0027 狼殺しと熊殺し
かつて【人世】に、半神として転生した【白き御子】とその一派の『黄昏の帝国』があった。
帝国を滅するため、【黒き神】とその後援神達「九大神」もまた転臨した。
神威の激戦の中で【白き御子】は【黒き神】と相討ちとなり、神々は次々と帰天するが、九大神に付き従う人々は敗れ、迫害されつつあった。
玉砕を望んで戦い続ける、この人族の一派を嘲り、恐れを教え、畏れを知らしめ、そして絶望的な"【闇世】落ち"の中で弔いの鐘を鳴らし続けた者こそが【嘲笑と鐘楼の寵姫】である。
決死行の道程で、土葬され得ぬ落伍者達を荼毘に付してその煙を弔鐘により送ったことから、【闇世】の創世において、【鐘の姫】は【火】の権能を併せ持つと解釈されるに至る。
【闇世】では、火の爆ぜる音が時折鐘の音を交えるのはこのためである。
――【闇世】Wikiより。『嘲笑と鐘楼の寵姫』の頁
――汝、エリュオンの裔にしてリーデロットの子、オーマの従徒なるル・ベリよ。
――汝に我が見聞を授けよう。
――汝、嘲弄と哄笑の中に彼内と彼奴の真実を暴き出す者なり。
――汝に我が鐘楼の調べを授けよう。
――汝、畏るるを知り、恐るるを知り、教わるるを知り、襲わるるを知る者なり。より大なるまやかしを以てまやかす者をまやかす者なり。
――汝、弔う者なり。
***
レレー氏族とムウド氏族の生き残りを利用し、他の9氏族に浸透させる、という献策を主オーマは退けた。その代わり、彼がル・ベリに耳打ちした策は――ル・ベリをして「なるほど!」と膝を叩くもの。卑小なる己と迷宮領主の思考が斯くも異なるものか、とル・ベリは畏怖の思いを新たにした。
"半ゴブリン"として小醜鬼達の生活の中に溶け込まざるを得なかったとはいえ、それでも、自分と主とではそもそも振るうことのできる力が根源から異なったものである。自らが献策した手はずは、あくまでも迷宮領主ではない一介の魔人族の視点のものでしかなかったことに気付かされたのである。
斯様な「9氏族」を一挙に相手取り、さらに制覇してしまうという主オーマの構想は壮大なだけではない。それが実際に成された時に生まれるであろう、最低でも9つ、残る最果ての島の小醜鬼達の氏族集落を襲う「災厄」を想像しただけで心が躍らずにはいられない。
そしてその"露払い"と下準備として、主オーマは旧2氏族の領域からの葉隠れ狼と根喰い熊の排除と追い立てを指示したのであった。
天を覆うかのような樹冠の回廊に覆いかぶさられ、層を成す枝葉達によって【闇世】の"太陽"の恩寵が届きにくい森林。ル・ベリは何体もの旧2氏族の捕虜である小醜鬼を整列させていた。
そのうち2体が苦悶にうめきながら崩れ落ち、激しくその身体を痙攣させている。
――しかし、2体には痛めつけられたような傷は無い。片方は己の腹を必死にかきむしり、またもう片方は頭部を、まるで何かが溢れ出るを抑えるかのように必死に抑えている様子であったが――彼らには自傷によるもの以外の傷一つついていない。
にも関わらず、肺を絞るような絶叫は耳障りである、と同時に、ル・ベリの中の小醜鬼への積年の憎悪を癒してくれる甘美な音楽でもあった。
ちらちらと、頭上の樹冠の回廊の方に目を向けつつ。
周囲の気配を敏感に注意しつつも、ル・ベリは一つ頷いたように、3体目のゴブリンにおもむろに顔を向ける。そしてその目をじっと見据え――手に持ったゴブリンの骨をそのまま砕いてしまわんばかりの力を込めて握りしめた。
するとル・ベリの右の瞳が緑色に輝いた。
かと思うや、それを見つめてしまった小醜鬼がまるで鞭か雷に打たれたかのようにもんどり打つ。そしてまるで全身を万力で締められでもしているかのように、声にならない血泡を噴き始めたのであった。
その様を見つめるまだ無事な他の小醜鬼達であるが、既にル・ベリによって散々に"恐怖"を味合わされており、悲鳴を上げたり逃げ出そうとする者はいない。わずかでも動こうものならば、恐ろしく伸びてしなる痛烈なる一撃が、ル・ベリの右手か左手から繰り出されると、彼らは既にその身に教え込まれていたからである。
「これはこれは。この骨の者はまた、随分と良い"趣味"の拷問を加えられたようだな? 戦士のやることではないな……恨みか、それとも妬みか、なんとも凄惨な私刑だな」
くつくつと、優雅さの裏側に、憎悪する存在を決して許さず逃さないという酷薄さを隠し秘めつつ笑う。ル・ベリは自身の右目を右手の指3本で囲むように押さえていた――まるで、左目や小醜鬼達の双眸とは異なる何かが視えているかのように。
そして実際にル・ベリは視ていたのだ。
主オーマの手により、ル・ベリは魔人族の異能である【魔眼】を開眼するに至っていた。それが主の御業であることにも驚いたル・ベリであったが、さらには、その名が【弔いの魔眼】である、ということまで告げられ、驚きを深めたのであった。その新しい力の検証をついでに行ってくると良い、と告げて、主オーマはル・ベリに小醜鬼の捕虜を使用することを委ねたのである。
斯くして発現したる【弔いの魔眼】の真価を、小醜鬼を何体も使い潰して、ル・ベリは得る。
それは"死者が最後に受けた苦痛"を、その死者の遺骨を媒介に、魔眼を見た者に与える――というものであった。
1体目の小醜鬼は、恐ろしき猛獣である根喰い熊に腹を食い破られた苦痛を。
2体目の小醜鬼は、墜死したムウド氏族の吹き矢使いが勇猛なるレレー氏族の戦士の槍によって頭部を貫かれた苦痛を。
そしてたった今悶絶する3体目は、2氏族競食に際して「戦士」達が出払った際に、集落に残った者達の間で、日頃から厄介扱いを受けていた老個体が虐められ四肢を引きちぎられるという"虐待"を受けた苦痛を【弔いの魔眼】の力によって浴びせられていた。
無論、苦痛を受けて苦しんでいる3体の小醜鬼がそれぞれの"骨"に対する加害者ではない。
しかし、小醜鬼という種族そのものを嫌悪し憎悪するル・ベリにとって、それはあまり関係の無いことであった。言語を操り、細工や工芸やコミュニケーションに基づいた社会を築く存在であったとしても、それでもル・ベリは小醜鬼という存在を残虐な獣に過ぎない、という確信をむしろ深めていた。
――ただし、ただ無為に苦痛を与え、呻かせていたわけではない。
やがて樹上、樹冠回廊の枝が、遠くの方からざわざわと軋むような喧騒があちこちで聞こえて、それは確実に近づいてきていたのであった。
「ようやくか。後はゼータ殿達の仕事だな。これも貴様らが良い声で啼かないからだ、役立たずどもめが……」
主オーマは、旧2氏族の領域から"狼"と"熊"を排除し追い立てよ、と命じた。
その主な役割は眷属たるエイリアン達に委ねられるが――最果ての島の鳥獣に通じたル・ベリにはその見識を活かして、この任務を支援することが求められた。そしてル・ベリは、主オーマが追い立てることを命じた、この2種の肉食の野獣の「好物」が何であるかを、よく知っていた。
加えてそれらの習性と、さらにその習性すらも利用した小醜鬼達の冷酷な文化もまた、同様によく知っていた。
主に狩猟で日々の糧を得る小醜鬼達にとって、餓えた葉隠れ狼が集落の周囲をうろつき始め、その気配を表すことが増えることは大きな困難事であった。
狼を恐れて獲物となる獣達が見つかりにくくなるだけでなく、葉隠れ狼が時に集団で狩猟部隊を襲うこともあるからである。葉隠れ狼が攻撃の合図として、樹上から枝を激しく揺する『枝揺すり』は、小醜鬼達にとっては日常的な恐怖の具現でもあった。
しかし、時には邪魔をされてでも狩猟に出ねば氏族全体が餓える、そんな決死の場面もまたある。そのような時に、小醜鬼達は"生き餌"を使うのである。
可能であれば鹿や山羊といった他の獣を。
それが得られぬ時は、他の氏族から拉致してきた小醜鬼や、自分達の集落の中で役に立たなくなった弱い個体や年老いた個体を。痛めつけて集落から離れた場所に放置し、そのうめき声によって葉隠れ狼を呼び寄せ、つまりそれで満足させるというものであった。
そうした凌ぎ方が何十年と繰り返された結果、葉隠れ狼もまた「集落の外れで呻く小醜鬼」が自分達の供物であると適応・学習してしまい――ル・ベリはまさにそれを利用して、旧2氏族の集落から遠ざけるような位置に、複数の群れを誘導する工作を行ったのだった。
ほどなく、枝を揺すり無数の葉を擦り合わせるような喧騒が樹上に広がっていく。
すぐ樹上にいるのに、葉隠れ狼は飛び降りてくる気配を見せない――これもまた、何十年と"生き餌"が繰り返された結果、葉隠れ狼と小醜鬼の間に暗黙の了解のように出来上がった習性である。狼達が、呻く生き餌を持ってきた者達が逃げる猶予を与えているのであった。
だが、ル・ベリには逃げる理由もその場を去る理由も一切ない。
彼は満足そうに樹上を見上げ、木々の軋む音に笑みを深めた。
そして、次の瞬間。
この世のものとは思えない、肉を引き裂きぶちまけるかのような、生理と生存の本能を根源から逆撫でするような、凡そそのような声帯を持つ生物が存在して良いはずがない、とすら生者に思わせるかのような【おぞましき咆哮】が樹上から幾重にも鳴り響いた。
***
島に生えた数多の巨樹の樹冠を形成する枝々が、幾重にも伸びて絡み合い、互いが互いの成長を支えるかのように複雑な網のような層域を形成する『樹冠回廊』。
枝の褐色と葉の新緑が陽の光を木漏れるようにきらめかせる層域にあって――2つの獣の集団が激しくぶつかり合っていた。
片や、枯れ草色をした骨と皮だけの痩せぎすな、突き出た鼻と口に長い犬歯を備えた獣。
最果ての島の頂点捕食者の一角であり、小醜鬼だけでなく様々な野生動物に樹上から集団で襲いかかる狩人である。"狼"と冠されてはいるが、もしオーマがこの場にいれば「むしろ猿に近い足である」とすぐに気づいたことだろう。
樹上の枝々を飛び回り、最果ての島を覆う1個の巨大な層域を成す樹冠回廊の中で駆け回る葉隠れ狼の足は、指が長く伸び、また親指の関節が発達して、木の枝をつかんで踏ん張りやすい形状をしていた。
このため、ただ単に"駆ける"だけでなく、枝から枝へ、上から下へと縦横に樹冠回廊の絡み合う枝を飛び移ることができる。
島の南西の古樹地帯を根城としつつ、島の全域に広がる縄張りを素早く巡ることができるのである。獲物を補足した際には軽やかに大地へ飛び降り、狩った後にはまた素早く樹冠までよじ戻って、枝の道を風のように駆けていく――これらを全て両立させることができるのは、ひとえにこの発達した指によるものであった。
しかし、そんな島の環境に適応した頂点捕食者達を今まさに狩らんと、赤黒い肌色の皮膚をした異貌にして異形の獣達が枝々の間を跳ねとぶ。
身体の平衡を保つ長くて太い尾を枝に巻きつけつつ、その強靭な後ろ脚の先に生えた巨大な鉤爪を枝に食い込ませて、まるで全身をバネのようにして葉隠れ狼達のど真ん中に飛び込んでいく――オーマが眷属たる走狗蟲達。
元来、葉隠れ狼は彼我の力の差に非常に敏感な獣である。
実は頂点捕食者の立場を分け合う根喰い熊に対しては、もし高所と数の有利を頼んだならば、葉隠れ狼は数体がかりならば相討ちで勝つだけの獰猛さを秘めている。しかし、そのような争いで同胞が傷つくことをよしとせず、慎重にお互いの縄張りへの侵入を避けるほど警戒心が強いという特徴も有していた。
このため、オーマが初めて外の探索に出た時も、2氏族を滅ぼした時も、走狗蟲達の実力を見抜いて、あえて仕掛けようとはしてこなかった。
しかし、オーマが2氏族を滅ぼしたことで、大量の小醜鬼の死骸が生み出された。葉隠れ狼達からすれば空前の豊漁であり、島に存在する17の群れのほぼ全てが、この数日間、旧レレー氏族とムウド氏族の集落の周辺に集まっていたのであった。
大量に発生した小醜鬼の死骸の処理に便利であったため、オーマはそれを放置した。これは、葉隠れ狼を長く集め留めておいて、旧2氏族周囲の他の氏族が近づくことができないようにするための措置でもある。
だが、同時に、小醜鬼の大量の死骸が処理されていくうちに、今度はこの"集まりすぎた"肉食獣達が邪魔となった。
本格的に旧2氏族の集落後やその縄張りを己の「領域」とするにあたり、また「9氏族」に対する一挙制覇の作戦を遂行するにあたり、オーマは増産した労役蟲を旧2氏族の集落や縄張りに送り出すことを考えていたのである。
この時、戦闘力という意味で葉隠れ狼から警戒されている走狗蟲と異なり、労役蟲達は「新たな獲物」と見なされる可能性が高かった。
故に"狼狩り"と"熊狩り"が命じられたのである。
そこには『因子:隠形』と『因子:重骨』を解析するという目的、さらに頂点捕食者を領域から追いやって周囲の集落にプレッシャーを与えつつ、他の中型大型の"動物"から新たなる『因子』を回収することや解析率を高めようというオーマの別の思惑もあったのであった。
斯くして、30体あまりの走狗蟲達が動員され、ル・ベリによって誘導された葉隠れ狼達に対する"狩り"が始まったのであった。
誘引されつつも、基本的には走狗蟲にはかなわないと見た葉隠れ狼達は無数の葉にその身を隠そうとする。枝を揺すって位置を誤魔化そうと、群れたる利点を最大限に駆使しようとする。
だが――ル・ベリの見上げる樹上、その葉隠れ狼の群れが不運であったのは、彼らを狩らんとするのが『連星の絆』という固有技能によって、ただでさえ群体知性を発達させている上に更なる連携能力を備えたゼータ、イータ、シータが率いる集団だったことであった。
先鋒としてゼータが正面から葉隠れ狼の1体に躍りかかる。
仲間が激しく枝を揺する中、その葉隠れ狼が幾重もの新緑の葉の後ろに身を隠そうとするが――まるでそこに飛び込んでくることを見越していたかのようなイータに、思わぬ角度から飛びかかられて足爪の一撃を受ける。そのさらに樹上にはシータが俯瞰しており、ゼータとイータの動きと阿吽の呼吸を見せていたのだ。
このようにして最終的にはイータが1体を狩りつつも、実はゼータがその1体に本気で闘争性を向け本気で襲いかかったのは最初の一撃だけであった。イータが潜むポイントへ追い込んだ、と判断するやゼータの意識は既に他の獲物に移っており、シータとその獲物の位置を測っていたのである。
そしてイータが、最初の獲物を狩り倒す時間を測りつつ、微妙に飛びかかる角度を変え、次の獲物を今度はシータの方へ飛び退かせるのがゼータの役目。首尾よくシータが2体目を屠る頃には、今度はゼータが当初のシータのような俯瞰的な役割となり、イータが当初のゼータのような先鋒として飛びかかる役割になっていたのである。
葉隠れ狼とて牙も爪もあるため、襲われる身となるや激しく抵抗するが――その戦意をくじくかのように、獣としての闘争性の差を改めて思い出させられるかのような【おぞましき咆哮】により、怯んだところを次々と切り裂かれ、あるいは尾の一撃を見舞われていく。
他の走狗蟲達が3体1班で葉隠れ狼を1体狩る半分の時間で、ゼータ、イータ、シータは「飛びかかる者」「不意討つ者」「見下ろす者」の役割をお互いに瞬時に入れ替えながら、瞬く間に何体もの葉隠れ狼を戦闘不能にしていったのであった。
――そして戦闘不能となり、横たわる葉隠れ狼の元へ。
四肢の触手を器用かつ大胆に使いながら、オーマ曰く「一人逆バンジージャンプ」のような機動で一気に樹上に駆け上がってきたル・ベリがゼータ達の前に姿を表す。ゼータ、イータ、シータに対して、ル・ベリは可能であれば葉隠れ狼には怪我をさせるにとどめ、殺さずに済む分はそうしてほしい、と要請していた。
その意を受け、ゼータ達は数体の葉隠れ狼は生かしたまま戦闘不能状態にさせており、ル・ベリが何をやろうとしているのかを見届けようと、周囲に集まってきていたのだった。
ル・ベリがこのような要請をしたのは、彼が小醜鬼以外に生物に対しては慈愛に溢れている、というわけではない。ル・ベリは確かに、傷ついた葉隠れ狼に対して、まるで亥象の子供に接するかのように、その毛並みに臆すること無く触れていたが――その手に持っていたのは【弔いの魔眼】を発動するために扱った小醜鬼の骨であった。
おもむろに右目を一瞬だけ緑色に輝かせて、ル・ベリは衰弱した葉隠れ狼に一瞬だけの苦痛を植え付けて恐怖を与える。そして死を覚悟しつつも諦念に襲われた葉隠れ狼に対し、慈愛のような笑みを向けて、手に持ったその小醜鬼の骨を自ら折り、中の髄液を飲ませてやるのであった。
オーマ第一の従徒たる彼は、この機会を捉えて、葉隠れ狼の手懐けを試みていたのである。
『職業』こそ既に獣調教師ではなくなっていたが、彼には数々の『継承技能』があり、そして何より経験それ自体は、転職によって失われるものではなかった。
「小醜鬼による肉食獣の手懐け……ささやかだが、夢が1つ叶った。これも御方様の恩寵。御方様は【エイリアン使い】としての御業のため、可能ならば数体生け捕りにせよ、とも言われていたからな」
ル・ベリの行動を一瞥したゼータ以下『連星』の3体が、その言葉に納得したように十字顎を打ち鳴らして高く鳴く。そして彼らは、次なる獲物を求めて走狗蟲達を指揮して葉隠れ狼達を追い立てていく――。
***
ル・ベリと走狗蟲達が葉隠れ狼を追い詰めていた頃。
『赤い泉』の近域で、戦線獣のガンマとデルタは、巨獣を相手に激しく打ち合っていた。
根喰い熊。
最果ての島では小醜鬼だけではなく、時には亥象を襲う、最強の肉食獣である。
その獰猛性はオーマの世界認識をして"熊"と翻訳されるに相応しく、幾重にも重ねられた革鎧のように分厚い真っ黒の毛皮と、その内側でクッションとなる脂肪、巨体を支えるこれもまた分厚い筋肉の層に覆われた巨躯の野獣である。満円の月輪を思わせる白い毛並みが四肢の付け根を紋様取っており、肉を切り裂く犬歯と骨を噛み砕くための臼歯を剥いて激しく吠える根喰い熊。
しかし、その真価は筋肉よりもさらに内側の、異様に太く発達した骨格にあった。
オーマの権能たる【エイリアン使い】をして『因子:重骨』という現象を読み取らしめた巨躯を支える太い骨格は、根喰い熊自身の身体を頑強に安定させるだけでなく、打撃に対する強靭な抵抗力を与えていたのである。
デルタが両の剛腕を振り回して滅多打ちに叩きつける。毛皮に阻まれ脂肪と筋肉に吸収された衝撃は、意外なほど骨には響かない。さらに根喰い熊は身体を丸めて当身を食らわせ、激しく抵抗する。
デルタとガンマが2体がかりという意味では、単純な力で言えば島で「最大」の獣である雄の亥象にも迫るのが根喰い熊であった。
――だが、戦線獣は生物種としての最強性や生態系における頂点性を求められているわけではなく、また非常に好戦的たるデルタとて、己が最強の個体たらんとするような願望を持っているわけでもなかった。
エイリアンの本分と本領は、連携にこそある。
根喰い熊が力では己が有利と見て、ガンマを体当たりで激しく吹き飛ばし、爪を立ててデルタの剛腕に組み付いて噛みつこうとする。
亥象の大腿骨すら噛み砕く強靭な歯が、丸太ほども太い戦線獣の剛腕に食い込んでいくが――空気を激しく焦がす裂音と共に、緑色の"酸弾"が飛来。根喰い熊の分厚い毛皮を噴酸蛆の強酸が貫いた瞬間であった。
苦痛に咆哮を上げる根喰い熊に、デルタは逆にその剛腕で組み付き、まるで筋肉の万力のように締め上げていく。そして自身にも"酸弾"が降りかかることを厭わず、根喰い熊の強酸に焼かれて毛皮も皮膚も剥げめくれ肉の生身が晒された場所を、ベータとイプシロンの2体の噴酸蛆が狙いやすい位置に向け――そこに第2射が降り注ぐ。
更なる咆哮が絶叫のように森に鳴り響くが、今度は戻ってきたガンマが根喰い熊の下半身に組み付いて、デルタとさらに逆方向に激しく引っ張る。
そこまでされては、激痛に喘ぐ根喰い熊は力んでも2体に対抗できるだけの怪力を発揮することができず、血を吐きながらもんどりうつ。さらにそこに、ダメ押しと言わんばかりの"酸弾"の第3射。
肉が泡立つように溶け、激しく焼かれ蒸気が立ち込め、噴酸蛆の強酸は根喰い熊の"骨"にまで届かんばかりであり――両側から戦線獣によってガッチリ組み付かれ、しかも左右に引っ張られていたことで、根喰い熊は片脚をとうとう、みきみきと丸太がへし折られるかのように、その強固な内骨格ごと砕かれ、引きちぎられてしまったのであった。
斯くして、【エイリアン使い】オーマの号令一下。
瞬く間に旧2氏族の縄張りの"安全"が確保され、オーマは『因子』狩りの範囲を肉食獣を含む野生動物全般に拡大。加えて、肉食獣の脅威を排したことで、大量の労役蟲を地上に送り込み始めるのであった。





