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アマルナ文書

作者: 田丸 彬禰

アマルナ文書。

日本語では「アマルナもんじょ」、英語でいうところの「Amarna letter」です。

これは簡単に言ってしまえば、紀元前14世紀ごろのエジプトとその周辺諸国との外交文書的書簡で、内容は知らなくても、アマルナ文書という単語自体は古代エジプトのアマルナ時代をやれば必ず出くわすものです。


書かれていた内容は非常に面白く、これ専門にやれるくらいに奥が深いのですが、個人的にはノータッチに近い分野です。

病的なアマルナ好きが聞いて呆れると言われそうですが、とりあえずその理由。


それはそこが使われているものがいわゆる楔文字だから。


もちろんアマルナ文書の専門書は出ており、楔文字の英語訳も当然あるわけですが、これが本当に正しいのか……さすがに、それは書いた大先生たちに失礼なので、他に解釈できないか、を確認するためには、それなりの知識が必要になりますが、楔文字に関して私にはそれがない。

しかも、まったく。

つまり、書かれていることをそのまま受け入れるしかないのですが、それが楽しくないからということになります。


まあ、個人的好みは脇に置き、今回はこれについて少し書いてみます。


まず、これは粘土板に文字が書かれているものです。

西アジアではこの通信手段は一般的なものだったらしく多くの場所で同じようなものが発見されており、我が家にも紀元前13世紀のものと伝わる品がひとつあります。

といっても、当然本物ではなく、シリアに旅行に行ったときにダマスカスで手に入れたレプリカですが。


合計で382枚あるこれらの粘土板は発見場所からアマルナ文書と命名されてはいますが、このようなものがエジプトで発見されたのは珍しいことです。

おそらく粘土板を使った書簡のやりとりはこの時代だけではなく、中東諸国との交流があった全時代でおこなわれていたのでしょうが、他の時代のものはほぼないといいでしょう。

その理由は、到着した書簡は読まれた後は廃棄されていたからだと思われています。

それを証明するように、アマルナ文書も、とても保管されていたものが発見されたと言えない状態で見つかっていました。


ちなみに発見場所は、「Office of Correspondence」、「Record Office」などといったたいそうな名前がついていますが、アクエンアテンがここを都にしている時代からそう呼ばれていたわけではなく、アマルナ文書が発見されたことからそう呼ばれているだけです。

当然その場所が実際にそのような役割があたえられていたかも怪しいと言わざるを得ません。


アマルナ文書を説明する多くの書では、やってきた粘土板文書はパピルスに書き写していたと説明されていますが、アマルナ文書と同内容の文書が書かれたパピルスがアマルナで見つかったことはありませんのでそう断定してよいのかは保留します。

まあ、私自身も当時のエジプト人の「なんでも文字にして残す」性癖を考えればそのようにしたのではないかと思っているのですが。


せっかくアマルナ文書を取り上げたのだから、本来であればその内容について語るべきなのですが、それついては多くの書物に詳しく書かれているので、それについてはそちらに譲ることにして、ここで取り上げたいのは、使用された文字。


楔文字。


実は今回の話で一番話題にしたかったことです。

アマルナ時代が属する新王国時代にはエジプトはこの地域の超大国であったのですが、外国とのやりとりに使用されたのはエジプトの言葉ではなく楔文字でした。

しかも、それは属国に近い国からのものであっても変わりません。

これは何を意味しているのか?

この当時は、国際公用語は各国の力関係で決められていたのではなく、この世界でもっとも多くの国で使用していた文字が選ばれていたということです。

もちろんそれは交易などの交渉に便利だからということになりますが、実に実際的な考えです。

ですが、そうなると、それを公用語としていたわけではないエジプトでは不便が生じます。

当然楔文字を自国語に翻訳するという作業が必要になります。

つまり、この当時から翻訳家という職業が存在したということになりますが、古代エジプトの言葉でそれに該当するものがどれなのか私は知りません。

絶対にあったはずなのですが。


それからもうひとつ。

アマルナで発見された粘土板文書は、当然すべて相手国から送られてきたものです。

ですから、エジプトから他国への返信はエジプトの言葉であるヒエログリフを使用されたのではないかとも考える向きもあるかもしれません。

ですが、トルコに残る同じ新王国時代のエジプトからヒッタイトへの送られた粘土板はやはり楔文字を使って書かれているようなので、やはり他国との書簡はすべて楔文字が使用されていたようです。


ただし、一概に楔文字といってもそれを使った何種類もの言語があったようです。


現代で言えば、同じアルファベットを使用して多くの言語を表すというものなのかもしれません。

エジプトで使用された楔文字がどうなっていたのかは大いに興味があるところですが、最初に述べたとおり楔文字に関しては知識がまったくゼロなのでこれ以上は踏み込むことができません。

まあ、探せばその辺について書かれているものも見つかるでしょうが、それはこれについて本格的に手をつけるときまで封印したいと思います。


ということで、いつ来るかわからない、いや永遠に訪れないかもしれない遠い未来の話をしたところで今回はここまで。


もともと「アマルナへの扉」シリーズのために書いていたものでしたが、タイムリーな企画があったのでこちらに転用しました。

限定期間が過ぎたら、本来載せるはずだった「アマルナへの扉」へも掲載します。


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― 新着の感想 ―
[一言] アマルナ文書とは聞いたこともなかったのですが、面白かったです。 楔文字が国際公用語だったという部分に、確かに粘土板に書きやすい形だなーと納得しました。
[良い点] 楔文字の粘土板というと、漫画『天は赤い河のほとり』を思い出します。 主人公がいたのは古代トルコで、エジプトは敵国でした。 アマルナ文書もこの頃のものかもしれないですね。
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