第9話 略奪者の誇り、黄金の恩寵
エレナが命がけで運んできた王都の白き光――最高級の小麦粉とバター。
それが、ジョエルが仕掛けた「孤立」という盤面に、決定的な亀裂を入れた。
カフェ・ヴァレンタインのテラスには、かつての活気が、より強固な絆を伴って戻りつつある。
しかし、森を覆う不気味な魔力の糸が消えたわけではない。
むしろ、私たちの「抵抗」に呼応するように、森の奥に潜む悪意はより深く、より粘り強く沈殿していた。
「お嬢様……来ますわね。不作法な地響きです」
カウンターを拭いていたクラリスが、ピクリと耳を動かした。
かつての冬の終わりのように、地面の底から突き上げてくるような、重く規則的な振動。
それは魔獣の殺意ではなく、圧倒的な「個」の質量が雪崩のごとく押し寄せてくる音だ。
ゾアがエプロンの上からでも分かるほど背筋を伸ばし、金色の瞳を鋭く輝かせる。
「……レゴに、ギラか」
ド、ド、ドンッ!
案の定、入り口の扉が蝶番の悲鳴を上げながら叩き開かれた。
そこには、全身を鈍色の硬質な鱗で覆ったリザードマンのレゴと、巨大な戦斧を担いだ隻眼の戦士、ギラの姿があった。
二人の背後には、仕留めたばかりの巨大な猪のような魔獣が、無造作に引きずられている。
「おう、ゾア! 随分と不作法な結界に閉じ込められてるって聞いたぜ!」
レゴが龍のような顔を歪めて笑い、担いでいた巨大な袋をカウンターへドサリと置いた。
「森の入り口で、気取った魔獣共が『通さない』なんて顔してやがったから、少しばかり掃除してきてやった……それと、これは土産だ。森の外縁を荒らし回っていた大角鹿の肉と、古い大樹の洞から奪ってきた『星霜の蜜』だぜ」
カウンターに置かれた袋から、琥珀色の輝きを放つ巣蜜の塊が姿を現した。
それは、ジョエルが狂わせようとしているこの森の中で、奇跡的に「正気」を保ち続けてきた大樹が育んだ、純粋な命の結晶だ。
騎士団が道を守り、エレナが王都の光を運び、そしてこの不作法な略奪者たちが、外側から供給の壁を食い破ってきた。
「……森が狂っている、なんてセレスティアは言っていたけれど」
私は、溢れ出した蜜の芳醇な香りに目を細め、静かに、けれど確かな勝利を確信した。
「狂わせようとしている不作法な指先があるだけで、森そのものは、まだ戦う牙を失ってはいませんのね」
「ハハハ! その通りだ、お嬢さん!」
ギラが隻眼を光らせ、豪快に笑う。
「俺たちの前で道を塞ぐのは、死ぬより不作法なことだって、魔獣共の骨に刻んでおいてやったよ……さあ、ゾア! 戦士の胃袋を黙らせる、最高の一皿を用意しな!」
◇
私は、レゴたちが届けてくれた「力」の象徴――新鮮な赤身肉と、黄金の蜜を抱えて厨房へ走った。
「カトリーナ! これで最後のおもてなしですわ! 戦場の匂いを知る方々へ、私たちの『お返し』を叩きつけて差し上げますわよ!」
「おーっほっほっほ! 良いでしょう、戦士の舌を焼き切らんばかりの、最高の火力を提供して差し上げますわ!」
カトリーナが華奢な手をかざすと、コンロの上に、これまで以上に激しく、青白い魔導の炎が渦を巻いた。
私は、大角鹿の肉を厚く切り分け、塩と僅かなハーブだけで揉み込む。
熱々に熱した鉄板に肉を置けば、ジューッ、という激しい音と共に、野性味溢れる香りが店内に弾けた。
仕上げに、レゴが持ってきた「星霜の蜜」を、カトリーナの火の上で一気に煮詰めてソースにする。
甘さは主役ではない。
肉の力強い旨みを締め上げ、命の輝きを増幅させるための「光」。
名付けて――『恐怖を越えた先、略奪者の薪火ローストと黄金の恩寵』!!
テラスへと運ばれた大皿には、黄金色の照りを纏った肉厚のローストが並んでいた。
「……これだ……俺たちは、これを食うために、不作法な結界を突き破ってきたんだ!」
レゴが巨大なフォークで肉を口に運ぶ。
ガリッ、と蜜の膜が砕け、その直後に溢れ出す肉汁とバジルの香り。
「――っ!! たまらねえ! ゾア、貴様、こんな美味いもんを毎日食ってやがったのか!」
「我の主の料理は、戦場の勝利よりも甘美だ」
ゾアが誇らしげに答え、自身も仲間に負けじと肉を咀嚼する。
その喧騒の中、ルイ様は黙って、差し出された一皿を口に運んでいた。
肉を一口食べるごとに、ルイ様の右手の紋章が、眩いほどの黄金の輝きを取り戻していく。
そして、ジョエルの「兵糧攻め」が、今――完全に瓦解したのだ。
胃袋が満たされ、心が温まり、絆が可視化されたこのカフェに、もはや「孤立」という闇は存在し得ない。
「……太陽というのは、腹を満たすもんだな……そうだろ、ルイ」
レゴがふと手を止め、ルイ様を真っ直ぐに見据えて言った。
ルイ様は静かに微笑み、手にしていたナイフを置いた。
その瞳には、もはや迷いも、自身の存在を呪う陰りもない。
「ああ……満たされたよ。不作法な友人たちに、礼を言う。アリシア、これでもう十分だ」
ルイ様が立ち上がると、カフェ全体を包んでいた重苦しい圧迫感が一瞬で霧散した。
彼の意志が、ジョエルの呪縛を内側から弾き飛ばしたのだ。
「ジョエル叔父上……貴方は恐怖で壁を作った。だが、その壁を越えて、これほど多くの『真心』がここに集まった。貴方の負けだ」
その宣言に合わせるかのように、森の奥から、冷え切った、不気味な笛の音が響いてきた。
ジョエルからの、直接の返答。
「……お嬢様。入り口に、不作法な伝令が到着いたしましたわ」
クラリスが、いつになく冷徹な声を響かせる。
私はエプロンの汚れを払い、最高の、そして最も「不敵」な淑女の微笑みを浮かべた。
「お待たせいたしましたわ……冷え切った招待状など、私のメニューにはございませんの。さあ、最後のおもてなしへ、向かいましょうか!」




