古典落語「将棋の殿様」
古典落語「将棋の殿様」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約40分
必要演者数:3名
(0:0:3)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
殿様:殿様シリーズの落語でおなじみ、周りを我がままで振り回す困った
殿様。
三太夫:大名家の家老。フルネームは田中三太夫。
どこの家にもいる、口うるさい老人である。
殿様の所業を聞き、隠居の身でありながら実力をもって殿様を
諫めようと将棋の勝負を挑む。
家来1:名もない殿様の家来その1。
しかしセリフ数は殿様と並んで多い。
如何様ばっかりする殿様のせいで散々な目に。
家来2:名もない殿様の家来その2。
家来1・殿様に次いでセリフが多い。
如何様ばっかりする殿様のせいで散々な目に。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
殿様:
家来1・三太夫・枕:
家来2・語り:
※枕はどちらかが適宜兼ねてください。
※SEを使える場合は、台詞に合わせて将棋の駒を打つSEを入れると
良いかと思います。
枕:みなさんは、小さい頃にゲームや遊びをしていて、自分が不利になっ
たり負けそうになると、突然作った自分ルールを言いだして自分の
勝ちにしてしまう、そんな相手に出会ったことはありませんか?
江戸の昔、戦国が終わり太平の御代となったこの時代、お大名などと
いうものも、ずいぶんわがままなものでございました。
その当時の上下関係は絶対であったため、殿様の言うことは
ご無理ごもっとも、白いものを黒いものだと決めつけられても、
さようでございますと、こう言わねばならないような時代でした。
戦の無い世の中ともなりますと、領地の経営は家来たちがやってくれ
るわけですから、殿様などはやることが無い。
どうも面白くないと日々退屈していた、ある国のお大名がいまして。
殿様:これ、みなの者。
予は幼少の頃に将棋を覚えたが、その方たちは将棋を指すか?
家来1:ははっ、駒の動きくらいは存じておりまする。
殿様:さようか。
では予の相手をいたせ。
家来1:は、とてもお相手と言うわけには参りませぬが、お稽古をひとつ
、お願いいたしとうござります。
殿様:うむ、では将棋盤をこれへ持て。
家来1:ははっ。
語り:将棋盤と申しましても、我々一般庶民が縁台将棋で使っているよう
な、真っ黒に変色して筋が分からなくなってたり、駒が足りなくて
代わりに服のボタンを「これが香車の代わりだ」なんてやってるよ
うなのとはわけが違います。天面、木口、木端が揃って柾目が最上
のちゃんと四つ足が着いた、ご立派なものが運ばれて参ります。
家来1:殿、将棋盤にございます。
殿様:うむ。
これ、早く駒を並べよ。
家来1:はっ、それがしのはもう並べましてございます。
殿様:そのほうが並べ終わっておっても、
予の駒が並べられておらぬではないか。
家来1:っこ、これは恐れ入りました。
語り:自分で並べた方が早いのにご家来にやらせる。
まこと我儘なものにございます。
家来1:あ、そうであった。
殿にうかがいまする。
殿様:?なんじゃ?
家来:よく下々では振り駒と申して、
この歩を持って、金か歩かと訊ねまする。
仮に殿が金であると申され、これを振って金が出れば殿が先手、
歩が出ればそれがしの先手となります。
いかがいたしましょうや?
殿様:おぉさようか。
先へ出るのと後から出るのとではどちらが有利か?
家来1:それは先の方が得にござりまする。
殿様:うむ、では予が先に参る。
家来1:【つぶやく】
あ、振り駒はしないと…。
は、ははっ。
殿様:ふうむ、この角と申すものは、陣地におっては誠にだらしのない
ものだが、ひとたび敵の陣地へ入って成ると馬になり、縦横に動け
る。
それゆえ、まずこの角の道を塞ぐ歩を動かしてやるのが定石と聞い
ておるが、どうじゃ?
家来1:ははっ、いかにも。
碁には碁の定石がございます。
将棋にも将棋の定石があるものでございまして、
角の道から出るのは法にかなっておると存じます。
殿様:うむ、そうか。
家来1:ではそれがしは歩を取りまして、この方から出る事に…。
殿様:うむ、さようか。
では、これへこう参るぞ。
家来1:むむ、殿は手順が出来ておりますので、
誠にどうも…こちらも指しにくうござります。
恐れ入りまする。
殿様:これこれ、いちいち頭を下げるでない。
よいから早ういたせ。
では…ここへ参るぞ。
家来1:ははっ。
誠に殿はご上達でござります。
恐れ入りまする。
殿様:頭を下げるなと申しておるであろう。
いちいち敵方を褒める奴があるか。
…うん?
あ、待て待て。
これ、その歩を取ってはならんぞ。
その歩は取ってはならん。
家来1:いえ、殿の金が上がりましたので、此度はそれがしがこの歩を
取ってーー
殿様:【↑の語尾に喰い気味に】
いや、そのほうの手番であってもそれは取ってはならん。
家来1:いや、それがしのーー
殿様:【↑の語尾に喰い気味に】
いや、そのほうの手番であるが、その歩を取られては予が不都合で
ある。
よって他の手をいたせ。
家来1:は…さようでございますか。
これは恐れ入ります。
それではやることがございませんので。、端の歩を動かして…。
殿様:うん、さようか。
ふふ…では予がこの歩」を…。
誠に都合が良い。
家来1:……はは…ごもっともでございまする。
殿様:これ、いちいちそのようにな、
首をかしげて考えておるようでは戦は勝てぬぞ。
よいか、下手な考えは休むに似たりと申すぞ。
…むむ?
これは、いつの間にそのほうの飛車が予の陣地へ入って参った?
辺りの駒を取るとは…けしからん。
家来1:は、この飛車は艱難辛苦いたしまして、ようやく敵の陣地へと
入りましたものでござります。
なにとぞご憐憫のお沙汰をもちまして、この飛車だけはこのまま
据え置きを願いとうございます。
殿様:いや、けしからん。
いかにそのほうが嘆願に及ぼうと、みだりに予の陣地へは行って
参るとは…。
いや待て待て、そのほうがさように嘆願いたすのであれば、
何か知恵を授けようか。しばらく待て。
【二拍】
よし、ならばかようにいたそう。
そのほうの飛車を助けてつかわす代わりに、見よ、予の飛車が
これにうずくまっておる。
予の飛車をそのほうの陣地に成り込ませれば、
そのほうの飛車は助けてつかわす。
その代わり、当分動かしては相ならぬぞ。
家来1:は…ではそれがしの飛車をお助け下さいますのに、
殿の飛車がそれがしの陣地に成り込みますので。
しかしながら、ここにそれがしの金銀がございまするが、
それを飛び越えて参られましては、誠に迷惑に存じますが。
殿様:なに、分からぬ奴だ。
そのほうの飛車を助けつかわす代わりに、予の飛車が成り込むのじゃ
。金銀のおる所を飛び越しても差し支えあるまいが。
家来1:いや、駒を飛び越して参るのは飛び将棋の他にないと心得ますが
…。
殿様:なに、飛び越えてはならぬと申すか。
では予の駒はそちらへ参る事は出来ぬではないか。
参る事ができぬとあらば、そのほうの飛車を助けつかわすこと、
相ならぬ!
飛び越えられぬとあれば、その金銀は目障りじゃ。
取り片付けい!
家来1:……恐れ入ります。
それでは、こちらの方へ…。
殿様:待て待て、その駒はこちらへ渡せ。
よし、それでは予の飛車がここへ成り込んで…、
王手じゃ!
家来1:…恐れ入りましてござります。
殿様:ははは、そのほうは弱いのう。
さぁ次の者、参れ!
家来2:しからばそれがしめが。
殿様:おお、そのほうか。
うむ、では参るぞ!
【二拍】
ふうむ、なかなか粘るの。
家来2:ではそれがしはこの金を動かしまする。
殿様:む、いかんいかん、そこへ置かれては予の桂馬が取られてしまうで
はないか!
家来2:戦場は非情にござりまするゆえ。
殿様:ならばこうするまでじゃ!
家来2:!?
殿、そこは桂馬の動けるところではございませぬが…。
殿様:何を申す!
予の桂馬は名馬であるゆえ、五つ六つ飛ぶのはあたりまえじゃ!
…何ぞ、不服かの?
家来2:は、はは…。
殿様:よし、ここへ銀を打てば…どうじゃ、もう一手で王手ぞ。
ははは。
家来2:【声を落としてつぶやく】
しめた!角の道が開いた!
では、それがしはこの角をここへ動かしまして…王手でござる。
殿様:!?な、なんじゃと!?
!しまった、その道が開いておったか…!
家来2:さて、殿、もはや王はいずれへも参れませぬぞ。
殿様:ぐ、ぐぬぬぬ…!
家来1:【声を落として】
おおお、あの如何様だらけの中、よくぞここまで…!
家来2:殿、投了なされまするか?
殿様:ぬぬぬ…!
【つぶやく】
!そうじゃ!
ははは、これで予の王を追い詰めたつもりかの?
家来2:しからばいずれへ動かしまするか?
殿様:それはの…こうじゃ!
ははは、これぞ王将の八艘飛びじゃ!
家来1:【声を落として】
んなっ、そ、そんなバカな…!
自分の王将を盤面から取りのけた…!?
家来2:ッ…!
王将に、逃げられましては、勝負に、なりませぬな…。
殿様:ははは、そうであろう!
それゆえ、予の勝ちじゃ!
家来2:…。
家来1:【声を落として】
な、なんたる事だ…。
殿様:さあ、次じゃ、次の者参れ!
はははは!
語り:その後もこんなんばっかりです。
もちろん家来たちが勝てるわけがない。
ちょっと自分が不利になるとすぐに相手の駒を飛び越したり、
あるいは取り払え!などと命じたりする。
どんな名人が立ち向かったってこれじゃ負けてしまいます。
殿様が将棋に凝りだしてから数日、城内の詰めの間にて。
家来1:あぁ、つまらぬ事になった…。
家来2:その顔から察するに、ご同輩はまた、殿に将棋の手合いを挑まれ
たのか?
家来1:うむ…、そろそろお飽きになるかと思うたのだが、
一向にお飽きにならん…。
家来2:その事よ。
いや、それがしも昨日な、父上に相談いたしたのだが、
やはりお相手申さなければなるまい、それがご奉公だと言われて
のう…。
家来1:確かにそうではあるが…いや、弱りましたな…。
家来2:うむ…。
殿にはもはやお目覚めのようで、ちと覗いたのだが…、
もう将棋盤が出ておった。
家来1:あぁ…そうでござるか…。
となると、もうそろそろお出ましでござろうか。
家来2:いや、まだしばし早うござろう。
殿様:これ、話し声がいたすが、一同参ったか?
これへ参れ!
家来1:!…お呼び込みだ。
家来2:むむ、では御前へ参ろう。
殿、うるわしきご尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉りまする。
殿様:あぁ、さような事はどうでもよい。
本日も将棋を指すが…、そのほうどもは負けると頭ばかり下げ、
すぐ引っ込む事を考えておるが、そのような事ではとても上達は
いたさぬぞ。
家来1:【声を落としてつぶやく】
…お飛び越えだの、お取り払いで上達とは…。
家来2:【声を落として】
しっ、聞こえるぞ!
殿様:そこでな、予はひと工夫いたした。
そのほう共の将棋上達の為、勝敗にこの鉄扇を賭ける事にいたした
ぞ!
家来1:ッなっ!!?
家来2:て、鉄扇…にござりまするか。
殿様:そうじゃ!
将棋に勝った者は、この鉄扇で相手のつむりを打つという事にいた
すぞ!
どうじゃ、奨励のためにかような事を考えたのだぞ!
家来1:…では、将棋に勝った者はその鉄扇で、相手のつむりを打つと。
家来2:仮にそれがし共が勝ちましたる折は、その鉄扇を拝借いたし、
殿のおつむりを打っても良いと、かようにおおせられまするので
。
殿様:勝負の事じゃ。
遠慮のう打てい。
家来1:叩きましても、お叱りはありませぬか?
殿様:そうじゃ、武士に二言はない。
家来2:では、その儀を一同の者に聞かせますゆえ、しばしご猶予を。
家来1:おのおの方、聞かれたか。
今度から将棋の勝負に鉄扇を賭けると、殿がおおせだ。
勝負に勝ったる折は、あの鉄扇で殿のつむりを叩く事ができるの
じゃ。
家来2:…無理じゃな。勝てようはずがない。
家来1:何を申される。
我らが本気でやれば、殿なぞは赤子の手をひねる様なものでは
ござらぬか。造作もない。
家来2:それは互いにまともに指したらの話、現実にはそう参るま
い。
お飛び越しだのお取り払いなどやられては、とても勝つ見込みは
ない。
家来1:しかし、此度からは鉄扇がかかってござる。
さような事はござるまいかと。
家来2:いや、この儀については一応、確かめた方が良かろう。
家来1:むむ、そう申されるならばお訊ねいたそう。
殿にお伺い奉ります。
殿様:なんじゃ?
家来1:鉄扇の儀は承知つかまつりましたが、
仮に勝負いたしましたとて、鉄扇がかかっております。
家来2:されどいつものように、お飛び越し、またはお取り払いなどが
あるのでございましょうや?
殿様:おお、念の入った訊ねようであるな。
うむ、不都合な場合は、それもあると心得よ。
家来2:【声を落として】
ッ…、おのおの方、やはりございますぞ。
これでは到底我らに勝ち目はあり申さぬ。
家来1:うむ…ではご同輩から殿に。
家来2:いやいやご貴殿から。
家来1:遠慮めさるな。
家来2:いやいや遠慮いたす。
家来1:いやここは、ぜひ、ご同輩から!
家来2:っさ、さようか…で、ではそれがしから先に…。
語り:なんておっかなびっくり将棋盤へ向かいます。
結局これまでの事に、ただ鉄扇叩きの罰則が加わっただけ。
あっという間に負けてしまいます。
殿様:ははは、予の勝ちじゃな!
さあ約束じゃ、つむりをこれへ!
家来2:う…は、ははっ…。
な、なにとぞ、お手柔らかに…。
殿様:いやそうはいかぬぞ。
このくらいなら辛抱がしよいなどと申すようでは、上達はいたさぬ
ぞ。とても辛抱ができんと思うから上達もいたすのだ。
容赦なく打つゆえ、さよう心得よ。
もそっとつむりを前へ出せい。
むんッ!
【打ち据えるSEあれば】
家来2:~~~~ッッッッ!!!
…あ…ありがたき、幸せ…。
殿様:どうじゃ!
まずは一人抜き、さあ、次の者参れ!
語り:なんにもありがたい事なんてありゃしません。
歯を食いしばって痛みをこらえながら御前を下がるご家来。
まるで剣術の稽古でもするかのようにポカポカポカポカと、
如何様で勝ち続けて鉄扇で叩きまくる。
こんなのが何日も続いたもんですからもうたまりません。
ご家来衆の頭はもう見るのも痛々しいほどのコブだらけでございま
す。
家来1:いや…どうも実にくだらぬ事が流行ったものだ…。
家来2:その事でござる。
はて、ご貴殿のつむりには、コブが一つも無いように見受けられ
るが…?
家来1:何を申される。無いどころではござらぬ。
それがし、昨夜は城に宿直で詰めておってな、
ひたすら殿のお相手をいたしておった。
家来2:えっ…という事は、ご貴殿一人で…!?
家来1:いかにも。
他に代わる者がおるわけでなし、それがし一人でお相手し、
…そして打たれ続けておった。
よくよくご覧あれ。
コブとコブが地続きになってしまっての、
つむりが膨れ上がっておるのはコブのせいでござるよ…。
家来2:な、なるほど…そう申されてみれば確かに、頭の恰好がおかしゅ
うござるな。
それに顔色もすぐれぬようでござるが…。
家来1:うむ…どうもいつもと異なって気分が悪うござる。
これはコブ傷心でござろうな…。
語り:いやもう大変な騒ぎであります。
そんな中、この一件はすでに隠居して病の身を養っている、
田中三太夫という老人の耳に入りました。
どこの大名家にも必ず一人はいる、ご意見番と言われて
殿様に煙たがられる存在、徳川家の大久保彦左衛門のようなもので
す。
三太夫:これはいかん…病の身なれど、城へ参って殿をお諫めせねば…。
このままでは当家を出奔する者も出てこよう…。
城へ参るのも久方ぶりじゃの…。
!!?これ、そのほう、頭がコブだらけではないか。
一体いかがしたのだ?
家来2:こ、これはご老体。
いや、実は最近、殿が将棋に凝っておられまして…。
家来1:それゆえ、我らが将棋のお相手をつかまつるのですが、
その勝敗に鉄扇を賭けておるのです。
家来2:勝負に負けた者が鉄扇で頭を打たれると、こういうわけでござい
まして…。
三太夫:ほう、そうであったか。
それは面白いの。
さだめし、殿にもたくさんのコブができたことであろう。
家来2:い、いえ…。
殿には一つのコブもござり申さぬ…。
三太夫:なに、一つもないと?
すると何じゃ、そのほう達が勝っても打てず、殿だけが打つとい
うような片手落ちであるのか?
家来2:そういうわけではございませぬが…。
三太夫:ふうむ、それはおかしいの。
将棋は殿のご幼少のみぎり、拙者がお教え申した。
じゃがさして上達はされなんだ。
そのほうらがよほど下手なのかの?
家来2:い、いえ、実は…。
家来1:殿におかれましては、普段の将棋とはいささか異なる打ち方を
されますもので…。
語り:普段は口うるさい老人であってもこの場は救いの仏。
殿様に面と向かってずけずけものを言えるのは、この人をおいて
他になし。
家来たちはここぞとばかり、殿様の普段の将棋の打ちようを三太夫
に事細かに伝えます。
三太夫:ふうむ、なるほどの。
そのような事では、どうやっても勝てぬのは道理じゃ。
よし、しからば本日は拙者が殿のお相手をつかまつろう。
家来2:えっ、ご、ご老体が?
三太夫:うむ、殿をお負かせ申して、鉄扇にて殿のおつむりを打とうぞ。
そのほうらの仇討ちをいたそう。
いざ、参られい。
【二拍】
殿、隠居の田中三太夫、殿にお目通りいたしたく、
まかり越してござります!
殿様:【声を落として】
うっ、じ、爺か…。
うむ、これへちこう参れ!
三太夫:はは。
殿におかれましては、いつもながら麗しきご尊顔を拝し、
恐悦至極に存じ上げ奉りまする。
殿様:う、うむ。
病と聞いておったがどうじゃ、体は平癒いたしたか?
三太夫:いえ、平癒とまでは参りませぬが本日は気分も良く、
殿のお顔を拝さんものとまかり出でましてござりまする。
殿様:うむ、そうであったか。
三太夫:次の間にて若侍どもより伺いましたが、
殿におかれましては将棋を催されているとの由。
殿様:…そうじゃ。
また意見か?
予が将棋を指しては悪いのか?
三太夫:さにあらず、決して悪いことはござりませぬ。
将棋は兵法軍学から割り出した畳の上の戦、
まことに結構なことにござります。
その勝敗に鉄扇を賭けまして、勝った者が相手のつむりを打つ、
これまた面白い趣向と存じます。
…しかしながら。
殿様:っな、なんじゃ?
三太夫:見受けまするに、殿には一つもコブが見られぬ由。
さぞ、将棋のお手前が上達いたしたものと、存じまする。
殿様:っははは…そうじゃ、みな、相手にならぬのでのう。
家来2:【声を落として】
くっ…!
三太夫:そこで本日は、若侍どもの仇討ちをいたそうかと。
年寄りの冷や水と思し召されましょうが、
この爺めがお相手つかまつり、あわよくば殿のおつむりを、
鉄扇を拝借いたして打たんものと心得まする。
殿様:いやいやいやいかん。
もし予が勝った場合、年寄りを打つは不愍でな。
若い者が良い。
三太夫:これはしたり、みずから仇討ちを買って出ましたものゆえ、
お気づかいは無用にござります。
それに、たとえ殿が爺の頭をお打ちになりましても、
殿のご柔弱な腕では、このやかん頭は容易にへこみませぬゆえ。
よしんば、この頭がへこむようなお手前ならば、
これに勝る喜びはござりませぬ。
家来2:【声を落としてつぶやく】
さ、さすがはご意見番…!
我らにはここまで殿に申し上げることなどできぬ…!
三太夫:たとえここで頭を砕かれ倒れましょうとも、武士の本懐でござり
まするゆえ、遠慮のうお打ち遊ばしませ。
殿様:む、むぅ…!
しからば遠慮なく打つぞ、良いな!
三太夫:ご存分に。
殿様:誰ぞ、将棋盤をもてい!
家来1:ははっ!
【二拍】
【声を落として】
これは、どっちが勝っても面白い事になるぞ…!
殿様:あぁこれ、早う駒を並べよ。
三太夫:並べておりまする。
殿様:予のが並べられておらぬではないか。
三太夫:これはしたり、将棋の駒を並べるのは陣を築くのに同じこと。
味方の陣を敵に築かせるという法はござりませぬ。
殿ご自身でおやり遊ばしませ。
殿様:~~っよい、自分で並べられるわ…!
家来1:おおお、殿が初めて自分で駒を並べておる…!
殿様:では、予が先手二枚ーー
三太夫:【↑の語尾に喰い気味に】
これはしたり、下手が先に決まっておりまする。
殿様:~~っむむ…。
この角の道を開けるのは将棋の法にかなうと申すでな、
いつもこの角道から開ける事にいたしておる。
家来2:【声を落として】
確かに定石は定石、だがご老体相手では…。
三太夫:下手は、角道から出るものでござればーー
殿様:~~いちいち下手下手と申すな…!
しかし、爺は打つのが速いの。
三太夫:戦をいたすのにいちいち考えておるようでは、
とても勝つことはできませぬ。
さて、これをこういたしまして…。
殿様:【↑の語尾に喰い気味に】
おぉ待て、その手を上げよ。
その桂馬を取ってはならん、ならんぞ。
家来1:【声を落として】
!!
始まった…お飛び越し、お取り払い…!
家来2:【声を落として】
これをやられてはまず勝てぬ…。
家来1:あのやかん頭がプーッと膨らむのも面白いぞ。
家来2:うむ、ともあれ、我らは高みの見物と参ろう。
殿様:それを取られては予の不都合である。
ゆえに取ってはならん。
三太夫:これは異なことをおおせられる。
敵の不利は味方の有利、味方が不利は敵の有利でござります。
敵が不利であるからと言って、これを取らぬというような事は
できませぬ。
これはいただく事にいたしまする。
殿様:っじ、爺、そのほう、予の言葉に背いても取ると申すのか。
三太夫:お言葉に背くと申されましては恐れ入ります。
爺めは老衰いたしておりまするゆえ、すぐお答えもなりませぬが…。
家来2:【声を落として】
ま、まさに一触即発…!
家来1:【声を落として】
手に汗を握るとは…このことか…!
家来2:【声を落として】
ご老体…どう切り抜けられる…?
三太夫:…ふむ、考えがつきました。
殿、この歩と申すものは盤上でいちばん身分軽き者、
これは雑兵、足軽と申すべきものでござる。
それに対して桂馬はお馬廻り、一騎当千の侍にござりまする。
それに立ち向かって相手の首級をあげましたるは、
誠にあっぱれな奴にござります。
帰陣のうえは、士分に取り立てつかわそうと存じておりまする。
家来2:こ、これは…!
家来1:ちゃ、ちゃんと話に筋が通っている…。
家来2:さすがは年の功でござる…!
三太夫:しかるにそれを、敵の大将がとやかく申したからと言って、
これを取らずにいると言うわけには参りませぬ。
武士たる者、たとえこのままお手討ちになりましょうとも、
この桂馬を取らざるうちは、この座は立ちませぬ。
殿様:~~ッッわかったわかった!
そう理屈を申すでないわ…!
よいよい、取れ!
三太夫:取れとおおせが無くとも、これはもういただく桂馬にござりま
すれば、頂戴をいたします。
殿様:~~むむむ…ならば、飛車を…!
ッ!
家来1:【声を落として】
あっ、あれは…!
家来2:【声を落として】
出た!お飛び越し…ッッ!!?
三太夫:【声を落としてつぶやく】
やれやれ、これが件の飛び越しか。
まったく…我がままにお育ち遊ばされたものだ…。
ッ。
殿様:!
これはけしからん!
これ、爺といえども無礼であろう!
家来2:【声を落として】
と、殿の…飛車を、投げ返した…!?
三太夫:無礼とは恐れ入りまするな。
殿もお分かりのはずでございましょう。
ここには金銀がござります。
それを飛び越して敵陣に入りこむとは何事でございまするか。
盤上において金銀は城壁を固め、王将の前後を護衛いたす者。
かたや飛車は、盤上において軍師とも申すべき、立派な大将に
ござる。
いやしくもその大将たる者が、軍略・陣法をわきまえず、
卑怯にも道無きところを飛び越えてくるとは言語道断!
一刀両断に斬り捨てようかと存じましたが、かような者を斬って
は刀の穢れと考え直し、不憫をもってお返し申しました。
家来2:【声を落として】
聞き申したか!
さすがはご老体じゃ…!
家来1:【声を落として】
こ、このままいけば殿に勝つやもしれぬぞ…!
家来2:【声を落として】
さあ殿、いかに出られる…!?
三太夫:ご異存あらばお返し下され。
首をあげて軍門の血祭りにいたしましょうぞ。
殿様:~~ッッよいよい!
…そこに金銀が無ければ良いのだがな。
三太夫:【無視して】
さて、ではこれをかような事にいたしまして…、
王手にございまする。
殿様:むむむ、王手じゃと……!!
三太夫:…殿にお訊ねいたしまする。
敵軍が城壁まで攻め寄せておるに策もなく、
ただただ戦うは大将たる者の振る舞いにござりませぬ。
およそ知恵ある大将たる者は、戦の勝敗が三日以前に分かるよう
でなくては、一国一城の主とは申せませぬ。
殿様:む…。
三太夫:時としては城壁間際まで引きつけ、一気に打って出て勝ちを得る
事もございますが、策もなく城の奥に控えおるは、
さだめしバカ大将か、間抜け大将と申せましょう。
殿様:な、な、な…!
家来1:【声を落として】
な、なんという詰め方…!
家来2:【声を落として】
さすがでござる…!
三太夫:いわゆる雪隠詰めになるまで逃げ惑い苦しむなどとは、
言語道断にござりまする。
殿様:も、申すに事欠いて、ば、バカ大将じゃと…!
むっ?そこに金を打ったか。
ッ予の参るところが、ない…。
三太夫:…ない、と申されますと?
殿様:…~~負けだ…。
三太夫:どちらが?
殿様:皮肉な事を申すな。
…予の負けじゃ…ッ。
家来1:【声を落として】
おおお、ご老体が勝った…!!
家来2:【声を落として】
うむむ、胸がすくようじゃ…!
それがしもご老体にあやかりたいものだ…。
三太夫:では、爺めの勝ちでござりまするな。
このやかん頭がへこまずに済みましたわい。
では、お約束通り鉄扇をご拝借いたしまして…
殿様:もうよいッ…。
三太夫:良くはござりませぬ。
武士の一言、金鉄の如しと申しまする。
ではご拝借。
【二、三度振っている】
なるほど、手頃な鉄扇でござりますな。
爺めは壮年のころ、一刀流片手打ちが得手でございましてな。
【気合いをいれている】
むんッ!!
やあッ!!
やあぁーーーッッ!!!
殿様:っこ、これ、最後に気合をかけるな…!
三太夫:では殿、おつむりをどうぞ。
殿様:う、うむ…。
家来2:【声を落として】
ほ、本当に打つつもりでござろうか…!
家来1:【声を落として】
しかし、ここで打たねば殿は懲りられまい…。
語り:いくら武士の一言だの、武士に二言は無いだのと申しましても、
まさかに本気で殿様の頭を打てるわけがありません。
三太夫さん、わざと手元を狂わして膝のところをビシリ、と
打ちすえました。
老いたりとはいえ、腕の立つ人間に叩かれたのです。
たまったものではありません。
殿様:ッッッッ~~づぅぅうう~~~ッッッ!!!!
家来1:【声を落として】
おお! 膝を!
家来2:【声を落として】
本気で打つわけにはいかぬとはいえ、まさに武士の情け…!
三太夫:いやはやこれは、年はとりたくないものでござるな。
手元が狂いましてござります。
あらためて、打ち直しを…
殿様:【↑の語尾に喰い気味に】
ッそ、その儀には及ばぬ!!
ええぃそのほうら、何を笑って見ておるか!
早く将棋盤を取り片づけぃ!
いや、焼き捨ててしまえぃ!
明日より将棋を指す者は、切腹を申しつくるぞ!!
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
柳家小さん(五代目)
※用語解説
如何様:イカサマ。
宿直:とのい。当時における夜勤、寝ずの番。
下手:へた、ではなく、したて。棋力が相手より下の者。
対義語:上手・うわて。