0060 対【樹木使い】戦~樹海の戦い(1)
5/12 …… 後半の描写を加筆しました
5/13 …… タイトルを微修正しました
撤退戦の最中、予想通り【樹木使い】リッケルは無理な追撃はしてこなかった。撓れる虚獣達がばらけて数十体ものたわみし偽獣に変じて押し寄せてくるが、機動力はあっても螺旋獣や戦線獣の剛腕の一撃を防ぎ切ることはできない。
勝ち筋の一つは多対一の構図を作って寄ってたかって滅多刺しにすることだが、連携においてはこちらの実力が上であり、アルファ達を最適な距離から取り巻く走狗蟲に妨害される。
しかし、俺の方も戦線整理のための一時撤退であるため、偽獣達を破壊しきれない。そして破壊できたとしても、その残骸は新たな偽獣とその系統の派生種と思われる『家具喰らい』や『絡め取る偽蜘蛛』の文字通り材料となって転生してしまう。
さすがに魔素、命素の生成コストは支払っているだろうが――1から生み出すよりは、そのコストは軽減されているだろう。
『環状迷路』に通じる、地下洞窟への出入り口まで俺がガンマ達と共に撤退した頃には、リッケルによって北の入江に『生まれ落ちる果樹園』を中心として"迷宮経済"を広げる拠点が完全に構築されしかも広がっていっている現状、迷宮抗争は【領域戦】の段階に入っていた。
さらに、副脳蟲達を経由して『監視班』から入ってくる情報では、最果ての島を取り囲むように、1時4時9時11時の方角に合計4つの海岸拠点が形成されている。
それらは『生まれ落ちる果樹園』ほどの規模には至っていないが――『魔素吸い花』『命素汲み花』『網脈の種子』という【樹木使い】の迷宮経済3点セットを周囲に広げている。それらは俺が『遊撃班』に命じた"山狩り"を避けた宿り木樹精が逃げ込む場となっており、彼らが持ち込んだ"材木"から生まれた家具喰らい達が「壁」の形に変じて、さらにそこに『槍持ち茨兵』が巻き付いてバリケード化して防衛力を高めており、前線基地化の構えを見せていた。
≪早くしらみ潰しさんしないとダメだきゅぴ?≫
≪放置はできないが、しかし拘るわけにもいかない――あれらの"根"は全部、海の中に通じてるからな≫
一ツ目雀カッパーの力を借りて俺が放った【火】。
ちょっとした火炎放射並みの熱量だったそれを、一噴きで鎮火し尽くす程度の力を持った『放水樹』――武具喰らいが何かの兵器を象った姿――がリッケルの切り札の一枚であったならば、海底、特に最果ての島をぐるりと取り囲む沿岸は全て繋げられていると見るべきであった。
そしてリッケルがその存在を秘匿していたのは、俺が意気揚々と火攻めを仕掛けるのを逆撃するために他ならない――そして、それだけであるわけがなかった。
≪あれだけの代物を海の中で作り上げるだけの"迷宮経済"が、海底にも構築されているってことだ。だったら、わざわざあんな兵器を俺に見せつけなくても、例えば海中から"根"を伸ばして俺の迷宮を掘り当てることだって可能だろ。そこから内部に戦力を送り込んで、一気にこちらの後方を荒らす……というのが奴の策だってこともあり得る≫
≪それは、奇しくも、御方様の「内に引き込む」策と同じですな?≫
≪そうだ、こっちの策は引き込んでから一網打尽にする、だ。そのためにソルファイドや『砲撃茸』達を使いたいのを我慢してるんだが――入り込んだ先端を潰しても意味がない。奴の主力を引き込まないといけない。その前に、海中から"根"を伸ばされて、膠着状態のまま外周から「着火ポイント」を先に探り当てられるのはまずい≫
そのための突牙小魚の増産である。
ただ、こうなるとわかっていれば、シータを『撥水鮙』に進化させていたのだが、慢心の結果は受け止めて挽回を試みねばならないだろう。
≪だが、主殿。"視た"ところ偽獣が飛行型を学習したようだぞ。ならば同じように、海泳型も学習済ではないか?≫
≪壮絶な水中戦が楽しめるな。だが、むしろそれが狙いなんだよ、ソルファイド君。奴らの戦力を海中にも配置させる≫
≪きゅぴ、分散さんさせるってこと?≫
≪それもあるっちゃある。リッケルは拠点込みで攻め込んできた分、守らなければならないものができた。地上の拠点と、海中に隠したかった本命の「穴掘り装置」だな――だから、ここから仕掛けるのは楽しい楽しい駆け引きと神経戦だぞ?≫
虚々実々と声東撃西による襲撃およびフェイントを繰り返す。
地上の拠点を落とすと見せて海中で攻勢を仕掛け、対応してくれば地上を攻める、という機動的なゲリラ戦を走狗蟲の脚力によって実現させるべし。
当然、リッケル側も対応してくるだろう。だが、相手側には最低でも4体の『樹人』がいるため、おそらくは役割を分担させて対抗してくるだろうが――。
≪きゅきゅー、造物主様の負担さんが大変なことになるきゅぴねぇ≫
≪あ、あの、チーフ……造物主様は今から突牙小魚さん達をたくさん進化させないとだから……や、やるの僕達だよ?≫
≪きゅぴぴっ!? ぶ、ブラック労働反対きゅぴ! 労働きゅぴ合の設立さんを申請さんするきゅぴ!≫
≪あはは、ウーヌス諦めな≫
よもや海中を繋げてくるという暴挙は予測できなかったが、それでも早く気づけたのは僥倖であった。
もう数日、海中に戦力を蓄える時間を与えていれば――『生まれ落ちる果樹園』は1箇所ではなく、最低でも5箇所以上となっていただろう。その場合は、現有戦力では十分な襲撃作戦の立案すら覚束ない可能性があった。
ギリギリ、違和感に気づいたことで最悪は避けることができた形だ。
そして、リッケルが長期戦で締め上げてくるつもりにしろ、あるいはそう見せかけて奇襲してくるつもりであるにしろ、奴が見ているのは「この島」でしかない。
いくら部下どもに分担させて、地上と海中を舞台にお互いの拠点を荒らし合う「嫌がらせ合戦」に対応して来ようとも――そのことそれ自体が俺の狙いだと果たして気づくことができるか。
実は、副脳蟲達にすら話していない、シータ達『潜水班』改め『遊泳班』の真の役割がある。
それにリッケルと他の『樹人』達は気づくだろうか。
いや、それに自分から気づいて対抗策を繰り出して、なんとか凌いだ、と思った時にこそ、人の油断は生まれる。それは元の世界だろうが、この異世界だろうが、変わらない人間の真実の一つなのかもしれない。
≪というわけで休み無しだ、脳細胞が焼き切れたら命石をかっ食らって回復しながらキリキリ演算しろ。副脳蟲ども、俺が突牙小魚達を進化させ切るまで、地上で引きずり回せ≫
せっかく4箇所も追加で拠点を構築してくれたのである。もぐら叩きのもぐらとハンマーの高速役割入れ替えめいた機動力勝負を望むならば、俺も同じ気持ちである、その通りにしてやるとしよう。
……と考えていると、イェーデンから信じられないような報告が上がってきて、俺は思わず唖然とすることになる。
≪うっひゃぁ! リッケルさんだと言い張る樹人さんが、リーデロットさんを出せ! 彼女がどこにいるか教えろ! って大騒ぎさんしてるよ!?≫
≪――は?≫
≪御方様、あの腐れ根腐れ糞野郎に報復の許可を≫
……陽動だろうか。
そう思ってさらに詳しく情報を確認するが――少なくとも旧ムウド氏族の領域に1体の樹人を中心とした20~30規模の集団が現れ、その樹人がイェーデンが報告した通りに色々と喚いているのを確かに『監視班』の隠身蛇が目撃していたのであった。
≪あいつは馬鹿なのか? 大将が討ち取られたら終わりだろ……それともソルファイド、樹人は再生か再誕でもできる代物なのか?≫
≪難しい問いだ。偽獣系の派生種だとはわかるが。主殿が"転生"と表現したあの技自体が、【人体使い】にも秘匿してきた技だ、なら、できるのかもしれない。だが、あれほどの身体を再生させるのは、普通に考えれば並大抵の消耗ではないはずだ。伯爵である【人体使い】ですら、そこまでの蓄えはさすがに無いと俺は思うが≫
迷宮核と心臓を同化させた存在である迷宮領主は、その気になればその役割を放棄して【人世】に通じる"異界の裂け目"から離れることもできるらしい。
しかし、【闇世】を維持するための膨大な魔素を【人世】から吸い込み、さらにそれを【闇世】の自然法則や様々な世界法則に変換するというのが本来の迷宮核の役割であり――あまりに長期間離れた場合、吸い込まれた生の【人世】魔素は周囲を荒廃させ、崩壊させる巨大なエネルギーに変ずる。
"魔王"にして最高司祭たる【闇世】の界巫はこれを検知する力が与えられているが、【闇世】全体を危険に晒しかねないこの行為は【黒き神】に対する裏切りだと捉えられ、最悪追討令が出されるらしい。
またそこまで行かずとも、【黒き神】による介入の対象となり――新たな迷宮核が裂け目の近くに生み出される。
そして古い迷宮核は迷宮システムの端末としての権能を停止され、使い物にならなくなり、その迷宮領主が築き上げた「世界」ごと完全に崩壊することとなる。
これは、迷宮領主を正しく迷宮核の管理人兼守護者として縛り付けるための合理的な仕組みであるが……例外や抜け道も存在する、と俺は考えていた。
それを裏付けるかのように、例えば「裂け目か迷宮核の譲渡」だとか「裂け目の不活性化」だとか「裂け目の移動」といったキーワードに対しては闇世Wikiでは案の定の爵位権限制限がかかっていたのである。
――リッケルが行った「転生」は、そうした"抜け道"の一つである、と思われた。
≪あれがリッケルの本体でなくて、コストはかかっても再生可能で壊されても大丈夫な遠隔操作アバター的なものなら、奴の本体は"大陸"の方にあることになる。が、そうすると疑問が一つ浮かぶぞ。テルミト伯は転生を承知してたのかってことだ≫
上陸以降、新たな木造船団は送り込まれていなかった。少なくとも現時点で水平線の向こうは静かなものである。
そして、当初は船に乗っており共同行動していたように見えたテルミト伯の"空飛ぶ顔面パーツ"達の姿が見えなかった。おそらくあれらが情報収集をして、リッケルを当て馬に俺の眷属達の能力を探り、テルミト伯が本格的に乗り込んでくることを警戒していたのだが――その耳目をリッケルに排除されたのであれば、話は変わってくる。
≪良いだろう、我が第一の従徒ル・ベリよ。あの人間苗床野郎と一当てしてこい。ただし、今はまだ近くで潜むだけだ、仕掛けるタイミングは追って指示を下す。それまでお前は副脳蟲どもが指揮する"荒らし"にも参加するな≫
≪御意にございます。御方様のご下命下るまで息を潜め、一度お命じあらば、必ずや我が母への侮辱を償わせ、四肢を引き千切って御方様の湯浴みの薪に焼べてやります≫
≪足止めなんて考えずに倒してしまって構わない。だが、条件がある。奴と【人体使い】の今の関係、奴が【人体使い】に対して何か企んでいないかを探れ≫
≪我が技の全てを以ってして、奴に「人型」を象ったことを後悔させ、洗いざらい吐き出させてご覧に入れましょう≫
【共鳴心域】によって保護された【眷属心話】による会議を終え、俺は意識を眼前に戻す。
そこは迷宮の中ではあるが、『9氏族陥落』作戦の折に掘り抜いて本道と繋げた地下の空洞の一つであり、海水が浸透している海中洞窟の出口であった。
将来的には、整備して『海軍基地』とするつもりであったが――その役割が思ったよりもずっと早く必要になっていた。
撤退と帰還の道中で指示を飛ばし、集めていた数十体の走狗蟲達に次々と突牙小魚への進化を命じていく。
そして技能【魔素操作】と【命素操作】によって、彼らの進化を1秒でも早く完遂させるための促進を始める。この策の鍵が彼らにかかっており、そのために地上での互いの拠点を巡る攻防と駆け引きを副脳蟲どもに押し付けたのであった。
――そしてその時間を稼ぐための指令も、既に"名付き"達に下している。
その中心となるのは、ベータとイプシロン、そしてゼータだ。螺旋獣のアルファ、デルタと切裂き蛇のイオータが派手に暴れてくれた分、彼らの特性はまだ見せていないこちらの奥の手として印象付けられるだろう。
ただ、それでも時間をかければかけるほどリッケルは領域を増やし、迷宮経済を強化させ、眷属の数を増やしていって俺の戦力では抑えきれなくなるだろうが――ここはまだ我慢比べである。
奴が盤面をひっくり返すことを狙っているならば、俺もまたなのだから。
問題はどちらがその絵図を押し付けることができるか、である。どちらが相手をよく観察し、己をよく知った上で、真に裏を掻くことができるか。
「さぁ、楽しいイタチごっこを始めようじゃないか、【樹木使い】。楽しんで楽しんで、羽目を外してくれ」
***
主たる【樹木使い】リッケルの"暴走"にアイシュヴァークは頭を抱えつつも、雑草を取り払い、むき出しの土の上に拡がった『信号苔』達が描き出す「地図」を凝視した。
円餅が北側に一口齧られたような形をした、この最果ての島に構築した拠点は現在5つであり、それぞれの拠点は間隔を空けて構築したものである。言うまでもなく、それは対峙する郷爵たる迷宮領主の戦力を分散させることを狙ったものであり――『生まれ落ちる果樹園』で加速し始めた"迷宮経済"の生産力を背景として、森に次々に送り込んだたわみし偽獣達の情報を総合したものである。
『信号苔』は、その苔の身体を様々な"色"に変えるだけの樹木型眷属であったが、その重要な特徴として、雄株と雌株が共鳴し合い、ある程度の距離内で「同じ色」になることができる、という性質を有していた。
これを利用して、アイシュヴァークがまず優先したのは、偽獣や生き残っていた宿り木樹精を利用した地形把握である。例えば開けた地点は「黄色」、水源は「青」、といった具合に『信号苔』に行わせる発色ごとにあらかじめ意味するものを定めておき、雄株を偽獣達によって島の各所に放って地形を確認させ、そこから【木の葉の騒めき】によって『信号苔』に色を変化させていたのである。
そのように形成された、おおよそ3メートル四方の"色とりどりなる苔の地図"がアイシュヴァークの足元には広がっている。そしてその上に、家具喰らいの"零落種"である『駒喰らい』達が、双方の"基本種"や"派生種"、"上位種"などのデフォルメされた形態を象った姿形に变化し――さも、盤上遊戯の如く、【樹木使い】と最果ての島の「新人」の手勢の大雑把な位置を現していた。
《ううむ、やはりそのまま引きこもる……ということはしてくれないか。だが、恐るべき反応速度だ。本当に郷爵なのか? リューミナス、偽獣の型:狼を追加で20、型:鳥を10、いや、こっちも20。それと槍持ち茨兵を40だ》
ただし、それが実際の対戦用の遊戯盤とは異なるのは、迷宮領主の能力による「戦図」としては比較的よくあるタイプではあるが――『駒』もまた眷属である以上、自らの意思と、そして指揮者の指令に応じて動いてくれることである。
駒喰らい達の動きを眺めながら、アイシュヴァークは必死に頭脳を集中させ、戦術指揮を統括していた。
《――ッ! 2号拠点に襲撃、戦力は……"基本種"20程度の編成か。いや、「豪腕」が混じってるのか? 仕方がない、小隊08と09、それから12も急行しろ。宿り木樹精は"苔運び"を守れ、破壊されたら少しでも多くの残骸を2号拠点に放り込め。そうすると地点2-5が調べられるな……中隊06、威力偵察しろ。そこが臭いな、"出入り口"がありそうだ》
アイシュヴァークがその表情を一喜一憂させ、爪を――枝と蔓と根で構成された『樹人』の指先を――長年の癖で強く噛む。
【疵に枝垂れる傷みの巣】の精鋭集団であった『枝魂兵団』の幕僚団の一人として、テルミト伯や【蟲使い】などとの戦いでもリッケルを補佐して日夜胃に穴を開け、爪の噛み過ぎでしまいには「赤い指」などというあだ名をつけられていた彼であったが、戦術指揮を任せられるだけあり、その集中力は他の従徒達からも信頼されたものである。
《あ、アイシュヴァーク殿、新たな『母たる梢』ができました! 装填する強化は、当初予定通りに経済強化方向で良いでしょうか……?》
《……それはリッケル様に確認しなければ。リッケル様、"梢"の2本目が成樹しました。強化はどうしましょうか? 長期戦ならば経済強化ですが、この状況ですと偽獣達の脚力を高めた方が――……――ダメだリューミナス、リッケル様はお忙しい。念の為聞くが、3本目ができるのはいつになる?》
《は、はい。思ったよりも――敵方の【領域】の吸いが強烈です、競り勝つにはまだ時間がかかるので、ええっと、半日はかかります》
《そうか、それならやはり"占領"と調査を優先した方がいいな。思った以上に好戦的だから、偽獣の直接強化が役立つだろう。リッケル様には事後報告しておくから【脚力強化:偽獣】で処理しておけ》
【樹木使い】に仕える精鋭として、最も最近『枝魂兵団』の末席に加わったばかりのリューミナスは、未だ頼りない。一兵卒としては優れた使い手であり、堅実な兵でもあったが――"指揮"を完全に仕込む前に、この最果ての島への侵攻が決まっていた。
兵站管理の鬼であるウリュアルがこの場にいてくれれば、とアイシュヴァークは思案するが、彼女が"大陸"側の本拠地に残されてきた意味がわからぬ彼ではない。リューミナスが進める"迷宮経済"の構築に時々注意と指示を与えながら、"苔の地図"の上を中央に突き進み、「泉」と「果樹林」の付近でうろついているであろう、リッケルを表すにやついた長髪の『駒』をじろりと見て、アイシュヴァークはため息をついた。
狙ってくれと言わんばかりの、まさかの大将による陽動を兼ねた"探しもの探し"である。
襲撃に備えて中隊を2つと小隊を3つ張り付かせていたが――リューミナスが全力で追加の兵力を生産している最中、被害もまた決して少なくはなかった。
つい先ほど、自身がぼやいた通り、「新人」の反応速度が異常と言えるレベルであったからである。
2号拠点の襲撃への救援に偽獣の3小隊を差し向けたかと思うや、数分、いや、数十秒も経たぬうちにその3小隊がいたはずの場所に2体か3体1組の"小集団"が現れる。そしてそこに蒔いていった『種』を『信号苔』ごと刈り取っていくのである。
『信号苔』は、地形把握のためのものなので最悪狩られてもよかったが、その他の『種』は敵の機動力を削ぐための槍持ち茨兵を障害物として仕込む目的のものであったが、どれだけ巧妙に隠し、また可能な限り分散させて植えても摘み取られてしまう。
それだけではなく「蛇型」の監視役兼暗殺役の魔獣が神出鬼没で現れ、わずかでも偽獣が1体か2体で孤立しようものならば即座に狩られてしまうのである。
意趣返しに同じことをしようと一度だけ試したが――敵の分隊規模を包囲して潰したと思いきや、それが撒き餌となって中隊を1つ殲滅されてからは、アイシュヴァークはたとえ翻弄されようとも、徹底して相手よりも数が少ない分隊は逃がすようにしている。しかし、そうしたらそうしたで"追い回す"のに最小限の戦力を即座に見切られ、余剰戦力を各拠点の襲撃に回される始末。
ついには海中側の調整で忙しいケッセレイにも応援を頼んで対抗するアイシュヴァークであったが、下手をすると分隊ですら周囲の連携がおろそかになった途端によってたかって引き裂かれる。
『生まれ落ちる果樹園』から次々に増援を生み出して送り込んでおり、わずかに"削り"を上回って少しずつ軍量は増強されているはずにも関わらず、一向にわずかでも休まる瞬間は訪れなかった。アイシュヴァークも、ケッセレイも、戦術指揮での集中力を途切れさせることができない瞬間が何時間も継続していた。
《いかん、アイシュヴァーク! 3号拠点に"ねじれ"どもが来ているぞ!》
《ええい、またか! 中隊01、02は急行しろ! 3号拠点内のものは――仕方ない、虚獣化しろ。狼分隊01から03は"樹上の道"からの奇襲を防げ!》
『信号苔』と駒喰らいによる「盤面」の更新は全く追いついていなかったのである。仮に郷爵に過ぎない「新人」が、早々に【眷属心話】か、あるいは迷宮領主としての「固有の通信手段」に目覚めていたとしても、ここまで的確に、かつ細かくそれこそ島中の眷属の1体1体に至るレベルで押し引き駆け引く能力は尋常のものとは言えなかった。
《焦るな、アイシュヴァーク。今は耐えて軍量を積んでいくしかない。『生まれ落ちる果樹園』が落とされない限りは、いずれ逆転できる……リューミナス、お前にかかっているのだぞ》
斯くして【エイリアン使い】オーマによる荒らし合戦の宣言より半日。
『魂宿る擬人』による"樹身"となった【樹木使い】リッケル麾下の従徒3人は、もはや当初のリッケルから指示された「役割分担」などあまり関係ない状態で互いに寄り添い、額を突き合わせ、情報を交換しあいながら地上部森林への浸透とエイリアン達への対抗を行っていた。
情報伝達の確実性という意味では、枯れ葉がこすれ合うような"掠れ"が入り交じる【木の葉の騒めき】よりも【眷属心話】を活用したかった3人ではある。
しかし、あらゆる迷宮領主の基本的な力として与えられている【眷属心話】は、便利で強力である分、相性によっては極端な弱点ともなりやすい。
例えば、テルミト伯は【人体使い】として「読唇術」といった簡単なものから「読心術」や、果ては直接「頭脳」から思考を読み取る技術を有している。また【傀儡使い】や【死霊使い】なども、異なる独自の技術・技能によってではあるが、人型の生物から思考や記憶を抜き取る技を競っていることをリッケルはよくよく承知しており――たとえ誕生したての郷爵ではあっても、敵地で安易に【眷属心話】を使うことを禁じていた。
《"母たる梢"には――幸いだな、まだ気づかれていないか、流石に。3本目は予定通り『魔素吸い花』と『命素汲み花』の強化にあてておけ》
《わかりました。私も痛感しましたが……非常識な対応速度ですね、まるで全てが一つに繋がっている"集合知性"であるかのような》
《"強化種"はまだ運用していないのだろう。"母たる梢"さえ増やしていければ、質でも圧倒していくことはできるのだが……くそ、また襲撃か! "出入り口"付近にはよほど長居させたくないようだな!》
最果ての島地上部森林を舞台とした攻防と駆け引きは、各所での遭遇戦の無限の連鎖という形で、終わる気配を見せようとしなかった。
既に、侵攻の初期に忍び込ませていた宿り木樹勢は全滅している。【エイリアン使い】の"基本種"たる走狗蟲を副脳蟲達が自ら1体ずつ同調し、連携して共鳴しており――アイシュヴァークが『信号苔』を島中に配置していたのと同じ頃には、島中の樹という樹が検分されたのである。
そして、そうした双方の動きを皮切りとして「いたちごっこ」は島中に及んでいた。
数十に登る走狗蟲から成る『遊撃班』が、まるで追い込み漁のように複雑な連携で【樹木使い】側の分隊や小隊を追い込めば、その隙を突いて、3従徒は島内の各所の地下への"出入り口"の周囲を固めようとする。しかしそれ自体を釣り餌として戦線獣や遊拐小鳥といった混合部隊が包囲襲撃するが、ならばその戦力を捨て石にと3従徒は『北の入江』で構築する"迷宮経済"の【領域】をじわじわと広げていく。
しかしそれを察知するや、食い止め、踏み荒らして押し戻すべく、螺旋獣のアルファやデルタが伴を率いて突撃してくるため、3従徒はやむなく撓れる虚獣を投入して時間稼ぎを行い、また自ら武具喰らいを『攻城弩』に変じて迎撃して追い返す。
そのような攻防が、既に半日以上、数え上げる数十と続いていたのであった。
――精神的なものはともかく、樹木の身体であることから、肉体的な疲労をあまり感じないことを喜ぶべきか悲しむべきか。そのどちらも暇が無い、という状態の中で、3従徒は黙々と守勢に徹し、兵力を確実に増やしていた。
《"出入り口"が多すぎる! 封鎖しても封鎖してもキリが無い。しかもこいつら、なんとなれば地面を崩落させて新しい"出入り口"まで作り出す始末だ!》
《"根"で固めたいが――副伯様からは、それはまだやるな、とのご指示があるからな。今は牽制以上のことはできん》
ただし3従徒とて、常に守りに徹していた、というわけでもなかった。
『9氏族陥落』作戦の折、島の各地を地下の迷宮洞窟と繋げるために、オーマは副脳蟲達に命じて『環状迷路』を形成させていたが――その"出入り口"は今や"苔の地図"の上に明るい白灰色で網羅されている。
島内の探索と地形把握のために展開されていたたわみし偽獣の各分隊は、迎撃と守備のための遊撃の戦力に加わっており、侵攻路の確保の動きを見せる、という形での圧力も加えていた。
特に、オーマが地上部にも【領域】を広げて"迷宮経済"を構築していたことはアイシュヴァーク達の察知するところとなり、収入を"削る"ためだけに『魔素吸い花』と『命素汲み花』を直接樹体に植えた偽獣の部隊が新たにリューミナスに生産指示されて送り込まれるようになったのである。
《よし、いくらなんでもこれは無視できなかったようだな……ケッセレイ、次はどうしたらいいと思う?》
《宿り木樹精の生き残りをもう一度、森の中に送り込むのはどうだ? いや、生き残りだけでいい。もう一度、あれらが浸透してきた、と思わせるだけで嫌がらせになるだろう》
《それもそうだな……"木を数える仕事"を馬鹿正直にやり遂げる奴がいるとは思わなかったが、この不毛な泥仕合のお礼にはちょうどいいな》
攻守入れ替わり、また時には互いの拠点や兵力に対する荒らしの試みがニアミスして、クロスカウンターの形を取る。
オーマもまた、副脳蟲達からの生産要請に応じて、送り込まれる幼蟲や走狗蟲への【因子の注入】のみ片手間に行い――相争う迷宮領主同士、"迷宮経済"のシステムの中で互いに戦力の補充を行っていく。
かと思えば、【エイリアン使い】側はぱったりと襲撃を止め、まるで死んだようにその気配を森の中、地下の拠点に隠したかのように気配を消す。
その意図を探ろうと、また焦らせることを目的として、ケッセレイが海岸側に構築した「拠点」をわざと活性化させ、なるべく見た目が派手に映るように偽獣や家具喰らいを見せつけるが――直後、『樹冠回廊』に侵入していた偽獣の一団が襲撃され、アイシュヴァークが怒りに苛立つ叫びを上げる。
恐るべきことであるが、駆け引きの中でアイシュヴァークとケッセレイ、そしてリューミナスが分担して戦術指揮を取っていること――しかもどの分隊が誰の指揮下であるか――が看破されつつある。3従徒はその可能性に思い当たり、戦慄する。
そして実際に、副脳蟲達はアイシュヴァークやケッセレイ自身すら気付いていない、兵を運用する上での"癖"まで「きゅぴきゅぴ会議」によって見抜いていたのである。
次にどこを狙うか、どこを狙わせるかという点において、双方共に操作量の限りを駆使しての駆け引きと読み合いを戦わせていたが――指揮者同士のわずかな戦術の差異を、強引に連携の乱れに持っていかれる形で再び"削り"が"補充"を上回りかけようとしていた。





