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0048 血縁と紫色の暗闇[視点:マ■■]

※回想回

 夢を見た。

 微睡みの中で、俺は、今は遠い在りし日に戻っていた。

 久しぶりに、元の自分に戻ったかのような、あるいはかつてそうだった己を思い出したかのような、そんな心地であった。


   ***


 大学一回生の夏。

 所属している『サークル』のたまり場となっている、本校舎から10分歩いた距離のラウンジの2階で、俺は✕✕✕先輩と話をしていた。


「――つまり血縁資(クローニー=)本主義(キャピタリズム)が問題だ。単純化された若者対老人という話じゃあないし、かといっていわゆる"貴族"対"平民"、最近の流行りだと"上流国民"対"下流国民"というような構図でもない」


「血縁資本主義、ですか。先輩、それは自分は初めて聞いた言葉です」


「単なる『家族企業』ともちょっと違う。ここで言う"血縁"は生物学的な意味から少しだけ拡がっていて、利益集団とか利益団体に寄っている言葉だ」


「既得権益、てことですか。でも、それをあえて"血縁"と表現する心とは?」


「自己保存性と、強いていうなら半閉鎖的な継承志向ってところだな」


 腕組みをし、ラウンジの窓側の(へり)の上にどっかと胡座をかいた✕✕✕先輩は、この日は(・・・・)流石に和服に下駄という姿ではなかった。四回生であり、当時の俺から見たらずっと年上であるところの先輩は、この日はスーツ姿であり大きな鞄を抱えており、就職活動の帰りにラウンジに寄ってくれたのであった。


 ――ちょうど、新入生の歓迎コンパにスーツ姿でやってきた時のように。

 新入生の振りをして混じっていた時に、他の同級生達や、きっと今後の人生で同期として関わりが深まっていくであろう、そうであったはずの者達を放っておいて、2次会までずっと1対1(サシ)で話し続けた時以来のスーツ姿であった。

 その後、すぐに✕✕✕先輩は就活へ向かい、あまり話を聞くことができない日が続いていた。

 この日はその意味では、久しぶりに先輩と語らうことができる、良い時間だった。


 話の発端は、背伸びした聞きかじりの知識で、俺が「シルバー民主主義」だとか「デーメニ投票」だとか、そういう話を先輩に投げかけたことであった。

 特段、その話自体に意味があったわけではないし、何か特別な信条だとか特殊な教育を受けただとか、そういうこだわりがあったわけでもない。ただ、俺は小さい頃から周りの同世代と比べて、少しだけ、自分を取り巻く物事とその中での自分自身に関して悩む(・・)時間が多かった。


 ラウンジの片隅。

 四回生の先輩方の中でも一目置かれてはいる✕✕✕先輩だったが、彼に話しかけようとする新入生は他にはいない。

 一人っ子であり、ずっと"兄"のような存在がほしかったと思う俺にとって――大学生にもなって今更、世の中のことや、人間のことや、悩みと迷いのことに、正面から黙考即答して「視点」を与えてくれる先輩は、まさに"兄"とも"師"とも慕う存在となっていた。


 きっと、あの時の俺は、さながら、幼き日に蟻の行列をじっと見つめていた時のような一心不乱さであったろう。そして目の前には、俺が押さえ続けてきた、ずっと解き放つことのできず溜め続けてきた、好奇心を受け止めてくれる、海のように深い不思議な眼差しを眼鏡の奥に秘めた人がいたのであった。


「家族の本質とは何だと思う? マ■■」


「……父が言うには『社会の最小単位』。生計をともにして一緒に暮らす共同体」


「硬いな、もっと気楽に考えろ。家族がしてくれて他人がしてくれないことはなんだ?」


 そう言って先輩は、普段は寡黙でごく薄く微笑むような表情をニっと笑わせ、人差し指と親指で輪っかを作って見せてくれるのであった。


「お小遣いですか? つまり、金の関係てこと?」


「金を"財産"と言い換えてみろ。お前の来歴(・・)は、聞いている――親御さんは途方もない苦労をしただろうことは、俺にも想像がつく。お前の気持ちがどうあれ、な」


 ――だから親に感謝しろ、と物事をよく知らない人はこれまで言い続けてきた。

 一瞬だけ、先輩もそうなのかなという不安が頭をよぎったが、それは単なる杞憂であった。


「自分の作り上げた"財産"を、子孫に、そして家族に引き継いでいく。引き渡していく……そうではないパターンは今は置いておけ。少なくとも一般的(・・・)には、それが当たり前の価値観として、大昔から連綿と受け継がれてきた人間の習性の一つだ」


 そして、と人差し指を眼の前で立てた✕✕✕先輩の目がすうっと細くなる。

 いつの間にか、その言葉には真剣が抜き放たれる寸前のような緊張が宿っていた。


「分け与え、分かち合う……自分が与える側であれ、奪う側であれ、な。そうして、同じ蔵の中身を共有するのが"家族"だ。そして、それを横取りしようとするのが他人であり、その他人に対して一致団結して抵抗するのが"家族"の――基本的な(・・・・)習性だ。ここまではいいか?」


 先輩はあえて「家族」という表現を使っていた。そして一般的だとか、基本的だとかいう表現をそこに被せていることの真意は、きっとそこから最初の話題であった"血縁"という言葉につなげるためであろう。

 それは✕✕✕先輩の論法の癖であり――彼の如く在りたいと思った、俺が受け継いだ思考法のようなものだったかもしれない。から、俺は先輩の講釈に続きを促すため、こんなにも深く物事を考えている先輩が評価されていないことの理不尽(・・・)さを糾弾するかのような心地で、まるで出来の悪い生徒みたいにちょっとした皮肉を返す。


「すごく、麗しい理想の家族って感じですね。先輩は基本的って言いましたけれど……みんながそう在れば、世の中はずっともっと生きやすくなって、きっと息苦しくならないんでしょう」


 ――何度も家出をした身だった。

 ――何度も父母の親族同士を巻き込んだ争いから逃げるように、押入れの奥に隠れて息を止めて耳を塞ぐ、そんな日々だった。

 だが、そんな俺に先輩は、まるで全てを見透かすかのような意地悪な笑い顔を見せた。


「逆だよ。なまじ"財産"なんかで結束して、それを護ろうとするから、お互いに殺し合う凄惨な争いが家族間(・・・)で起きるようになる」


 それが血縁資(クローニー=)本主義(キャピタリズム)だ。

 先輩はそう言葉を締めた。


「"財産"の離合集散を巡って、複数の家族が争い、融合しつつ、内部ではお互いに憎み合いながらも――既得権益によって一蓮托生となっていく。それが"血縁"ということですか」


 先輩はそれ以上、何も言わずに曖昧な薄い微笑みを浮かべるのみであった。


「"家族"だからこそ、むしろお互いに憎み合うようになる、というわけですか」


 利益集団だとか、既得権益層だとか、先輩の言う「上流国民」という表現がある。

 彼らはまるで、制度の穴を突き、都合の良い立法を行って、多数の人々から搾取するかのようにワイドショーなどでは語られることも多いが――少なくとも✕✕✕先輩の"世界観"では少し違った。


 受け継がれてきた自分達の"財産"を守りつつも、しかし、その"血縁"の中で相喰らい相奪い合う壮絶な生存闘争が繰り広げられている。あまりにも、そのことに必死過ぎるがために、その外にいる「他人」にまで気にかける余裕が無い。

 ただ単に、それだけのことである、と言いたかったのだろう。


 家族思いであることが、巡りまわってその家族の中で相争うことに繋がり、それが蔓延することによって世の中もまた乱れていくのか。単純な二元論で世の中の問題を解決、理解しない方が良いだろう、という先輩からの教えである、とその時の俺は理解する。

 そんな一例に過ぎなかったのだ、と。

 先輩の「家族」について、あの時知ろうとしていれば、また運命は変わったのであろうか。


 ――そしてそこで運命が変わっていれば、あるいは。


   ***


 これはほんの一例に過ぎない。

 どちらかの主張が正しいだとか、そういうことではなくて、そんな俺と、在りし日の✕✕✕先輩の交流の一幕であった。

 俺にとって大切な思い出の一つである。

 先輩は、もうこの世にはいないのだから。


 ――だから。


「≪神だか何だか知らないが、これ以上、覗く(・・)のは止めてくれないか≫」


 ごぼごぼと血泡を吐くような自分自身の声と同時に、心話による声が重なり、他ならぬ俺自身の脳裏に響き渡る。

 怒りと、そして久しぶりに"兄"に会えた高揚が不敵な歓喜の感情となって渦巻いたのを自覚した瞬間。


 俺の視界にこびりつくように存在し、思考と記憶の中に巣食う染みのように"視ていた"何者か。

 よりにもよって、先輩の姿をしたそれ(・・・・・・)が、にわかに視界の外から、世界の外側から忍び寄ってきた【全き黒】によって侵食され、食い荒らされ、まるで八つ裂きにされるかのように、夜色の紫黒の中に掻き消え、色も、音も、気配も全てが溶け砕け解け散っていくのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後に覗かれているということで神が覗いてるのかと思ったら違うっぽい?人体使いが覗いてたのかな?
[良い点] これは回想でありながら回想でありませんね。 自己とは何かという痛みのある問いかけだと思いました。 書き過ぎかも知れませんが、情報の集積と処理のあり方が自己だとすれば、必要な部分だけコピーし…
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