0047 解き証すための投身
新たなるエイリアン=ファンガル種のその1。
『触肢茸』は、その名の通りに巨大な肉の触手である。
さながら、亥象の長鼻かクラーケンの触手を1本、そのままもぎとってそのまま地面に植わえたかしたような造型である。さりとて吸盤や体毛に覆われているわけではないが、表皮となる分厚い皮膚は硬質的でやや紫がかった灰色をしており、暗闇の中でじっとしていたら、悪趣味なオブジェにも見えなくはないだろう。
ただし、その硬質的な皮膚とは裏腹に『因子:強筋』の名に違わない強靭さと柔軟性を備えており、時折その動きに合わせて皮膚がひび割れ裂けている。そして、その内側からはピンク色の筋繊維の幾重にも幾重にも、まるでロープウェイの綱が鉄線を織り束ねた構造であることを思わせるような「筋肉の綱」とでも言うべきものが、触手全体でところどころ露出していた。
そしてその「力」もまた非常に強い。
少なくとも「持ち上げる」動作だけならば戦線獣に匹敵する膂力を発揮していたが――その秘密は触肢茸の「根」にあった。
先の植わえたという表現は比喩ではないのである。
労役蟲がエイリアン=ファンガル種の"胞化"する際に、その身を言わば「動物型」から「植物型」へ変態させる際に、周囲の空間から魔素と命素を吸入させるための肉の根を張り伸ばしていく。それは揺卵嚢や代胎嚢などでは、よりきめ細かく緻密に伸びていこうとしているようであり、わずかな床の亀裂に染み込むように細かく枝分かれしていき、主成分が「肉」であることを除けば、植物種との大きな生物学的な意味での収斂現象を思わせる。
だが、エイリアン=ファンガル種の「根」を収斂と呼ぶならば、対する触肢茸の場合はそこである種の「先祖返り」が起きていると言える。
真っ直ぐに伸ばせば1.5メートルには達するかという「筋肉の綱」たる"触肢"を支える胴体部分の"台座"から伸びた多数の「肉の根」は、むしろ撚り集まり、束ねられて癒合し、8本ほどの太めの根に集約されており――こちらも「筋肉の綱」ほどではなくとも「筋肉のロープ」程度の強度があり、ずるずると這いずるように歩くことができるのであった。
その歩みは遅い。
労役蟲とすら比べることはできず、噴酸蛆のもっそりのったりと這うような動きであるが――回転移動をするベータは例外――それよりも遅い。だが、そもそもが『施設』の役割を求められていたエイリアン=ファンガル種が、移動能力を維持していること自体が、戦術的戦略的意味のあることであった。
とりあえず、ぱっと思いつく役割は労役蟲に混ぜての土木作業員的な運用である。
要所に配置して侵入者を拘束する防衛戦力や罠、門番的な運用もできるが――労役蟲では運搬できない岩礫や倒木の類を排除することができるし、また、鍾乳洞の内部の急勾配の地形における「筋肉エレベーター」としての設置もまた適所ではないだろうか。
――触肢茸自体を複数体、お互いに絡み合わせてさらに強度を増せば、簡易的な「橋」すら掛けることもできるだろう。
土木作業員であると同時に自らが「土木工作物」になる存在である。
そして、触肢茸の真骨頂はそれだけではなかった。
このエイリアン=ファンガルは、「2つの因子」によって"胞化"した存在である。
『因子:共生』の効果を、俺はすぐに知ることとなる。
「なるほど、これは確かに便利ですな――」
俺は内政にも影響があるエイリアン=ファンガル種達の運用を相談するために、ソルファイドだけでなくル・ベリも呼び寄せていた。元々、ソルファイドを一旦護衛として連れ回してアルファ達をまとめて"進化"させることに難色を示していた彼である。奴隷小醜鬼達への"調教"もそこそこにすっ飛んできたわけである。
そんな俺たち主従3人の前で、触肢茸は『性能評価』のために呼び寄せた"名無し"の戦線獣に対し、おもむろにその背中に這い上がるや――8本の肉の根を戦線獣の背中全体に食い込ませ、裂けた皮膚の内側から非常に微細な白黄色っぽい神経糸かのような糸を出し、戦線獣の背中に傷を軽くつけてからそれを差し込んでいく。
そして戦線獣がわずかに痙攣したかと思うや――触肢茸は"名無し"の戦線獣と完全に融合し、肉の根はまるでその隆起した背筋の紋様であるかのように、ちょうど魔人族の【異形】が戦線獣の背中から真っ直ぐに生えたような状態となったのであった。
「――気配が完全に1つになっているな」
「確かに、まるで1個の生き物のようですな……しかしそれでいて、御方様の『エイリアン』としてのそれぞれの思考がある。そしてそれがさらに"連携"している、ように見えますな」
三つ腕となった戦線獣であるが、まるで生まれた時からそうであったかのように動きは自然である――だけではない。それ以上なのである。
なぜならば背中に『共生』した触肢茸自身もまた、その意識や生体機能が別に吸収されたわけではない。言うなれば、戦線獣の「背中の眼」としても同時に働くことができており、単に3本目の腕として役立つだけではない。ソルファイドに軽く素手で当たらせたところ、明らかに後方や上方などからの攻撃への反応が増しているのであった。
「さすがに大きすぎて、労役蟲や走狗蟲に"装備"させるのはちょっとアンバランス過ぎるかもしれないが……運ぶだけならそれでも十分かもな」
「労役蟲達も走狗蟲達も、力仕事は苦手でしたからな。重作業のために、数が多いわけではない戦線獣達をお借りするのもまた心苦しく」
「有事には、その場で文字通り"踏ん張って"守りにも使える。それに、移動だけなら労役蟲のまま移動させてから、現地で"胞化"させるのでもいいしな」
工事における多機能アーム兼強力な命綱とも考えれば労役蟲に並んで、内政面での基礎的な存在となる。また戦闘系のエイリアンに"装備"させれば、そちらでの対応もまた可能と、非常に使い勝手の良いエイリアン=ファンガルであると言えた。
「ル・ベリ、お前も"試して"みるか?」
「御方様のご命令とあらば……」
「いや、もう少し数と実験を増やしてからにしよう。エイリアン同士なら"魔素"と"命素"を共有するんだろうが――生身のお前が"装備"した時にどうなるかは、まだちょっとわからない」
「主殿が『共生』と言うからには大丈夫であろうが、そのままル・ベリが吸い付くされて干からびても俺は驚かんぞ」
「ほう、言ってくれるな、赤ト……竜人。御方様の眷属に"食料"が必要とあらば、干からびるまでには貴様の全身の鱗を剥がしてその内側の肉を与えるぐらいはできるだろう」
いがみ合い始めた二人を横目に、俺は肩をすくめた素振りを見せる。
ル・ベリは常に意識を、またソルファイドもまた常に『心眼』を俺に向けているため、それ以上の言い合いはお互いに控える。そういう部分では、不思議と呼吸が合っているのだから不思議な二人である。
「単に眷属の維持コストとしての魔素と命素が心配だってだけなら――こいつが、その前提を根底から覆してくれるかもしれないぞ」
【眷属心話】を通して"名無し"達の「群体知性」全体に向けて、触肢茸をとりあえず10体程度追加で"胞化"させるべく、余っていた労役蟲を呼び寄せる命令を出す。
その後、俺はル・ベリとソルファイドを連れて、次の「新系統」のエイリアン=ファンガル種の前まで歩いた。
***
新たなるエイリアン=ファンガル種のその2。
『凝素茸』は、貴重であった『因子:生晶』の解析によって新たに生み出した存在であった。この因子は『9氏族陥落』の前までは、ルガ氏族の領域の周囲で既製品――魔素が固められた"宝石"としてしか獲得できていなかったものであり、大元の"現象"を織りなす生物なり存在なりは発見できていなかったのだ。
そして、『9氏族陥落』後に、旧ルガ氏族の領域を労役蟲と走狗蟲の混成部隊によって探索させたところ、ようやく判明したのが、氏族領域の地下にある『結晶洞窟』の存在である。
そこは、俺の迷宮である鍾乳洞とは直接つながっていない小さな洞窟であったが、長い年月をかけて土中の成分が"結晶化"した場所のようであり、その中には、迷宮核が配されて「異界の裂け目」が存在する最果ての島という土地の影響から、魔素や命素を含有するものも含まれていた。
ルガ氏族は、これを採集して、しかし小醜鬼であるが故にその価値をわかっておらず、装飾品として利用していたようだった。
『因子:生晶』自体はそこで解析しきることができた……その代わり、洞窟内の"結晶"はほとんどをすり潰して走狗蟲に食わせる「間接解析」をしなければならず、後日の調査用にわずかな分を俺の手元に残しただけだったが。
話を『凝素茸』に戻そう。
それは例えるなら、縦に置いた「穴だらけの巨大オカリナ」であった。
"肉"が中心的な成分であるエイリアンやエイリアン=ファンガル種には珍しく、骨か角質のような白っぽい"殻"に全身が覆われていた。肉の部分が覆い隠されているため、根の部分を除いては蠕動は観察できないが――それでもまるでペースメーカーのような規則的な「鼓動」が内側から聞こえてくる『施設』である。
全体的には丸みを帯びた楕円形をしつつも、ちょうどオカリナが音を内部で整調させるための独特の歪みと曲がりを与えられたような、傾いた楕円体であり――白い"殻"の表面には、十数個ほどの手のひら大の"穴"が覗いているのであった。
そして「動物型」への"先祖返り"をした触肢茸には無かった『拡張ウィンドウ』が、凝素茸の方ではちゃんと存在していた。
【設定】
・凝集対象:魔素・命素・<未設定>
・収穫サイズ:2.0単位(最小0.1~最大10.0)
・推定凝集時間:※凝集対象が未設定です
やはり、期待した通り「魔素」と「命素」を"凝集"する――そういう機能があることがわかり、俺は大きく頷く。
【闇世】Wikiの知識の中から『魔石』という存在があることは、あちこちの記述からわかっていたからであった。だが、選択肢に「命素」もあるというならば……試してみようと思えば『命素石』、あるいは『命石』とでも呼ぶべきものができるのかもしれない。
試しに『凝集対象』の設定を「命素」にしてみたところ――規則的な鼓動が早くなり、またにわかにその根から白い光の明滅、つまり"命素"が感知される方に向けて凝素茸はその根を這わせていく。
そして、凝素茸の十数個の「穴」から、サボテンの針のような尖骨が伸びてきて、それを中心として、俺の迷宮領主としての技能である【命素操作】に非常に近い「命素の流れ」がうねり始め、尖骨自身も白く淡く輝き始めた。
「なるほど、この細い骨が"芯"になる、てことかな……≪"名無し"達よ、適当な労役蟲をもう10体、いや、20体こっちに送ってくれ≫」
『サイズ』の項目は2.0に設定したままであるが……この状態での『推定凝集時間』は「3日」と表示されていた。
「御方様。この者は――どのような役に立つのでしょうか?」
「簡単に言うと"兵糧"だ。遠方まで持ち運んで補給ができるから、俺の眷属達の【領域】外での活動時間が大幅に伸ばすことができる。そして『魔石』は【人世】では貴重品……そうだな? ソルファイド」
「他者との関わりを断っていた『ウヴルスの里』にいた頃は、俺もそんな存在は全く知らなかったが。『長兄国』で逃げ流離っていた時に、話に聞いたことがある程度で、実物は【闇世】でも見たことはない」
『魔石』とは文字通り、魔力の源であり超常を成すエネルギーでもある「魔素」が固められた結晶である。ソルファイド同様、俺もまた実物を見たわけではないが――少なくともルガ氏族の領域で発見された結晶が、『魔石』かその一種であると思われた。
ならば、【闇世】でも最果ての島以外で採れる場所があるかもしれない。
……いいや。そもそも【エイリアン使い】であるこの俺が、俺自身の権能によって『魔石』を生成することがこうしてできるようになった。
それはそもそも迷宮領主にとって魔素と命素が「根幹的な資源」であることを考えれば当たり前であるかもしれない。どこで採れるかどころの騒ぎではなく、他の迷宮領主達もまた彼ら独自の「迷宮経済」がある以上、『魔石』や『命石』や、なんだったら『魔液』や『命液』の生産だってできると考えた方が良いだろう。
そしてその真価は、単なる『魔力回復剤』や『魔力電池』であるだけには、捉われないだろう。
迷宮領主の眷属が、その存在の維持のために魔素と命素を必要としており、さらにそれは「領域」か、または迷宮核自身から補給を受けなければならないものであることが、これまでに確認した「迷宮経済」の基本だった。
それはきっと【人世】に対する【闇世】の防衛要塞として迷宮システムが『九大神』によって設計された時の、防衛重視という意味での設計コンセプトの一つであっただろう。必要以上に【人世】に攻め込ませない枷なのである。
だが、『魔石』と、そして存在が推定される『命石』はきっとその枷を外す。
「領域」の外へ出た迷宮の眷属達は、その維持コストを購う資源として、食料の他に『魔石』や『命石』を活用することができると見て、間違いない。なぜなら、それは単に魔素と命素が形態を変えたに過ぎないものだろうからだ。
「領域」を離れて迷宮経済との直接な繋がりを断たれても、手元に十分な『魔石』『命石』があれば、それが尽きるまでは活動を継続することができる――ということである。
「確かに、食料と比べれば腐らないだろう。"兵糧"とは、確かに迷宮領主の視点からの言い方だな、主殿」
「もちろん、お前も【人世】で聞きかじっているだろう本来の価値も健在だ。"魔法"を扱う際の媒介として。あるいは"魔法"そのものを込める道具として。もしもそういうのがあるんならだが、魔力を必要とする道具の電池……いや、燃料として、な」
【闇世】では、さして珍しくもない「迷宮経済」の一形態を成す"資源"だろう。
だが、迷宮の存在しない【人世】では、どうだろうか?
ソルファイドが相当の田舎者……もとい"世捨て人"の一族であったことから、期待したほど【人世】に関する知識は得られなかったので、これについては今後の調査次第ではある。しかし、【闇世】で行き詰まって活路を求めることになるにせよ、あるいは【闇世】で勢力を増してからそちらにも手を伸ばすことになるにせよ――「探す」ことが俺の目的ならば、いつか【人世】には降り立たねばならない。
その際に、両世界における『魔石』に関する価値の差は、一財産を築くことができる可能性のある情報だった。
「そうしますと、御方様。問題は、その魔石や命石が、どの程度の魔素と命素を含んでいるかですな」
「とりあえずは色々な『サイズ』で作成してみて、その辺りの換算率を確認してからだな――だがな、その率次第では……凝素茸が俺の迷宮の『領域』外でも稼働できる、となるとしたら、どうなるかわかるか?」
「何だ? どうなるというのだ、主殿」
「自給自足できるということ、そしてそれだけではなく他の眷属達にも"食わせる"ことができるということだ、赤頭め――そうすると御方様、『領域』の外でも活動できるか、が肝となりますな」
【情報閲覧】によって確認できたが、凝素茸自身の『系統技能』には【消費魔素削減】と【消費命素削減】が、あったのだ。
これがどういうことを意味しているかというと、『魔石』と『命石』という形ではあるが、もしも凝素茸が生み出す『魔素』と『命素』が、自身の維持コストを上回る量とすることができれば、凝素茸は消費者から生産者、収支では収入をもたらす側に変わるのである。
つまり作れば作るほど俺の魔素と命素の収入は増大する。
その限界は「領域」内全部を『凝素茸畑』にしてしまうことだが――ル・ベリが指摘した通り、「領域」の外においてももし収支がプラスとなるならば、実質俺は「領域」に縛られない更なる魔素と命素の収入源を得ることになるのである。
「【人体使い】かその手の者が、どうせ多頭竜蛇の黙認で攻めてくる。それまでに備えられることは全部備えないといけない。戦力の強化に手段は選んではいられないからな」
『9氏族陥落』によって、島全体を堂々と勢力下に収めた俺は、次の位階上昇では【領域定義】をさらに進めるつもりでいた。そしてその中で、眷属の数も増え、できることや任せられることが増えた中で、最果ての島全体の防衛拠点性を増すべく、迷宮経済の全体的な見直しを図ることをずっと考えていた。
凝素茸は、その核となる存在であり"胞化"の完了を待ちわびていたエイリアン=ファンガル種であったのだ。
「さて、次だ。そしてちょうど"運搬"が到着したな」
【眷属心話】で呼び寄せていた、触肢茸や凝素茸に"胞化"させるべき労役蟲達に先立ち、木製の籠を抱えた何体もの走狗蟲達と戦線獣が部屋に到着する。
その籠の中には――俺自身の直接の【因子の解析】を終えた後に、切り取って代胎嚢の中に放り込み【臓器保護】の能力によって「保鮮」状態で保っていた、小醜鬼達の生首が詰められた籠であった。
――より正確には小鬼術士や氏族長筋の、頭部である。
あまり慣れたいとは思わない行為でありつつ、手段を選んでいられないというのも事実。
ル・ベリとソルファイドという、俺にとって守るべき導くべき、そして頼るべき存在ができたことと合わせて、俺は小醜鬼という種族の扱いを自分の中で意識して資源に落としていく努力を続けていた。
新たなるエイリアン=ファンガル種のその3。
『浸潤嚢』は、言うなれば謎の緑色の体液に満たされた培養槽であった。
半透明のゼラチン質ともガラス質ともつかぬぶよぶよした分厚い肉の膜が円柱状になっており、その中に、エイリアンの体液を思わせる緑色の液体が充満しているのである。その内部は時折、こぽこぽと泡が立っており――非常にほどよく熱い温度に保たれていることが、その全身から発せられる"湯気"から察される。
加えて、エイリアン=ファンガル種らしく蠕動をしており、しかもその内部には幾本もの細い触手や、触肢茸が他のエイリアンに「融合」する際に出していた白黄色っぽい神経糸の束のようなものが、緑色の液体の中で漂い蠢いていた。
「さながら"エイリアンドラム缶風呂"ってところか……」
「御方様、ドラム缶とは何でしょうか」
「金属でできた樽だ」
「風呂……だと? 主殿、これを風呂だと……言うのか?」
それぞれが異なる部分に反応する。
従徒献上知識によれば、『ウヴルスの里』は火山山脈の麓にあったらしい。当然、温泉がいくつもあったらしく――竜人は意外なことなのかどうかはよくわからないが、その温泉を利用した湯浴みの習慣があるらしかった。
「どうした、入りたいのか?」
「……いや、こういう言い方を主殿にするのもなんだが、眷属の体液なのだろう? 魔物を斬り殺した返り血を浴びるようなものではないか、それでは」
「良いことを思いついたぞ、ル・ベリ。ソルファイドを"風呂係"にしてやろう、薪を集めてこいつに風呂を焚かせておいてくれ――残念だが、浸潤嚢には先客があるからな」
そう言って、俺は走狗蟲と戦線獣達に籠の中身を浸潤嚢の肉ウツボカズラ部分に放り込ませていく。
そして【眷属心話】で浸潤嚢に「解析せよ」と命じるや――。
脳内に次々に鳴り響くシステム音。
走狗蟲達に"食わせた"ことによる『間接解析』の能率低下の無い、俺が直接【因子の解析】をやったのと同じく【因子の解析】技能によって、浸潤嚢が次々に氏族長筋や小鬼術士の頭部を解析していく。
――そして『肥大脳』やら『血統』やら各種の『属性適応』因子やらの"現象"イメージが、間接解析による遠回しなイメージではなく直接的な形で、浸潤嚢と迷宮領主としてリンクしていた俺の頭の中に強烈なうねりとなって――しかも『エイリアン語』で――一気に流れ込んでくる。
完全に前回と同じ轍であったが、油断していたためにまたしても解析酔いに陥り、俺はぶっ倒れたのであった。
***
技能【体内時計】によれば、倒れてから4時間ほどが経過した後であったか。
起きてみれば、ル・ベリが手配したのか、労役蟲が【掘削】して整形した岩盤の上に、亥象の毛皮から作られた敷物が敷かれた簡素な寝台の上で、俺は目を覚ました。
そして真っ先に、あることを確認する。
【因子解析状況】を見て――『因子:肥大脳』の解析率が99.9%で止まっていることを俺は確認したのであった。あわよくばという期待もあったが、しかし、それは予想した展開の一つでもあった。
ならば、やはりやるしかないだろう。
「御方様、どうかご無理をなさらぬよう」
「何言ってるんだ。無理をするのはこれからだよ、ル・ベリ……ソルファイドはどこ行った?」
「御方様の『風呂を作れ』というご命令を実行しに地上へ――」
「なんだ、冗談だったんだが通じなかったか。それなら楽しみにしておくか――ル・ベリ、今の俺の体調は大丈夫そうか?」
「……脈も呼吸も、魔素と命素にも乱れはありません。ですが、まさか本当に――? あと少し足りないだけならば、私もあの竜人も資格を満たしているはずです。ご再考を」
「俺がやらなければ意味がないんだよ。この俺の、権能だからこそ、な」
ル・ベリの性格を考えれば、俺がぶっ倒れた瞬間、すぐにでも『司令室』に運び込んでいたことだろう。
だが、そうしなかったのは……俺があらかじめ、別のことを彼に伝えていたからに過ぎない。
俺はダメ押しのように、1つだけ籠の中に残っていた、氏族長筋の小醜鬼の頭部を浸潤嚢の中に投げ入れてみた。しかしシステム通知音により、無情にも、解析率の上昇は0%であったということが告げられ――浸潤嚢は小醜鬼の頭部を吐き出す。
既に、最初に突っ込んだ大量の小醜鬼の頭部は、ル・ベリの手配によって走狗蟲達に任せられて廃棄されていたようであった。
「浸潤嚢だって俺の眷属だ。俺に牙を剥くことには、ならないはずだ。予想が当たってはほしくなかったが『肥大脳』はかなり特殊な因子かもしれない」
『副脳蟲』が、俺の迷宮領主の指揮能力を補助してくれるであろう存在であることは、前々から予測し、そして期待していた。だが、それはこの法則や制約が様々な形で存在する世界において、感覚的にだが過剰な能力である――と判定される仮説も俺の中に生まれていた。
『肥大脳』という"現象"そのものは、まだ欠片、途上の段階、完成せぬジグソーパズルのような状態ではあるものの、しかしその大枠は俺の中で、それこそ99.9%までは構築されていた。
――それは「知性ある生物」と「そうではない生物」の境界である。
肥大し、拡大した脳によって、単なる身体制御以上の"思考"能力を得る。そして他者を"観測"する能力を得る。それが『肥大脳』という"現象"の本質である――と俺は理解しかけていた。
認識が世界を書き換える。
迷宮もまた俺が認識した"世界観"によって構築される。
ならば、そんな俺という存在によって認識され、構築され率いられる【エイリアン使い】の迷宮を、同じく「副脳」として認識し、構築し率いることを補助すべき存在への――最後の点睛は、他ならぬ俺自身がすべきことではあるまいか。
生まれながらにして俺の『分身』たることを求められる、高度な、非常に高次の「役割」を使命として求められて生み出されるのが「副脳蟲」であり、その現象の核たる因子が『肥大脳』であった。
解析率が100%になった瞬間に、それこそこれまでの"解析酔い"の何十倍もの衝撃が襲ってくる、ということも想定していた。
だから、このまるで誘うような99.9%で止められた解析率の表示にも、「そっちだったか」と思うことはあれど驚くことはない。
ル・ベリには、あらかじめその仮説を伝えていたのである。
だから、ル・ベリは従徒として俺を案じる観点から気が進まない意思は表明しつつも、俺を止めるようなことはしないのであった。
「最悪、数日間は入ったきりかもしれない。そんな予感がある。だから、その間は任せた。ソルファイドとやり合いすぎるなよ」
「……御心のままに」
俺がそうあるように望み、そうあるように認識して、そうあるように作り出したる眷属の一つである浸潤嚢。
手段など選んではいられないのである。
だから、俺はまとっていた衣服を脱ぎ、ル・ベリの「手」を借りて持ち上げてもらい――その肉でできたウツボカズラのような"口"を覗き込む。
そして、意を決して、目を閉じて緑色の体液と無数の触手と神経糸が待ち構える"水槽"の中に飛び込んだのであった。





