0065 対【樹木使い】戦~坑道の戦い(2)
『環状迷路』の中央付近、迎撃のために設けられた複数の「広間」とその周囲の各通路で【樹木使い】の侵入部隊と【エイリアン使い】の迎撃部隊がぶつかり合う。
経路も退路も限られた"洞窟"とその中に走る数多の坑道における戦いは、地上部森林でのぶつかり合いとは異なり、総力戦に近い削り合いの様相を呈していた。
――いくつかの通路では"基本種"同士が乱戦を繰り広げていた。
地上を蹴って走狗蟲の群れがたわみし偽獣に突っ込み、1対1で組み付いて隊列をかき乱す。走狗蟲は偽獣の胴体の分断を狙って牙と爪を振るい、偽獣もまた走狗蟲の喉を狙って枝を突き出すか、絡みつこうとその身体を複数の絡め取る偽蜘蛛に"ばらけ"させる。
その隙間を縫って、広間の天井の隠し通路から這い出してきた隠身蛇が流線の機動で浸透し、主に偽獣の脚部の根と枝の隙間を狙って鎌刃を食い込ませ、強引に切り裂いて動きを阻害する。絡め取られた走狗蟲の救助も彼らの役割であり、互いで一個の生き物であるかのように、まるで意思を持って花壇から氾濫した植栽を伐採し剪定するかのように食い止めていた。
――また、ある通路では"派生種"と"上位種"が入り乱れていた。
家具喰らいと武具喰らいが互いにより集まり、槍持ち茨兵を正面にまとったバリケードを形成するが――それは車輪付きであった。さながら荷車を即席の破城槌に作り変えたかのような大質量のまま、周囲に根の破片と木屑と折れた枝をばらまきながら「破城槌」が通路を突っ込んでくる。
それを剛腕によって食い止めたのは戦線獣である。だが、組み付かれたのを察知するや、茨兵達が破城槌に巻き付いていたその身を戦線獣に向け、無数の蛇が意思を持った投網のようにその剛腕に絡みつき無数の創傷をつけて激しく戒める。増援にかけつけた"基本種"同士が牽制し、とっくみ合う中で現れた2体目の戦線獣が【おぞましき咆哮】を上げ、背後から同胞を乗り越えながら「破城槌」に飛び乗って力任せに上から連続殴打して陥没させる。
完全に破砕されてはたまらない、とばかりに「破城槌」が複数の武具喰らいにばらけ、追撃の豪腕によってへし折られていくが――通路の奥から迫るのは新たな、今度は先端を鋭く削って尖らせた複数の丸太を備えた、よりらしい破城槌であった。
坂道の傾斜の勢いを借りて、通路上のたわみし偽獣達を半ばわざと巻き込んで轢き潰しながら迫る「破城槌」であったが――飛び退いた戦線獣達に代わり、巨体と硬質化された重甲冑の如き皮膚でそれを受け止めたのは城壁獣のガンマである。
ガンマのアンカー状の両趾の"爪"が深く地面に喰らい込んで踏ん張り、戦線獣であったならば貫通されていたであろう丸太の"槍"をその正面装甲で受け止めながら、むしろ逆にその先端をへしゃげさせてしまっていた。
ガンマが、まるで万力のように力任せに「破城槌」を両腕で押し潰し、崩れて転がった丸太を左右から這い出してきた戦線獣達がそれぞれ手に持って、壁や天井に引っかかることもお構いなしに振り回しながら偽獣や家具喰らいとその派生種達を押し戻していく。
――そしてその後方から「伏せろ」という【眷属心話】と共に、【火】の矢が――いや、矢というよりは長大な縫い針のように細い【火】の矢が、身をかがめた巨体のエイリアン達の頭上と坑道の天井すれすれを通って通路の奥に逃げすさった偽獣達の集団に着弾し、周囲を巻き込んで焼け焦げさせる。
『属性結晶』持ちの一ツ目雀カッパーによる【魔法誘導】の補助を受けた、【エイリアン】使いオーマその人による【火】魔法の援護射撃であった。
その効果は覿面であったようであり、にわかに偽獣達が、まるで【火】を恐れるかのように一斉にその通路から退いていく。しかしオーマは追撃は行わず、走狗蟲達を別の戦線への援軍に派遣しつつ、通路を魔素の青と命素の白の仄光も見えぬほど網目のように覆い尽くす"根"を数度の【火】魔法により焼き払い、自身もガンマとカッパーと2体の戦線獣から足早に退いていった。
――各通路での押し引きによる"足止め"が行われている中、各広間では遊撃する"名付き"達によって戦線が維持されていた。
1つ目の広間では、螺旋獣のアルファの率いる部隊が複数の撓れる虚獣を食い止めていた。
アルファがその螺旋に捩れた悪魔的造形美の四肢をひねって叩きつけ、また撃ち抜く。援護しようと飛びついてくるたわみし偽獣は返す裏拳によってばらばらに粉砕され、絡め取る偽蜘蛛が逃さず踏み潰される。
また、デルタと切裂き蛇イオータもそれぞれ虚獣を1体ずつ相手どって組み打ち合うが――虚獣の動きが明らかに地上部森林での戦いに比べて洗練され、斬撃に対する硬化した樹皮、打撃に対する柔軟な根による絡め取りといった局所的な防御術の精度が増していた。
それもそのはずであり、この広間には偽獣達に混じって【樹木使い】3従徒の一人であるアイシュヴァークが到来していたからである。あえて『魂宿る擬人』の形態には戻らず、アイシュヴァークは――その身をアルファと組み打つ撓れる虚獣の背中に根枝蔓蔦を接合させ、広間全体の戦況を俯瞰しながら【根枝一体】を必要な箇所に飛ばしていた。
それだけではない。引き連れてきていた、本来は『擬人』形態での"得物"であり、またかつて『枝魂兵団』の頃からの付き合いであった精鋭たる武具喰らい達を連れてきていたのである。
武具喰らい達は、撓れる虚獣の手元や肩などに回り、間合いに応じてその身を剣や槍や弩などに変化させる。さらに、直接"名付き"達と打ち合う虚獣達とは別に、独立した意思の元で援護を行い、時に虚獣の手によって"大斧"として振るわれながら、また時に"手槍"となって他の虚獣に――手槍に乗ったアイシュヴァークを運ぶ乗り物として放られながら、大立ち回りを演じることとなる。
その中でアルファが違和感に気付いて、副脳蟲達によって「人の姿をしていない擬人」の存在が察知され、更なる増援が広間に送られるも、戦況は既に潰し合いと削り合いの様相を呈する。
【おぞましき咆哮】によってアルファが狂乱するイオータを部分的に統制し、武具喰らい達を集中的に攻撃するようにさせるが、切り崩される端からアイシュヴァークは偽獣達をばらけさせた樹木パーツを材料に、武具喰らい達を補修し、また新たな喰らい系を生み出していくのである。
たとえ破片となっても駒喰らいが撒菱化して行動阻害を狙い、文字通りの木端に対してすら油断をすることができない。
それもそのはずで、膠着した戦闘状態の中で、着実に【樹木使い】の"根"が『環状迷路』の通路を侵食し、広間にまで達していたからである。
そしてその"根の道"からは、地下洞窟には不釣り合いな様々な色合いをした、クローバーの如き小さな花々がまばらに咲いており――それらはいずれも特定の系統の眷属を対象とした"強化種"の支援能力を持った存在であった。これらにより、少しずつであるとはいえ、木端といえども強度や耐久力や速度を強化され、厄介な足止めとはなっていたのである。
しかし、アイシュヴァークも優勢に戦いを押し進めていたわけではない。
侵入させた兵力では【樹木使い】が上であり、少しずつ押してもいたが、頑強な抵抗によって想定したよりもずっと侵食が遅かった。
特に、迷宮の奥深くで引っ込んで戦術指揮を取っていると思われた敵迷宮領主が神出鬼没で広間の通路に出現し、【火】魔法によって周囲に張った"根"を焼き払っては消え失せるというヒットアンドアウェイを繰り返していたのである。
それは、後方に待機させている「蒸水の船」の型の武具喰らい達にわざわざ"放水"させて消火させるほどではない小火に押さえられているところが、また嫌らしい。
また、地上部森林での戦いで散々に嫌というほど思い知らされたことであるが、この敵の対応力と即応力と反応速度は凄まじいものであり、広間に侵食させた"根"から生やした多数の小型"強化種"達の効果が、一当て二当てしているうちに読み切られつつあり――敵はなんと"労働種"まで駆り出して、この小さな花々の「摘み取り」にかかってきていた。長大な挟みで手当たり次第に花々を切り取り、その上から『凝固する液体』を吐きかけて"芽吹き"を阻害するのである。
押しつつあるとはいえ、非常な苦労と共に、むしろ押し続けなければ逆に一気に押し戻される緊張感を伴った膠着状態というのが実態である。
そして、アイシュヴァークが神経をすり減らしつつも攻勢を維持していた頃。
別の広間では、ケッセレイが『連星』達を相手に苦戦していた。
走狗蟲達に一定の状態異常付与効果が認められた絶叫根精を含めた部隊を中心に探索と侵食を進めていたケッセレイであったが、侵入した広間で縄首蛇ゼータによる"拉致"攻撃を受けた。
初撃と第二撃で数体の絶叫根精が宙に吊り出されて放られ、天井に潜んでいたイータ率いる遊拐小鳥達がよってたかって引き裂いて地面に叩きつけたのである。
『生まれ落ちる果樹園』に「火攻め」を受けた際に、飛行型の偽獣を追い散らしてくれた存在であるゼータの脅威を改めて認めるや、ケッセレイは一部の偽獣達を槍持ち茨兵に変化させて"縄"を防ごうとする。その間に、戦闘の勃発に反応して集まってきた走狗蟲と偽獣達の取っ組み合いがここでも始まるが――その中にはシータ率いる突牙小魚の生き残りの部隊が混じっていたのである。
水棲型の祖という"役割"を求められ、その通りに進化した存在でありつつも、突牙小魚達は陸上での走行能力が失われているわけではない。むしろ、攻撃のためには一度身体をひねってその強靭な足爪を振らねばならない走狗蟲と比べて、エイリアン的十字牙顎が変化して真正面に突き出た2本の長大な「突牙」を構えて真っ直ぐに突撃する分には、直線的な突破能力では走狗蟲を上回るとも言えた。
――そして、エイリアン達には副脳蟲を通して、ル・ベリの【四肢触手】による生身の"お手玉"の経験が共有されていた。
ゼータがシータを縄の尾で掴んで振り回して投槍のようにシータを放り込む。
シータが牙を振って暴れて周囲を蹴散らすが、体格で大きく勝っているわけではないため、すぐに周囲に新手の偽獣が迫るが――ゼータの縄の尾がシータを素早くつかんで宙へ放ってイータがキャッチし、さらにそこから互いに遠心力を利用して投げ飛ばす。
そのような"連携"の感覚が"名無し"達にも共有され、この広間での諸系統の連合連携戦術勝負は【エイリアン】使い側に軍配が上がる。
絶叫根精達はゼータと遊拐小鳥達によって完封され、槍持ち茨兵は突牙小魚達の「突牙」によって"掃海"されていき、ケッセレイは思うように侵攻を進めることができないでいたのである。
アイシュヴァークが別の戦線で直接、敵の最精鋭――おぞましき捩れた筋肉の魔獣――を相手に攻勢を維持できているのは、彼自身が奮戦しているからでもあったが、それは全体の戦術指揮を自分がより多く目配せしなければならないことをも意味していた。
それをリューミナスと主リッケルに任せて、自身も虚獣達を生み出すという手も無いわけではなかったが――逡巡するケッセレイの偽獣としての視界の中、広間から通じる複数の坑道の奥に、あの火攻めで空中から「燃える液体」をばらまいてくれた【火】属性の眷属の姿がちらちらと映っていた。
アイシュヴァークの側では迷宮領主自身が【火】魔法を使って"根"の浸透を妨害し遅滞させているように、自分の側でも同じ牽制が行われていることを理解して、ケッセレイは決戦をためらう。荒らし合いの中で、決して敵の"基本種"達もまた【火】に強いわけではなく、むしろ忌避している性質が観察されてはいたが――この冒涜的なまでに洗練された連携能力の中では、それは逆に言えば必要があればまとめて焼き払うことができる、ということでもある。
主リッケルからの指示は、まだであるか。
「海中」側を自分に代わって受け持たせた、リューミナスの"準備"はまだであるか。
坑道の奥深くからは、異様な熱気が風に乗って、少しずつその濃度を増していた。
自分達全体を奥深くまで引きずり込み、大火によって焼き尽くそうとしていることは、もはや想像に難いものではない。自分が受け持つこの戦線での侵攻の遅れが、敵に考える時間を与え、またタイミングを誤らせてしまってはならない――そのように焦ったケッセレイが出した答えは、更なる戦力の集中であった。
その結果、アイシュヴァークとケッセレイ、そしてもう1つの戦線であり、ル・ベリが再び【樹木使い】リッケルと対峙していた3つ目の広間に、過剰とも言えるほどの数の偽獣達が集まっていくこととなる。
***
ル・ベリにとってそれは苦渋の決断であった。
偉大にして尊ぶべき母、そしてまた……自分が眠った振りをしていた夜などに、彼女が垣間見せた"弱さ"を知るが故に、自分にも見せたく無いたった一人で静謐に浸りたいであろうそんな場所が必要なのだろうと考えて、そうして作った「墓」であった。
――それをリッケルに暴かれた。
「我が母の遺骨を返せ、この腐れ木偶め! あさましき墓荒らしめが!」
激昂と共に"鉤爪"尽きの【四肢触手】を叩きつける。
たわみし偽獣の形態を取ったリッケルが飛び退いてそれを躱し、背中に背負った『攻城弩』型の武具喰らいから「樹矢」を撃ち放つ。
それを、まるで甲冑のような黒々とした光沢を放つ「盾」で受け止め、ル・ベリはその盾を構えて【四肢触手】によって大蜘蛛の如く跳躍。自身の体重をも乗せて押し潰そうとさらに突撃を敢行する。
「……異なる生まれ、異なる月と星の下に生まれようとも、死ぬ時は同じだよと僕はリーデロットと約束した。君には悪い印象を与えてしまうだろうけれど、でも、君がこうして彼女を看取ってくれたことが僕への"報酬"なのだと思っているよ」
瞬く間に武具喰らいを「逆茂木」に変形させ、「盾」による圧壊の一撃を受け止めるリッケル。
ル・ベリの【四肢触手】がうなり、上下左右からその四肢を薙ぎ絡め取ろうと迫るが――偽獣形態のリッケルの体内、その脇腹の辺りから根と枝と蔓と蔦をねじり絞ったかのような"樹の触手"とでも言うべきものが4本飛び出し、ル・ベリの【四肢触手】を受け止めた。
「貴様……! 御方様と我が母より賜りし我が【異形】を"模倣"たか!」
ル・ベリの「盾」は、この決戦のために主オーマが城壁獣ガンマに指示して、なんとその身体から1枚剥ぎ取らせた逸品である。頑丈さで申し分が無いばかりか、ル・ベリの【四肢触手】で取り回し振り回すことができるほどに意外な軽さを誇り、偽獣が突き出す枝の槍程度では傷をつけることすらできないものである。
しかし、新装備を用意してきたのはル・ベリだけではなかった。
偽獣の"模倣"能力を、それを人間の知能で操る【樹木使い】リッケルはル・ベリに対して発動することにより、魔人――ルフェアの血裔の種族的特徴である【異形】を"模倣"することに成功していた。
「君は本当に素晴らしいよ……愛息子君。【異形】を変化させるなんて、少なくとも僕は知らない。君の主は一体何者なんだい?」
「城壁獣の盾」と「鋭い枝の逆茂木」が鍔迫り合い、互いに相手の体幹を崩そうと微妙に押し引きの駆け引きを繰り広げながら、さらにその周囲で肉の宿主と樹木の触手が激しく打ち付け絡み合う。二人の周囲では戦線獣と撓れる虚獣が、またたわみし偽獣と走狗蟲が激しく組み合っていたが――ル・ベリは自身の足元に絡め取る偽蜘蛛達が集まってくるのを察するや、リッケルの「逆茂木」を激しく「盾」で弾いて両手を離す。
そして地面を蹴って跳躍ざま、「盾」を踏み抜く要領でリッケルの顔面に蹴りを叩き込んだ。
怯んだリッケルが"樹の触手"を【四肢触手】に絡みつけ、ル・ベリを逃さないように引き寄せてくるが――ル・ベリはむしろその狙いに乗っかって自分からリッケルに組み付く。
ただし、その際に両足の裏に踏みつけた「盾」を、リッケルの顔面からずらして地面に。
「盾」の凸部を地面に踏んで、その上に立ち、その状態でリッケルに引き込まれつつ組み付き――柔術の要領でル・ベリは一気にしゃがんだ。
ちょうど、ル・ベリを挟んで彼の上にリッケルが覆いかぶさり、ル・ベリの足下に「盾」の丸い凸部が。そしてその状態でル・ベリは腰に力を溜め、「盾」ごと地面を蹴るように、自由になった触手の1つをも動員して一気に滑った。
「おぉぉ!?」
思わぬ動作にリッケルが目を見開いてもがくも、ル・ベリは組み付いた【四肢触手】を離さず、一気に広間を後方に滑走する。
≪いやっほう! ル・ベリさんちょーすげー! 「そり」さんだね!≫
≪いいや、あれは「スケボー」さんなのだきゅぴ! ……きゅ、きゅぴぃぃ! ということは、このままだと! ル・ベリさんが次元の彼方さんにリッケルさんをお持ち帰りなのだきゅぴぃ!≫
組み付いたリッケルを「そり」代わりとした「盾」により、氷上を滑走する丸石の如く、ル・ベリが目標地点までリッケルを"拉致"。
そこには、その広間が元洞窟であった際の凹凸が多分に残存――つまり起伏に富んだ地形であり、さらに何本もの触肢茸の第一陣が到来、悪夢の雑木林の如く密集して林立していた。
「この"数"は真似できまい? ばらばらに引き裂いてくれる」
【四肢触手】によって模倣した4本の樹の触手を拘束され、リッケルはただちに対応ができない。
そこを8本の触肢茸達に、よってたかって拘束され引っ張られ、車裂きの要領で首と胴と四肢を引っ張られる。そこにル・ベリの【四肢触手】による力任せの引き裂き行為も加わり、みしみしと、枝が折れ木がたわみ、根が引き裂ける予兆のような音がル・ベリの嗜虐心を満たしていく。
「……リーデロットがどうやって君を産んだか、僕はわかったよ」
その静かな呟きによって、今度はル・ベリが驚愕に目を見開いた。
思わず【四肢触手】に込める力が止まる。しかし触肢茸達は"車裂き"の手を緩めず、リッケルの樹身を引き裂こうと力を強めていく。
「正直ね、彼女がどうやったか皆目見当もつかなかったんだ。最果ての島に彼女がたどり着いた時期を考えれば、さすがに"違う"と思っていたけれど……それに、僕は、こんな風にさ」
引き裂かれながら、リッケルが走狗蟲達との乱戦を掻い潜って飛び込んできた絡め取る偽蜘蛛や駒喰らいを取り込み――その身をたわみし偽獣から『魂宿る擬人』に変じさせていく。
そして、それに応じて全身の膂力が跳ね上がっていき、触肢茸達による"車裂き"が少しずつ食い止められていく。慌ててル・ベリが【四肢触手】に再び力を込めるが、リッケルはびくとも動かなくなっていた。
そして、そのむっとした果実の香りを漂わせる、色濃すぎる新緑にして深緑のにおいをばらまきながら、まるで自嘲するように、しかしどこまでも楽しそうに、何かに対して敬虔さすら感じているかのような狂気を孕んだ"蕾"の眼差しをル・ベリに向けてくる。
――ル・ベリの懐。肌身離さず持ち続けていた、母の頭骨のある方をじいっと見据えて。
「こんな風にさ。僕は【樹木使い】にさせられてまで、それでも僕は【人体】の秘密を――"黄金の比率"を解き明かそうとし続けて。【人体使い】に奪われた、人としての機能を取り戻そうと、こんな新種まで作り上げたっていうのにさ……ははは、あっはっはっは」
「――自分語りの自惚れ木偶め。言いたいことはさっさと言ったらどうだ?」
明らかにリッケルの全身の「力」が異常であった。
先ほどまでの触手比べ、力比べではなく――まるで大地に生えた木そのものを相手にしているかのような、不毛とも言える不動直立さにル・ベリが弾かれたように地面を見る。
リッケルの足からは、まるで蜘蛛の巣のように細かな"根"が凄まじい勢いで周囲に這い、広間に侵食してきた地上部からの"根"と合流して繋がっていた。
「だから僕は嬉しいんだ。リーデロット、僕の愛しい女もまた決して諦めなかった。小醜鬼どもが蔓延るこの島の中で、彼女はなんという"試練"に直面したのだろう。そして君という"報酬"を勝ち取った――あっはっはっは、こんなにときめくことがあるかい? ――君は、自分がどうして"半ゴブリン"にならなかったか、わかっているのかい?」
咄嗟に足元の「盾」を蹴り上げ、リッケルを殴りつけてル・ベリは大きく飛び退いて距離を取る。
リッケルはそれに抵抗することなく、しかし動じることもなく、大地に根ざした巨木となったかのような"重さ"によって触肢茸達を逆に引きずり込もうとしていた。
周囲の走狗蟲達を呼び寄せ、触肢茸を掴むリッケルの"樹の触手"を引き裂かせつつ、ル・ベリは【眷属心話】に全力で、距離を取れ、と叫んだ。
「……リーデロット、リーデロット、リーデロットッ、リーデロット! リーデロット!! 僕の同志!! 僕を利用してくれてありがとう!! 君との最後の一夜を僕は忘れたことは無かった!! あっはっはっは、なんて恐ろしい女だったんだ君は」
≪凄まじいな、気配がここまで伝わってくる。ル・ベリよ、大物が来るぞ?≫
≪そのままそこで奴を釘付けにできるか? 今ベータを寄越した。もうしばらく、耐えてくれ≫
≪……御意! この命、ル・ベリという我が存在の全てに掛けて、【樹木使い】を食い止めます……!≫
ル・ベリが、その直後に【樹木使い】が次に発した言葉に激しく顔を歪め、苦虫を何十匹も噛み潰した顔になるだけで済んだのは、このタイミングで彼の同僚と"御方様"からの【眷属心話】が届いたからであった。
それが無ければ、ル・ベリは衝撃に全身が硬直し、リッケルが放つ次の一撃を躱しきれなかったであろう。
「愛息子君。僕に、リーデロットの君の、僕のリーデロットの君の、力を見せてくれ。その後で"答え合わせ"をするとしよう」
直後。
リッケルの足元から急速に伸びて広間を支配した"根"によって繋がれ、結ばれた何十という偽獣、武具喰らい達が一斉にばらけて"材木"となり、まるで濁流に飲み込まれた木造家屋のような「樹木の残骸」の暴風となって吹き荒れた。





