0084 認識の外側から世界を越える方法
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
最果ての島の迷宮は奥深く。
入りくねった『環状迷路』にして今は内部に『大陥穽』を含む『立体迷路』から繋がる道の一つ、【樹木使い】戦で引き込んだ海水をも利用した水路や、天然の空洞を繋いだ領域を進んだ先。一度、地下へ地下へと深く潜り進んでから、ようやく辿り着いた先に構築された広間が、俺の迷宮内における【人世】開発のための"前線基地"たる『詰め所』空間である。
監視役である数体の隠身蛇と、緊急時の伝令役である走狗蟲達と合わせ、『詰め所』からは壁一枚挟んだ先――通路としては『環状迷路』側――には、新たな"眼"として超覚腫を配置。万に一つである【人世】側からの侵入の可能性にずっと備える、監視体制を構築していた。
迷宮領主には、"異界の裂け目"を越えて自身またはその配下を【人世】に渡らせる権限がある。無論、自由にとはいかず、何をどこまで通すことができるかは「爵位」によって制限されてはいたが――そもそもの迷宮システム自体の誕生経緯からすれば、そういうシステムであるのも当然ではあるか。
多頭竜蛇が縄張りとする海を渡る戦力を整えるのに時間がかかる以上、【人世】側からのたとえば"迂回路"のようなものなどを求めて、いずれ調査はするつもりであったが……本当は、もう少し【闇世】での体制が整ってから、と考えていたのは事実である。
なぜならば【人世】側の状況がわからないからだ。
それに、どのような場所に"異界の裂け目"が繋がっているかもまた不明だ。
【闇世】Wikiに記された歴史によれば、かつて初代"界巫"【城郭使い】クルジュナードによって率いられた諸迷宮の連合たる『携界ノ勢』が【竜公戦争】以来初めて【人世】に攻め込み――敗北したのが約500年前の話。
その際に使われた空前の"大裂け目"は、今世においてはもはや存在しない。
どのような手段と経緯によってそうなったのかまでは、副伯に過ぎない俺には爵位権限不足の情報である。だが、少なくとも【人世】側には、1体だけでも厄介で想像を絶するような存在である迷宮領主達が徒党を組んだ「連合軍」すらをも撃退できるだけの戦力があったのだ。
たとえ500年経過し、その間に【闇世】が戦国時代に陥って積極的な【人世】への侵出が下火となって【人世】側が平和ボケに近い状態か、または【闇世】と同じように相争うとかいう、人類社会のごく一般的な発展パターンに陥っているのだと考えるのは――楽観論だ。そして、たとえそうであったとしても、例えば『魔法』などに代表される超常の力が技術として存在し、迷宮から出現した存在を感知したり、監視したりする体制を堅く整えている可能性は、ある。ちょうど、俺が"侵入者"に備えて『詰め所』を配置しているのと同じように。
だからこそ【人世】へ調査の"眼"を送り込むことに俺は慎重になり、決して急いではいなかった。
そもそも、まだ機も熟していなければ、俺自身の【エイリアン使い】としての力も権能もまだまだ"熟して"いるとは言えない成長途上のものだからだ。
どこに出るかわからない以上、直接異形の存在として受け止められること間違い無しの「異星窟の魔獣」達をいきなり送り込むのは論外。最果ての島の原住生物達を訓練して送り込むにしても、情報を持って帰ってこれなければ意味がなく、よしんば"裂け目"を通過させられたとしても、向こう側の状況次第で的確に状況を判断して帰還してくるような判断力を持つレベルにまで訓練する……というのは、いくらなんでも難しい。
一応、その点を解決することのできる"新種"が生まれてはいた。
『因子:寄生』によって幼蟲から新たに進化した"動物種"とも"植物種"とも、頭脳種とすらも異なる全く新たな系統である『母胎蟲』である。
もしも、こいつの能力と"役割"が俺の期待する通りであれば――俺の眷属でありながら眷属ではない、エイリアン的同調能力や【眷属心話】が通るような支配生物が誕生する。無論、そいつがシステム的に眷属判定を受けて弾かれてしまう可能性はあったが、それでも、最低でも"それ"をまず試すことができる状態にまでは引きこもって準備していてもよかったのであった。
――だが。
ヒュド吉からもたらされた"情報"の真偽を確かめずにはいられない。
俺が俺であるために、俺がどうしてこの世界でこんなことをしているのか、その意味と存在を全うするために。
そうしたい、そうしなければならない、と自ら強く願った以上は――多少のリスクは承知ででも【人世】行きの予定を繰り上げるしか選択肢はなかった。
当初は、俺自身が行く予定だった、が、ル・ベリに思いとどまるよう強く懇願されると同時に、おそらく事前にル・ベリから根回しをされていたのであろう、竜人ソルファイドが、自らの【人世】行きを提案してきたのであった。
確かに元々は【人世】出身のソルファイドである。
竜人の"隠れ里"に隠れ住んでいた歴史から、彼自身決して【人世】における標準的な知識や常識・教養の類を身につけている人物とは思えなかったが――それでも【人世】出身の種族であるならば、万が一にも、向こう側に監視がありそれに捕まったとしても"言い訳"が効くだろう。そして、万が一戦闘になったとしても、戦って切り抜け、あるいは撤退して帰ってくるだけの実力がある、という意味では悪くない人選だと思われた。
それで渋々ソルファイドを派遣したのが数日前のこと。
「成果」を聞き出すべく、俺は【人世】への"裂け目"をはるか頭上に見上げる絶壁までやってきていた。
眼前には、あらかじめ俺の到来を副脳蟲達から知らされていたのか。数基の鞭網茸と触肢茸達が、おそらくは【人世】側から伝い、伸び、生えて垂れ落ちてきている蔓や蔦の類を利用しながらも互いに組み合い、絶壁にへばりつくかのような「筋肉式縄梯子」を組んで俺達を待っていた。
"異界の裂け目"は、まるで真夜中の星灯りのような、あわく杳々とした光を放つ銀色の液体とも気体ともつかない「もや」によってたゆたっており――しかしその縁の部分は、まるで張り付いたかのように周囲の壁に空間的に接着して融合しているかのようである。
さながら、湖面を水底から仰ぎ見たかのような「きらめき」がそこにはゆらめいており――"裂け目"が呼吸をするたびに、向こう側から、大気を薄く青や白に染めるほどの濃密な魔素と命素の仄光が差し込んでくる様は、きっと魚はこのように陽射しを浴びているのだろうと幻視するかのようなきらきらとした「海の木漏れ日」のようでもあった。
なお、まだアルファやベータが一介の走狗蟲に過ぎなかった頃にここへ来て目にした、"裂け目"から垂れ伸びていた木の根や蔦の類達について。その時は、それらが【人世】側からそのまま世界を越えて来た根や蔦なのかと思っていたが……その"正体"がようやく判明した。
なんのことはない。この根や蔦の類もまた、ルフェアの血裔や【闇世】の獣達と同じく、【闇世】に渡り、そして魔素と命素に適応した植物の最後の子孫達と言うべきものだったのだ。銀色の"もや"に繋がっているようで実は繋がっておらず、ただ単に"もや"に浸っているだけ。
ただし、日光の代わりに魔素や命素を光合成の材料代わりにしていることからも、かつて【人世】から迷い込んできた"植物"としては、全く異質な存在となったことであろう。【情報閲覧】を発動させたところ、【浸魔根】と【浸命蔦】という名の植物であることがわかったが――こいつらの"効用"は、今は置いておこう。
より大事な事実は、"異界の裂け目"と呼ばれるゆらめきたゆたう銀色の「もや」は、【人世】と【闇世】を完全に、一度、断絶させる類のものだとわかったことである。
それはソルファイドを見送った際に完全に判明した。
数日前に、彼がその銀色の水面に初めて触れたその時、【人世】と【闇世】を隔て、そして繋ぐ"転移"の機序がどのような有り様だったかを俺は反芻する。
それは、いわゆる「どこで○ドア」のように、切り取られた空間同士を繋いで、シームレスに直接を通過させる方式ではなく――"裂け目"に触れた存在の指先を伝って「銀色のもや」が意思を持ったかのようにわらわらと、まるで蜂蜜をぬりたくった箇所に羽虫が殺到するかのように群がってきて、すっぽりと包み込んで覆い尽くしてしまう形で始まる。
この間はわずか数秒にも満たない。だが、次に、この覆い尽くされたソルファイド――あるいは"ソルファイドの形をした銀色のもや"――は、今度はまるで逆再生の巻き戻しのように、銀色の水面に引き戻され巻き取られていく。
残された空間には、ソルファイドの姿はもはや影も形も残っていない。
【人世】と【闇世】の狭間を越える現象は、そのような過程を辿ったのだ。
しかし、ソルファイドはというと、直後にはすぐに戻ってきた。
【人世】側に出てから周囲に人や生物の気配が何も無ければ、とりあえず、すぐに戻ってこい、という事前の指示に忠実に従ってくれた結果である。その前後で「銀色の水面」は再び波紋を起こしたように揺れ始め、幾ばくかの魔素と命素の乱流を伴いながら、今度は"ソルファイド型の銀色のもや"が吐き出され――もやが水面に向けて巻き取られていく様は同じであったが、今度は"中身"のソルファイドだけが取り残される、という形で出現したのであった。
どうだった? と問う俺に対して、ソルファイド曰く。
「森だった」
とのこと。
少なくともすぐ周囲には"人"が拠点を構えていたり活動しているような形跡は見当たらず、むしろまばらに野生生物の気配を感じ取れたことから、森は森でもそこそこ奥深くの地であるかもしれない――というのが俺の迷宮の【武芸指南役】を務める最大戦力たる竜人の言である。
俺はその報告を受けて、最大限に警戒していたような「詰んだ」状況ではなかったか、と胸を撫で下ろし肩の力をいくばくか抜いた。【闇世】だけでなく【人世】においてさえも、何らかの存在によって進路を塞がれていたのであれば、それこそ、さらに色々なものを売りに出して"励界派"なり【鉄使い】なり【宿主使い】なりに負債を負わねばならなかったのであろうから。
そして、かなり悩んだが、そのままソルファイドにさらに数日間をかけて周囲の探索と、人の気配が万が一にもあれば即座に帰還することを命じて、送り出した。
なお、この時についでに【眷属心話】が"異界の裂け目"をまたいで【人世】側のソルファイドに通じるか、副脳蟲どもに命じて実験も行っている。ウーヌスがノリノリで ≪こちらきゅぴーく! ソルファイドさん、応答せよ! ……どうしたソルファイドさん、きゅぴーく、きゅぴーくぅぅ!≫ と、通信している側なのかされている側なのかよくわからない妄言で遊んでいたが、結論から言えば【眷属心話】は不通であり、当然これを拡張する技能である【共鳴心域】も発動不可であった。
このため、ソルファイドが【闇世】側に戻ってきてから、改めて副脳蟲どもに情報を共有させ分析させている。
周囲にただちに人の気配や障害となりそうな存在は無かった、という意味で第一関門は突破したと言えるが、それでも森を出たところに大規模な基地なり拠点なり、魔法の監視装置のようなものが無い、とは限らない。その可能性を改めてソルファイドに探らせ――"大丈夫"であった場合を見込んだ更なる検証作業にそのまま移行するために、ソルファイドの帰還予定時刻に合わせて、俺はル・ベリやその他の眷属達を率いてきたわけであった。
「やはり面妖。まるで布に穴を切り開いたかのように、この空間だけが"破れ"たかのようになっておりますな」
「あぁ。掘り出させてみてはっきりしたが、どの角度、どの方向から見てもここだけくっきりと『銀色の水面』で満たされている。これが"裂け目"か」
俺の爵位権限では、"裂け目"に眷属を通らせることはできない。だが、それは逆に言えば――"裂け目"の周囲で俺の眷属達に「何をさせても」向こう側へ落ちてしまうことはない、ということ。
――ソルファイドを本格的に調査に送り出してからの数日間。
俺はそうした"裂け目"のルールを悪用し、労役蟲と触肢茸からなる『土木工作班』を編制して、"裂け目"の周囲の岩礫を掘り抜かせ、俺とル・ベリと、あと数体の走狗蟲が入ることができる程度の空間を構築させたのであった。
【闇世】が戦国時代にかまけており、【黒き神】や現"界巫"の方針もあって【人世】行きが積極的には行われない中にあって、俺のこうした行動は異質であるか異端であるかもしれない。
"裂け目"は【闇世】を成り立たせるための魔素と命素の巨大な流入口であり、また【人世】から入り込んできた存在を迎え撃つための鉄門である、というのが迷宮領主の基本中の基本。仮に、眷属を【人世】側へ送る必要があるとしても、その余裕と能力と資格が与えられるのは公爵以上であり……だから、一介の副伯に過ぎないこの俺がやろうとしている"検証"は、いっそ酔狂ですらあるかもしれない。
だが、俺には目的があった。およそ身の回りにあり手を伸ばすことができるものは、全て利用しなければならない。その意味で、現時点でできることと、できないことの把握は、重要なことであった。
「銀色の水面」の性質と、眷属を通すことはできない――という制限の、その詳細について俺は検証するための準備を進めてきていたのである。
「よし、それじゃあ早速開始するぞ。ル・ベリ、副脳蟲ども、準備はいいな?」
「御意に御座います」
≪こちらきゅぴーく! これより潜入みっしょんさんを開始するのだきゅぴぃ!≫
≪いやっほう! 心ときめくさんな冒険さんだぁ! 造物主様から指示のあったみんなも準備万端さんだよ!≫
よろしい、それでは実験と行こうか。
***
○検証その1:通過実験(従徒)
ル・ベリを通過させる。
その後、【人世】側からル・ベリにソルファイドへ【眷属心話】を試させる。
[結果]
通過は成功。【眷属心話】は失敗。
[分析と考察]
まず、ル・ベリの通過は普通に可能であった。
彼は俺の従徒であるため、爵位権限上の"裂け目"通過におけるルール上問題が無いことは【闇世】Wikiから確認済みである。その後、【人世】でル・ベリのみから【眷属心話】によってソルファイドとの交信を試させたが――これは予想通りであるが失敗。
【眷属心話】自体が迷宮領主自身の種族技能であり、そもそも俺自身と眷属との間においても【領域】と関連した距離の制限がある。副脳蟲達の存在意義の第一である【共鳴心域】による拡張と効率化込みでも"世界の壁"を超えることができないならば……おそらく【眷属心話】の核としては「同じ世界に迷宮領主が存在している」ということが必要であるのかもしれない。
これに関しては、今後、ソルファイドの帰還と報告を待ってから改めてこの俺自身が【人世】へ行った後に確認すべき優先度が高いだろう。
○検証その2:通過実験(従徒+眷属)
ル・ベリを通過させる。
この際、ル・ベリには触肢茸を"装備"させる。
[結果]
ル・ベリのみ通過が成功。
触肢茸は通過できず、"銀色のもや"にも包まれずにその場に残り、うねうねとうねっていたが、いきなりル・ベリとの接合を断たれたことに軽く驚いた反応をしていた。
[分析と考察]
通過する際、ル・ベリには「それは自分の体の一部だと強く"認識"しながら通ってみろ」と指示をしていたが――結果は駄目であった。つまり、従徒やその他の生物といった眷属ではない存在の中に隠す形で、まるで密輸のように【人世】へ送ることはできない。そう甘くは無いらしい。
ただ、そうなること自体は予測の範囲内である。それで、この世界の重要なルールである「認識」に頼ってみたわけであったが……俺の迷宮の従徒に過ぎないル・ベリでは、どれだけ自己暗示をかけても限界があったか。
○検証その3:通過実験(石ころ)
銀色の水面に向けて石ころを投げる。
「通過せよ」と念じながら投げるのと、念じずに投げるのとの両方を試す。
さらにル・ベリにもう一度通過させる際に、本人には内緒で隠身蛇にこっそりと、気づかれないようにその腰に「石ころ」を括り付けさせる。
[結果]
強く念じながら投げた場合、銀色のもやによって瞬時に包まれて「通過」したことが確認されたが、念じずに投げた場合は「通過」しなかった。
また、ル・ベリが"気付かずに"括り付けられた石ころが、触肢茸と同じく、括り付けるための紐ごと、その場に取り残されたことが確認された。
[分析と考察]
そもそも、ソルファイドもル・ベリも"銀色のもや"を通過する際には身につけていた衣服や道具や【異形】ごと銀色のもやに包まれていた。また、ソルファイドの時に実験済であったが「通りたい」と念じながらでなければ、つまり逆に「通る気は無い」と念じながら"異界の裂け目"に触れた場合は、銀色のもやに包まれて転移するという現象は発生しなかったのである。
このことから、空間を直接繋げるタイプの「転移」ではない、という事実と合わせて、俺は"裂け目"には特にその銀色のもや部分にある種の「判定機能」があると考えた。
その判定条件を改めて確認するための検証であったが――結果を考察するに、まず本人の「通りたい」という認識と、そして「通したい」という認識が重要であると思われる。これは身につけている衣服などにも及ぶ。
つまり「通りたいと思う自分の一部」であると、無意識か暗黙の前提にでも思っているものは丸ごと、銀色のもやに包まれて諸共に転移してしまうのである。だが、逆に自分自身の一部や付属物ではないもの、意識外のものにまではそれは届かないため、同じ石ころであっても、ル・ベリ自身に通そうと投げさせた場合と、内緒で括り付けた場合とでは違いが生まれたわけである。
そして、この「付属物認識ルール」よりも爵位権限制限ルールが上位に位置していることから、"装備"した触肢茸は通らなかったのだろう。
○検証その4:通過実験(眷属の生成物)
「通過せよ」と念じさせながら、ル・ベリに以下のリストのものを投げさせる。
また、その後、身に帯びるか手に持った状態で通過させる。
・臓漿
・爆酸蝸の"殻"
・城壁獣の"硬殻"
・風斬り燕の"羽"
・投槍獣の"槍角"
[結果]
全て、通過成功。
[分析と考察]
検証その5と合わせる。
○検証その5:通過実験(眷属の遺骸)
「通過せよ」と念じさせながら、ル・ベリに以下のリストのものを投げさせる。
また、その後、身に帯びるか手に持った状態で通過させる。
※以下は全て、リッケル戦で戦死した者達を使用。
検証への活用後、改めて手を合わせて供養した。
・走狗蟲の死骸(ほぼ完全)
・労役蟲の死骸(ほぼ完全)
・走狗蟲の死骸(一部)
・労役蟲の死骸(一部)
[結果]
ほぼ完全、のものは通過できず。
一方、「一部」のもののうち、モノが機転によって「それが眷属の死骸の一部と俺が知らなかった」ものをル・ベリに探して持ってこさせたところ――それについては通過が成功した。
[分析と考察]
検証その4とその5の結果は非常に重大で重要である。
その4だけであれば、眷属自身は通れずともその生成物は通れる、という解釈も可能であったが……その5の結果と合わせて考えると、全く意味合いが変わってくる。
というのも、モノが俺の意図を裏まで汲んだ結果、ル・ベリにこっそりと俺の指示していない走狗蟲の遺骸の、他の動物の死骸と区別のつかないごく一部を持ってこさせてそれも検証させたわけだが。
俺が眷属であると「認識している」死骸が通過できなかったのに対して。
俺が眷属であると「認識していなかった」ものについては、通過ができてしまったからである。
そうなってくると、ガンマから引っ剥がした"硬殻"や、ミューが投槍器的な意味でぶっ放した"槍角"が通過できた、ということの意味合いが全く変わってくる。
「どういうことでしょうか? 御方様。触肢茸の検証では、通過しようとするこの私自身の"認識"では意味が無かったはずでしたが……」
「なに、簡単なことだったんだ。あの"銀色のもや"に判定機能があるのは想定した通りだったが――あいつが眷属かどうかを判定していたのは、別に何か世界の深いシステムにアクセスして、とかそういうわけじゃなかった」
【闇世】Wikiという、迷宮領主達自身に編集権や提案権や秘匿権や閲覧権がある存在がある。俺はかつて、眷属としてのエイリアン達をそこに「編集提案」するかどうかを、迷宮核のシステム通知音で問われたことを思い出していた。
検証その2でル・ベリに出した俺の指示は、視点としては間違っていなかった。
――"異界の裂け目"の「判定条件」は、他ならぬ迷宮領主自身が、それを眷属であると認識しているかどうか、であった。
故に、眷属そのものであればたとえ死骸であっても、通過することはできない。
だが、それがもはや俺自身にとっても眷属そのものであるとは認識できないレベルに分解された、つまり道具か資源としての認識が強まった一部であれば――それは通過することができるのである。
「なる……ほど、それは理解しました。しかし、【人世】側で活用できる戦力をこの時点で通過させることの役には、立たないのでは? 確かに、持っていけないよりはこの"盾"も"槍"も便利ではありますが」
「確かに、お前の言う通りだル・ベリ。だが、俺には1つだけ、俺の眷属であって眷属ではないと"思い込む"ことのできる存在がいる」
迷宮領主【エイリアン使い】の力によって、彼らは生まれた。
その部分を強調すれば、彼らは確かに"眷属"なのであろう。
――だが、たとえ眷属の死骸やその一部であっても、俺がそれをもはや眷属ではないと「認識」したものが、そうなる、というのであれば、同じように「別のもの」と認識すればそのルールを躱せるのではないか? と、そう考えたのであった。
当然、ただの走狗蟲や幼蟲には、そんなことはできない。
――だが、眷属でありながら、【エイリアン使い】の力によって生まれながら、しかし同時に俺の"心"から直接生まれた存在ならば……どうであろうか。
浸潤嚢に自ら入り込み、どこまでも深い紫色の夜闇の中を潜っていった――そこでとても懐かしい人と、もうその人が死んだ年齢よりも自分の方が年上になってしまった、そんな俺の人生において大切だった人に、何かを教えられたエピソードが心の中に波紋のように蘇ってくる。
そこから、副脳蟲が生まれた、ということを俺はよく理解していた。
だから、試す価値はあるのである。
ちょうど複数の走狗蟲達をタクシー代わりとした副脳蟲どもが、うおおおこれが筋肉式エレベーターだぁとか興奮しながら、絶壁を上って来たところであった。相変わらず、調子を狂わせてくれる連中である。
「というわけで、業腹だが、背に腹を代えることもできないんでな。特別にお前達に許可を出してやろう――俺の記憶に潜って洗って、浚え。そして、お前達が俺の"分身"なんだと、俺の『認識』を書き換えて改竄してみせろ。お前達の中の誰にそれができるかは、言わなくても、わかっている。それで、今度はいよいよ俺自身の"通過"実験だ」
しぃんと波を打ったように副脳蟲達が静まり返る。
……頭蓋骨おむつを穿いた触手で歩く巨大脳みそが6体も並んでいるのは悪い意味で壮観である。あぁ、こいつらが普段きゅぴきゅぴ煩いのは、ちゃんと意味のあることだったんじゃないかな、黙って微動だにせずじっと見つめられているとこんなにも"削れる"光景であるか、と俺は苦笑するのであった。
≪それが造物主様の望みならば。造物主様、ちょっと眠っててねだきゅぴ、ル・ベリさん造物主様をお願い≫
静かに、神妙に言うウーヌス。
調子が狂うからさっさとやれ、と念じて口の端を吊り上げて笑いかけてやり――次の瞬間、俺はふっと意識が遠のきながらル・ベリに抱きとめられるのを感じながら、世界が白く暗転した。
その間際、ウーヌスからの ≪モノ、お願いなのだきゅぴ≫ というウーヌスのきゅぴ声が聞こえたような気がしたが……起きる頃にはきっと忘れている、となんとなく強く直感したのだった。





