0260 鮮血と退廃の都に交錯する死戦(3)[視点:剣視]
8/21 …… 本文中に地図を載せました。粗いですので、じっくり見たい場合は、次の画像直リンをどうぞ(https://17852.mitemin.net/i1007858/)
時を少しばかり遡らせよう。
【エイリアン使い】オーマが都市ナーレフを掌握するよりも以前。その前段として、【春ノ司】と呼ばれた存在――旧ワルセィレ地域における土地神性存在――が引き起こした事変(【春疾火の乱】)と前後して、【騙し絵】のイセンネッシャ家の暗部と私兵の混成部隊を率いる嗣子姉弟ツェリマとデェイールが【報いを揺藍する異星窟】へと侵入した。
この中で、ツェリマの指揮下に加わっていた頭顱侯各家の”厄介者”達のうち、オーマが仕掛けた「空間ごと拉致」する大規模な魔法陣の罠に寸前で巻き込まれず虎口を逃れた者がいた。
【魔剣】のフィーズケール家の侯子であり、若くして【剣魔】の号を得たるデウフォン・サレイア=フィーズケールと、【歪夢】のマルドジェイミ家の"走狗"【罪花】のうち、特定の支部に属さず、本部直属の『兵隊蜂』として活動していた女術師トリィシー=ヒェルメイデンの両名である。
オーマがツェリマとデェイールの部隊を拉致するに当たり、彼らが当初は迷宮であると誤認させられて侵入した場所は、改装された旧ハンベルス鉱山の坑道跡であった。その道中に【エイリアン使い】の権能によって再解釈された【空間】属性の転移罠があったわけだが――デウフォンはその魔力の流れそのものの違和を感じ取って、近くにいたトリィシーを当身で巻き込む形で、共に難を逃れたわけである。
無論、全滅を期していたオーマもこれに対して即座に走狗蟲ら追っ手のエイリアン部隊を派遣。地上への出口――というものは【騙し絵】家走狗【人攫い教団】が【空間】魔法によって移動する関係上、皆無ではあったが、それでもフィーズケール家の破壊魔法の実力でならば、一か八かで強引に地表までの道が文字通り切り開かれる可能性もあった。
このため、万が一の場合にはせめて”封じ込める”という意図により、オーマは追っ手部隊にデウフォンとトリィシーを可能な限り「深部」へと追い立てるように指示を出していたのである。
この旧ハンベルス鉱山の坑道には、かつて、今はオーマの従徒に収まっている”夢追い”コンビことゼイモントとメルドット(元の【人攫い教団】ハンベルス鉱山支部の正副支部長)が発掘したる古代帝国(【黄昏の帝国】)時代のものと思しき、排水設備を中心とした大規模な遺構が存在しており、それはそのまま、夢追いコンビが調査に当たる手筈となっていた。
つまり、当面デウフォンとトリィシーという【エイリアン使い】の存在を露見させるには危険である程度の地位と実力を持った魔法戦士2名を遺跡に閉じ込めて逃げ道を塞ぎ、兵糧攻めにしつつ、『遺跡調査班』にじわじわと追い詰めさせて狩り出させるという方針を取ったのである。
――だが、ここで一つの想定外が起きていた。
件の「古代帝国時代の大規模排水設備」について、夢追いコンビも、デウフォン&トリィシーも、オーマも、そしてオーマが【人世】における歴史知識や一般常識の供給役とするリュグルソゥム一族でさえも、誰もその正確な”規模”を予想できていなかったのである。
結論から言えば、この遺構設備。
最低でも東西のオルゼ地域の結ぶ巨大かつ複合・複層的な一大地下交流網の一部を成している可能性が高い――というのが、その後、予備調査を実施した『調査班』が出した初期的な報告だったのであった。
その「調査」の経過と報告については、また筆を改めることとしよう。
斯くなる成り行きにより、連れ立って【エイリアン】の追跡と襲撃から逃れなければならぬ羽目となった【剣魔】侯子デウフォンと『兵隊蜂』トリィシー。彼らは追い込むこと自体が目的であり調査を兼ねていた走狗蟲と隠身蛇の混成部隊から逃れつつ、既に枯れて久しい大規模暗渠跡を進行。
かつては魔導の機構により管理されていたと思しき崩れた魔法陣類似物の痕跡を辿りつつも、暗所・閉所・隘路と三拍子揃った崩れかけの悪路の中を【おぞましき咆哮】によってその存在感を示威しながら追跡してくる"化け物ども"がある以上は、魔導大学の学徒の如く丹念かつ注意深くその詳細に思いを馳せる間も無い逃走を強いられたのである。
だが、こうした悪環境にあっても、二人にはそれを切り抜けるあるいは適応するだけの適性と経験があった。
トリィシーは本来はその"特殊"な任務から都市潜入・潜伏のために鍛えられた『兵隊』であり、デウフォンもまたフィーズケール家の『選抜』の掟に従い、かつて【六脈】のいずこかもわからぬ地点に彼の父母血族によって短剣一振りのみ与えられて放逐され、文字通りに泥を啜りながら侯都までの生還を試されるという幼少期を過ごしている。
地ネズミや泥モグラの類を【魔剣】の火勢で炙って喰らい、わずかな気流を手繰り寄せて呼吸を確保。【精神】魔法によって疲労の誤魔化しと感覚の研ぎ澄ましを同時に実現しつつ、追っ手を足止めするために通ってきた遺構を【殲滅魔剣士】らしく破壊して崩しながら、片や、道なき道を文字通り斬り開きながら――とうとう二人は、数千年前に地中に消えたるその遺跡の「大規模」なるを身をもって知ることとなる。
排水設備跡からは一転。
二人が立つ明日新たなる"通路"は、大型の獣が通ることのできる程度の鉄製のトンネルが、壁も床も天井も覆うように、一眼では継ぎ目が見えぬ一枚鉄とでも呼ぶべきものであるかのように、排水経路から壁数枚分を挟んで隣接・並行していたのであった。
だが、サウラディ家侯都に勢力を構える【魔法学】の総本山たる【ゲーシュメイ魔導大学】においてすら、この下手をすれば数百年から数千年前ともされる『遺跡』や『古代帝国』に関する知識は禁忌扱い――ということをトリィシーは過去に"教授"級の魔導師から聞き出している――であった。公式には【魔法学】とは『長女国』が『旧帝国』から受け継いだ人間種の叡智である、ということにされているにも関わらず……である。
さらに、真偽は不明だが【異界の裂け目】だけでなく、こうした『遺構』は「禁域」扱いとされていることもトリィシーは聞いたことがあった。
これらの背景から、その内部構造についての正確な詳細を知るものは、最上位貴族たる頭顱侯の"関係者"であっても二人の周りにはほとんど無い。
故に、当初の魔導的な機構が組み込まれた排水設備はともかく――その想像の数倍の大規模さは置いておいて――まさかこのような、高度な冶金の技術が必要であることは疑いようのない『トンネル』が埋没しているというのは、大きな驚きとして受け止められたのであった。
流石に、幾星霜の時の流れの中での崩落の痕跡はあるのだが。
まるで大地そのものが凄まじい力によって褶曲・収縮されるのに巻き込まれたかのように、『トンネル』は押し潰されたように全体が激しく歪んではいた。
……いたのだが、決定的に破断するということはなく、デウフォンが内部の瓦礫や狭窄の如く潰れた箇所などを【魔剣】術によって斬り開くという行為を組み合わせることを前提とすれば――ほぼそれは通路として機能し、二人を遥か西にまで逃走させ。
ついに、退廃の商都『シャンドル=グーム』近郊にひっそりと存在していた禁域に通じる地上出口にまで、誘い辿り着かせたのであった。
――なお、この際にデウフォンが追跡する走狗蟲と隠身蛇達を封じるために、かなり念入りにこの『金属トンネル』の通路を破壊・破断・破砕・殲滅したことにより、『遺跡調査班』による復旧と復元、調査が遅れることとなるのはまた別に述べるところである。
斯くして、強大な勢力を伴った【魔人】の出現と、私兵部隊とはいえイセンネッシャ家の手勢が敗れた、という情報を本来であればそれぞれの本家まで持ち帰るはずのところ、図らずもデウフォンとトリィシーは『シャンドル=グーム』というより西へ遠ざかることとなってしまった。
公然の秘密として『四兄弟国』圏に対して開かれた密輸の商都であるとはいえ、亜人達の領域である西オルゼに属するこの都市は、また別の意味において明白なる”敵地”なのである。
だが、この状況においてデウフォンはあえて”敵中突破”することを主張し、トリィシーに強引に納得させたのであった。
それは彼のかつてのフィーズケール家におけるサバイバルの経験に基づいている。
すなわちシャンドル=グームから、この都市が麓とする『灰噴き山脈』(ダングロック峰王家領)から【六脈】に侵入。西北西に抜け、同じく【六脈】の一つである『霧雪山脈』(モローグル峰王家領)の南からの縦断を敢行し、【ウル=ベ=ガイム氏族連邦】領に南西側から侵入し――そのまま東進してさらにこれまた【六脈】の一つにして対【懲罰戦争】の”前線”の1つである『幻朧連山』(ガンザード峰王家領)を北東に打通。行き掛けの駄賃とばかりに、最前線の一つを敵側から突破することで、ツェリマの部隊に合流させられる以前の「古巣」であった戦場経由で『長女国』に帰投する……というのが【剣魔】侯子が立てたプランだ。
なお、ろくな説明もなく、真顔で既に決定事項のようにこの「帰投」ルートを伝えられたトリィシーからの呆れ果てを通り越して珍獣を見やるかのような第一声は「あなたもしかして本物のバカなの?」であったわけだが。
無論、デウフォンがあえてこのルートを選んだ理由は、単に彼が幼き試練の日々を懐かしんだのであるだとかいうものではない。
第一には、ナーレフが【魔人】の手に堕ちた可能性が高い以上、既に狙われていた自分達が馬鹿正直に東の街道から帰投するなど愚の骨頂であるということ。
【騙し絵】家の姉弟が勝利していれば迎えが来ないはずがなく、彼らですら敗れたのであれば【紋章】家の走狗に過ぎぬ掌守伯家の専横する都市程度が落とされぬ道理は無く、その場合、ナーレフはあまりにも交通の要衝でありすぎたからだ。
第二に【継戦派】の大家たるフィーズケール家の嗣子として、この機会に西オルゼの各"前線"とその後方を一から総浚いしてやろうと企てたこと。戦場における殲滅魔法の使い手として、元より一騎当千性を活かし、あるいは言い訳としてフィーズケール家の特に血族は単独行動をすることも多い存在であったが、その例に漏れず、デウフォンは実家への最低限の義理を果たしてやろうと考えたのである。
少なくとも――彼自身は気にしないが――口さがのない者達から己が【放蕩者】とされていることに関しては、当代の【剣姫】にして当主である祖母に顔向けをすべきではない、という気にはなったことが挙げられる。
そして第三に、デウフォンには、どうせならこの機会に……と長年の疑問に思っていた、フィーズケール家に限らず『長女国』の頭顱侯家の一部諸侯に共通する"とある共通点"を調べてみよう、と思い立っていたのである。
フィーズケール家の家祖にして初代【剣姫】然り。
『黒エルフ』達の扱う【星】魔法に酷似し、その対抗技術を扱う【星詠み】家の家祖ティレオペリル然り。
同じく『黒エルフ』達が勢力を張る【ルフェレムの黒き森】から秘密裏に多様な"食材"を密輸している【悪喰】家の家祖フィルフラッセ伯夫人然り。
さらには数代前の【剣姫】を誘惑して堕落させ、【魔剣】家の技術を盗んで独立勢力となりついには頭顱侯にまで至った【纏衣】家の家祖にして【像刻】家のグルカ然り。
――いずれも"西オルゼ"とは縁もゆかりのある者達であったのである。
無論、頭顱侯家などというものは己の実家を含め、闇と秘密と秘匿された素性の詰め合わせとも呼ぶべき凡骨の集団ではあるため、この程度の「疑念」などを拾っていてはキリが無いこともまた事実。
そのような俗説を弄ぶ暇があるのならば、一つでも彼奴等奴輩めらの業の一つでもその「線」を見抜いてバラバラに切り綻ばせ捨ててしまうべき己が技量をこそ磨くのが道理であるが――デウフォンは、発見してしまったのだ。
東側に抜け出た、という観点では逆向きではあるが、しかし、確かに彼は「禁域」と『古代帝国の地下通路』という『長女国』という大国の最高学府においてすら把握されていないか知ること知らされることを阻まれている存在――高度な金属加工技術に裏打ちされた一枚”鉄”の通路――の内部を渡っていったのだ。
【魔人】の放った【おぞましき咆哮】を放つ猟犬どもの追跡さえも撒いて、一応は無事に。
……ならば、一部の頭顱侯家の家祖どもが西オルゼと縁のあった者達ばかりであるというのは、果たして偶然であるや?
単なる「よくある疑念」の一つで終わるはずの事柄に対して、はからずも、それを探求するための視座が彼には与えられたのである。
故にデウフォンは、この機会とばかりにあえて【六脈】経由のルートを、あえて、あえて、選んだ。
――あれほどの高度な金属精錬・精製・加工を含めた冶金技術を駆使する存在として『丘の民』以外を想定することは困難だったからである。
【六脈の頂峰国】は、ひとまとまりの領域国家ではない。西オルゼの四方に聳え立つ6つの山脈・連山系とそれをそれぞれに領するドワーフ峰王家の連合体であるという言い方がより正式である。
しかし、彼らは相互に離れておりながらも情報の共有と連携は驚くほど正確であり――"前線"に滅多に出てこない亜人の一種だが――その採掘技術を活かして地中での連絡経路があるのではないか、と、最前線を知らぬ者達からは冗談のように言われることがある。(なんらかの魔法的な通信手段であろうという見方が『長女国』本国では一般的)
――だが、もしもこの冗談が、視たままの通りに"真実"であったならば?
これこそが【剣魔】侯子ことデウフォン・サレイア=フィーズケールの、この事柄へ強い興味を抱いている源泉なのであった。
ただし、不思議なことにデウフォン自身は、この視座が何を示唆するものであるかや、そこからどのような地理的だか歴史的だかの真実が見えてくるのか……等々への確たる確信は未だ無いのである。そこから「何か」が視えてきそうで、しかし、視えてこず、しかしさらにそれを覗きたいと不意に考えてしまう。
あるいは【おぞましき咆哮】を放つ異界の眷属どもに追い立てられて、全く無自覚のうちに精神を狂わされてしまったか。
果てはトリィシーをして「おかしいわねぇ、私、デウフォン卿に間違って【精神】魔法なんてかけてしまったかしら? ――しかもそれがもっと間違って、通ってしまったりなんて、したのかしら?」などとのたまい、割と本気で心配するような目で熱を測ろうとしてくる有り様。
そんな程度には、実家を厳しい眼差しで視ているデウフォンもそもそもは一端の『剣愚』(一部の頭顱侯家が特にフィーズケール家の【五剣】を揶揄する際の呼称)だったわけである。
――斬るか斬られるか。
――どう斬るか。どこを斬るか。どこから斬るか。
――いつ斬るか。いかに斬るか。いずれを斬るか。
――なぜ斬るのか。何を斬るのか。
――それは斬るに足るのか。
フィーズケール家の本質をよく研究している者達は、彼らを魔術師の類ではなく、剣を携えた戦士の一団であるという認識によって語る。
こうした評価はほぼ正鵠を射ており――これは別に秘技術が露見している等の意味を表すのではなく、ただ単に、太陽が明るく眩しいという当たり前のことを当たり前に説明しているに過ぎないのだが――デウフォンもまた、元来は「剣」か「魔剣」か「斬る」ことか「斬る相手」のことにしか関心が無い青年である、と自他ともに認じていたのである。
故に、たとえフィーズケール家の【殲滅魔剣士】がどれだけ強力な殲滅魔法・制圧魔法・破壊魔法の類を駆使できたとて、個人戦力に過ぎない点では【魔人】とその眷属達の一団という強大な相手をするには荷が勝ち過ぎるとしても……彼がその気になりさえしたならば、彼は【剣魔】の号が引き継いできた意味と重みを【エイリアン使い】オーマに刻みつけるために踵を返したことであろう。
無論、デウフォン・サレイア=フィーズケールはそのような蛮勇だけで生きる者でもなく、【懲罰戦争】における『長女国』戦力の一角を成すフィーズケール家の名代として戦場に立つという自覚に基づいた戦略的判断から、逃避を選択したわけでもあったのであるが。
――だが。
ここまでの全ての思惟と思索が、全てただの理由付けに過ぎないかもしれないことを、当のデウフォン自身もまた自覚していた。
あえて『西方諸族』の領域を後方から通り抜け、逆側から”前線”を打通して『長女国』に帰投するルートを選んだ第四の理由。
これまでの全ての理由付けを土台からひっくり返すような、身も蓋も斬り捨ててしまうかのような、ごく単純な理由として――。
『どう斬るか』。
デウフォンという演劇から飛び出した花形役者のような派手な出で立ちをした青年魔剣士は、ただ、ただ、其れが気になって仕方がなかっただけなのかもしれない……とそのように自己の変心を内観していたのであった。
もっとも、このデウフォンの単純であるがその故に非常に複雑な思考の過程を【精神】魔法に頼れず(デウフォンには既に【罪花】による【精神】属性の魔素の流れを読み切られ、斬られる段階に達している)、自らの独力での人間としての経験としての判断により読み取らなければならなかった、トリィシー=ヒェルメイデンにとっては、間違いなく災難であるとは言えたのだが。
何故ならば、デウフォンは、シャンドル=グーム入りしてからすぐにトリィシーが動き回って行った”調査”の成果と報告の、その全てを、黙殺し放置したのであるから。
まず、『長女国』の貴種に連なる者のうち、ほぼ唯一シャンドル=グームで遊び歩いて引きこもっていた【遺灰】家のサイドゥラ=ナーズ=ワイネンの伝手を辿る形で、トリィシーは情報屋に接触していた。
表向きは【六脈の頂峰国】に属しつつ、その実質と内実は【生命の紅き皇国】の吸血種達が支配する特殊な法的地位にある。退廃と密輸の商都ではあっても、それは決して街から自由自在全方位から出入りできるという意味ではなく――デウフォンという”お坊ちゃん”が望む「抜け道」を確保してやるべくシャンドル=グーム中を東奔西走していたのだ。
この過程でトリィシーは首尾よく”本物”の「抜け道」の情報を得ることができたが――彼女は、自身を注意深く観察・監視する吸血種がいることに気付いていた。無論、表向きは敵国である『長女国』の戦闘魔導師がシャンドル=グームで活動するなど、逆の立場で考えれば監視がつくことそのものはおかしなことではない。
しかし、まさにその「おかしなこと」として。
トリィシーが何を調べていたのかが人伝いにその監視者に届いたかというタイミングで、彼女と、そしてデウフォンの元に、とある情報が様々な形で垂れ込まれるようになったのである。
曰く。
シャンドル=グーム内に居を構える『氏族連邦』の【阿修羅閥】系氏族が店主を務める『斡旋所』(事実上の奴隷商)にて、『長女国』との”前線”で捕らえられてきた新たなる人材が入荷されてきた――であるだとか。
曰く。
シャンドル=グームに現在【魔人】とその眷属の一団が潜伏しており、どうも、何やら”東”から落ち延びてきたらしい何者かを追跡してここまで先回りし、情報屋を買収しながら、その逃走経路を制限しつつ網を貼って捕らえるための奸計を布いている――であるだとか。
トリィシーとデウフォンを狙い撃ちにしたとしか思えない怪情報。
それが調べる先々で、自然かつ不自然に彼女の”調査”網に入り込むような形で――たとえば【精神】魔法で洗脳したはずの人物の中に不自然に存在する直近の短期記憶としてなど――幾度となく繰り返され、デウフォンの元にもそれは手を変え品を変えるように届けられたのである(矢文という古典的な方法まで含めて)。
明らかに二人の行動を誘導するか、または利用しようという思惑が絡んだきな臭すぎる動きであり、シャンドル=グーム自体そもそもが吸血種の巣窟であるが故の諜報戦の不利も悟りながら、トリィシーは、デウフォンにこのような罠に付き合う必要はないと、彼女自身が記憶する限り十数通りは声のトーンや態度や話しかけ方を変えて(それもこれも全てはデウフォンに【精神】魔法が通用しないため)警告した。
したのだが……その全てを黙殺したデウフォンは、格好はトリィシーも王都暮らしであった自分には行き付けであった舞台の花形役者風であるにも関わらず、大根役者としか思えぬ調子で「なんということだ、決して許すことはできぬ。この俺が成敗して、後顧の憂いを断つためには、先回りしてたたっ斬ってしまわねばなるまいなぁ!」などと台本の棒読みのような言を吐くに。
ついに、トリィシーは彼の無邪気な意図をようやく察さざるを得なかったのであった。
『何を斬るのか』。
何のことは無い。
デウフォンは、彼とトリィシーを監視し何らかの思惑と作為に誘導しようとしていた吸血種の少年――名前を『タレーエン』という――の存在に気付いており、その上で、その趣向に全力で飛び乗り自ら全力で飛び込んだに過ぎなかったのだ。
――彼をフィーズケール家の【剣魔】と知った上で、その彼をよもや暴れさせようという方向で煽動してくるなどという、死ににくいことだけが取り柄である吸血種どもの雑なれど興味深い”据え膳”を斬らぬなどというのは、【魔剣】家の剣士にとって恥以外の何者でもないのだという受け止めなれば。
その”本命”の狙いが自身とトリィシーであるのか、それともどうあがいてでも自分に襲わせようとしている何者か(【魔人】ということになっているが)であるのかはわからないが――【殲滅魔剣士】の破壊力を、広大なる商都とはいえその一角であえて解き放たせようというのならば、相応の戦力で迎え撃つ算段があるに、きっと、多分、おそらく、おもうに、相違ないのではないか。
『それは斬るに足るのか』。
デウフォンは能面のような無表情の下に、そんな期待を抱いたに過ぎない。
そして「思い立つなり道を斬り開く」というフィーズケール家史上の逸話の如く、トリィシーがサイドゥラ青年の足取りを参考に用意していた隠れ家から飛び出し、一念一路、道中の時をも斬り飛ばすかの如き勢いに乗じたまま、ただ真っ直ぐに――その誘導せられている、ラクーギー=ビフロスケィンという名の戦亜が店主を努めている『斡旋所』関連の施設(奴隷達の管理区画らしい)目掛けて、吶喊したのであった。
このような事態に、遅れて気付いたトリィシーが普段の口調も演じている性格も忘れて「あんのド腐れ斬り捨て狂い脳筋いや脳剣坊主があああッッッ!」と激怒して飛び出したのも至極当然の成行きであるか。
――そしてそれが成行きであったならば。
ビフロスケィン氏族の『高級斡旋所』までの道中にて、猛然と走るトリィシーを吸血種の少年工作員タレーエンが迎撃したことは、必然の道行きであったか。
――そしてそれが必然であったならば。
奇しくも同じ頃、父にして迷宮領主【鉄使い】の名代として、与えられた任務にさっさと着任すべく、都市ナーレフ行きを訴えながらも、その道案内役であるところの”旅侠”にのらりくらりと物理的な意味で躱され逃走され、シャンドル=グームを舞台にちょっとした隠れ鬼めいた「遊び」を強制される羽目となっていた【ルフェアの血裔】ネフェフィトもまた。
「あぁんの目玉くるくる脳天くるくる舌割れしゅーしゅー愉悦下衆野郎がああああッッッ!」
と絶叫しつつ、ついに数日間雲隠れしていた件の”旅侠”ことキプシー=プージェラットが偶然出現したらしい『高級斡旋所』に向けて、全力突撃の構えで既に走り出していたのであった。