫びが響く中、バルトは眉一つ動かさず、銀のトレイを突き出した。

 トレイの表面で反射した光が、飛来する火球を霧散させる。


「不作法な客人が多すぎますね……クラリス、中の防備は?」


「万全です。お嬢様のキッチンに、煤一つ付けさせるつもりはありません」


 クラリスが冷静に答え、手に持った短剣で影から迫る暗殺者を一蹴した。


「おーっほっほっほ! 汚らしい獣に、不遜な私兵共。この私を誰だと思っていなくて? 宮廷魔導師カトリーナのほむらで、塵に帰して差し上げますわ!」


 カトリーナが杖を掲げると、空が真っ赤に染まった。

 降り注ぐ火の雨が、森を侵食しようとする魔獣たちを焼き払っていく。


「ガァァァァッ! 雑魚共が! 我の主に、甘露を捧げるこの平和を邪魔させるか!」


 ゾアの巨大な斧が旋風を巻き起こし、魔獣たちとなぎ倒していく。


 ジョエルの計算違い。

 それは、このカフェがもはや「アリシア個人の店」ではなく、異なる種族と立場を超えた、一つの強固な「共同体」へと進化していたことだった。


 押し寄せる圧倒的な暴力に対し、バルトの細剣が、ゾアの剛力が、そして騎士たちの盾が、完璧な秩序をもって立ちはだかっていた。

 バルトは、不意に足元を横切った羽虫に対し、僅かに眼鏡を歪ませた。


「……まったく。虫も、不作法な兵士も。私めの『掃除』の邪魔をするものは、一匹たりとも容赦はいたしませんよ」


 彼の燕尾服から放たれた極細のワイヤーが、霧の中に潜んでいた伏兵たちを一瞬で絡め取った。


 ◇


 アストライアの境界で、私たちは使者を叩き伏せた。

 けれど、彼が漏らした言葉に突き動かされ、私たちはなりふり構わず、アビーの背に乗って森へと急行した。

 

 空から見えた森の一部からは、黒い煙が上がっていた。

 私の心臓が、不吉なリズムで跳ねる。


 けれど。


「……遅かったな、主よ」


 到着した私を迎えたのは、返り血を浴びながらも、不敵に笑うゾアだった。

 彼は、先ほどまで戦っていたことなど忘れたかのように、大切そうに一欠片の「ガレット」を口に運んでいた。


 カフェの扉は、一枚も破られていなかった。

 庭の柵は壊され、テラスの一部には焦げ跡が残っている。

 けれど、建物の芯は、そしてそこに集う人々の魂は、無傷のままだった。


 森の奥へと退いていく敵の影。

 そこにジョエル本人の姿はない。

 撤退する彼らの背中から、冷徹な「観測」の視線が消えていくのを、私は肌で感じた。


「……壊れなかったから、引いたのですわね」


 私は、ボロボロになったテラスに降り立ち、安堵で震える脚を強く地面に踏みしめた。

 ジョエルという男は、「壊せると確信した瞬間」にしか、全力を出さない。

 この場所が、主である私たちの不在に耐えきり、一歩も退かなかったこと。

 それが、冷酷な支配者にとって、今の「盤面」での敗北を意味した。


「ルイ様、お帰りなさいませ」


 バルトが、眼鏡を歪ませながらも完璧な礼を捧げた。

 その足元には、彼が苦手な虫一匹さえも通さぬような、研ぎ澄まされた静寂が戻っていた。


「ああ、ただいま……皆、よく守ってくれた」


 ルイ様が、誇らしげに仲間たちを見渡した。

 守るべき「家族」を持つ一人の男としての強い光が宿っていた。


「バルトさん……! それにゾアさん、カトリーナさんも、みなさんご無事でよかった!」


 ジュリアンがアビーの背から飛び降り、安堵の涙を浮かべてみんなに駆け寄った。

 アビーは、そんな彼の足元で優しく鼻を鳴らしていた。


 家は少し傷ついた。庭も荒らされた。

 けれど、私たちの「絆」という名の芯は、ジョエルの暴力をもってしても、一分一秒たりとも揺るぐことはなかった。

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