0030 竜ならざる者達[視点:竜牙]
2代竜主ギルクォースが『虐食竜の乱』において、戦死した我が子の竜骨と竜鱗を、その"塔の如く"とされた業火によって焼き固め、溶かし鋳て鍛造されたるこそが、ウヴルスの里の秘剣にして『塔焔竜』の直系たるソルファイドが持つことを許された【火竜骨の剣】。
双剣一体たる、右の『ガズァハの眼光』と左の『レレイフの吐息』を、まるで掌の先の延長された身体の一部のように構える。
船が破砕される刹那、船倉が真っ二つに裂ける亀裂に向かってソルファイドは一気呵成に飛び上がっていた。床板を両足と尾で激しく蹴り上げるという、竜人の体術である「3点直躍」によるものである。
愛剣二振りは既にその刀身を赤熱させており、周囲の空気を揺らめかせるほど紅く滾っていたが、それを吹き飛ばすかのような波飛沫がソルファイドをもみくちゃにせんとする。船を割ったのは多頭竜蛇の本体による一撃ではなく――海底からの急激なる上昇によって生み出された水柱によるもの。
そこに"竜の魔法"ともいうべき『竜言術』の力が込められていることに、竜人の本能とも言える直観によって気づき、ソルファイドは全力の跳躍を敢行したのであった。噴き上げる激流によって割られた船倉の板切れの一つに乗り、その板切れごと波飛沫に持ち上げられる。
数瞬が過ぎる間に、数十メートルもの高さまで上昇したソルファイドは、眼前に9つの首をもたげる威容を放つ"竜"が笑うを確かにそこに見た。
海が逆巻き、飛沫が無数の散弾となり、視界どころか頭を殴り飛ばそうとするかのように縦横から降り注ぐ。
しかしソルファイドは片目を見開いたまま、ヒュドラを捉えて離さない。多頭竜蛇の首は、視認できるだけで9つ全てが海面から姿を現していたが、その一つ一つがソルファイドを丸呑みにできるほど巨大である。
≪我こそは『塔の如き焔』たるギルクォースが末裔、ウヴルスが『牙の守護戦士』ソルファイドなり!! 多頭竜蛇よ、お前はいずれなる系譜か!?≫
『竜言術』。
その"言葉"は人族とは異なり遥かに歪に巨大に進化し成長し、また鍛造されたる「竜」という存在に特有の超常の法である。竜族にとって、発声とは単なる空気を振動させて特定の音域を生み出す情報伝達手段のみにあらず――空気だけではなく、世界を覆う法則そのものを震わせ、歪め、己が司り能う権によって現実を上から塗り潰すかの如き「術」そのものであった。
――その力を、竜人は、少なくとも数百年は誰も使ったことが無いとされている。だが、誰もが使うことができるともされていた。
そして"先祖返り"として、歴代でも殊に強い【火竜】の力をその身に宿すと評され、さらに【人体使い】によって『息吹嚢』を強靭化されたソルファイドは、ほとんど本能のままに『竜言術』によってヒュドラに声を放っていた。
いや、"放っていた"というには『竜言術』は超常なる力の塊でありすぎる現象である。【風】属性の中位か上位に属する衝撃波の招来魔法でも詠唱されたかのような、暴風が叩きつける一撃の如き"名乗り"が確かに多頭竜蛇に届いたのであった。
≪これは驚かされる。「竜」を捨てた一派の裔が「竜」足らんとするとは――死に損ない、縛られた虜囚の我が身を嘆く日々であったが、長生きの一つもさせられてみるものよな≫
人間の基準であれば、暴風の魔法にも比肩するソルファイドの"声"であった。
しかし、その真なる奏者たる「竜」の前では、それもまた嵐を前にした一筋の先駆け風に過ぎない。
ヒュドラが深く海底そのものを唸らせるかのような"咆哮"を上げる。ただそれだけで周囲の海が荒れ狂い、常ではありえぬ高波と波濤の応酬が逆巻く。ソルファイドは天禀の体術と闘争への才気によって、決死で木の板を即席の足場としながら体勢を保ち、ヒュドラを見据え続けていた。
ソルファイドが波に揉まれて崩れ落ちずに耐える姿を18の瞳で見つめながら、偉容なるヒュドラは、さらにそのいくつもの首からそれぞれに音階の異なる"咆哮"を重ねた『竜言術』をソルファイドに浴びせかける。
それは『竜言術』を理解し得ぬ生命には、原初的な恐怖を呼び覚ます不協和音でしかなかったが――ソルファイドには、巨大にして強大なる者へと立ち向かう小さくも猛々しく者への賛美と嘲笑が入り交じる"声"として、確かに聞こえており、その意味が脳髄と魂に刻み込まれていた。
≪幼子の火遊びのようなか弱い火気で"塔の如き焔"とは、よくぞ吠えたな小僧。我こそは"嘯く潮の如き"ウィカブァランが末裔よ。小僧、せめてジルゲアゥロゥやラゥルスードの如く、この牢獄に囚われし身を楽しませてみせるがいい!!≫
その瞬間。
不気味なほどに時間が引き伸ばされ、全てが遅くなったかのようにソルファイドは感じた。刹那が幾重もの刻限となる極限の緊張の中、互いの『竜言術』が沈黙の中に静止していた。
『嘯潮竜』の末裔を名乗ったヒュドラは9つの首の全てで、上下左右様々な角度からソルファイドを取り囲んでいる。それらの首同士が、果たして同じ意識を共有しているのか、それとも独立しているのかはソルファイドには分からない。
しかし、恐るべき連携を相互に発揮してくるだろうことは直観できた。一つの首だけに意識を向けていては、即座に死角から食い殺されるだろう。
――刹那と永劫が交わる無数の意識の中、ソルファイドはヒュドラと十度、百度と切り結ぶ己の姿を幻視した。
それは、視覚のみに頼ることで能う領域のものではない。全身の五感とありとあらゆる感覚、直感、感性と知覚を投じることで初めて至る領域であった。ソルファイドの肌と鱗に、刃の切っ先が冷たく通り過ぎるような、ちりちりとした"死"の気配が幾度となく掠める。
永劫と刹那が繰り返される意識の極限の中で、ソルファイドが乗る、かつては"幽霊船"の一部を成していた木の板が静かに割れる。
それが合図となった。
ソルファイドが「3点直躍」により跳んだ次の瞬間には、ヒュドラの首の一つが元いた場所を空間ごと食い千切る。跳躍した勢いのまま一回転し、斜め頭上に両手の愛剣を十字に構え――まさに飛び上がったソルファイドを宙にて食い破らんとした別の首が剥き出した巨大な牙を受け止めた。
≪ガァアアアアッッ≫
≪シャアアアアアアアア!!≫
大なる『竜言術』と小さき『竜言術』がぶつかり合う。
だがソルファイドの目的は対抗することではない。『竜言術』に乗せた、あらん限りの【竜の咆哮】は、剣気に加勢して一時的な圧を高め――以てヒュドラの偉力をいなすためのもの。ソルファイドは『息吹』により、双剣を盾の如く使ったのである。
そして押し返される力それ自体を利用して、双剣と両足、尾による体術「5点跳躍」でヒュドラの鼻先を蹴り飛ばし、その勢いでさらに後方から迫った別の首の文字通り眼前まで一息飛ばしで迫った。
それは完全にヒュドラの目測と予測を上回る速さであったであろう。
ソルファイドは獲物に猛然と食らいつく肉食獣のように、『ガズァハの眼光』と『レレイフの吐息』をさながら『刃牙虎』の犬歯のように逆手に構えてヒュドラの眼を狙った。
硬質なガラスを打ち砕き、その向こう側にみしりと肉を抉る感覚。
直後、ソルファイドは両剣に"火気"を一気に送り放ち――ヒュドラの眼の内側に火焔を注ぎ込んだ。
瞬間、咆哮でも『竜言術』でもないただの獣のようなおぞましい絶叫が海を震わせる。
だが、ソルファイドは「浅い」と即断し、両剣をそれ以上ヒュドラの眼の中に突き込まずに引き抜き、両足でヒュドラの首を蹴り飛ばす。直後、ソルファイドのいた場所をさらに別の首が巨大な質量とともに、空間ごと噛み砕いて通り過ぎた。
ソルファイドの狙いでは、さらに深く突き立てて、そのまま『息吹』を放って頭蓋を一息に内側から焼き尽くす算段であったのだ。
――テルミト伯は「生き延びることを優先せよ」と言っていたが、ソルファイドは闘争のまま、本能のまま、"原初の記憶"に導かれるがままに、ヒュドラが揶揄するような「竜と竜人」の差など、全く頭には無かった。
――そしてそれは、きっと竜人としては、あってはならない禁忌の思考であっただろう。このような機会でも無ければ、一生、直面することなど無かったろう。
ヒュドラの17の眼差しから明らかに嘲りの色が消える。
そこに宿ったのは、さらに酷薄なる歓喜と狂喜と嗜虐の色であった。肌を掠める刃のような気配が、触れられていないにも関わらず、肉を切り裂くかのような幻痛じみた凄絶な圧へと変わっていく。
だが、ソルファイドは、攻防が始まる寸前の刹那の永劫の中で幻視した百の切り結びの死線と剣閃の狭間をなぞるように身体を滑らせ続けていた。
剣で牙を受け止める。
衝撃を利用しつつ、蹴って距離を取る。
待ち構える別の首にわずかに体をそらして剣を突き立ててその鱗を削る。
打ち砕かれた"幽霊船"の破片木すらも、無理やり足場として飛び回る。
紙一重の判断の誤りが即死に至る。
無数の刃を並べた薄氷の上で踊るかのような攻防であったが――竜人ソルファイドは、火竜の末としての「火気」とは異なる別の何かが、身を内側から焼け焦がさんばかりに、ただ激しく昂り高揚するのを感じていた。
そしてはたと、素朴な思いが到来した。
――生まれ落ちて、生きて鍛えて、かつてこれほどまでに己が持てるありとあらゆる心技体の全霊を尽くして闘ったことがあっただろうか、と。
竜人の『武術』とは、それ自体が千年の彼方、彼らの祖が「竜」であったことから決別するための歴史の結晶そのものであった。
『竜言術』を否定しつつ、しかし、「竜」の血を引き継ぐ一族として「竜殺し」を成す。
――『四兄弟国』が東方の"長兄"たる『黄金の馬蹄国』の騎士達は、死闘の相手には相応しくとも、その"技"を披露する相手としては不足の存在であった。
竜を討ってこその竜人。
かの『虐食竜』を討った英雄ジルゲアゥロゥのように――。
だが、とソルファイドの中に暗い直観が一滴垂れ落ちる。
竜を殺すのは竜人だけではない。
竜もまた竜を殺す存在であるのだから。
≪愉快だ、愉快だぞ小僧ゥゥゥゥウウウ!! 貴様、身の程知らずにして大胆不敵なことに、我を竜として討ち果たさんと望むか!? 我が喉笛を食い裂き、勝ち鬨の咆哮で我が躯を焼き滅ぼすことを願うというのか!!≫
――力を誇るなかれ。
――敵との闘争に酔うなかれ。
――憤怒に身を任せるなかれ。
父が。
里巫女が。
古老が。
「守護戦士」の同輩達が唱和していた『ウヴルスの教え』が呪いのように耳奥に蘇る。
だが、今この時は、少なくとも「里の仲間の安否という情報を得るために"傭兵"として依頼を果たさねばならない」存在である限りは、その呪いとも枷ともつかぬものに従わなくても良いのではないか。
今己の側に護るべき者はなく、この人智を越えた太古の力を継承する恐るべき偉敵を相手に、ただただ、高みに向けて磨き続けた己が心技体によりて立ち向かう。生も、そして死さえもそこには無い。
激情そのものが迸りとなって身体を貫く。
極め極めた剣技をただ無心に振るう。
究め究めた体術が息吹の如く身体を舞わせる。
ソルファイドは――"人"として至りうる武の一つの節目にその身を置いていた。
そして臨界が訪れる。
再び、あらゆる全ての音から隔絶されたかのような感覚が絶界のように辺りを覆う。
危険本能と五覚を超越した"死線"の冴え渡る先に、ソルファイドは次にヒュドラが企てる十の行動を幻視する。そして幻視は刹那を越えて現を食い破る。
ヒュドラの首の一つが突撃とは異なる"溜め"の構え。
ざわりと大気が揺らめき、海気の狭間から、まるで海そのものが歌うかのような『竜言術』が撚り集まっていく。
その首の、薄く開かれた口と牙の間に青白い焔の如き煌めきが急速に集まっていく――。
≪"混じりもの"であるとて、我こそは確かに『嘯潮竜』ウィカブァランの末裔である。断じて、彼の『虐げ弑し食い殺す』者の走狗であった『混沌を嘔す』者の末裔ではない!! 断じてだ!! 貴様に、我が謎掛けが伝わるか!? 分からずば、このまま飛沫の狭間に砕かれる藻屑となるが良い!!≫
【竜の息吹】。
17の瞳のうちの1対に、わずかな怒りと哀しみの色が宿るのをソルファイドは見逃さなかった。
唱和が終わるとともに、何百もの飛沫を束ねた重低音のような衝撃波が沸き起こり、凄まじい熱量がソルファイドの周囲を塗り潰す。
もし、それが純血の竜が放つブレスであったならば、触れた瞬間に蒸発させられるほどの破壊力を持つ。そして混じり物であるヒュドラのブレスとて、いかな竜人が頑丈な肉体を誇れども、まともに浴びれば全身を粉と砕け散っていたであろう。
だが、ソルファイドは荒波に舞う"幽霊船"の破片の最後の一つを足場に、両剣を斜め十字に交差。
命素――と【闇世】においては呼称される特有の力の奔流を、丹田から両腕にかけて強く自覚して、里の戦士として極めた"技"を咆哮と共に打ち放つ。
それは竜人が「竜」を殺す技であった。
竜の最大の力、『竜言術』の収束波とも言える【竜の息吹】を、ただ切り裂き散らすためだけの竜人だけが扱うことのできる武技『息吹斬り』。
相手が竜種ではなく、『火蜥蜴』のようなもどきの魔獣が放つ程度の弱いブレスであれば――切り裂くどころかかき消した上で痛烈な逆撃を与える技である。
気魄と共にヒュドラのブレスを切り裂き、その破壊力を相殺して四方に受け散らした。
だが、相応の負担もソルファイドに跳ね返る。両腕の筋肉と骨と腱の全てが同時に激しく軋んだ。
連発のできる技ではない――ソルファイドは想像を越える反動から、苦痛に顔を歪めるが、ヒュドラの表情に嘲りの色はもはや無かった。この偉敵にとって、ソルファイドの抵抗は快いものであったようだ。
いくつかの竜首が一瞬だけ愉しそうに目を細め――今度は3方から3つのブレスを放ってくる。
だが、たった今いなした初撃ほどの威力は無い。込められる『竜言術』の出力を押さえ、ソルファイドの行動や移動方向を制限することを目的とした攻撃であった。
ヒュドラといえども高威力のブレスを連発はできない、ということであるか。
だが、これはさすがに受け切れない、とソルファイドは判断する。そしてほとんど消し炭になった最後の破片を蹴り、宙へと3方のブレスを避け、最も近くに迫るヒュドラ首に剣を突き立てた。その手はもう食わない、とばかりにヒュドラは「5点跳躍」を邪魔するように首を振り回す。
だが、ソルファイドは今度はその遠心力を逆用して振り回されるまま、突き立てた剣を支軸として半円運動、自分自身を放擲するかのように宙を舞ってヒュドラから大きく距離を取ることに成功した。
足場を無くした今、ソルファイドにとって足場とすべきはヒュドラの多すぎる首そのものであった――踏み外して海中に落ちることは、死を意味していた。
このためソルファイドは、その全集中力を、ヒュドラの首の間を飛び回ることに注ぎ込む。
「3点直躍」か「5点跳躍」によると見せかけ、ヒュドラが首を振れば剣を突き立てた半円運動。
その逆を読んでヒュドラがフェイントをかけソルファイドを転ばせようとすれば、しがみついての跳躍を行い、行きがけの駄賃とばかりに赤熱した火竜骨の剣で鱗を薙ぎ焼き払う。それによってヒュドラの首に苦痛を与え――首ごとの判断力に差が生じさせるように企てていた。
そのような、ヒュドラの首と首の間を掻い潜るかのような曲芸じみた攻防が四半刻も続く。
一見、ソルファイドは巧みな位置取りを繰り返すことで単に死を先延ばしにしているだけとも思われた。体力、という意味ではどちらのそれが先に尽きるかは誰の眼にも明らかであったからだ。
しかし、9もの首を持つヒュドラはソルファイドと戦うには大きすぎ、また首が多すぎた。
天禀の武術の才覚を持つソルファイドが"曲芸"にのみ専念して飛び回るや、ヒュドラもまた、考え無しに追い回せば、たちまちに竜首同士が絡まってしまうことになる。それを嫌い、それぞれの首が考えながら、位置取りを定め立ち回っているのは、ヒュドラもまた同じなのであった。
そしてソルファイドは、1つ1つの首に与える"苦痛"をコントロールすることで――首同士の判断力の狂い度合いに差を生じさせ、少しずつ、まさにその連携を打ち崩さんとしていた。
無論、ヒュドラもソルファイドがそのような「多肢の魔物との戦いにおける定石」を己に仕掛けてきていることを理解していた。常に1つか2つの首で追い、その他の首は逃げ道を塞ぎつつ、本命の"追い込み"場所で1つの首が待ち構える。
そしてソルファイドがそれを掻い潜るたびに、時にわざと首を足場にさせてやりながら、徐々に包囲を縮めていく――それはソルファイドにとっても、そうせざるを得ない展開であった。
今、ソルファイドが防ぐべきは、ヒュドラが海中へ一気呵成に全てを巻き込んで潜ってしまうことである。そうさせぬために、ヒュドラ自身の首を絡まらせようとしており、大胆ながら繊細な死線の綱渡りを繰り返さざるを得なかった。
そしてその中で、ヒュドラの油断を、決定的な好機の到来を待った。
――だが、次の瞬間。
多頭竜蛇はまるで大人が幼子に語りかけるかのように、優しい『竜の言葉』で歌った。
≪まともな火も吹けぬ小僧よ、だがお前の竜人の技を以て竜と成らんとする意気と負けん気は、驚くべきかな、我ら竜種にも匹敵しよう。ここまで血湧き肉躍ったのは、果たしてここ数十年では久方ぶりのことだったか……【気象使い】めの小倅と殺し合った時であったか!!≫
≪そこで小僧、お前に"教育"してやろう。「竜」を理解したくば、次の我が行いを見よ! そして、我が息吹と牙から逃れて見せよ!!≫
≪今は幼きその牙を研ぐ機会をくれてやろう≫
≪牙には牙で返してみるが良い!!≫
4つの首が輪唱のように次々に歌いあげる。
かと思うや、それまでの位置取りを気にしていたような慎重な動きから一転。まるで絡まることなど一切考慮しないかのような、猛然とした動きで3つの竜首が迫りくる。海を割らんばかりの勢いであった。
ソルファイドはそれを危機であり、しかし同時に好機と見て取って、海面に向けて『息吹斬り』を放ち、巨大な波柱を打ち上げさせる。そしてその衝撃に全身を飲み込ませ、噴き上げられるに任せながら乱暴に宙へ、ヒュドラの首達よりも高く飛び上がった。
そのような水柱による目眩ましなどものともせず、3つ首が三叉に分かれながらソルファイドに追いすがる。他の6つ首が取り囲むように上下左右へ陣取り、隙あらば食らいつかんと睨みつけてくる。
これまでとは打って変わったヒュドラの機敏な動きに、ソルファイドはその"本気"を見るが――強引にソルファイドを食らわんとしたのか。首同士の連携が乱れた。
下から追い上げる竜首の一つをソルファイドがかわした瞬間、もう一つの竜首が勢い余り、先で待ち構えていた3本目の竜首へ噛み付いてしまった。
今ぞ好機、反撃の時である。
そう、ソルファイドが確信した瞬間であった。
思考よりも早い危機本能が、内臓に氷の刃を差し込んだかのような悪寒を生じさせ、ソルファイドはとっさに防御行動を取った。
自分自身の首に誤って噛み付いたヒュドラが、驚くべき行動を取った。
なんと、そのまま自らの首を力任せに噛み砕き、粉砕するように食い千切ったのである。
勢いのままに断ち切られた竜首が回転しながら海に落ちていき――その目が、にやりと愉快そうにソルファイドの死線と交錯する。頭を落とされ、生々しく噛み砕かれて残された"首"が竜血を噴水のように噴き出し、痙攣しながら無秩序に振り回され、ソルファイドの予想と全く異なる軌道で暴れ回る。
海面に降り注いだヒュドラの血は激しく蒸発し、たちまちに水蒸気の煙を生み出して視界を白く埋め尽くす。
だが、ソルファイドが真に戦慄したのはその直後のことであった。
食いちぎられた竜首の断面から――まるで元から中に2本の首が詰まっていたかの如く、おぞましい速度で生えてきたのだ。
生えたての、まだ鱗が固まってもいないぬらりと肉々しい2つの竜首が、てんでバラバラの意思でめちゃくちゃな軌道を描き、お互いを邪魔者と認めて喧嘩するかのように相い食らいながらもソルファイドに迫りくる。
そして周囲には8つ首が広がり構える。
"生えたて"の2つ首を当て馬とし、ソルファイドの守りを崩すという狙いが読めた。
――だがそれすらも文字通りの囮である。
その喧嘩し合う2つ首ごと、自傷前提でソルファイドを食い殺さんと8つ首が残酷な笑みを浮かべていた。
ここまでなのか? と、ソルファイドは死を覚悟した。
だが、すぐに自分自身もまた、ヒュドラの狂喜にあてられたかのような笑みを口に浮かべていることに気づいた。
そうだ、これこそが『竜の闘争』なのだ、と。
熱に浮かされたように沸騰し、遮二無二、愛剣二振りを構える。
迫り来る"生えたて"の2つ首に『ガズァハの眼光』と『レレイフの吐息』の切っ先を向け――そのような構え方では反動で両腕がちぎれ飛ぶことをも覚悟の上で、武技『息吹斬り』を2撃放つ。両腕の骨にヒビが入ったことが自覚できるような鋭い鈍痛が襲う。しかしその犠牲と引き換えに、鱗が成長しきっていない"生えたて"が、まるで生肉を調理するかのように容易く切り飛ばされた。
だが、即座に断面がぼこぼこと泡立ち始め、さらに4つの首が象られていくが。
2連の『息吹斬り』と同時に。
肺の奥底から怒りを吐き出すがごとく。
両腕の骨にヒビが入った激痛すらをも燃料としたように、ソルファイドの身体を内側から焼き滅ぼし尽くすかのような灼熱と憤怒が、一気に気道を駆け上ってきていた。
≪やればできるではないか小僧!!≫
≪そうだ、それだ!!≫
≪我らを灼いて見せろ!!≫
歓喜に渦巻く8つ首が次々に咆哮を重ね合わせる。
ソルファイドは叫びよりも吐血よりも凄絶なる『竜言術』の咆哮を解き放つ。己の内臓を全て焼き尽くすかのような、とても重い焦熱の塊を、一気に吐き出した。
"塔の如き焔"たるギルクォースの末裔であり。
竜人でありながら、竜種に先祖返りしたかのような身体的特徴を持ち。
【人体使い】のお節介によって『息吹嚢』を"改造"された、ソルファイドの『火竜の息吹』が――"生えたて"の2つ首を斬り飛ばした『息吹斬り』の剣気と剣波を追い風として、威力と破壊力が底上げされた衝撃波が"生えかけ"を激しく薙ぎ灼いた。
およそ古き真なる竜の息吹に敵うものではない。
相手が真なる竜であれば、とてもその鱗はおろか肉すらをも焼くのは難しいだろう。
それほどまでに、様々な強化を得たソルファイドですらも、人と竜とはそれほどまでに隔絶している。
だが、自らを"混じりもの"と呼ぶ多頭竜蛇は、違った。
"生えかけ"の4つ首は、他の8つ首が連携し合って息吹を避けることに全くついていくことができず――轟と灼かれて炭化する。
次の瞬間、鍛冶場の鍛造炉からそのまま引き抜いてきたかというほどの限界まで赤熱した双剣が、大気を揺らめかせるような蜃気楼の軌跡を描きながら、まるで鋏のように左右から振り抜かれる。炭化した"生えかけ"の4つ首が、ぼろりと崩れるかのように根本から断ち切られた。
そして、双剣で焼き切られる瞬間に、ヒュドラの首の断面が激しく焼灼され、炭化して焼き潰される。2つ首を生やし、さらに4つ首を生やさんとした"おぞましき再生"が完全に封じられた瞬間であった。
ヒュドラの8つ首達が苦痛と苦悶の表情を浮かべ、そしてその歓喜をさらに深める――まるで「竜殺し」を喜ぶかのように。
だが、ソルファイドに『竜言術』によって語りかけようとして――今の攻防で力を使い果たしたか、闘気も殺気も消え失せ海面へ落ちる竜人の戦士に、多頭竜蛇の8つ首達は気づいたのであった。
小さな、とても小さな飛沫を上げてソルファイドが海中に見えなくなる。
その沈んでいった方向を15の瞳で見送りつつ、ヒュドラの竜首のいくつかが『竜言術』を輪唱すると、荒れ狂う海流が徐々に収まっていくのであった。
≪『塔焔竜』の火と牙、確かに我が身に受けた。覚えておくが良い、小僧。『竜の盟約』は、決して言葉を違わぬものであると。その命とこの戦いの決着は、今しばらく先に見逃してくれよう≫
≪この程度で死ぬことは許さぬ。だが、許さぬ以前に、お前にはそれができぬだろう≫
≪ようこそ、我が"庭"という名の"牢獄"へ。斯くて貴様は迷宮領主の糧となるか?≫
≪それともその剣となり、再び我らと牙を交えるか?≫
≪彼奴を屠り、貴様自身が迷宮領主の力を手に入れるもまた一興よ≫
≪≪≪いずれにせよ、再びまみえる時を楽しみに待っているぞ!! 我が愛しき"竜"の同胞よ、我が身が"竜"であると思い出させてくれたお前に、感謝と敬意を贈ろう。お前は、我が敵に相応しい!!≫≫≫
海流に飲まれながら意識が闇に落ちる直前。
断片的にではあるが、多頭竜蛇達のその言葉は、確かにソルファイドの脳裏に焼き付いたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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