0086 異形は内なる気脈の代替にあらず
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
異世界シースーアの【人世】。
そこに広がるのは――俺にとっては実に2ヶ月ぶりとなる橙色の太陽の陽射しに、空色に広がる空と、その中でまばらに浮かぶ灰色の雲であった。
見渡すは、一面の"森"である。
――【闇世】の最果ての島のような、非常識な異常発達をした巨大樹海などではない。木々の高さは俺の知る元の世界の「山林」だとか「雑木林」で説明できる範囲の"常識的"なものである。わずかに地面が湿地じみてぬかるんでいることから、近くには沼地があったり湿地帯に近い場所である、といった予測などはできたが。
次に、振り返る。そこには俺が今しがた、登り這い出てきた"裂け目"が佇んでいた。
それは1本の巨木――【人世】基準で――の"うろ"と同化するようにして、ちょうど立てかけの大きな姿見のようなサイズの「銀色」がゆらゆらと揺らめいていた。
【闇世】との大きな戦いが500年は前であり一般には御伽噺化していたとしても、もしこの森が頻繁に人が訪れる場所だったならば、すぐにでも発見されて調査なり何なりされているだろう。
それが、少なくとも俺が現れてから2ヶ月間、【人世】側からの侵入者が一切無かったことを考えれば……幸いにして、人里からは離れていると見て良さそうである。最も重要にして重大なる"ファーストコンタクト"が、事故なく無難に完了できたことを実感して、俺は改めて安堵のため息を吐いた。
初めて足を踏み入れた【人世】の自然環境は、俺の知る"元の世界"に近いものだった。
だが、それは俺に安堵と混乱の両方を同時にもたらすこととなる。
この期に及んで物理法則であるとか、ハビタブル・ゾーンがどうとか言うつもりは無いが、周囲に生える木々を始めとして肌を通して感じ取られる"大気"の気配においても、森の雰囲気などに関しても、いっそ元の世界に帰ってきたのかと錯覚するほど似ていたからである。
シースーアが、明確に俺の元の世界と異なる歴史、異なる原理、法則の中で巡り廻ってきたことに関しては疑いようが無い。それは【闇世】Wikiの記述から得られる世界の知識からもそうであるし、迷宮領主としてこの2ヶ月あまり試行錯誤してきた俺自身にとっても、実感と成っていたことだ。
だから、ある意味では【闇世】の創世において、"強引に解釈された"結果として生み出された自然環境――あの異常発達した巨大森林や、現実感を失いそうになる紅い海や、薄紫の空であるだとか――の中では、いっそ俺の方こそ異星人の立場に置かれたかのように感じられた。
その一方で、繰り返すが、シースーアの本来の世界である【人世】の環境は非常に元の世界のそれに近しいのであった。あるいは、『人間』のような生物、似たような生態環境を発達させる上では、共通の条件のようなものが本当にあるのかもしれない。
――だが、何から何までもが俺の中の"懐かしさ"や"心地よさ"を刺激した、というわけではない。
「寒いな。これは、【人世】じゃ"冬"なのか?」
痛烈な寒気が衣服を貫いて肌に突き刺さり、身体の内側に浸り染みてくる。
【闇世】では『降臨暦』という暦が利用されていたが、もしその1月~12月の考え方が元の世界と同じであるならば、今は3月を表す『燭台の月』である。
"春"と言うにしては、いささか真冬の小春日和のような寒々しい大気が森を包んでおり、見上げた空の雲もまたどんよりと鈍い灰色の分厚い層の濃淡を成し、その切れ間から太陽をのぞかせつつも、今にも雪を降らせようとする重く苦しそうなはちきれんばかりの黒い雪雲が西の空から迫っていた。その視点で改めて地面を見てみれば、辺りには霜の存在も目立っていた。
「【闇世】と【人世】で時間や季節がずれている、というのは無いはず……なにせ【人世】が"親世界"なんだから、な。だが、だとしたらこの寒さはどうしたものかな」
いきなりの疑問であり疑念ではあるが、この"森"を包む周囲の地形や地域の気候的な特徴である、のかもしれない。その辺りも含めて、地理情報の調査は優先事項であるため、ソルファイドを数日間さらに派遣していたわけである。
≪我が従徒にして【武芸指南役】たる竜人ソルファイドよ、聞こえるか?≫
念のため副脳蟲達の【共鳴心域】を通して増幅させた【眷属心話】によって呼びかける。ル・ベリとアルファに、聞こえるか? という意を込めて目配せをするや頷いたので――確かに"発声"自体はできたと確信する。
だが同時に、"副作用"とでも言うべきか。まるで健康診断でレントゲンを取る際に着せられるあの鉛の服のような、全身にずっしりとのしかかる"重さ"を俺は感じた。
【闇世】で当たり前のように日々【眷属心話】を発動していた中では感じられなかった現象である。そして、それを感じたのは副脳蟲達もまた同様のようであった。
「どうだ、副脳蟲ども。ソルファイドは近場にいそうか?」
≪応答無しなのだきゅぴ、というかものすごくぐにゃあってしててどどんごぉって感じで鈍重さんなんだきゅぴ≫
≪もう歩けない~全身が垂れちゃう~≫
≪え、えっと……多分、こっちだと……えっと、半径500メートルさんかな≫
アインスが俺の"分身"としての当然の権利によって【精密計測】を発動させて分析したところ――【眷属心話】の技能レベルは最大だったが、それでも【闇世】での使用と比べて効率が75%ほども減衰しているらしかった。
――さながら、体内を巡る魔素と命素の流れが閉塞しているかのような。いいや、空回りしているか、度数の強すぎるアルコールを飲みすぎたせいで肝臓も腎臓も胃袋も十二指腸も、全身がその濃度の高い"毒物"を分解しようとフル稼働して内側から疲弊していくかのような、そんな二日酔いにも似た恒常的な気だるさだったのだ。
まぁ、これも予想していた可能性の一つでは、ある。
そもそも【闇世】というのは、【人世】を強引に無理をして再現しようと試み、可能な限り近づけようと『九大神』が努力をした結実だ。その結果が、あの極端な自然環境や超常に片足突っ込んだ法則の数々であるが――それに適応し、進化してきた種族が『ルフェアの血裔』であり、その中から神々の恩寵によって新たなるシステムとセットで創造されたのが迷宮システムであり迷宮領主である。
そんな存在が【人世】において、【闇世】の創世の歴史の中で育まれた力を十分に働かせようとするというのは、あるソフトウェアをバージョンの違うOSで働かせようとする無理に近いのではなかろうか。むしろ、よく75%程度で済んだな、とすら言えるかもしれない。
この分では、他の迷宮領主由来の"能力"もまた、実行自体はできてもかかる負荷や負担が非常に"重い"のだろうよ。その点、早急に検証しなければならない――と考えながら、俺はあることに気付いた。
「なぁ、おい、ル・ベリ。お前、体の調子はどうだ?」
「御方様には恐れながら……迷宮領主としての権能の通りが悪く、御身が不調であることを感じ、慚愧に堪えないところです。恐れ多くも、能うならばこの私めが御方様のご負担を幾ばくかでも肩代わりすることができれば」
「あぁいやそうじゃない。お前の体調は、どうだ? ――こうしてみるか」
意図的にル・ベリに対して、迷宮領主としてごく自然・当然に迷宮から供給している魔素と命素の流れを断ってみる。
それはほんの思いつきに近い気づきに過ぎなかったが――しかし、ル・ベリの反応は劇的であった。
「……!! こ、これは……ッッうぐ」
胸を押さえ、【異形:四肢触手】を震えさせてにわかに気色ばむル・ベリ。
その様子に予感が当たったことを実感して、俺はすぐに"供給"を戻した。
「すまん、今戻した。悪かった、俺達が【人世】で活動していくにあたって、どうしても確かめる必要があった、許せ」
「……我が身は御方様の"第一の従徒"、問題ありません。ですが、これは……」
「あぁ、どうも【人世】では『ルフェアの血裔』にとって最重要の種族的生体器官である【異形】が、本来の意味では働かないようだな?」
今一度、"魔人族"という種族の歴史と特徴についておさらいしよう。
彼らは元は【人世】に住まう一派であり、『黄昏の帝国』を巡る神々の大戦の中で劣勢になり、【黒き神】率いる『ルーファ派九大神』に付き従って【闇世】へと移り住んだ。
――つまり、元来は【人世】の法則と環境に服する存在であったのだ。
しかし、シースーアの諸法則は、元々は『八柱神』と『九大神』の合計17柱であった諸神がそれぞれ「世界の構成要素≒属性」を分担して創世することで生み出されたもの。その後、袂を分かった『九大神』は、言わば9人で17人分の仕事をしなければならなくなった。
いっそ開き直って、一から完全に新しい世界を分離して創造でもすることができれば良かったのであろうが……しかし『九大神』は、自分達に付き従った人々の一派にとって、可能な限り【人世】に近い環境を再現するという茨の道を選んだ。
その結果が、完全な分離世界ではなく、いわば【人世】を"親世界"とする形でそこにぶら下がり、"裂け目"を作って、世界の構成要素そのものである『魔素』と『命素』を吸入する――【闇世】の誕生というわけである。
ここに【異形】という生体器官のカラクリと存在意義がある。
【闇世】を維持するにあたって、どうしても【人世】から『魔素』と『命素』が"裂け目"を通して吸入されているが――実は、厳密な意味では【人世】の魔素と命素と【闇世】の魔素と命素は、別物なのである。
「いや、別物と言うとそれも語弊があるな……【闇世】の魔素と命素は9柱分の権能で維持されていて、要するにあと8柱分の権能が足りない状態で強引に走らされている、というわけだな」
≪そ、そしてそれを……【人世】さん産の魔素さんと命素さんから……抜き取って補ってる、てことなんだよね……?≫
「むう……そして、そのための装置が迷宮核である、と」
【人世】の魔素と命素は、【闇世】の魔素と命素とは異なっている。
という理解が――【異形】の存在意義について考える前提となる。
「こういうところでも、16属性論からはちょっと離れた方がいい。そもそも『ルフェアの血裔』が元々は【人世】出身だったことを前提にするなら、その身体に必要なのはむしろ――【人世】の諸法則と、それを成り立たせていた【人世】の"魔素"や"命素"なんじゃないか?」
だが、【黒き神】の一派が創り上げた【闇世】に満ち満ちている魔素と命素は、あらゆる"裂け目"の前に陣取っているだろう迷宮核達によって【人世】から吸入され、諸法則を【闇世】仕様に変換された魔素と命素である……と捉えることができる。
「つまり、そのままでは"魔素"と"命素"に餓えて死んでしまう、と……それでは、まさか、そんな我らに【闇世】でも生き抜いていくことができるよう、与えられた神の恩寵が【異形】である、というのが御方様のお考えですか?」
「そういうことだ。【闇世】という世界そのものを成り立たせるためには、どうしても魔素と命素を【闇世】仕様にする必要があったんだ。だが、それが逆に匿ったはずの【人世】出身生物である魔人族の先祖を『魔素枯渇』『命素枯渇』状態にしてしまう……本当に必要なのが【人世】仕様であるならな。だから、そんな事態を防ぐために、魔素と命素を"変換"する器官として――【異形】が与えられたんじゃないか、と俺は睨んでいた」
「それでは……【人世】では【異形】が役に立たない、ということですな? 辺りに漂っているのは既に【人世】の魔素と命素。それを改めて"変換"するには至らない、と……元は【人世】に生きていたというの、に……? ――いや、お待ちを。御方様、睨んでい『た』とは? 今は違うお考えが?」
【闇世】においては、迷宮核が魔素と命素を【人世】版から【闇世】仕様に変換する。そしてそれを、元は【人世】出身の生物である各個人においては【異形】を通して、【人世】版に変換し直して体内に取り込んで生存するとしよう。
ここで生じる疑問は、では、そもそも【異形】という変換器官を獲得する以前に【人世】でごく普通に暮らしていた際に、この枯渇問題は生じなかったのか、ということである。
なにせ、【異形】とは【闇世】に落ちてから、そういう世界と神々の事情によって、それ以降与えられたものである。そもそも【人世】にいた時代は、そもそも魔素と命素を外部から吸入する、という必要自体が存在していなかったのではないだろうか。
「む……? 確かにそう言われてみると、わからなくなりますな。我らの祖先も、今【人世】に住まう者達も、【異形】を必要とはしていない……ですが【異形】が【人世】版の魔素と命素を体内に取り込むはずのものであるならば、【異形】を持たない【人世】の生命は、そもそも生存が可能ではない、という結論になってしまいますな? しかし、当然それはおかしい……」
「そこだ、まさにそれだよ、我が第一の従徒にして忠実なるル・ベリ君。それが、今俺がお前に対して"試した"ことの意味なんだ――迷宮核が体内に同化してしまった俺自身では、絶対に試せないことだったからな。その答えとは」
一拍置く。
俺は目を細め、自分自身の心臓の位置を親指でとんとんと叩きながら、吐き出すようにル・ベリに仮説を伝えた。
「――内なる魔素、内なる命素、だ」
【異形魔闘術】などを通して、ル・ベリは"内なる魔素と命素"の存在を明確に理解できていた、と信じる。そして、ル・ベリは俺の言わんとすることを、察したようであった。
「【人世】の生命には、そもそも"内なる魔素と命素"を体内で練る力が備わっている。これが、俺の仮説だ。そうじゃなきゃソルファイドが【闇世】でもピンピン活動できていた説明がつかないだろ? あいつには【異形】なんて、無かった。本来、【異形】なんて無くても、【人世】出身生物は"内なる魔素と命素"を体内で練って生きていくことができた――そう、たとえ『ルフェアの血裔』でもな。【異形】は、別に無くても問題ない器官だったんだ、と俺は今考えている」
「……それでは、どうして我らは【異形】を与えられたのでしょうか?」
「そこからは"神"の思惑だろうから、俺の想像になるが、1つ目の理由は強化のためだろうな。実際、今のお前は元【人世】の人間と比べたなら、生物としてはある意味では非常に強力な存在ではあるはずだ。多分、これは迷宮核もそうなんだが――"変換"という仕組みに意味があるのかもしれない。【異形】に特殊能力が備わっているのは、魔素と命素を変換する際に、その力を使って超常を引き起こしているからなのかもしれない」
それはちょうど迷宮核と同じである、と俺は考えていた。
迷宮核もまた、【人世】の魔素・命素を世界維持のため【闇世】版に"変換"しつつ、ある意味でその「おこぼれ」を超常に変換することで迷宮システムを成立させているものである、と言えた。
――故に【異形】もまた"認識"の影響を受けるのである。
この仮説が正しければ、【異形】と『迷宮核』は相似の存在。対象としているのが、世界か、個人かの違いというだけのこと。
「そして2つ目の理由。ただただ、元【人世】生物が【闇世】で生きていくためだけだったなら、きっと【人世】以上に努力する必要はあったろうが……"内なる魔素と命素"を体内に巡らせる力を鍛えればよかった。だが、【異形】を与えて、魔素と命素の変換効果が"認識"によって一定の超常を引き起こすという現象を種族的に体感させて――迷宮領主に備えたんだ。こう考えると【異形】に加えて、わざわざ【魔眼】なんてものが与えられたのも、同じだろ。【異形】以上に、単に【闇世】で生きるだけなら要らないはずだろ、こんなもの」
それが、俺の仮説の核であった。
言わば、迷宮領主という存在は【闇世】の草創期から構想され、設計されていたのではないか。
【闇世】でも魔素と命素を『ルフェアの血裔』という種族にあまねく【異形】と【魔眼】を与えておくことで――それと相似の機能を持つ『迷宮核』を将来的に扱い、操り、様々な"認識"によって多彩な【○○使い】という権能を使いこなす、迷宮領主の"候補"となる巨大な人材のプールを構築したのだ。
何のために? それは歴史が示している。
【人世】への逆撃を行う強力な勢力を生み出すため、だろう。『九大神』に付き従って【闇世】へ逃れ『ルフェアの血裔』となった元人族の一派もまた、それを支持し望んだからこそ、わずか数百年で急速な進化を遂げたのだろう。
「おそらくだが、俺が『ルフェアの血裔』の"侵種"に作り替えられたのも、それが理由なのかもしれないな……」
「――"内なる魔素と命素"を、今、我が体内で練っております。御方様、もう一度、試してみてください」
俺の話の意図と、その論理的帰結を理解したル・ベリが、指示をする前に自分で判断して、検証の協力をしてくれた。やはり優秀だ。
改めて、俺は迷宮領主とその配下――眷属及び従徒――の間にある自然で自動的な魔素と命素の供給を意識的に断ち切る。そして技能【魔素操作】と【命素操作】でル・ベリを観察し、彼の体内に"内なる魔素と命素"が循環する流れを読み取る。
ル・ベリはかなり神経を集中させているようであり、小刻みに震えつつ、肩で荒く息をしつつ、浅い呼吸を繰り返していたが――それが徐々に深い深い、まるで海洋大型哺乳類のような、深くて遠い拍動のようなものに呼吸法が変わっていく様子が観察できた。
「今度は、大丈夫なようだな。【人世】では常にそうしていろ、供給役としての俺が常にそばにいるわけではないし、【闇世】のように周囲に【異形】から取り込める【闇世】版の魔素・命素があるわけでもないからな。これはリハビリみたいなもんだ、元々お前達にも備わっていた機能のはず、なんだ。"内なる魔素と命素"を練る能力は、な……おそらくだが」
「なるほど、我ら『ルフェアの血裔』は――【異形】を持ったことで逆にそれに頼り、慣れてしまった。そのために、元々は祖先が持っていたはずの"内なる魔素と命素"を体内に巡らせる力が退化してしまった、ということでしょうか」
「まさに、それだ。まさに、そういうことだ。魔人族が【人世】に出る時の注意だな、これは……【闇世】Wikiに上がっていないのは、わざとか? 無鉄砲に【人世】に出る連中を自滅させて野垂れ死にさせるため、かもしれないが」
名付けて『魔素・命素枯渇症』といったところか。
……【鉄使い】も、自分の"娘"を【人世】に送り出すつもりである以上は、当然そのことを理解しているのだろうな? 対策自体は容易である。"内なる魔素と命素"を体内に巡らせる訓練を施して、元々はあったはずのその能力を鍛えるか、魔素と命素の補給手段を用意しておくことである。
「そもそも公爵未満は本来は眷属を【人世】に送り出すことが制限されている。出てくるとしても、本人か従徒を連れていけるのみであり――多くの場合においては共に行動するというのが前提となるだろう。だから、迷宮領主自身からの"供給"で保つんだろうな」
そして、肝心要の迷宮領主。
迷宮核自体は【人世】の魔素・命素を【闇世】版に変換する装置であるが――迷宮領主は、それを"内なる魔素と命素"、そして"外なる魔素と命素"として、交流させ、内外を通じて巡らせ、さらには迷宮システムを通して【領域】内の眷属と従徒に供給することができる存在である。
つまり"変換装置"としての【異形】はそもそも不要だったのだ。
その言わば上位互換として、【異形】頼りでは忘れ失われ退化してしまうはずの"内なる魔素と命素"を練る力すらもが、種族技能によって与えられる迷宮核を体内に同化させているのであるから。
それが、先程の検証によって、ル・ベリが息も絶え絶えになり、しかしこの俺自身は全くそうなる気配が無いことの理由である。
――だが、それはそれ。
迷宮領主としての権能が【人世】において、まるでもやがかかり重しで覆われたかのように"鈍い"のは、また異なる原理によるものなのだろう。俺としては【人世】の神々――ジンリ派八柱神――による何らかの干渉であるとか、そういったものの可能性も疑っているが。
しかし、完全にできないというわけでもない。
【眷属心話】は75%減であり、その他にも、具体的にはアルファの維持魔素や維持命素の消費量から観察される通り【人世】では"燃費"もかなり悪い。【闇世】側での迷宮経済はまだまだ成長の余地はあるが……たとえば、そっくりそのまま【人世】に投入するのは厳しいだろう。
よほどあらかじめ魔石や命石で余剰を蓄えておいて、それを激烈な勢いで消費することを前提にでもしなければ、いくらかの軍事行動すら一介の副伯の"経済力"では一大プロジェクトだ。つまり、やるなら計画を綿密に立てねばならない。
確かに何やら訳の分からないバグが起きて、俺の"裂け目"に対する権限がどうも公爵級になったという情報もあるが――ただちに、それを軍事行動的な意味では、十分に活かすことができるわけでもないだろう。
偵察などには使うことができるが、まずはソルファイドの帰還待ちか。
帰還予定日が今日であったので、500メートル半径であるならば、そろそろではあるはず。
それを受けて、【人世】と【闇世】での勝手の違いなどを本格的に検証。その後、【人世】でも活動のための拠点の構築と探索を徐々に進めていきたいところである。
「ひとまずは『偵察班』を隠身蛇から編制だな。副脳蟲ども、やっておけ。あと……【闇世】側との【眷属心話】はどうだ?」
≪きゅぴぃ、すごくざざぁぐわぎゃがぁってなってて……全然つながらないのだきゅぴぃ≫
「やはり"裂け目"のこちら側と向こう側での情報伝達、情報共有にやや課題があるか……将来的には、活動の規模や拠点が大きくなってきた際には重要となるが」
≪きゅっふっふっふ……我らにふくあん餡こありなのだきゅぴ!≫
ほう、さすがはこの俺の"分身"であるところの脳みそども。
この状況で即座に案を出すとは、と思っていると、アルファの背からぞろぞろと這い降りた副脳蟲どもが徐に互いの触手を手のように繋ぎ始め――さながらキャンプファイアーを囲んで邪悪な儀式を行う宇宙的神性の使いたる異形生命も真っ青な光景たる"輪"を形成して、踊り始める。
何をする気であるか、俺もル・ベリも期待半分、胡乱げ半分で見ていたが……。
≪6機掌位! これぞ、ぐるぐる世界、車かかりさんの反復さんの包囲洗面円陣さんなのだきゅぴぃっっ!≫
「……なんと」
呻くようにル・ベリが呟く。俺も思わず口元に手をやり、色々と困惑の念が浮かんでくる。
副脳蟲どもは互いに手(触手)を繋いで輪っかを形成したかと思うや、さながら悪夢のメリーゴーランドと化してかごめかごめの如くぐるぐると回転しながら"裂け目"に向かって近づいていき――"輪"の半分ほどが"裂け目"に沈んで銀色のもやに包まれて【闇世】側に転移しつつ、しかしそれでもメリーゴーランド式6機連結回転をやめないため、さらに【闇世】側から回転して【人世】側にまた戻ってくる。
「御方様、私達は何を見せられているのでしょう?」
「……言うな。有効なだけに腹立たしい、何やってんだこいつら……」
【人世】と【闇世】の境目で、さながら川面の上下をぐるぐると巡って回る水車の如く回転する副脳蟲メリーゴーランド。
俺が【人世】側で【眷属心話】した情報を受け取った副脳蟲が【闇世】側へ転移しつつ受け渡しつつ、同時に【闇世】側で回転している間に【闇世側】に待機する副脳蟲達を経由して情報を伝達し、また取りまとめ――メリーゴーランド的回転によって【人世】側に水車の如く汲み上げて俺に伝えてくるのである。
確かに、回転して【人世】【闇世】を切り替えて転移する、という意味での若干のタイムラグは存在するが……それでも、副脳蟲を1体"裂け目"を挟んで反復横跳びさせるよりはずっと効率的である、と言えた。
≪きゅおおおお! 僕たちは脳みそ発電池さんだぁぁぁ!≫
≪あははは! ウーヌスがアンみたいなこと言ってら、あははは!≫
≪目が~回る~頭がぷるぷる揺れるう~≫
――ややあって、ソルファイドと連絡がつく。
数日に渡り、竜人としての体力とサバイバル能力で"森"とその周囲を探索してきたソルファイドが戻ってくるまでの間に、この【人世】側の"森"に出す偵察部隊と偵察計画の詳細について、「メリーゴーランド式副脳蟲円陣」を通して策定が進められたのであった。
なお、武人として滅多なことでは動揺しないはずの我が【武芸指南役】が、副脳蟲メリーゴーランドを見てわずかに固まったのを見逃す俺ではなかった。





