懇談会(3)
さてと呟いて、真事と呼ばれた女性は躊躇なく、涼の腕をひねりあげた。
「いっ……!? な、にすんだ、この……!」
「何って、仕置きだよ。真偽の前で無様を晒すんじゃない」
笑っているのに、その声はどこまでも冷えきっていた。
「それに君、嫁にもらう嫁にもらうって言ってるけど、どうせ狙っているのは真偽の家に婿に入ることだろう? 犬神の姓は、そうじゃない家の人間にとっては垂涎もののはずだからね……逆玉を狙っているのは君だし、図星なのも君だろう。あんまり自分の愚かさを吹聴しないほうがいい」
涼の顔が怒りで朱に染まった。じたばたと暴れて、掴まれている腕を引き抜こうとする。
「っ、離せよ! 真事!」
刹那、真事が手をぱっと離した。身をよじって拘束から逃れようとしていた涼は、勢いあまってぐらりと体勢を崩す。
そのまま後ろ向きにどすんと尻もちをついた涼を見下ろして、真事はうっすらと笑った。
「地面と仲が良くて何より」
「……っ、くそ、お前だって犬神姓じゃないくせに、偉そうに……!」
真事はきょとんと目を丸めた。その仕草が妙に真偽に似ている。
だが刹那、彼女は弾けたように笑い出した。
「っははは! 何を言うかと思えば! 本気かい? 視野が狭すぎて同情するね。言っておくけど、その論理で行くと、女ですらない君は私よりも価値が低いってことになるけど?」
「……っ!」
「はあ、飽きたね。そろそろ消えていいよ。それともこれ以上、そのお綺麗なスーツと家名に泥をつけたい?」
くそ、と低く呟いて、男は立ち上がると会場の人波の奥に消えていった。
嵐のような一連の出来事に動けないでいると、後ろの気配が動いた。
「真事姉さん、来てたの!?」
力の抜けた蒼輔の手からするりと抜け出した真偽が、青い瞳の女性に向かって駆け寄る。彼女も嬉しそうに笑って、真偽の頭を撫でた。
「ついさっき着いたんだよ。相変わらず、ああいう輩が絶えなくて大変だね、真偽」
「ううん、そんなこと……あ! そうだ、真事姉さん聞いて! この人、私の婚約者!」
嬉々として叫んだ彼女が、ぐいと蒼輔の腕を引いた。
「うおっ、急にひっぱるな……!」
「蒼輔さん蒼輔さん、この人、私の従姉の真事姉さんです! 龍蛇村の情報くれた人ですよ!」
「話を聞け……! って、何? 龍蛇村の?」
蒼輔は驚いて真事を見た。つい最近訪れた奇妙な村でのことを思い出す。あのとき、龍蛇村に行ったことがあるという真偽の従姉が、事前に龍蛇村の情報を教えてくれていたのだ。
真事も合点がいった様子で頷いた。
「なるほど、君が浅海くんか。初めまして、私は家鳴真事という。いつもは都内の大学に通っていて、民俗文化研究会所属の四年生だ。龍蛇村に行ったのは……まああれだよ、趣味でね」
「はあ……浅海蒼輔、大学三年です。真偽……さんとは、ゼミが同じで」
趣味? と思いながらも答えると、彼女は「ああ!」と声を上げた。
「なるほど、民俗学ゼミか。それなら相当、真偽が世話になってるね」
「あ、いや、そんな……ことはありますね。まあ、世話はしてます」
咄嗟に社交辞令として否定しようとして、結局素直に頷いた。世話はしている。ものすごくしている。
真事は先ほどと同じ、弾けたような笑みをこぼす。
「はは! だろうね。真偽は中々大変な子だから。まあ、犬神の家に生まれておいて、大変じゃない子なんていないけど」
その言葉に、蒼輔はふと思い至った。
「そういえば、さっきのって……どういう意味ですか? 犬神姓がどうとか、女の方が価値がある、とか……」
あまり良い響きではなかったような気がするが、あの話を断片的に繋ぎ合わせると、犬神の家の娘が最も価値が高い、ということにならないだろうか?
つまり……と、のほほんと笑っている後輩を見つめる。
真事は眉をひそめた。
「なんだ真偽、言ってないんだね。婚約者なんだろう?」
「うっ……え、ええと、蒼輔さんはなんていうか……」
しどろもどろになる真偽が何を言いたいのかを察し、蒼輔が後を引き継いだ。
「ああ、俺、偽物の婚約者なので。あんまり大きい声では言えないですけど……真偽さん一人だと、結婚をせっつかれるらしいって聞いていたので……」
言いながら、もしかして彼女がやたら結婚を勧められているのは、「犬神の家の女」だからなのか? と思った。
真事は片手を拳の形にして、もう片方の手のひらにぽんと軽く打ちつけた。
「ああ……なるほど。犬神の家の女は子供を残すことをやたら強要されるんだよ。犬神様が、自分の世話役に犬神の家の者……しかも女しか選ばないもんだから、そういう風になってしまってるんだ」
「え……」
蒼輔は頭の中の記憶の本を開く。犬神様の世話役……とはつまり、犬神家の当主のことだ。先代の当主だったという真偽の祖母だけではなく、どうやら代々、女が継ぐ家系らしい。
「私はまあ、家鳴姓だけどね。一応、先代当主の孫だから、血筋は犬神の本筋に近い。よく犬神姓の男に声をかけられるよ。真偽はそれ以上だろうね。犬神姓じゃない男からも狙われる。さっきの涼もそういうタイプだ」
蒼輔はすぐにぴんときて、顔をしかめた。
真偽は犬神姓を持つ女だから、当主になれる可能性もあるし、自分の子として、娘――次代の当主を産む可能性もある。だから囲ってしまいたいというわけだ。嫌な話だった。
真事も嫌そうな顔で、やれやれと首を振った。
「全く、ここの風習はくだらなくて最悪だ。偽だろうとなんだろうと、婚約者を連れてきて正解だよ。私も男避けを連れてきてるし」
「それ、もしかして俺のことを言ってます?」
不意に、一段高い場所から声がかかった。おや、と真事が振り返った先で、一人の男が目をつりあげて彼女を睨み下ろしている。彼はここまで走ってきたのか、肩で大きく息をしていた。
「信じられねえ……婚約者として来いとか言いながら、会場入って早々《そうそう》に俺を置き去りにしますか、普通?」
底冷えのする瞳で彼は言った。蒼輔や真偽と同年代くらいに見える男だ。暗めの髪をオールバック風にセットし、シンプルなデザインの眼鏡をかけている。小綺麗なスーツを身にまとい、耳にはいくつかピアスを空けているが、正直あまり似合っていなかった。というより、顔に浮かんだ隠しきれない疲労感が、ピアスの軟派なイメージと合っていないのだ。
通常時に見ていたら軽薄な男だと思ったかもしれないが、今はくたびれた残業続きのサラリーマンの雰囲気がある。
彼の姿を認めて、真事は唇の端をつりあげた。婉然と微笑み、小首を傾げる。
「あれ、なんだ修司、遅かったね」
「話聞いてました? 真事さんが俺を置いていったんでしょうが! この会場やたら広いし、あんたは気づかないうちに騒ぎ起こすし! 会場入って二分で人の腕をひねりあげるとか、どういう教育受けてんですか」
「民俗学への興味と知的好奇心をすくすく育ててもらった結果、こうなっているね」
胸に手を当てて堂々と言い切る。彼は呆れた様子で肩を落とし、そこでようやく蒼輔と真偽に気づいた。
顔をサッと強ばらせ、拘束するように真事の肩を掴む。
「……その人たちは知り合いですか? それともアンタの被害者ですか?」
「どっちだと思う?」
「真剣に答えろ、真事さん」
あ、この人たぶん同類だ、と蒼輔は直感的に思った。
そしておそらく、真事は真偽と同類である。そういう感覚があった。トラブルメーカーの匂いがするのだ。
真事はからからと笑って、隣に立っている真偽の肩にぽんと手を乗せて言った。
「ごめんごめん、修司。この子は私の従妹の真偽だよ。あとこっちは、真偽の婚約者の浅海くん」
男はじろりと真事を睨む。完全に不信感を極めた瞳だった。
「あんたの被害者じゃ……」
「ないよ」
真事の言葉を保証するように、真偽がにこっと笑って頭を下げた。
「初めまして、犬神真偽です! 真事姉さんの後輩の方ですか?」
「え、あ、ご丁寧にどうも……まあ、そうです。真事さんとはサークルが同じで……ああ、そういえば名乗ってなかった。どうせ真事さんのことだから、俺のことなんか雑用係くらいにしか紹介してないでしょ」
真事がむっと口をとがらせる。
「そんなことないよ。修司は今日、私の婚約者だろう? きちんと婚約者として紹介するつもりだったよ」
「婚約者の振りしろっつって、ろくに説明もなく飛行機乗せたくせによく言いますね……ていうかさっきあんた、男避けって言ってただろ。今さら何をどう取り繕ったって同じですよ」
呆れた様子で首を振り、彼は真偽と蒼輔に向き直った。
「真事さんと同じ大学の三年、雑賀修司です。婚約者っていうのはまあ……この人の気まぐれだと思ったら、割と本気で婚約者の真似させられてビビってるとこですけど……」
「あ、先輩だ。私、二年生です。蒼輔さんは三年だから、同い年ですよね?」
「ん、ああ、確かに。初めまして、浅海蒼輔です」
軽く頭を下げて、雑賀修司と名乗った彼を見る。自然と、同情心を煮詰めたまなざしになってしまう。
先輩の気も知らず、真偽は嬉しそうに修司に話しかけた。
「真事姉さんの後輩さんってことは、一緒にフィールドワーク行ったりもしてるんですか?」
「え、あー……まあ、そうだな」
「いいなあ……私、真事姉さんとフィールドワークっぽいことをしたの、小さい頃に裏の御山にあった、偽の御神体を壊しに行ったときくらいで……」
「待って、何がなんだって?」
蒼輔は頭を抱えた。犬神真偽という人間は、自分を取り繕うことを知らない。というかその話は自分も聞いたことがないのだが。
修司は逃がさないように真事の腕を捕らえたまま、真偽と真事を一度、交互に見た。そして、にこにこと微笑む真偽をなんとも言えない目で見つめる。
最終的に、彼は蒼輔に気遣わしげな視線をやった。
「婚約者の人にこんなこと言うのもあれだけど……もしかしてこの子、うちの先輩と同類すか?」
「初対面の人にこんなこと言うのもあれだけど、俺もそんな気しますね」
真偽と真事は見た目はもちろん、タイプもおそらく真逆だ。しかし、知的好奇心と猪突猛進さで台風のように周りを巻き込んでいくところは同じだろう。
そしてやはり、蒼輔と修司もまた、限りなく同類に近い。何故か年も同じだし。
二人の男はアイコンタクトだけで「そちらも大変ですね」「いえいえそちらこそ……」というやり取りをかわし合った。
二人の腕はそれそれ、傍らの女性をがっちり掴んでいた。知らないうちにとんでもないことをしでかされたら困る、という切実な思いが滲んでいる。
そんな思いを知ってか知らずか、真事が目を細めて真偽に笑いかける。
「あのときの御神体のこと、まだ覚えてるの? 記憶力いいね、真偽」
「だって楽しかったから……」
「私だって楽しかったよ。そうだな……変なカルト団体とか、最近の都市伝説スポットとか、良さそうなところがあったらまた誘うよ」
「えっいいの!?」
「ダメだ、真偽」
「やめろ、真事さん」
男二人が同時に制止に入る。油断も隙もあったものではない。
疲れた様子で修司が言った。
「真事さん。あんたの家の女の人って、大体あんたみたいな感じなんですか?」
「は? そんなわけないよ。私と真偽は特殊なほうだ」
憤然と腰に手を当てて言う。そんなふんぞり返ることでもないと思うが……
「犬神の家の女ってのはね、ああいうのが通常版だよ」
真事が指さした先を見た瞬間、不意に空気が変わった。
歓談にざわめいていた会場が急速に静まり返り、最終的に上品な静謐さのみを残す。四人で視線をやった先と同じ方向を、誰もが見ていた。
会場の端の一段高い場所だ。喪服のごとき真っ黒なドレスをまとった四十代ほどの女性と、スーツ姿の初老の男性が立っている。
「男のほうはうちの弁護士だね。女のほうは、死んでしまったお祖母様の年の離れた妹……私たちの大叔母にあたる人だ」
彼女の言う通り、女性にはどことなく真偽と真事に似た雰囲気があった。墨を固めたようなぬばたまの髪と、つややかな張りのある肌。立っているだけなのに気品がにじみ出る姿。祖母の妹とはいうものの、まだ五十代ほどに見える。
隣に立つ男性がマイクを持ち、おごそかに話し始めた。
「皆さま、歓談中失礼いたします」
かすかに残っていた囁き声すら止まった。会場中の人々が一斉に二人を見上げている。
蒼輔は咄嗟に修司と顔を見合わせた。眉をひそめた蒼輔に対し、修司も訳が分からないというふうに肩を竦めた。
「これより、亡くなられた幸子さまの遺言状を開封いたします」
だがその言葉で、どうしてここまで会場中が固唾を飲んでいるのかが分かった。先代当主だったという真偽の祖母。その遺言状には、次代の当主について書かれているのだという。
では、と男性が懐から一枚の手紙のようなものを取り出す。
いくつか前置きとしての言葉を挟み、早々にその宣言はやってきた。
「――次期当主としての権利、財産の一切を、妹、犬神梓に取得させる」
隣に立っていた女性がにっこりと微笑み、優雅に礼をする。その笑顔は少し真偽に似ていた。
「次期当主として指名していただけて光栄ですわ。犬神家の主として、一層この家の発展に貢献していく所存でございます」
拍手が沸き起こる中、真事がひょいっと肩を竦める。
「まあ、お祖母様ともあろう人が、後継者争いで泥沼を起こすはずがないか。多分、遺言状以外にもきちんと根回しをして、あの女に継がせたに違いないよ」
「……なんか、あんまりあの人のこと、好きじゃなさそうな言い方ですね」
控えめに告げた蒼輔に、真事は軽く鼻を鳴らして答える。
「まあ、あの女は能力はあるからね。自尊心が満たされていれば扱いやすい人だよ。他の奴らじゃ犬神様を御せないと、お祖母様は考えたんだろう。あれはおぞましいから」
蒼輔は不審そうに目を細める。まるで、犬神様とやらが本当にこの世に存在しているかのような言い方だった。犬神様はあくまでも、犬神の家の人々に信仰されているだけの存在ではないのか?
真偽が慌てたように「真事姉さん」と低く呟く。彼女は安心させるように従妹の頭を撫でた。
「大丈夫、私は犬神様の興味からは外れているから。それより気をつけるべきは真偽だよ。もしかしたら――」
そのとき、張りのある声がマイクを通して頭上から響いた。
「とはいえ、犬神の家では慣習も重視すべきですわ。あなた、依代の君をここへ」
お助けキャラみたいな顔をしている真事ですが、普段は修司を死ぬほど引きずり回しているトラブルメーカーなので、普通に真偽と同類です。真偽と違って勢いと運で全部を何とかしてしまうので、問題にはなっていないタイプの問題児ですね。
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