0035 9氏族陥落作戦(1)
【23日目】
ミミィガ氏族は、最果ての島の小醜鬼諸氏族のうち、南東部に縄張りを持つ。
周辺の氏族と比較しても、特にその野蛮さと粗暴さで恐れられたミミィガ氏族であったが、極度に閉鎖的な性質であること、また海岸近くの崖に『三叉鉾角山羊』の大規模な狩り場を囲い込んでいることから、積極的に縄張りから討って出たり、他氏族の縄張りに侵入をするということはほとんど無かった。
しかし、小醜鬼としての彼らの暴力性や、他の個体を見下し罵るという社会文化は最果ての島でも最も"野蛮"な次元に至っており、血なまぐさい内部闘争に年中明け暮れていた。特にそれは、敵対者を辱めて自らの威を示すために――相手の「耳」を引き千切る、という独特の文化を生み出していた。
成年になるかならないかのうちから、ミミィガ氏族においては、互いの「耳を掛けて」争うということが行われるようになり、決闘に敗れた個体は文字通り「耳」を失う。そして勝利した個体は、ちぎり取った相手の耳を自らの首飾りの装身具と成すのである。
このような風習が、何十年前、あるいは何百年前から始まったものであるかは当のミミィガ氏族自身においても定かではない。
しかし、闘争での勝利の象徴として「耳」こそが重要なものであり、氏族長筋を初めとしたいくつかの有力な"系"では、生まれた幼体に木や骨による長大な「耳輪」を装着させる、という文化が生まれていたのであった。
これは、一見すると弱点であるようにも思われる。そのような長大な耳輪など、戦いにおいては容易く相手に掴まれ引き千切りやすい、ちょうどいい"取っ手"であるのだから。しかし、ミミィガ氏族ではむしろ――そのような明らかな弱点を晒した上で、それでも「耳を引き千切れなかった」敗者をこそ、ことさらに貶め辱めるような文化に発展したのである。明らかな弱点があるにも関わらず、それを敵対者に掴ませない、ということに戦士としての技量の高さを示威するべく、耳輪は歴史とともに巨大化の一途を辿っていったのであった。
――シャガル氏族の老祭司ブエ=セジャルの"追放弟子"の一体である、マーゴウ=ジャッカカは、そのようなミミィガ氏族の独特の"耳"崇拝を理解することで、この閉鎖的な氏族に浸透することに成功した小鬼術士であった。
閉鎖的かつ野蛮なミミィガ氏族には、かつてマーゴウの"兄弟子"達が何人も入り込むことを試みていたが、そのいずれもが「耳無し」の髑髏を縄張りの外に打ち捨てられてきたのであった。
その事実に他の兄弟弟子達が尻込みする中、マーゴウは、自ら進んでミミィガ氏族の掌握に志願したのであった。彼がそうした背景には、恐ろしき師であるブエ=セジャルの後継の座を争っていたグ・ザウが、島の最大勢力であるレレー氏族を掌握しつつあることを知ったからである。このままではグ・ザウが師の後継者となってしまうと恐れ、巻き返すために自ら危険に乗り込む覚悟をしたのであった。
斯くして、野蛮なるミミィガ氏族に接触するにあたり、マーゴウは小鬼術士としては驚くべき行為を敢行する。
彼は小鬼術士としては「傷を癒す力」という才能を開花させていたが、それは直接の戦闘では役立ちにくいとして、修行時代にはグ・ザウを始めとした他の兄弟弟子達に散々に馬鹿にされていた。だが、マーゴウは――「傷を癒やす力」の有効な使い方を編み出していたのである。
彼はなんと自身の耳を切り落とし、そこに亥象から切り落とした巨大な耳を接合させてしまったのであった。
異なる生物の身体部位を結合する、という蛮勇により、案の定マーゴウは数日間生死をさまようこととなる。
しかし、幸か不幸か彼はその強靭なる生命力によって生き残り、巨大な"象の耳"を持つ小醜鬼として、ミミィガ氏族の縄張りに堂々と名乗りながら侵入し、この野蛮なる氏族をして度肝を抜かせしめたのであった。だがそれはミミィガ氏族の獰猛な"耳輪"の戦士達からは勇気ある行動と称賛され――それを成した「傷を癒やす技」を披露することで、マーゴウは小鬼術士の"有用性"について初めてミミィガ氏族に伝道し、骸となった兄弟子達を越えたのであった。
結果、グ・ザウに遅れること数ヶ月。
マーゴウはミミィガ氏族の祭司にまで取り立てられ、竜神様の"海憑き"信仰をミミィガ氏族に着実に広めることに成功。さらには、敗者から引き千切られた「耳」を、勝者の「耳」に継ぎ足すことでその勝敗と氏族内での序列を定めるという『"象耳"の審判者』という役割をも担うようになり、急速にその求心力を高めていたのであった。
――グ・ザウから老師ブエ=セジャルへの連絡が途絶えたことをマーゴウが知ったのは、そのような中でのことであった。
そして、老師から「"使徒"の下に馳せ参じるべし」との檄文が届いたのである。
もし「最大」の勢力であるレレー氏族の掌握にグ・ザウが失敗したとすれば、レレー氏族はむしろ老師ブエ=セジャルにとっては撃滅の対象である、とマーゴウは理解していた。
確かに小鬼術士としての実力は、マーゴウ自身、戦闘面では他の兄弟弟子達には一歩劣ると自省はしていたが――祭司の力とは小鬼術士としての実力とは関係が無いこともまた彼は師の教えをよく理解していた。
すなわち、失敗したグ・ザウに代わって、自分が「最凶」たるミミィガ氏族の戦士団を率いて、老師の下へ馳せ参じ、邪魔する他氏族を散々に打ち破るのである。そのことを実現できれば、あの異常なほど長生きしつつも、とうとう老衰死の兆しを見せていた老師の覚えめでたく、自分は後継者の指名を受けることができるだろう――。
さて、どんな風にあの野蛮で凶暴な"耳"の戦士達を煽り立ててやろうか、とマーゴウは自身の小屋の中で残酷な笑みを浮かべていた。
その日は、黒き太陽が南中する、雲ひとつ無い快晴の日であった。樹冠回廊を通り抜ける木漏れ日が、常よりもずっと強く、珍しいほど森の中まで薄明かりが広がる、心地の良い風が吹き抜ける日であった。
そしていくつかの説得方法を思いついたマーゴウが、氏族長の小屋に向かって赴こうと腰を上げた、その時のことであった。
マーゴウは最初、それが"海鳴り"であるかと誤解した。
しかしすぐに、竜神様の咆哮によって大気が揺らされているのではなく――地面が、小屋が、ガタガタと激しく揺れていると気づいて恐慌に陥ることとなる。慌てて、ほうほうの体で這うように小屋から飛び出してみれば、同じように変事に気づいて飛び出してきた"耳輪"の戦士達が右往左往する中でのこと。
マーゴウは、小屋が囲む広場を中心に巨大な蜘蛛の巣か稲妻のような亀裂が走るのを見た。
そして、マーゴウと"耳輪"の戦士達がその"亀裂"の意味を理解しないうちに。
轟音と共に天地がひっくり返る。
凄まじいまでの土埃が吹き上がる。それはまるで海霧が地上に逆流してきたかのように、集落全体を瞬く間に包み込む。
もはや何が起きたかもわからず、マーゴウは上下左右が混沌とひっくり返り、さらに全身が激しく打ち付けられる苦痛に悲鳴を上げた。そして彼の脳裏に、不意に蘇ったのは、老師ブエ=セジャルによる"修行"で崖から放り投げられた記憶であった。
滅茶苦茶にもみくちゃに体中が揺さぶられ、激しく殴打され、打ち付けられ――そして尖った何か、鋭い何かが腕を、足を、腹を引き裂いて押し潰す。
文字通り四肢がもぎ取られたかのような激痛にマーゴウの意識は吹き飛んでしまう。
彼はそのまま、何が起きたか知ることも、起きて調べることも永遠にできなくなった。
ミミィガ氏族の集落で多くの小屋が集中していた崖の麓が崩落した時、連鎖的にがけ崩れが発生したのである。これにより、多数の小醜鬼の戦士達が、その"耳輪"の文化ごと飲み込まれ、大地の底に消えた。
そしてまた、1体の小鬼術士が、その師に勝るとも劣らぬ大きな野心ごと、文字通りに潰れて消え失せてしまったのであった。
***
≪"崩落"は成功したようだな――中継班、監視班からの各状況を報告しろ。掃討班、討って出ろ。生き残りを制圧することを最優先だ、特に「術師」を逃すなよ。連中に連携を絶対にさせるな≫
深く深く、俺自身と眷属達をつなぐ意識と迷宮が繋ぐ「心話領域」に、俺は意識を没入させていた。
その中で技能【眷属心話】を発動させ――ちょうど俺自身を「アンテナ」に見立てて、"名無し"も"名付き"も一緒くたに、全方位に「拡声器」で意識を投げ飛ばすかのようなイメージで「心話」を送った。
直後、あちこちの方角からぽつぽつと、まるで真っ暗闇な虚無の空間に星々が生まれたかのような「色の付いた波紋」が、意識の裏側の青い漆黒の中に浮かび上がってくる。
"それ"らは群れを成すほど複雑に絡み合い、鼻腔をくすぐるようなにおいの変化と共に、ザーザーと耳の奥に耳鳴りのような独特の波長を伴う、多重的で共感覚的な「色」であった。
――"エイリアン語"による"名無し"達の応答である。
俺自身が【眷属心話】の中心点となり、「全てを受信する」イメージで構えていれば、こうして島中に散った俺の眷属達からの報告を、一極集中に受け止めることができる。
ただ実際には【眷属心話】には距離制限があるため、現地の様子を確認している「監視班」の隠身蛇から直接連絡を受け取れているわけではない。その代わりに「中継班」として、限界距離ごとに走狗蟲を置いて、眷属同士に情報をやり取りさせることで、「崩落作戦」の実施状況を俺は間接的にだが把握することができたのである。
まだまだ、完全には"エイリアン語"を解読できてはいない。
"名無し"も"名付き"も含めて、「中継班」の走狗蟲や「監視班」の隠身蛇達が送ってくる、この信号のような波紋のような情報が、俺に伝えようとしているのかを正確には把握できない。
だが、俺は発想を転換することにしたのだ。
必ずしも"エイリアン語"を"言語"として、たとえば単語と単語を1対1で無理に覚えようとする必要は無い。その意味でむしろ逆に俺自身、技能【言語習得(強)】に頼るのが遠回りだと気づいたのである。
俺が眷属たるエイリアン達とこの数日間でやったことは、至極単純だ。
「合言葉」を決めたのである。
ごく簡単な単語、それが意味する情報を俺がまずイメージして彼らに覚えさせ――今度は彼らから、離れた位置からその情報を俺に"エイリアン語"で伝達させる。
例えば、今回の「崩落」作戦で言えば、
「崩落失敗」「部分的な成功」「相当程度の成功」「完全な成功」
「戦士の全滅」「壊滅」「部分的な壊滅」「多少の壊滅」「軽微な損害」
といった具合に、エイリアン達がそれを意味する"エイリアン語"を俺に向けて発する時の、色を、波長を、においを、音を、波紋の形を――俺は片端から記憶したのであった。
【言語習得(強)】に頼るのが遠回り、というのはそういう意味だ。
言語として、単語の意味を1対1で翻訳するような発想がそもそも不要であった。俺が教えた情報のイメージを、エイリアン達の方から"エイリアン語"で俺に伝えさせる際に、その伝わってくる情報のイメージのままに俺は受け止め覚えればそれで足りるのである。
逆に俺から彼らに出す指示を、彼らは理解して「群体知性」によって実行することができるのであるから――後はいかに俺が効率よく、彼らから情報を受け取ることができるか、であった。
作戦の決行まで、時間ギリギリまで俺は、何度も何度もそれを"練習"した。
そして、この「陥落作戦」という本番の中で、俺はついに無数に四方八方から送られてくる"エイリアン語"の中から、求める「情報」を読み解くことに成功する。
一見、雑多な共感覚的混沌の波長と信号と音楽の混合物の如き情報の羅列の中から、俺は、
「完全崩落」と「ほぼ壊滅」を意味する"エイリアン語"の色と波長が3つ。
「部分的崩落」と「部分的壊滅」を意味するものが2つ。
「相当程度の崩落」と「多少の壊滅」を意味するものがさらに1つ。
を読み解いたのであった。
≪いいぞ。「完全崩落」「ほぼ壊滅」の方の掃討班は、速やかに制圧を進めろ。そして余剰戦力を「多少の壊滅」まで回せ。次に遊撃班、まず二手に別れろ。片方は「多少の壊滅」の方の掃討班を援護だ。遊撃班の残る片方は、さらに二手に分かれて、2箇所の「部分的壊滅」の方の掃討班と合流して襲い掛かれ。全体、分が悪ければすぐに"崩落地点"に引っ込んで構わない。そのまま引きずり込んで洞窟内で叩くか、他の班と合流してから討って出ろ≫
細かなレベルで、"崩落"させた氏族の壊滅具合や、「掃討班」の走狗蟲達にどれだけの損害が出たかはわからない。
だが「9氏族陥落作戦」に先立って、ル・ベリによる拉致と尋問をも活用した威力偵察により、各氏族の大まかな「戦士」の数については測っており――それに応じた戦力配分で6つの「掃討班」と3つの「遊撃班」は予め編制済であった。そして彼らとは、中継班や監視班とは別に「戦況優勢」「戦力拮抗」「戦況劣勢」「掃討完了」を意味するいくつかの"合言葉"を決め、エイリアン語の読み解きを練習済。
そうして「心話領域」を【眷属心話】が無数に乱れ飛ぶ中で、各班の"戦況報告"に応じて全体の管制に集中するのが俺の指揮官たる迷宮領主としての役割であり、現場での細かな「微調整」は"名無し"達の「群体知性」を信じて丸投げていたのであった。
≪ル・ベリ、西部方面はどうだ?≫
≪首尾通り、亥象の群れを根喰い熊数頭に追い立たせ、ゴゴーロ氏族に差し向けました。シャガル氏族では戦士達の動きが慌ただしいですが……このまま"使徒"とやらを先頭に、御方様が新たに崩落なされました"入り口"に向かってきておりますな≫
西部のシャガル氏族とゴゴーロ氏族に対しては、作戦当初から懸念していた通り、崩落の坑道を氏族集落の直下まで掘り進めることは間に合わなかった。それ自体は「プランB」での予定通りではあったが――。
「監視班」から「中継班」を経由して次々に得られた情報。
ル・ベリによって拉致と尋問を行わせていた各氏族の「はぐれ」小醜鬼達から得られた報告。
そして何より――あの赫く紅く赤熱する一振りの剣から感じられた、俺の迷宮とは異なる魔力の気配。
以上を総合した結果、シャガル氏族に"何者か"が流れ着いたこと。そしてそれは竜神サマの差し金である――というのが、俺の判断であった。
その剣が放つ異様に燃え盛る火気と熱気からも、ある種の「魔剣」の類であり、何らかの超常の力を漂わせた代物であることは一目でわかった。
というのも、俺が迷宮領主であり、俺自身と眷属達との間に迷宮というシステムを通したある種の力のリンクが結ばれていたからであり――迷宮領主の第六感とでも言うべきものが俺には芽生えていた。視覚・聴覚などの五感に次ぐ『魔素・命素"覚"』によって、俺はその"赤い魔剣"と――「持ち主」たる何者かを繋ぐような独特の魔素と命素の流れが存在していることを直感したのである。
それはちょうど、俺の自身の迷宮の中に、他の迷宮に属する何かが入り込んだような、異物感としか言えない胸焼けに近い奇妙な感覚であった。
だからこそ、俺は【魔素操作】によって「俺の迷宮」を構成する魔素をその"赤い魔剣"に流し込んでみたのである。
すると案の定、まるで共振するような反応があった。【領域定義】により範囲を広げていた俺の『迷宮領域』を、その"赤い魔剣"から放たれた何者かとの魔素的なリンクが、西方に向かって真っ直ぐに突き抜けていったことが感じ取れた。
そしてその方角の向こうには、小醜鬼9氏族のうち最も多くの小鬼術士を擁する「シャガル氏族」が根城を構えていた。
俺が唯一、小醜鬼にしてはだが、警戒を置いていた老祭司であるブエ=セジャルが支配する氏族である。ブエ=セジャルには「弟子達」という、単なる小醜鬼とは異なる小鬼術士の集団が存在しており――この戦力が"赤い魔剣"の持ち主たる何者かと合流している可能性が高かった。
ちなみにこの"赤い魔剣"の持ち主と思しき侵入者のことを、"使徒"と小醜鬼達は呼んでいるらしい。
その"使徒"サマとやらが、俺に対する多頭竜蛇からの刺客であるとして単独で乗り込んでくる脳筋であったならば、むしろシャガル氏族やゴゴーロ氏族などは後回しにできたであろう。だが、それほど甘い相手では無いようで、あるいは老祭司ブエ=セジャルの差し金なのか、小醜鬼全体が連合して俺の迷宮に押し寄せてくる動きが見られたのである。
捨て駒としての小醜鬼の戦士達が乗り込んできて、走狗蟲達と乱戦になったところに小鬼術士の属性魔法を撃ち込まれたり、"使徒"が切り込んできたりすれば被害が大きくなりすぎる。
それで、俺は9氏族の全てを陥落させる「プランA」を諦め、6氏族を先行して陥落させるプランBを基本に、迎撃作戦を考案したのである。
この作戦の要は、一気に警戒すべき戦力となったシャガル・ゴゴーロの2氏族の進軍を「遅滞戦術」によって可能な限り遅らせることであった。
そのために【眷属心話】を通して直接言葉で会話して詳細に連絡を取ることのできるル・ベリを派遣した。レレー氏族とムウド氏族を屠った時よりも、さらに強化した"野生獣の行進"を指揮させてゴゴーロ氏族を蹂躙させ、シャガル氏族との合流を遅らせるためである。
その間に、電撃戦の要領でまず全兵力の6割を6氏族の「崩落」と打倒に回して可能な限り早く制圧してから東奔西走させ、対シャガル・ゴゴーロの2氏族+"使徒"サマに向けて戦力を集中させる、という作戦であった。
これを実行するためには、ル・ベリとの【眷属心話】での即座の連携が肝である。
いくらル・ベリが俺以上にエイリアン達と"会話"が上手であっても、俺とル・ベリの【眷属心話】ばかりはさすがにエイリアンによって「中継」させては意味が無く、それで俺自身も同じ戦線まで出てきたというわけである。
――魔素を流し込む実験と検分だけ済ませた後、あまりにも高温の熱気に触れすぎていたせいで、この世界に迷い込む以前の、全身を焼き尽くされるような嫌な記憶が蘇らされた、というのも俺が出てきた理由の一つではあったが。
まるで焦熱地獄を固めたかのような魔剣をあのまま手にし続けていれば、俺はもっと――もっと「嫌な」記憶を思い出してしまうかもしれない、と本能的な恐怖が湧いて出てきたのだ。だから、俺はすぐにそれを迷宮内の『司令室』の一角に放り、労役蟲達に「箱」を岩盤から掘削させてからその中に封印し、火気を避けるようにして、半分逃げるような気持ちで、ここまで出張ってきたのであった。
≪御方様。「監視班」からの報告ですが、ゴゴーロ氏族は思うようには混乱しておりません。小鬼術士達が魔術を使って、亥象どもを追い返している様子……≫
≪面倒だな。なんとかそれをシャガル氏族側に誘導できないか? ……いや、そこまで準備できていないなら深追いはしない方がいいか。ル・ベリ、迎撃地点まで戻って合流するぞ。シャガル・ゴゴーロの進軍が予想よりも早い場合に備える≫
≪――"捕虜"を出す、ということですな?≫
≪そうだ。そのために一部を残しておいたんだ、"品種改良"に使う分も出し惜しみするな。島の制圧が優先だ≫
≪御意≫
ル・ベリと共に迷宮内に残っている「看守班」の走狗蟲と労役蟲達に【眷属心話】で指示を出す。
そして俺は、護衛として連れてきていた戦線獣のアルファ他数体の"名無し"走狗蟲達と共に、シャガル・ゴゴーロ氏族を待ち構える「迎撃の裂け目」へとひた戻る。
幸いにして、6氏族を相手取った「崩落」は想像以上の大成功であった。南東の6氏族に差し向けた「掃討班」と「遊撃班」の9班のうち苦戦や劣勢に陥っている部隊は無く、ミミィガ氏族の担当などに至っては運良く"がけ崩れ"が発生して掃討班が手を下すまでもなく壊滅状態であるという。
振り投げた賽の目が想像以上に良い出目を出したことに、心の中で拳を握り、俺は「第3の戦線」である「対北東ザビレ氏族」に差し向けた"名付き"の部隊に【眷属心話】を送った。
≪『三連星』は特別遊撃を切り上げて、ベータ班に全速力で合流しろ。特にイータ、真っ直ぐに飛んで真っ先に合流だ。それからベータ、もう一度言うが、アルファがいない時はお前が"名付き"達のリーダーだ、わかっているな? ――多少の犠牲は飲み込む。ザビレ氏族の戦士団を、最低でも半壊させるんだ。連中がこの島で"最弱"とはいえ、「崩落の坑道」が届かなかった以上、戦力は温存されている。あれをシャガル、ゴゴーロとは絶対に合流させるな≫
距離が遠かったため、「崩落の坑道」を伸ばすのが届かなかった3つ目の氏族が、北東のザビレ氏族であった。
彼らは元々、旧レレー氏族と争い、散々に打ち破られ圧迫されて海側へ追いやられていた落ち目の氏族ではあったが――ゴゴーロ氏族と同様に、ブエ=セジャルの"追放弟子"によって氏族長が追いやられ、祭司が支配するようになった氏族である。
つまり、ブエ=セジャルが合流を呼びかけたならば、他の氏族とは異なり、その戦力のほとんど全てを送り出してくる可能性が高かった。そして、ザビレ氏族がもしも島を東西に突っ切ってシャガル氏族との合流を目指した場合、ちょうど彼らは旧レレー氏族と旧ムウド氏族の領域を通るのである。
ル・ベリに葉隠れ狼を使役させたり、哨戒班の走狗蟲達によってこの旧2氏族の領域には他氏族の小醜鬼達が入り込まないようにしていたが――多数での侵入はさすがに追い散らしにくい。そうなった場合、旧2氏族が既に俺の手によって壊滅させられている、ということに"使徒"サマが気づいてしまう可能性があった。
そこで、俺が信頼する最大の戦力としての"名付き"達を中心とした「特別襲撃班」を編制。
全兵力の2割を、俺の護衛であるアルファを除いたベータ以下の"名付き"達に率いさせ、ザビレ氏族は正面から攻撃して打撃を与える算段であった。
途中、アルファに担がれてその背に乗りながら、俺は【情報閲覧】によって改めて島全体の地図を青いウィンドウとして宙に描画し、今回作戦の進軍経路を確かめた。それは次の通りである。
仮に「9氏族」の全てが連合し、殺到してきたとしても、相手が小醜鬼である限りは負けることは無いと俺は考えていた。
それはたとえ、老祭司ブエ=セジャルが小醜鬼としては知恵が回る者であったとしても、である。【領域定義】によって魔素と命素の収支を増やし、軍量を整えた俺にとっては、後は被害をどれだけ抑えられるか、どれだけ早く『最果ての島』を制圧できるか、の違いでしかなかったのだ。
だが、今思えば俺に対して不気味な眼差しを向けてきていたとしか思えない多頭竜蛇が、満を持して"使徒"サマを送り込んできたのであれば、絶対に警戒して臨まなければならない。
――そして、この"使徒"なる何者かは、単に多頭竜蛇の手先であるだけではない。その"赤い魔剣"との間に、俺が迷宮領主としての『魔素・命素覚』によって感じ取った「リンク」は、まるで他の迷宮に属する存在が侵入したかのような強烈な異物感そのものだったのだ。
多頭竜蛇の手先である、というだけならば「他の迷宮の気配」を感じる、ということは無かったはずだ。それはすなわち、多頭竜蛇とこの島を狙う他の迷宮領主が組んでいる、という最悪の可能性すらあるということだった。
場合によっては、数多の"名無し"達を、それでも足りなければ"名付き"をも盾として、俺とル・ベリだけでも【人世】へ落ち延びるか、という選択肢が頭をよぎる。
だが、そこで俺が思い出したのは――あの赤熱した魔剣のせいだろうが――悪魔の千の舌に舐め回されるように、ぶつぶつと皮膚が炙られ、全身が掻痒に包まれ、体中が燃え盛るかのような"焦燥"だった。
この世界、シースーアに迷い込む前に、俺が何をして、何を成そうとして、そしてそれが失敗して、今ここに至り――それでもまだしぶとく俺はこうして回り道をしている、このあっという間でありながら、まるで何年も時間が経過したかのような、奇妙な現実感であった。
全身が燃え盛っているのに、頭の中だけが冷静になったような心地だった。
(逃げる? どこへ逃げるというんだ、この上。今俺が考えた"落ち延びる"っていうのは……あの魔剣のせいで「火」に対する俺の恐怖心が生み出した弱気に過ぎない。単に、そんなものに過ぎない、そのはずだ――【強靭なる精神】よ、【欲望の解放】よ、俺の弱気を吹きとばせ)
精神系の技能の力をも動員し、諳んじて、俺は自分自身に活を入れた。
……俺の眷属達は、疑うという概念すら持たない。
もし俺が、そうするように命じたならば、彼らは躊躇することすら無くその身を俺を逃がすために捧げてしまうだろう。もちろん、他にどうしようもなければ、そうせざるを得ないかもしれない。
「だが、それは今じゃない。闘わずに、逃げるなんて選択肢は、もう無い。俺はもうそんな選択をしちゃいけないからな――さぁ勝負だ、"使徒"サマ。お前はこのまま進軍してくるつもりかな?」
アルファの背に揺られて通り過ぎ、駆け抜けていく最果ての島の森の景色は、薄暗さを少しずつましていく。
その木々の狭間に、梢の静寂の中に、俺は、俺よりも先に死んでしまった、今の俺よりもまだ若い年齢で死んでしまった――あの現代の侍のようだと思っていた"先輩"の、眼鏡の奥の眼光が潜んでいるような気がしてならなかった。
そうだ、戦え、マ■■。
そう問いかけられているような気がしてならなかった。
言われなくてもそのつもりだ、と俺は誰にともなく呟く。
そして、先輩の真似をして、口の端だけ軽く吊り上げた薄い笑みを無理矢理作った。





