0037 9氏族陥落作戦(3)
樹上から飛び降りてきた『魔人』にソルファイドは隻眼を瞠目させる。
『最果ての島』に、小醜鬼と呼ばれる『魔人族の怨敵』が群れを成していたこと自体が、そもそもテルミト伯がどのような反応を示すかわからない事態であった。ソルファイドは「リーデロット」という者を調べるように指令を受けていたが――十中八九、その者が『魔人族』であるとして、小醜鬼の群れの中に迷い込んだ魔人族がどのような運命を辿るか、【闇世】に来た中で聞き知る機会があったからである。
故に、無事に生存している『魔人』が目の前に現れたことは、与えられた指令を実行する手がかりが、遅まきながら手に入ったようなものでもあった。
その『魔人』は、崩落した地面の向こう側に傲然と佇む、異形にして歪な魔獣を侍らせる『魔人』とは微妙に違う迷宮領主よりは、ずっと『魔人』らしい『魔人』であったのだ。
しかし今は迎撃しなければならない――とソルファイドは意識を眼前に集中させる。
【異形】の魔人が6本もの触手を大傘のように広げ、さらにそのそれぞれに得物――木の槍や、野獣の牙を加工したもの――を構え、頭上から迫る。
彼は大胆にして器用なことに、その全ての得物を振り回しつつも、1つずつの速度を変えてソルファイドに叩きつけてくる。その姿はさながら大蜘蛛の魔獣か、あるいはテルミト伯の傭兵として対峙した【樹木使い】が操る『しなれる虚獣』という"蔓や枝や葉でできた"大型の魔獣を思わせた。
この"手数"を捌き切るには、双剣の片割れを失った状態ではいささか攻防の両立が厳しいか。
そう即座に判断し、ソルファイドは『3点跳躍』によりその場を飛んで乱打を躱すことに専念する――ただし、逃げるわけではなく真正面から魔人に吶喊する形で。
ソルファイドが飛び込んでくることを半ば予期していたのか、魔人の男――テルミト伯と比べてずっと若い少年のようにも見える――が苦虫を噛み潰したような顔になった。懐まで距離を詰められては、多すぎる"手足"のせいで得物同士が干渉し、自由に振るえないことに気づいたのだろう。
それでも一撃を入れんと、身体を無理にひねりながら、罵声と共に斜め上と背後から2本の槍を触手のうねりと共に繰り出してくる。ソルファイドはそれを最小の動きで回避しながら、返す刀で穂先から切り飛ばす、と同時に、跳躍の勢いのままに身体をひねり魔人とギリギリの距離ですれ違った。
両者、そのまま上下逆転。
4本の触手で着地した魔人が振り返りざま、3分の2の長さとなった槍2本を投擲。ちょうど木の幹を蹴って滞空したソルファイドの眼前に迫るが、『ガズァハの眼光』をわずかにひねって難なく切り払う。
そのまま剣に火気をまとわせて赤熱させ、大振りに上段に構え、落下する勢いのままに振り下ろす構えを見せつける。触手や武具で防ぐつもりならば、それごとまとめて焼き断ち切らんとする気迫であった。
対し、魔人はますますその顔を忌々しげに歪ませるも、逃げようとはせず迎え撃つ様子を見せる。ソルファイドに向き直って触手を大きく散開させ、まるで飛び込む昆虫を包み込もうとする蜘蛛の巣であるかのような姿勢を取った。
武器の損耗は承知の上、ということであろう。
そう看破しつつも、ソルファイドはあえて正面から飛び込む選択肢を曲げはしない。
振り下ろされ叩きつけられた『ガズァハの眼光』が魔人の持つ得物をまとめて叩き切るが、その全てを断ち切れず、力任せに弾かれたソルファイドが地面に着地する。
それを隙と見て取ったか、魔人は空いた触手で手頃な石の塊をも拾い上げ、全ての得物を総動員して打ち合いを挑んでくるのであった。しかし、ただの棒切れや石ころや骨牙の類では、竜の骨より鍛造された秘剣とまともに打ち合うことなどおこがましいことである。
その尽くが2、3合もせぬうちに破壊されるが――魔人は「量」で挑むつもりのようであった。
得物を切り飛ばされ、あるいは破壊されるたびに、どこからともなく新たな石や枝が投げ渡されるのである。それは、あの異常な膂力で木塊や石塊を小醜鬼達に投擲する「おぞましい」魔獣の仕業であった。
ソルファイドは6本触手の魔人が打ち合いながら、小醜鬼達から大きく離れた場所まで移動していたが、豪腕の魔獣の恐るべき投擲がそこまで届いているのである。時折、武器を投げ渡すと見せかけて直接ソルファイドを狙う投弾もあり、そちらへも注意を割かなければならない。
加えて、魔人が複雑な動きを披露してソルファイドを翻弄しようと試みていた。
自らの両足で地面に立つのではなく、まるで蛸のように、かわるがわる触手を交代させて宙を飛び跳ねたり、木の幹に取り付いてから飛び降りてくるなど、機動戦を仕掛けて直接ソルファイドに組み付こうとしてきたのである。
これに対抗すべく、ソルファイドもまた竜人の体術で跳躍を繰り返し、尾の一撃で迫る触手を打ち払うも――手数の差から徐々に追い詰められていく。
――だが、ソルファイドはわざとそうしていたのであった。
打ち合いの中で、ソルファイドは魔人が複数の触手を"囮"と"死角に潜む本命"に分けて振り回していることに、その類まれなる洞察力と戦闘センスによって気づいていた。
魔人が触手3本がかりで振り下ろしてきた巨大な丸太を、あえて『ガズァハの眼光』で受け止める。赤熱した刃が、その丸太を半ばまで焼き切る――その瞬間に魔人が丸太を回転させ、中途半端に食い込んだ剣を弾き飛ばそうとする。ソルファイドはその思惑にわざと乗ってやり、自ら『ガズァハの眼光』を放り投げるように手放した。
それがわざとであることに気づかず、勝ち誇ったように冷酷な表情を浮かべた魔人に、ソルファイドは挑発の言葉を投げつける。
「悪いな、魔人。つい最近、似たような相手と闘ったばかりなのだ」
剣を離した勢いのまま丸太を蹴りつけ、回転するままに跳躍。
そこに容赦無しとばかりに触手で縦横に追撃し、こちらの手足を絡め取ろうとする魔人に対し――ソルファイドは自由になった両手でその触手を1つずつ掴む。
そして、知恵の輪をくぐるかのように迫りくる他の触手同士の間をくぐり抜ける。
それはちょうど、魔人が触手2本によって地面に立つ、その2本の間であった。
ソルファイドは両手に魔人の【異形】を2本を掴んだまま、スライディングの要領で一気にくぐり抜け――身体をひねらせる要領で2度、3度とすり抜け、触手同士を結んで絡まらせてしまったのであった。
「ぐぅぅ……ッ馬鹿な!」
魔人が苦悶に呻くように声を上げる。
"結び目"に巻き込まれた触手は4本。こうなってしまっては、もはやその自由で柔軟な動きを駆使するどころではなく、ただの邪魔な重しでしかない。
姿勢を維持することもできずに魔人が崩れ落ち、かろうじて残る自由な2本の触手と四肢で這うように立ち上がろうとする。その姿を横目に、ソルファイドは落ちた丸太に刺さった『ガズァハの眼光』を引き抜いて魔人に切っ先を向ける。
そこに、窮地に陥った魔人を救おうとしたのか、異常に後ろ脚の発達した十字に裂ける口と牙を持つ、肉の塊を練り上げたかのような異形の魔獣が頭上から飛び降りてくる。背後を狙った一撃であったが、ソルファイドは振り返りざまに『ガズァハの眼光』を一閃して切り捨て、さらに左右から迫った別の2体の「爪」を剣の身と柄で同時に受け止めながら、地を蹴って距離を取り直し、剣を正眼に構えて深く呼吸を吐いた。
「魔人、お前に問うことがある――『リーデロット』という名前に、お前は心当たりがあるか?」
***
【おぞましき咆哮】と小醜鬼達の絶叫、エイリアン達の咆哮と小鬼術士達の詠唱が入り乱れる。
俺が「西部方面」に率いてきた走狗蟲達は、四方八方から小醜鬼の戦士、術士を問わずに飛びかかって引き裂かんとしていた。加えてアルファが石や枝の塊を次から次へと投げつけ、その攻撃によって生じた混乱の中で、合流してきた『監視班』の隠身蛇が『暗殺班』に転身して奇襲と不意討ちを狙っている。
しかし、小醜鬼の戦士と小鬼術士の連携は、かつての「競食作戦」で手こずらされたバズ・レレーの円形陣を上回るものであった。わずかな数とはいえ、生き残った戦士達が密集して術士を守り、その内側から【風】の刃や、【火】の球やらによる激しい抵抗が撃ち放たれるのである。
それでも果敢に戦列を突き崩そうと突っ込む走狗蟲達であるが、無傷とはいかず、反撃を食らって動きが鈍る。
そしてそこに、抵抗陣の中心にいる一際強い魔素の流れを操る老小鬼術士が杖を振って何かを喚くや、ターゲットとなった走狗蟲の皮膚が異様に泡立ち"瘤"立ち始め、もんどり打つように激しく地面を転がったのである。
――痛みを恐れぬはずの走狗蟲を悶絶させるとは、一体どのような魔法であるか。警戒を覚えつつ、"遮蔽"にしているアルファの背中から顔を出して目を凝らして見れば、痙攣しつつも退いてきた走狗蟲の全身に発疹にも見える帯状の腫れが痛々しいほどに広がっていた。
ただし、走狗蟲が討ち取られたわけではなかった。発疹の苦痛と苦悶に耐えながら戻ってきた走狗蟲には【命素操作】によって無理矢理生命力を回復させ、【魔素操作】によってまとわりつく魔力を弾き飛ばすイメージを送るや、幾分苦痛が和らいだ様子を見せ、すぐさま戦線へ戻っていく。
現時点でまだ戦死者は出ていなかった。
そして幸いなるかな、抵抗陣が形成されているとはいえ、小鬼術士達を守るには戦士は数が十分ではなかった。
小鬼術士の一部が「粘液」のようなものを飛ばして、アルファの投擲を一部防いで見せていたが――それはむしろ隙の類である。
即座に周囲の走狗蟲や隠身蛇に命じて、アルファの投擲に注意を惹きつけられた者を奇襲させ、確実に戦闘不能者を増やしていく。だが、それであっても2氏族の合流した小鬼術士は数が多すぎた。
半ば使い潰す勢いで戦士達を盾にしながら、確実に反撃を見舞ってくるのである。その激しい抵抗により、切り込んだ走狗蟲達は皮膚を半ば黒焦げにされたり、切り刻まれたり、少なくない"出血"を強いられていた。
じりじりと焦れるような局面であったが――それでも俺は戦略判断の正しさを実感していた。
もし、この厄介な小鬼術士の集団が、十分な量の前衛に守られながら侵攻してきていたならば、今以上に苦戦していたかもしれない。特に、俺の眷属達に意外な弱点があり、それが突かれたことが驚きであった。
その『発疹』か『掻痒』を引き起こすという、性質の悪い魔法で俺の走狗蟲達を苦しめる敵も然る者。小醜鬼特有の何を言っているかわからないしわがれた声で怒鳴ってはいるが、どうも取り巻きが【風】属性の魔法によってその声量を高めて遠くの戦士達にも場所を知らせているらしく、犠牲を払いながらも戦線を維持していた。
――ル・ベリによる『野獣の行進』で壊滅できなかった、北西ゴゴーロ氏族の戦士達が、足の早い者から順番に真っ直ぐにこの戦場に辿り着いていたのである。斃せども斃せども、小鬼術士を守る戦士が、俺としても今の戦力では減らしきれないでいた。
故に、俺もまた対抗すべく『黒穿』を指揮杖として振るい、あらん限りの声量と【眷属心話】を飛ばして指揮を執る。可能な限り全体を見通すことができる位置から、小醜鬼達の陣形のほころびを指し示して、アルファの投弾や走狗蟲を突っ込ませる。
その中で、視界の隅に、激しく撃ち合いながら戦場から離れていくル・ベリと竜人の剣士が見えた。当初はアルファを支援に突っ込ませることも考えていたが――指揮のために、予想以上に余裕が無かったのだ。
ただ、徐々に援軍が駆けつけているのは俺もまた同じであった。
南東方面と北東方面に派遣していた各班のうち、近い距離にいるものからこの戦場にも駆けつけるものが現れており、その一部は「群体知性」による独自判断でル・ベリの支援にも回っているようだった。
そこでふと、もし『エイリアン語』の解読が間に合っていれば、という無いものねだりが頭をよぎって俺は自嘲のように苦笑する。
例えば『エイリアン語』を通して、もっと直接に走狗蟲達からその「感覚」の情報を得られたならば――こうして俺自身が危険を冒して最前線に身を晒して指揮を執る必要など無かったかもしれないのだ。
この俺を迷宮領主である、と明確に認識して宣戦布告してきた、あの竜神サマの"使徒"からすれば、ル・ベリを排除した後のターゲットは明白だったからだ。
――竜人ソルファイドが構えていた、赤く紅く赤熱する、凄まじい火気を放っていた剣が、抗いようの無い嫌な嫌な記憶を蘇らせる。
――さらに走狗蟲達が悶絶させられた『発疹』『掻痒』は、『侵種:魔人族』となって皮膚の持病が解消されたはずの俺自身の、何年も悩まされた激しい掻痒感を思い出させた。だが、それを思い出したくないからといって、痙攣しながらも必死に俺の下まで退いてきた走狗蟲を治療しないわけにはいかない。
『エイリアン語』を介して、不気味で不安定になりまるで俺自身までもが「痒く」なってくるかのような感覚ばかりが伝わってくる。とても嫌な形で『エイリアン語』への理解が進んでおり、そうして集中力が乱されるせいで、俺自身としても走狗蟲達を思うように突撃させられなかった。
(やはり情報処理に特化した眷属が、戦術サポートができる眷属が必要だな……)
互いに出血し続ける我慢比べのような激しい膠着状態の中で、俺は天秤を傾けるため、集中が乱される焦燥感を撥ね付けるように、【情報閲覧】も何度も発動した。その結果、やはり小鬼術士は主に【風】、【火】、といった属性持ちが多いことがわかる。そして走狗蟲を苦しめる"悪疫"の魔法を使う老師ブエ=セジャルのみ、【混沌】属性を扱うことがわかった。
ここで重要なのはどんな種類の属性が相手にあるか、ではない――どの個体がそうであるか、ということだ。
≪アルファは【火】の術士を優先的に狙え。他の"名無し"達はそれ以外だ、戦士の撹乱に徹底しろ。『暗殺班』は確実に術士を狙え――"発疹"には業腹だが対抗手段が無い。"名無し"達よ、すまないが「犠牲役」を出せ、そいつに集中させて可能な限り被害を抑えろ≫
***
「『リーデロット』、だと? 貴様、今『リーデロット』と言ったか!」
【異形】の触手のうち、4本を"結ばれ"た激痛と急激な動作制限による不自由により、ル・ベリは苛立ちが頂点に達していた。そこに、目の前の赤髪の竜人が発した言葉は、もはや爆弾のようなものであった。
自分でも訳のわからぬ激昂に見舞われ、思わずそのように怒鳴りつける。
「知っているようだな。お前は『リーデロット』の何なのだ?」
「何故それを知ろうとする!」
「それが俺の"雇い主"の望みだからな」
ともすると吐き捨てるような竜人の物言いに、ル・ベリはすっと冷静さを取り戻す部分があった。
"雇い主"という言葉から、偉大なる御方様に仇なす存在の背後関係について知ることのできる可能性に気づいたからである。そしてそれだけではない。ル・ベリが、知りたいと願い続けていた母リーデロットの、ル・ベリが知らないことをこの忌々しい男が知っているかもしれない、とも考えたからであった。
そうして急速に怒りを押さえて冷静になりながら、心の中で苦虫を何匹もまとめて噛み潰し、今度はル・ベリが吐き捨てるように問う。
「……リーデロットこそは我が"母"の名前だ。貴様は、我が母を知っているのだな。トカゲめ、貴様はさては"大陸"の『伯爵』の配下か? まさか従徒か!?」
ル・ベリの問いかけに、竜人は片方だけの隻眼をあからさまに細め、不快感を示したようであった。
「確かに俺は【人体使い】に雇われている。だが、断じてあのような悪趣味な輩に仕えたつもりは無い。そして、そうか、お前の"母"なのか――ならば次の問いだ、お前が迷宮領主ではないなら、あの迷宮領主は何者だ? あれは……少なくとも純粋な『魔人』ではないな?」
「貴様、我が御方様を"あれ"呼ばわりするかッ! ご自慢の"火"で貴様自身をトカゲの燻製肉にしてかっ食らってやろうか」
「そうしたければ、少し減量した方がいいぞ、随分と動きにくそうだ……お前達『魔人族』はよほど【異形】とやらを大事にしているようだが、俺から見れば『魔人』もまたただの『人族』よ」
斯くの如し、"竜"人の剣士の物言い。
ル・ベリは、直感的な部分で引っかかるものを覚えた。同時にそれは、深い部分で、ル・ベリの琴線や矜持といったものに触れる何かであった。
――迷宮領主オーマによって「開花」したル・ベリの【異形】は、元は彼の母リーデロットが、ル・ベリ自身を"半ゴブリン"に擬装するために「せむし」として封印したものであったのだ。
おそらく【闇世】の他の『ルフェアの血裔』達がそう思う以上に、ル・ベリにとってその【異形】こそは、己がまさしく本当の己である証そのものであった。かつて「人」であることを隠さざるを得ず、それが偉大なる御方様たるオーマによって解き放たれ、もはや醜悪なる小醜鬼ではなく「人」に戻ることができた、その象徴であったのだ。
それを、このように"結ばれる"などという形で無力化された事自体が、痛恨の辱めであった。ともすれば、"半ゴブリン"時代に縛られて閉じ込められていた時以上の屈辱であった。
「……良いことを教えてやろう。我が尊母リーデロット曰く、あの『竜神』などと呼ばれている多頭竜蛇とは『哀れなる生き物』であるらしい」
瞬間。その竜神の"使徒"であるらしい、目の前の赤い鱗の男の全身から、殺気にも等しい剣呑な気配がめらめらと火気の如く立ち上ってきたことにル・ベリは気づいた。
どうも、自身が想像した以上に、目の前の「竜人」の琴線や矜持を逆撫でし返すことができたな、と判断して、ル・ベリは嘲りの笑みを浮かべる。
「ならば、竜人とは、さしずめ『人』になり損ねた『竜』というところか?」
「――魔人め。お前らに竜人の誇りがわかるはずもあるものか。ほざいたツケを払わせてくれる。その手足を片端から焼き潰して達磨にしてから、最後に首を叩き落としてやろう」
竜神の"使徒"は目に見えて激昂していた。
そしてその怒りの激しさを表すかのように、剣が紅く赤く煌々と赤熱していた。下手に触れただけでも、ただでは済まないだろう。ただ単に厚く堅いだけのような防具では防ぐことのできるものではない、必断の魔剣であった。
しかし、ル・ベリは不敵に笑って挑発を続ける。
「やってみろ。こちらの体重なんぞを気にかけてくれたようだが……貴様の方はまた、随分と心に邪念を溜めているようだな。何とも重苦しい、面倒くさい奴だ。心の減量が必要ではないかな?」
***
数秒の静寂と空白。
先に動いたのはソルファイドであった。
周囲の大気が陽炎のごとく歪むほど赤熱した火剣を、神速の踏み込みと共に横に薙ぐ――リーデロットの息子を名乗る魔人が結ばれた触手ごと転んで回避し、さらにそこに周囲に潜んでいた走狗蟲が飛びかかってくることを見越して、さらに懐に飛び込むための歩法である。
しかし魔人は身構えつつも、一切の回避動作を取らなかった。
捨て身のつもりか? と小細工を警戒するソルファイドであるが、それを正面からねじ伏せようと闘気の炎を燃え上がらせる。
この時ソルファイドは、『竜』とは「人」に対してそうするものである、と無意識に多頭竜蛇に対峙した時の己自身の姿を、目の前の「魔"人"」に投影してしまっていた。
ソルファイドの恐ろしい熱量を伴った『ガズァハの眼光』による横薙ぎの斬撃を、動きにくそうな魔人がそのまま「重し」で受け止める、その刹那。
左右から異形なる足爪の魔獣が飛び込んできた、そのこと自体はソルファイドの想定内。
しかし、自分を襲うと予期して蹴りと尾撃を見舞おうとしていた構えがすかされる。
――なぜならばその魔獣達は、ソルファイドではなく魔人の「絡まった触手」をその結び目から一気に切り飛ばしたからだった。
瞬間、ソルファイドの予想を遥かに越える速度で複数の肉塊が砲弾のように目の前で弾け飛ぶ。
「何だと!?」
この時、魔人ル・ベリは「絡まった触手」を絡まったまま、それを振りほどかんばかりに限界まで力ませ、力を溜めていたのであった。その状態で"結び目"を切り飛ばされたことで、溜められた力が開放されるまま筋肉の緊張と躍動のままに切断された肉塊が押さえを失って吹き飛んだのである。
そしてそれが、足爪の魔獣をいなそうとしてすかされて呼吸をずらされたソルファイドの顔面に叩きつけられ、血飛沫と共に目眩ましとなる。そのソルファイドの様子に、今度こそしてやったり、と魔人ル・ベリが壮絶な笑みを浮かべる――激痛を自らの下唇を血が出るほど噛んで耐え、ただこの瞬間を彼は待っていたのであった。
とっさの回転運動により、叩きつけられた元触手の肉塊を弾き飛ばし、追撃を返り討ちにせんとソルファイドは、隻眼をカッと見開いて魔人を見た。
見てしまう。見てしまった。
――その妖しく緑色に輝く右の瞳を。
「『魔人』のとっておきを喰らわせてやる。安心しろ、貴様が"竜"であり"人"ではないというなら、こいつはさほどは効かないはずだぞ?」
眼光に合わせ、魔人ル・ベリが懐から取り出した何かの"骨"を握り締めた瞬間。
まるで頭蓋骨を野獣に噛み砕かれたかのような激痛がソルファイドを襲った。突き抜ける衝撃と、全身が痛みの信号によって硬直したことにより――ソルファイドは反射的に足を止めてしまう。そしてそれにより、足爪と十字の牙を持つ異形の魔獣が左右から恐るべき敏捷さによって飛びかかってくることへの対応が遅れる。
次の瞬間、ソルファイドが感じたのは膝裏と腹を――鱗の薄い場所を的確に――切り裂く灼熱のような熱さと、それに一瞬遅れて脳天から足先を貫くかのような激痛であった。
――そして。
激痛が呼び水となったかのような。
あるいは、封じられていた何かがその激痛によって"タガ"を外されたかのような。
そんな『黄金の馬蹄国』の騎士達と【人世】で切り合った時には感じることができず、多頭竜蛇と死闘を演じた中で確かに感じることの出来た――思考も感情も、激痛も、時間の感覚も、その全てが塗り潰されてしまうかと思えるような圧倒的な「歓喜」にも似た「憤怒」の感情がソルファイドの腹の底から、本能と歴史と記憶の底から噴火するように湧き上がってくる。
それはル・ベリにも、「竜人」という種族に関する知識を【眷属心話】によって彼に流していたオーマにとっても、予想だにせぬ反応であった。





