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因りて異形の怪を討て  作者: 七星
然らば異邦の神を討て
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愛及屋烏


 真偽の祖母の葬式は、拍子抜けするほどつつがなく終わった。秋晴れと言っていい空の下、火葬場に送り出されていく霊柩車を見ながら、真偽は心底ほっとする。

 あの「犬神様」がどこかから出てきたりはしないかとはらはらしていたのだが、無名が「この前だいぶ痛めつけて、次に顔見せたら存在ごと消すって言っておいたし、大丈夫だと思うよ」などと言うので、ひっくり返るかと思った。まがりなりにも犬神家が祀っている存在に何をしているのか。


 目を白黒させる真偽を見て、隣に立っていた真事がぽんと手を叩いた。


「確かに、ボッコボコにされてたね、犬神様」

「そんな可愛い表現で済む感じじゃなかったような気がしますけどね……」


 修司がやや疲れの滲む顔で言う。やれやれと首を振り「というか」と少し顔を仰向かせた。


「この人、本当になんなんですか?」


 彼の視線の先にいるのは、ちょうど真偽と蒼輔の後ろにぴたりと陣取った、黒ずくめの男だった。

 この場に合わせて喪服を身にまとい、ぬばたまの髪を無造作に結んだ、褐色肌の男である。この場にいる誰より背が高いため、自然、見下ろすような形になる。オニキスの瞳がいっそう妖しく輝き、修司を見つめる。

 彼はゆっくりと瞬きをすると、妖艶な笑みを浮かべて小首を傾げた。


『へえ……気になる?』

「いや、すいません。なんでもないです。何も気になりません。聞かなかったことにしてください」


 秒速で疑問を引っ込め、修司は勢いよく顔を逸らした。すごく勘がいい人なんだな、と真偽は思った。

 無名は基本的に、その美貌で全てを有耶無耶うやむやにしてしまう存在である。人を惑わす魔法のようなものも使えるだろうが、そんなものがなくとも、大抵の人間は、彼に見つめられて何かを問いかけられると頷いてしまうのだ。


 だが、修司のように勘が良すぎて、逆に無名を避けるような人間もごく稀にいる。「これはヤバいものだ」と本能が告げているのか、無名を怖がるのだ。まあ、修司の場合は、無名が犬神様をボコボコにするシーンを見ていただろうから、無理もないのかもしれない。


「大丈夫ですよ、修司さん。ナナシさんは噛んだりしません」

「真偽、多分そういうことじゃないと思う」


 蒼輔がゆるゆると首を振り、幼子に言い聞かせるときのような顔をしていた。真偽はきょとんと首を傾げる。何か間違えただろうか?

 蒼輔は何故か諦めたようにため息をつくと「それはそれとして」と無名を見上げた。同時に真偽の手を握り、自分のほうにぐいと引き寄せる。


「あんた、無名だったか? もうちょっと離れろよ。暑苦しい」


 だが、真偽が蒼輔に近づいたぶん、無名はぐいぐいと距離を詰めてくる。


『嫌だね。あの犬畜生、僕の目を盗んでまた愛し子に手を出さないとも限らない』

「あれ、そんなに卑しい生き物なのか……?」

『ちゃんと当主が正式に就任するまでは、飼い主がいないわけだからねえ。以前までは、愛し子の祖母とやらが盾になってやっていたんじゃないかな。健気なことだ』

「その代わりにお前に目をつけられたんじゃトントンだと思うが……」


 無名はうっそりと微笑んだ。蒼輔は嫌そうな顔をして、再び真偽の腕を引く。もはや抱きしめられているのとあまり変わらない距離感だった。

 真偽は思わず、彼の背中をとんとんと叩く。


「そ、蒼輔さん、あの、近いかも」

「え? ……うおっ!」


 ようやく距離感のおかしさに気づいた蒼輔は、べりっと音がしそうな勢いで真偽を離した。それはそれで寂しい。


「わ、悪い」

「いえ、あの……えっと、手だけ繋いでもらえれば、それで……」

「え? あ、ああ……」


 手だけ繋ぐのもおかしい話だが、なんとなく離れがたくてそう言ってしまう。蒼輔も言われるがままに手を繋いで、数秒後に首を傾げていた。おそらく「何故、自分は今、手を……?」という感情だろう。

 だが離そうとすると真偽が悲しそうな顔をするので、結局そのまま手を握って無言……という状況に落ち着く。真偽は真偽で、別に計算で悲しげな顔をしているのではなく、心の底から「手を離されると寂しい」と思っているだけだった。顔に全部出る人間なのである。


 だが、なんとなく手を繋いだまま無言になってしまう。真偽は気まずい空気を振り払うように「蒼輔さん」と声をかけた。


「な、なんだ」

「帰ったら、婚約のこと、お父さんに報告しに行きますか?」

「……今聞くか、それ?」

「思い出したから……」

「お前……行き当たりばったりすぎるだろ思考が……いや、あー、その……だな……」

「はい」

「……行くよ」


 観念したように、蒼輔は言う。顔を上げると、何故か少し青い顔をしている蒼輔がいた。


「蒼輔さん、もしかして婚約、嫌ですか?」

「は?」

「い、嫌、ですか……やっぱり……」


 じわ、と滲むような罪悪感が湧いてきて、思わず俯く。自惚れちゃダメだ、と自分に言い聞かせた。

 蒼輔は優しいから、後輩を見捨てられない。それだけだ。だから婚約なんて方法を取ってくれただけで、今さら、それ以上を求めたらいけない。

 分かっている。分かっているのに。

 彼が生きてくれているだけで奇跡みたいなもので、その先を望むことがどれほど浅ましいのか、真偽にだって分かっているのに。


「嫌じゃない」


 きっぱりとした言葉が、真偽の耳朶を打った。顔を上げると、彼は存外優しい顔をしていた。真偽の手をきゅっと握る。


「言っただろ、嫌じゃないよ。それは本当だ。俺が嫌そうに見えたなら……あー、それは普通に、お前の親父さんに挨拶するのがめちゃくちゃ怖いからだよ」

「めちゃくちゃ怖い」

「すげえ怖い。死ぬほど胃が痛い。正直、そこの神様に頭下げるほうが百倍楽」

「そんなに」


 しぱしぱ、と目を瞬かせる。いまいちよく分からなかった。真偽の父親は、蒼輔のことをとても気に入っているのに。


「でも、婚約するんなら……しかも、婿入りですらない、お前を嫁にもらう立場なんだったら、挨拶はすべきだろ。必要なことだし……ずるずる引き伸ばして、不義理を働きたくない」


 真偽はまじまじと蒼輔を見た。蒼輔も、視線を逸らすことなく真偽を見ていた。

 こういう人だったなあ、と思う。

 出会ったときから、彼は死ぬほど真面目で、自分が怒らなくてもいいような場面で怒って、感じなくてもいい責任を感じて、それでも他人のために動くような、そういう人間だった。

 初めて、真偽のために怒ってくれた他人だった。


 だから、好きになったのだ。


「……え?」


 はた、と動きを止める。

 好き? 誰が?


 ……誰を?


「真偽?」


 呆然とする真偽を覗きこんでくる視線が、柔い。

 真摯な瞳が自分を見ていることが分かって、吸い込まれそうなその眼に、蒼い、海の広さを幻視した。


 瞬間、落雷に打たれたような衝撃が、真偽を脳天から殴りつけた。

 ぐら、と頭が揺れる。ついでに視界もぼやけて、気が遠くなったような感覚があった。


「は? おい、真偽……真偽!?」


 ぎょっとする蒼輔の声と、強く握りこまれた手首の痛みだけが鮮明だった。ああ、驚かせてしまった、と思う。ダメだ、早く、早く立ち直らないと。

 でも、視界はずっとぼやけたままで、喉には何かがつかえたように何も言えない。どうして、と思う。どうして、自分の体はこうも自由が利かないのだろう。


「おい、真偽、どうした。なんで泣いてるんだ」


 泣いて、る? 誰が?

 私が?


「ちょっと待て、俺が何かおかしなこと……言ったな。いや、違う、お前の親父さんが怖いっていうのは、親父さんが嫌な人ってわけじゃなくてだな、むしろ公明正大だから困っているというか……いや、別に俺も卑怯なことをしてるわけじゃないんだが……」


 分かってますよ、と言いたい。全部、全部、分かってるんですよと言いたかった。

 なのに、瞳からは涙が花びらのように落ちてしまって、言葉は全部喉の奥に吸いこまれてしまって、何も言えない。


「真偽、その、悪かった。お前の親父さんを悪く言いたいわけでも、婚約が嫌なわけでもなくて……ただ、俺は……」


 分かっていますよ、と、言いたい。

 言いたいのだ。あなたが本当に、ただどこまでも優しい人なんだってこと。あなたが、私にずっと、優しかったことも。

 ――あのね、蒼輔さん。

 私、あなたのことが好きなんですよ。ずっと、ずっと、好きだったみたいなんですよ。だから。

 だから――

 

「泣くなよ、真偽……」


 だから、もう少しだけ、このままでいてもいいですか?

 泣いている理由を伝えられないままでも、あなたは、手を握っていてくれますか?




ここまで読んでくださってありがとうございます!長かった……あの地獄からここまで持ってくるのが……そもそも今回の連載でも3回くらい違う地獄を展開してしまっていたように思いますが……私が地獄から抽出される人間の煌めきが好きなばかりに……

それはともかく、あと一話でいったん一区切りになります!最後までお付き合いいただければ嬉しいです!

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