0085 心象の内に構築される他己[視点:マ■■]
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
およそ人生に転機、キッカケというものがあるとして、それは偶然だろうか、あるいは必然だろうか。
一つ言えるのは、諺で言うならば「火のないところに煙は立たない」――その寓意は、転機なりキッカケなりが訪れる時、そこには実は自分自身でも気づかないような原因がある種の伏線として存在している、と主観的には感じ取られるということだ。
大学3回生の春に、俺は研究室選びで『学校カウンセリング』を選んだ。
そんな判断をしたのは、俺自身が"学校"という場所で葛藤したこと、そしてさながら二重生活のように"学習塾"という場所で葛藤したこと、さらには"学び舎"という場所で三重生活を過ごした経験が礎となっている――と、ゼミを選んだ時点の俺は考えていたからだ。
月次に、さもそれがアイデンティティ確立のタイミングと合わさったかのように――俺の存在証明のように、きっと誰にでも訪れうる感覚として「あぁ、あの時にああいう経験をしたから、今の俺があるんだな」という、つま先から脳天にかけてまで全身が震えるような"気づき"の体験とともに、それは訪れる。
まるで、それまでの人生のあらゆる些細な経験が、全て「その決断を予想して」いたかのように、伏線のように、神の見えざる手によって導かれていたかのように、何気ない日常の中のわずかな気付きや心情の変化すらもが、「全てはそのためだった」と、その瞬間に自分という個が"生まれ直す"かのような奔流と共に訪れる――そんな意味での「転機」。
俺にとって、その瞬間は、その研究室を選んだことだった。
そしてそこでK教授と知り合ったことが、俺を再び"学び舎"に結びつける巨大な転機となった。
かつてそこがどういう場所かも知らず、そして、袂を分かった……いや、ある意味で命からがら"生還"して、もう二度と人生で関わることは無いだろうと思っていた、そんな場所に。
だが。
夢破れ、人の悪意に触れて破滅寸前、いや、抗って抗ってそれでも容赦なく潰されて、それで結局、実質的な意味で破滅した今の俺だから思う。
まるで、それまでの人生のありとあらゆるものが「その瞬間」のためのものであった――という、存在価値が確立されたかのような、電流が奔流となって背筋を駆け抜けるような、あの感覚。
あれは錯覚なのだ。
全ては、錯覚だったのだ。
「やっと気づいたか、マ■■」
現代に生きるには鋭すぎて、そして強すぎて、だけれども、だからこそ優しすぎる眼光を度の強い眼鏡の奥に秘めた"先輩"の形をした影がそう告げる。
「感動という名の自己洗脳、自分の存在価値に餓えすぎた結果でした。それは、その葛藤は確かに、自分を構成する要素の一つではあった。でも、自分はそれに酔っていました。どうして先輩と同じ研究室に入らなかったんだろうって、ずっと後悔していました」
☓☓☓先輩を、敬愛していたのではなかったのだろうか。
周りの誰も答えてくれず、教えてくれず、ましてや同じ目線で考えてくれなどしなかった「問い」に、人生で初めて真剣に向かい合い、あるいは同じ道の先に立つ背中を見せてくれたような、そんな気がした相手が先輩だったのではなかったのだろうか。
――と、例えば「こんな視点」から再構成したならば、自分にとってはまた別の必然という名の偶然があり得たわけである。
具体的に言えば、大学3回生のあの時に戻るのであれば――先輩は既に就活を終えて社会人となっていたが――先輩と同じ研究室をもし自分が選んでいたとしたら、それはそれできっと、自分は今度は先輩との出会いの中で学んだことから逆算して、
「あぁ、あの時にああいう経験をしたから、今の俺があるんだな」
とかいう、電流が奔流となって背筋を駆け抜けるような存在価値の確立を実感していたのだろう。
「おい、そう悲観的になりすぎるな。それに気付いたからといって、別にお前が"何でも良い"の節操無しだってことにはならない。あの時、あの瞬間、そこでこそ本当の意味の『偶然』が作用して、お前の中のその何極あるかもわからない天秤が、そっちに振れた。ただそれだけのことだ」
「ずっと考えるんです。ずっと、ずっと。もし自分があの時、ゼミでも先輩の後輩になる道を選んでいたら――そりゃ当然、ゼミのOB交流なんかで話す機会も、縁も繋がったまま離れすぎることはなかった。自分がそばでちゃんと、先輩の周りに目を配れていたら。先輩は」
「言うな。この俺にそんなことを言っても、今のお前の救いにはならない。そうだろう?」
……まだ、あるのだ。
言うな、と言われたから独白で、完全に自分の中の自分自身との、つまり"先輩"の形を借りて現れた別の自分、影、側面との対話の形を取らざるを得なくなったが、それでも、言いたいことがあった。
もしも、安易にあの研究室を選んだために、準備不足の上に味方不足のまま"学び舎"に再び関わってしまったことが、全てを崩壊させた伏線であったのならば――それこそ、【エイリアン使い】に至った伏線なのだ。
「――あの、自分という存在が証明された、自分で自分の運命を、使命を、天命を知ったかのような、あんな感覚を味わっておいて。でもそれが、さらに数年後の自分から見たら、全く別の道を歩いている自分を準備していただなんて、タチの悪い二日酔いみたいなものです。アイデンティティ確立の後にさらにアイデンティティ確立が重ねられるのは、プラスとプラスが衝突してプラスにならずに虚数みたいな世界に精神が崩落していくような、そんな感覚です」
「だから、君は今の自分に至る過去の自分を"逆算"するのを、止めたのか?」
先輩の形をした影は、いつの間にか、恩師であるK教授の姿になっていた。
当時、文部科学省で審議会の長も務めていたK教授であったが――大学生であった自分やゼミの他の同輩達に対して向ける眼差しは、どこか、教授が研究と実践の対象としていた、小中学生達に向けるものと同じような眼差しであるように感じられた。
思慮深さの中と穏やかな物言い、そして親しみやすい人柄の中に、どこか決して触れることのできない届かない何かがあるように、今、この幻影の中で年を経た俺の精神には、当時と異なって映っている。
「僕は"学び舎"には、戻るべきではありませんでした。あの時、K教授からいただいたご縁に感謝はしています。でも、それがあんな形でまたあそこに繋がっていると知っていたなら、自分は……」
だが、とK教授のおだやかで安心できる、しかし、肝心の部分ではきっと何かが届かないのだろうな、と今は思える、あの微笑みを見つめながら、否定に近い諦念が染みのように拡がる。
――たとえK教授を選ばず、先輩の後輩である意味を二重三重にするような道を選んでいたのだとしても、きっと自分は、紆余曲折を経つつ、異なる山道を選んだだけで、同じ山の頂きに至り、やがて転げ落ちていったのではなかろうか。
そしてその場合は、一人で転げ落ちていった時と異なり、先輩を巻き込むような形で。
……先輩の運命を回避できたかもしれない可能性と、しかし回避させた結果、自分の失態の巻き添えとしてしまっていた可能性とを天秤にかけながら、俺は己自身の業の厄介さをまどろみの中で実感する。
幻影はいつの間にか、イノリという名前の少女の形に変わっていた。
そうだ。いつだって、俺の意識は、俺の後悔は彼女の元へと行き着くのだ。
「せんせ。私と、出会わなければよかったって思ってる? 私"達"を知らない人生が、どんなものだったか考えてる?」
否、と俺は首を振る。その「否」とは、幻影の問いに対する回答ではない。
――このような問いは、彼女がするものではない、とわかっていたからだ。
たとえ目の前に次々に現れた、先輩も、教授も、彼女も、その誰もが誰もらしい、あり得たかもしれないそんな発言をどれだけ精巧にしたものであったのだとしても――ここはどこまでも俺の心象世界であり、並行世界の類などではない、と理解している。
彼ら、彼女らの皮を被った、まるで夜闇のように深く果て無く尽きることの無い無限の深淵を表す"紫色の闇"が、その奥にひっそりとじっと息をひそめ、ただ俺という存在を識ろうとしている、ということには気付いていた。
「だから、俺は無意識に俺自身の名前を封印したんだろう。先輩の名前も、教授の名前も、そしてイノリの名前も……剥がされたがな」
既に俺はアイデンティティ確立の高揚を経験済であり、そしてそれが崩れ去って、また別の気付きへのただの一つの伏線となったことを知っていたから。
――集団児童誘拐事件の容疑者からテロリスト予備軍を経て、火刑に処されて道化として終わるはずだった存在が、遂には迷宮領主に変貌したことへの、悪い意味での高揚というものなどない。それらの経験すらもが、後にさらに再構成されて、では「次」は何に変貌してしまうかに憂いを感じながら――だが同時に、苛まれることからは解放されて、今の自分ができることをすればよいのだと心を落ち着けることができる。
だが、不惑と呼ばれる境地には未だ至ることができず。
「せんせ――私を、恨んでる?」
自分を構成する、どの自分自身にも流されないようにするには。
魔法も超常も存在する異世界に迷い込んだならではのチープな解決策かもしれないが――自分を切り分けてしまえばよい。
象徴が現実を侵し、認識が物理と自然の法則を逆算して塗り替えるというならば、人の精神と魂と意識と記憶が宿る、俺自身の"脳"ごと、ケーキのような気軽さで切り分けて、それぞれ"任せて"しまえばよいのだろう。
――それは封印するわけでも、失うわけでもないのだ。
今目の前にある課題をこなし、しなければならないと決心したことを成すための、ちょっとした合理的な自分への"追い込み"みたいなものに過ぎない。
それは可能性の分割であり、そして擬似的な観測だ。
"彼ら"は鏡一つ隔てた近くて遠いどこかの世界の俺自身の写し身にして現身であり、あり得たかもしれない、可能性を体現して、そしてデフォルメすることによって同じ時空の線上に現れた影だ。
俺自身から最も遠くて、しかし、その故に最も近い。
だから、彼らは彼らでなければならない。
――きっとそういう"認識"が【エイリアン使い】の権能によって解釈された様が、理解を越えた、理不尽とすら言えるレベルに片足を突っ込んだ、あの擬音であるのかもしれない。
だから、俺は問いかけるものに、イノリに対する俺の心を識ろうとするその夜闇の如き深き無限の紫に潜む何者かに、挑むようにこう答えた。
「全てを賭けて、お前を、お前達を探して見つけ出すさ、イノリ。言いたいことは色々あるが、でもまぁ、話はそれからだ」
***
迷宮領主に付き従う存在には、いくつかの段階が存在する。
第一に眷属であり、彼らは迷宮システムの中から、それに依存しつつ、それを維持するための自律した生命にして尖兵として誕生するものである。
第二に従徒が存在し、彼らは元は迷宮システムの外にありながら、自ら望みまた迷宮領主に承認されて、後天的に迷宮の一部となった存在である。
――目覚めた俺は、【エイリアン使い】としての力を使って自分自身の"認識"を書き換えた、ということを明確に自覚し、理解していた。
「どれくらい寝ていた?」
「恐れながら……一刻ほどでございます」
「なんだ、前の浸潤嚢の時よりはすぐだったんだな。前よりは――多少は覚えているが」
ル・ベリの手を借りて起き上がり、俺は副脳蟲どもを睥睨する。
わいわいきゅぴきゅぴとしてはいなかったが、一様に触手を動かしてまるでお祈りするかのようにもぞもぞと蠢いていた。
≪お手々のきゅぴときゅぴを、合わせてきゅぴきゅぴ、四きゅぴきゅぴ。頭のぷるると頭のぷるるを、合わせてきゅぴきゅぴ、八きゅぴきゅぴ≫
「元ネタの原型を留めないほど混ぜるな、何の祈祷だそれは……だが、まぁ、上手くいったようだな? 俺の"分身"ども」
≪僕たちは僕たちなのだきゅぴ、何も、変わらないのだきゅぴぃ!≫
≪造物主様を助けるために、造物主様の中から生まれたんだよ!≫
≪よ、よかった……モノ疑ってるわけじゃないけど、ほ、ほら、あれはさ……≫
≪あははは! アインス、それ以上はだーめだよ。羞恥心なら少しは合っちゃうかもだけど、それは、僕の役目なのさ! あははは≫
≪造物主様にできないことを、やらかす、しでかす、引っ剥がす!≫
≪造物主様も~なにも変わっていないよ~ル・ベリさん安心してね~≫
副脳蟲どもを対象として【情報閲覧】を諳んずる。
6通りに表示されたそれぞれの「ステータス画面」には――見事に『従徒職』とかいうふざけた項目が表示されていた……おい、『チーフ』とか『心配がかり』とかはまだギリギリわかるが『発電池』とか『食いしん坊』とか『ウーヌス飼育がかり』とか『てっぽー玉』てのは、一体なんだ、真面目にやってんのかお前ら、というツッコミが瞬時に浮かぶが、相手にしていたらまた調子が狂うので意識の外に放り捨てる。
そして俺は「あぁ、なるほど、そのように"解釈"されたのか」と、無理矢理意識を切り替えて、今俺に起きた現象を理解することに努めた。
俺の"分身"であり、俺の中から生まれた、受肉した幻想の友であると同時に、人の記憶領域を好き勝手に覗いて訳の分からない知識を吸収することで、あり得たかもしれない別の可能性を体現しうる存在。
そんな連中が、たまたま俺の眷属の身体をタンパク質の塊として、さながら精神と肉体の衣服のようにまとっていたからといって――彼らの本質は俺の"分身"であることに違いはなかろう。
そして、それでありながらも【報いを揺藍する異星窟】の迷宮システムの一部に中核として組み込まれ、さらには「知識」をも共有している有様に、【闇世】の迷宮システムを支配する世界法則は従徒であるという"判定"を下した――なぜか"読み方"が汚染されているがそれでも"従徒"は"従徒"――ようであった。
さらに、それだけではない。
幾ばくかの違和感を感じて、俺を見守ってじっと控えていた螺旋獣のアルファにも【情報閲覧】をかけたところ――なんと彼にも『従徒職』の項目が生えており、そこには『親衛隊長』という職が割り当てられていたのであった。称号技能の追加はそこには無かったが……技能点を見れば、称号扱いではあるようであり、その分だけ3点追加されていたのであった。
だが、もはや"分身"としてしか感じられない副脳蟲どもと異なり、眷属であるという認識もまた残存はしている。言うなれば「半従徒半眷属」とでもいう非常に不安定な状態であるとも言えたが――さすがにこれは、俺の想定していたことではない。思わぬ副作用というべきであるか。
「ちょうどいい、試してみるぞ。ル・ベリ、先に【人世】へ行って待ってろ。アルファ、俺と副脳蟲どもを抱えて"裂け目"を通ってみろ」
"認識"に従って、ものの名称だろうがなんだろうが即座に定義付けられ、あるいは翻訳されてきた、この世界のシステムと迷宮核に明確な不具合というか、バグというか、想定外の誤動作が起きたような、そんな直感がアルファに対する違和感から派生していた。
――間違いなく、ここを突けば何かが起きる。
そんな確信と共に、俺はいよいよ、アルファとその背に触手を伸ばしてお互いに協力してまるでみかん袋に詰まったみかんどものように連なってきゅぴきゅぴ言いながらぶら下がった頭蓋骨おむつ脳みそ達と共に、意を決して"銀の水面"に触れる――。
――【エイリアン使い】の"世界面"への接触を検知――
――眷属の接触を……け、けけけ――ケ――
――接触者を再走査。再定義。従徒の接触を検……チ、チチ――…………チチチ――
――重大な誓約違反を検知――
――【エイリアン使い】への制裁イイいいいい……ささ、サイ、さいい――
まるで透明な鐘が脳内でかき鳴らされるような一瞬の混濁と混乱の混沌。
だが、それを打ち払うのは、まるで何者かが静かに祈りを捧げるかのような、真摯でいて、しかしどこか悪戯心がこもった純真な不敬さが入り混じったかのような、そんな意思の奔流であった。
――外部存在の介入を内部から検知。重大な論理矛盾の発生――
――対抗策を検索。対応策を走査――
――【エイリアン使い】オーマの爵位権限への特例を付与――
――『権限:世界門干渉』の爵位権限を公爵級に再設定――
"銀色のもや"が光の奔流となり、俺の体内に流れ込んでくるような感覚。
内側から焼き尽くされ、喰い付くされ、何かを「情報」のレベルで書き換えていくような怖気は、一番最初に迷宮核によって『種族』を変容させられた時の感覚に、とてもよく似ていた。
そうして、閃光に包まれて立ちくらみのように軽く意識が遠のくかと思うような十数秒。
しかし技能【体内時計】においては、わずか1秒にも満たない刹那の後。
肌に感じる風と、そして心臓に同化していた迷宮核が訴える、まるで体全体に鉛をかぶったかのような気怠い重さを感じながら。
「御方様……お待ちしておりました。竜人、ソルファイドめはまだ戻っておらぬ様子ですが」
≪きゅぴねるを抜けると、そこは緑色の国だったのだきゅぴぃ……≫
傅くル・ベリ。
アルファ。
そしてその背にぶら下がった6体の副脳蟲ども。
異世界シースーアへ迷い込んでから2ヶ月弱。
こうして俺は、俺達は、ついに【人世】への転移に成功し、その大地を踏んだのであった。
読んでいただき、ありがとうございます。
また、いつも誤字報告をいただき、ありがとうございます。
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