0038 9氏族陥落作戦(4)
『竜言術』について、竜人に伝わっている歴史や事実は、実はそれほど多いわけではない。しかし『竜種』という生物にとっての"言葉"が特別な意味を持ち、さらにまたその言葉を発するためにその身体は発達し、また進化し、そして改造されてきたものである、ということをソルファイドは本能的に悟った。
【人体使い】テルミト伯によって戯れに、肺と胃の間に、まるで両者をつなぐように存在する竜人特有の臓器である『息吹嚢』を強靭化されたことで、彼の「先祖返り」は拍車をかけられていた。
その意味では『息吹』もまた『竜言』の一種である。
歓喜と憤怒の激情が激痛を吹き飛ばし、さらにその余勢を駆って脳裏に残るわずかな理性をも吹き飛ばそうとする中で、ソルファイドはそのような理解に至った。
――ソルファイドの家名である『ギルクォース』は「塔の如き焔」と謳われた火竜の名であり、その血肉は骨に至るまで灼熱を擁す。然して、その権能たる『竜言術』とは、生命を火勢に変えて燃え盛ることである。
この力を多頭竜蛇との戦いで発揮できていれば。
否、「長兄国」――『黄金の馬蹄国』との戦いで発揮できていれば、そもそも里の同胞達を逃散させてしまうこともまた無かったろうに。
血が火となり、肉が燃え立ち、全身の骨が朱く紅く赤熱していくのをソルファイドは感じた。
まるで彼の祖先たる火竜達の成れ果てたる『ガズァハの眼光』と『レレイフの吐息』そのものに、ソルファイド自身も近づいているかのように。
だが、それに手を出すということは、里で教えられてきた全てだけではなく、自分に引き継がれてきた長きに渡る『竜人』の護ってきたものを決定的に壊してしまうことを意味していた。
歓喜の中でソルファイドは、戦慄の表情を浮かべながら、足爪の魔獣達に支えられながら大きく距離を取り、迷宮領主の下へ駆け去った「リーデロットの息子」の言葉を思い出した。
――「竜」を捨てたはずの竜人が、「人」まで捨てたら、何になる?
そのような思考が焼き尽くされ、苦悩がまるで薪のように焼べられ、ソルファイドの『竜言術』が暴れ狂う。
消えゆく意識に反比例して自分を中心に何もかもが燃え果てようとする中で、「これ」を抑えるために、「これ」を目覚めさせぬためにこそ、ウヴルスの里の教えはあったのだな、とソルファイドは今更ながら他人事のように理解していた。
そして生きているか死んでいるかもわからない、里の同胞達に、心の中で心から謝った。
謝ると同時に、ソルファイドの口が――。
***
「『助けてくれ』だと? なんなんだあいつは、要するにあれは"暴走"したっていうのか? 隠し玉ではなく?」
よもや、この海に囲まれた孤島でまた大量の炎に囲まれる状況に陥るとは、予想していなかった。
――というのは言い訳であるか、と俺は自問する。
「凄まじく赤熱した火の魔剣」が存在する時点で、その可能性も考えないわけではなかった。だから、今の俺のこの狼狽は、実際にその熱気を受けて、全身があの時の無力感と諦念を思い出させられたかのように震えているせいである。
そんなことは誰よりも、俺自身がわかっていることだった。
――加えて、中途半端に魔人混じりの身体になってしまったことで自然に癒えたと思っていた皮膚の持病が、【眷属心話】から『エイリアン語』を介して"波長"となって届けられ、悪寒と共に蘇ってしまった影響も大きい。
既に技能【強靭なる精神】の使い過ぎで、1点分が"点振り"されてしまうほど、俺は精神の均衡を保つことに凄まじい精神的努力を支払っていた。
壮絶なる火勢が、竜人ソルファイドの周囲数メートル程度を一気に焼き尽くしたのは、ル・ベリの【弔いの魔眼】が決まり、走狗蟲が奴の胴体を切り裂いた瞬間のことであったらしい。走狗蟲達は本能的に危険を察知したのか、ル・ベリを体当たりして引きずるようにその場から離れさせるが、その過程でさらに3体が文字通り焼き尽くされていた。
俺のいる方からも、まるで人体発火したかのように燃え盛る藁人形となったかのようなその異様が見えている。このまま放置していれば、島中の森という森を焼き尽くしかねない勢いである――それは逆に『樹冠回廊』の全てが崩落して小醜鬼も多くの野生動物も被害を受けることだろう。
――それが「使徒」であるソルファイドの奥の手であり、決着をつけるための行動であったならば、どんなにわかりやすかったことか。
その中で、ル・ベリが離脱間際に、奴の"声"が――まるで多頭竜蛇の"海鳴りの咆哮"のような、しかしそれに比べて遥かに弱々しい、しかし脳裏に直接その意味が流れ込むかのような、オルゼンシア語とも異なる"声"が聞こえたと俺に【眷属心話】で報告してきたのであった。
そして俺は、その報告を聞いて、自分の心の中に湧き起こった波紋を受け止めかねていた。
だから、俺はいつもの通り、それが俺の流儀であるといつもやってきたように、自嘲をする。
「……あぁ、面倒だな。お互いに半端者ってことか。いっそ、竜人が本当の化け物として暴走してくれれば俺も楽だったし、あるいは俺自身が"完全な"魔人、迷宮領主として『理想的』な精神構造にでもなってしまっていれば、ずっともっとわかりやすくやれたのにな」
ベータ班が全力でこちらに向かってきていることが、徐々に合流してくる『中継班』の走狗蟲達から報告されてくる。ベータ達は全力だが――まだ遠い。
使徒の「覚醒」にも似た現象を目の当たりにして、小鬼術士達が明らかに奮起していた。抵抗が激しくなり、戦士達への叱咤にも似た激励もまた壮絶さを増す。
その中で俺は『黒穿』を指揮杖として振るい、【情報閲覧】による"個体特定"で対抗をしていたが――「癒しの術」やら「発疹の術」といった【元素系】以外のタイプの魔法を持つ小鬼術士が増えていた。ゴゴーロ氏族の本隊の本格的な合流が進んでいたのである。
≪全班に告げる、ゴゴーロ氏族の合流部隊へのゲリラ戦は停止だ、それはもう放置しろ。「迎撃の裂け目」まで合流しろ。俺達の坑道への撤退を支援しろ。アルファ、戦士どもを削れ。連中、文字通り尻に火が付き次第、殺到してくるぞ。その勢いを打ち砕け≫
各戦線から五月雨のようにこちらも合流しつつある"名無し"達の各班のうち、ゴゴーロ氏族を合流途中で襲撃することを判断していた者達を呼び戻す。地上で迎え撃つにせよ、坑道から洞窟へ誘い込んで迎え撃つにせよ、今は戦力を一度集中させる局面だと俺は判断していた。
全身から火を噴き、凄まじい熱気を放っていながら、竜人ソルファイドが身にまとうリングメイルのようにも見える鱗の服は、わずかに金属的な光沢をきらめかせるのみで燃え尽きる様子が無い。何か特殊な素材でできた装いなのだろう。
その赤熱する様は、まるで彼自身こそが、あの「火の魔剣」の刀身そのものになったかのような有様とも思えた。
――と、そこまで考えたところで。
青い閃光が眼下に弾けるかのように、閃きが訪れる。
("まるで「火の魔剣の刀身そのもの」"――だと?)
それはとある可能性に関する閃きであった。その可能性、仮説を確かなものとすべく――俺はダメ元で【情報閲覧】をソルファイドと、そしてその手に持つ一振りの、持ち手と同じように赤熱した剣に対して発動する。
そして、たった今閃いた仮説が――かなり見込みがあるものだ、と思ってしまった。
厄介なことに、それは「島への被害を最小限に押さえる」と同時に、使徒の「助けてくれ」とかいうこの文字通りの火事場・土壇場・鉄火場の三重奏の中での面倒極まりない"願い"を、叶えてやることができる可能性を秘めた"閃き"であったのだ。
≪ル・ベリ、まだ動けるか?≫
≪……この命に代えても≫
≪一つ聞く。お前は今のあの"使徒"サマの姿を見てどう思う? 忌憚ない意見を言ってみろ≫
≪……我が尊母が"竜"を評した「哀れなる」ということの意味を、理解した思いです≫
≪お前がそう言うならば、これはお前にしか任せられないな、やはり――ル・ベリ、ある物を取ってきてもらいたい。走狗蟲1体に『中継班』経由で伝達を送って取って来させるから、道中でそれを受け取れ。俺が何をさせたいか、お前ならばすぐに察するはずだ≫
≪……御心のままに≫
ル・ベリの気配が遠ざかり、【眷属心話】の感知範囲外まで遠のくことがわかる。
しかし俺にとっても余裕がある状況ではなかった。
"ゴブリン語"でどのような檄を飛ばしているのか、老祭司ブエ=セジャルには大層な演説と鼓舞の才があると見える。【情報閲覧】を通してちらりと見えた――称号『連衡の形成者』は、名前を見るに外交系の技能とも思えたが、そういう技能をも備えたものだったのかもしれない。
戦線獣アルファに警告した通り、延焼を広げながらゆっくりとこちらに歩いてくるソルファイドの熱気にあてられて文字通り「尻に火がついた」小醜鬼達が、死物狂いで反撃し、進撃してこようとしていた。
――このまま抑えきれるか? ジリジリと走狗蟲達を後退させながら、同時に、周囲から樹上からなるべく弱った個体から襲わせるような"指揮"をしながら、俺はあえて口の端を歪めた笑みをソルファイドと小醜鬼集団に見せつけてやった。
アルファの投擲物を――ソルファイドの周囲に漂う火気を引っ張る形で【火】の魔法を繰り出した小鬼術士によって撃ち落とされる。
それに瞠目したブエ=セジャルが何事かを怒鳴るや、数体の小鬼術士達――【火】の使い手達である――が銘々に詠唱を行い、まるでソルファイドという篝火から種火を分け与えられ、それでもって火矢をばら撒くかのように、それまでの小鬼術士達の実力では考えられないほどの火力を周囲にばら撒いて、群がる走狗蟲達を追い払う。
巻き込まれた戦士達が悲鳴を上げるが、崩れ落ちる者はあっても逃げ出そうとする者はいない。
そしてソルファイドが"竜の咆哮"のような怒号を小醜鬼達の後ろから火気と共に叩きつける。
目を血走らせ、まるで灼かれて焼かれて水に餓えた幽鬼のような表情となって歯を剥き出した小醜鬼の戦士達が、術士達の援護を受けながら、崩落した大地を味方を犠牲にしその亡骸を足場にしながら迫ってくる――。
ここまでか、と俺が「迎撃の裂け目」の放棄を決断しかけた、その時であった。
――遠方から微かに轟いてくる、遠くて微かにしか聞こえないが、それでも聞き間違えようのない独特にして原初の生命の韻を暴力的なまでに含んだ【おぞましき咆哮】が響く。
瞬間、アルファが何かに気づいたように宙を見やり、まるで遠吠えに応える狼の群れ同士のように【おぞましき咆哮】を天に轟かせ――手に持っていた最後の石弾を、その豪腕と膂力の全てに加え進化前の走狗蟲時代から引き継がれる強靭なる後ろ脚のバネのような跳躍によって、天高く投げ撃ち放ったのであった。
豪投された石弾が巨樹をあっという間に抜け、『樹冠回廊』をも突き抜けていく――。
***
"名付き"の戦線獣達が【おぞましき咆哮】を遠吠え代わりに互いの位置を知らせあっていた頃。
『特別襲撃班』を任されていた噴酸蛆ベータは『帰らずの丘』の"大裂け目"に佇んでいた。
そこにはベータ一体のみである。
同じく噴酸蛆であるイプシロンはいない。彼はまだ辿り着いていない。
――ベータは全身に細かな枝が突き刺さり、またオーマの眷属の皮膚でありながら明らかに多数の打撲や内出血をした状態であると、他の生物が一見してもわかるボロボロの姿でありながらも、まるで嗤うようにアルファの咆哮が聞こえてきた方角を向いていた。
固定砲台たることを望まれ、そのような在り方に進化したはずの鈍重なる噴酸蛆の貧弱な四肢では、確かにベータが独自に編み出した「回転移動」をもってしても、未だ『帰らずの丘』に戻ることはできない――そのように【精密計測】していたからこそ、オーマはベータとイプシロンの存在を「西部方面」への"名付き"合流組としては勘定に入れていなかった。
しかし、ベータは今ここにいる。
ベータの"名付き"としての個性と生来のわずかな個体差が生み出した「好奇心」は、奇抜で柔軟な思考に発展していた。そしてそれがオーマの眷属としての痛みと傷を恐れぬ性質と合わさり――ベータは、ガンマとデルタ、そして数体の"名無し"の戦線獣達に自らを投げさせたのであった。
さながら投石機によって撃ち出される巨石の如く、遊拐小鳥イータによる"観測"に誘導されて、ベータは『帰らずの丘』までの距離を短縮。その際に、枝の密集地に叩きつけられて全身打撲となりながらも、オーマとル・ベリが接敵する頃には既に『帰らずの丘』までたどり着いていた。
――そしてベータは『特別襲撃班』を預かる者として、ガンマ以下の戦線獣達に指示を下し、『樹冠回廊』をわざと攻撃させたのである。
その成果が、たった今、アルファとガンマ、デルタが咆哮によって"会話"し合った、次の瞬間に訪れる。
ガンマ以下、戦線獣の豪腕によって砕かれた樹冠回廊が、重心を崩され崩落し、さらに崩落は周囲の枝々を巻き込んで連鎖していく。それは"名付き"と"名無し"達の連携と群体知性により、「迎撃の裂け目」に向かった連鎖的な崩落であった。
そしてベータは崩落が始まる前から、既に「回転移動」によって『樹冠回廊』を目的地に向かって駆けている。イータ以下遊拐小鳥達の観測と導きにより――"射撃ポイント"へ辿り着くや、森を焼く火気と熱気が増しており、ベータは自身が感じた「幻覚」が真実のものであったことを自認する。
遥か遠目ではあるが、それでも『樹冠回廊』を連鎖的に崩落させて開けた巨大な「穴」から見えたのは、主を護りながら群がる小醜鬼達を薙ぎ払い、放たれる小鬼術士達の魔法を身体を張って受け止める走狗蟲達の姿であった。
そして、その奥から悠然と、ただ火を撒き散らしながら迫る小醜鬼ではない存在――他のエイリアン達からの【眷属心話】により『竜人』なると聞かされていた存在の姿も見えた。
一瞬、アルファと目が合う。
それだけでアルファとベータは互いの意図を了解する。
この時ベータは、己の限界を超えた量の「酸」を溜めていたのである。
その状態で、ベータは「回転移動」をしながらここまで辿り着いていたのである。
オーマがもし見ていたならば、即座に帰還させ治療に当たる判断を下していたであろうほど、自らの傷を厭わぬ強行軍であったが――それでもベータは嗤っていた。まるで、それが己の存在意義であり、命を燃やすことこそが主の被造物としての歓喜であるかのように。
故にこそ、ベータにとっては不思議であった。
同じように命を文字通り燃やしているはずの主の敵である"竜人"が、これっぽっちも楽しそうではないこと、歓喜に偽装した何か別のものに支配されている、その欺瞞を、ベータはごく自然に看破し、そして純朴に疑問に思っていたのである。
――ただ、まぁ、それは今主の窮地を救うことと直接関係することではない。
『噴酸蛆』として与えられた、今の己の役割を忠実に果たすこと。それそのものが己にとっての、暴力的なまでの生の喜びであること。
その証として、ベータは、限界を超えて何十時間も溜めに溜めた、口腔はおろか内臓をも焼き尽くさんと体内で暴れ狂う大量の『酸爆弾』を、その全力で撃ち放った。
***
【エイリアン使い】オーマは、戦線獣同士の咆哮による合図を聞いて、限界まで戦線で耐えることを決断していた。
既に従徒ル・ベリに秘策を預けて一時本拠地まで帰還させ、彼が戻ると共に、灼熱にその身を飲まれた竜人ソルファイド=ギルクォースを無力化させる賭けに出ていたことも、その判断理由の一つである。
島の北東、南東の他戦線から駆けつけてきていた走狗蟲達に殿軍を任せ、撤退しようと思えば撤退することはできた。だがそれは、"覚醒"した「使徒」に率いられ、単なる野蛮な獣の群れではなくなりつつあった小醜鬼達によって、戦力の多くをすり潰されるリスクのある撤退でもあった。
そしてそうした「戦況」であることは、エイリアン達もまた彼ら同士の【眷属心話】による交信の中で理解していた。
――その中にあって、噴酸蛆ベータ率いる『特別襲撃班』の大返しと、さらに反撃の狼煙としての咆哮の合図を、オーマは信頼したのである。いや、それは信頼したかったか、あるいはすがりつこうとした、と言えるものであったかもしれない。
それは彼の中の――異世界シースーアで目を覚ます直前、元の世界で、火に巻かれ炙られ、何年もかけて抗い続けてきた「目標」が潰え、まさに失意の中で命を落としたかと思った――そんな経験に対する、意地のようなものであった。
戦術的、戦略的な思考や作戦検討の中では「逃げ」ることも縦横に考慮する。それが、一個の軍団を率いる存在とも言える迷宮領主としては当然の思考である、とオーマは考えていた。
怜悧なる迷宮領主たろうとするのであれば、島の掌握のために戦力の多くを失うリスクは負っても、明らかに自分自身を危険に晒すようなこの戦術的判断は、実に不合理なものである。
故に、この時、自分があえて「対峙」することを選んだことは狂気の沙汰でしかなく、たとえそこに、どれだけ様々な条件が重なって「対峙」させられたのだと自嘲しても、それは結局は自分が自分に翻弄され、自分で自分を御しきれていない――元の世界から何も変わっていない自分の本質であり限界である、とオーマは自嘲を深めていた。
だが、そうしなければならないのである、と。
合理ではなく、それを越えた先に自分自身の芯があることを、どれだけ自嘲しようとも、オーマは自覚させられざるを得なかった。
心の中に宿り続ける一人の少女の言葉だけではない。
己を【火】によって追い詰めながら、その実、自分自身をこそ追い詰めて焼き尽くそうとしている"使徒"の姿が、ある意味で「そうなったかもしれない自分の姿」と重なったようにオーマの目には写っていた。
ある意味では博打にも等しい「対峙」の中、オーマは心の中で次のように自問していた。
――俺のために命を賭ける眷属達の判断と決断を信じて、その結果、敗れるならそれはそれで満足すべきことだろうさ、と。
それは、諦念に見せかけた、抗いと信念と信頼の混合物であった。
同時に、オーマはこの時、本当の意味で異世界シースーアの【闇世】の迷宮領主としての資質を開花させることとなる。
自分が自嘲の具にしていた「怜悧さ」と「合理的思考」こそが、実際のところ、迷宮領主という存在にとっては"不純物"であるということを、彼はまだ知らない。
多少そのタガが外れていたとしても、それが一歩間違えれば独善に転落していくようなものであったとしても、それでも譲ることが絶対にできず、そのためならば、どのように自分を偽ろうとも結果的に「対峙」することを選ぶ、狂的とすら言える何かを抱き、それを自分や眷属達を巻き込んで相手に、そして周囲の世界にすら押しつける信念を持ち続けること。
それこそが、迷宮領主に――このシステムを作った存在に――求められる最も大切な資質であった。
だからこそ、彼の眷属達はその想いに見事に答えることとなる。
とある"存在"による、気まぐれの、ほんの小指の先一つの気まぐれの介入によるささやかな助けを以て。
――"後援神"の自薦を検知。『九大神』による選定投票の実施を計測――
――投票結果。賛意8、棄権1――
――【全き黒と静寂の神】を『客人』オーマの"後援神"に確定――
噴酸蛆ベータの『酸爆弾』があり得ない飛距離を、まるで空間をすり抜け虚空を通り抜けたかのような超長距離を飛来。
竜人ソルファイドの頭上から、周囲の複数の小鬼術士達を巻き込む形で爆散して巻き込み、恐慌状態を引き起こす中、アルファの【おぞましき咆哮】に合わせて走狗蟲達が逆撃を開始したのは、その直後のことであった。





