0059 樹人達の評定[視点:狂樹]
なんとか予定通り"森"の奥へ撤退させ、地下に広がっているであろう迷宮の領域に防衛線を張らせる選択をさせることができた。
『魔法の火』による"壁"を作り出して、一目散にかつ整然と撤退していく「新人」の軍勢、異形の魔獣の群れを見送りながらリッケルは一つ安堵する。しかし同時に、いくつもの懸念が生じたこと、"試練"が想像を遥かに越えたものであると明らかになったことに対して、苦悩とも不敵ともつかない表情を浮かべてくつくつと笑った。
《何もかも対応が早いね、あの新人君は。予定より数日早く『網脈の種子』に気づかれたおかげで、『宿り木樹精』達の浸透が不十分だったし、『武具喰らい』の「蒸水の船」の型まで見せる羽目になった》
【樹木使い】リッケルが狙っていたのは速攻であった。
"樹木系"の魔獣の使役にその権能を縛られた自分を相手取るにあたり、おそらくは、100人の迷宮領主に聞けば90人は【火】攻めを狙うだろう。テルミト伯の"助言"もまたそのことを前提としたものである。
だが、その故に"樹木系"の魔獣を眷属として使役する者こそ、【火】への対策を第一に考えねば生き延びることはできない。
《「新人」と侮っていたようだね。慢心、慢心をしてはいけないね、リーデロット。僕はいささか、足元を疎かにしすぎていたようだ》
テルミト伯の元から「新人」の元へ降っている可能性があった【火】の竜人の存在を意識し、また自分が"樹木系"であることを前面に見せつけたリッケルが取った策とは、先だってオーマに対して披露したように「海水」を丸ごと雨の如く滝の如く降らせることによる即時の"鎮火"であった。
だが、それはもっと自分が"森"の深くまで侵入してから実行する計画であった。
地上部を侵食され、制圧される中で――そうだ、相手は【火】に弱い"樹木"に過ぎないではないか、ならば一気に焼き尽くしてしまえば逆転ができる――と、自ら気づかせて【火】と共に攻勢に討って出るという賭けを行わせる。
そしてそれを待ち構えて打ち砕くことで主力を壊滅させ、抵抗の意思を挫き、その上で速やかに【領域戦】によって文字通り魔素も命素も吸い付くし奪い尽くして干上がらせる計画であったのだ。
《ですが、リッケル様。我らの橋頭堡を落とされていたならまだしも……尻尾を巻いて撤退していきました。このまま、定石通りに我らの【領域】を広げていけば、時間をかければ競り勝てるのではありませんか?》
『生まれ落ちる果樹園』の深部。
家具喰らい達がわらわらと集まり、長卓やら椅子やらを象って構築された即席の施設『臨時会議室』にて、『枝魂兵団』改め『樹身兵団』を構成する、新たなる肉体を得た従徒が口を開く。
実際、彼――アイシュヴァークの言う通りでもあった。
この「新人」を相手にすることだけを考えれば、このままこの島の入江を軒先として強引に居座り、いずれは母屋まで文字通り"根"を伸ばして干上がらせることも可能であろう。それこそが【樹木使い】の強みでもある。
《アイシュヴァーク君。"試練"は新たな"試練"を呼ぶものだと教えたはずだよ、僕らは――"先"を見据えなければいけない》
《【人体使い】ですな、副伯様》
『臨時会議室』の長卓を囲む3人目である、古参の従徒たるケッセレイが葉と花と新芽と根毛で形成された樹人の顔面を歪め、渋い表情を作り出す。あれだけ抵抗していたというのに、もう馴染んでいるのだから、伊達に自分に長く仕えてきた男ではないなとリッケルは満足そうに笑みを浮かべる。
《そうだとも、ケッセレイ君。みんな、改めて共有しておこうか。そもそも"大陸"からこんな最果ての島くんだりまで、海中を『網脈の種子』で繋ぐだなんて馬鹿げた策が実現できてしまったのは、なぜだかわかるかい?》
《……副伯様。この中では、おそらく当時からお仕えしていたのは私だけであったかと》
《あれ? そうだったんだ、アイシュヴァーク君は知ってるかと思っていたんだけど? まぁいいか。リューミナス君、震えていないでちゃんと聞いておくれ。そもそもだね――》
リーデロットの非業を知り、彼女を救うためにリッケルはテルミト伯に対して反旗を翻した。そこには【闇世】のあらゆる陰謀の黒幕とも噂される怪人【鉄使い】と、ハルラーシ回廊の諸『自治都市』を巡る【幻獣使い】グエスベェレ大公の思惑が絡み合っていた。
だが、結論から言えば、リッケルはテルミト伯に対して防衛戦と遅滞戦術、引延しに何年も徹した"時間稼ぎ"に勤しんでいた。
実際に正面から戦おうと思ったならば【鎖れる肉の数珠れ城】にも攻め込むことができるほどの「支援」をグエスベェレ大公からは受けていたが――リッケルは、大公から高い利子で貸し与えられた魔素と命素のほとんど全てを「海中」に投じていたのである。
他種強化型の眷属である『全ての種子達の母たる梢』の能力により、『網脈の種子』に【海水耐性】を付与。【人体使い】の目を盗み、彼のライバルである【傀儡使い】と取引を行い、沿岸自治都市『潮幽霊のアモアス』から最果ての島に至る"定期便"に『網脈の種子』を忍び込ませ。
オーマがシースーアへ迷い込む、その何年も何年も前から、既に「海中」に"根"を張り巡らせていたのである。
《な、何のためにそのような……大掛かりな仕掛けを?》
《無論、力を得るためだよ、リューミナス君。"若"達や僕のような「新興の世代」が、雲上の方々に仕えずに新しい迷宮を切り開く領域なんて……今の【闇世】にはどれだけ残されているか、知っているのかな?》
"初代"界巫の敗死後に、【黒き神】がそうあることを望んだために【闇世】は戦国の世にある。
しかし、大勢力としての5大公の存在は圧倒的であった。
特に「全ての空と海」には粛清者としてその目を光らせる【気象使い】が君臨し、そして"大陸"の東部には「放牧地」として広大な領域を支配する貪欲にして貪食なる【美食使い】が、また西部にはその迷宮の特性から例外的に数多の「都市」や「集落」を支配下に置く【幻獣使い】が覇を競う。
そしてそのような勢力図の間隙を埋めるように、他の公爵から侯爵に至る迷宮領主達が割拠する中――通常の領域しか持てぬ中下級の迷宮領主達は、狭い領域を巡って争うか、有力者の従属爵となるか、またはテルミト伯達"励界派"のように連合を組むしかない。
リッケルもまた、当初はグエスベェレ大公より従属爵となるよう提案されていたのである。
だが、彼はそれを断り、より大きなリスクを負う「借金」という形で、残虐なる支配者たるグエスベェレ大公からの"支援"を受け取る道を選んだ。
《なぜならば、リーデロットの行方がこの最果ての島だとわかったからだ――彼女が、彼女が乗り越えた"試練"とその"報酬"が待つこの島こそ、僕の"試練"の地だからだ。ここを僕の領域となすこと、それが第一の目的だ……"若"に気づかれずにね》
《し、しかし……私達の"肉体"は今も元の迷宮で眠ったままです。それを【人体使い】に気づかれてしまったら――》
《それがアイシュヴァーク君の疑問への答えだよ、リューミナス君。故に僕達は、あの「新人」君を早期に、速攻で、短期決戦によって、倒すか屈服させないといけないのだよ》
古参であるケッセレイを除く2名の『樹人』が、沈痛な表情を浮かべて息を飲み込む。
片方は天を仰ぎ、もう片方はそのまま本当の樹木にでもなったかのように固まってしまう。
《……動じるな、若造どもが。副伯様は勝算が無いわけではない。何のために、わざわざ繋げたか、考えてみろ》
ただ単に古巣を捨て、グエスベェレ大公からの「借款」を一方通行で送るだけであれば、最果ての島への到達はもう1年か2年は早められただろう。
しかしリッケルはあえて、最果ての島とハルラーシ南南西の海岸――テルミト伯の居城を臨む地点――を繋ぐ「道」を残していた。
ケッセレイの出したヒントの意味を悟り、アイシュヴァークが驚愕に表情を染める。
《この島から【数珠れ城】への大返しを……まさか、リッケル様は、狙っているのですか》
《だからカルスポーのみんなにも発破をかけたんじゃないか。"若"は今、僕の迷宮の戦力が落ちているこの好機を絶対に逃さない。このままだと【蟲使い】ワーウェール君に、つまりグエスベェレ大公閣下にカルスポーが取られるからだ。名目上は、降った僕を保護するとかなんとか、そういう口実で攻め込んでくるだろうねぇ。残してきた彼らにも"試練"が訪れる》
そこを背後から。
この島の「新人君」に対して敢行したのと同じように。
最果ての島を制圧して己の【領域】と化して吸い上げた魔素と命素を一気に、海中に構築した『道』を逆方向に送ってあちら側の海岸に『生まれ落ちる果樹園』を生み出して、【鎖れる肉の数珠れ城】への直接的な奇襲を仕掛ける。
それこそが、リッケルが数年をかけて描いた戦略であり絵図であった。
そのために、慎重に慎重に、忍耐に忍耐を重ね、何年も何年もの時間をかけて『網脈の種子』による魔素と命素の「道」を海中に作り上げてきたのである。
テルミト伯が最果ての島の「新人」の撃破を自分に命じたのは、渡りに船であるに過ぎなかった。
《だから、ここで長期戦に陥るのは戦略的には僕達の敗北ってことなのさ。まぁ開き直って元の体を今捨ててこの島をじっくり制圧してもいいんだけれど……それでは"大陸"に戻れなくなるからね。『生きている樹海』の再誕は、別に方便ってだけじゃない。僕の目標であり、求める"報酬"の一つというのは、真実だよ――ウリュアル君からもなんとしても帰ってきてくれって言われてしまったしねぇ。拾った時から変わらない、困った子だよあの子はほんと》
《……ウリュアルは、副伯様を慕っておりますからな》
既に副伯であるリッケルが最果ての島を制し、その迷宮核の力を取り込んだ場合、テルミト伯が忠告したように彼は伯爵への昇格条件を満たす。
そしてその状態で"大陸"へ帰還すべく多頭竜蛇と正面からやり合えば――【気象使い】の粛清リストに自らの名を刻むこととなる。かといって時間をかけて再び、一から、最果ての島から大陸へ『網脈の種子』を伸ばしていては、グエスベェレ大公によって定められた「取り立て期日」に間に合わない。
【エイリアン使い】オーマの出現は、その意味においてテルミト伯にとっても、そして【樹木使い】リッケルにとっても正しく想定外の撹乱要因であった。
特に、従属爵となることを断って己の存在を"賭け金"としなければならなかったリッケルにとって、最果ての島の「新人」は排除すべき邪魔な石であり、速やかに打倒しなければならない存在であったのである。
《だからね、ケッセレイ君。"水棲型"の「偽獣」達の準備をしておいてね》
《副伯様。【鉄使い】からの言伝てで、多頭竜蛇は……我らとこの島の迷宮領主を争わせるつもりではないか、とおっしゃっていたかと思いますが?》
《これはね、僕の人生においても恐らく最大の"試練"だ。少なくとも空前だ、絶後になるかどうかは知らないけれど。あの「新人君」は手強く、そして聡いよ。見たかい彼の眷属達を。"若"があそこまで感情を露わにするわけだ――「蒸水の船」を見せた以上、彼は僕の海中での狙いに気づく可能性がある。その阻止を邪魔しなければならない。君が懸念している多頭竜蛇の刺激というリスクを負ってでもね》
リッケルの判断に、古参従徒ケッセレイが再び樹人の顔で渋面を作って腕を組み、ようやく驚愕から平常心を取り戻したアイシュヴァークと、未だに青い顔――『樹人』同士であるためその表情がよくわかる――をしているリューミナスを交互に見やる。
『枝魂兵団』のうち、この体に適合したのは、わずかに彼ら3人だけであった。
最も、副伯リッケルの根拠である【疵に枝垂れる傷みの巣】の防衛のための戦力を残さなければならないため、他の仲間達を再度の"実験"に晒さぬようなんとかリッケルを説得する材料とすることはできたのであったが。
《【根ノ城】で正攻法からの"短期決戦"もやろうと思えばできましょうが……我々が"焼き討ち"を誘っていることがバレているならば、相手は意地でもそれはやらないかもしれませんな。そうなると、地上の森を舞台にした泥沼の泥仕合か……》
『臨時会議室』での議論は、従徒達によってより具体的なものに移り始める。
彼らは対峙した異形の魔獣――オーマのエイリアン達について、それぞれの見解を述べ始める。緒戦の中で観察された相手側の魔獣の特徴や性質、生態、能力やその差異を整理し、それをこちら側の手勢でどのように対処するのが効率的であるか意見を戦わせ始める。
必要に応じて「新たな種」を生み出すか、または「新たな特性」を眷属全体に付与することも選択肢に登ったが――そうした迷宮全体の"調整"は自由に行うことができるものではない。不測の事態への備えとして、多少の"余力"を擁した状態での上陸戦ではあったが、誰もが"異形なる生命"と言っても過言ではない、その異様にして異貌なる魔獣達の底知れなさを警戒していた。
《宿り木樹精は陽動にしか使えない》
《森にあとどれだけ潜んでいるか? と疑心暗鬼にさせるには役立つのでは?》
《【相性戦】の不利が過ぎる。"基本種"数体にやられるようではコストに見合わない》
《やはり絶叫根精を中心に【枝獣の種子核】を調整し直しては……》
《動きを止めても決定力が足りない。上位種の足は止められない以上、蹂躙されるのが落ちだ》
《脆弱な飛行戦力を突くのはどうだ。念願の「飛行型」が量産できるようになった》
《木々が高すぎるこの地では、あの"基本種"どもに有利は取りにくいのでは》
《虚獣ならば上位種以外は踏み躙れる。上位種どもをどう食い止めるか》
《数は多くは無いはずです。素早い型の偽獣を増やして、速度差で出血を蓄積させるのは》
《せめてもう数日間、魔素と命素を貯めておければ……相手の警戒網がなかなか敏感だ。今からでは、どうやっても五月雨式になってしまうので、ジリ貧か》
肘をつき、顔の前で手を組んで配下達の議論にじっと耳を傾けていたリッケルであったが、議論の煮詰まりを感じて声を発する。
《まぁ、そのジリ貧をやるしかないんだけどね。だって「新人」君に対しては――僕らは"長期戦の有利"を狙って、じわじわと押し潰そうとしているように見せないといけないからね。短期決戦を狙ってるってバレたら、一か八か、主力結集してまた攻めてくる。それだとまずいんだ、今、戦力の浪費を覚悟するのは分の悪い賭けだ。あと1日か2日もすれば、怒り狂った"若"の目玉達が、いつすっ飛んできたっておかしくないからねぇ――そういう方針でよろしく頼むよ、諸君》
【若き樹海の創世】により『生まれ落ちる果樹園』を北の入江に生み出す寸前。
リッケルは、テルミト伯からの「監視要員」は多頭竜蛇による"船団破壊"の最中に事故に見せかけてまとめて圧死させていた。そして本格的に最果ての島の「新人」との戦いが始まった、として追加の増援を理屈を捏ねて部下から断らせている。
【人体使い】はカルスポーを巡る【蟲使い】との【情報戦】を激化させるだろうが、必ず、しばらくすれば独自に"耳目"を送り込んでくるだろう。その際に、派手に戦力を消耗した姿を見られるわけにはいかなかったのだ。
《地上の森での駆け引きはアイシュヴァーク君に任せたよ、どうか真綿で首を絞めるようにじわじわと圧殺する風を装って、注意力と集中力を惹きつけてくれ。僕らの本命は"海中"だし、どうせ気づかれてる、そっちは頼んだよケッセレイ君――となると、リューミナス君は"経済"と「領域戦」の方を担ってもらうことになるね。ここで一気に力を手に入れないといけないのは、どの道でも変わらないからね》
《了解しました。ですが、その……リッケル様は、どうされるのでしょうか?》
『兵団』の最新人にして、この会議の場でも最も口数の少なかった女性の従徒リューミナスが主の意向を問う。
それに対して、リッケルは喜色を深める。彼にとっては、想定外の事態が想定よりも多いこと自体が"試練"をより強く実感できることであったからだ。
――いっそ、試練に押し潰されて滅んでしまうことすらも、喜んで受け止めてしまうのではないか。そんな不安がリューミナスだけでなく、他の2人の表情に陰を差す。
果たして、リッケルはますます人間味豊かな笑みを深め、当然のことであるように口を開く。
《リーデロットの生きた証を隅から隅まで探すに決まってるじゃないか。できたら"息子"君と話とか色々したいんだけれど――さて、彼の主がそれを許してくれるかどうか。まぁ君達がいてくれるから、僕はちょっとばかし自由にやらせてもらうよ。アイシュヴァーク君には苦労をかけるけれど、まぁ一緒に頑張ろうか》
短期決戦の意図を隠し、長期戦を警戒させつつ相手に我慢比べを強いてその足元を掬う、という戦術方針を共有したばかりである。にも関わらず、その前提を崩すかのように、相手を挑発して主力決戦を呼び込みかねない行為をすると平然と宣言したリッケル。
それを聞いた3人の表情――同胞達が"廃人"と成り果て、一足先に「森の礎」となっていった姿を隣で見ていることに耐えながらも、運良く『樹人』となることができ、そしてここまで付き従わされることとなった3人の従徒の表情の変化には――"試練"に焦がれる【樹木使い】は、ついぞ気づかないのであった。





