0040 9氏族陥落作戦(6)
先ず動いたのは戦線獣デルタであった。
"名付き"3体による【おぞましき咆哮】が鍾乳洞内に轟風となって反響すると同時に、デルタが両の豪腕を振り上げて地を蹴る。ナックルウォーキングではなく、その背筋と走狗蟲時代から引き継ぐ強靭な脚力により、ほとんど前方につんのめるような疾駆である。
『広間』に飛び込んだ竜人に向け、デルタは豪腕の手の甲から突き出たまるで犀の角のような剛爪を正面から叩きつける。
迎え撃つソルファイドが全身から火気を揺らめかせ、剣気を発するが――半身となった姿勢をわずかに右に傾かせるや、戦線獣の剛爪を『火竜骨の剣』の切っ先で受け止める、その瞬間。重心をずらしていた身体ごと腕をひねって、その衝撃をいなした。
追撃とばかり、もう片方の豪腕を振りかぶっていたデルタであったが、ソルファイドによる"ずらし"によって体幹全体の重心を狂わされ、勢い余るままに地面に叩きつけられる。ちょうど、格好の悪いヘッドスライディングに近い崩れ方である。
結果的に、ソルファイドはデルタの懐に潜り込み、脇腹を狙うことができる位置関係となるが――無理な追撃を行わない。
戦線獣ほどの"声量"はなくとも、めいめいに【おぞましき咆哮】を吠え放つ走狗蟲達が、フォローアップとばかりに跳躍回転し大上段から足爪を振り下ろすように踊りかかってきたからである。目を潰されていながらも、ソルファイドにはその動きが"視えて"いるかのように、魔剣の閃跡が紅い弧を描く。
文字通り、瞬く間に走狗蟲1体が片足を切り飛ばされ、さらにソルファイドが体をひねって「竜人の尾」による一撃を別の1体に叩き込んで弾き飛ばした。
それを見たデルタが倒れた姿勢のまま、咆哮とともに強引に豪腕を振るってソルファイドの下半身を薙ぎ払おうとする。しかしソルファイドの両足は既に地面にはない。デルタが豪腕を振るう直前、尾と両足と地面に突き立てた『火竜骨の剣』による「4点跳躍」を行い、宙に飛び上がっていた。
――『人族』よりも大柄であり筋肉質な体躯でありながら、尾の力を利用した跳躍はむしろ曲芸に近い。
飛び上がったソルファイドが身体を「く」の字型に曲げ、何かを腹の底に溜めているような様子が見て取れた。血飛沫のように吹き荒れる火の粉が、その密度と不穏さを一気に増していく。
嫌な予感が脳裏をよぎり、俺は指揮杖代わりの『黒穿』を振るって即座に指令を飛ばした。
「イータ、まだ仕掛けるな離れろ! ガンマ防げ!」
相手は"竜"人である。
ならば「竜」の得意技とは何であるか?
直感のままに俺が叫ぶまでの1秒2秒のこと。瞬時にソルファイドの周囲に火気が沸き起こり――まるでほうれん草を食らった筋肉水兵のカートゥーンの如く、ソルファイドの上体、特に肺の付近が瞬間的に膨れ上がった。
かと思うや、轟と空気を切り裂くような鋭い火焔が熱線の如く俺に向かって吐き出されたのである。
だが、とっさの指令は間に合っており、次の瞬間には豪腕をクロスさせて俺の前にガンマが割って入っていた。ガンマが【火の息吹】をX字に重ねた剛爪で受け止め、同時に【おぞましき咆哮】によって空気ごと吹き散らし飛ばした。
それは【竜の息吹】と呼ぶにはいささか弱い、と俺は瞬時に感じる。
たとえば元の世界で存在するような『火炎放射器』にも及ばず、細長い熱線のような火柱であった。鋭さと勢いはそれなりであり、ガンマの両腕をぼろぼろに焼くが――果たしてそれが竜"人"の限界であるか、はたまたこれは小手調べに過ぎず「本気」の一撃がまだ隠されているか。
ガンマが『息吹』を防いだのを見て、ようやく立ち上がったデルタがソルファイドの尾を掴もうとする。
だが、その寸前、空気が淀んだかのような嫌な気配が増し、魔素の流れが『広間』の奥の方から渦巻いた。次の瞬間には、デルタが咆哮ではなく苦悶の鳴き声を漏らして雷に打たれたように痙攣し、激しくその豪腕を地面に叩きつけ始める狂態を晒す。
『発疹』と『掻痒』の呪詛である。ソルファイドの後衛となった、老祭司ブエ=セジャルが率いる小鬼術士の集団による援護射撃であった。デルタを狙った魔法の"余波"が俺のところまで届き、わずかだが、腕がぞわりとミミズに這われるような悪寒を感じた。
直ちに走狗蟲達が『広間』の奥に飛びかかっていくが――小鬼術士達は坑道の入り口に密集しており、決して『広間』の内部まで踏み込もうとはしていない。そして彼らは、まるで松明のように小鬼術士達は杖に【火】を灯しており、そこから火球を放って走狗蟲達を火傷させ、容易には寄せ付けてくれなかった。
そして、それだけではない。
小鬼術士達が撃ち出した火球の一つが、走狗蟲達から大きく外れ――まるで吸い寄せられるようにソルファイドの『火竜骨の剣』によって受け止められ、ソルファイドがそのまま流れるような軌跡で剣をこちらに向けて勢いよく振るう。
瞬間、さながら「燃える斬撃の衝撃波」が剣閃により生み出され解き放たれ、再び俺に向かって飛んできたのであった。
ガンマが岩礫を盾代わりに構えてなんとか防ぎ切るが、それは最初の『息吹』の比ではない威力であった。イータがソルファイドに決死の体当たりを食らわせたことで、わずかにその「火炎斬撃の衝撃波」の軌道が逸れていなければ、戦線獣ガンマがそのまま薙ぎ倒され、俺は下敷きになっていたかもしれない。
周囲に乱れ飛ぶ熱気が急速に増し、俺は汗をかいて肌を炙られるような感覚に耐えながらも、ガンマを掴み『黒穿』を杖代わりにすぐに立ち上がる。
見れば、着地したソルファイドが俊敏な身のこなしでデルタの正面に回り、剣を振り下ろさんとしていた。だが、相対していたデルタは怒りとも歓喜ともつかぬ咆哮を上げ、『掻痒』の呪文を食らっていた両腕を同時に突き出す――生身で魔剣を受け止めたのである。
激しい焼灼音がデルタの豪腕を骨もろとも半ばまで切り裂き、吹き荒れる火勢によってその皮膚も肉もぼろぼろに焼いていく。有機物が焼け焦げる凄まじい煙と悪臭が吹き上がるが――そこで始めてソルファイドが顔をしかめた。
肉を切らせるどころか骨まで断ち切らせたデルタであったが、なんとその豪腕の全筋力を締めることにより、わずかではあるが、ソルファイドの剣の勢いを食い止めたのであった。
拘束できたのはわずか1秒。
ソルファイドが火気を増してデルタの片腕を切り飛ばして剣を自由にさせる。
だが、そのわずか1秒を"名付き"達の長たるアルファは見逃さなかった。
【おぞましき咆哮】を放ちざま、両手であらかじめ砕いていた岩礫を大上段からオーバースローで投げつけ、散弾のようにソルファイドに浴びせかけたのである。ソルファイドはこれを避けることができず、苦し紛れに大きく後方に跳躍。
致命傷は避けつつも、拘束から抜けた直後の無理な体勢では散弾の全てを叩き落とすことができず、野球ボールほどもある岩片がいくつもその身体に直撃し、低いうめき声を上げた。
それを見るやアルファが傲然と駆け出し、『広間』に合流したばかりの2体の"名無し"の戦線獣がこれに続く。
"使徒"にして旗頭たるソルファイドにエイリアン達を近づけまいと、小鬼術士達がさらに呪詛や魔法を放ってくるが――走狗蟲達が俊敏に躍り出て次々と盾になり、特に行動不能効果の高い『掻痒』の魔術から戦線獣達を守った。
結果、アルファの剛爪が妨害されることなく、初撃でデルタがやったのと同じようにソルファイドに猛然と突き出される。ソルファイドもまた、同じように"いなす"べく切っ先を構えるが――アルファはデルタが何をされたかをよく観察し、理解していた。
剛爪が『火竜骨の剣』の切っ先と衝突する、まさにその寸前。
アルファは豪腕をその場でぴたりと止め、筋力の限り握力の限り握りしめていた拳を開いた。
その中には握力によって無数の破片に砕かれていた石礫があり――突き出される勢いのままソルファイドの顔面に叩きつけられたのである。
さすがにこの"隠し玉"は予測できていなかったのであろう。ソルファイドの呼吸と姿勢が乱れるが、それを見逃すアルファではない。「本命」の一撃として、石礫を放ったのとは反対側の豪腕が下から殴りあげるようにソルファイドの腹を狙う。
ソルファイドが顔を歪め、戦線獣の豪腕剛爪による渾身の一撃が叩き込まれ、その胴体が大きく宙へ吹き飛ばされる。ソルファイドは咄嗟に剣を盾にしたようであったが――剛爪の一撃を防ぎ切れず、深い部分に一撃を食らったように血を吐く、と同時に苦し紛れの【火の息吹】を吐き出して剣を赤熱化。腹に叩き込まれた豪腕を焼き切ろうとするが、アルファは深追いせずに、四肢を使って地面から大きく跳躍。
――今の一連の攻防で、アルファの狙いはソルファイドではなかった。
その奥にいる小鬼術士達であったのだ。
そして俺もまたそうであり、アルファと連携していた。
アルファが駆け出したあたりで、俺は『黒穿』の穂先を真っ直ぐに小鬼術士達に向け、技能【魔素操作】を諳んじていたのである。
この世界の『魔法』について、俺はまだ十分によく理解しているわけではない。
しかし、『魔法』の発動には必ず"魔素"が関わっている、ということにはいい加減気がついていた。
迷宮領主として、俺は半ば当たり前のように【魔素】と【命素】を操ってきた。それが『種族技能』でもあったからだが、元をただせば【魔素】と【命素】は【闇世】が創世されて後、今なお"世界の罅"から、【人世】から吸入されている、世界そのものの重要な構成要素である。
そしてその【魔素】と【命素】が織られ練られて、様々な超常の現象が生み出される。
それはこの世界レベルでの「法則」であり――迷宮システムはその中の1つに過ぎないのである。
すなわち、迷宮領主ではない生物や、知性ある存在にとって、【魔素】を扱って成し得る"超常"こそが『魔法』であるとも言えた。ものすごく乱暴に言えば、技能や迷宮システムだって『魔法』の一種なのである。
――ならば迷宮領主が『迷宮』以外の超常を成すこともまた、不可能ではない。俺の『種族技能』には、おそらくは『ルフェアの血裔』由来であるが【魔法適性】なんていう技能だって、あったのだから。
技能【魔素操作】によって、周囲の魔素と、そして俺自身の体内に渦巻く魔素の流れを知覚し、自覚する。それはまるで、血液や神経の流れのように、丹田のあたりから脳天へ、足のつま先の先へ全身を巡り廻るかのような力の奔流のイメージであった。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に続く第6の感覚――"魔素覚"とでも言うべきものが芽生えたかのように、俺は自分自身の体内を巡る「内なる魔素」の存在を強く認識するに至っていた。
その「内なる魔素」に、それがどうあるべきか、如何なる現象を引き起こすべきかという認識を練り込み織り上げながら、俺は全身から五指を通して『黒穿』にまで【魔素操作】を浸透させていく。
すると『黒穿』の表面の古代文字のような紋様が青白く輝き、さらには俺自身の「魔素覚」を通して、まるで肌の一部、身体の一部であるかのように感じられるようになっていく。
思考と知覚と、そして何よりも想像力が何倍にも引き伸ばされ拡張されたかのようであり――その認識のままに、俺は【魔素】を一つの意思を持った奔流の形と成して練り上げた。
――見れば、アルファは『広間』の入り口にカビのように密集して蠢く小鬼術士達に向け、両腕を広げて仁王立ちし、身体を可能な限り大きく見せて今にも豪腕を叩き降ろさんばかりに【おぞましき咆哮】を放っていた。
それが瞬く間に小鬼術士達に恐慌を引き起こすが、老師ブエ=セジャルの激励によって潰走には至らない。だが、それでいい。小鬼術士達が、ただ一心不乱に身を守ろうと、それぞれの得意な魔法を詠唱し始めるが――そうさせることこそが、俺の狙いであった。
魔法には魔法を。
魔素の流れには魔素の流れを。
俺は『黒穿』を通して真っ直ぐ――かき乱せと強烈に念じた『魔力』を、奔流そのままに小鬼術士達の魔素の流れに向かって叩きつけた。
結果、膨れ上がっていた小鬼術士達の魔法が暴発する。
あるいは手に持った杖が弾け飛び、あるいは手元足元が発炎し、またある者は全身が腫れ上がったかのように昏倒してもんどり打って転げ回り始めたのである。
俺がやったことは、おそらくは厳密な意味での「お行儀のよい」ちゃんとした『魔法』ではなかったかもしれない。単に【魔素操作】によって魔素の塊を生み出し、ちょうど小鬼術士達の魔素の流れを邪魔するような流れの形にして、ぶつけて相殺を狙ってかき乱した"力技"だ。
だが、十分な成果であった。
それを見届けたアルファが振り返る。
あとは――隠身蛇ゼータの役割であった。
アルファはあくまで脅して隙を作ることまでが役割であり、その役目を果たすや、油断なくソルファイドに向き直って対峙する。
見れば、殴り飛ばされて空中に吹っ飛んだソルファイドの四肢を羽交い締めにしようと迫った遊拐小鳥達はあっという間に切り捨てられていた。だがそのために無理に身体をひねったのか、ソルファイドは血を吐きながらも着地し、その瞬間、左右から迫った"名無し"の戦線獣に殴り飛ばされる。かろうじて壁際で受け身を取ったところを、戦線獣が容赦なく殴りかかるが――ギラリと血なまぐさい死兵の気配に変わるや、ソルファイドが腹の底から咆哮を上げた。
そして戦線獣の一撃に正面から顔面から捨て身で飛び込み、ギリギリで躱しつつも首筋と胸を剛爪で切られつつ、懐に飛び込んで『火竜骨の剣』によって心臓を貫通。
びくりと痙攣した戦線獣が崩れ落ちるや、横合いから迫ったもう一体の一撃を尾で受け止めつつ、受け止めきれずに殴り飛ばされる勢いを利用して『火竜骨の剣』を閃かせる。目にも留まらぬ数度の斬撃が複数の紅い軌跡を描き、戦線獣がもう1体、両腕を肩から切り落とされて崩れ落ちる。
――そんなソルファイドに、アルファはまるで不敵な笑みを浮かべたかのように襲いかかったのである。
死兵と化し、深傷を厭わずにただ反撃の致命打を食らわせることだけを考える戦闘マシーンのような状態になったソルファイド。その「焼く」ことと「切る」ことに特化した相乗効果により、剥き出しの生身の肉体で相対するエイリアンは、一見すると相性が悪いと言えた。
だが、俺は不敵に独り言つ。
「そろそろ慣れた頃合いだよな? 調子に乗って散々に切ってくれやがって」
アルファの豪腕が迫り、ソルファイドが火剣で迎え撃つ瞬間、ガンマが走狗蟲をぶん投げる――その走狗蟲は、全身を泥のような液で塗ったくられていた。
戦線獣の膂力により、自ら跳躍するよりもずっと勢いよく吹っ飛んだ走狗蟲が後方から迫り、アルファの迎撃を諦めて体捌きにより豪腕をかわしたソルファイドが、振り向き様、返す刀によって投げつけられた走狗蟲を撫で切ろうとする。
『火竜骨の剣』が激しく赤熱し、袈裟懸けに焼き切らんとする――きっと、ソルファイドは1秒後に両断されて崩れ落ちる走狗蟲の姿を「先読み」していたことだろう。
だが、そうはならなかった。
火剣が走狗蟲の体表を切り裂こうとするや、まるで「岩」でも切ったかのように僅かしか食い込まず、斬り殺すには至らなかったのである。
走狗蟲がそのまま足爪の一撃をソルファイドの頭に見舞い、額を切り裂かれたソルファイドの顔面が血に染まる。「先読み」が外れたのであろう、ソルファイドがまたも驚愕に顔を歪ませ、アルファの追撃に対して予定外の体勢から強引な回避行動を強いられる。
そこに更なる追撃が打ち込まれ、ソルファイドは一気に防戦一方の状態に追い込まれていった。
「"目"が見えていたら、気づいただろうにな」
たった今しがた、ソルファイドの目算を狂わせた小さな絡繰り。
その秘密は――いつの間にか『広間』に集まっていた労役蟲達であった。
何のことはない。
俺は労役蟲達に、走狗蟲に向かってその全身に【凝固液】を吐き出させていた。
それがガンマにぶん投げられる間に固まり、即席の"鎧"となったのである。
確かに、エイリアン達は生身剥き出しであり、殊に「切られること」と「焼かれる」ことに弱いと言える。だが、ソルファイドはいささか、調子に乗って走狗蟲達を切り過ぎた。その結果、おそらくだが、達人の技で以て、最も効率的な「切り加減」を学習してしまったのだ。
だからこそ、この奇襲が決まったと言える。
"名付き"最強の戦力であるアルファを前に全集中力を投じなければならない中、横合いから飛び込んでくる邪魔者は最小の労力でいなしたいだろう。しかし飛び込んできたのは、それまでとは異なる――皮膚の上にさらにもう一枚"鎧"をまとった「切り加減」が異なる走狗蟲であったのだ。
この奇襲役の"鎧"走狗蟲を排除し損ねたツケとして、ソルファイドはアルファの猛攻によって更なる防戦に追い込まれてしまった。
切り捨てられずに生き残った"鎧"走狗蟲はそのままアルファと連携し、追加の走狗蟲が切られることを連携によって防ぐ。アルファが走狗蟲への攻撃を激しく牽制しソルファイドの剣技を引き付けており、徐々にソルファイドに群がる走狗蟲が増えていく。
――ここまでやって、ようやく膠着状態に持ち込むことができた。
まだまだ油断はできないが、俺はひとまず胸を撫で下ろした。
それでも恐るべくはソルファイドの一騎当千の実力であり、超人的な反射神経によってアルファの「ぶん殴り」を次々と避け受け流す体捌きは神業の一言に尽きる。加えて、徐々にアルファの剛爪が削り取られ、少しずつ砕かれ、群がる走狗蟲達も反撃によって負傷させられていた。
ただ、いい加減「迎撃の裂け目」での衝突に始まり、ここまで引きずり込んだことで、ソルファイドが全身から放つ火勢は陰りを見せていた。その表情にも疲労が色濃く浮かんでおり、死兵の最後の抗いに近い、捨て身の抵抗にも限界が見えていた。
押し潰そうと思うならば、深傷を負ってはいるが、ここでデルタ、ガンマ、イータらも投入すればいい。
『妨害魔法』によって小鬼術士達を無力化してその支援と連携を断ち切った今、犠牲を許容すれば、いかに相手が一騎当千の達人であろうとも、血を流し体力をすり減らす「人」ならば、量に勝る俺に明らかな分がある。
だが。
侵入者を防ぎ、斃すのが迷宮領主であるならば、そのための戦力を拡充するのもまた迷宮領主である。
奴は確かに「助けてくれ」と、言った。
そのことを俺は忘れてはいない。
それに何より――"島の外"からやってきた存在である。今の俺が知ることのできない、"島の外"の情勢について聞き出すことができる、非常に非常に貴重な存在である。だから、そもそもの話、「助けてくれ」などと言われなくとも、出来得る限り、可能ならば無力化して折伏し、協力を得ることができないかを試す線を、俺はギリギリまで捨ててはいなかったのだ。
単に最果ての島を掌握するだけでは、俺のこの【闇世】における立ち位置を把握することはできない。今後、迷宮領主の力で活動していかなければならない中で、どのようなリスクがあるか知ることや、その対策を立てなければならないという根本問題がある。
いくら強大なる多頭竜蛇が海を縄張りにしているといっても、現実に、それを乗り越えてくることのできる存在としてのソルファイドを"伯爵"級の迷宮領主である【人体使い】が送り込んできた。ならば、また別の方法で多頭竜蛇を突破してくるような、別の迷宮領主が今後現れないわけがない。
リスクを取ってでも、情報を得るチャンスを自分から取りに行くべきであったのだ。
――そうやって、自分を誤魔化すんだね。優しいせんせ。
――"彼"に同情した、"彼"を哀れんだだけなんでしょ? 優しい、せんせ。
甘い、どこか絶望感を伴うような幻聴が耳朶に蘇ってくる。
その懐かしい感覚に、俺はそのまま白昼夢の夢想に落ちたかったが――。
いくらなんでも、戦闘中である今この瞬間に、そうするわけにはいかない。
寂寥感と断腸の想いで意識を現実に戻し、それまでずっと存在感を消していた隠身蛇ゼータの姿が完全に消えていることに気づいた。労役蟲達が集まってきたことと合わせて、小鬼術士達に対する仕上げはそろそろという頃合い。
俺が放った『妨害魔法』によって、『広間』から坑道への狭い入り口に走狗蟲が殺到するのを防ぐ魔法の抵抗が崩されるも、杖を捨て倒れた戦士の槍を取って決死の抵抗を続ける小鬼術士達。その後方からは、老師ブエ=セジャルによる"檄"がしぶとく続いていたが――俺はここから1体たりとも逃がすつもりは無かった。
"崩落"するのは、何も床だけではない。
――と、そこに従徒の気配を感じて俺は振り返る。
見れば、ル・ベリが身体を引きずり、走狗蟲2体に支えられながら、坑道を抜けてきたところであった。
「……御方様。遅くなり、申し訳もありません」
「待ちわびたぞ。それで、例のブツは持ってきたな?」
「……御意に御座います」
片膝をついたル・ベリが、恭しくそれを俺に見せるように両手で掲げる。
瞬間、至近距離で灼熱の熱気が吹き荒れたように感じたが――幻聴を黙殺したのと同じように、俺は顔をしかめないよう【強靭なる精神】でトラウマに耐えた。
ル・ベリに取ってこさせたブツ。
それは『火竜骨の剣』の片割れであった。本来の持ち手であるソルファイドの火気と剣気に、この距離で反応しているのか激しく赤熱しており、あるいは今にも意思を持って俺に飛びかかってくるかのような錯覚を覚えさせられる。
だが、そもそも【情報閲覧】によってソルファイドと共に『火竜骨の剣』という【名称】のステータスだけ見れた時から、俺はずっと"その可能性"を考えていたのだ。
【情報閲覧】は、無生物や死んだ生物に対しては発動しないことはわかっていた。
だがこの剣に対しては発動されたならば――「竜の骨」が材料となったこの魔剣は、果たして「生きている」のか否か。はたまた、意思や魂を持つのか否か。
だが、今重要なのはそこではない。
『火"竜"骨の剣』であり、そしてその持ち手が"竜"人である、ということだ。
「アルファ、あの死にぞこないを捕えろ。そしてあの"片目"をまぶたを切り取ってでも開かせろ。ル・ベリ、お前の力をもう一度披露してやれ。あの哀れな死にたがりに、"死"が何であるかを思い知らせろ」





