0033 穿ち、陥れるための道
【17日目】
最果ての島は、元の世界では八丈島ほどの大きさである。
技能【精密計測】によって、目測ではあるが、俺が測った面積はおおよそ75平方kmほど。島の周囲は50km程度の長さであり、休み無しでならば1日で一周できるだろう。そして計算の結果、島の半径は約4.8kmで、街から街へ移動するぐらいの距離であるか。
樹冠回廊に覆い被せられ、また様々な野獣や虫鳥が住まう鬱蒼とした森に囲まれているが、それでも小醜鬼の氏族から氏族の縄張りへは、走狗蟲達の足ならば2時間とかからないだろう。
その道中で走狗蟲達を樹上に陣取らせて、葉隠れ狼の振りさえしていれば、小醜鬼は恐れて早々に逃散してしまう。
あえて木を登る個体もいるわけではなく――そもそも小醜鬼達は木登りが得意であるような身体構造などしてはいない。これは、制空権、とは少し違うが、それでも高所を完全に押さえることにはなるので、監視や偵察を邪魔されることなく、残る「9氏族」の動向が俺には手に取るように伝わってくるようになっていた。
もしやろうと思えば、樹冠回廊からある氏族の集落の中心部へ走狗蟲を40~50体も降下襲撃させれば、多少の被害を出しつつも、制圧することは可能だろう。
だが、そうやって氏族を1つずつ落としていくのでは時間がかかり、徒に無駄な犠牲を出した挙げ句、打ち漏らしを多く出しかねない。
1つ、2つ、3つと落としていくうちに、それらの打ち漏らしが他の氏族に身を寄せ――断片であっても、少しずつ俺の眷属に関する情報が集まり、抵抗を固められるかもしれない。
この点が、俺がル・ベリと意見を異にする部分であった。
たとえば、ムウド氏族に存在した「木の盾」を持っていたタイプの戦士や、飛び道具である「吹き矢」を扱う戦士。その技術が生き残りから他の氏族に広まり、地形に沿ってバリケードのようなものを築かれて、槍衾を形成され、その後方から毒の吹き矢をばら撒かれるだけでも走狗蟲達では荷が重くなるだろう。
2氏族への襲撃作戦がああも上手くいったのは、両者が争っているところに亥象を突っ込ませて、漁夫の利を得た、ということを忘れてはいけない。
≪小醜鬼狩りにかけては猛々しきル・ベリよ。そもそも俺が気にしているのは、連中ではない――連中を利用しているかもしれない多頭竜蛇の方だ≫
≪……例の"黒き槍"でございますな≫
レレー氏族とムウド氏族の「競食作戦」ではその結構前、ル・ベリが俺と合流した後に、氏族長バズ・レレーが、明らかに小醜鬼の技術では製作など不可能であることは明らかな「黒い金属質な光沢を放つ槍」を持っていた。
俺がル・ベリと出会った、例の多頭竜蛇による"海憑き"の咆哮の日。
1体だけ「海岸から帰ってきた」小醜鬼がおり、まるで最初からバズ・レレーに献上するつもりだったかのように、その『黒の槍』を渡して力尽きて事切れた、ということがあったらしかった。
≪多頭竜蛇のあの咆哮には小醜鬼達を操る力がある、と俺は睨んでいる。黒の槍が、島に生まれた迷宮領主にちょっかいを出してやろうと、ヒュドラがわざとレレー氏族に届けたものだとしても俺は驚かない。考え過ぎかもしれないがな≫
≪竜と迷宮領主とは、相争う存在である……ということですな。いずれ、御方様の槍となり盾となり、彼奴の『哀れなる』を晒してやるつもりでしたが≫
≪本当の狙いはわからない。だが、あの時点で俺が2氏族にちょっかいを出すことがもし看破されていたとしたら――悠長に1氏族ずつ潰していたら、またどんな"支援"をされるかわかったもんじゃない。そういうことだ。それで、今労役蟲達には無理をさせている≫
納得したル・ベリが、御意の意と共に【眷属心話】を切った気配が伝わってきた。彼は現在、小醜鬼の捕虜達の"奴隷化"を進めるための――勘所を確かめるための「作業」をしている。
元レレー氏族、元ムウド氏族の捕虜達はその意味で使い潰しても構わない、と伝えてあった。
数が必要なだけならば、これから「9氏族」を相手に島の覇権を得るための作戦を決行するのである。ただし、将来的な「品種改良」の可能性を考えて、代胎嚢を活用する許可を与え、可能ならば形成不全の原因究明とその発生緩和と合わせて、検証作業と調教作業を命じていたわけである。
ル・ベリが作業に戻った様子を、近くを通りがかった走狗蟲からの"エイリアン語"による【眷属心話】でなんとなく察知して、俺もまた今自分の手元にあるものに意識を戻した。
たった今ル・ベリとのやり取りでも話題になった『黒の槍』。
バズ・レレーの円形陣との戦いで、数体の走狗蟲が一撃で屠られたが、それは何も『因子:血統』を解析することができたことからも明らかな、小醜鬼の"氏族長筋"の卓越した膂力によるものだけではなかった。
他の小醜鬼達が使っていたのと同じような、削った木の枝やそこに石片を挟んだり、破片を打ち込んだりしたような簡素な槍だけならば、走狗蟲とて筋肉で受け止め、力むことで「抜けなく」させることもできただろう。
しかし、この『黒の槍』は柄までもが不明の金属でできており、軽い割には非常に頑丈で、振るえばその威力は重い一撃を成し、いとも容易く肉も骨も刺し貫く。小醜鬼や葉隠れ狼、根喰い熊などの遺骸で俺自身が武器実験をしてみたところ、元の世界の「戦国時代」には『無骨』という名の槍があったというが、その逸話を思い起こさせるかのように「骨が無いかの如く」貫通してしまったのである。
明らかに、技術レベルの次元が異なる業物だと思えた。
それが"海"から届けられたのであれば、金属の一種ならば錆びもするかと思われたが、何日経ってもその気配も無し。槍は黒々と漆黒の光沢を放っており――。
【魔素操作】によって手指に魔力の流れを意識して、それを黒槍に通すイメージをするや。
何かの言語の筆記体にも見える紋様が、俺の持った箇所から槍の先端と根本に向かって、光の波紋のように青白く輝くのであった。
『客人』の称号技能である【言語習得】により、俺はすでに「オルゼンシア語」というこの世界の言語を習得していたが、この筆記体を思わせる文章のような紋様が何語かは全くわからなかった。ただ、非常に格調の高い韻文ではないか、という印象を受けるほど、まるで流れるように書き記された詩文であるかのような筆致であった。
あまりにも来歴に謎が多い"ヒュドラの贈り物"である。
だが、俺が棍棒代わりにしていた小鬼術士が持っていた祭司の杖よりもずっと柄が長くて取り回しやすい。そして何より【魔素操作】を込めた時に、とても手によく馴染み、槍術など習ったことの無い俺ではあったが、振り回しやすく、樹海を移動する際のトレッキングポール代わりにもできるなと感じて、使うことに決めたのであった。
≪名前をつけようと思う。この槍はこれから――"無骨"を参考にして「黒穿」とでも呼ぶことにしようか≫
特定の相手を指定せずに【眷属心話】によって、眷属達全体にそう伝達する。『黒穿』が俺の"一部"であり、装備であると認識させるのが目的で、これでたとえば適当な走狗蟲に一時的に預けて「槍持ち」にさせたり、どこかへ一時放る必要がある時に後から「群体知性」によって元の場所、俺のところまで回収する判断をさせやすくするのが目的であった。
「さて。ル・ベリも張り切っていることだし、俺も迷宮領主の"仕事"に戻るとしよう――【情報閲覧】、【精密計測】発動せよ」
今俺は、鍾乳洞から外に出て、最果ての島『帰らずの丘』の外に出ていた。
裂け目の付近には、戦線獣のアルファ、ガンマ、デルタが運んできた丸太から労役蟲が製作した木工の台座があり、亥象の毛皮が敷かれている。
そこに胡座をかいて座り、俺は技能連携による『地図』を眼前に広げた。
現在、俺は100体近くまで増やした労役蟲達に急ピッチで迷宮を掘り抜かせていた。
それは、鍾乳洞を迷宮に作り変えていくという作業でもあったが――それ以上に、俺は「9氏族」の側へ坑道を掘り進めさせることを優先していたのである。
『帰らずの丘』は島の中央やや南東に位置しているが、島の北西で最も遠い位置に拠点を構えるゴゴーロ氏族であっても約6kmほどの距離。それ以外では、距離が3km以内であれば5氏族であり、9氏族全体で平均しても1氏族あたり4~5km程度。
――そんな状況の中、俺が考えたのが「9氏族陥落」作戦であった。
文字通り、小醜鬼達の集落の直下まで坑道を伸ばし、一気に「崩落」させる、というものである。
その決め手となったのは、走狗蟲達を外の森林部分だけではなく、最果ての島の鍾乳洞の奥深くを探索させる中で、非常に入り組みながらも、島の各地にまるで虚無の根を伸ばすかのように拡がった巨大な天然の坑道が形成されることがわかったことであった。
簡単に言えば「地下版の"樹冠回廊"」が形成されていたのである。
樹は天に枝を伸ばすのと同時に、時には枝以上の凄まじい勢いで大地の底へ根を伸ばす。それが、樹高40~50メートルにも達する最果ての島の巨樹達においては、根もまた地下深くで絡み合っており――押し合いへし合う巨大質量の"根"が、それこそ樹冠回廊を丸ごと、地面の底に形成したかのような領域を占拠。その膨大な圧力によって、島を形成する岩盤の層が年月の中で砕かれ、崩落した領域が無数に存在していたのだ。
その中で、崩落の危険がある箇所は【凝固液】によって固め、また領域同士を【掘削】して繋いでいくことで、労役蟲達の大部隊が集中的な「トンネル工事」を押し進め、俺の迷宮から9つの根を9氏族の集落の真下へ伸ばしていた、というわけである。
岩盤層の上部の表土層が、労役蟲にとってかなり"掘り"やすい土である、ということもまた、この作戦の実行を決断した理由であった。
各氏族までの地下を4km。
実際には巨樹群の根の圧力によって無数の亀裂と崩落により形成された、地下岩盤の空洞層を繋げばよい。実質的に掘るべき経路は、最も遠いゴゴーロ氏族、ザビレ氏族を除いて各氏族1km程度。合計7km程度の距離を――労役蟲達は24時間ローテーションを組んで、走狗蟲1体が通るのに十分な程度の広さの坑道を、1日に500~600mずつ拡張していたのであった。
このペースであれば、あと2週間も時間を置けば9氏族の全てに――3~4日待てば、シャガル氏族、ゴゴーロ氏族、ザビレ氏族を除く6氏族の全てに、それぞれの集落の真下まで坑道を伸ばすことができる。
だが、その中で俺は、監視班の走狗蟲達から多数の「気になる報告」を受け取っていた。
それは、シャガル氏族の老祭司を中心に、各氏族の祭司が密かに連絡を取り合っている気配有り、というものだった。
当初、俺はそれは相争う小醜鬼達が対多頭竜蛇でのゆるやかな情報交換をしているのではないか、と考えた。
しかし、監視を続けているうちに、いくつか興味深いことがわかったのである。
まず、ゴゴーロ氏族とザビレ氏族では、本来は力を尊ぶ小醜鬼文化であるにも関わらず、氏族長筋を差し置いて祭司が大きな力を持つ支配構造になっていた。
そして、この2氏族の祭司の元には、決まって「シャガル氏族出身」の小鬼術士が数体単位で護衛を務め、また協力しており――戦士達を懐柔して独自の派閥を作り上げていたのである。
この祭司の取り巻きを成す小鬼術士達こそが、夜闇に乗じたり他の小醜鬼達からは見つからない場所で、シャガル氏族の老祭司との連絡役を担っていた。
そこで俺は、思い切った調査をするために、各氏族において「祭司と仲の悪い個体」を狙い撃ちにして誘拐し、ル・ベリによって尋問させた。その結果、なんと、シャガル氏族以外の8氏族の祭司は、今やその全てがシャガルからの"追放者"であることがわかったのであった。
この事実には、さしものル・ベリも思うところがあったようだ。
≪グ・ザウはシャガル氏族のブエ=セジャルの弟子だったのを、追放されてレレー氏族に流れ着いてきたと言っていました。ですが、それはもしや……≫
≪恐れ入った、小醜鬼の中にも知恵で島を制覇しようという稀少個体がいた、ということだな、ル・ベリ。"追放"という名目で弟子を各氏族に送り込み、祭司の地位を確かにさせる――氏族長の信頼を得たところで、古巣から仲間を呼び寄せて派閥を形成。邪魔者をどんどん潰していき、竜神サマの威を背中に背負って、氏族を乗っ取っていく≫
≪グ・ザウも、あのままであったなら同じことをやっていたのでしょうな。なるほど、なるほど、劣等生物どもめ……≫
というようなやり取りがあったのが、数日前である。
それで俺は、こうして日々、『帰らずの丘』の大裂け目の外に出て、走狗蟲達の監視網から、このシャガル氏族の老祭司ブエ=セジャルを中心とした「連携網」に新たな不穏な動きが無いか、万が一それがあれば――「9氏族陥落」を「6氏族陥落+α」に切り替えるというプランBを備えた、両睨みの戦略で望み臨んでいたのであった。
予定通り、9氏族を「陥落」させられるまで、何事も起きなければそれでよし。
だが、多頭竜蛇の干渉か、はたまたシャガル氏族にこれまでにない動きがあるなどして9氏族全体が不穏な動きを始めた場合は、先に「4~6氏族」を「陥落」させる。
そして、シャガル氏族とゴゴーロ氏族の「坑道」は、その途中で「陥落」させて"入り口"とし――誘い込んで迎え撃つ体制を構築。その間にザビレ氏族と、もしも「陥落」が間に合わなかった氏族が複数残っていれば、それらを俺の迷宮の戦力で以て一気に叩く。
そのような心積もりであった。
そしてそのために、俺は、よくわからない理由で取得してしまった称号『怜悧なる狂科学者助手』のご祝儀技能点3点を【領域定義】に注いで技能レベル4とし、鍾乳洞だけでなく旧2氏族の縄張りであった地上部まで「領域」を広げ、迷宮経済の魔素と命素の収入を増加させ――現在、"名無し"達から少しずつ戦線獣を含めた「第2世代」部隊の形成を進めているのであった。
なお、この作業の中で技能【領域定義】の仕組みがさらに判明し、特に迷宮経済との関係性がより明確に検証できたため、そのルールを示す。
その第一は、「領域」として「定義」可能な総面積は技能レベル×1平方キロメートルであることがわかったことであった。
俺は現在【領域定義】の技能レベルは4であるため、合計で4平方キロメートル分の「領域」を、俺自身の迷宮に属するものだと定義することができる。
このまま技能レベルが最高の10になったとしても、最果ての島の全域を覆うことができないが――まだ『爵位』による技能の強化などの可能性があるため、「郷爵」であれば、こんなものなのかもしれない。
なお、地上と地下で「階層」が異なる場合は、面積は別々に計算されたため、たとえば「城」のような「床面積」が密集したような迷宮にした場合、「領域」とすることのできる面積は地図上ではずっと少なく見えることだろう。
第ニにわかったことは、迷宮経済との関係で重要な魔素と命素の収入は、1,000平方メートルあたり魔素1単位、命素1単位であるということ。おおよそ31メートル四方の部屋あたりである。
つまり、技能レベル1ごとに魔素1,000単位、命素1,000単位の増収である。
……ただしこれは「基本値」。
実際は、場所ごとに魔素と命素の収入はかなりの差異があり――それはどうも、その場所に棲息する生物層や、あるいは自然現象に応じて変化しているらしかった。ただし、現時点でそれをじっくり検証して「最適」な領域を定義している時間は俺には無かったため、ひとまず手当たり次第といった具合に俺は領域を定義しまくった。
結果、計算上では、俺の魔素・命素収入は技能レベル4である現在、当初の3倍近くまで膨れ上がっている。そしてこの収入量に合わせて、揺卵嚢をさらに5基増やして量産体制を強化し、エイリアン達をフローの限界まで増やすつもりである。
――既に時間との戦いになっていたからだ。
昨日、かなり遠くの沖合においてだが、多頭竜蛇が暴れているかのように、激しくその首を振り回しているのが見えたのだ。
そしてほとんど点のようにしか見えない距離だったので、俺の見間違いである可能性も決して否定はできないが――奴の首が1つ、暴れている中で"落ちた"ような気がしたのであった。
今や俺の得物となった黒槍『黒穿』に続き。
ヒュドラが暴れているのを見た翌朝に、一振りの『赤い剣』が漂着し、監視班の走狗蟲によって俺の元まで届けられたのであった。
そしてそれと時同じくして――にわかに、シャガル氏族、ゴゴーロ氏族が慌ただしく、怪しい動きを始めたことと、各氏族のブエ=セジャルの"追放"弟子たる祭司達が、慌てたような行動を開始したことが、次々に報告として上がってきたのであった。





