0088 天恵がもたらす三重選択
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
『大産卵室』にはずらりと揺卵嚢が立ち並び、その間を、そして部屋中をもぞもぞと幼蟲が這い回る。労役蟲達が脱走の阻止のために、定期的に"返し"の場所を変化させていたが、ただただひたすら必死に「生きる」ことそのものを体現する存在であるからなのか、幼蟲の世話と脱走対策はイタチごっこの有様を呈していた。
どれだけ"返し"や落とし穴を配置しても、いつの間にか学習し――こてんとひっくり返って積もった他の幼蟲達をも踏み台に「俺の屍を越えてゆけ」状態で突破する。労役蟲側もそれを見越して、突破されることが前提の構造にしたならば、幼蟲側もまた、といった具合に。
監視する者とされる者とが、さながら2つの群体知性が互いの戦略を磨きながら共進化するようなものであるか。
無論、【エイリアン使い】としてある程度それを放置していたのは、検証のためであった。
すなわち、幼蟲の「種族経験」の獲得方法の模索である。
新たに『エイリアン=オリジン』として、種族技能テーブルが一新された幼蟲であったが――その中に現状、非常に気になる種族技能がいくつかあったのである。
まずは【悪路走破】。全力で島中をローテーションによって移動しまわり、さらにそこに【人世】の開発も加わって、道なき道を踏破する宿命を、走狗蟲とそれから特に労役蟲が負っている。最終的に臓漿で全部埋め尽くしてしまえ、と開き直るかどうかは俺のこれからの勢力発展の戦略次第であるが――【闇世】でも【人世】でも、数多くの未踏地に歩を進めようと思った場合、この2大"基本種"の移動効率の上昇は直接迷宮経済にも資することである。
次に【矮小化】。エイリアン=ビーストも、ファンガルも、ブレインも【巨大化】の技能は有しているが――唯一、エイリアン=オリジンとなった今の幼蟲達にのみ獲得可能なレア技能である。そして煉因腫の存在と合わせて考えた場合、【矮小化】は明らかに個体の身体サイズを縮小させると同時に、必要な維持コストと生成コストを減少させるものであるという予測が立つ。
こと、目立たずに隠密させ、それも長期間派遣させることを考えれば、【人世】への派遣にせよ【闇世】であっても偵察などで役立たせられる場面が多いだろう。
そして最後に【天恵】。
これについては、技能名からどのような効果であるか想像できる可能性がありすぎて絞り切れなかったが――ビースト系統とファンガル系統の【遷亜】に取って代わるものであるならば、純粋に強力な効果であることは間違いが無い。
以上、幼蟲が取得できる技能には気になるものも多かったのであるが――。
結論を言えば、ただただ"生きる"ことの生命も精神さえも全力投球なら、何日も放置していればゆっくりと『種族経験』を蓄えるだろうという俺の予測は外れていた。また、お世話係である労役蟲達との脱走と連れ戻しの群体知性同士の知恵比べに関しても『種族経験』とはなりえていなかったのであった。
相対する労役蟲達に関しては、日々の迷宮経済の維持や土木作業などでゆっくりと『種族経験』を積み重ね、位階上昇して技能点を蓄える個体も多かったのであるが……。
なお、俺の眷属のうちエイリアン=ファンガル系統の育成において重大な事実として、考えてみれば当たり前のことではあるのだが、新たなファンガルに"胞化"しても技能点は戻らない。
これは特に『系統技能』において問題となる。
身体を動かすことが前提である"ビースト"系統では、進化前に有していた『系統技能』がそのまま進化後も役立つ場面が多かったが――ファンガル系統は、そもそも胞化した場合、その前と後では大きく異なる役割と能力となるのが普通だ。
つまり胞化前の『系統技能』が"死にスキル"となりがちなのである。例えば揺卵嚢の【幼蟲の創成】は、点振りをすればするほど効率は上がるが……代胎嚢や加冠嚢にそれを引き継ぐこともできず、さりとて振った技能点も戻ってこず、近しい別の『系統技能』に"振り替え"されることもない。
「一生、そのファンガル系統として使い潰すなら、独自の系統技能に振れば良い。だが、後々次の世代に進化させて運用することを考えたら、点振りはしないで取っておくのがいい」
「それが、御方様が労役蟲達にはあまり細かく"点振り"をなされない理由、ということですな」
「"遊び"や検証をするだけの余裕がまだまだ無かったからな。それができた、と思ったらリッケルが攻め込んで来たしな」
労役蟲をわざと"振り残し"状態にしておくメリットは、戦況に応じて急遽適切なファンガル系統に胞化させた際に、そのプールしておいた技能点を一気に振ることができることである。
どのみち、エイリアン=ビースト扱いの種族技能テーブルを持つ労役蟲では、例えば【おぞましき咆哮】に振ったとしても、そもそも口も声帯も無くなってしまうファンガル系統と化せば全くの死にスキルとなる、というのが難点であったのだ。
話を幼蟲に戻そう。
長期生存も脱走行動も『種族経験』とならないのならば――後はもう、迷宮の眷属としての最も基本的な『経験』獲得ルートである「迷宮の敵を撃退する」ぐらいしか、幼蟲のまま位階上昇をさせる手が思いつかない。
「だが、こんなちょっと加減間違えただけでぶしゃあって体液撒き散らして破裂する連中に、どうやって『敵を倒』させられるってんだか。それでずっと慎重になっていたわけだ」
「理解しました。小醜鬼工場が本格的に稼働した今こそ、それを試せる、ということですな」
「既に、俺の従徒であるお前の指揮下にある奴隷だから"敵"には当たらない、て説があるかもしれないな? だが――それが俺の"認識"次第なら、それこそ副脳蟲どもの出番一つだ」
そうだ。
俺は既に、また認識改竄をやっていた。
副脳蟲どもは温泉で慰安旅行中であるが――それぐらいであれば、少なくとも前回のものよりはずっと簡単なものであったらしい。ウーヌスがモノに腹話術人形のように言わされて曰く、元々『浸種』である俺の中の『ルフェアの血裔』の本能さんをちょちょいと刺激すれば余裕であり、俺の別の部分を弄る必要もないとのこと――数分間の悪夢だけで済んだ。
まぁ、たとえこの俺の迷宮の指揮下にある生物であるといえども……本来、小醜鬼は『ルフェアの血裔』にとっては殲滅すべき種族的怨敵であることは変わらない。どれだけ奴隷として、さらには「工場」においてその生産から生死までが掌握されていようとも、それでも彼らが小醜鬼である限りは、油断をすべきではない潜在的な反乱分子であることに相違は無い。
――よし、大丈夫だな。
そして"検証"を始める。
ル・ベリが連れてきた十数体の廃棄予定であった形成不全を一体選び、俺は適当な幼蟲を抱え上げる。そして、予め労役蟲達に造らせておいた、落とし穴状の"囲い"の中に、蹴り落とした形成不全と共に、次々に幼蟲を放り込んでいく。
――幼蟲があらゆるエイリアン系統の根源として体現するのは、その飽くなき生存本能によるものである。彼らは生命の、本能の、精神の、思考の、そして認識のほとんど全てを「生きること」に傾けており、例外的に、迷宮領主たるこの俺の命令よりも生きることをこそ至上の行動原理に置いた、それだけを役割とした存在である。
ならば――こうしてみれば、どうなるであろうか。
呼び寄せていた生体魔法杖である一ツ目雀カッパーの補助を受け、俺は技能【魔素操作】と【命素操作】を全力で諳んじる。
たった今、なり損ないと幼蟲数体を放り込んだ陥穽に向けて、その周囲から魔素と命素を吸い付くし、奪い尽くし、遮断し、一時的に【領域定義】すらも外して――完全な遮断状態が、そこに作り出される。
「飢えることを知らなかったお前達が飢えた時、どうする?」
次の瞬間の反応は劇的なものだった。
まるでそれまではごく普通のありふれた、遊泳せる川魚であったかと思われた魚が、血を一滴垂らしただけでそのピラニアとしての本性を表したかのように。
幼き、脆き、壊れやすき、しかしそれ故にどこまでも生きることに残酷で容赦なく徹底的に至ることができる。そんな獰猛で凶暴な貌を顕わにさせる。
次々と猛然とそのまだ幼い小さなエイリアン的十字牙顎を形成不全に剥き出し、突きたて……まるで自分自身が破裂せんばかりの壮絶な勢いで食らいつき、喰らい穿ち、血飛沫を巻き上げながら潜って行く。食うためには自壊すら厭わぬ、と言わんばかりの破滅的な喰らいつきであった。
瞬く間に形成不全が「穴だらけ」となり、血と肉の塊と成り果てる。
――およそ生命としての"意識"が存在していないが故に、原始的な痛みしか感じないであろうが、それすらも一瞬のうちにもろともに消し飛ばされたであろうが。
「これほどとは……」
「はてさて、これがこいつらの"本性"なら、ちょっと考え方を変えないといけないな。【闇世】はともかく【人世】で大量脱走は――絶対にしないように管理しないとな」
幼蟲を数体一緒に入れたのがまずかったか。
共食いはしていないにせよ、いささか"激しさ"は俺の想像を越えており、互いに押し合いへし合いした結果、入れたうちの一体が他の兄弟達に潰されて傷だらけとなり重傷を負っていたのであった。ただちに魔素と命素の供給を戻して、労役蟲達に運び出させ、それぞれ適切な処置をさせる。
果たして、狙い通り「敵を殺した」という『種族経験』が蓄積されたか。
幼蟲のまま位階上昇という目標は達成され、技能点を振ることができるようになった。
俺はそのまま、ル・ベリが連れてきた形成不全の全てを使い潰し、最終的には30体の幼蟲を位階上昇させることに成功したのであった。
そうして、気になっていた技能の検証を続けて行う。
まず【悪路走破】については、検証後にそのまま労役蟲に進化予定の幼蟲達に1点ずつ振って確認したが、整備した通路ではほとんど変わらなかったものの、未整備の場所や起伏に富んだ難所などではおおよそ5%から10%ほど移動速度が向上していた。
さらに、意外であったのが、この走行能力強化効果は臓漿と相乗したのである。多少なりとも起伏と段差がある場合であれば、むしろ平地や整備された通路よりも早く移動することができ――脱走能力が強化されたと言えるが、すぐに労役蟲に進化させれば、十分以上に働いてくれると言えるだろう。
次に【矮小化】であるが、こちらは検証後に【人世】探索用の走狗蟲や隠身蛇、監視用の超覚腫に進化予定の個体達で検証した。
結果は、1点ごとにおおよそ7%ほど体積・質量ベースで幼蟲の身体が縮小。魔素と命素の維持コストも同程度の%だけ減少していたことが【精密計測】から計算できたのであった。これがもし、進化後も同じ割合で引き継がれるとすれば――。
「噴酸蛆、塵喰い蛆、投槍獣を【矮小化】したら、どうなると思う? ル・ベリ。最大で70%減、3分の1の大きさにまで調整可能だ、と言ったら」
端正な顔立ちを思案気な苦虫顔に歪めつつ、顎に手を当てる様はきっと【人世】でも通じる美男子だろう。しばし考えて、ル・ベリがはっと気づいたように驚きに眉を上げた苦虫顔を作る。
「――戦線獣や螺旋獣達で持ち運びが、できますな?」
「そうだ。そして都合の良いことに煉因腫の強化メニューの中に【脚部退化】とかいう、強化なんだか弱化なんだか非常に悩むものがあったわけだが……例えば投槍獣なんかは、運んでもらうのが前提なら足なんて無い方がずっといいと思わないか?」
「その分、維持のための魔素と命素にも余裕ができるわけですな」
「世代を重ねるごとに相応に維持コストも増えていくが、足も遅いからな、こいつら。直接戦闘には致命的に向いていないが……体が小さくなったことで"多少"威力が落ちたとしても、担いで逃げ帰ることができるなら、生存率も上がる。多分、これがこの『射撃型』達の最適解の一つ、かもしれない」
ベータの【虚空渡り】は、ベータ本人以外に対しては、無茶な空間移動の反動によって傷だらけにさせてしまうというデメリットがある。しかし、それを甘受するならば【強酸】による強力な遠隔攻撃ができる噴酸蛆達を転戦させることもできていたが――対リッケル戦での数百同士の規模ならばともかく、もっと戦いの規模が増してきた際には、【虚空渡り】やそこから解析できた『因子:空間属性適応』から将来的に手に入るかもしれない新エイリアンの能力は、別の運用法になるだろう。
だが、技能【矮小化】をこのように利用すれば、足の遅い、しかし打撃力のある『射撃型』達が、接近戦が得意な集団に襲撃されれば逃げられずに壊滅してしまう、という弱点を克服できる。より自由な運用が可能になるだろう。
――何もビースト系統を"装備型"扱いしてはいけない法などないのだから。【エイリアン使い】たるこの俺自身の認識こそが俺の眷属達の在り方を定める。つまり、『射撃型』エイリアンの全員を「携帯式の射撃兵器」にしてしまうことができる――という一つの解が幼蟲から引き継ぐ技能【矮小化】によって開かれたのである。
「属性砲撃茸と属性障壁茸、あと一ツ目雀も同じ考え方を適用できるな」
「触肢茸の系統も、ですな。いささか、我が身には"大きすぎ"の嫌いがありました。修行にはちょうどよいのではありますが」
「良いだろう、お前専用のちょうどいいサイズの触肢茸とその進化世代系統を【矮小化】を使って用意してやろう。まぁ【人世】では表立って使えないかもしれないが」
「恐れ多きことです。必ずや御方様の"敵"を滅ぼすためにその力を」
そして最後に【天恵】。
これは非常に単純である。だが、その故に強力であった。
――技能点を1点振れば、2点の技能点が与えられる、という効果であったのだ。
最大技能点が5点であるため、追加的に得られるのはⅠ~Ⅲの全てで15点――そして、俺はそもそも自由に"点振り"ができるのであるから、1点振って得た2点を即座に【天恵】に振ることで、ものの十数秒で全幼蟲に【天恵】Ⅰ~Ⅲを取得完了させられる。
つまり、実質的にはノーコストでいきなり初期技能点ボーナスを15点分ももらったも同然な状態となったのであった。
「これは、もっと無理にでも検証をしていたら良かったか? 後発組が強化されやすい、てのは進化するシステムの至上命題ではあるが……」
具体的には"名付き"達のことが少し気にかかった。
同じ条件で進化成長させたならば、明らかにこの【天恵】ドーピング幼蟲から進化させた方が、螺旋獣であろうが八肢鮫であろうが、技能位階分だけ強力な個体となることは明白と思われたからだ。
――だが、半従徒でもある"名付き"達の価値は単なる技能をぶっ放す砲台役ではない。
彼らが独自の知性と個性を発達させつつ、群体知性とも連携することで、臨機応変に様々な戦況にその場の判断で対応することができるという、その前線指揮官性にあるのである。
このように強力な拡張性を与えてくれる【天恵】であるが、残念ながらデメリットがないわけではない。実はこの技能、技能テーブルにおける「位置」がエイリアン=ビーストやエイリアン=ファンガルの【遷亜】と完全に被っており――1点でも振っていた場合、Ⅰ~Ⅲの全てが【天恵】に塗り潰されたままとなってしまうことであった。
【天恵】のみ、継承技能テーブル行きとはならずに種族技能に居座り続ける。つまり【天恵】ドーピングは、技能【遷亜】との交換なのであった――ということが非常に悩ましい。
余談であるが、同じことがエイリアン=ブレインの【知天則】にも言える可能性が非常に高い――技能テーブルの位置的にな。
話を【遷亜】に戻すと、実は初期に試しに走狗蟲で1、2体検証目的で取得させたものがいたのだが……どうしても効果発動の条件がわからず、後回しに放置していた。
だが、それが偶然判明したのが、つい最近のこと。
キッカケは煉因腫であった。
走狗蟲の強化メニューとその強度%集めの一環として、既存の走狗蟲達を次々と交代で放り込んでいたのであるが、その際に、この初期に【遷亜】を取得させていた走狗蟲を放り込んだ際に――煉因腫が激しく痙攣して、まるで抗議か懇願か哀願をするように、この走狗蟲は分析できない、と訴えて吐き出したのである。
どういうことかと副脳蟲達経由で『エイリアン語』で問いただすや。
煉因腫曰く、【遷亜】付きは加冠嚢の管轄であり自分には干渉ができない、とのことであった。
……きゅぴきゅぴ報告書でも確か似たようなことが言われていたことを思い出しながら、ならばと俺はその走狗蟲を加冠嚢の下へ。すると、なんとその『拡張端末』としての設定項目の中に、新たに『遷亜:<因子未設定>』というものが現れていたのであった。
気付かなかったとはいえ、灯台下暗しであったか。
その後、進化・胞化計画をいじってなんとか1基の加冠嚢を検証用として『研究室』へ移設し、その性質を調査中である。ひとまず現時点でわかっている【遷亜】は次の通り。
判明事項、その1。
遷亜とは「亜種へ遷移」させるという意。
通常の、何の因子が必要であるか定められている世代の進化や胞化と異なり、加冠嚢の『遷亜』の処理で選択可能な因子はほとんど"全て"である。ただし、そのエイリアンにMAX取得させた技能【遷亜】Ⅰ~Ⅲの数字の数、つまり最大で3回までしか「亜種への遷移」はできないが……その代わりに『遷亜因子』として指定した因子によって、結構な変化が現れた。
具体的には『遊拐小鳥<遷亜:風属性>』や『突牙小魚<遷亜:水属性>』はそれぞれ、ちょっとした気流や水流を操る能を得て、決して得意とは言えなかった飛行や水泳が明らかに得意になったのである。維持魔素だけでなく、その能力を使用する際に実際に「内なる魔素」を消費しているようであり、あまりに多数で多用されると迷宮経済の圧迫要因とはなるが――例えば『労役蟲<遷亜:水属性>』なんかは、どうであろうか?
水中での土木作業が劇的に改善される。
多頭竜蛇対策として最果ての島の周囲の地形にも、労役蟲の掘削能力や器用さによって干渉できる道が開けたというのは、非常に重要なことであったのだ。
判明事項、その2。
きゅぴきゅぴ報告書にもあり、煉因腫が訴えていたように、『遷亜』と『煉因強化』は同時にはできず、相互に排他的な関係にある。加冠嚢は、単に進化させるだけであれば『煉因強化』の有無は問題無いようであったが、その状態の個体への『遷亜』はできないと俺に【眷属心話】で伝えてきたのであった。
このことは複雑なる三重選択的交換取引関係が出現したことを示している。
その中でより効率的で最適な組み合わせを見つけるべく、現在、急ピッチで今俺が保有している各因子の『遷亜』効果の解析を進めているが――例えば『因子:強筋』による『遷亜』は、完全に『煉因強化』における「筋密度上昇」系を現時点では上回っている。
走狗蟲で確認したところ、『遷亜:強筋』はほぼ「筋密度上昇」の140%に相当していたのであった。だから、単純に筋力の強い走狗蟲が欲しければ、今後煉因腫での研究と解析が進んで「筋密度上昇」が141%以上にならない限りは、加冠嚢で『遷亜:強筋』を選んだ方が良い。
ただし、これはあくまでも『因子:強筋』に限った話である。
先に射撃型エイリアンの"携行武器化"で取り上げた『煉因強化』の1種である「脚部退化」などは、基本的に"役割"を果たすための"現象の設計図"たる『因子』からは出て来ない可能性が高い――それこそ俺自身の認識をさらに劇的に改造しなければ――と踏んでいた。
おそらく、ほぼ確実に『煉因強化』でしか出現しない強化メニューがあり、他方で『遷亜』でしか付与することのできない特殊な能力や機能、効果などが存在しているはず。それを見極めるべく、時間と資源のかかる『煉因強化』よりも先に手持ちの『因子』の『遷亜効果』を把握するための指示を下した、という状態だ。
なお、煉因腫によって一度でも『煉因強化』をつけたものは、その強化割合をたとえ100%、つまり見かけ上の強化無しに戻しても、強化された判定は消えず『遷亜』は不可能であったため、上手く同居させようという試行錯誤は諦めた。
……そしてここに【天恵】ブーストが【遷亜】を選択不可にさせる、という要素が絡んで三重選択となるわけである。
『遷亜:強筋』vs『煉因強化:筋密度上昇』で前者に軍配が上がった通り、短期的には【遷亜】の方が個々の個体を強化する上では優秀――しかし、それを優先しようとするならば【天恵】ブーストによる技能点15点分を諦めなければならず、むしろ【遷亜】を重視するならこれに振る分の技能点が最低5点は必要という状況。
ならば【天恵】ブーストと煉因腫で全体を強化させるルートを選ぼうにも、煉因腫はランダム性を秘めており(ある程度は俺の指示を聞いてくれるが)、資源と時間を食らう。
となれば、判断基準は「どれだけ『遷亜』で優秀な能力が存在しているか」だろう。
成り行きで開店した飲食店並のメニューしか存在しておらず、これからの発展のためには多大な投資をしなければモノにならない煉因腫はひとまず置いておくとすれば、要は【天恵】ブーストによる15点分の技能点と交換できるだけの価値が見いだせるような、有用な『遷亜』効果がどれだけ見つかるか、次第だと言えた。
「できることが増えるのは嬉しい、それは良いことで、それだけで善だ。だが……先立つものが、資源も時間も判断能力にも限界がある以上、どこかで線引して、採用するものと採用しないものを切り分けなければならない。頭では、わかっているんだが、な」
人によってはそれを優柔不断と捉えるだろうか。
だが、不断をしている当人からすれば――それはギリギリまでより好い、より善い、より良い、より能い、そんな最適な可能性を検討したい、というある種の執念である。
……外面ではあまりそう思われたことは無かったが、俺は、自分で自分が非常に執念深い性格である、と自覚はしていたのであった。
「【人世】で拡張できるものなら拡張をしていきたい。【領域定義】があちら側でも通るなら……時間をかけた時の迷宮経済の発展の余地はむしろあっちかもしれない」
「そのためには、こちらの迷宮領主どもの監視を上手く誤魔化す必要が、ありますな」
「そうだ、眷属を通せるようになった、というアドバンテージはまだ持っていた方がいいだろうからな。後は【人世】での監視体制か、こればっかりはほんと、情報収集を急いで周辺の勢力や技術力なんかを確認していかなければならないところなんだが」
とにもかくにも、魔素、命素、資源である。
――できることが増え、それらをギリギリまで追おうとした場合、負担がかかるのはいつの世でも"経済"なのであった。
「さて、そんな訳で次は……ヒュド吉を呼べ。あいつを【人世】に引っ立てて、確かめないといけないことがあるからな」
だが、着実に勢力を広げている、とも言える。
探しものを、元の世界で大きな縁が、様々な意味での因縁を抱えた少女の痕跡を探すための、念願の【人世】への探索の第一歩も成った――と考えていた矢先のことであった。
≪騎士ぴとして恥ずかしくないのかだきゅぴぃ! ……あ切らないで造物主様! ご報告なのだきゅぴ! げろ鉢植え……じゃなかった、テルミト伯さんから連絡が来ているのだきゅぴぃ!≫





