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0093 悉く果て、尽く朽ちる(4)[視点:兄妹]

7/8 …… 2章の改稿・再構築完了

 落伍者無く、早熟にして皆晩成。

 一族を表すその言葉は嘘か、少なくとも真実を言い当てていない、と当主の末息子ルクは常々考えてきた。

 おそらくは、似たような葛藤を味わい、そして乗り越えてきたか整理をつけたのであろう叔父ガウェロットもそうであるが――落伍者は「無い」のではない。

 "許されない(・・・・・)"のである。


 リュグルソゥム家に生まれた者は、誰よりも濃密な時間を『止まり木』で過ごす。

 現世(うつつよ)で知り合い、また触れ合うどんな人々よりも、彼らが生きる何倍もの時間を"自分達は"精神を共有した世界で語り明かし、鍛え合い、心の奥の奥の部分までをも互いにさらけ出して交わり合う。

 ――それが嫌である、とはいわない。

 きっと、一族の始祖たる"分離された"結合双生児であったリュグル()ソゥム()もまたそうであったのだろう。世界に受け入れられることなく、たった二人だけしか、お互いに共有することのできるものがなかった。それ(・・)すら無いことは、きっと生きていくには耐え難い孤独であり恐怖であっただろうことは、想像ができてしまう。


 だが、同時に、ルクは『止まり木』における時の流れと現世での時の流れとの決定的な違いも理解していた。現世(うつつよ)のそれは決して戻すことも止めることも、ましてや遅れさせることもできない。

 しかし、そんな時間の流れの中で過ごす感覚を、彼は決して嫌ってはいなかったのだ。


 次期当主ではなく、その代行でもなければ、それらの補欠でもない。

 確かに「落伍者無く」たる一族の男子として、与えられる役割や貢献できることは多い。父と叔父のもう一つ上の世代、祖父の代に――【歪夢】家との凄惨な暗闘があり、そこに吸血種達による"雲上狩り"が重なり、リュグルソゥム家はその力の源とも言える「一族の数」を大きく減らしてしまったのだから。

 ただ、それでも兄達と比べれば行動の自由は大きかった。

 そしてその中でルクは――侯邸を飛び出し、市井を出歩くことが多かった。


 一族のための情報収集であったり、行商の真似事による小遣い稼ぎというのは建前の理由。

 『止まり木』などというものが存在することを知らず、そしてそれが無いことに困ってもいない(・・・・・・・・)人々。彼らと話して、語らって――任務でなければ『止まり木』であらかじめ会話計画(詰み手)を立てるということなどわざとせずに――ルクは、果たしてリュグルソゥム家の男子にあるまじき疑念を覚えるようになっていた。


 すなわち自分達は『止まり木』を拠り所とする小鳥なのではなく。

 むしろ『鳥かご』に囚われた存在なのではないか、と。


 ――どこか大いなる天空、嵐の中に飛び立つための一時的な"羽休め"の場所として『止まり木』を利用している、というのならばまだ良いだろう。だが、一族を守るために誰もが「等しく」奮戦する様に、どうしても馴染めない何かをルクは抱き続けて生きてきた。

 むしろ現世(うつつよ)にいる時の方が、どこか安心できるとすらルクは感じるほどである。


 故の隔意である。

 ルクは、このような感情を抱く己こそが一族の欠陥品なのではないか、と自問し続けてきた。

 それこそ己は――祖父のそのもう一つ上の世代。

 【歪夢】家が『止まり木』の秘密を知るキッカケを作った、リュグルソゥム家最悪の(・・・)"裏切り者"である追放者にすら比肩しうるのではないか、と、自分を責め続けてきた。


 ……だが、同時に、今のこの己の生活や、役割や、家族を初めとした誰彼との交わりの根本にあるものは、リュグルソゥム家に生まれたことで与えられた幸運にして幸福である、という意識もまた正しく抱いていたのだ。


 魔導の大国として、その華やかさとは裏腹に、500年前の英雄王戦記の後始末として広大な土地が"荒廃"してしまったが――それでもオルゼの民は生き続けねばならない。そのために国母ミューゼは【浄化譚】にその終生を捧げた。

 謀略によって相争いつつも、それでも彼女の理想と現実を受け継いで"荒廃"を鎮め続けることこそが、別名『導侯』とも称される【輝水晶王国】の最高位貴族たる『頭顱(とうろ)侯』の責務と正統性の源であり、その末席を汚すリュグルソゥム家もまたそれを共有しているのである。その責任の対価として与えられた、市井の民にとってはまさに"想像の雲上"である特権の数々によって、自分は生かされている。


 ――『そのことに気付いた兄様はすごいです』

 ――『だから、どうか自信を持ってください。私のルク兄様。あなたは、一族を捨てて逃げていったような人達とは、違います』


 ミシェールにそのように慰められたことが、幾度あったか。

 幼少期に【騙し絵】家の走狗である【幽玄教団】――"人攫い教団"という俗称の方が有名――による拉致の陰謀を阻止してから、どこへ行くにも「兄様、兄様」とついてくるようになって懐いてしまった、無碍にも邪険にもできない妹。ルクの"息抜き"である様々な意味での『家出』を誰よりも目ざとく見つけ、父母や兄姉達に告げ口すると脅して、強引にルクについてくるようになったミシェールは、ルクにとっては頭の上がらない、大事な存在である。


 ……そんなミシェールをルクに対する"鎖"にしようと画策した姉達によって、本来であれば"外の血"を入れて「傍流家」を作るために外部と交わる手札でもあった二人は、娶されることが父と母によって最終的に決められた。


 そうだ。

 人並みに自分は家族への愛憎があったのだった。

 ――『止まり木』への幼少期からの、それこそ母の胎内に居た時から抱いていた違和感とは関係なく、ミシェールを攫おうとした"人攫い教団"の刺客達を討ち倒した時と同じく。

 そして今この時(・・・・)もまた、己は『止まり木』の力を使って、その力に頼って、大切な人々に害を成す者達と戦っているのである。


 侯邸に攻め寄せた集団の主力は【纏衣(てんい)】のグルカヴィッラ家の侯軍である。

 かつて【像刻】家の落とし子グルカと【魔剣】家の追放者ヴィッラが交わって始祖となり、両家から独立する形で創立した一族。粛清の陰謀を幾度も生き延びて力を蓄え、現在は国内で傭兵業や警備業、そして【魔剣】家の"縄張り"を一部奪う形で防具を中心とした軍需産業に力を持つ――『盟約派』の先達。

 まるで生きた布のように"防具"を振り回し、あるいは身体に"(まと)う"技を以て『血統魔術』たる秘匿技術を成立させ、【聖戦家】の身体強化魔法による『聖戦兵』とは異なる意味で「頑丈」な相手である。


 生半可な武器や魔法では彼らの『(ころも)』を貫くことはできず、食い止めるためにルクは随分無茶をした。

 2階の天井ごとシャンデリアを落とし、館に仕掛けられた罠をあらかた連動させて"地形"そのものを変化させたのである。如何な秘匿技術に裏打ちされた武威を誇ろうとも――それを操るのが人であり続ける限りは、人の身体構造の制約からは逃れられない。

 そうして侵入経路を制限し、まとまった所に【火】【風】【土】の複合魔法である【マイシュオスの熱砂風】を叩き込んでまとめて"蒸し焼き"にして体力を奪うという持久戦で食い止めていたが……廊下の向こう側から【四元素】家の『四元素術士』達がさらに多彩な種類の属性魔法を雨あられの如く打ち返してくる。


 その一つ一つに、館内に備えられた中型から大型の対抗魔法(アンチマジック)の魔法陣を酷使して使い捨てにしながら迎撃するが――侯邸に攻めてきた敵の層は非常に厚い。【冬嵐】家の【氷】魔法だけでなく、【遺灰】家の"灰"魔法や、【悪喰】家の"魔法喰い"といった、【輝水晶王国】中の精鋭をかき集めた秘匿技術の見本市とも言える理不尽な暴威がリュグルソゥム侯邸を着実に崩壊させていた。

 館付きの兵士や戦える者達が一人、また一人と倒れていく。

 戦えない者も可能な限り逃したが……しかし、その全てを救うことは難しい。


 これが己の宿命か、とルクはボロボロの体を無理矢理動かす。

 次兄アトリと三姉ラミエリ、そして末の妹ミシェールを逃がすために、死守の構えであった。


 だが。

 その守ろうとしたはずの3人が自分を救うために、わずかに残ったはずの戦える者達――ルクが逃したはずの使用人達すら――と共に籠城していた当主の執務室から飛び出して反攻し、ルクの首根っこを掴んで撤退する。誰よりもルクとミシェールに本を読み聞かせてくれた物静かな姉であったラミエリが、母を焼き殺した【遺灰】家の"火葬"術式――『止まり木』でその解析のためにどれほどの無茶が行われたか――を利用した「自爆」魔法によって一時的に「連合軍」を食い止める。


 そして当主の執務室。

 さらにその中の、書棚に擬装され魔法的な防護によって覆われた、当主夫妻か代行のみが入ることを許された『隠し部屋』に連れ込まれ、ルクは次兄アトリに殴り飛ばされて床に倒れ込んだ。

 自分もまたボロボロの状態だが、眼からは決して力を失っていないミシェールが駆け寄って、抗議するようにアトリを睨む。しかし次兄は、穏やかな性格でラミエリと共に互いの読んだ本の感想を『止まり木』ですら、文字通り時間を忘れて読み明かしていたアトリが、それまで見たこともない、憤怒と悲しみの入り混じったような表情を一瞬だけ見せて、その背を「連合軍」が来る方に向けて扉に手をかける。


「父さんから大事な話がお前に、ある。いいかルク、よく聞け。それ(・・)は"当主(フェルフ)"しか知ることを許されない話だ」


 最初の襲撃の時に『止まり木』でガウェロット叔父らの死を知った。

 家族を守るために、己が何をすべきか覚悟して、それで『止まり木』からも己を断とうと時間稼ぎの捨て駒となることを決めた、そのはずだった。

 だが事態はルクの想像するよりも何十倍も凄惨なものである。

 ――自分が意固地になっている間に、王都に向かった兄姉達も、そして母すらもがあっという間に死んでしまったのだ。今生の別れすら告げることが、できなかった。


 そして次兄アトリまでもが、巨大過ぎるものを、ルクにはとても受け止められないはずの巨大なものを遺して、逝こうとしている。


「待ってくれ……! アトリ兄さん。どうしてだ、どうしてなんだ。どうして――僕なんだ……」


「俺が知るわけないだろう! "現"代行じゃなくて、"次期"代行なんて、何も知るわけがない! なかったんだ……なぁ、ルク、お前一人だけが苦しんでいると思っていたのか」


 振り返らずとも、その怒りと悲しみと、困惑の深さが握りしめられた拳から垂れる血から伝わってくる。


「俺はな、ルク。父さんと母さんが"当主(フェルフ)"を継いだ日に、兄さんが"次期"になった時に、何を聞かされたかずっと知りたかったんだ。俺らには見せないようにしていたが、とんでもない、得体の知れない重すぎる何かを背負ってしまったって、わかったんだ――ずっとみんなの力になりたかったんだ……ッッ」


 絞り出すような叫びだった。ミシェールが服の裾をつかむように、すがりついてくる。

 彼女は震えていた。ただ、自分と同じく家族への想いだけで、倒れそうになるのを何度も耐えてここまで走ってきたのだろう、そんな精神と肉体の色濃い疲弊がまるで一心同体のように伝わってくる。

 ――そしてそれが折れそうになっていることに、ルクは気づいていた。


 故にこそ、アトリが初めて明かすその本心に、ルクもミシェールも何も言葉を返すことができない。


「そしてガウェロット叔父さんが殺されて……ハッ! "現"代行になった瞬間に、知らされたのが、こんな救いようのない話だってのは、悪夢だ。守りたかったみんなが死んでから、やっと、守らないといけない理由を知らされた――ラミエリ……父さん……」


 「連合軍」が執務室の厳重に封鎖した扉を破壊しようとする音が激しくなる。

 同時にルクは、その埃臭い"隠し部屋"に、少しずつ妙な魔力の流れが満ちる気配を感じ取っていた。それは【空間】魔法の――魔法陣の気配である。だが、ルクの知る【空間】魔法、いや、正確にはルクが『止まり木』の中で家族と幾度も討議し、また演習し、その秘密を暴こうとしてきた【騙し絵】家の【空間】魔法とは、どこか異なる術式であるように感じられた。


 ――【騙し絵】家こそが【空間】魔法というおそるべき"秘匿技術"の創始者である、はずなのに。


 まるで全く異なる何者かが、別のヒントとキッカケから、生物の収斂現象であるかのように【空間】魔法のようなもの(・・・・・)を編み出し――それをリュグルソゥム家が魔法陣の形にしたかのような、いつ作られたのかもわからないほどに、古い古いものだったのだ。


「……時間が無い。俺が食い止める。ミシェールと一緒に、逃げろ。逃げて生き延びてくれ、ルク」


「ダメだ兄さん、兄さんも一緒に」


「転移したら『止まり木』へ行け、父さんが待ってる。癇癪おこして悪かったな……俺達が、父さんが、ラミエリが、兄さんが、ガウェロット叔父さんが……お祖父様が、ご先祖のみんなが生きていたってことを、お前とミシェールがどうか忘れないでいてくれ。いいか、ルク。いいか――お前達だけが、お前達だけが、俺達がいたことを、覚えていられるんだ――ッッ」


 アトリの慟哭に合わせて、当主の隠し部屋に魔力が満ち満ちる。

 攻め寄せた「連合軍」を迎撃するために、屋敷に蓄えられていたあらゆる魔力も、希少な"魔石"も全て使い果たしたと思っていたルクであったが――どこにこれほどまでの魔力が残っていたのか訝しむ、その間も無い。


 青白い閃光が光の帯となり、奔流となって薄暗い部屋の中に迸る――。

 その刹那のことであった。


 ぞくり、と心臓を魔女のしわがれた指に鷲掴みにされたような恐ろしくおぞましい気配。

 と同時に、周囲の全てが止まった(・・・・)


「なん……だ……?」


「え……なに、これ……」


 魔力の奔流が絵画のように静止する。

 扉に手をかざした姿勢のまま次兄アトリが静止する。

 空気も呼吸も音も、光も色さえもが全て停止している――ルクとミシェールの二人を除いて。


 一瞬、ルクは無意識のうちに『止まり木』に落ちたのかと錯覚した。

 だが、そこは紛れもない現世(うつつよ)である。


 あまりもの異常事態に思考も意識もついていけない。

 そしてその故にとっさに『止まり木』に意識を飛ばそうとするが――。


 酷く場違いな"笛"の音がキィンと脳裏に響いた。

 まるで誰もいない寂れた街道の脇で、行き倒れた吟遊詩人が最後の力を振り絞って、故郷に届かせようと吹いたかのような、力無く物悲しげでありながら、確かな意思が込められた"笛"の音である。


 その"笛"の音に思考がかき乱されたかのように『止まり木』への意識の転移が失敗する。

 ――そして視界の隅に、名状しがたい"染み"が生まれたことに二人は気付く。


「なんだ、これ……」


 (もや)であるようで、(かすみ)のようである。

 あるいは『止まり木』に転移する際の"白い霧"に近い。

 だが同時に炎のようでもあり――周囲の空間を掠めて削るかのように荒々しい。

 それこそ油絵の具を使った絵画に火を放ったかのように、見上げた天井に、名状しがたい"染み"が広がっていた。


 黒色や闇色の類ではない。

 白くも灰色でも染料の原色でもない。

 ――それが何色であるかを、ルクは言及できない。

 だが……強いて言うなら(・・・・・・・)(にび)色か銀色に近い。

 そして全く、銀色でも鈍色でも、ない。


 無理矢理言葉にしようとすれば《驫?》色とでも言うべき、何かが致命的にズレ(・・)て狂っておかしくなった色。


 そしてルクは気づいた。

 まるでこの静止した世界の中心点となったその"染み"が、この隠し部屋の魔法陣と同じく、【空間】魔法のようで【空間】魔法ではない、何か理解のできない力と根を同じくしたものである、ということに。


 その瞬間。

 "染み"の内側から、名状しがたく言葉で表すことができない《驫?》色が生き物のように盛り上がり、人型を成していき――(にび)色のローブに身をまとった何者かの形をなして、産み落とされるかのように天井から落ちてきた。


「――ッッ」


 それは人の形をした《驫?》であった。

 魔法でも神威でも、リュグルソゥム家の知るあらゆる魔法類似の力でもない、得体の知れない術式のようなものをまとう、人型の何かであった。

 鈍色のローブに全身を包み、銀色の仮面をつけている。

 仮面の眼の箇所の奥に、人の肌や瞳などはなく――ただただ《驫?》色の異形の深淵がぼっかりと開き、ルクとミシェールを見下ろしている。


 それ(・・)と目が合った瞬間、ルクは心臓どころか、全身の神経という神経に冷たい刃を突きつけられたような、寒気と激痛の予感によって竦み上がり、動くことができなくなる。ミシェールが激しくこわばり震える気配が伝わってきたことから、彼女もまた同じ"何か"を見ていることがかろうじてわかるが――息すらもがそのまま止まってしまうかのように、詰まっていた。


これ(・・)は要らない」


 予感に反した"人"の声。

 男にも女にも聞こえる――《驫?》色の何かが"幼い"声を発した、その次の瞬間。

 魔法であるかどうかもわからない《驫?》色に、かろうじて『呪詛』であることがわかる赤黒い術式を"手"にまとわせ、その"何か"が振り返ると同時に、静止したままの次兄アトリの胸を貫いた。


 衝撃のあまり、ルクは叫ぶこともできない。

 まるで土をこねた人形に、子供がたわむれに指をずぶりと挿したかのような抵抗の無さ。

 ――飛び散る血すら静止した空間の中でせきとめられているのか、その"手"が引き抜かれた時には、ただアトリの胸には赤黒い暗闇がへばりついているかのようである。

 だが、致命傷を受けたのだと直感的にルクは悟った。

 悟って……しかし体が動かない。眼の前で肉親を殺されたにも関わらず、ミシェールと共に震えるばかりで、自分達だけでも動けるはずであるにも関わらず、何もすることもできない。


 そんな哀れな兄妹に向き直り、《驫?》色のその者が振り向いて覗き込むように告げる。

 まるで影法師のように滑らかに(・・・・・)空間をすべってルクとミシェールに近づき、赤黒い『呪詛』をまとった両手を突き出して、二人の顔面を鷲掴みにする。

 何か致命的な、頭蓋骨が引っかかれるような、内側から割られそうになるような、得体の知れない"力"が流し込まれる感覚に二人が絶叫を上げた。


「"笛"を吹くべき時が来た。我が因果の巡りのため、扉を閉める時が来た。剪定のための、投擲の時が来た」


 一矢報いる、という選択をすることすらできない。

 それをすれば"死"よりも恐ろしい何かが待っている――だが、隣にいるミシェールを守らなければ、とルクが歯を食いしばる。

 《驫?》色の【空間】魔法に似た何かの正体は、わからない。


 だが、この赤黒い力の本質が『呪詛』に近い何かであれば――リュグルソゥムの歴史の中に、対抗手段が無いということは無い。


 【均衡】と【光】属性の複合である【トモリスフィスの悪意除け】を無詠唱。

 ささやかな抵抗であったが――幾分かの効果があったか。

 畑を耕す蚯蚓(みみず)の如く、何十何百にも分かれて、ルクとミシェールの目、鼻、耳、口から強引に流れ込んできていた赤黒い力が紫電と共に弾かれ、それ以上の侵入が拒まれる。


「愚かな。更なる苦痛を望むか」


 弾かれた衝撃でルクとミシェールもまた後方に吹き飛ぶ。

 が、まるで憑き物が落ちたかのように身体が自由に動くことに気づいて、ルクがミシェールをかばうようにその前へ出た。《驫?》色の存在は、再びその両手におぞましき力をまとい始める様子を見せる、が――。


「時が来た、か。"笛"の音は根付いた。我が輪廻の業を回すがいい、(にえ)達よ」


 再び"笛"の音が聞こえる。

 かと思うや、静止していた景色が(つつみ)が決壊するかのように流れ出し――。


「アトリ兄さん! 兄さん、そんな……兄さんッッ!」


「嫌、いや……嫌だ、兄さん! アトリ兄さん……! いやぁぁぁぁ……ッッ」


 まるでたった今そうされたかのように、《驫?》の者によって貫かれたアトリの胸から、噴水のように大量の真っ赤な鮮血が噴き出して隠し部屋を赤に染め上げる。次兄アトリは何が起きたかも知らないうちに、扉に手をかけようとした姿勢のまま崩れ落ちてしまう。

 その様子を無感動に見下ろしながら、現れた時と同じように、強いて言えば(・・・・・・)鈍色かあるいは銀色たる"染み"に包まれながら《驫?》色のローブの存在が消え失せる。


 ルクは暴れるミシェールを必死に抱きとめ――。

 そのまま、完全に発動した古い魔法陣が生み出す膨大な【空間】魔法の術式が二人を包み込み、全てが青白い光の奔流に包まれて消え失せる。


 そしてこの瞬間、二人は『止まり木』へ意識を飛ばし、父シィルとの最期の言葉を交わし、当主(フェルフ)の地位を引き継いだのであった。


   ***


 斯くして、盟約暦514年の睨み獅子(第3)の月の第1日。

 200年の歴史を持つ【輝水晶王国】の頭顱侯家が一つ、【皆哲】のリュグルソゥム家は、他の全ての頭顱侯が周到に連合して引き起こした襲撃と虐殺劇によって、抵抗することもできずに滅び去った。


 その後(・・・)に開かれた『導侯会議』によって、リュグルソゥム家が王国全体への大逆を企てて誅殺されたことが王国中に宣告されたのが、その翌日。


 "隠し部屋"の【長距離転移】の魔法陣によってルクとミシェールは生き延びたが、二人がたどり着いたのは王国の南西部。南方に『四兄弟国』の"次兄"たる【白と黒の(ビアン=ネッリ)諸市連盟】と、西方に【西方諸族連合】の一角、吸血種(ヴァンパイア)が統べる【生命の紅き(アスラヒム)皇国】に接する国境の山岳森林地帯であり――【聖墳墓(イーレリア)守護領】によって"封域"に指定されたる『禁域の森』に隣する辺境の寒村、ヘレンセル村である。


 そしてヘレンセル村を含めた数カ村を支配するは、山岳に座す難航の関所街ナーレフ。

 【紋章】のディエスト家の膝下であり、つまり、二人は未だ窮地から脱しきれてはいない。


 消耗を癒やし、追っ手の存在から逃れて国外へ落ち延びるため、村に潜んだ二人であったが――リュグルソゥム家の大逆とその討滅という、真実とは全く異なる『導侯会議』での宣告が二人の耳に届いたのは、それからさらに2週間後のことであった。

読んでいただき、ありがとうございます。

また、いつも誤字報告をいただき、ありがとうございます。


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[気になる点] 申し訳ありません、自分のスマホ及びPCでは《驫?》色と文字化けしております。 実際には何と書かれているのか、読みを教えて頂けないでしょうか。
[一言] すごく、面白かったです すごく、すごく、面白かった ここまでの四話、特に好きです、 これでまだ、終わりではない こんなにも面白いお話が、そして物語が まだ続くこと、続きがあること すご…
[良い点] リュグルソゥム家族滅編、興味深く拝見しました。 言葉に力があり相互に関連して力動的な場を作るような、 第四の壁、虚構の結界を越えて読者の意識に作用するような、 一連の術式のように思えました…
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