懇談会(2)
二人はほぼ同時に振り返る。
そこにいたのは、髪を明るい色に染めた若い男だった。多分、年齢は自分たちとさほど変わらないだろう。やや軽薄そうな顔で目を細めて、真偽のことを上から下まで見つめる。
「やっぱ真偽じゃん! なんだ、来てたなら言えよな」
「涼くん?」
「……知り合いか?」
蒼輔が聞くと、真偽はローストビーフに伸ばしていた手を残念そうにひっこめ、頷く。
「ええと、私の従兄で……親戚の集まりで会う人たちの中でも歳が近い人です」
「は? 何それ。俺たち幼なじみでしょ。そういう言い方、傷つくんだけど」
傷つくといいながら、どこか小馬鹿にしたような言い方だった。同年代の親戚に向けるとは思えない、値踏みするような視線が真偽を見る。
「つーかお前、懇談会まで来て、また交流もしないで肉ばっか食ってんの? お前も二十になっただろ、そろそろ結婚とかして、きちんと家庭守るとかしないとさあ……」
蒼輔はぎょっとした。てっきり真偽の結婚を促しているのは、親戚の中でも年嵩の者たちばかりなのだと思っていた。だが、これほど若い男も時代錯誤な価値観を備えたままとなると、話が変わってくる。
呆然とする蒼輔には目もくれず、涼と呼ばれた男はべらべらと喋り出す。
「お前、そんなんだから嫁の貰い手つかねえんだよ。犬神の娘なのに情けないって、榊のおばさんも言ってたぜ。身を固めて安心させてやれよ、可哀想だろ……あ、そもそも見つかってねえなら、幼なじみのよしみで俺がもらってやろうか?」
「え?」
「どうせ嫁の貰い手なんてねえんだろ? 聞いたぜ、お見合い全部、相手を怒らせて破談になったってな! まあお前みたいなじゃじゃ馬、俺みたいな心の広い男でもねえと無理だよなあ……なあ、本当にもらってやろうか? 俺も親戚から結婚せっつかれててうるせえし」
蒼輔は割と本気で引いていた。こんな厚顔無恥な人間、本当にいるのか……
だが、当の真偽はきょとんとした顔で首を傾げた。
「え、嫌だけど」
「は?」
蒼輔は吹き出しかけてすんでのところで堪え、咄嗟に横を向く。濁音混じりの咳払いを数回くり返し、なんとか笑いを収めた。
「ていうか私たち、おさななじみ……? じゃ、ないと思うけど……たまに親戚の集まりで会うくらいで、別に仲良くはなかったよね?」
「は……はぁ!? お前が子供のとき、本家にいた半年間、毎日のように遊んでやっただろ!」
いや、それは幼なじみとは言わないな、と蒼輔も思った。真偽もさすがに「何を言ってるんだろう、この人は……」という顔をしている。
「あともう私、婚約者いるから、涼くんと婚約するの無理だよ。別に涼くんと婚約したいとも思ってないけど……」
「は……? お前に婚約者!? どこの誰だよそんな奇特なやつ!」
「蒼輔さんだよ」
「だから誰だよ!」
「俺だよ。腕組んでるだろ」
蒼輔が口を挟んだ瞬間、男の瞳が愕然と見開かれた。たった今気づいたと言わんばかりに、蒼輔に視線をやり、次いで二人の腕を見つめる。
本気で見えていなかったのか? ずいぶんと幸せな視界をお持ちである。
涼は高速で瞳をしばたたくと、額に手をやってよろめいた。
「い……や、待て待て待て! 真偽、だってお前、違うだろ!?」
「何が?」
「お前の見合いが破談になった原因だよ! 別の男の話ばっかして、何度も振られたって話だろうが!」
「え、なんで知ってるの?」
真偽がちょっと一歩引いた。警戒心がその瞳に宿る。
「涼くんに言ってないよね? ていうか、お見合いしたことも言ってないけど……」
「犬神の娘の見合い話なんか、すぐに耳に入るに決まってんだろうが! つーかお前、その別の男の話って俺じゃねえのかよ! なんでそんな奴と婚約してる!?」
「え、涼くんの話じゃないよ。蒼輔さんの話だよ」
当然のように出された名前に、彼はかこんと顎を落とした。真偽の隣で、蒼輔が遠い目になる。
「そんなこともあったな……」
犬神真偽という女はいつも突拍子もないが、さらに言うなら、局所的にすさまじくデリカシーのない女である。
あろうことか、見合い相手の前で蒼輔の話ばかりしたというのだから、それは破談にもなろうというものだ。しかも一度ではなく、通算三度あった見合いの全てが、同じ理由で流れているらしい。
「蒼輔さんの話を出しただけで怒っちゃう人ばっかりで困りますよね、本当に」
「いや、困るのは俺だけどな。お前に急に呼び出されたと思ったら、他の男との見合いの真っ最中だったときの俺の気持ち、分かるか?」
蒼輔はげんなりした顔で真偽を見る。三度目の見合いで、彼女は激高した見合い相手に「その話に出てくる男を呼べ」と言われ、なんと素直に蒼輔を呼び出したのだ。
思えば、のこのこ出ていった蒼輔も蒼輔だが……結局、彼は後輩の頼みに応じただけなのに、全く面識のない男から罵倒を浴びせられる羽目になった。
「あのときは本当にびっくりしましたねぇ。あの人、優しそうだったのに、蒼輔さんに間男とか言うなんて」
「俺はその後、そいつを躊躇なく池に突き落としたお前に驚いたけどな……ていうか、真偽もアバズレとか言われてただろ」
「そうでしたっけ? 蒼輔さんがあることないこと言われてたことしか覚えてないです」
むん、と頬をふくらませるさまは、やや幼げで可愛らしい。話が物騒なことをのぞけば。
すると、ようやく氷解したらしい涼が、わなわなと唇をふるわせながら蒼輔を見た。
「お前……本当に真偽と婚約してんのか?」
「まあ、そうだな。でなきゃこんなところまで来ないだろ」
「……は! てめえも金目当てかよ。見たとこ犬神に関係する家柄じゃねえっぽいし……犬神の家の女を侍らせんのは楽しいってか? 趣味、最悪だな」
蒼輔は本気で困惑した。こいつは何を言っているのだ?
だが、閉口した蒼輔に、涼は勝ち誇った顔をした。
「ほら見ろ、図星だろ! お前、真偽の先輩か何かか? 後輩の女の逆玉に乗れるって、どんだけ気分がいい? 大人しくて従順な後輩に金まで運んでもらって、将来安泰だって分かったときの気持ちがどんだけ愉快なのか、俺に教えろよ、なあ」
「ちょっと、涼くん――」
目をつり上げた真偽のことを、他でもない蒼輔が制した。心配そうに見上げてくる彼女に向かって、小さく首を横に振る。
そして、彼女をさりげなく庇うように前に進み出ると、少しだけ目線を宙に向けて考えた。
蒼輔は目つきが悪い。考え事をしているだけで、人を二人くらいは殴りそうな雰囲気が出る。
涼もやや怯んだのか、軽く喉を鳴らして蒼輔を見た。
「な、なんだよ、お前。言っとくけどな。ここで俺に手を出したらどうなるか――」
「あんた、殺人鬼と戦ったことあるか?」
涼がぴたりと動きを止めた。
「は……?」
毒気の抜かれた顔でぽかんと口を開ける男に向かって、蒼輔は真面目くさった態度で言った。
「自分を人造人間だと思い込んでる、イカれた無痛症の男から逃げたことは?」
「何言ってんだ?」
「女ばっかり攫って閉じこめて、母親から受けたトラウマの憂さ晴らししてるような最低の人間に、後輩が攫われたことは? 背の高い人間の足切り落として、這いつくばって逃げる様子を楽しむサイコパスと鬼ごっこしたことは?」
あまりに淡々とした声音に、涼は絶句した。蒼輔は平然と告げる。
「俺は全部ある」
涼はさあっと顔を青くして、助けを求めるような視線を真偽に向ける。が、彼女も「そんなこともありましたねえ」とうんうん頷いていた。こいつがいちばん怖い。
「そういうのと戦えないなら、こいつと結婚なんてやめたほうがいい。真偽と一緒にいたら、あんた三日で死ぬよ」
下方からほんのかすかに、息を呑む音が聞こえた気がした。視界の端で、真偽が一瞬、何故か肩を震わせたように見える。
だが、蒼輔が反射的に見下ろしたときにはもう、彼女は無垢な顔でこちらを見上げていた。「蒼輔さんは死んでないですよね?」みたいな目だった。いや、普通は死ぬんだよ。
「ほら、今もこいつ、なんもわかってないだろ。あんたのためを思って言ってるんだ。真偽が自分の手に負えるような人間じゃないって、死ぬ直前に分かったって遅いんだよ」
なるべく怖く見えないように、眉を八の字に曲げて伝える。本当に、心からの善意で蒼輔は忠告していた。この男は傍若無人だが、若い身空で死んでいいとも思わない。
だが、涼は最終的に、どうやらからかわれているのだと判断したらしい。顔を真っ赤に染め上げて激高した。
「てめえ、ふざけてんのか……!」
「え? いや、至極真剣なんだが……」
蒼輔は眉をひそめたが、涼は怒りで赤らんだ顔のまま拳をふりあげる。
「そんなイカれた輩がいるわけねえだろ! 俺を脅かして笑おうってか!?」
蒼輔はぎょっとしたが、体は反射で動いた。咄嗟に片手で、真偽を自分の真後ろに追いやる。
先輩! と叫ぶ声がしたが、絶対に前に出てこないよう、後ろ手に彼女の手首を拘束する。
「どいつもこいつもうるせえんだよ! 俺を馬鹿にすんのもいい加減に――」
「いい加減にするのは君の方だよね、東雲涼くん」
透き通った、氷の刃のような声が、その場に響いた。
いつの間にか、涼の腕を掴む白い手があった。新雪のような眩しい白と、細い指先が視界の中で揺れる。
「自分より年下の女の子に怒鳴って結婚を迫るなんて、いよいよ無様だね。挙句、既に婚約者がいるからって駄々をこねて、それで真偽が君のものになると思ってる? 頭に花畑でも咲いてるのかな」
涼やかに罵倒を浴びせて笑う、一人の女がそこに立っていた。
くすみひとつないぬばたまの髪を、高い位置でひとつにくくった女性だ。結われた髪は歪みひとつなく、地面に向かって直線を描いている。切れ長の瞳とすらりと伸びた背、新雪の中でも響きそうな声も相まって、刃のような女性だ、と蒼輔は思った。
だが、彼女のパーツの中で最も目を引くのは、神秘的な青の瞳だった。宵空に輝く一等星のような、大きな瞳が瞬いている。
真偽も色素は薄く、瞳もやや青みがかった淡いブラウンだが、それよりもくっきりとした青だ。一度見たら忘れないだろう。
真偽が春の風のような存在だとしたら、目の前の彼女は、夏の陽光のような鮮やかさを纏っている。
「真事姉さん!」
そのとき、真偽が喜色を浮かべて叫んだ。
女性は、薄く笑みを浮かべてひらりと手を振る。
「久しぶり、真偽」




