0061 対【樹木使い】戦~樹海の戦い(2)
5/12 …… 前半の描写を加筆しました
5/13 …… タイトルを微修正しました
《――生真面目だなぁ、君達はほんと。「新人君」にはよほど優秀な"頭脳"担当の眷属でもいるんだろうね、想定外ばかりだ。でも地力はこちらが上だ。なら、もっと混乱させてあげてはどうだろう?》
《リッケル様、意味がわからないのですが……》
《考えるのが得意なら考えるべきことを増やしてやろう。可能性を増やしてやろうじゃないか! 「新人君」に、この島にはいない生物を紹介してあげるのはどうだろう?》
時折、【木の葉の騒めき】で"悪癖"の元凶たる、もはや【樹木使い】に仕える者としては1日に何十と聞くことになる「リーデロット」という女性の名前を聞かせられるせいで、半ば意識的にリッケルからの呼びかけを無意識下に聞き流していたアイシュヴァークである。
しかし、流石にただいまの助言は聞き流すことができるものではなく、ただちにその案を取り入れる。
リューミナスに指示をして、"大陸"に住まう、最果ての島にはまずいないであろう様々な鳥獣の姿を模したたわみし偽獣を量産し始めたのである。
そして精神的な疲労もあって逆に開き直った心地になり、そこに不規則性を与えて、もはや「毒酒を飲まば杯まで」の境地で、蛇型にモモンガ型、犬型にウニ型、首長ウサギ型にクチバシナマコ型と、もはや自分でも何を目的とした分隊なのかわからない模倣パターンの偽獣達を生産していく。
だが、それで狙い通りに、相手が「考え過ぎ」たことで、撹乱が思ったよりは成功してしまうのであるから、この主は厄介者である。
彼女の墓を見つけたんだ、と夢遊病患者のようなうっとりとしたうわ言を呟くや、またどこかへ去ってしまうリッケルを見送りつつ――吹っ切れたアイシュヴァークは、偽獣自身の特性だけでなく、強化効果の支援型の眷属をも利用していく。
おまけに偽獣ではなく十数の絡め取る偽蜘蛛や駒喰らいといった小型種を組み合わせて「偽獣」に偽装したパターンを編み出したところ、如実に敵の反応速度が鈍ったことがわかって、ようやく一息ついたのであった。
――もっとも、その真実は好奇心旺盛な副脳蟲ウーヌスが勝手に「見たこともない新生物さんの正体を解明し隊!」を結成しようとしたことによる、ちょっとした混乱によるものであったが。
オーマの命を受け【虚空渡り】によって現れたベータによる「フンコロガシの刑」に処せられたウーヌスが気絶した後は、爆笑するモノの指揮下、副脳蟲達はたちまちにアイシュヴァークの奇策を分析・解析して看破して情報を共有。縦横に連携を組み換え、ローテーションを組み換え、偽獣達のあらゆるパターンに対応していく。
双方合わせて数百近い戦力が投入され、何十部隊、何十パターンにも細分化された眷属同士の追いかけ合い、追い込み合いとその【相性戦】に関する分析が繰り返され――副脳蟲達に遅れ馳せながらも、3従徒はより詳細にオーマの眷属達の特性を学習していく。
だが、無数に繰り返される遭遇戦は、さながら後出しジャンケンに後出しジャンケンを重ねてしっぺ返しを狙い合う「条件反射勝負」の様相を呈していた。
《恐ろしい。恐ろしいが……ようやくこれで相手のパターンも打ち止めか》
《大体の対応パターンも出揃いましたね。辛酸を舐めさせられましたが、兵力の損耗が目に見えて減ってきました。これも、お二人の尽力のお陰です》
《……リューミナス、そこは一応は副伯様も数に数えておくべきところだ》
アイシュヴァーク、ケッセレイ、そしてリューミナスは、機動戦と恐るべき対応力に対して守勢と軍量戦で挑み、ついに【情報戦】の飽和地点を乗り越えたと判断する。
精神を削って耐えに耐えた結果、異形の魔獣達に対する「攻略法」を積み重ねることができた、とお互いの尽力を称え合い、自信を深めつつあった。事実、気絶から復帰したウーヌスを加えた副脳蟲達による荒らしから受ける被害は、それが開始された当初から比べれば――数割単位で大きく減っていたのである。
今や、守勢に落ちつつあるのは相手の方であることが"苔の地図"の上で繰り広げられる「盤面」からも読み取れる状態にまで戦況は持ち直していた。
斯くして、部隊や分隊同士の泥沼の争いに引きずりこむ、というリッケルの指示を維持しつつ、短期決戦を成すための兵力の拡充に目処が立つ。
そもそも、たわみし偽獣自体は、たとえ屠られたとしてもその"残骸"を"材木"として利用して少ないコストで新しい個体に"転生"させることができる存在であり、いくら狩られようとも、迷宮経済という観点での被害は軽微ではあったのだ。荒らし合戦に引きずりこまれた精神的な疲弊も、生身でならばいざしらず『魂宿る擬人』の身でなんとか3従徒は"試練"を乗り越えたような心地となっていた。
今や――『生まれ落ちる果樹園』及び1号から4号の各拠点は着実に防備を固め、またその周囲に『魔素吸い花』『命素汲み花』の領域を広げている。
既に島中に一度に展開して維持できる偽獣は400体を越えており、相手の生産力を上回っている、というのがリューミナスの試算である。
《内線戦略は飽和攻撃を加え続けることでいつか破綻する。本格的に、地下洞窟に引きこもらせてからが、本番だ》
《真綿で絞め殺すが如く、だ。リッケル様も面倒な指示をくださったものだが、間違ってはいないからな……》
油断はしない、していない。3人ともそう考えている。
だが、互いに戒め合い、着実かつ堅実に対処ができている――と。
だからこそ、彼らはそのように考えていること自体が「慣らされた」思考であり、指向させられた高揚であると気付かなかった。
【闇世】の黒き太陽が水平線の向こう側に沈んでさらに数刻が経ち、時は夜半を回る。
島が深い夜の帳に包まれてなお【エイリアン使い】と【樹木使い】の眷属達と、その指し手達は果てのない"荒らし合い"という我慢比べを継続する。
――そして、深紫の夜空に赤と青の「双子月」が南中する頃。
月光がごくわずかな木漏れ光となって、押し固められた闇の領域となった森の中で蠢くエイリアン達と偽獣達が探し合い、追い込み合い、殺し合う中で。
リーデロットの足取りを追い、また自らを囮としてオーマの出方を伺っていたリッケルが、ついにル・ベリの手によって作られた彼女の"墓"を探し当てる。それをじっと追跡し監視していたル・ベリの強靭的な忍耐もまた、ついに限界を迎えようとしていた、まさにその頃であった。
【樹木使い】によって徐々に【領域】を削られ、圧迫されつつあった"迷宮経済"から、それでも40体分もの突牙小魚を【魔素操作】【命素操作】によってついに生み出し揃えたオーマは、彼らを海に向けて解き放つとともに"夜襲"の執行を厳命する。
≪仕掛けろ、イプシロン! ル・ベリも今だ、【樹木使い】にお前の力を刻みつけろ! そしてベータ、お前の"ずるさ"を見せつけてやれ! ――全軍、主力決戦を本気で装え!! 連中の意識を地上に引き付けろ、引き付けてから、そして海中での異変に気付かせてやれ!!≫
まるで弔うような鐘の音がどこか遠くから【闇世】の空に鳴り響く。
最果ての島の『北の入江』一帯を占領し、森の中にまでその領域を侵食させ、大小の偽獣達を次々に生み出して戦力の増強を努めていた『生まれ落ちる果樹園』による侵攻の先端部。
そこに突如として、空が煌と明るく輝き、いくつもの小爆発音と共に燃え盛る酸の雨が降り注いだ。
***
小爆発によって自身を強引に浮かす、という炎舞蛍の「飛行法」はそのままであれば目立つ。これを解消したのは『哨戒班』を率いる遊拐小鳥のイータとその麾下の"小鳥"達であり、『樹冠回廊』を這って突破させた後に炎舞蛍を彼らの力で1体ずつ持ち上げながら飛ばしたのである。
これにより、夜陰に乗じながらの「火攻め」の形が成功。
入江から数十メートル単位で、最果ての島の地上部森林に北側から侵食してきていた【樹木使い】の領域に文字通り「火の雨」が降ることとなる。
そして、それだけではない。この攻撃はあくまで、主力決戦ではないが、本格的なプレッシャーを与える"強襲"であると思わせねばならず――こちらにまだ切る手札があることを見せる意味がある。
『北の入江』への"火攻め"部隊には、炎舞蛍だけではなく噴酸蛆達も投入していた。そのために副脳蟲達には『樹冠回廊』のルート上の脅威の排除と、そこにたわみし偽獣が寄り付かないような集団制御を心がけさせた。
そして"名無し"の噴酸蛆達にも、特別教官であるベータとイプシロンの監督のもと、数日かけて"回転移動"を習得させていたことにより成った強行軍であったのだ。
炎舞蛍による「燃酸」は粘りつくような燃える酸であり、鎮火のためには単に火を消すだけではなく、この粘着く酸をも洗い流すだけの水量が必要となる。また、炎舞蛍自体は機動力に優れるわけでもないため、さすがに【樹木使い】側も対策してくるだろうことから、爆撃はできて1回か2回、と俺は判断していた。
あまり"森"の側に延焼を広げさせるつもりはなく、戦果としての戦火を拡大させないために――爆撃早々、炎舞蛍達は遊拐小鳥達に護衛させてただちに『樹冠回廊』まで連れ戻して撤収させた。
だが、火攻めは終わらない。
次に、十数体の噴酸蛆達の噴き出す【強酸】が一斉に孤を描いて降り注ぎ――今なお燃え盛る「燃酸」に入り混じったことで、火がますます盛んとなったのである。
炎舞蛍はそもそも噴酸蛆から進化したエイリアン=ビーストであり、それぞれの【強酸】は共通する成分を含むものだという仮説が当たっていた。これにより、多少燃焼性は落ちるものの、炎舞蛍の燃酸に噴酸蛆の強酸を"継ぎ足す"ことで燃料を水増しし、鎮火のためにわらわらと寄ってきた偽獣やその他の樹木型魔獣をさらに焼き払うことができたのであった。
まるで蜂の巣をつついたように偽獣達が燃え盛りながら駆け出す。
リッケルが"迷宮経済"を拡大しようとした『お花畑』による侵食が、焼き潰されて押し戻され、火の勢いは一時、『北の入江』の大部分を占領した『生まれ落ちる果樹園』にまで及ぼうとするが――さすがにその先まで行くと、『放水車』タイプの武具喰らい達によって汲み上げた海水の噴射により、火は消し止められてしまう。
そして鎮火するかしないかといううちに、『果樹園』から、背中に絶叫根精を乗せた飛行型のたわみし偽獣が数十体は飛び出してきて、金切り音を撒き散らしながらこの火の海を作り上げた元凶がいる地点、『樹冠回廊』に真っ直ぐ反撃を敢行してくる。
――だが、その反応は残念ながら、こちらとしても対策済である。
『樹冠回廊』から目にも留まらぬ速さで、まるで蛇のような長縄のような触手が撃ち出されたかと思うや、投げ縄の如く激しくしなって飛行型偽獣の1体を掴み、その勢いのままに周囲に振り回す。そして瞬く間に、捕らえられた飛行型偽獣は周囲の数体を巻き込み、お互いの「翼」を損傷して落下していく。
縄首蛇のゼータによる"投げ縄"である。
空を飛ぶことを模倣した程度にすぎない飛行型偽獣にとって、これは即座に対応できるものではない。加えて、炎舞蛍の退却を支援した遊拐小鳥達が戻ってきて空中戦を展開するが――そこでゼータとイータの『連星』の連携が威力を発揮する。
ゼータがどの方角に、どの程度の強さで、そしてどの程度の伸び率で"投げ縄"を叩き込むか、イータは完璧に呼吸を合わせていた。飛行型偽獣の眼前に現れるや、ギリギリ間一髪で身体を空中でひねり返して後方から迫ったゼータの"投げ縄"にさらに数体の偽獣が撃ち落とされ、樹下で待ち構えていた走狗蟲達の餌食となる。
さらにゼータもまた、イータの「観測」を頼りに飛行型偽獣の背に乗った厄介な絶叫根精を的確に"拉致"することを繰り返したため、【樹木使い】側による火攻めへの初動での反撃は失敗に終わることとなる。
無論、こうした【相性戦】の情報は【樹木使い】側にも伝わっているだろう。
彼らは「飛行型+絶叫根精」という組み合わせが【相性負け】したことを理解し、即座に「別パターン」の生産を『生まれ落ちる果樹園』から指揮して"後出しジャンケン"の有利を取ろうとするが――生き残った飛行型偽獣達が"衣替え"のために撤退した時点で、ゼータとイータによる時間稼ぎは成功していた。
今度は槍持ち茨兵と組み合わせて襲来した"葉隠れ狼"型のたわみし偽獣達であったが、足の早い走狗蟲は元より、回転移動によってでも偽獣の機動力には劣ったはずの噴酸蛆達ですら、既にその姿を消していたのである。
――そしてその数分後、今度は海岸を取り囲む4つの陣地で、正確に45分おきに「爆酸」と共に火球が爆発して燃え上がる。しかし哨戒役の偽獣がただちに周囲を捜索してもその犯人は見つからず、現場に急行した遊撃部隊が副脳蟲指揮下の『遊撃班』によって食われる形で翻弄されていく。
この翻弄の立役者こそは爆酸蝸のベータである。
噴酸蛆と異なり、1日にいくつもの「爆酸殻」を量産できないはずのベータであったが――副脳蟲達の中でも「罠」に特別なこだわりを見せたモノの協力の下、1つのずるを編み出していた。
ベータは"酸込みの殻"ではなく最低限の殻のみを生成し、さらにそれを労役蟲の【凝固液】によって継ぎ接ぎした即席の「安価な殻」を作り出し、その中に噴酸蛆達の【強酸】で充填。これにより、多少威力の落ちた「廉価版」の爆酸殻を量産しただけではなく、炎舞蛍達の「燃酸」を混じらせた「炎上版」も生み出すことができ、それを次々に【虚空渡り】によって神出鬼没に転移して、炸裂させていたわけである。
さらに、ベータは噴酸蛆達の雲隠れのような撤退にも一枚噛んでいた。
ベータ自身だけでなく"同行者"の魔素と命素の消耗と引き換えに【虚空渡り】による転移は、検証の結果、エイリアン限定であり噴酸蛆のサイズでギリギリではあったが、他の系統のものにも可能であったのである。
これもまた、こちらに「転移能力有り」として警戒させ検討させ、対策の準備を強制するための"見せ札"ではあったが、かえって翻弄するのにちょうど良い。噴酸蛆達の撤収と、他の拠点への攻撃を仕掛けることができ――【樹木使い】側の目は大きく「地上部の争い」に引き付けられたことだろう。
そして引き付けられれば引き付けられるほど、この襲撃の中途半端さに違和感を覚える契機となるだろう。
そうした様を、俺は『司令室』にて【情報閲覧】と【精密計測】の技能連携である、青白い光によって形成されたホログラフのような最果ての島全体の「立体地図」を俯瞰しながら、副脳蟲達と無数の【共鳴】を繰り返しながら把握していた。
この「立体地図」の中に俺の眷属達が黄色い点で、観測された【樹木使い】の兵員が赤い点で表示され――数秒間隔でその居場所や、数などが更新されていく。
副脳蟲達のために新たに生み出した2体の副脳蟲、ウーヌス麾下のドゥオとトレースの"脳"としての演算能力を交えることで実現した、高性能レーダーじみた「立体地図」であり、これはさらに広く捉えれば、俺自身の技能と迷宮領主としての【エイリアン使い】としての権能の融合と言えた。
無論、他の迷宮領主がこのレベルの戦況把握能力を持っている可能性はあるだろう……俺にここまでできたのだから。
しかし、俯瞰する「立体地図」の上で副脳蟲達によって操作される黄色い点の動きと比較する限り、【樹木使い】側の赤い点は数は多くとも、その動きの精度と細やかさは副脳蟲達には敵わない。
【領域戦】と"迷宮経済"ごとの侵攻という点で、物量こそ副伯リッケルに水を開けられつつあったが、少なくとも【樹木使い】には同じような戦況把握能力は無いのではないか、あっても貧弱ではないかと思われた。
今や、盤上の主導権を握っているのは、完全に俺の側であった。
***
ベータがオーマの領域内の各地へ"転移"を繰り返して「爆撃」を進めていた頃。
旧レレー氏族領の片隅。
周囲には『樹冠回廊』を構築する巨樹とその根が這い回り、それらの隙間をわずかな低木や藪がこびりつくように埋める一角。入り組んでいて野生動物が入り込みづらく、また水源地でも無く、大した果実が採れる場所でもないどころか毒草や毒キノコの類が群生することから――小醜鬼達が滅多に訪れない場所がある。
そんな毒草の広がる原。
崩れた巨樹のうろに、苔生した石を積まれた場所があった。
そうと知らなければ、偶然そこに石が転がって積まれた、としか思えないだろう。少なくとも、小醜鬼の感性ではそれが弔いのための碑の代わりであることなど、気づくことも無かったであろう。
「やぁ、ようやく姿を現してくれたね。君の主も存外、意地が悪い。夜襲に"火攻め"のタイミングと合わせて――ようやく接触の許可を出してくれた、といったところか」
そんな大事な場所に。
自分だけが知り、静かに守っていた場所である、母リーデロットの"墓"に。
その身体を構成するものが肉でも皮でも骨でもなく、枝葉と花蔓と樹皮と根と新芽である"樹人"が小さな花を供えているのを見て、ル・ベリは怒りとも苛立ちともつかない激情を押さえながら、端正な顔立ちを激しく歪めた。
「我が母の静謐なる墓所を穢す木偶め……」
「君は、リーデロットによく似ている。かつての彼女の生き写しであるかのようだ」
振り返る"樹人"にして【樹木使い】たる副伯リッケルの表情は、哀しみとそしてどこか歯車が狂ったような喜色を浮かべる笑みが入り混じっていた。
「答えろ木偶人形。我が母を知ると嘯く貴様は、何者だ!」
"樹人"を相手に【魔眼】が通用するかどうかがまだ未知数であるため、ル・ベリはそれを発動はさせない。しかし、通じていたのであれば寸分の隙もなくそうしていたであろうと言わんばかり、呪い殺すような眼差しで――そこにいくらか、己自身でも気付かぬ、どこか縋り付くような念を込めて――『魂宿る擬人』の身体に己の精神を移した存在を睨めつける。
「僕の名前はリッケル、リッケル=ウィーズローパー。【樹木使い】なんかにさせられてしまった、しがない迷宮領主さ……そしてリーデロットは、そんな僕の想い人にして同志だった女。【人体使い】に仕え、囚われ、人としての尊厳たる機能を奪われてなお、それを克服することを誓い合った存在だ。そして君とのこの出会いは、思いがけぬ答え合わせでもある」
ル・ベリは静かに【異形】の四肢触手を大蜘蛛か大蛸の魔獣のようにもたげさせる。
それは構えであり、宣戦布告のための準備行動でもあった。その動きに合わせて、御方様であるオーマより預かって率いてきた走狗蟲達も隠れさせていたその気配を顕わにし、指令一つで飛びかからんとする殺意と闘志を放ち始める。
対し、リッケルもまた何事かを呟くように新芽でできた唇を動かすや、その右手から枝と根と蔦と蔓が成長して変容し、束ねられて絞られていき――長大な斧槍の形状となっていく。
彼の周囲のたわみし偽獣達もまた臨戦態勢に入るように身構えていくが――それは自分に向かってくるというよりも、走狗蟲達の動きを牽制するようなものであると、ル・ベリは感じた。
「教えてくれ、【人体使い】の呪いを"嘲笑う"子よ。君の母リーデロットは、どのように生きた? どのように試練に臨んだ? ――そしてどうやって君を得た? 君に何を教え、何を残して死んでいった? 僕は彼女の全てを知らねばならない。どうして僕のリーデロットは……迷宮領主にならずに君をもうけることができたんだ?」
「よく回る口だ、耳障りだ、【樹木使い】め。貴様が我が母の何であろうが、今、我が御方様に敵する狼藉者の首魁には異ならない! 我が名はル・ベリ、尊母リーデロットの子にして偉大なる【エイリアン使い】オーマ様の第一の従徒だ。時間稼ぎの甘言には乗らぬぞ。その妄執、我が母に代わって断ち切り、その首を切り落として献花にしてくれる!」
「――"ル・ベリ"……そうか、リーデロット――君は……なのか。やっぱり……は……と……僕の……」
蕾で形成された「目」をすうっと細め、更なる何事かを呟くリッケル。
しかしその身には闘志が満ち、正眼に構えられた斧槍が、ル・ベリの宣言への答えであった。
あるいは出会い方が異なれば、母の話をじっくりこの場で聞くこともできたであろう。しかし、今のル・ベリは【エイリアン使い】の第一の従徒。主に仇なす存在を、己のルーツを知りたいという私情のためだけに見過ごすことのできるものではない。
――それもまた母の願いなれば。
「では、僕から行こう」
静かな宣告と共に、斧槍を直突きの構えで突っ込んできたのはリッケルであった。
"人体"を模してはいてもそれは樹木で構成された身体であり、筋肉の代わりにたわめられた蔓と枝の跳躍により、見た目以上の身軽さで突っ込んでくる。あまりに単調な突進に意図あり、と睨んだル・ベリが【四肢触手】を地面に叩きつけるようにして大きく跳躍。
果たして、リッケルが突き出した斧槍は――不意に先端をばらけさせ、十数本もの意思を持った蔓やら根やら枝やらと化し、絡め取るつもりであったのか、ル・ベリが跳躍した地点をさらった。
対し、ル・ベリは空中で体をひねる要領で、その回転の遠心力を乗せた鉤爪による一撃をリッケルに叩きつける。リッケルは避けもせず、それを肩で受け止め――その微笑みに嫌な予感がしてル・ベリは追撃せず、直ちに触手を引き戻しながら、離れた地点に着地する。
見れば、リッケルの斧槍の"柄"の部分がいつのまにか分離してその腕を、背中を這って肩の部分まで伸びていた。
その正体は竜人ソルファイドより、御方様と共に共有した【樹木使い】の眷属たる『武具喰らい』である。
「"人体"と言いながら魔獣に身体を蠢かせるか」
「やだなぁ君だって立派な【異形】を持っているじゃないか。その若さで、そのレベルの異形は尋常なことではない」
「御方様に賜りしこの力を貴様如きの植栽と一緒にするな!」
激昂と共に、今度は2本の鉤爪触手を左右から薙ぐ。
それを間一髪でのけぞり、後方にバック転をしながら避けるリッケルであったが――その動きを蔓か共生する大蛇のように自在に形を変えて補助する『武具喰らい』。その数は最初の斧槍を構成していた1体ではなく、さらに数体、樹木のパーツで構成された身体の中に隠されていたことをル・ベリは看破する。
周囲では、互いに率いてきた"基本種"同士の戦いも始まっていた。
だが、たわみし偽獣達は積極的に攻勢を仕掛けてはこず、走狗蟲達をル・ベリからもリッケルからも遠ざけるような牽制を中心として立ち回る。また、リッケル本人を護衛するだけあって精鋭であり、ル・ベリの目からしても、島中で主の"副脳"達が相手取っている「偽獣」達とは一線を画す実力であると見えた。
そのままル・ベリと大きく距離を取り、豹のように姿勢を低くしたリッケルの左腕に、今度は蔓と根でできた"大弓"が構築されていく。さらにその背に――頭上から1体の偽獣が飛び降りながら、その身をばらけさせて4本の「樹矢」と化す。
そしてリッケルは、親指から小指まで、五指の間に4本の「樹矢」をまとめて挟み、達人の弓道術で大弓につがえてそれを同時に撃ち放ってきたのである。
ル・ベリは咄嗟に鉤爪触手を振り回し、2本を叩き落とすが1本が鱗の服の脇腹を掠める。
しかしその間にリッケルの手元には、新たな偽獣が「樹矢」を提供し――。
≪ル・ベリさん足元だきゅぴぃ!≫
「ッ! おのれ!」
リッケルの流れるような所作と変幻の「蔓さばき」に目を奪われていたル・ベリであったが、"副脳"の長たるウーヌスの【眷属心話】によって即座に『偽獣』の本質を思い出し、鉤爪触手を振るって落ちた2本を全力で叩きつけて粉々にし、その勢いでさらに飛び上がってリッケルからの第2射を全てよけた。
ル・ベリに叩き折られた2本は――絡め取る偽蜘蛛にその身を変じさせ、ル・ベリの足を「蔓の蜘蛛の巣」によって狙っていたのである。さらに放たれた第3射を空中で、今度は両断するように触手を振るってへし折って無力化し、ル・ベリは獰猛に笑う。
≪"副脳蟲"の皆様方、どなたかご助力を≫
≪あい~、任せて~≫
「眷属を生きた弾丸にするとは奇策を使う。だが、同じことができないと思ったか!」
四肢触手の瞬発筋によってさらに後方へ飛び退くル・ベリ。
そして彼のタイミングに完璧に合わせ、数体の走狗蟲達が飛びついてきて――ル・ベリは着地ざま、走狗蟲達に向かって宙でぐっと触手を伸ばし構え力ませて筋力の足場を作ったのである。
そこに脚をかけた走狗蟲を、さらに一気に触手を叩きつけるような勢いで押し出すことで――【異形:四肢触手】の筋伸縮と走狗蟲自身の強靭なる後ろ脚の脚力の筋伸縮が二重のバネとなり、リッケルと彼の率いる生成偽獣達の目算を越え、弾丸の如くリッケルに迫った。
その初弾をリッケルは"大盾"に変えた『武具喰らい』によって受け止めていなし、駆けつけた偽獣達にまかせてドッジローリング。回転ざま、その"大盾"をまるで円盤のように投げつけてくるが――第2射、第3射を放つことができるのはル・ベリもまた同様。
まるでお手玉のように――玉が自らの意思で操者の"手"を足場にして跳躍しているが――次から次へと走狗蟲達が【異形:四肢触手】の腕力によって投げ込まれてきたのである。たわみし偽獣達が、走狗蟲をリッケルに近づけないように牽制する行動を優先していたことが、逆にこの急激な機動性の変化への対応を遅らせる結果を招いていた。
「なるほど面白い、ただの従徒が生身でそこまで眷属と連携できるとはね。ならば、こちらはこうだ!」
呟くや、リッケルが身体内の全ての武具喰らいを吐き出して、眼前に3枚の"置き盾"を生み出す。さらに――武具喰らいが『槍持ち茨兵』を模して、逆茂木の如き鋭い茨の盾となり飛びかかる走狗蟲達を退ける。
それを見てとったル・ベリが、螺旋獣アルファ、デルタと共に競い鍛えた「投石」によって、手近な小岩を砲丸投げの要領で投げつけ、"茨の置き盾"の1つを粉砕するが――。
その間に走狗蟲達を牽制していた偽獣達がより集まり、ばらけさせた互いの身体を組み立て、合成させ、長身巨躯を誇る『撓れる虚獣』を3体顕現させたのであった。
虚獣がその四肢を滅茶苦茶に振り回し、丸太を遥かに超える質量兵器として轟と薙ぎ、群がった走狗蟲達をまとめて弾き飛ばす。そしてリッケルが、生き残っていた武具喰らいを隠身蛇の鎌の腕を思わせる鉤爪のような武具に変化させ――そのまま撓れる虚獣の1体に登攀。
その延髄まで移動し、下半身を形成していた根と枝をまるで他の偽獣達と同じようにばらけさせ、そのまま虚獣に融合・接合してしまったのであった。
首の付け根の後ろ辺りからリッケルを生やした虚獣が、左右に通常の虚獣を従えてル・ベリに向けて突進。
と同時に、武器喰らい2体を1基の『攻城弩』に変形させ、禍々しい笑みと共に、大弓の時よりもさらに太く長大な槍の如き「樹のボルト」を撃ち放つ。流石にこれは迎撃しきれない、と歯ぎしりをしつつ、ル・ベリは跳躍して鉤爪を最果ての島の森の巨樹に引っ掛け、全身を振り子のように激しく揺すりながら樹上へ駆けていく。
そして虚獣がすぐには届かない距離まで、追従してきた走狗蟲達と共に駆け上がり――一気に飛び降りる、と見せかけるようにリッケルを見下ろし身構えた。
「奥の手があるのは貴様だけではない」
触手を一つ、鞭のように激しく樹木に叩きつける。
そして口笛を一つ、さらにポケットから夜啼草の花の粉末入りの袋を取り出し、それを虚獣に向かって投げつけた。
その次の瞬間。
森の奥から、まるで長大な重低音の笛を吹き鳴らすかのような咆哮と共に、数体の亥象が低木を踏み荒らしながら飛び出し、真っ直ぐに虚獣達に向かって突進してきたのであった。
「……しまったな、"上位種"以外にも撓れる虚獣を相手取れる戦力を隠していたとは。しかも小醜鬼どもとはねぇ! さながら『象騎兵』てところかな?」
それだけではない。
亥象の背中には、木の枝と板を組んで縛っただけの簡易的なものではあるが「櫓」が乗っており、その上に何体もの松明を構えた、ル・ベリによって奴隷化された小醜鬼達がしがみついており、雄叫びを上げていたのであった。
さらに、これだけでもない。
樹上の『樹冠回廊』からは葉隠狼に騎乗させた、リッケルの今の呟きを真似れば『狼騎兵』とでも言うべき小醜鬼達が一斉に迫っていたのであった。
その様子を目の当たりにして、リッケルは一瞬だけ考え込む素振りを見せた。
撓れる虚獣達が、互いに身を寄せ合い、四肢を触れさせ合おうとした、そのわずかな素振りに気付いて、その意味を推察し、ル・ベリはわずかに歯ぎしりをする。
(まだ、更なる"上位種"が、あるというのか……!?)
――だが、リッケルが下した決断は遁走であった。
この瞬間、ル・ベリは走狗蟲達との連携を補助していた副脳蟲ウーノから、"名付き"にして爆酸蝸であるベータによる「火攻め」の撹乱が成功したこと。さらにそれを陽動として、主オーマが緊急生産を行っていた突牙小魚達が出撃したことを伝達されていた。
そして、ほぼ同じタイミングでそれを察知したかのように、リッケルが花と新芽と根毛と葉でできた樹人の異貌を破顔させ、にやけさせたのであった。
「リーデロットの愛息子ル・ベリ君! 僕は気付いた、気付いてしまった――君がどうやって生まれ得たかをね! よくもまぁ、我ら麗しき『ルフェアの血裔』の憎悪の記憶に逆らって、小醜鬼どもを生かしたものだ……リーデロットも、君も! だが今は、君の主である『新人君』の乾坤一擲を潰すために退かせてもらおう! 君も火攻めも全部、海中で攻勢に出る陽動だって全部お見通しだったよ――また、すぐに会おう!」
2体の撓れる虚獣が肩を組んで両腕を広げて壁となり、亥象達の突撃を受け止めながらも全身を破砕させて、逆立った枝などによってそれ以上の突進を防ぐ障害物となる。
その間に、リッケルと繋がった虚獣は反転。
たわみし偽獣十数体分という巨躯からは信じられないほどの運動性を発揮して、全速全力で『北の入江』の方角に向かって逃走。ちょうど、そのタイミングで、炎舞蛍イプシロンや縄首蛇ゼータらの「火攻め」部隊の行方を追ってきた「槍持ちの茨兵+葉隠狼型の偽獣」で構成された増援と合流するを目の当たりにし、ル・ベリも一時撤退を決断したのであった。
――そして走狗蟲と奴隷小醜鬼達を帰陣させた後。
【共鳴心域】を通した主オーマの怒号が五感を貫くように響き渡り浸透していく中。
ル・ベリは一人、戦場跡にて、母リーデロットの墓代わりの小さな碑の前で立ち尽くしていた。
あれだけの戦闘でありながら、その周囲はほとんど荒れてはいなかった。
「木偶め……貴様は、まさか本当に、我が母の……?」
歯ぎしりし、一度だけ天を仰いだル・ベリは、決意を秘めた眼差しと共に拳を握り締め、母の墓を改めて見やるのであった。





