0063 我が試練は生という名の闘争[視点:狂樹]
取るに足りない「木人形」如きで、竜たるこの身を愉しませることなど、やはり期待すべきではなかった。そのように、多頭竜蛇は失望し、また失望した苛立ちそのものを眼前の"竜"に叩きつける。
【樹木使い】リッケルが、彼を足止めせんと送った"船団"は見る間にその樹体を絡み合わせ融合させ、撓れる虚獣の上位派生種たる『捻れる欺竜』へとその身を変じようとしていた。
それは文句無しに【樹木使い】の"切り札"であり、樹木型魔獣のうち『偽獣』系統の最上位に位置する存在であるが――"竜"を名乗るとはおこがましい、と多頭竜蛇の怒りと闘争心を掻き立てるには十分であった。
……『塔の如き焔』の末たる竜人ソルファイドの竜火にすら及ばぬ、ただの郷爵の眷属が生み出したに過ぎない「火」によって、欺竜が内側から呆気なく海上で焼き討たれボロボロに燻され尽くすまでは。
単なる足止めの役にすら立たず、この身が「混じり」であろうとも、ぼろぼろに焼け焦げた「もどき」など張りぼてに過ぎない。策も戦術も戦略も何も無い、ただの8の竜頭による突進と頭突きの一撃により、相当の資源を食って生み出された『欺竜』が崩落するが――しかし多頭竜蛇は、その身を翻すことを許されなかった。
"海鳴り"のような重低音が海底の底から、まるで原始生物が打ち鳴らす太古の太鼓の如く、どぉぉん、どぉぉんと多頭竜蛇の骨身に直接伝導してくる。
もし、【エイリアン使い】オーマがその"海鳴り"の存在を感知していれば、多頭竜蛇による『竜言』と誤解しただろう。そして、この混沌の戦場の中で次はどんな風にかき乱すつもりだと口の端を歪めて笑っただろう。
そして、次の瞬間には――「それは『竜言』ではない」――と竜人ソルファイド=ギルクォースが気付いたことを共有していただろう。
一見、自由に最果ての島の近海を暴れ回る多頭竜蛇。
しかし、その海底からの、彼が小醜鬼達に語りかけるものとは異なる音色と音階を備えた"海鳴り"は、目に見えぬ振動の鎖、重低音の戒めとなって多頭竜蛇の全身を、尾の先から竜頭の天まで駆け抜けるかのようであった。
≪わかっておるとも、【深海使い】よ。全く、竜使いが荒い。不安症にして不眠症、神経症の徒めが――≫
誰に聞かせるともなく、多頭竜蛇の首の一つが『竜言』で独り言つ。
彼の全身の、まるで骨に直接"音"が伝導されたかのようなそれは【海嘯振導】という名の技能によるものであった。
その"骨伝導"によって、多頭竜蛇の全身を戒めるかのような「声」曰く。
――回収し損ねた"首"の一つを、よりにもよって【樹木使い】の手に渡すとは何たることか。
――ただちに取り戻すか、破壊するかして、"竜身"が悪用される可能性を排除せよ、と。
≪【闇世】の侯爵ともあろう者が、なんと小器な。我が介入無くとも、あの郷爵は見事に【樹木使い】を罠にかけたようではないか≫
多頭竜蛇はそのまま、猛然と、自らの存在を誇示して見せつけ、威圧するかのように『北の入江』に進路を取った。
だが、全速前進ではない。悠然と、頭の数だけある自らの尾を揺らがせ、着実なれど必ず至る恐怖として振る舞い、【樹木使い】が北の入江に構築した"樹海"に向けて突き進む。
――たったそれだけでも「介入」としては十分であり、同時に危険なものであると多頭竜蛇は考えていたが――それでも彼の全身の骨を不快に震わせるような"伝導"は、まるでその発声者の焦りと苛立ちと極限の不安の道連れにしようとしてくるかの如く、ヒステリックな波となって多頭竜蛇の全身を戒める。
≪だが、詮無きことか。今も昔も貴様はそうか。【気象使い】が気付かぬことを、祈っているがよい。全ては、我が唯一者たる【擾乱する者】のご意志のままに――「木人形」どもめ。せめて我が虚無を闘争にて慰めてみせよ≫
多頭竜蛇の来寇はゆっくりとしたものであったが――しかし、【樹木使い】に新たな"船団"を形成する時間は与えられなかった。
代わりにリッケルは『北の入江』を捨てる決断をし、その中に生み出され育まれていた多数の眷属を率いて出撃。数多の樹木型魔獣を、装填されていた【枝獣の種子核】から次々に、高速で産み落としていた"果樹"達が――【エイリアン使い】オーマによって投げ込まれた"燃える材木"ではないと信じられる、唯一の"樹体"となり、新たな『捻れる欺竜』が構築・形成されていく。
丸太が引き絞られ、巨大な枝の塊が樹冠ごと束ねられ、根が幾重にも蔓や蔦を絡めて巻かれながら、多頭竜蛇に迫るような巨躯巨身へと織り上げられていく。それは威容と質量だけならば、竜の末裔たる多頭竜蛇にも迫る「樹竜」であり――『生まれ落ちる果樹園』のほとんど全ての"果樹"をその身体として併呑した存在であった。
そしてそれは、【樹木使い】が地上での最重要たる生産拠点を放棄することを決断した瞬間でもあった。
だが、その苦渋は多頭竜蛇には関係の無いことでもある。
足止めのための粗悪な素材から構築されたものとは異なる、文字通り【樹木使い】としての精髄とも言える施設を材料に、溢れんばかりの魔素と命素を染み込ませていた果樹や樹木、草木達が撚り集まった『欺竜』に、多頭竜蛇は幾分か、闘争本能に火がつけられる。
そして、少しは楽しめそうだな、とばかりに多頭竜蛇は束の間、己が全身の"骨"を騒々しく震わせる"伝導"から意識を切り離し――。
真正面から全力で『樹竜』に組み付き、絡みつき、壮絶に食らいついたのであった。
***
地上部の制圧は気味が悪いほど順調であったが、それが予定調和であることを【樹木使い】リッケル=ウィーズローパーは理解していた。
「新人君」――とわざと小馬鹿に呼んでいた"彼"も、そして自分も、決戦の場はその迷宮の本体である地下洞窟部に攻め込んでからであると定めていたからだ。愛しきリーデロットの息子が、あれほどの忠誠心で以て仕える"彼"は、きっとそうするだろう、とリッケルはともすれば部下以上にこの難敵への信頼感に近いようなものすら抱いていた。
【闇世】に堕ちた「竜種」の生き残りの1体である多頭竜蛇が、まさにこの世界で生き延びてきた竜種であるからこそきっと理解しているであろう通り、迷宮領主と竜種がどのような形であれ関わりすぎることは、天空を統べる粛清者たる【気象使い】の有罪判定が下されやすくなる。
"大陸"から何年もかけて最果ての島へ『網脈の種子』を伸ばすことが、多頭竜蛇によって阻止されるならば、それはもっと早い段階でなされていたはずなのだ。
従って、それが見過ごされてきたという点において、多頭竜蛇が自分の行いに積極的に介入してくることは無い、ということがリッケルの戦略の前提にあった。
否。
そもそも多頭竜蛇が介入してくる前に、リッケルは最果ての島を制して己の力と成し、多頭竜蛇が気まぐれを起こす前に【鎖れる肉の数珠れ城】へ大返しするつもりであった。
――その多頭竜蛇を、執念によって釣り出し、いざない、動かして来寇させることで、せっかく入江に構築した『生まれ落ちる果樹園』を捨てざるを得ない選択肢を取らせた"彼"。
思えば、始めから戦略は狂いっぱなしであった。
想定より何日も早く海中に密かに伸ばしていた"根"が察知されたことで、十分な魔素と命素を送り込む前に【若き樹海の創成】を行わねばならなかった。これが無ければ、相手に準備と【情報戦】の時間を与えずに、最初から大兵力で地上部の森林を劫略し、地下洞窟に攻め込むことができていたというのに。
テルミト伯への大返しと、そのための囮として使った大恩ある自治都市『花盛りのカルスポー』。
そして【幻獣使い】グエスベェレ大公からの大量の"借款"への返済期限。
それらに縛られたリッケルには、最果ての島では「速攻」が求められていた。しかも、それは戦力を温存し、かつ"手つかず"の地である最果ての島から吸い上げた膨大な魔素と命素をグエスベェレ大公に返済できる形で行わねばならないものであり――例えば、この難敵である"彼"が【人世】に逃亡する、という事態などはなんとしてでも避けねばならなかったのである。
そのため、例えば最初から迷宮の地下洞窟部分を完全水没させるというような、極端な戦術を取るわけにはいかなかった。
"教えてくれる"存在がいたリッケルとは異なり、爵位制限によって「その知識」を有していない可能性がある"彼"が「裂け目」を放棄して【人世】へ遁走でもしようものならば――最悪の場合、界巫による討伐令が出され、連合軍が組織され、その戦力が送り込まれるのはまさにこの最果ての島となるのである。
そうなれば、【人体使い】は嬉々として参加することは想像に難くなく、また【幻獣使い】も取り立てのためにその腹心である従属爵の誰かを派遣してくるだろう。そして事が界巫による討伐令ともなれば――さしもの【気象使い】であっても、道中の多頭竜蛇が連合軍によって排除されることを止めることはしないだろう。いや、むしろ合流する恐れすらあった。
そしてそんな事態になれば、もはやカルスポーはグエスベェレ大公によって自分の"競争相手"とされていた【蟲使い】の手に落ち、最果ての島で十分な戦力を構築することなど夢のまた夢となって、外界との連絡を断たれて餓え枯れさせられるか、または一息に踏み潰されてしまうことだろう。
せめて"彼"が、自分の"根の道"の存在に気づくのがもっと遅れていれば。
最低でも、海底から【根ノ城】を構築して『稲妻の如く張り進む根』によって――『異界の裂け目』の場所だけでも捕捉することができていれば。
このような博打じみた主力決戦に臨むことはリッケルの本意ではなかったのだ。
《なんという、試練だろうねぇ……リーデロット……なんという、君の導きだろうねぇ……僕の愛しい女》
首飾りと化したリーデロットの遺骨を、枝と蔓と葉で構成された樹人の掌中に握り締めたまま、リッケルは最果ての島地上部の制圧を監督する。
"彼"の異形異貌の魔獣の軍勢は森中に散らばって監視の目を張り巡らせていたのが嘘のように、整然とそして徐に撤退し――わざと見せつけるように、島の各所に存在する地下洞窟への"出入り口"へと消えていった。
多少の野生動物や野獣の類との遭遇はあったが、それそのものはさしたる脅威ではなく、リッケルは従徒達と共にその"出入り口"の付近に偽獣達を中心とした戦力を配置していく。一部の"出入り口"は、入り口が崩落させられたり、粘液に流砂の如き細かな土くれの成分を混ぜたような【凝固する液】によって塗り固められたものもあったが――リッケルは用心深く、予め周囲を『稲妻の如く張り進む根』によって走査。
いくつもの「落とし穴」の存在を検知してからは、いきなり攻め込むのではなく、一斉に攻め込むための最後の"溜め"に移っており、そのタイミングを測っているところであった。
『生まれ落ちる果樹園』の"ガワ"を利用して生み出した、本来は【鎖れる肉の数珠れ城】の城門を粉砕するために使うはずだった、最精鋭と言える『捻れる欺竜』が多頭竜蛇によって引き裂かれ、息吹を何度も何度も浴びせられて朽ち滅びたと従徒リューミナスから報告されたのは、そんな折である。
他の4箇所の海岸上陸地点を新たに『生産拠点』化すべきだという、従徒アイシュヴァークからの慎重論もあったが、多頭竜蛇が既に想定とは異なる動きと原理によって動き始めた以上、海岸に拠点を再構築する危険は冒せない。
火攻めに対して「海水の雨」を降らせて撃退するという戦術は、海岸を占拠して保持し続け、補給拠点とし続けることが前提のものであった。今から内陸部の森の中に拠点を形成する場合、軍量差によって撃退をし続けることはできるだろうが――生産力を"削り"によって上回られる恐れが高かった。
――そして更に絶望的な報告がケッセレイから上がり、アイシュヴァークもリューミナスも沈痛な表情を作って何も言わなくなってしまった。
《副伯様……か、海底の"根の道"が……各所で寸断されました》
《僕は驕っていたようだね。認めよう。多頭竜蛇を侮ったつもりは無かったけれど――この麗しき【闇世】に渦巻く、数多の思惑を、上級爵の方々の謀を、軽視しすぎていた》
《それは……一体、どういう……?》
《ケッセレイ君。寸断したのは多頭竜蛇ではないよ、あれが多少暴れても大丈夫なように、何度も検証して、ルートを選んだはずじゃないか……あぁ、本当に嫌になるね。選択肢が少なかったとは言え、これなら、グエスベェレ大公じゃなくてフェネス殿、【鉄使い】の方に付くべきだったのかなぁ》
リッケルの言は途中から独り言となっていた。
3従徒に聞かせるためのものでも、情報を共有するためのものでもなく、自らが置かれた現状を改めて整理し直そうとするものであった。
《噂は本当だったのかもしれないね。海の底にいる「大罪人」が、どういう理由か知らないけれど、僕に敵対したんだろうねきっと……あぁ、そうか、そういうことだったのか。多頭竜蛇が"野放し"にされていたのは、そういう……【鉄使い】め、多頭竜蛇と遊んでいろ、というのはそういう意味か……》
一つだけ、3従徒にもわかる明白な事実があった。
彼らはもう――帰れない。
秘法【樹身転生】により、リッケルを含めた彼らは人の身でありながら、その精神を偽獣系統の特殊な派生種である『魂宿る擬人』に移すことで、その"本体"は【疵に枝垂れる傷みの巣】で眠りながら、遥か海すらをも越えて、最果ての島にまで降臨することができた。
だが、その戻るための"道"が失われた今――元の体に戻る術までもが寸断されたのである。
多頭竜蛇が囲い、そしてさらにその外側から様々な者の思惑が何重にも囲っていることが明らかとなった、そのような絶海の牢獄に、彼らは孤立してしまったのであった。
《まぁこれも挑み甲斐のある、いや、ありすぎる"試練"だね。リーデロットにはいつも、いつも、滅茶苦茶なことに付き合わされてきたなぁ――あぁ、死んでしまったというのに、こうして僕を振り回す君が憎たらしいほど眩しいよ》
しかし、このような状況下に追い込まれてなお、リッケルはあっけらかんと笑う。
その姿に、諦めとも呆れとも絶望ともつかない表情をそれぞれの『樹体』に浮かべつつ――ケッセレイは首を横に振り、アイシュヴァークは天を仰ぎ、リューミナスは呆然と肩を落とす。
だがしかし、彼らはそれが彼らの主である、ととうに知っていた。それが、彼らが付いていくことを決めた「カルスポーの英雄」リッケル=ウィーズローパーであると、納得して従徒となることを決意して、かつて【疵に枝垂れる傷みの巣】の門を叩いた身であったのだ。
――死に物狂いとならなければ、本当にあっさりと死んでしまうのみである。
この際、もはや"報酬"は「生還」ただそれだけでも構わない。リッケルの"悪癖"に納得したわけではなかったが、それでも、この"試練"を乗り越えなければ、カルスポーは怨敵たる【蟲使い】に支配されることとなるだろう。
それは、カルスポーに生まれた者として絶対に避けなければならないことであった。
三者三様に腹を括る。
それは遅い覚悟であったかもしれないが、しかし、決して遅すぎるわけでもなかったのかもしれない。
三者三様に、彼らの"英雄"が如何にして"英雄"となったのかを思い出していた。
《あぁ、あぁ。戦る気にようやくなったんだね、君達。それじゃあ、行こうか。「新人君」の鼻をあかしにいってやろう。変わらないとも、変わらないんだ》
先代【人体使い】の下で現テルミト伯と競わされ、当て馬とされ、何度も危険な潜入任務をハルラーシ回廊の各自治都市に対して行わされたこと。
現【人体使い】となったテルミト伯により、リーデロットを巡って対立し、殺されかけ、絶望的な逃走を行って、いくつもの危険をくぐり抜けて【幻獣使い】グエスベェレ大公の元までたどり着いたこと。
己の器量と実力を証明するために、身一つで先代【蟲使い】――現【蟲使い】ワーウェールの師であった者の支配からカルスポーを解き放ったこと。
その全てがリッケルにとっては"試練"であった。
《生きること、生き続けること。ただそれだけで僕らは"試練"の中に在る。いる、じゃなくて、在るんだ。理不尽は更なる理不尽によって喰らい尽くされる……さぁ、僕と君、どちらが喰らい尽くす側かな?》
果たして。
2つの海中の【根ノ城】が、島の地下に広がる迷宮を掘り当てたという報告がケッセレイから伝えられる。覚悟を定めた従徒達に、恐れをまるで知らぬ常の笑みを向け、頷き、リッケルは侵攻の開始を宣言する。
そして同時に【根枝一体】を発動させ――陣取った"入り口"を取り囲むように形成された地上の【根ノ城】に触れさせたその身を変化させ、樹身を変異させ、樹体を変転させ、『魂宿る擬人』達は一気にばらけて【根ノ城】に取り込まれていった。





