0080 偶然と必然は糾(あざな)える主客
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
あらゆる物事は偶然の巡り合わせである。
だが、いわゆる"偶然"を偶然たらしめるものの中には、己自身の主観が混じっている場合がある。
一見、自分の視点からは偶然だと思えても―― 一枚外側の枠であるとか、流れであるだとか、そうしたより大きな物語から見た時に、その巡り合わせが実は"必然"であった……というような場合もまた存在するのだ。
それは、あらゆる物事には"黒幕"があったんだよ、などというような、一歩間違えれば陰謀論めいた視座を言うものではない。
そうではなく、ただただ、どこかの誰かが、そこここの誰もが、それぞれに各々自身にとっての目の前の何かをどうにかしようと必死に思惑を働かせ、物事に相対して足掻いているだけ。そうした無数の営みと思惑が入り乱れ、時に水面下で、時に激しく錐揉みのように舞いながら、もつれ合いながら表に現れるものも裏に現れるものも流転していく……に過ぎない。
その意味において、偶然とは必然であり、必然もまた偶然である。
ただし、そこには主観と客観が入り込むのであるから、2×2で4通りの現れ方があるのである――というのは、今は亡き"先輩"に教わった視点であり視座であったか。
主観上の偶然。客観的な偶然。
主観的な必然。客観上の必然。
……ならば今俺がこの異世界に迷い込んだことや。
……「イノリ」という名前の少女や、その他の子供達が消え失せたことや。
……遡れば、先輩があんなにもあっけなくあっさりと死んでしまったこともまた、俺の主観では知り得ない何らかの流れの中から導き出され、たまたま表出したに過ぎない"必然"であったか。
見えたものだけを信じず、見えていないものをのみを信じる、というわけではない。
まぁ見えていないものに思いを馳せすぎて――どちらかというと俺はそういう夢想が強かったのだろうが――足元で起きている出来事に気付かず、転んで怪我をするわけでもない、と思いたい。よろめいたことは幾度となくあった、かもしれないが。
だが、だからこそ。
多頭竜蛇から切り離された「竜頭」の一つ。
俺の"副脳"達をして「ヒュド吉」だなどと、力が抜けそうになる"名"を与えられた、このお気楽な「竜頭」野郎が口にした、イノリ、という語。
俺の中の様々な感情を引き起こす、その名前。
それを、よもや【エイリアン使い】オーマとして聞くことになろうとは、必然か偶然かの評価すら今の俺には難しい、想像すらしていなかった展開なのであった。
元の世界から断絶され、名前を失い、そして新しい自分を象る新しい名前を得たはずであった。たしか3文字で最初の1字が「マ」であることしか思い出せない、そんなかつての自分自身から連続している自覚はある、しかし同時に、死して再び蘇った心地とでもいうような断絶もまた感ぜられていた、そんな、名前。
俺は「オーマ」という存在として。
大いなる"マ"という存在として。
そんな連続性と断絶性を補修して、修復して、構築し直すことによって再び――かつて"マ"の字であった自分を包摂し、取り込んで、再統合していくべきなんだろうか。
――境目を超えて迷い込んでしまったという、偶か必かすらもが曖昧なる"然"を取り巻く、その事象と根源を見出すこと。
それをこの異世界の世界法則の粋に触れているとも言える迷宮領主としての、その生の極限まで、とことん突き詰めることで――そこからさらに裏返って、まるでメビウスの円環を三次元的に一周してくるかのように、オーマはマの字へと還っていかなければならない。
そんな気がして、ならない。
それこそその過程で、この世界まで流れ着いてきたその"仕組み"に辿り到れたならば、それを逆に行くことで、今度はこの円環のさらに先まで。さながらビデオテープを逆回しに再生し物理的な磁気テープが擦り切れて虚空に削れ散り消えるさらにその先の、一種虚数的な、ありうべからざりしはずの領域にまで巻き取っていくかのように。
名前だけではなく、それ以前に無くした色々なものにまで辿り着くことができる――。
漠然とそう考えていた前提が、崩されたのであった。
お気楽なヒュドラの首級が発した「イノリ」という音によって。
さて、今の俺は"オーマ"であるか。
それとも、"マ"の字の男であるか。
能天気なヒュドラの生首が発した「イノリ」という音は、オルゼンシア語へ"翻訳"された響きではない。
明確に、かつて俺がいた元の世界の島国の母音と子音が、その発音と発声の規則通りに生み出された、日本語の響きとしての「イ」と「ノ」と「リ」であったのだ。
そんな音を「この異世界」で聞いてしまった、ということ。
思いもよることなく突きつけられた波紋と矛盾は、迷宮領主として時間をかけて力を蓄え、情報を収集して成り上がっていこう、という俺のあらゆる構想を全て根底から完膚なきまでに崩落させた。
――この世界に"彼女"が、いる?
わずかでもその可能性と、そしてその痕跡があるならば。
ただただ、その"痕跡"と巡り合うためだけに、かつて書き捨てたはずだったお遊びの計画書から、それが何者かのより大きな悪意によって実行されて仕組まれた"火遊び"に、俺は望んで飛び込みあるいは巻き込まれたのだった。
その果てにあったのがこの異世界での奇譚であるならば、それはなんという因果であり報いであるのだろう。
だが、それにしたって、俺はまさかこんな幻想譚が自身の運命に覆い被さるだなんて、「オーマ」になる前に知っていたわけでは、ない。
異形を統べる【報いを揺藍する異星窟】の主になる以前に、「イ」の字の少女の痕跡に触れる運命を、悟っていたわけではなかったのだ。
よりにもよって俺が「オーマ」となって、折伏し感化し導いて俺の旅路に同行させたがために、それぞれの目的地に連れていくべき責任を負った従徒達ができてから、知らされたという、そんな偶然にして必然。
もはや、今の俺は"マ"の字の男として、彼女の幻に苛まれながらその痕跡を探しにいくことは許されない。
然れど、「オーマ」という迷宮領主として、その役割を全うしきって突き詰めて確固たる何かをまず得てから、というわけにもいかなくなってしまった。
――錐揉みである。
混じり合いながら、しかし溶け合うことができず、然れど放射するように離れていくことはない。
三次元的な平行線のまま二重螺旋を描いて落ちていくように、それがどこかで、より大きな物語によって統合される時機を確かに信じて、俺は歩いていくしかない。
賽は放たれた、とはガリア戦記を経て後に、イタリア半島に攻め入って権力を勝ち取ることを決断したユリウス・カエサルの言葉としてあまりにも有名であるか。あるいは、元の世界の東洋の故事成語で似た意味を示すならば、人事尽くして天命を待つ、という言葉を対比することができるか。
だがそれは……「この世界」の天命ではない。
俺が遭遇したこの気宇壮大にして摩訶不思議極まる、奇妙な現象が、多次元世界なのかパラレルワールドなのか、はたまた邯鄲の夢であるのか、宇宙の死と再生がもたらした永劫回帰であるのかはわからない。
だが、「この世界」と「元の世界」が存在しているならば――ならば、「これらの世界」を包摂するより大きな何らかの巨大な因果があるのだろう。
故に、今の俺にできることは、できる全力を尽くし続けることしか無い。
天は夜空の果ての如く、届けば届いただけさらに"外側"がある類のもの。
きっと、そうしたものを指して、古き時代の賢哲は"天命"という概念を想起し、想いを馳せたのであろうか。
***
【降臨暦2,693年 燭台の月(3月) 第14日】(55日目)
『加冠嚢』は、副脳蟲どもの「報告書」にある通り、一言で言えば"ルビンの壺"を思わせる形状をしている。
シャンパングラスを思わせた揺卵嚢が、巨大な肉の玉ねぎの如き肥大化した代胎嚢になったかと思えば――まるで膨張の次は収縮の手番であると言わんばかり。近世フランスの宮廷貴婦人が体型を維持するためにコルセットで自らを戒めたかのように、人間で言えばウェストに当たる箇所が過剰なまでに絞られた形状をしている。
ただし、纏足のように厳しく締め付けられた……という意味での痛々しさや歪さは加冠嚢には感じられない。
明滅する魔素の青と命素の白の仄光によって横からその投影を一目、見てみれば、まるで人間の横顔が向かい合ったかのような凹凸を備えた流線型。じっと眺めていると、それもまたエイリアンであることを忘れさせるような、一種艶やかさすら湛えた幻惑さを秘めている。
揺卵嚢や代胎嚢が、"幼蟲卵"を生成したり、幼体を"育む"ために十分な空間を必要とするのとは異なり、巨大な『拡腔』が不要であるが故の形態。しかし、その次の世代では再びそれが必要となるため、退化はさせずに折りたたんでいるだけであるかのような、そんなほっそりとした"くびれ"を麗しく佇ませているのが加冠嚢であった。
だが――こいつは、観賞用の生花や骨董壺の類などではない。
【エイリアン使い】たるこの俺の"拡張端末"として、このエイリアン=ファンガルが果たすべき役割は、固有技能【因子の注入】の代行、つまり"進化"という最重要権能の代行なのであった。
観察を続けていると、労役蟲がその鋏脚で丁寧に挟みながら幼蟲を連れてきて、おもむろに加冠嚢に押し当てる。事前に副脳蟲達に指示してある「生産計画」に基づいた輸送作業だが……同じ計画を当然に共有している加冠嚢がその力を発揮。
すると、直前までいやいやと労役蟲の鋏から抜け出そうともがいていた幼蟲がびくりと痙攣。大人しくなったところを労役蟲によってその場から少し離れた場所に降ろされるや、自発的に銀色の糸を吐き始めて自身を繭の内側に覆っていくのであった。
【報いを揺藍する異星窟】の"心臓"たる『大産卵室』では、現在5基の加冠嚢が稼働しており、同じような光景が周囲で繰り返されている。各"くびれ"どもの周囲には、労役蟲に運ばれてきた幼蟲達や、あるいは自らが進化すべく駆けてきた労役蟲や走狗蟲達が、一体また一体と変態して大小のエイリアン=スポアと化し、所狭しと並んで鼓動しているのであった。
加冠嚢もまた、"時間差で進化"をさせるような能力は備えていない。どうしてもその場でエイリアン=スポア化させざるを得ないのである。
内部がドロドロに液状化している"繭"は、たとえ労役蟲であっても傷つけて溢れさせることなく場所を移すのは至難の技であり――どうしても、加冠嚢達の周囲の空間を、運動部の更衣室じみた乱雑さでエイリアン=スポア達が埋め尽くしていく。
……つまり、そのスペースが空くまでは新たな進化・胞化の促進ができない、という地味ながら意外な問題が発生していた。
無論、エイリアン=ファンガル系統の共通の特徴として、加冠嚢自身も頑張ればなめくじ並の速度ではあるが、肉根をずるずると這わせて"歩く"ことは可能。何なら適当なエイリアン=ビーストに"装備"させて移動させてもいいのである。
だが、悩ましいことにその種族技能には【進化促進:魔素】と【進化促進:命素】という、エイリアンの進化と胞化に限定した【魔素操作】【命素操作】の類似技能があり――あまり無理をして動かそうとすると、その集中を乱してしまい、十分な【促進】ができなくなってしまうというジレンマが存在していた。
そういうわけで、俺はひとまずこの「空きスペース問題」解決のため、数を揃えることで対応すべく5基まで増やしていたわけであるが……今度は『大産卵室』自体が手狭となったのが2日前のこと。
実は、その時点では"拡張"工事も考えていたが、とある理由から拡張工事はもはや全く不要のものとなったのであった。
「いよいよ、俺の【エイリアン使い】の迷宮経済の本領発揮ってところだな、こいつの存在は……」
「"補給"の問題が解決した、と言えますな、お方様。従徒であるこの私にも、御方様の恩寵が――力が満ち満ちてくるようです」
『大産卵室』の隣の『詰め所』としている広間で、俺はル・ベリと共に加冠嚢に次ぐ新たなエイリアンの機能検証を本格化させていた。
その名も『臓漿嚢』。
揺卵嚢とは別の"枝"としての派生たる、労役蟲から『因子:分胚』と『因子:粘腺』によって表される"現象"を取り込んで胞化した第2世代エイリアン=ファンガルにして、小系統の祖となるもの。
なお、モノが「報告書」で爆笑している「マンドリルの鼻」とかいう表現は……確かに的確だが、もう少し具体的に喩えれば、揺卵嚢で言う「シャンパングラス」の杯に相当する瘤のようなずんぐりした胴体部分が、まるで熱しすぎたガラスの容器がぐにゃりと横倒しに地面に垂れたかのようなもの。そして、その垂れたグラスの部分が、さながら鞴のように膨張収縮しているのであった。
なるほど、視覚的な印象こそ確かに"マンドリル"の顔面の如くビビッドではあるが――それが生物的に大きく膨らんだり縮んだりしている、という部分に着目すれば、"鼻"は"鼻"でもむしろテングザルやゾウアザラシといった「膨んだ鼻」と言うのがより正確かもしれない。
そんなぐにゃりぐたぁと垂れた特大の"鼻"が横倒しになりつつも、ファンガル種の特徴である肉根を周囲の地面に伸ばしつつ、魔素の青と命素の白の明滅に合わせて、ぶしゅう、ぶしゅう、ぶひゅう、ぶごぉ、と激しく"呼吸"している。
――そして、その最大の特徴にして「機能」。
「Maker」という"名"の通り、横倒しになった杯の口――"鼻の穴"に相当するその開口部からは、絶えず、どろどろと濃い紫色と茶褐色が入りまじったバイオな工場でもなければお目にかからないだろう工業排水の如き、肉と脂肪とスライムと紙粘土を混ぜ合わせて斑に溶け合わせたかのような液体と固体の中間的"生成物"を垂れ流し、吐き出し続けているのであった。
これこそが「臓漿」という生成物質である。
それは、とても魔素と命素から変換された物質であるとは思えないほど生々しくうよめきながら"肉と臓物の泥沼"を成し、じわじわと拡がっており――その様子を見守る俺とル・ベリが今いる『詰め所』はもはや、床はおろか壁から天井まで、すっかりとそのバイオな粘性生体有機内臓泥によって染み付くように覆い尽くされ切ってしまっていたのであった。
正直、最初は"生物災害"を連想して、足を踏み入れるのをためらった。いくら俺が【エイリアン使い】だからって、まさか俺自身にも制御できない"暴走"でもついにしてくれたか……と、いくらか焦ったものであった、が。
ただちに副脳蟲達に指示を下して、労役蟲や走狗蟲達を派遣して調査させたところ、なんのことはない、生物災害どころか、臓漿には非常に有用な性質がいくつもあることが判明した。
第一に、この臓漿という粘性の半液体半固体的臓物絨毯は、"魔素"と"命素"を「能く」通す。
足でも尾でもいいが、体の一部でも触れてさえいれば――幼蟲だろうが螺旋獣だろうが骨刃茸だろうが、さらにはル・ベリだろうが、この俺だろうが、魔素と命素を急速に"充填"させてくれるのである。
実験したところ、この効果はなんと"領域外"であっても発動する。
本来、領域外に出た眷属達は徐々に体内の魔素や命素を失っていくところ、さながらスマートグリッドによって電子機器が無線充電されるかの如く、臓漿の上では労役蟲や走狗蟲はほとんど"お弁当いらず"の状態。それこそ、ファンガル系統を"装備"した状態であっても、長時間の活動が十分な程度には「維持」させられるほどの充填力だった。
しかも、どうもこの臓漿自体が一個の巨大な粘菌であるかのような"生命"じみた存在だと俺には思えてならなかった。まるで粘菌の迷路踏破よろしく、最初から「最適の分配」をしているとしか思えない、高効率の魔素と命素の輸送経路をその臓物的内部ネットワーク内に生み出しているらしかったのである――それこそ、俺のエイリアン達が群体知性によってまるで一個の生き物の如く連携していることを思い出させるレベルで。
紫色と茶褐色が入り混じった臓物色の中で、時折、魔素と命素の流れがまるで血管のように浮き出し、青と白の光る筋を織り成して流れていく様は、重ねていうが【エイリアン使い】その人であるこの俺自身をして異星生物の腸の中に放り込まれたような、幻想と気味悪さと吐き気を同居させたような奇妙で悍ましき美しさを感じさせるものではあったが……だが、だが、どう考えてもこの性質は迷宮経済的には有用の一言に尽きる。
≪きゅぴ。『結晶畑』さんで凝素茸さん達が作った魔石さんとか命石さんも、ごきゅぶちょべきゃあってばらばら事件さんにして運んじゃうのだきゅぴ≫
血管の喩えを継続するならば、それは青と白の「不整脈」と言ったところか。
およそ、『詰め所』の内壁はおろか通路にまではみ出して、進撃し侵食するかのように伸び拡がっていく臓漿によって繋がっている限り、どれだけ離れていても、それを必要とするエイリアン達の元へ魔素と命素が届けられることがほぼ確定したのであった。
「魔素と命素が補充されるタイムラグが無くなる、というのは、戦略的にも内政的にもあまりにもでかすぎるアドバンテージだ。この見た目と――"触感"にさえ慣れればだが、俺もエイリアン達も、そして従徒のお前達も、体内の魔素・命素の消耗を気にせずに魔法や技能を連発できるようなものだぞ? まぁ、供給量だとか流量的な意味での限度はあるだろうが」
≪きゅぴぃ、これで労役蟲さん達のブラック残業問題さんも、多少は改善さんできるのだきゅぴねぇ!≫
「どう考えても、しばらくは表には出せないのが難点だがな。表の自然環境と、ちょっとこいつは相容れなさ過ぎる。どこからどう見ても侵略種だと思われても仕方がない見た目だ、しばらくは地下に充満させるに留めるしかないな」
「いつの日か、御方様の叡智と栄光とともにこの者らが世界に拡がり、覆い尽くしていくわけですな。想像すると、こみ上げてくるものがあります」
よせ、それは吐き気だ、きっとな。
……冷静に考えてみればだが、そもそもそこら辺の一般通行労役蟲だか走狗蟲に代表される「普通の」エイリアン達ですら、相当にキている見た目なのだ。いかんせん、俺もル・ベリもソルファイドも"慣れ"てしまっているが。
まぁやろうと思えば特殊な深海生物だかなんだかだと強弁できなくもないだろう。だが、それこそ煉獄だか異世界だかの環境そのものが侵食してきたかとしか思えない威容を誇るこの臓漿ばかりは、下手に存在が知られれば、もうその瞬間に周りの勢力をして一斉に俺を「世界の敵」認定し、一致団結して攻めてこさせかねないほどにまで冒涜的な態様を晒している。
≪きゅぴい! それは過言さんなのだゅぴ、差別さん反対! こんなにふかふかさんなのにきゅぴぃ≫
迷宮経済的には非常に有用で便利なので、扱いに困るのだが。
話を戻そう。臓漿の第二の機能について。
この液体でも固体でもない、無生物と生物の中間的半自己増殖型冒涜的臓物粘土は――魔素と命素をよく通すだけに飽き足らず、それ以上に「エイリアン達の能力」をもよく通すことがわかっていた。
そしてこれこそが、先の加冠嚢の「空きスペース問題」を解決したのである。
あるいは、強烈なエイリアン的【共鳴】能力によるものであるか。
なんと、直接触れていないにも関わらず、臓漿によって"接続"されてさえいれば、加冠嚢が代行する【因子の注入】の効果は――離れた地点にいるエイリアン達にも有効に作用したのであった。
それで、俺は現在臓漿嚢達に、『大産卵室』と『結晶畑』を最優先で"繋ぐ"ような指示を出していた。
果たして、『結晶畑』にたどり着いた労役蟲達が、そこにまで至っていた臓漿に接触。その【共鳴】の中継作用により、離れた『大産卵室』にいるはずの加冠嚢から【因子の注入】だけでなく【進化促進】の効果を受け取り――新たな凝素茸に"胞化"したことがわかっていた。
流石に、距離による【共鳴】の中継効果の減衰は観察されたが、それでも、そのまま自然胞化するのに任せるよりはずっと早く、労役蟲が凝素茸に変態を完了させたことが観察された。
≪あはは、僕たちからの【共鳴】もさぁ、これ他のエイリアンさん達にめっちゃ伝わりやすいや、あはは≫
≪これで労役蟲さん達に、もっと細かいローテーション指示さんを送れるね! ……あれ、でもそれって、僕たちの仕事が増えてるような……≫
≪気づいては~いけない~≫
≪やったぁ、これを待ってたんだよね! アン、僕達の本気を臓漿ちゃん達と力を合わせて、チーフや造物主様に見せつけよう!≫
当然、中継されるのは副脳蟲の【共鳴心域】もまた同じ。
恐るべきことに、臓漿に触れている限り、【眷属心話】の精度が格段に上昇しており、副脳蟲どもは目に見えてその指揮統制管理能力を向上させていた。
「"臓漿"には「情報」やそれに類する概念を通しやすい性質がある、といえるかな。こいつら自身が、もはや1個の巨大なネットワークみたいなものだ、てのは疑いようもないか」
そして、ダメ押し。第三の臓漿の機能を確認しよう。
魔素や命素を高速で中継し、それだけではなく一定の【共鳴】的なエイリアン能力さえも高速伝達させる、だけではない。臓漿はなんと――物理的な意味でもエイリアン達を"高速化"させることができるのである。
走狗蟲でも労役蟲でも構わない。
通路に拡がり蠢きうよめく臓漿の、まさにその上を蹴ったり這ったりして駆けゆく際に――多少の個体差はあるが、俺の眷属達はおおよそ移動速度が30~40%増となっていたのだ。
これは特に、一定の決まった経路を常に往復しているローテーション組の労役蟲や走狗蟲達への恩恵が大きい。魔素と命素の補給のための魔石・命石運びから解放されたことと合わせて、格段に彼らの土木工事や運搬作業、巡回任務の効率が増したのであった。
そして、それだけにとどまらない。
俺の眷属達全体でいえば、この"高速移動床"の恩恵が大きいのは、エイリアン=ファンガル達である。
臓漿が登場する以前は、ファンガル達が自らその肉根を収縮させて歩こうとした場合、比喩ではなくなめくじの如き速度しか出せなかったところ――臓漿の上であれば、なんと移動速度が200~300%増。
まぁ、それでも労役蟲が歩くよりは遅く、なめくじからゾウガメ程度の速度に進歩した程度なのだが、元の遅さが遅さである。まるで、この脂肪と血漿と臓物の中間的「生命のプール」をすいすい泳ぐかのような快速さに、心なしかどのファンガル達も愉しんでいるような様子を感じたのは、決して俺の思い込みではない。
それこそ、あえて余計な魔素・命素の消費覚悟で適当な走狗蟲達に"装備"させてでも、割り当てられた仕事の現場に急行させる……ということをしなくて済む場面が増えるだけでも、ローテーションの改善と洞窟内の開発にとって劇的に役立つことだ。
……なお、非常に不本意なこととして、この高速道路性の恩恵は副脳蟲達にも適用されている。
≪う、うわぁぁぁ……!? や、やめてチーフ、め、目が回るうううう~~……!≫
≪きゅぴ! 時は大洪水時代、時代さんの荒波さんを乗り越え、僕たちは大海原へこぎ出すのだきゅぴぃ!≫
≪たくさん運動したら~お腹すいた~≫
見れば、ウーヌスとウーノがアインスを取り囲んで捕まえ一心きゅぴ体状態。
さながらスプラッタさをテーマにしたテーマパークでしかお目にかかれないような馬鹿げた『臓物水流コースター』にでも乗ってかっ飛んでいくかのように、その頭蓋骨型おむつからはみ出ているぷるぷるした頼りない触手をわしゃわしゃ動かしながら、臓漿で満たされた坂道を滑り落ちていくところであった。
思わず無駄に【精密計測】を発動してしまったところ……副脳蟲の移動速度アップは約119%増を記録した。救急隊のつもりかお前ら、まったく本当に無駄な情報である。
≪情熱さんも、思想さんも、たくさんある。でも、僕たちには……"速さ"さんが足りなかったんだきゅぴ!≫
「きゃっきゃっ」
ウーヌスの頭上に緑色の肌をした樹木の手足を持った幼児が乗っていた気がするが、見なかったことにしよう。隣のル・ベリも目を逸らした気がするし、これは正当な行為だ。
おそらくだが、もし目を合わせてしまっていたら、その無駄に無駄のない無駄に洗練された無駄に高速な無駄な泳法で坂道を「滝登り逆走」でもしてきて、俺の逃げ道に「素早くまわりこんで」来そうな予感がした。
「まぁ、俺達も"恩恵"を受けられるようなのだから、文句は言えまいし言うまい」
この"速度上昇"の恩恵。
眷属だけにとどまらない。造物主たる【エイリアン使い】たるこの俺はもとより、その権能に服して付き従う従徒たるル・ベリ達にも適用されるのである。
なので、たとえ高速で有機肉泥の上を滑走する暴走脳みそ触手野郎どもが「遊んで遊んでぇぇ!」などと謎のきゅぴ声を発しながら肉薄してきたとしても、大丈夫だ、俺は言わばアキレスが一歩前へ進む間に亀もまた一歩前へ進んでいて絶対に追いつけない、というゼノンのパラドックス的な現象か何かの発動によって、きっと逃げ切ることはできるだろう。多分、きっと、おそらく、そうに違いない、と思いたい。なお、ル・ベリは置いていかれるものとする。
「御方様!?」
≪おい、副脳蟲どものチーフ。率先して遊んでいないで、『性能評価室』へ先に行ってろ――我らが臓漿嚢すら前座と思えるような秘密兵器"『煉因腫』さん"の準備が、できたんだろう? とっとと場を整えておいてくれ≫
≪僕は風、僕は川、僕は鯉のぼりさん! 高度な臨機応変さんをいじめて任せつつ、柔軟剤さんと激流さんに身を呑まれぎゅぴぃぃぃいい! 止まらない助けてきゅぴぃぃい!≫
爆速で坂道を「滝下り」して転がり去っていく副脳蟲達を生暖かく見送りながら、俺は改めて俺の迷宮に思いを馳せた。
小醜鬼達を下し、【樹木使い】の侵攻を撃退し、厳しい期限を与えられたとはいえ更なる侵攻の可能性をひとまずは排することができた中で、ようやく与えられた貴重な"内政"期間である。
俺はこれから、【人世】への探索準備を進めつつ、徹底的に【異星窟】を開発して拡張して、戦力と防衛体制を拡充させるつもりでいた。
特に、迷宮経済の観点からは核心レベルに重要なファンガル系統である臓漿嚢については、『結晶畑』の拡張と足並みを揃えながら増産していくのがいいだろう。当面、20~30基程度を揃えることを目指して、加冠嚢に「遠隔進化」させるように【眷属心話】によって指令を下す――はるか彼方でウーヌスの【共鳴心域】が発動して、即座に加冠嚢から了解の意が【眷属心話】越しに返ってくる。
そしてそのまま、最果ての島の地下という地下、空洞という空洞、坑道という坑道を。テルミト伯らにバレない範囲で、という注意付きでだが――臓漿で埋め尽くすように全エイリアン達に号令を下しながら、『性能評価室』へル・ベリと共に向かった。





